はてなキーワード: 長老とは
※ほぼメモ書きです。
ローズマリー・サトクリフ(Rosemary Sutcliff, 1920-1992)といえば、『第九軍団のワシ』をはじめとするローマン・ブリテンシリーズで有名な作家である。このシリーズは、一般にローマン・ブリテン三部作(『第九軍団のワシ』、『銀の枝』、『ともしびをかかげて』)ないし四部作(『辺境のオオカミ』も加える)と呼ばれている。岩波書店でもそう書いている。
https://www.iwanami.co.jp/book/b269788.html
一方、英語版Wikipediaのサトクリフの項目を見ると、『第九軍団のワシ』シリーズは他にもある。要は、4部作で終わっているというわけではないのだ。ファンサイトSutcliff Wikiでは、正式名称ではないとしつつ、"Dolphin Ring"と呼称している(一方、第九軍団のワシ、銀の枝、ともしびをかかげてを指してRoman Britain Trilogyという言葉遣いもされている。実際、1980年にThree Legionsというタイトルでセット本が出ている)。その作品群について整理しておく。
(1)作中時系列順
2世紀:第九軍団のワシ(The Eagle of the Ninth)
3世紀:銀の枝(The Silver Branch)
4世紀:辺境のオオカミ(The Flontier Wolf)
5世紀:ともしびをかかげて(The Lantern Bearers)
9世紀:剣の歌(Sword Song)
1954年:第九軍団のワシ(Oxford University Press)→岩波書店、1972年
1956年:盾の輪(同)→山本史郎訳『シールド・リング ヴァイキングの心の砦』原書房、2003年
1961年:夜明けの風(同)→灰島かり訳『夜明けの風』ぽるぷ出版、2004年
1963年:落日の剣(Hodder and Stoughton)→山本史郎・山本泰子訳『落日の剣 : 真実のアーサー王の物語』原書房、2002年(2巻本)
1980年:辺境のオオカミ(Oxford University Press)→岩波書店、2002年
1997年:剣の歌(The Bodley Head)→山本史郎訳『剣の歌 ヴァイキングの物語』原書房、2002年
これらの作品群がファンWikiでDolphin Ringと呼ばれているのは、言うまでもなくアクイラ一家のあのイルカの指輪(=古代ローマ人のハンコ)が共通して登場するからで、時代の流れとしても共通した設定を持っているからである。ただ、『三銃士』シリーズのような一貫した主人公や陣営を描いているわけではない。第九軍団のワシの主人公マルクス・フラーウィウス・アクィラ(訳書には従っていない)は、元々属州ブリタンニアに駐屯するローマ軍団に属していて、家のルーツはエトルリアにあるから、もとはといえばイタリア半島の人間なわけだ。ところが、彼が色々あってブリタンニア定住を決め込んだことが指輪の運命を決めている。『銀の枝』の主人公ティベリウス・ルキウス・ユスティニアヌス(ジャスティン)とマルケルス・フラーウィウス・アクィラ、『辺境のオオカミ』のアレクシオス・フラーウィウス・アクィラ、『ともしびをかかげて』の主人公アクィラ(上の名前は不詳)は、いずれもマルクスの子孫にあたる。
もっとも、ローマ軍団が描かれているのは『辺境のオオカミ』までであり、『ともしびをかかげて』はローマ軍団がいなくなったあとのブリタンニアを描いている。基本、サクソン人とブリトン人との戦争が描かれる。『落日の剣』はその後日譚にあたるが、主人公はアンブロシウス・アウレリアヌス(この人は実在の人物で、サクソン人と戦っていたブリトン人の指導者)の甥アルトス(アルトリウス)となっている(もちろんアクィラも登場するが)。つまり本書はアーサー王伝説の翻案なわけである。しかも『ともしびをかかげて』よりも長い。『ともしびをかかげて』は、20年ほどを描くが、後者は40年ほどのスパンがある。本書は明らかに大人向けであり(ファンWikiにもFor Adult Readersとある)、児童書である他書と毛色がかなり異なる。
『夜明けの風』はアルトスよりも100年ほどあとの時代で、デオルハムの戦いで壊滅したブリトン人の王族の生き残りオウェインが指輪を持っている。『剣の歌』では主人公はヴァイキングの少年ビャルニ(指輪は、ウェールズで暮らす少女アンガラドが持っている)になっている。そして時代的にはもっとも最後にあたる『盾の輪』の主人公もまたヴァイキングの少女フライサと孤児ビョルン(後者が指輪を持っている)で、湖水地方に立てこもってノルマン人に抵抗する様が描かれる。
見ての通り、厳しい立場に立たされた者を主人公にするというプロットはほぼ一貫している。『第九軍団のワシ』は父親の不名誉(ちなみに時代はあのハドリアヌス帝の治世にあたる)、『銀の枝』はカラウシウス帝に忠義を尽くした故に叛逆者となってしまった二人(なおこの頃の皇帝といえばディオクレティアヌスだ)、『辺境のオオカミ』は軍人としての失態だが、同時にローマ帝国と辺境民族(ピクト人)との戦いが背景にある。『ともしびをかかげて』は撤退するローマ軍から脱走して敢えてブリタンニアに残った主人公の苦労が描かれるが、彼の立場を厳しくしているのは、サクソン人のブリタンニア侵入である。サクソン人と戦う側が主人公になっているのは『夜明けの風』が最後で、『剣の歌』以降はヴァイキングが主人公になっている。アングロ・サクソン人のブリテン島征服が一段落して平和になったと思ったらデーン人がやってきたわけだ。さらにそのデーン人もノルマン・コンクエストで痛めつけられる(ノルマン・コンクエストは、思いっきり誇張すればデーン人(+アングロ・サクソン人)対ノルマン人の戦いであり、こいつら全員元をただせば海賊である)。ローマ人、ピクト人、ブリトン人、サクソン人、デーン人、ノルマン人とイギリス史に登場する諸民族の融和がシリーズのコンセプトとなっている(それは第一作の時点から明らかで、イルカの指輪は父を殺害したピクト人の長老がマルクスに返却している)。
出版年代を見ると、最初の『第九軍団のワシ』とシリーズ最終作となる『盾の輪』がもっとも早く出ていることが分かる。そして63年の『落日の剣』まではほとんど2年おきに出している。それから間が空いて80年の『辺境のオオカミ』と遺作の『剣の歌』がある。特に『剣の歌』は推敲が十分でないように思われる箇所もある(作業途中で亡くなってしまったのだろう)。日本語訳では『ともしびをかかげて』が一番早い(おそらく、内容的に最も評価されているのではないかと思う。カーネギー賞もとっているし)。明らかに児童文学ではない『落日の剣』はともかく、児童文学作品でも猪熊訳と山本訳(と灰島訳)とに分かれる。版権取得の問題かもしれないが、あるいは猪熊の作業量の限界だったのだろうか(1928年生まれだし)。そもそも『夜明けの風』は『ともしびをかかげて』の割と直接的な続編といって良いだろう。なお、自分の親は子どもの頃に『第九軍団のワシ』と『ともしびをかかげて』を読んでいたようだ(サトクリフの名前を出したら「あの小説か」と反応があった。結局「三部作」を貸している)。年齢が結構高い人でも、その二つは知っているのではなかろうか。
英語圏では多分されていない「四部作」(第九軍団のワシ~ともしびをかかげて)という言い方も理由がないではない。この四つはシンメトリカルな構成をしている。『第九軍団のワシ』『辺境のオオカミ』と『銀の枝』『ともしびをかかげて』(つまり13・24)と並べられる。前者では、主人公は百人隊長として失敗したあと、北方辺境で名誉回復を遂げる。後者では、大陸への渡海という選択肢を捨て、ブリテン島南部で戦う。「四部作」はアクィラ家のアイデンティティがローマからローマン=ブリテンへと移り変わっていく物語なわけである(既に『銀の枝』でカラウシウス帝の口からローマ帝国亡き後にどうローマを残すのかというテーマが語られる)。そしてもはや「アクィラ」という名前が語られなくなった世でも、困難に立ち向かうアクィラ家の精神は、イルカの指輪に象徴されてあとからきた民族へと受け渡されていく。そして現代のイギリス人にも・・・というのがサトクリフの言いたいことなのだろう。
