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はてなキーワード: 18世紀とは

2023-06-10

チョムスキーによるポストモダン評(1995年

 提唱された「脱構築」については (この当論でも話題になりましたが)、コメントのしようがありません。なぜなら、そのほとんどは、わたしには、ちんぷんかんぷんみえからです。しかしもし、これもまた深遠さを認識する能力わたしに欠如していることを示す表れのひとつに過ぎないのだとしたら、次の指針ははっきりします: その結果をわたしにも理解できるふつう言葉表現し直してください。そして、それがなぜ他の人々が以前から長らくやってきてし続けていることと異なっているのか、より良いのかを示してください。三音節用語や、支離滅裂文章や、誇張したレトリックなんかは(少なくともわたしにとっては)大部分無意味なのですから。そうしたら、わたしの欠陥も治ることでしょう──もっとも、それが治るものならば。

 世の中には、わたし理解していないことも、たくさんあります──たとえば、ニュートリノには質量があるか否かという最新の議論だとか、フェルマーの最終定理最近 (おそらく) 正しいと証明された方法だとか。しかし、この五十年間のゲームからわたしは二つのことを学びました: (1)その分野で仕事をしている友人に訊いて、わたし理解できるレベル説明してもらうことができる。そして彼らも、それほどの困難もなくそれができる。(2)もし自分に興味があるなら、もっと学習を進めて、理解できるようになることができる。さて、デリダラカン、リオタール、クリステヴァら──フーコーでさえ。彼のことは知っているし好きで、他の人々とはちょっと違ったけれど──は、わたしにも理解できないことを書きますしかし、(1)も(2) もできなかったのです。自分理解しているという誰ひとりとしてわたし説明することができず、分からなかったところを克服して勉強を続ける糸口もつかめませんでした。

 とにかくデリダを取り上げましょう、大御所のひとりです。わたしは、少なくとも彼の『グラマトロジー』を理解できるはずだと考えました、そして、読んでみました。少しは分かりました。たとえば、わたし自身よく知っていて何年も前にそれについて書いたことのある古典的文献の批判分析なんかは。哀れな誤読に基づいた、酷い学識だと判りました。そして彼の議論は、以前と変わらず、わたし子どもだった頃から慣れ親しんできたような水準にも及ばないままでした。そうですね、わたしが何かを見落としているのかも知れません: あり得ることです、しかし疑いは残ります。既に書いたように。繰り返しになりますが、証拠抜きのコメント申し訳ありません。でも問われたので、応えているのです。

 この手のカルト(わたしにはそう見えます)の人々のなかには、会ったことのある人もいます: たとえばフーコー (数時間議論もして、出版されています。多くの時間は楽しく対話しました。現実の諸問題について、きちんと理解可能言葉で──彼はフランス語で、わたし英語で)、ラカン(彼には何度か会って、おどけて完全に自覚的ペテン師だと思いました。カルト以前の初期の仕事意味のあるもので、それについては出版したものの中で論じたことがあります)、クリステヴァ(彼女が熱烈な毛沢東主義者だった頃に、少しだけ会ったことがありました)、などです。会ったことのない人もたくさんいます。なぜなら、そういったサークルからとても疎遠なところにいますから。選ぶとしたら、まったく異なる、幅広いところを好みますから──そういったところで、講演に行ったり、インタビューを受けたり、活動に参加したり、毎週のように十通以上長文の手紙を書いたりしていますわたしは、好奇心から、彼らの著作を手に取りました。しかし既に述べた理由から、それほど深入りしませんでした: 大仰に虚勢をはりながら、検証してみれば、大部分は単に無知なだけだと判りました。わたしのよく知っている(なかには、わたしが論じたこともある)文献を異様な誤読して、議論はいつも初歩的な自己反省の欠落したひどいもので、主張の多くは(複雑な饒舌で装飾されていても)当り前か間違っているもので、かなりの部分はまったくちんぷんかんぷんものでした。他の分野で自分理解できなかったところでするように続けると、上に挙げた(1)と(2)に係わるような問題にぶつかります。ですからデリダわたしの言う人々のひとりで、これが深入りしない理由です。

