はてなキーワード: 醍醐味とは
俺は単なるいち客の身分だが元増田の言うことはとてもよくわかる。
爆サイの書き込みだったり嬢から直接聞いた話でも基本的に一致する。
さて、爆サイやその他風俗系の掲示板の住民だった経験の無い民には「オキニ隠し」というものがサッパリわからんだろうから補足しておく。
良嬢の定義も人によるだろうが、「見た目、接客、テクニック」の3要素が全て平均以上かつ何か2要素が「明らかに良い」なら良嬢と呼んで差し支えないだろう。
そしてテクニックはやはり経験と訓練によるところが大きいのだが、見た目と接客は才能(向き・不向き)によるところが大きい。
特に接客な。もちろん演技はあるわけだが、そもそも風俗客に対し最低限以上それなりに愛想よく接せられるかどうかというのは、素の性格によるところがかなり大きい。
※ソープの高級店とかになると話は変わるので、その辺は例外とする。
何を言いたいかというと、「良い風俗嬢」かどうかには才能がかなり関わっているということだ。
つまり、極論すればデビュー当日のド素人新人であっても良嬢であったりもするわけだ。
そしてデビューから日が浅い嬢であればまだそんなに定期客もいないため予約も取り易く、風俗の醍醐味の一つが「まだそんなに人気の出ていない良嬢と巡り合うこと」だったりもする。
※余談として、元増田の書き込みにもあるが、風俗歴の浅い嬢に対して「普通これくらいはやるよ」とか「他の子もやってるよ」などと嘘を吹き込んで本番や生をやろうとするクソ客は実在しまくる。本当にクソである。
話を戻そう。
当たり前だが良嬢だったら人気が出る。特に接客の良い子はやはり本当に人気が出る。そして人気が出れば予約を取り辛くなるため、客側には「自分が予約を取るために人気が出ないようにネット世論を操作する」インセンティブが存在する。
「自分のお気に入り優良嬢が、人気が出て予約困難嬢とならないようにネットに嘘の貶し感想を書き込む」行為のこと。
実際には良嬢であったとしても、主に接客をクソミソに書いて評判を下げようとする(余談だが見た目をディスる書き込みは同僚の別の嬢によるものが多いとされる)。
特徴としては、特定の嬢に対して褒める感じの書き込みがあったらその直後にやたら否定的な「そんなことねーよ」とか「実物は無愛想塩接客だぞ」みたいなレスがありがち。
あと特定の人気嬢(出勤したら普通にほぼほぼ予約で埋まってるレベル)のレポ・体験談が何故か異様に書き込まれない、という形もあったりする(これが元々のというか言葉どおりの意味のオキニ隠しのような気はする)。
ぶっちゃけあんま無い。掲示板に常駐してるような奴なら「なんとなくレベルで嘘ついてない書き込みかどうか」を見分けられるようになるので、所謂「情弱」しか騙せない。
あと、元増田が書いてるように嬢がうっかり見ちゃったりしてすげえ傷ついてたりする。
昔のマシンのリメイクは郷愁を誘われて嬉しいですね。懐かしのマシンを現代風にアレンジするのは面白そうです。ミニ四駆世代の大人をターゲットにした戦略なのかもしれません。
SNSを活用したコンクールは、ミニ四駆コミュニティの交流の場として素晴らしいアイデアだと思います。自慢のマシンを披露し合ったり、アイデアを共有したりと、ユーザー同士の繋がりが生まれそうですね。
ローラー数の制限撤廃はビッグニュースですね!より自由度の高いカスタマイズが可能になり、マシンのバリエーションが広がりそうです。ローラーの配置を工夫することで、コーナリング性能が上がったり、新しい走行スタイルが生まれたりするかもしれません。
セッティングの幅が広がったことで、よりテクニカルなアプローチができるようになったのは嬉しい限りです。自分なりのベストセッティングを追求するのが、ミニ四駆の醍醐味の一つですからね。
ミニ四駆から離れていた私ですが、久々に手に取ってみたくなりました。カスタマイズを存分に楽しんで、理想のマシンを作り上げてみたいと思います。
アドバイスありがとうございます。ミニ四駆の奥深い世界に、再び足を踏み入れる良いきっかけになりました。
https://anond.hatelabo.jp/20240506061423
短歌の結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。
多くの人は短歌と俳句が同じ短詩型文学であるから、短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。
なぜなら、両者は表現のアプローチが正反対だからだ。短歌は風景と言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである。
