はてなキーワード: 電子書籍とは
電子書籍でだせばいいのに。
運だけに頼らない人はこうするそうです
なぜ商業漫画家なのに「同人誌を描く」のか
ヒロユキ:商業連載していると年間の収入の予測がつくじゃないですか。税理士さんと相談して目標を立てて、目標値に足りないと思ったら同人活動を増やして年間の帳尻合わせをすることもあります。
―― そこまでされているとは、すごいですね。
ヒロユキ:マンガ家は運が絡んでくる商売であることは間違いありませんが、人生を完全に運任せにするわけにはいきません。運が悪かった時の準備をしておくべきで、商業が売れないときでもダメージが少ないやり方を常に模索しています。
(中略)
―― 編集者とうまくやっている人は、わざわざそれを言いませんからね。変な人が一定の割合でいるのはどの業界も一緒だと。
ヒロユキ:ええ。それに編集者とうまくやれない人は、同人や個人の電子書籍という選択肢もあります。ですから、ことさら出版社を一方的な悪役にしなくてもいいのになっていう気持ちはあります。
「今のマンガ家って売れても儲からないんですか?」 『アホガール』のヒロユキ先生に聞く、マンガの現状
直近で読んだのはゴールデンカムイくらい。
これは期間限定無料だったから「この日までに読まないと!」ってのがあったからみんなとフィナーレを迎えられた。
いつか最終巻を買わなくちゃな…って義務みたいに思ったまま何年も経ってもう本屋で見つからない、みたいなのが続いてクセになったのか、電子書籍使い出しても治らない。
実際、お金もないしな。同じお金使うなら新しいマンガ読みたい。
単行本の発行部数ってどんどん下がっていくものみたいだから、オタクじゃない一般の読者なんて割とそんなもんなんだろうけど。
自分の手で作品を「終わらせる」のもなーんかイヤというか尻込みしてしまうんだよな。気合いが必要っていうか…キャラたちとお別れするのが寂しいのか?
だからなのか「ガラスの仮面はよ完結してくれ!!」みたいなのもイマイチ共感できないでいる。
もちろんベルセルクみたいに未完で作者が亡くなったら悲しいけど、それは作者が志半ばでさぞ無念だったろうなっていう種類の悲しさで、続きが読めない!!っていうのとはちょっと違う気がする。
リモートワーク兼趣味用に使ってたiPadが調子悪いから買い換えるか迷ってて、
絵描くだけなら別に板タブでもいいかなーと思って今日ワコムの8000円弱のペンタブを買ったんだけど
マジで使いにくいな
iPad買う前はワコムのデカい板タブ使ってたから使い方に不慣れなわけではない
というか、昔使ってたし板タブでいいか!と思って買ったんだけど
iPadとApplePencilに慣れたあとに板タブ使うと本当に使いづらい
ツール切り替えるのも取り消し操作もレイヤーの設定も全部面倒くさい
こんなストレスフルな環境で10年以上前の俺は作業してたのか?
丁度10年ほど前、パソコンで絵を描く人は皆ワコムの板タブを使っていた SAIが流行っててまだクリスタもなかった時代だ GIMPとかもあったな
アナログで描いた絵をスキャンして色塗りだけデジタルみたいな人もわんさかいた
板タブの方が良いみたいな意見も当時見かけた気がする 実際今のものに比べたらまだ使いづらいところはあったのだろうと思う
液タブはプロのイラストレーターとか、趣味でもお金をかけるタイプの人が使う高価なツールだった
ところがあれよあれよと言う間に液タブ全盛期に突入した
液タブというかiPadかな
ちょっとしたイラスト程度ならiPad1台で事足りるようになった
勿論板タブと比べれば高価だが、動画も電子書籍も見られるとなればやはりiPadは便利だ
iPadが広まる一方で、中華製の安価な液タブも広まった 2万円前後でそこそこの液タブが買えるのは画期的だった
そうこうしてるうちにワコムも安価な液タブを発売した 6万円ほどと割高だが従来のワコム製液タブと比べれば遥かに安く、質も良かった
電子書籍のメリットなんてテキトーに調べれば出るしどう思うかなんて人それぞれだから省略して、見て見ぬフリすればいいのにわざわざ電子書籍を叩いてる人に提言したいのがタイトルのこと。
今まで買った本や漫画のうち、手元に残ってる割合ってどれくらいなの?