 フーコーの具体的な例のいくつかは (たとえば、18世紀刑罰手法など) は興味深く思います、そして、その正確さを調査するだけの価値がありますしかし、その「理論」というのは、他の多くの人々が何か深遠なものが絡むと装ったりせずシンプル表現したことを、異様に複雑にして膨張させたものしかありません。

 そして事実、どれも分かりきったことばかりです。こういった自明なことが興味深いのは、透けて見えるその原理ではなく、人々にとって重要な具体的な事例でそれ自体がどのように機能するかを示すことです: 介入や攻撃搾取テロ、「自由市場」の詐称、など。こういったことはフーコー著作にはみられません。わたし理解できる文章を書き「理論家」として知識人界に属していないような人々の著作には、たくさんあるのですが。

 そのシンプルで慣れ親しんだ考えから 複雑で思わせぶりなレトリックを剥ぎ取ったら「理論的構築物」という程のものは何もないということです。

 【https://rootless.org/chomsky/postmodern_cults】より

 ついでにチョムスキーによるジジェクラカン

たとえば科学であるとか、何であれまじめにやっている分野でなじみがあるような理論なんてのはジジェク仕事のどこを探したってありはしないのです。こころみに、ジジェクのすべての仕事のなかから結論の引き出せるような原則や、12の子どもに5分で説明できるレベルを超えるような経験的に例証可能命題を見つけ出してごらんなさい。あるいは、けばけばしい言い回しを言い換えることができるかどうか。私にはできません。だから、そういうはったりには興味がないし、ジジェクはそういうはったりの顕著な例だと思います。で、ジャック・ラカンについてですが、彼とはじっさいに知己があったんですよ。彼のことは好きでしたし、ときおり会いもしていました。ただ、率直に言って、彼はまったくのペテン師だったと思いますね。ラカンがしていたことと言えば、テレビカメラの前でポーズを決めることだけ、ですよ。パリ知識人の多くがやっているようにね。それで、なぜこういうはったりが影響力を持つのか。私にはその理由がまったく分かりません。そこには影響力を持ってしかるべき要素はぜんぜんないわけですし。それで、色んな人がそういう「理論」の重要性について私に説明するのですが、やっぱり理解できませんね。まあ、そういう次第なので、ほんとうは理論なんてないのにあるふりをする空疎なはったりには興味はないわけです。

 【http://hblo.blog.shinobi.jp/Entry/2544/】より

2023-05-28

anond:20201026011054

ここまでゴリゴリ家族主義支持者・身分制支持者が今どきいるとは正直驚いた。18世紀あたりの人間タイムスリップでもしてきたんだろうか。

努力しないやつが悪い」ですらなく、「次世代に託すしかないのだからまれ格差があって当然」だって

その「次世代に託すしかない」環境を作っている要因について、何も思うところがないのか?

「生まれ格差があって、どうあがいても一代では取り戻せないような世の中だから次世代に託すしかない」というのがあんたの主張だ。「どうあがいても一代では取り戻せないような世の中」であることには問題がない、あるいは改善しなくてもいいというんだな?

もちろん、全員のスタートを一律完全平等にすることは不可能だろう。そこまでは言わん。

でも、格差について問題提起し、格差を縮める方法を考えることはできる。違うか?

anond:20201026011054

ここまでゴリゴリ家族主義支持者・身分制支持者が今どきいるとは正直驚いた。18世紀あたりの人間タイムスリップでもしてきたんだろうか。

努力しないやつが悪い」ですらなく、「次世代に託すしかないのだからまれ格差があって当然」だって

その「次世代に託すしかない」環境を作っている要因について、何も思うところがないのか?

「生まれ格差があって、どうあがいても一代では取り戻せないような世の中だから次世代に託すしかない」というのがあんたの主張だ。「どうあがいても一代では取り戻せないような世の中」であることには問題がない、あるいは改善しなくてもいいというんだな?