短歌を詠むということは、言葉に情念を圧縮するということだ。穂村弘は短歌を爆弾に喩えたが、自分の情念を読み手の心奥深くに埋め込もうとするために、言葉の選定や配列に独自性をもたせていく。風景すらも歌人にとっては情念の道具に過ぎない。日本語に己の爪痕を残してやろう。世界は我が情念を表すために存在するとでも言わんばかりの自意識過剰さでもって詠むのが短歌というものだ。己の全情念を31字にすべて押し込めようとするエゴイズムこそ短歌というものの醍醐味である。誤解を恐れずに言えば優れた歌人とは己の日常を糧にした自意識の純粋培養物なのである。
それに対して俳句を作るということは、言葉で風景をカットする行為だ。17字というフレームの中に厳選した風景の要素を置いていく。私は風景から要素を抽出するための機械でしかない。俳句にとって情念はノイズでしかないのである。
このような対比で見ると、短歌を詠む人が17字は気持ちを込めるのに少なすぎる、となぜ思いがちなのかが分かるだろう。字数云々ではなく、根本的にその容器は、あなたの情念をしまうところではないのです。高級フランス料理の小さなお皿にニンニクましましラーメンを入れようとする無理な行為なんですよ。俳句を作るなら、あなたが後生大事に抱えているその情念は捨てましょう。わかりましたか?
そうは言っても短歌人はやめられない。短歌を苦しみ抜いて詠んだきたのだから、この情念は捨てられない。世界中から笑われようとも俺はこの17文字に俺の心情を詰め込んでみせる。31文字でできて17文字でできないことはないっ。ここに俺の私の僕のアイデンティティがかかっている。
という具合に短歌は人に冷静さを失わせ、言葉を発するときに自意識を手放すことができなくさせる。そしてどんどん俳句の精神から遠ざかっていくのである。だから短歌を詠めば詠むほど、俳句は作れなくなる。
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一茶の句は反例にならない。
https://anond.hatelabo.jp/20240506233546
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https://anond.hatelabo.jp/20240508195326
俳句に情念は込められないという主張について、上の増田より鮮やかな反例を挙げていただいた。俳句への理解を深める契機をいただけたことに感謝する。
この見当はずれの言及が来る感じ楽しいね。はてな匿名ダイアリーの醍醐味だね
GWにオッサンひとりなら東京ディズニーシー(シー)が良い?ってついに知り合いに聞かれて明らかに自分が原因なので、以下に解説するよ。
なおここでは、お酒を飲める年齢で、自由にできるお金がそれなりにあり、土日祝日を自分一人のために使える人を仮にオッサンと呼ぶよ。
今の東京ディズニーリゾートは、一度長期の休園を経たうえで、絶妙なバランスでご新規も家族連れも熱狂的なファンも楽しめるライブ会場みたいになってるので、
「でも、小さい箱で直接握手できたあの頃とは違うよね」とか「国内で5万も払うなら、アメリカツアーで楽しんだ方が安いまである」とか「ホテルのコンシェルジュに頼めばどのチケットも手配してくれるでしょ」
みたいな人にはマジで向いてないです。黙ってアナハイムに行ってXで見せびらかすんだ。
YES. 東京ディズニーリゾートは、基本的に"あえて"ディズニーリゾートに行く人が対象なので、〇〇が何であっても基本的にはそちらに行った方が良いです。
なので、「ディズニー行ったことないけど、一度くらいは行ってみようかなー」ぐらいがギリ対象範囲です。
まずぼんやり行こうかなと思うオッサンが熱狂的なディズニーファンである可能性が薄そうだから。
そうすると、東京ディズニーランド(ランド)は、ちょっと古い(懐古的な)ところがあり、ノリについていくのがキツイ可能性がある。
また、ランドとシーとを比較すると、ランドの方が概ね混んでいて、並んだりするのに慣れていない人には、ちょっと厳しい可能性が高い。
テーマパークという、あるテーマに沿ったエリア(ディズニーだとテーマエリアと呼ばれたりする)を楽しむのに不慣れな人は、シーからがおススメ。
ここからは、ぜひやろう3選、やった方が良い3選、やらない方が良い3選、参考お楽しみコース3選と紹介していくよ。
ひとりでディズニーなんてと思うことは全くない。なぜならばひとりでディズニーの人はわりといて、いろんな楽しみ方をしている人もたくさんいるから。