話数 | サブタイトル | あらすじ |
1 | 三平、唐揚げ屋に就職する | 三平は唐揚げ屋に就職し、新たな仕事にワクワクしながら働き始める。初めての日は、店長から唐揚げ作りの基本を教わり、緊張と興奮が入り混じった一日となる。 |
2 | 三平、初めての配達に挑戦する | 三平は初めての配達に挑戦する。彼は自転車で街を駆け抜け、唐揚げを届けるために最善を尽くす。途中で迷ったり困難に遭遇するが、最終的には成功して喜びに満ちた配達を遂行する。 |
3 | 三平、唐揚げを落としてしまう | 三平は誤って唐揚げを落としてしまうミスを犯してしまう。彼は自分のミスに落胆し、後悔の念に駆られるが、仲間たちの励ましと協力により、立ち直ることができる。 |
4 | 三平、唐揚げを食べることができない | 三平はなぜか唐揚げを食べることができなくなってしまう。彼は困惑し、自分の味覚が変わったのかと心配するが、最終的には問題が解決し、再び美味しい唐揚げを楽しむことができる。 |
5 | 三平、唐揚げの秘密を知る | 三平は唐揚げに秘密があることを知る。彼はその秘密を追求し、さまざまな人や出来事と出会いながら、唐揚げの由来や特別な意味を解き明かしていく。 |
6 | 三平、唐揚げのレシピを盗む | 三平はライバルの唐揚げ屋から唐揚げのレシピを盗むことを決意する。彼は様々な策略を駆使し、困難に立ち向かいながらも、ついにレシピを手に入れる。しかし、彼は自分の行いに反省し、正々堂々と競争することを選ぶ。 |
7 | 三平、唐揚げのライバルと対決する | 三平は唐揚げ屋のライバルと対決することになる。彼は自分の唐揚げの腕を試し、お互いに競い合いながら、より良い味を追求する。結果はどちらが勝つのか、一触即発の緊迫した戦いが展開される。 |
8 | 三平、唐揚げの祭りに参加する | 三平は唐揚げの祭りに参加する。彼は祭りの中で様々なイベントや競技に挑戦し、地元の人々と交流を深めながら、唐揚げの祭りを楽しむ。 |
9 | 三平、唐揚げの恋人を見つける | 三平は唐揚げの恋人を見つける。彼はある日、唐揚げを注文した顧客と意気投合し、恋愛関係に発展する。二人はお互いに励まし合いながら、共に唐揚げの世界を楽しむ。 |
10 | 三平、唐揚げの危機に立ち向かう | 三平は唐揚げの危機に立ち向かう。彼は何か重大な問題が発生し、唐揚げの存在が脅かされる状況に直面する。しかし、彼は困難に立ち向かい、唐揚げを守るために奮闘する。 |
11 | 三平、唐揚げの伝説を聞く | 三平は唐揚げの伝説を聞く。彼は長老や先輩たちから古い伝説や物語を聞きながら、唐揚げの歴史と根深い意味を知る。その伝説は三平の心に深い感銘を与える。 |
12 | 三平、唐揚げの島に行く | 三平は唐揚げの島に行く。彼は唐揚げの原点であると言われる島を訪れ、そこで新たな出会いや冒険を経験する。島の人々と交流しながら、唐揚げのさらなる魅力を発見する。 |
13 | 三平、唐揚げの王になる | 三平は唐揚げの王になることを決意する。彼はさまざまな試練を乗り越え、唐揚げの世界で最高の地位を手に入れるために戦う。最終的には、彼は唐揚げの王として認められる。 |
14 | 三平、唐揚げの魔法を使う | 三平は唐揚げの魔法を使う。彼はある秘密のレシピを見つけ、それを用いて唐揚げに魔法をかけることができるようになる。魔法の唐揚げによって、彼は驚くべき出来事や冒険を経験する。 |
15 | 三平、唐揚げの罠にはまる | 三平は唐揚げの罠にはまってしまう。彼は敵の罠によって囚われ、唐揚げの世界から遠ざかってしまう。彼は自身の知恵と勇気を駆使して脱出を試みるが、容易には逃れられない苦境に立たされる。 |
16 | 三平、唐揚げの友達を作る | 三平は唐揚げの友達を作る。彼は唐揚げ屋やその他の場所でさまざまな人や唐揚げに出会い、友情を育んでいく。彼の友達との絆は、彼の唐揚げ人生において大きな支えとなる。 |
17 | 三平、唐揚げの敵を倒す | 三平は唐揚げの敵を倒すために立ち上がる。彼は強力なライバルや邪悪な勢力に立ち向かい、唐揚げの世界を守るために戦う。困難を乗り越え、彼は勝利を収める。 |
18 | 三平、唐揚げの夢を見る | 三平は唐揚げの夢を見る。彼は夢の中で様々な場所を旅し、美味しい唐揚げを堪能する。夢の中での冒険と経験は、彼の現実の人生に新たな希望と活力を与える。 |
19 | 三平、唐揚げの歌を歌う | 三平は唐揚げの歌を歌う。彼は心からの歌声で唐揚げの魅力を表現し、人々の心を打つ。彼の歌声は唐揚げの世界に広がり、多くの人々に感動と喜びを与える。 |
20 | 三平、唐揚げの旅に出る | 三平は唐揚げの旅に出る。彼はさまざまな地域や文化を訪れながら、唐揚げのさらなる可能性や多様性を追求する。旅の中で彼は新たな発見と体験をし、成長を遂げていく。 |
21 | 三平、唐揚げのゲームにはまる | 三平は唐揚げのゲームに夢中になる。彼は仲間たちと共に唐揚げの冒険ゲームを楽しむ中で、新たなスキルやアイテムを手に入れ、最高のプレイヤーになるために成長していく。 |
22 | 三平、唐揚げの本を書く | 三平は唐揚げに関する本を書くことに決める。彼は自身の経験や知識をもとに、唐揚げの魅力やレシピを伝えるための本を執筆する。彼の本は多くの人々に愛され、唐揚げの世界を広める役割を果たす。 |
23 | 三平、唐揚げの芸術家になる | 三平は唐揚げの芸術家として才能を開花させる。彼は唐揚げを美しいアート作品に変え、その魅力を表現する方法を探求する。彼の芸術は多くの人々に感動を与え、唐揚げの美しさを新たな形で伝える。 |
24 | 三平、唐揚げの探偵になる | 三平は唐揚げの探偵になることを決意する。彼は唐揚げの事件や謎を解き明かすために推理力と冷静な判断を駆使し、さまざまな事件に挑む。彼の探偵の才能は唐揚げの世界で高く評価される。 |
25 | 三平、唐揚げの忍者になる | 三平は唐揚げの忍者になる修行を始める。彼は忍者の技術と戦術を学び、その力を活かして唐揚げの世界を守る任務に就く。彼の忍者の腕前は見事であり、敵を倒し平和を守る。 |
26 | 三平、唐揚げの宇宙人と出会う | 三平は唐揚げの宇宙人と出会う。彼は宇宙からやってきた唐揚げ愛好家と友情を築き、宇宙の奇跡や新たな味覚を知る。彼の宇宙人との交流は唐揚げの世界をさらに広げる。 |
27 | 三平、唐揚げのタイムトラベルをする | 三平は唐揚げのタイムマシンに乗って過去や未来へと旅する。彼は歴史的な時代や未来の世界で唐揚げの進化や変遷を目撃し、その過程で新たな発見や冒険を経験する。 |
28 | 三平、唐揚げの恐竜と戦う | 三平は唐揚げの恐竜と対峙する。彼は勇気を持って恐竜との戦いに挑み、唐揚げの力を駆使して巨大な恐竜と対決する。彼の勇敢な行動は唐揚げの世界で称賛される。 |
29 | 三平、唐揚げの幽霊と話す | 三平は唐揚げの幽霊と出会い、交流する。彼は幽霊の物語や願いを聞き、彼らの心を癒す。彼の優しさと共感力は唐揚げの世界で多くの人々に感動を与える。 |
30 | 三平、唐揚げの神と対話する | 三平は唐揚げの神と対話する機会を得る。彼は神の知恵や啓示を受け取りながら、唐揚げの真の意味や使命を理解していく。彼の対話は唐揚げの世界に新たな啓示と希望をもたらす。 |
31 | 三平、唐揚げの悪魔と契約する | 三平は唐揚げの悪魔と契約する。彼は悪魔の力を借りて唐揚げの新たな可能性を追求するが、その力が彼を試し、彼の心に葛藤をもたらす。彼の選択は唐揚げの世界に大きな影響を与える。 |
32 | 三平、唐揚げの天使と恋に落ちる | 三平は唐揚げの天使と出会い、彼女に恋をする。彼らの純粋な愛は唐揚げの世界に幸せと祝福をもたらし、多くの人々の心を温かくする。彼らの恋は永遠の愛の象徴とされる。 |