もちろん、全員のスタートを一律完全平等にすることは不可能だろう。そこまでは言わん。

でも、格差について問題提起し、格差を縮める方法を考えることはできる。違うか?

anond:20201026011054

ここまでゴリゴリ家族主義支持者・身分制支持者が今どきいるとは正直驚いた。18世紀あたりの人間タイムスリップでもしてきたんだろうか。

努力しないやつが悪い」ですらなく、「次世代に託すしかないのだからまれ格差があって当然」だって

その「次世代に託すしかない」環境を作っている要因について、何も思うところがないのか?

「生まれ格差があって、どうあがいても一代では取り戻せないような世の中だから次世代に託すしかない」というのがあんたの主張だ。「どうあがいても一代では取り戻せないような世の中」であることには問題がない、あるいは改善しなくてもいいというんだな?

もちろん、全員のスタートを一律完全平等にすることは不可能だろう。そこまでは言わん。

でも、格差について問題提起し、格差を縮める方法を考えることはできる。違うか?

2023-05-05

anond:20230505084631

18世紀後半ごろのロマン主義からやで

個人主義が発達して、一人一人の人権自由な発想って大事だよねという考え方が生まれ時代

そういう雰囲気の中で作家個人の創意や独自性という考え方も発達してきたんや

それ以前は作家ってのはお絵かきAIみたいな物で注文するとその通りの物を上げてくる機械みたいな扱いやったんやね

ロマン主義フランス革命が手を取り合って

これから国民一人一人の自由を考え方を大事にしながら国を運営する時代

そのためには国民自由に、しかししっかり考えることが大切なんや

国も啓蒙してくれるけど、芸術とか文化やってる奴らも一緒に国民啓蒙して正しいメッセージを伝えていこな

そういう話になったのが18世紀の後半から19世紀ごろの時代やで

日本はそのあと明治維新で俺らもヨーロッパ見習って近代化せなあかんわってなって

その過程で当時最新流行だった芸術観が日本にも輸入されて教育を通じて国民インストールされて今に至るって話よ

2023-04-18

TruthGPT、黒船ペリーを弁護

日本人1860年代まで蝋燭を持っていなかったそうですが信じられます

日本鎖国をしていて新技術は輸入されませんでしたからそうでしょう(等々

日本に入れる国が1つだけありましたが、知っています

→それは米国です。1854年外交関係を構築し、1856年にポータン号が初めて入港しました

・? その前の1718世紀はどうでしたか

オランダ東インドです。1639年に出島に商館を立てて1953年まで営業していました

オランダ東インドの船は商船ポータン号は軍艦ですね

→そうです。ポータン号は軍艦日本との外交関係を築くために1956年米国から派遣されました。オランダ東インドのは商船で入港は許可されていました

ポータン号は、大砲を使わずに入港できたと思います

→それは無さそうなことですね。入港を許可できるよう、軍艦で来て欲しいと日本政府から予め要請されていた可能性があります

  

その視点はなかった…w

オランダ米国人フルベッキもいたし否定できない

微妙発言を変えてるのと渡来年が違うけど)

2023-04-15

anond:20230415165234

まあ、19世紀とは革命の世紀とも呼ばれてるわけだよな。18世紀末のアメリカ独立革命フランス革命に始まり19世紀に入るとあっちでもこっちでも。

2023-04-05

anond:20230405091235

若い世代にも昭和歌謡ファンてのがある程度いるらしい。というか、今でも昔のレコードとか結構売れてるそうじゃん。

ちなみに俺はクラシック音楽ファンなので、昭和どころか19世紀18世紀音楽聞きまくりだぜ。(老害か?w)