その中でさらに、火事か何かで失ったとしても絶対に買い戻したいものってどれくらい?
俺、今まで数えきれないくらい本も漫画も買った。紙も電子も含めて。kindleで数えたら600冊は買ってるらしいし、kindle unlimited含めたらさらに数百くらい上乗せされると思う。
でも、記録してる読書メモとか本のリストとかと照らし合わせたら、買い戻したい本ってたかだか30冊くらい。残りは「必要な時に買う」「どうしてもってほどじゃない」って感じ。
紙の本や漫画を無尽蔵に保管できるならいいけど、そんなハズないから手放す必要があるでしょ。人によると思うけど年一くらいの頻度で本棚整理するでしょ。電子だとその手間もないし、サービスが続く限りは置きっぱなしにできる。
著者がやらかしたとか何かで読めなくなるケースは知ってるけど、そんなのレアケースだし、現に(見落としてるかもしれないけど)俺が持っている本がそうなったことはない。
だから、相対的に見たら紙で持つより電子書籍で持つほうがより長く保管できるんじゃない?
「急に読めなくなる」なんて、SaaSなんだからサービス元の都合で利用できなくなるなんて当たり前でしょ。そんなの理解した上で買ってるもんだと思ってたけど。
お疲れ様です
ゴールデンウィークで実家に帰ると、誰からもらったか知らないが、12ヶ月分のカレンダーが文字として編まれた布地が居間に掛かっていた。
しかし、カレンダーが編まれた布地なんて最大で一年しか使えないんだから、もったいない労力のかけ方じゃねえのかと思ったりする。
掛け軸しかり、もっと長年大事にされるものにこそ、布を編むなり書を書くなりの労力をかければいいのにと思ったのだ。
おそらく既製品であり、手編みでは無いんだろうが、カレンダーなんて紙でよく、毎月ペリペリとはがせばいいだろうと思ったのだ。
それでもだ。未来にはどうなるのだろう。
書籍だけでなく、あらゆる紙製品がそうなっていく。何ならホログラムになったりもするだろう。
そして、それはカレンダーにおいてもそうだろう。
そうなったとき、紙のカレンダーは、私が居間で感じたあの感覚を以て捉えられるのかもしれない。
そう考えると、布地のカレンダーも紙のカレンダーも、未来人にはまさに五十歩百歩なんだろう。
だから、私の、紙と布のその区別こそ、思考する労力をかけるような永続性を持たない。
それなら、私たちは紙のカレンダーも、布地のカレンダーのようにその労力を尊び、大事にしてもいいんだろう。
ましてや、布地のカレンダー。その丁寧な目の運び。細やかな仕事の出来。機械折りとしても、しっかりとした作り。
そういう目で見ていると、愛おしさが生まれてくる。
お祭りの最後に燃やされるのを知ってなお一生懸命、色紙やクーピーで色付けたのだった。
そんな懐かしいことまで思い出せたのだった。すぐ失われるとしても費やしたあの労力は、本当に美しいものだった。
そう考えると、目の前にある布地にも慈しみが生まれ、引きちぎるように引き寄せてはゴミ袋に詰め、その役割を強制終了させる。
また、どこのご家庭にもある紙のカレンダーは、実家にも当然あった。
5月を示すそれらのカレンダーは目につく限り全てはがし、ビリビリに破ってからゴミ袋に詰める。
ゴミ袋でも、カレンダーとカレンダーの夢の共演が繰り広げられている。
しかし、そんなのに浸っていてはいけない。こんな破滅的な感情は正しくない。
なぜなら、ホログラムは滅びることはない。
永遠に生き続けるのだから、文章を編み小説を書くような労力をかける意味がある。
と思って目を開けると、カレンダーは元の位置にあり、龍は斜め上を見上げていた。
その先には、ソースのようなしみが何個か付着していた。
そのプラットフォーム独自のレーベル(たとえば、めちゃコミックオリジナルのようなもの)であれば、どんなにマイナーなサイトでも大手にはなくてそこでしか配給されていない漫画というのは考えられますが、そのような場合を除外したとして、たとえるならbookliveやシーモアになくてコミックフェスタとかよむるんとかにだけ或る漫画があるというようなことはあるのでしょうか?