33 | 三平、唐揚げの獣と仲良くなる | 三平は唐揚げの獣と友情を深める。彼は獣の特性や言葉を理解し、彼らと協力して唐揚げの世界を守る冒険に出る。彼の絆は唐揚げの世界における結束と調和を象徴する。 |
34 | 三平、唐揚げの植物と共生する | 三平は唐揚げの植物との共生を学ぶ。彼は植物の成長と栽培技術を理解し、美味しい唐揚げのために最高の食材を育てる。彼の知識と努力は唐揚げの世界の食文化を豊かにする。 |
35 | 三平、唐揚げのロボットと協力する | 三平は唐揚げのロボットと協力して新たな料理方法を開発する。彼はロボットの技術と自身の料理の知識を組み合わせ、革新的な唐揚げの作り方を実現する。彼の創造力は唐揚げの世界に革命をもたらす。 |
36 | 三平、唐揚げのゾンビと戦う | 三平は唐揚げのゾンビと対峙する。彼は勇気を持ってゾンビとの戦いに挑み、唐揚げの力と知恵を駆使して人々を守る。彼の闘いは唐揚げの世界における生命力と希望の象徴となる。 |
37 | 三平、唐揚げの吸血鬼と噛まれる | 三平は唐揚げの吸血鬼に噛まれ、吸血鬼の力を受け継ぐ。彼は唐揚げの力を吸血鬼の力と組み合わせ、新たな唐揚げの魅力を追求する。彼の変化は唐揚げの世界に新たな衝撃と驚きをもたらす。 |
38 | 三平、唐揚げの人魚と泳ぐ | 三平は唐揚げの人魚と出会い、彼女と一緒に泳ぐ。彼は唐揚げの世界の海で人魚の美しさと秘密を知り、新たな感動と冒険を経験する。彼らの交流は唐揚げの世界に新たな魅力を加える。 |
39 | 三平、唐揚げの竜と戦う | 三平は唐揚げの竜と対峙する。彼は勇気を持って竜との戦いに挑み、唐揚げの力と勇気を駆使して竜を倒す。彼の勝利は唐揚げの世界における困難の克服と栄光の象徴となる。 |
40 | 三平、唐揚げの王に即位する | 三平は唐揚げの王に即位する。彼は唐揚げの世界の統治者として民を導き、唐揚げの文化と美味しさを広める使命を果たす。彼の王としての在り方は唐揚げの世界に調和と繁栄をもたらす。 |
41 | 三平、唐揚げの巨人と戯れる | 三平は唐揚げの巨人と出会い、彼と友情を深める。彼は巨人との遊びや競争を通じて成長し、唐揚げの世界における友情と勇気の大切さを学ぶ。 |
42 | 三平、唐揚げの小人と暮らす | 三平は唐揚げの小人たちと共同生活を始める。彼は小人たちの文化や生活様式に触れながら、お互いを尊重し合いながら共に暮らす方法を学ぶ。彼の経験は唐揚げの世界における共生と協力の意義を示す。 |
43 | 三平、唐揚げの魔女と魔法を学ぶ | 三平は唐揚げの魔女に出会い、彼女から魔法を学ぶ。彼は魔法の力を使って唐揚げをより美味しくする方法を追求し、唐揚げの世界に新たな驚きと魅力をもたらす。 |
44 | 三平、唐揚げの騎士と冒険する | 三平は唐揚げの騎士と共に冒険に出る。彼は騎士としての勇気と正義を示し、唐揚げの世界の平和と安全を守るために戦う。彼の冒険は唐揚げの世界における勇敢さと信念の象徴となる。 |
45 | 三平、唐揚げの王子と結婚する | 三平は唐揚げの王子と出会い、彼と深い愛を育む。彼らの結婚は唐揚げの世界における愛と絆の象徴となり、新たな希望と幸せをもたらす。 |
46 | 三平、唐揚げの姫と救出する | 三平は唐揚げの姫を救出するために冒険に出る。彼は困難を乗り越え、姫を救い出すことに成功する。彼の勇敢さと決断力は唐揚げの世界における英雄的な行為として称えられる。 |
47 | 三平、唐揚げの英雄と讃えられる | 三平の活躍と勇気が唐揚げの世界で広まり、彼は英雄として称えられる。彼の勇気と努力は唐揚げの世界における希望と勇気の象徴となり、人々の心を奮い立たせる。 |
48 | 三平、唐揚げの伝説となる | 三平の物語が唐揚げの世界中に広がり、彼は唐揚げの伝説となる。彼の冒険と成長は唐揚げの世界における永遠の話として語り継がれ、多くの人々に勇気と希望を与える。 |
単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。
しかし都市部の大学に出たときに自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折を経験する。
「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折しやすい。これは都市部の私立高校でも発生する。
昨今では、地方と東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しか見たことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分がナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分の田舎を100倍したものが日本のすべてだと感じるのだろう。だから、位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。
こうした子どもが首都圏に行くと自分が味噌っかすであることを全身全霊・魂レベルで経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。
彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものだからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしかし原理上どうしようもないことになっている。
彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分の立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間は適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカ・イギリス・EU」などのことだ。ここ最近は主君をアメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。
しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。
「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるものは無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分は家老ぐらいあると感じている。穢多・非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。
自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである。第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。
生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折を真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。
彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカで無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれた環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティの崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的に軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。
わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもあまりに距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人がたまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。
大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもはアダルトチルドレンである。
そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。
自分がゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクトに邁進する日常を選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。
何をやっても無駄なのだという学習性無力感と精神の麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活。死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言。努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間を大量生産する教育システムそのものが時代遅れなのである。経済の硬直化と後進性と長老支配。学問の民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。
そして、そうした努力も長くは続かない。学校の勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ちを拒否する愚かなプライド。山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神は子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。
親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。
親に金がなければ、生きていくために自力で仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。
しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活。放蕩、放縦。嫌悪している相手に依存しているという忌避感。
年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。
なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感。
人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣な社会の中で自分だけが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。
他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。
異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。
更に狩られているだけなのだ。その精神は看破しているぞ。ただの餌だ。空想の世界へようこそ。現実を直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。
しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である。価値観そのものがどうしようもなく古いのである。
自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来の学問というものだ。
人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分の人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。
本来、絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望を選択している。
絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。
そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ。能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。
苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ。世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。
もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。
教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママのコンプレックスは、子どもを愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。
頑張ってほしい。
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
何か私の認識に間違いがあったら指摘してください。>bid:yoppymodel
https://anond.hatelabo.jp/20230227074611
これヨッピーがはっきりと明言してるのになんでみんな知らんぷりするんだ。
ヨッピーの主戦場ってもうTwitterとかnoteであって、はてなという限界集落はただのへき地。ネットの中心でも何でもない。
はてなはヨッピーの中ではウェイトめちゃくちゃ小さい。0.1145141919%くらいしかない。だから好き勝手はっちゃけられてるわけ。
twitterでのモフモフクソオヤジへの絡みはちょっとアレだけど
それについても「はてなでこれだけ嫌がらせされてます」って大々的にアピールした上での行動だから
粘着質なはてな民以外は「ヨッピーさんお疲れ様です」っていう評価なの。
ところがはてな民ははてなの外を知らず、はてなの中だけがネットだと勘違いしてるから
自分たちに対するヘイトコントロールだけおざなりにされてることをもって
「ヨッピーは負けたのか?」みたいな間抜けな増田を匿名で書いて脳内で勝利したつもりになってる。
だっさ。
そもそもはてな内ですら、なんだかんだ言って6~7割くらいはヨッピーの味方だよ。
サイレントマジョリティーとか言わずとも、コメントを書いてる人の中だけで判断してもそんなんでしょ。
まして黙ってる人からしたらいつまでも匿名でヨッピーをたたいてる人間の方がよっぽど気持ち悪いと思ってるよ。
そもそも今回のヨッピーとしては怖いと思ってもらうのは大歓迎でしょ。
はてブ民限定で「調子に乗ってあることないこと言ってるやついたら追い詰めるぞ」って態度取っても
Twitterとかnoteの住民からしたら「はてなは蛮族しかいないからな。仕方ない」くらいの認識だよ。
諸葛良孔明が南蛮にいって孟獲以外の味方を皆殺しにしても「まぁ南蛮だから」で許されたのと同じだよ。
なんなら「蛮族どもを平定して世の中を少し平和にしてくれた」って感謝されてると思うよ。
これだけ今回ヨッピーに粘着してるの、ようするに「ブロガーごときが村の長老たるはてなブックマーカー様に逆らうなという村の掟」に反したのが気に入らないだけでしょ。
今回そういう老害はてなブックマークユーザーがはっきり可視化されて「はてな運営いい加減に対応しろ」まで言えたわけだから、むしろヨッピーとしてはすっきりしてるんじゃない?