2023-03-05

anond:20230304232910

まず、妻の学力の低さが子供遺伝することは無いと言って良いと思う。

この辺は優生思想とかで調べればわかると思うが、

子供学力遺伝ではなく、生活環境による影響が大きいのを理解してほしい。

そして、その生活環境を整えられるかが難しいのだが、

18世紀フランス社会学者ブルデュー提唱した「文化資本」を意識してほしい。

例えば小学生の子供が夕方学校から帰ってきて、宿題を終わらせたとしよう。

晩御飯を食べ、お風呂へ入り、寝るまで1〜2時間時間が空いた時、何をするだろうか。

クソみたいなテレビ番組を見るのか、クソみたいなYoutuber動画を見るのか。

そうではなく、本を読んだり、楽器演奏することを子供選択できる家庭環境を作ってほしい。

テレビなんか見てないで本を読め」、「Switchやってないでピアノ練習しろ

なんて言っても、もちろんなんの意味もない。

母親アパレルに興味があるんだったら、図書館で借りてきた世界ファッションビジュアルブックなんかを一緒にパラパラ見るだけで子供は本好きになる。

まり親も一緒に楽しむことが大切なのである

読書楽器演奏にこだわらなくても良い。

話題テクノロジー、例えばChatGPTやMidjourneyを一緒にいじってみるのも良いだろう。

家庭内でそういった雰囲気を作るのは母親だけではなくもちろん父親役割も大切である

2023-01-31

18世紀パリに転生した貧民に理解のある小泉進次郎

小泉進次郎パンがないということは、パンがないということなんです」

 

怒り狂った民衆の手によって無事火あぶり

2023-01-11

ロックに少なからず憧れる増田朱眞ル玲が個あずらか無くす憎っ露(回文

おはようございます

あのさー

私も見習わなくちゃーって思ったことがあって、

昨日先日コンビニに朝行った際、

レジ列並んでて前のお姉さんが

氷結500ミリリットル缶に揚げ物のハッツスナック一緒に買ってたの。

朝一によ、

しかストロングじゃない普通タイプ氷結

まあこの際ストロングとかどっちでもどうでもいいんだけど。

ちなみに、

私はストロングを飲んだらもの凄く頭が痛くなるのであれなんでなのだから飲まないのー!

その朝一から

氷結500ミリリットル缶に揚げ物のハッツスナックをキメているそのロックさたるや!

私も見習わなくちゃー!って

でも私もお休みの時のお昼は事務所に居つつもお昼ランチでいつもと違って日頃行けない町中華

台湾のどちらかと言うと

昨年の流行語大賞で言うところのガチ中華ってところかしら。

そこでルービーにビャンビャン麺定食など炭水化物アンド炭水化物

いや炭水化物オン炭水化物かしら、

それを昼一番からご機嫌さんにキメるんだけど、

さすがに朝一は見習わなくちゃって。

でも朝一から仕上がっちゃったら、

夕方頃にはもう眠たくなっちゃって、

それで1日終わっちゃうまだ半日以上あるのにもうそこで寝てしまっては試合終了というか、

1日がもったいないというか。

から最近は本当に朝のルービーは逆にキメない、

ノットスーパービールクズなのよ。

全うに清く正しく生きているの。

いや飲むから清くなくて正しくなくてって意味ではなくて、

早くからルービーキメちゃうと1日半分眠たくなっちゃって寝ちゃうのよ!ってだけの話し。

そんでね、

その昨年の流行語大賞で言うところの

台湾ガチ中華町中華

いつものビャンビャン麺定食調子良かったらから揚げ定食をもキメるんだけど

他の人たちはランチと一緒に普通ルービーとかキメてないサラリーマンとかも多いので、

逆に私もロックに見られて見習わなければならない対象とされているのかもしれない!

そう思うと案外それロックなのかも知れないわ。

ロックって言ってもお酒の飲み方のロック意味じゃなくて、

アラビアンナイト千夜一夜か的なお話に出てくる伝説の鳥!羽ばたいたら戻らないと言ってー!のロック鳥のロックでもないし、

18世紀ブルボン朝後期におけるフランス文化芸術表現形式ロック調のことでもないし、

アメリカ西海岸を中心に流行したヒッピームーブメントを背景に登場し開放的雰囲気を特徴とするウェストコーストロックのことでもないの。

かと言って

布の端がほつれないようするかがり縫いや伸縮性のあるニット素材の縫い合わせが得意な普通ミシンと種類が違うロックミシンのことでもないし、

ロックの方のロックよ!

ロックを右へのロック

ロック無用ロック

よろしくメカロックワンワン!のロック

まあその朝あったレジ前のお姉さんは

想像だけど夜の夜勤明けとか朝方までやってるお仕事の人かも知れないし、

さすがに出勤前に氷結500ミリリットル缶をキメているのではないだろうけど、

もし朝からそれキメているとしたらなおのさらロックわ!

