はてなキーワード: 障害年金とは
それ以前にADHDやうつ病、睡眠障害などでいろんな薬は飲んでいたが、今の薬(エビリファイ)になってから、自分の頭の中はすっかり変わってしまった。
まず趣味として嗜んでたイラストは全く描けなくなった。構図の妄想ができない。前は頭の中でテレビが鮮明についていたのに、消えてしまった。
今も描いてるけど、なんとか搾りかすを出力してるようなもの。
そしてなんといっても性欲が綺麗さっぱり消えた。自分は引くくらい性欲が強かったのだが、オーガズム障害になってしまった。
ちゃんと病院で薬が原因だと言ってもらえてたのだが、症状を抑えるのと性欲を天秤にかけるならもちろん二度と勝手に裸になって外へ出ていかなくなるほうを選ぶ。
新しい創作物を見ることにも興味が無くなった。漫画、アニメ、小説、すべてに興味が出ない。
搾りかすでも絵を描く身としては、インプットができないことは致命的だ。
眠気もさっぱり消えてしまった。いまはフルニトラゼパムを飲んでなんとか脳を気絶させている。
そして三大欲求のうち二つが封印されて、反動で食欲が増えまくって40kg増えた。
統合失調症のため手帳は一級、医者の診断書にも就労は不可能と書かれ、障害年金をもらって実家で暮らしている。
まだ20代なんだが、こんな虚無の人生に希望を見出せない。何度も何度も薬をやめたいと思った。でも自分が自分じゃなくなるのは怖い。耐える。今日も耐える。生まれてきたのが一番の間違いだった。
同じ車椅子ユーザーとして言えるのは、あれはへずまりゅうとかジョニーソマリと同じ、迷惑かけて自分の名前を売る為の手段でしかない
それを求めるのは論外だし
車椅子を降りて持ち上げて貰うことも、女なら可能かも知れないけど、俺のように体重が重いやつもいるから一律のサービスにはしようがない
そもそも介助の資格も経験もない人たちが持ち上げて落とした時、誰が責任取るんだって話になるしな
そもそも、特別な介助が必要なら障害年金貰ってるんだから、それを使って介助してもらえばいいんだよ
すでに解決策は目の前にあるんだよな
どれだけ全国に車椅子ユーザーの権利の為に活動してる団体があると思ってるんだよ
迷惑系にしか注目してないやつが、あたかも車椅子ユーザーの味方であるかのように振る舞うなら生きてる価値ないぐらいの醜悪さだぞ
民主主義社会なんだから、きちんとしたプロセスを経て車椅子ユーザーが生きやすい社会を実現していくことは可能
経済とは、オペレーションズ・リサーチの手法で分析されることが多い。
つまり消費者は効用最大化、企業は利潤最大化に基づいて行動する。
均衡分析では、財i=1,...,kが存在するもとでD_i(p) = S_i(p)を考える。
このとき、消費者や企業が何を最適化しようとしているのかがわかるだろう。
つまり企業の視点から見れば、どの財をどういう価格でどのくらい売ろうとしているのかによって。
消費者の視点から見れば、どの財をどの価格でどのぐらい買おうとしているのかによって分析できる。
ここで「均衡」とは何かということについて、厚生経済学の基本定理では「パレート効率性」が焦点になる。
なぜこれが「厚生」なのかというと、国民全体の幸福を考える上では「犠牲の元での効率性向上」では困るからである。
誰かが損をした場合、厚生を考える上で補償原理の話に自然に向かうことになるだろう。
ここで経済学では「事実」と「価値」の判断を区別するということが行われてきた。
パレート効率性は「価値」の話であり、均衡分析は「事実」の話である。
価値とは、この場合「なにをすべきか」という論理のことを意味し、事実とは「なんであるか」という論理を意味する。
もし功利主義者が現れれば、パレート効率性とは別の「効率性」を持ち出してくるだろう。
典型的には「ハンコ業界を滅ぼして、電子化を進めよう」といった論調がそれに属する。
経済において、特定の集団が損を被る場合はまず「パレート効率性」について考えなければならないだろう。
「障害者に障害年金を配るのは非効率だ!」と功利主義者が言い始めた場合、厚生経済学者は「障害者の年金を無に帰すことはパレート改善ではない」と言うだろう。
このようにして、「べき論」にも根拠が必要であることがわかる。
一般市民がべき論を語り始めると、それは「自分の利益になるかどうか」という視点になりやすい。
しかし経済は特定の誰かの利になるよう調整されるものではなく、国民全体にとって調整されなければならないだろう。
【経歴】
地方国立大卒
1社目:2年10ヶ月(正社員)→2社目2年(契約社員)→空白期間:11ヶ月→3社目:1年6ヶ月(契約社員)
3社すべて福祉業界・就労系の現場での採用
最近上司が変わったことをきっかけに、自身の利用者に対する言動について注意を受けるようになった。上司によれば、利用者が不安を抱いたり、勘違いを助長させるような言葉で私が声がけをしてしまうというらしかった。けれども、利用者への声がけのしかたは今だに一体何が正しいのか理解できず、求められるものの変化についていけなくなり、体調を崩して退職を決断した。この現場で密なコミュニケーションと情報共有が必要であるという上司の考えは間違っていないと思う。自分はそれをもっと早くに学ぶべきだったし、それを学べる中堅社員のいる環境に1社目から身を置きたかった。
1社目在籍時に、利用者の振る舞いが自分と近似していることに気づいて、精神科で検査を受けた。そこでASD傾向と軽度のADHDが明らかになった。体調を崩してからは以前よりも不注意傾向が悪化した自覚があり、段取りが難しく、スケジュールも正確に管理できなくなったように感じる。一番困っているのは脳から情報を引き出して言葉にするタイミングを計るのが難しいこと。一方的に人に何かを教えるのは得意だと思う。ただ、その先の雑談で失言などしてしまわないかが今後も怖い。
今の自分には高いコミュニケーション能力と問題解決力を同時に求められるような仕事は困難な気がするし、これまでのように正社員や契約社員で働くことはもう難しいかもしれない。障害者雇用で別の業界の求人を探しているけど、どんなに条件を広げてもフルタイム勤務で応募できそうな求人が少ない。派遣への登録や、障害年金とパートなどの収入で食いつなぐことも視野に入れるべきだろうか。