学生時代、鉄道サークルに可愛い女性の先輩がいて鉄道なんて微塵も興味が無いのに鉄道サークルに入っていたことがある。
なお、その女性の先輩は殆どサークルに顔を出すことはなく私が大学2年になる頃にはサークルを辞めていた。
残ったのは男性会員だけだったが彼らは思い出話としてその女性の先輩のことを話題に出すもののこれといって執着してはいない様子なのでヲタサーの姫という感じではなかったようだ。
鉄道ヲタクと言えばマナーが最悪で酷い自己中心的な人間であるというイメージだが、私が大学4年間を共にした彼等の思い出を記していこうと思う。
同じ学部だったので、講義のことなど学生生活を上手く立ち回る方法をよく教えてくれた。
私が入学した時点で4年ほど大学に在籍していたようだがまだ2年生だった。
なんとか私より先に卒業したものの、サークルの部室には卒業後も度々顔を出していた。
政治の話が好きだが、私が興味無さそうに適当に相槌を打っていると話を変えてくるぐらいの空気は読める人だった。
同じ学部だったが、人に物を教えるのが好きなようで色々な資格の講座を趣味で開いていた。
上下関係に非常に厳しい人だったが、それさえ守れば非常に頼れる先輩でよくご飯を食べに連れて行ってもらえた。
女子高生好きらしい、女子高生との恋愛について異常に真剣に考えていたが物凄く軽いノリで会話を返していたらすまなそうな顔をしていたのが印象的だった。
物凄く後輩の面倒見がよく、体育会系で培ったであろうコミュニケーション力の高さで誰とでも仲良くやっていた。
講義の空き時間が被ったときなどはキャッチボールや雪遊びなどを一緒にしていた。
巨乳の女性が好きと言っていたが携帯電話の待受はアニメの子供の女の子だった。
ここまでの流れからやはりというべきか、他人に迷惑をかける鉄オタは死すべしと思っていた。
とても物静かな人だった。
サークルの同期と一緒に旅行する計画を立てていたとき彼は参加しないのに移動手段として車だけを出してくれたりした、いい人だ。
いつもニコニコしているので、会話は殆どしないもののなんとなくみんなに好かれていた。
車には大量の同人誌がおいてあった、本人曰く「気にしないでね」とのことだった。
静かな彼の口から聞くと言葉に重みを感じるのだが、他人に迷惑をかける鉄オタは死すべしと思っていた。
おそらく私と同じ理由で入会したのだと思う。
空気が読めないので先輩からは顰蹙をかっていたが本人は何処吹く風といった感じだった。
空気が読めないといっても上下関係を重視する人たちにとってはという感じなので、同期としてはかなり仲良くしていた。
家も目の前だったのでよく遊びにいっていた。
アイドルが好きで、先輩方とアイドルに関する討論をよくしていた。
空気が読めずともマナーはわきまえているようで、他人に迷惑をかける鉄オタは死すべしと思っていた。
学業成績も学年ではトップだったようで、勉強出来るタイプだった。
同じ学部だったのだが、当人が優秀すぎてあまり面倒見ることがなかった。
講義選択の話をしている際に、彼のノートPCを開くことがあって視聴途中のAVが映ったときのなんとも言えない空気感は今でも忘れない。
見た目通りカチッとしている彼ならではで、他人に迷惑をかける鉄オタは死すべしと思っていた。
見た目がチャラいが言動もチャラい後輩だった。
鉄道模型が特に好きなようで、彼から鉄道模型のなんたるかを熱く語られて必要以上に知識がついてしまった。
それ以外は「フットサル」「合コン」が彼の口からよく聞く単語だった、尚、私の聞いた限りでは合コンの勝率は0%。
チャラ男×鉄道ヲタクである彼らしいのだが、他人に迷惑をかける鉄オタは死すべしと思っていた。
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サークルでの活動は鉄道の知識が無くても楽しめるものが多かったし、世間から言われるほど鉄道ヲタクは悪くないんだなと思える大学生活だった。
1676年6月20日
「聖なる神は、長く打ち続き苦しみを与えんとするその摂理をもって、この地に住む異教徒の原住民とのこの戦いにおいて、この荒野にある契約の民 たちに対して辛い思いを約束し、体験させてきたが、神は審判のさなかにあっても慈悲の心を忘れていないことを我らに知らせるため、我らの罪に対して不快な 気持ちを抱いているときも神の足台たるこの大地のことを忘れず、父親の慈愛と思いやりを多くの不思議な形で示された。また、敵がもたらさんとする荒廃の危 機から多くの町を救い、とりわけ最近は、かつて我らが感じていた不利をなくし、敵に対する優位を我らの仲間の多くに与えてくださった。我らが絶滅しないこ とが神の慈悲であるのなら、いかなる程度であれ敵が失望または壊滅させられることは、間違いなくそのしるしであり、我らは深く感謝する。そして、多くの慈 悲を示していただいているにもかかわらず、神に感謝の祈りを捧げず、迫りくる苦難にあっては不平ばかりを言って神を苦しめる無分別な人間だと神がみなすこ とを、我らは恐れる。
そこで、本評議会はここに会合を開き、本月6月29日を、厳粛に神に感謝を捧げ、神のご加護と恩恵を称える日とした。我らが受けた神の慈悲を例 示することは可能だが、神が与える苦難を感じている者たちもまた、神が我らの元に立ち戻られることを渇望してきたことを、我らは疑わない。そして神が我ら を、神を称え賛美する者たちと見てくれることを、我らは疑わない。本評議会は、この管轄区域に属する各聖職者、長老および人々に対して、我らすべてが神の 慈悲によって促されたのと同じ嘆願の気持ちを、厳粛かつ真摯に持ち続け、ここにいる我ら全員が、イエス・キリストの名において歓迎される生きた勤行とし て、自らの肉体と魂を神に捧げるよう求める」
証拠がない時に言ったらネタだとか嘘だとか言われて悔しい思いをしたのでこの機会を逃せない。
これについて、「漫画表現のせいで現実のスカートめくりが発生した」のはほぼ事実です。これは発端になった漫画を描いた永井豪先生も自分で認めてらっしゃいます。その後「まいっちんぐマチコ先生」でさらに大流行となり、女児被害者が多発、PTAが猛抗議し、連載差し止めになる等大騒ぎになりました。
自分も実体験。マチ子先生流行時子供だった。パンツまで降ろされそうになった。のちにしつこくめくってきた子に「好きだった」と言われた。彼はもう忘れてるだろう。やられた方は一生忘れられない
2023/01/11
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sodium/status/1612993220979621888
ほーらな?