ほんとロックだわー!

でもさ

逆にロックおでんの具って言うと

スタッズみや鋲みのある斜めに切った断面がトゲトゲに見えるロックのものな「ちくわぶ」ぐらいかしら?

そうなると私の地域性特性おでんの具にはロック的なちくわぶに馴染みがなく

いやもとい

断面がトゲトゲになっているちくわぶはその調理法すら分からない

未知との遭遇ファースコンタクトだったんだけど

要はうどんの太いやつと言って思ったら乱暴だけど

それでいいってことなのかしら?

ちくわぶうどんとして扱うほどロックなことは無いかも知れないわ。

あんまりから

私のこの今絶賛育て中のおでんの鍋のベーナーのルーシーの美味しい出汁の出た中にはちくわぶは一度も入ったことがなかったし、

ちくわぶはどう食べて良いのか分からないわ。

それが正直なところよ。

あれちくわぶを買ってきてパッケージバナナのようにむいて

そのまま囓るのがロックなのかも知れないし、

街で歩きながら片手で持ち食べ歩くニューヨークスタイルロックでもあるわね。

私には自分で思っているよりロックが足りなかったのよ。

かと言って

さら得意ではない、

得意ではないと言うより馴染みが無いから食べ方が分からないちくわぶ

あれを食べてこそがロックなのかも知れないわ。

きっと氷結500ミリリットル缶をキメながらアテにちくわぶダイレクトに囓るのが一番ロックかも知れない!

ロックって何だろう?って

そう思わずはいられないぐらい。

その朝のレジ光景

氷結500ミリリットル缶に揚げ物のハッツスナックを買ったお姉さんは自転車に乗ってその自転車ウィリー走行をキメながら颯爽に走り去って行ったわ。

人に足りないのはきっと実はウィリーなのよ。

お姉さんの姿が遠く見えなくなるまでそう思ったわ。

足りないのはウィリー

きっとそうよ!

うふふ。


今日朝ご飯

ヒーコーのみにしました。

ハッツヒーコーにミルクたっぷり入れるタイプ

今日の朝の今朝の一杯よ。

デトックスウォーター

起きて寒く今朝なんか超絶寒くない?

もーキッチンとか寒くて

ショウガ葛湯ホッツウォーラーゆるめにしました。

お湯が少ないと固い葛湯になるので、

適量より多めの若干しゃばしゃば目の調整具合よ。

その方がさらりと飲めるのよね。

まあ温まるわよ。

朝の温活決まったわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2022-11-21

ヒトラー官邸に飾った肖像画フリードリヒ2世

18世紀ドイツ連邦印刷会社ブンデストラカライ)の祖を建てたプロイセン

欧州お金は当時はターラー銀貨だと思ったが(原料が日本銀やメキシコ銀)

ドイツは新たな紙幣印刷技術をもって明治通宝も印刷した

そのうちナチ党員もやってきた

くわばらくわばら

2022-11-20

猫焼き(ねこやき)は、18世紀以前のヨーロッパで行われていた、厄除けと娯楽を兼ねて猫を焼き殺す催しである五月祭や、もともと夏至祭りである聖ヨハネの日の前夜祭などに、数十匹の猫が網に詰め込まれ焚火の上に掲げられた。中世から近世にかけて、猫は虚栄や魔術と関連づけられており、悪魔象徴として焼かれることがあった[1]。

猫を焼く儀式はかつてヨーロッパ全域で一般的であり、ポルトガルバスク地方フランスドイツイングランドで報告されている。この慣習は紀元前ケルト人風習までさかのぼることができ、ストラボンやカエサルは生贄として動物や人が火に奉げられたことを記している。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E7%84%BC%E3%81%8D

2022-11-15

[]鯨は魚じゃないって何時から気が付いていた?