マイナーなプラットフォームにある漫画はそこ専用のレーベルでさえなければ大手にも当然あるが、大手にはあってマイナーなところでは配給されていないということもあると思っています。なのでプラットフォームオリジナルのレーベルさえチェックすれば、それ以外については大手サイトを見れば、電子化されている商業漫画については、極力二度手間になることも省けつつ漏れなくチェックできるはずという考えのもとで漫画を漁っております。
しかし、あえて大手と契約せずマイナーなプラットフォームとだけ配給契約する意義はわかりませんが、かりにそのようなことがありえるまたは実例として既に知られているならやり方を変えなければなりません。
当社の電子書籍市場調査報告書によると、予測期間中の年平均成長率は約2.4%で、2036年には約200億米ドルの規模に達すると予測されている。さらに、電子書籍市場規模は、2024年には低い成長率になると予想されています。しかし、当社のアナリストは、電子書籍市場は2023年に176億ドルに達すると予測している。
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この需要を重要なものにしているのは、特に生活の変化や技術の進歩の中で、簡単にアクセスでき、持ち運びができる読書の選択肢に対するニーズである。消費者は品質、価値、環境への対応を求めており、電子書籍はこれらすべてを提供し、従来の印刷された書籍の良い解決策となっている。したがって、電子書籍市場の成長トレンドは、世界でも日本でも最高レベルで継続する用意がある。
アジア太平洋市場は、市場で最も収益性が高く、やりがいのある機会を提供すると予想される。この地域は、デジタル インフラストラクチャの急速な拡大、識字率の向上、スマートフォンの人気の高まりにより、電子書籍の市場普及に大幅な潜在力を持っています。アジア太平洋地域は2036年までに市場の約29%以上を占めるようになる。同地域は、デジタルインフラの急速な拡大、識字率の向上、スマートフォンの普及により、電子書籍リーダー市場への参入に大きな可能性を秘めている。2023年、デジタルQOL指数によると、韓国は1点満点中0.96点を獲得し、アジア太平洋地域の電子機器市場で第1位となる。
当社は、電子書籍市場に関連するさまざまなセグメントにおける需要と機会を説明する調査を実施しました。当社は、カテゴリ別および垂直別ごとに市場を分割しました。
世界の電子書籍市場はカテゴリに基づいて、無料電子書籍、有料電子書籍に分割されています。これらのセグメントのうち、無料電子書籍セグメントは市場で重要な地位を占めており、2036 年までに市場総収益に最大 67% の貢献を果たします。無料の電子書籍は、読者に膨大なコンテンツのライブラリへの無料アクセスを提供し、電子書籍市場の重要な成長ドライバーです。
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先に電子書籍買ってしまったらそこで統一する方が管理が楽なんだよね……
エロ本とかだったらFANZAに分けたりするかもしれないけどamazonからhontoやらbookwalkerに分ける意味がなー
Amazonが電子書籍を持ち込もうと言う時に、紙媒体の絶対的優位性を信じて電子書籍を馬鹿にして対策をろくに取らず、結果kindleに市場を全部持っていかれたのは出版社の責任なんだよなぁ。
情報漏洩の可能性をずっと指摘されているのに、連絡手段としてLINEを使い続けて国内で仕組みが完結しているSMSすら使わないのは地方自治体や国の責任なんだよなぁ。
他の業界は知らんけど、大体どこだって似たようなもんだろ。IT業界に責任なすりつけるな。まずは発注側が危機感を持て。IT業界は所詮御用聞きなんだから、まずは発注側が意識改革しろ。
それもかなり良い身なりした爺さん婆さんホームレスが多いんだわ
(お出かけ・仕事じゃないので身なり気にしないモードになってる時のワイくんよりも、よほど身なりが良い)
なんだろうな?良い身なりが出来るような人がホームレスに落ちる事案が増えているってこと?
それとも最近は寄付で良い物寄付してくれる人が多いから、ホームレスでも身なりが良いってこと?
ただ、完全に自律神経は壊れていて、暑いのにダウン着てたりする人もするんだよなぁ・・・
ハウジングファースやっている団体やらに寄付する以外に、今のワイにできることって何かあるのかしらね?