特にキャラクターが散歩しているときに、お、せっかくだし写真でも撮ろうかなと思ったらぜひ近寄ろう。余裕があればキャスト(パークで働いている人)に、写真お手伝いしましょうか?と声をかけてもらえたりする。
ちょっとスマホ渡すの抵抗あるなーという場合は、インカメラで自分とキャラクターが映る感じにしておくと、なんかいい感じでカメラに入ってきてくれるぞ。
遠巻きにせずにあえてやってみる、という経験をしてみるのも、ひとりでディズニーに行くときの醍醐味のひとつだ。
おおむね俗世間の1.5倍くらいのコストは支払う必要がある。例えばペットボトルでお茶を買うと250円くらいすると思っておくと間違いない。
だから、ちょっとしたカクテルと軽食で2,000円超えとかも、まあまあある。そこは使って行こう。
また、初心者のうちほど「あ、このグッズはちょっと良いな」と思ったその時に買っておこう。
帽子を買ってかぶってみるとか、カバンにつけるグッズを買ってつけてみるとか。
良い思い出になるのと、グッズは色々なところで売ってるけど実は販売店舗が限定されているものもあり、見つけたら即購入がおススメ。
ただちょっと考えてみるとわかるんだけど、実は飯時のレストランとかも結構20~30分待ったりするんだよね。
なので、40分くらいまでは並んでみることをおススメする。慣れていないと100分超えはキツイのでおススメしない。
別に無理にとは言わないけど、やった方が良いことを解説するよ。
最近は繁忙期閑散期というほどの差が様々な要因で無くなってきていることもあり、ゴールデンウイーク(GW)だから一概に激混みになるかっていうと微妙ではあるけど、避けた方が無難。
せっかくなら普通の土日に行こう。新幹線を使ったりするならなおのことGWは避けよう。
じゃあ、GWはなにしたらええんやっていうと、ディズニー公式動画配信サービス「Disney+」(ディズニープラス)に入ってディズニー映画を観るのがおススメ。
例えば、シーでショーを観るときに、アナと雪の女王, 塔の上のラプンツェル, モアナと伝説の海, リメンバー・ミーあたりを観ておくとより楽しめる。
さらに言えば、リトル・マーメイド, アラジン, ピーターパン, ピノキオくらいまでぼんやり知っておくと楽しい。
欲を言えば、ダックテイルズを観て、スクルージ・マクダックについて知っておくと特にシーでは思わぬところで名前を目にするので楽しい。
また、アトラクションにも乗ってみても良いかなーと思うのであれば、ファインディング・ニモ, インディジョーンズシリーズあたりも観ても良いと思う。
(なお、先にアトラクションに乗っておいた方が楽しめるタイプの映画もあり、ジャングルクルーズやセンター・オブ・ジ・アースなんかは、映画が後の方が良かったりする)
月990円だけど、しっかり楽しむために事前に千円くらい払ってみるかーという気持ちで加入するのはわりと良いぞ。
特殊なチケットを買わない限り、シーもランドも購入日から1年以内なら入園日を変更できる。
そのため、雨や風が強いなどの日は、勇気をもって延期しよう。
延期が出来ることもあり雨の方が全体的に人は少ないが、初心者には特に厳しいことになりがち。
そのため、雨の予報なら、イチかバチかに賭けず、おとなしく次の週に延期するのがおススメ。
ふらっと言ってももちろん楽しめるけど、多少の下調べはしてみよう。
例えば、行く予定の日はどのアトラクションは休止で、花火は何時からだろう、とか。
どんな料理がどのレストランでは提供されてて、アルコールはどんな種類があるんだろう、とか。
このアトラクションは乗ってみたいな、とか。1500円くらいなら並ばないために払っても良いな、とか。
Duffy and Friendsだったらどの子がいちばん可愛いと思うだろう、とか。
事前準備というよりは、想像を含まらせるために下調べをしていく過程を楽しめると、より楽しく当日を迎えられる。
特に初心者向けなので、これはやらない方が良いなーというものだけ。
東京ディズニーリゾート・バケーションパッケージという公式の宿泊付きツアーはひとりディズニーではおススメしない。
端的に高いので。
そのため、思ってたんと違うとなった時のショックが大きくなります。まずは普通に行ってみよう。
ディズニーホテルと呼ばれる、様々なホテル群についてはひとりディズニーではおススメしない。
わりとお高いので。
また、ある程度詳しくなってからの方がいろいろと出来るようになるので、特に宿泊日程が限られてしまうホテルの予約は止めよう。
そうは言うてもホテル泊まらないと行けないよ!という人は、まずはシーへの送迎バスがある、東京ディズニーリゾート提携のホテルから予約してみることをおススメする。