アリストテレス

前384年 - 前322年

鯨は魚っぽくないなーと思ってた。が、広まらなかった。

ピエールベロン

1517年 - 1564年

肺やら子宮やら解剖学的に。

カール・フォン・リンネ

1707-1778

哺乳類ってくくりを作った人。その時に鯨も入った


日本では江戸中期ぐらい(18世紀中頃)だとか。(根拠からず)

カール・フォン・リンネの1735年の本が伝わったとかぐらいのタイミングか。

2022-10-20

anond:20221020172754

憲法の最高規範のやっかいさを端的に表現していて興味深い。ブクマの反応も含めて。

憲法憲法自身を自ら最高!と自己規定する、というのは、そもそもマジックなんだよね。

これに答えられなければいくら教科書の言説を取り出しても意味がないよ。

法律というのは、根拠をすべて憲法に求めることができるんだけど

憲法だけは違う。なにせ最高規範なんだから、その上に憲法を基礎づけるものはない。

なんで最高なの?というと問いに、オレ(憲法自身)がサイコだっていってんだからサイコーなんだよ!というだけである

しいていえば、今の憲法思想好きだ、重要だと思う、という社会コンセンサス(通説という言い方をすることが多い)でしかない。

なので、社会ムードにとても左右されやすいのが憲法脆弱性といえるんだよ。

から、常に普遍的原理だ!とかって言い続けてなければならなくて、わかってない奴や反論する奴がいたら、速攻でモグラたたきをしたがるわけ。

まさにその現象ブクマで発生していたので失笑してしまった。



憲法の持つ本来的な脆弱性については、例えば、18世紀アメリカの制憲の始祖たちも随分、起草前は随分悩んだらしく、

有名なフェデラリスト論文は、匿名で書かれ、憲法制定に至る思考実験垣間見ることができる。

米国では、司法世界をがっちりと国民参加も含めて重層的に構造化したから、その思考実験の結果が社会全体に引き継がれている。

陪審制をみたフランス人トクヴィルが感動したのは有名な話だね。

連邦最高裁重要判決ではほぼ必ず、制憲時の思いにさかのぼって答えを出す。

日本は、戦後ある意味、そういう産みの苦しみを思想家たちが共有せず、戦禍というキーワードでなんとなく丸め込んでしまった(前文)。

そうすると、必然的に、戦争記憶が薄れれば、憲法意味がぼやけてくる。

立憲主義意味だって教科書開いて調べるようなもんじゃないんだよ。社会の仕組みとしてそれをいいと思うかどうかの話なんだから

いいと思わない奴がいても全然構わないし。

日本では、そういう時代を今迎えているんだけど、

憲法を支える思想家は、正直、ていたらく。

通説を整理するだけの仕事といっちゃなんだけどね。だって、そうでしょ。

モグラたたきをしたって、しょうがないんだよ。

2022-09-20

anond:20220920003134

今回のルーブル展だと16~18世紀西洋画がメインなんで、

大胆な構図や華麗な装飾を施したバロックロココ→その反動技術的には進化しつつも古典的テーマシンプルな構図に回帰した新古典主義→絵によって画家情動自由に伝えようとするロマン主義

みたいな流れがあるのを分かっておくと、ちょっと面白いんじゃないですかね。

2022-09-08

死すべき定めの人たち

心筋梗塞入院したんだけどさ、カテーテル挿入して血栓を取り除くなんて50年前の1970〜1980年代にはまだ一般的ではなかったんでしょ?

そう考えると今オレの周りにいる心筋梗塞患者さんはオレ含め、皆(この時点で)死すべき定めの人間だったんじゃないかと考えてしまったんだが、

ググってみるとなんと18世紀に自らの身体カテーテル実験したいという欲求を拒めなかった化け物研修医がいたのが発端らしいのよね。

いやもう人間ってすげえな。生や欲求への渇望がすげえな。そりゃそうそう死なんわ。

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-07-30

anond:20220730062105

そういう政府相手理想的市民革命やったのって、フランスくらいじゃない?

イギリス革命はそういう意味での市民革命とはほど遠いし、ドイツイタリアも然り。

あとはアメリカくらいか宗主国イギリスとの戦いを通じて、自分らの手で一から政府を構築した理想的な事例かもね。

フランスにしても、フランス国民がというより、パリ市民が18世紀から19世紀にかけておよそ100年繰り返し市街戦をやったということだと思うんだよね。

2022-07-14

有機農業はどうして「有機農業と言うのか

有機農業ってどうして有機農業と言うのだろう?