まぁ、単純に金がないだけで無く、さまざまな原因が重なって目の前の結果があるわけで、
その激重な原因を、ワイのクソ雑魚メンタル&不器用さで受け止めたり、いい感じで割り切りつつ支援の手続きしたりが出来る気が微塵もしないので、
太古の昔から言われているように、自分自身が財を成して他者に余裕で援助が出来るようになるか、希少性のあるスキルや資格(例えば弁護士とか)を持つほかないのだろうけど、
何か自分に出来ることはないかな?と思いながら、何もできずに死にたくはないなぁ・・・(まぁそれ以前に自分の老後と老いた親の安泰の確保なんだが)
でも手元に無限のお金があったら、手当たり次第ホームレスに100万あげて、家借りて、メンタルクリニックに繋げるしてぇなって妄想するよね
それだけじゃ全員の解決はしないだろうけど、10人に1〜3人位は、これでなんとかなったりしないかなって思う
あと、重たい障がいがある家族がいる人に休息の支援と、重たい障がいのある人のQoLをあげたり、選択肢を広げたりもやりたい
点字図書の寄付とか以外に、ITでなんとかできたりしないかな?それこそ電子書籍の音読とかさ。アクセシブルライブラリーとか素敵よね
特別好きでも得意でもないITで頑張って技術支援するのと、希少性のあるスキルや資格(例えば弁護士とか)習得して支援するのどっちが良いのかなぁ・・・
まぁ老後考えたら両方やれなんだろうな
前述のとおり、公式でレーベル一覧をまとめている組織であるならまだいいのですが、
そうでない場合、いかにそのレーベルの作品数が一番多そうなサイトを見つけたとしても、また実際数自体は最大であったとしても
それをそのレーベルに関する漏れの無い目録として活用することはできないということなんでしょうね。
その数最大のサイトにはなくて、そうでないサイトで売られてる作品があるということがあり得るのでしょうから。
(これに対して読者側から行える抜本的な方法論があればよいわけだが、そもそも電子書籍のプラットフォーム自体、ラブコスメみたいな自社レーベルだけ取り扱ってるようなところを除外したとしても、「これですべてを列挙した」と判定することは難しい)
しかし、古い漫画ならまだしも、電子書籍流通が確立されてからの、紙と電子がセットで発売されるようなレーベル(=雑誌掲載)の作品でも、著者の口出しに左右されるんですね?
漫画家が出版社と契約した時点で、電子化も拒否できない契約内容になっているものかと思ってました。
(その方が、それこそいちいち新作のたびに著者にどのサイトならいいかとかお伺い立てるような手間がいらず、プログラムで自動化された流れでレーベルに登録した漫画を一括で統一的に電子の販路に流せていろいろ管理も楽でしょうし。)
マンガmeeというレーベルについて、シーモアとbookliveで作品数が違っています。
シーモアは162件なのに対して、bookliveは160件です。
https://www.cmoa.jp/magazine/10555/
https://booklive.jp/search/keyword/k_ids/12687
また、このようなことが起こるのはなぜなのでしょうか?
出版と小売の関係における仕組みを考えると、ある出版社があるレーベルを持っていて、そのレーベルの作品をある小売、すなわちこの場合電子書籍と提携して売ろうとするとき、「レーベルを売りに出す」のだから、そのレーベルに属する作品全てがその小売先で売り出されることになると思います。
ということは逆にいえば、ある電子書籍サイトである作品を見つけたとき、それがあるレーベルのものだったならば、その電子書籍サイトではそのレーベルの作品は(特に在庫の概念がないので)全て置いてあるはず、と推論されるはずです。
つまりそのレーベルを扱っている電子書籍サイトという条件であればどこであっても、そのレーベルについて同じ作品数を保有していることになる、サイトによるそのレーベルに対する微妙なラインナップの違い、漏れがあるおそれを心配する必要がない、ということになるはずです。
しかし事実として、上記のように、同じレーベルなのに作品数に違いが生じています。
一部の電子書籍サイトだけ見て、「このレーベルの作品はこれで全てだ」と思い込んでしまうと、それが誤りであるという可能性があるわけです(今回の場合、162件ですら全てではなく、他のサイトではもっと多くの作品数がある可能性があるということ)。
今回は集英社という大手のレーベルということなので、そのレーベルの作品を一つ漏らさず知って吟味したうえで読む作品を決めたいという場合でも、公式サイトを見れば漏れなく知ることができる可能性もあります。
しかし電子書籍サイトにレーベルを出しているようなところには、果たして法人格を持っているかも謎で、公式サイトも当然ないみたいな組織もあります。