これは微妙ではあるんだけど、ひとりディズニーで初心者のうちは、黙って楽しんでおくのが無難。
考えることが多くなってしまって楽しめなくなることが多いので、最初は自分のためのお土産以外は買わないのがおススメ。
ひとりディズニーなら自分だけで好きに楽しむのが良いんだけど、そうは言っても良くわからんしなーという人向けの参考コースね。
まず、シーに入ったら、写真を撮りながら左回りで一周してみよう。
アプリで地図を観ながら、ふらふらっと左側からぐるーっと各エリアを一周してみよう。
そのときに、お店やおいしそうな食べ物があったら、とりあえず入って食事をしても良い。
気になるアトラクションがそんなに並んでないなと思ったら並んで乗ってしまっても良い。
なんか疲れたと思ったら座るところや食べられるお店をアプリで探してちょっと並んで食事休憩しよう。
そうこうしていると、ショーの時間だったり、運が良ければキャラクターに出会えたりして、ちょっと楽しむことが出来る。
午前中、夕方、夜と各エリアはその表情を変えるので、蒸気船(ディズニーシー・トランジットスチーマーライン)や電車(ディズニーシー・エレクトリックレールウェイ)に乗ってみるのもおススメ。
うろうろぐるぐるしながら写真を撮って回っているだけでも、意外な通路があったり看板があったりして、結構楽しめる。
ひとり自由にうろうろして、自分のタイミングで休憩して、楽しめるというのが、ひとりディズニーの醍醐味だ。
なお、夕方になってどうしようかな?と思った場合は、アメリカンウォーターフロントエリアが飲食店が集中していて、雰囲気も良く、ショーや花火を楽しむにも近くて便利なのでおススメできる。
ソアリン:ファンタスティック・フライト, トイ・ストーリー・マニア!, タワー・オブ・テラー, センター・オブ・ジ・アースの4つについては、お金を払うとスムーズに乗れるので、1~2つは払っちゃうのをおススメする。
その他のアトラクションで、時間指定はできないけれども優先搭乗券(プライオリティパス)が発行されているものについては、その近くで食事をしていて、食事後にちょうど乗れるなーくらいの時に発行するのが良い。
特に、午前中に使う時には自分で時間指定できない優先搭乗券は結構調整が難しいので、アトラクションに乗ってみるぞ!と思う人は、まず上記4つの中から選んで乗るのが良い。
そのうえで、狙ったアトラクションまでの道のりを楽しみながら、自分の好きなタイミングで並んでしまうのが結局一番効率が良かったりする。
(海底2万マイルのように、昼間は混むけど閉園近くはガラガラというアトラクションもあるにはあるけど、あんまり気にしすぎないのが楽しむコツ)
ガッツリ楽しむ場合は、午前中のうちに入り口から最も遠いアトラクションであるレイジングスピリッツかインディ・ジョーンズ・アドベンチャー: クリスタルスカルの魔宮のどちらかの優先搭乗券(40周年のプライオリティパス)を取得してしまい、
取らなかった方の乗り物に並びながら、お金を払えば乗れる乗り物に課金(ディズニー・プレミアアクセス)でお昼ご飯後ぐらいの時間帯のチケットを買ってしまい、そのアトラクション近くのレストランのメニューを見ながら並んで乗ってしまおう。
こうすると、2つは午前中におそらく乗れ、ご飯を食べた後に悠々とさらにもう一つ乗ることが出来る。(特に、ソアリンとトイストーリーマニアは午前中には売り切れてしまうことが多いので、さっさと買ってしまうのが良い)
正直、アトラクションに並んでいるときにいろいろな小物類を眺めてそのアトラクションの背景に思いを馳せるのも楽しいので、40分前後なら並んでしまうのも全然楽しかったりする。
キャラクターグリーティングに並ぼう。実はシーの開園時間よりも遅く、閉園時間よりも早く終わってしまうので、行きたいときが並び時だ。
この時、写真はキャストにお願いすると撮影してもらえるので、遠慮なくお願いしてしまおう。(静止画のみ。動画は自分で撮る必要がある)
空いているときに何週もして何度も撮影する人も結構な数いるので、なんか思ったよりも良かったなと思ったら、二週目に並ぶのも全然ありだったりする。
なお、キャラクターグリーティングは、シェリーメイを除くと全員がロストリバーデルタというエリアに集結しているので、撮影をハシゴするのも楽しい。
同じエリア内の、インディ・ジョーンズ・アドベンチャー付近にあるお店、エクスペディション・フォトアーカイヴから園内で写真プリント発注が出来るので、
撮ってもらった写真をすぐさま発注し、帰りにシーの出口付近のお店フォトグラフィカで受け取る、というのは良い記念になっておススメ。