有機農業って要は農薬を使わない農業だろうけど、農薬ってめっちゃ有機物じゃん。

と思って少し調べました。

 

 

 

化学界隈における有機化合物(organic compound)、無機化合物(inorganic compound)の定義は以下になる(wikipediaより)。

有機化合物とは、炭素を含む化合物の大部分をさす。

無機化合物とは、有機化合物以外の化合物である

 

高校受験理科で、様々な物質有機物無機物に分類する問題があったことは覚えているだろうか。

有機化合物はたとえば、人々が目にするもので言えば、医薬品農薬アミノ酸タンパク質・糖・ビタミンなどなどから成る食品、香料、石油プラスチックゴム、繊維など。塗料化粧品、洗剤なども有機化合物からなる。

無機化合物の例は、身近なものだと、金属製品、宝石ガラスセメントセラミックス半導体電池などでしょうか。

 

 

 

 

さて、農林水産省HPから有機農業定義引用する。

有機農業の推進に関する法律」による有機農業定義は以下のとおりです。

    農業生産方法を用いて行われる農業です。

     

     

    続いて、「有機」という言葉辞書意味を調べてみる。

    ゆう‐き〔イウ‐〕【有機】の解説

    1.生命力を有すること。生活機能を有すること。

    2.有機物性質もつこと。

    3.有機化合物」「有機化学」などの略。⇔無機。

    goo辞書より

     

     

    ふむ。どうやら「有機」という言葉有機化合物同義で使うことは化学者の傲慢だったらしい。

    wikipedia有機化合物の欄に詳しい解説が書いてありましたね。

     

     

    有機化合物、無機化合物という用語が生まれ18世紀末より前にも、有機体 (organisms) という言葉存在生物同義で使われていた。今でいう有機物は、当時は生物付属品と考えられていた。

    18世紀末、イェンス・ベルセリウスは物質生物から得られるもの鉱物から得られるものとに分け、それぞれ「有機化合物」「無機化合物」と定義した。

    後に、当時有機化合物に分類されたものも人工的に合成できることが発覚し、定義を「炭素を含むもの有機化合物(一部例外あり)、それ以外を無機化合物とする」と修正された。が、本来有機(organic)」には「生物の、生物由来の」といった意味があるのだ。

     

     

    から有機農業」を生物由来の肥料だけを使った農業意味で使うことは本来何も間違っていないのだ。

    エセ科学っぽいからという偏見で間違った意見を持っていた。化学者の側が言葉意味を曲げて使ってしまったのだ。

     

     

    また、「有機」「無機」を使う一般用語に以下のものがある。

      • 有機的な:有機体(生物)のように、多くの部分が緊密な連関をもちながら全体を形作っているさま。

      • 無機質な:生物が関与していないと思わせるさま、命が感じられない様子。あたたかみのない。殺風景で味気ない様子。

      なるほど、以上の意味を考えても、本来意味は、有機とは生物っぽいことで、無機とは生物っぽくないことなのだ。化学者の側が言葉意味を曲げて使ってしまったのだ。

       

       

       

      こういう、ある言葉一般的な用法と、科学的な用語としての用法にずれが生じてしまうことって結構あるよね。新しい概念定義する際に既存言葉運用してしまうからでしょうかね。科学用語定義が厳密だが、一般用語定義よりもイメージが大切だからね。

      法律用語もこういったことが多いイメージ。例えば法律でいう「少年」一般で言う少年少女を指すらしいじゃん。

       

       

       

       

      という訳で、「有機」とは本来は「生物由来の」を指す意味であり、それゆえ生物由来の農業、というニュアンスで合成肥料を使わない農業有機農業と呼ぶことは間違っておらず、化学界が定義した「有機化合物」の方が後釜であり、本来のことばの意味からはずれているのだ、という結論を知ったところで終わりにします。

      私は今日もまた一つ賢くなれました。

       

       