マンガ叩くフェミニストってほんとにマチ子先生の話するんだよ。
あのさあ、
もう立派なおっさんの俺でもまだ生まれてもいねえっつうんだよ。
40年前の少女時代にマチ子先生のせいでスカートめくられたと。
それはご愁傷さまでした!辛かったね!
でもその話を現代のマンガ叩きの根拠にするのは狂気の域だからな?
言ったらなんだけどマチ子先生の流行時代にスカートめくられてた人ってそろそろ還暦だろ。
そんな人の十代の頃の体験って、歴史的出来事として語るんならいいけど
その話で現代の話に普通に接続してこようとするのはやめてくれよ。
俺マジでマチ子先生ってマンガもアニメも見たことないんだよな。
絵とタイトルだけ知ってる。
「マンガの害」を語るフェミニストがマチ子先生例に挙げるのを何度も何度も何度も何度も見たからなんだよ。
マジでマンガ叩きフェミニストはマチ子先生マチ子先生って言う。
けど、現代のマンガを有害だって叩こうとする話で例示がマチ子先生まで遡るんなら
そのあとの40年は大した「有害マンガ」がないってことじゃん。
そんならいまのマンガを敵視して萎縮させようとする必要なくね?
マンガがどうこうじゃなくてマチ子先生が特別有害だった可能性濃いんじゃね???
で、はてブもだけど、
こんなコメントが一位になるってことは星つけてるのも大概中高年~高齢者ってことじゃん?
年長者に対して汚い言葉とか使いたくないから、自分で分別を持ってくれよ。
年取ってても、
けどマンガの思い出で真っ先にマチ子先生出てくる人達はマジで身も心も高齢者でしょ。
40年前に有害なマンガがあったから今のマンガはデータなしで叩いて規制していいのかよ。
なんかもうあんたら、脳の新陳代謝止まってるし現代にもマンガにもあんま興味ないでしょ。ほんとは。
はてなは老害叩きが辛辣な割に自分達の加齢ボケには無自覚すぎるんじゃないの?
こんな人達にあてずっぽうで現代のメディアとか表現とか語られたくないし
こんな人達の体感やお気持ちで表現規制なんかミリでもされたくないんだよ。
これは煽りでもなんでもなく言うけど
寺社巡りとか盆栽とか内向きの精神世界に目を向けたらいいと思うんだよ。
ネットでとんちんかんな社会にもの申す老人やってる奴よりずっと格好いいだろ。
もう社会の話に入ってくるなよ。
40年前の体験の話でいまの話に入ってこられるのいくらなんでもウザいよ。
あんたらだって若かった頃そういう年寄りにうんざりしたはずだろ。
実際なんかしらんけどマンガやアニメ目の敵にしてるの老人ばっかだし
オタクだというだけで凄まじく見苦しい偏見吐いて差別するのも年寄りばっかだし
言ってる話がマジでタイムスリップしてるみたいな時差があって話になんないんだよ。
もう黙っててくれよ頼むから。
んーだから悪影響を与える可能性はないわけではないけど規制は反対なら話が進むのだが、絶対悪影響与えないって言い張るからデータを出されてるだけでしょう。で今度は「現代漫画に悪影響は絶対ない」ですか。
2023/01/12
いやいやいやいやw
「現代のマンガはこのように著しく有害なのです!」ってデータで証明する必要があんの。
当たり前。映画だってドラマだってこの文章だってなんかの影響はあります。
そんな当たり前のこと言って表現規制根拠になると思ってるならそいつがやべーだろ。
「ほんの少しなら影響あるはずだ!」で規制できるなら
頼むよ。
お爺ちゃんかお婆ちゃんかしらねえけど日本語と道理くらい理解して。
A「ワシも十代のころスカートめくりした!」
もうこのお爺ちゃん会話が成立しねえだろ。
そして、この人だけじゃなくこういう状態の人が大勢いませんか?って話な。
houyhnhm うーん、実際どういう感じで影響があったのかがマトモに考えられてないのがなあ。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A そこで発明された訳でもないんだよ。
それな。
そもそも40年前のマチ子先生伝説自体まともに精査されてないんじゃね?
たとえば「単にこいつらの世代が性犯罪に対して甘かっただけ」なのでは?
という可能性についてきちんと調査されて却下されてもないわけじゃん。
あともう一つ「単にこいつらの世代がフィクションと現実の切り分けガバだっただけ」なのでは?説もきちんと検討してほしいよね。
東京卍リベンジャーズがあれだけヒットした後で暴力事件が激増したって話もないわけじゃん。
鬼滅の刃が社会現象になったあと刃物や刃物状のもの使った傷害事件が激増したこともない。
何よりお爺ちゃんお婆ちゃんの体験のような「性犯罪の大流行」が起きたことなんか一度もない。
「実は単に40年前が青春時代だった世代が特別にカスだった」可能性ちゃんと検討した?
その世代が特別に性犯罪に甘くて、特別にフィクションと現実の区別ガバくて、
「自分達がヤバかっただけなのに下の世代に説教して規制しようとしてる」って可能性は?
上で得意気に「ワシもスカートめくったぞ!」つってるお爺ちゃんもだけど、
それを自分の恥部としてんじゃなくて下の世代を殴る鈍器にしてる感じあるじゃん?