なお、シーの園内でキャラクターがお散歩しているのに出会えることもあるが、これと言ってココなら会える!という場所は無いので、フラフラしていて会えたらラッキーぐらいに思おう。
GWは家でディズニープラスで映画を観よう。4Kテレビが家にある人はちょっとお高いコースも良いぞ。
あと、シーの新エリア「ファンタジースプリングス」が2024年6月6日(木)にグランドオープンするので、それまでに行くのがおススメ。
(ちょっと新エリア後のシーの混み具合が予想できなさすぎるので、6月6日までに行っちゃうのおススメ)
なので、GW明けの5月11,12, 18, 19あたり(そのあとは新エリアグランドオープン前のプレビュー期間がある)、もしくはファンタジースプリングスの様子がXとかである程度落ち着いてきたのがわかる7月以降がおススメかな。
こういうのに対して
とか言い出したら狂ってる人だと思うだろ?
でもこれが身障者となると裏返ると「本気で」思ってる人らが居て反吐が出る
でも、それを個人で負担しろってのは障害者にきついから、補助しましょうってのが一般的なわけ
高身長の人は、頑張って働いて割高な服を買わなきゃいけないけど補助なんて出ない
で、映画館でうるさい人ってのを、多動性障害やらに絡めて、障害者は映画を見るなっていうのかーって吹き上がるの
バカジャネーノ
基本誰でも映画は静かに見たいんだよ(応援上映とか、子供向けアニメとかは例外だ)
ガサガサ音立ててポップコーン食ってたクズでも、隣で喋った奴にはキレ散らかす
そういうところなんだよ映画館は
SAOみたいな傾向のアニメ映画は、多動性の人が見に来る確率が高いんだが
最前列で立ったり座ったりしてギャーギャー騒いでても誰も追い出したりしないし
運が悪かったなと諦めて見る
日本は良い国だと思うぞ、殴りかかったり、引きずり出したりしない
多動性の人間がスクリーンの前で視界の中をウロウロするのも劇場の醍醐味だってか?
勘弁しろよ
どちらかというとローラーベース(前後のローラーの距離)の方が重要になって来てるね。
ローラーベースが狭いとコーナーのキレが良いけど踏ん張りが効かない&直線が不安定になる。
ローラーベースが広いとコーナーではもたつくけど直線は安定する。
ギア比、モーター、電池、ローラーの種類をコースレイアウトに合わせて現場でセッティングし直すのがミニ四駆の醍醐味。
ちなみにローラーの大きさについては使用するコースに応じて考える事が多い
⇒コースつなぎ目が小さいから9mm~13mmが使いやすい。もちろん19mmも可
ピンク色の雪洞(ぼんぼり)でライトアップしちゃって、白い桜もピンク色になって風情が台無しだよ。
ソメイヨシノ以外にもシダレザクラとかサトザクラとか品種の違いで花びらの色合いが微妙に異なっていて(詳しい人なら河津桜とか薄墨桜とかもっと細かく分類できるんだろうけど俺はそこまで詳しくない)、それが花見の醍醐味なんだけど、ライトアップのせいで全部ピンク一色になってるよ。
「桜は昼間に観るんじゃなく、雪洞で照らして夜に観るのが粋ってもんよ」みたいな伝統的な風格を醸しやがって。
治水のために人工的に作られた河川敷に同一品種のソメイヨシノを等間隔に植樹することに、たいした歴史も伝統もないだろうがよ。
夜桜を観るにあたって、月明りで桜を見るなんてド田舎でもなきゃできないけど、これならまだ街路灯の明かりで桜を観る方がましだよ。
桜をライトアップして風情を台無しにするんなら、いっそのこと様々な色でライトアップして虹色のゲーミング桜にしちまえよ。
半年前はどこもかしこも紅葉のライトアップやってたけど、桜の時期になってもやることは同じかよ。
肉眼とカメラとでただでさえ受光能力が異なるというのに、夜のライトアップともなればなおさらだよ。
そのカメラで撮った画像は己の眼で見た印象と同じか? 全然違うだろうがよ。
自分の眼で見た印象なんてどうでもよくて、キレイな画像を作ることにしか興味ないんだろ。
その場に来ることでしか感じられない、香り・温度・風・雑踏を味わおうなんて気はさらさらないんだろ。
指先でキュッキュするのが手洗いの醍醐味じゃろがい
そして生成AIなら依頼料を無視できる、となると、クオリティを高める、雰囲気を維持するには
決まった絵柄のlora......loConでもloHaでも可、本文では暫定的にloraとする......があると良い
プロだと絵柄などがブランド化され先日AI絵敗訴した中国の判例を持って来られると負けかねない
経歴が長いなら、かなり強火なファンもいるので後々が面倒な地雷を抱えることにもなる
パッと思いつくだけで利点が3つある
1つ
基本AI利用者は手描きに不可能でAIの利点である高品質イラストの即時量産、および投稿をしている
これが何を意味するか?