このような場合も考慮すると、特定のレーベルの作品がサイトによってあったりなかったりするのは困ります。このようなことが起こるのは素人のイメージとしてですが出版と小売間の構造上、一見不可解です。
まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。
大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパや東南アジアの珍味を貯めておけない。
ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器が一家で20枚もない。
子供が学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形やひな人形を飾れない。
結婚式で作ったドライフラワーはクローゼットの奥にしか置き場がない。
ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。
狭すぎて子供を作れない。それでも仕事のために東京にしがみついている。
生殖を制限してまで働いているという意味で、本当の社畜だと思う。
弟夫婦が練馬区に住んでおり上に書いた状況だった。心底気の毒だと思う。
プライベートのかなりの時間は自宅で過ごすのだから、家を文化的にすべきだ。
俺は人口30万人の地方都市に住んでいる。上に書いた程度のことはすべて実現できている。
しかし美術館や博物館は何回も通って飽きた。お気に入りの画集を家に置けば十分だ。
飲食店は多いが、どこもすし詰め状態で居心地が悪い。高い金を払って不健康なものを食べたくもない。
図書館の数や取り寄せサービスは素晴らしいが、借り出し・返却の時間が勿体ないのでネットで買えばいい。
文化都市・東京にあって粗末な家に住む方々は本当に不思議な存在だ。家の中と外とで文化水準が大きく異なることに疑問を抱かないのだろうか。
俺が思う最適解は、東京・名古屋・大阪あたりに本社を持つ大企業の、地方の事業所周辺に住むことだ。
俺が勤務する事業所は3000人以上働いている。近所には大手電機メーカーの1万人近い事業所もある。
こうした町は企業城下町の様相を呈しており生活には困らない。しかも家が広くて安い。
共感するコメント、共感しないコメントを予想外に多く頂けて嬉しい。
共感しない旨のコメントに多いのは、モノを家に集めることは文化ではないという趣旨。
しかし文化は基本的に媒体としてモノを必要としていることを認識してほしい。
二、三例示すると、
たとえば節分の豆まきには鬼の仮面、大豆、大豆をまけるスペース、掃除道具が必要だ。これらのモノ無しに「鬼は外、福は内」を口誦するだけの風習ならとうの昔に途絶えていると思う。現に口誦するだけの文化が身の回りにどれだけあるだろうか? そうした文化は歌くらいだ。
次に、小説などの文学作品は雑誌に掲載されても単行本や文庫にならない。芥川賞を受賞した作家でさえ、そのほとんどは、半分以上が雑誌掲載のみで終わる。その雑誌が電子書籍で出ていなければKindleで読むことは出来ない。ましてや詩歌は99%は雑誌掲載のみ。Kindleで閲覧できる文学作品は実はごくわずかでしかない。
最後に、美術に触れる経験を子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り、帰りの外食の方をよほど楽しみにしている。画集が家にあれば日頃から絵画というものの存在を認識するし、すごく暇なときに開いて読んでいることも稀にある。大人が楽しむにも、プロの解説付きの画集は何度も読み返して理解を深めることができる。
以上のように、個人として文化を深く楽しむにはモノが必要だし、それを子供に伝えるにもモノが必要。モノがいつでも目の前にある、手で触れることができる環境は文化への距離を縮めてくれている。だから私は家にモノを置きたい。
書籍を発売日に買うってどういうことか。電子書籍なら発売日にストアにて購入。紙ならば予約もしくは発売日に書店にて購入する。
地方では「発売日に書店で購入」はまずないな。本は発売日に本屋に並ばないもんだ。
客が“ちょっと気になった商品”を買うのにそこまで労力を割かせないと実績にならない業界って馬鹿みたいだな。
読書好きだからと言って毎日新刊をチェックするわけじゃない。リアル店舗はそんなに気軽に行ける場所にはない。
そんな客をふるい落としてまだ出版業界が成り立ってることの方が不思議だ。
出版社とか流通とか作家とかとりあえず書籍生産者全般、本はどういう人間がいつどこでどういうふうに買って何が購入の決め手になるのか知らないんじゃないかな。