      追記

      引用の書式を修正しました。はてな記法を知らず、blockquoteタグでいけるかなと思ったらいけませんでした。ご指摘ありがとうございます

      パンの原料である小麦を始めとして、農作物を育てるには、窒素リンカリウム肥料の三要素が不可欠だが、ハーバー・ボッシュ法は、窒素供給する化学肥料大量生産可能とし、結果として農作物の収穫量は飛躍的に増加した。このためハーバー・ボッシュ法は、水と石炭空気からパンを作る方法とも称された[5]。

      化学肥料誕生以前は、単位面積あたりの農作物の量に限界があるため、農作物の量が人口増加に追いつかず、人類は常に貧困飢餓に悩まされていた(マルサス人口論)[13]。

      しかし、ハーバー・ボッシュ法による窒素化学肥料誕生や、過リン石灰によるリン化学肥料誕生により、ヨーロッパアメリカ大陸では、人口爆発にも耐えうる生産量を確保することが可能となった[13]。これは1940年代から1960年代にかけて起きた、18世紀農業革命に続く「緑の革命」の先駆けとなった[14]。また日本などでは従来肥料として用いられてきた屎尿による寄生虫感染も避けられるようになった。

      ハーバー・ボッシュ法は同時に爆薬の原料となる硝酸大量生産可能したことから平時には肥料を、戦時には火薬空気から作るとも形容された。硝石鉱床が無い国でも国内火薬生産可能となり、その後の戦争が長引く要因を作った。例として第一次世界大戦において、ドイツ帝国海上封鎖により、チリ硝石の輸入が不可能となったが、戦争使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内調達できた(火薬爆薬を参照)。

      本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトのバイオマスを、従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が、世界中農地生態系供給され、世界人口は急速に増加した。現在では地球生態系において最大の窒素固定源となっている。さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の一端を成しているのではないかとする懸念も生じている[15]。

      ハーバーは本法の業績により、1918年ノーベル化学賞を受賞したが、第一次世界大戦中にドイツ帝国毒ガス開発を主導していたために物議を醸した[16][17]。またボッシュ実用化の業績により、1931年ノーベル化学賞を受賞している。

        / ̄\

       |^o^|

        \_/

      2022-06-17

      anond:20220617184300

      トフラーは本書の中で、人類はこれまで大変革の波を二度経験してきており、第一の波は農業革命18世紀農業における変革でなく、人類が初めて農耕を開始した新石器革命に該当)、第二の波は産業革命と呼ばれるものであり、これから第三の波として情報革命による脱産業社会情報化社会)が押し寄せると唱えている[1]。 第三の波の一例として、奈良県生駒市で展開された双方向映像配信実験プロジェクト・Hi-OVISを紹介している[2]。

      本書の中でトフラーは、電子情報機器を装備したエレクトロニック・コテージにより在宅勤務が可能になることを予言した。また、これまでの消費者から生産(produce)と消費(consume)が同時に行われる「プロシューマー」(prosumer)が農業革命時のように復活し、経済構造を変化させることを唱えた[3]。

      anond:20220324233920

      トフラーは本書の中で、人類はこれまで大変革の波を二度経験してきており、第一の波は農業革命18世紀農業における変革でなく、人類が初めて農耕を開始した新石器革命に該当)、第二の波は産業革命と呼ばれるものであり、これから第三の波として情報革命による脱産業社会情報化社会)が押し寄せると唱えている[1]。 第三の波の一例として、奈良県生駒市で展開された双方向映像配信実験プロジェクト・Hi-OVISを紹介している[2]。

      本書の中でトフラーは、電子情報機器を装備したエレクトロニック・コテージにより在宅勤務が可能になることを予言した。また、これまでの消費者から生産(produce)と消費(consume)が同時に行われる「プロシューマー」(prosumer)が農業革命時のように復活し、経済構造を変化させることを唱えた[3]。

      2022-06-14

      anond:20220614185632

      こいつらはなんか医療に対する感覚18世紀1950年代とかで止まってるよな

      かにその頃の薬は放射性物質入ってたとか副作用失明リスクが高いとか発がん性があったとか散々だったし

      日本ではじめてワクチンが行われたとき金持ち以外は注射器使い回しで感染症蔓延して死者や感染者続出とかやばかったらしいし

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