なんでお爺ちゃんお婆ちゃんの聖痕「スカートめくり」で下の世代が殴られたり抑圧されたりしなきゃならんのよ。
自分達を総括してろよ。
40代後半のおばちゃんは、実害があった記憶があるけど、その下の世代になるに従って漸減していってる(良くなってる)と思うし、一方で絶滅してる訳でもないのよねと思うのよ、現にこういうクソ増田が絶滅してないから
えっ論理が全くわかんねーんだけど
俺の文章によって性犯罪が絶滅してないと確信するってどゆこと?
「フェミニストを批判するなんてこいつは性犯罪者に違いない!」……ってコト?
こういうレベルの”感覚”で何かを確信する行為って俗語では「受信」とか表現されるよね。
この感じの人が社会について何か発言することの意義がわかんねーんだよな。
あと性犯罪が絶滅する日なんてこねーと思うので(あらゆる種の犯罪がそうだろ)
もしも「性犯罪が絶滅するまで表現規制の必要がある」という規制論者が居るとすれば
それも会話になんないよね。
こういう態度こそが歴史から学ばないってやつか。たかだか40年前を古いと言うのなら、戦時中や戦前に起きた自国の過ちを省みる事なんて到底無理なんじゃなかろうか。
2023/01/12
「40年前に一件そういう事例があれば現代の表現を根拠省略して規制していいんです!」
こういうのは「歴史を大事にしてる長老」っていう表現も違うよね。
「科学的な思考が出来ないのでフィードバックが適切でなく迷信撒き散らすだけの残念な年寄り」 側なんじゃねえの?
要するに自分達の世代独自のぐにゃぐにゃなナラティブで下の世代に話になんねーこと言ってるだけ。
きちんとした議論なんかする気もないんだよこいつらは。
すごいシームレスに反戦左翼イシューになだれ込むところもポイント高いよな。
こういうのゲンブツが無いと「そんなのいない、藁人形論法!」って言われるし
そしてこの古老がそこそこ星とって上位に来るのが
お前等二度と老害叩きで盛り上がったりすんな。
証拠はないが宅八郎とヤンキー漫画は実社会に悪影響及ぼした、証拠はないが性差別表現には一切悪影響はない、がオタク村の常識なんだけど論理的思考が苦手な一般人にはこれちょっと難しんだよなろんりてきに。
ヤベエまた訳わかんねえ皴皴反論だ
宅八郎って誰?ってWikipediaで調べるとオタクの戯画化的な格好でテレビに出て活躍したライターで全盛期は33年前。
数年前に亡くなってて生きてたら60歳。
だからさあ
現代の話だっつってるのにナチュラルにアラ還タイムスケールでレスしてくんのやめてくれよ!
30年以上前の人の話で当て擦りされてもわっかんねーんだよ!
さんざん「あんたらの時間感覚は狂ってる」って話をしたのに、生きてたら還暦の人の33年前の全盛期のネタで反論風の何かをしてくるの凄すぎるだろ。
ねえ、これ見てる人達も客観的に少しは気付かないか?自覚のない高齢化と時間感覚の解離がヤバすぎるだろこの村。
当時の証言者です「スカートめくり」も流行ってたし「ボインタッチ」はそれ以上に流行ってた。アニメ放送してた時期に被害集中。クラス中の男子がやってた。やめろ言うてもやめないんだよ猿だから。あまりにも胸糞 被害がなかったことに されてるのはスカート と違い成長期で胸の 大きくなり始めた子 だけに被害が集中する 構造だから。 普通に犯罪なんよ
俺の話聞いてた?
「40年前当時スカートめくりの流行などなかった!捏造だ!」的なこと1ミリも言ってないと思うんだが
これが1位に押し上げられるの
A「あなた達の40年前の体験談はいいけどそんなんで現代に規制かけようとするのはやめて」
B「当時を知る証言者です!スカートめくりはありました!犯罪なんです!」
B'「うおおおお!ハルモニが生き証人だ!歴史修正はさせない!!☆☆☆!!!」
年齢層高いとはいえここまでコミュニケーション不能とは思わなかったわ
正直まだまだ見くびってた
SNS上のどうでもいいなんか社会的な議論の際に「中学生のままみたいな全能感」とか「厨二病・高二病」とか最近煽りなのか説教なのか人にぶつける奴いるけど
その「中学生みたいな全能感」の持ち主がそのまま高校や大学も卒業出来て有力な地位に付けて他人に対して発言できる環境がある時点で、
ぶつけてる側の、なんだろう、「ちゃんと大学教育を経たリベラルアーツ的世界観」「老練した大人」ってものが環境とか知性とか広い範疇で敗北してるし、
全然議論に絡まないから何かオチつけるんなら「中学生みたいな全能感」のままでも社会を生きていけること自体が素晴らしいみたいな話にしかならんのよね
ニュース記事の中で二世が"平手やベルトで叩かれた"と話していることに関してブコメで、「暴力は家庭の問題では。カルト問題とは切り離して考えないと。」というコメントを見かけたので、切り離されないよう、ここに事実を記す。
自分は割と熱心に活動していた元二世で、今は家族や組織から距離を置いている。
ニュースになっていた二世の女性は30代で、自分も同世代である。
記事の中では、
"3歳の頃から週3回、エホバの証人の集会に参加した。居眠りなどをすると家族にトイレに連れて行かれ、平手やベルトでたたかれたこともあった。"
とあるが、これは「ムチ」と呼ばれていた。
集会で行儀よくしていないとムチされるし、イタズラなどがバレてもムチされる。
どこかの子供が集会中にトイレに連れて行かれたと思ったら、トイレから叫び声が聞こえてくるということは日常茶飯事だった。
各家にはその家ごとの「ムチ棒」があり、「あそこの家のムチ棒はやばい」とか、子供同士で情報共有していた。なぜなら他所の家でイタズラしたりすると普通に他所の親からムチされたりするからだ。
回数も人それぞれだが、大抵10回程度。
かなり悪いこと(もちろん子供のイタズラレベルの範疇でだが)をやらかすと2〜30発やられる。
※ちなみに、出先で急遽ムチする必要があり、ムチに適した道具がなかった場合、「しかたない平手でやるか」ということもある。しかし全く痛くないのでこちらとしては内心(キター‼︎)と思っているのだが、痛がっていないと家に帰ってやり直しになるので、必死で痛いフリをしておくというライフハックがある。
エホバの証人はローカルルールが多く、また同じ地域でも「長老」と呼ばれる会衆のトップの意向によってやり方が違ってくるので、あくまで増田の地域、年代(1980後半〜1990年代)のことである。
学校での体罰が問題になり始めた頃(1990年代後半ごろ)から徐々にムチの文化も下火になっていったと記憶している。
https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/101992647
1992年の「目ざめよ!」という小冊子の中で、「ムチが世間から批判されているがいかに聖書の根拠に基づいているか」について触れられているので読んでみて欲しい。
各方面の有識者が述べ始めているので屋上屋を架す行為かとは思うが、あるブコメをしたときに、改めて恐ろしくなったので文字数制限のないこちらで整理してみたい。
「岸田さんが麻生氏や菅氏や二階氏らの長老を撫で斬りにして、河野太郎氏や小泉進次郎氏や福田達夫氏らの次代や若手有望株を逮捕して、内閣・党三役・自衛隊を地元子飼の広島市長や県議とかで固め総裁任期も8期に延長して岸田万歳と唱えさせるレベル」
共産党大会終盤での胡錦涛退席。これは衝撃的だった。全て習近平氏の描いたシナリオ通りなのだろう。衆目監視の中、白髪でやつれた胡錦涛氏が退席。江沢民は出席すらしていない。先代の国家主席である胡錦涛氏は江沢民氏率いる上海閥の事あるごとの容喙に悩まされたが、習近平氏にはもはや恐れる長老はいないのだ。革命第一世代は世を去り、上海閥は衰え吸収し、共青団派は根絶やしにした。
日本で例えると、麻生氏・菅氏・二階氏・甘利氏らの大物長老を、公衆の面前で辱めたうえで政界から退場させるに等しい。
2000年代後半から中国政治に少し興味を持った自分だが、今の政治状況は想定できなかった。王岐山に主導させた汚職追放運動、これ自体は間違いではないのだろうが、習近平はこれを老獪にも政治闘争に最大限に活用した。
汚職追放運動で追放された政治家・軍人達だ。みんな失脚前から自分も知っていた大物達。これらを全て終身刑や党籍剥奪にして政治生命を奪っていった。隣国日本から興味本位でのぞいている私から見てもこれだけのインパクトがあるのだから、中国政界ではもっと有為で有能な人材が排斥されることもあったのだろう。もちろん、追放された面々が全て潔白だったと言うつもりはないが、裁く側の手も相応に汚れているだろうとは思う。
今回の共産党大会で政治生命を奪われた共青団系の李克強・汪洋・胡春華を含めて整理しなおすとこうなるか。
過去10年の国家主席在任期間に徐々に進んでいたので麻痺していたが、本当に恐ろしい数の政敵を葬ってきたと思う。
これで真っ先に思い出すのは、スターリンだ。
キーロフ・ジノヴィエフ・カーメネフ・ブハーリン・トロツキー・トハチェフスキー…彼らも粛清されていった。同時代だからなのか、歴史で学ぶスターリンのような苛烈さは感じていなかったが、改めて歴史として振り返ると相似していると感じる。
これは各有識者が指摘しているので、そちらに任せたい。
少し書くと、留任した趙楽際は習近平の父親である習仲勲の墓を盛大に改築し気に入られて抜擢された人物だし、王滬寧は江沢民時代から共産党の思想的正当性を理論化した人で派閥的には中立で取り込んだ方が正当性を確立できる人物。それ以外はすべて子飼の人物だ。権力掌握としては露骨すぎるほど露骨だが、批判を恐れなければ最短ルートなのだろう。
個人的に驚いたのは2点。
:今回の政変で一番驚いたのはこの胡春華氏の放逐。汪洋氏はリベラルすぎるので頂点には至らないとは思っていたが、胡春華氏は最低でも首相だと考えていた。現副首相で、首相の一歩手前と見られていた人物。共青団系ではあるが、習近平氏とも折り合いをつけていたと言われるし、何しろ20代くらいからその俊秀を謳われてその通りに出世してきた。日本的にベタに言ってしまうと、小泉進次郎氏の期待値(言うまでもないプリンス・二枚目・将来の首相候補)と米山隆一氏の個人スキル(東大医学部で弁護士)を兼ね備えた人物と言える。中国全体の才能の集まる北京大学に16歳で飛び級入学しそのまま卒業生総代となり、その後もきちんと業績を上げてきた人物なのだ。もちろん、習近平氏とは政治的主張で折り合わない部分があったかもしれないが、首相にはならなくとも、少なくとも一つ出世した常務委員への昇格で処遇すると思っていた。それをまさかの降格。これは共青団派にとっては一番の衝撃ではなかったか。
:習近平派で重慶書記の陳敏爾氏は常務委員入りするのかと考えていた。少なくとも李強・李希の二李よりは大物だったのじゃないか。この人事を見て、他派閥どころか、自派閥に対しても自分が生きている間は権力を譲らないという習近平の強い意志を感じた。
これも言うまでもない。
安倍さんは2期4年を3期6年に延長したが、習近平氏は2期10年を3期15年以上に延長した。自民党総裁の期間に換算したら7期21年みたいなものだろう(8期と書いたのはなんとなくキリがいいから)。
これまでに毛沢東の文化大革命への反省のうえ鄧小平の遺訓として残されていた集団指導体制は死文化した。現時点では3期15年まで可能だが、今後習近平の望むままに延長できるだろう。
書いていて大分辛くなり疲れて粗雑になってきた。が、今回の共産党大会は習近平の独裁が確立・確定したという意味で、もしかするとロシアのウクライナ侵攻よりも世界史的に大きな事件なのではと考えている。
自分は浅学なので、詳しい人からの意見があれば嬉しいです。是非意見・異論ください。
安倍晋三が最長政権を築いた理由は、自民党総裁の任期3年2回までのルールをご破産にしたからに他ならない。
カリスマ性だの人気だのほざいてる連中がいるが、それ以前に安倍晋三がルールを守らない人物であった事が最大にして唯一の理由だ。
小泉政権時に作った定年制をご破産にしたのも安倍晋三で、それによって救われた長老たちがこぞって安倍を推した。
小泉政権時に造反して離党に追い込まれた連中を復党させたのも安倍晋三。だから復党を許された面々はこぞって安倍晋三を推した。