loraの材料がとても多く揃うのだ
これでたった1年目の新人でもloraの射程範囲に入る、人間なら材料が足りなかったであろう
かなり厳選してもたった1~3ヶ月の分量で50枚、十二分足りた
そして今もまさに良質な餌を大量生産し続けてくれる
1つ
これだと手描きプロのリスクと変わらない可能性も出てくるが、AI生成物にどこまで著作権が適用されるかは世界的にも不透明である
そして、彼らならばAIを使っている分、下手に動くと藪蛇になるため動き辛いだろう
「たまたま使っているモデルが似通っただけです、生成方法を明かす義務も特にないです、魔女狩りですか?」
こう言われてかわされる懸念もあるためだ
ノーガードだ、これも利点かもしれない
1つ
大変ありがたい事に、AI術師の多くが白い背景で出している
loraに本当に関係あるのか?どうなんだ?と議論されているみたいだが筆者は白背景の成功率が高いように思う
オカルトかな?
あとの己が出した生成イラストの細かい修正だが、自分でやれないやるのが面倒ならば
フリーランス依頼サイトで加筆修正できる人間を安値で雇うといい、当人を雇うより安いであろう
これで簡単かつ安全にプロ級で雰囲気が統一された美少女キャラをゲームに登場させることができる
良質な餌はあたたかみが無くても良い
※FF16のネタバレあり批判記事です。プレイ済でFF16に思い入れのない方向けです。
FF16をクリアした。わくわくと予約して発売当初にプレイしたので、クリアしてもう7ヶ月くらい経つんだが、いまだにもやもやする。もやもやというか、悲しみと怒りというか……。「何だったんだよコレ」というか。
いや正確にいえば、プレイ序盤は「おお、面白いかもしれない」と思った。それがちょっとずつ「ん?」と思うことが増え、中盤のバハムート戦が長すぎるあたりから完全に「アレ?」となり、終盤はちょっと盛り返してきたけど、ラストの米津玄師をバックに「あ、終わった……あと少しの工夫で名作になったけど……ちょっと塩気が足りないような……?」と狐につままれたような気分で終わった。まだサブクエストは残ってたけど、やりこむ気が全く起きずそのまま一度もプレイしてない。
思えばプレイ中、ずっと「面白いと思わなきゃ」という強迫観念に駆られてた。だって久々のFFナンバリングじゃん?予約してたしものすごく楽しみにしてたし、映像めちゃくちゃ綺麗でリアルで、鳴り物入りでものっそお金もかかってそうじゃん?周りも「今ハマってて〜」とか言ってたし、ずっと悪く言っちゃいけないと思ってたんだよ、いいところ探そうと思ったんだよ。
だけど日が経てば経つほど冒頭のようにもやもやが広がってきて「やっぱあれおかしかったよね」とか、恋人と別れてから洗脳に気づいてずっとそのことについて考えてしまうみたいな。FF16クリアしてからいろんなゲームやったりアニメみたりしたけど「FF16よりずっと面白い!」「FF16よりこの点がいい」とか、謎にずっとFF16と比べてる自分がいる。
ここまで心囚われてしまうのは、何かあるんじゃないかと。裏を返せば、FF16の何が面白くなかったかを深掘れば「面白いコンテンツとは何か」を考えてみるきっかけになるんじゃないかと。
本当はFF16の悪口言う飲み会やりたいくらいだけどそんな友達はいないので、こうして増田にしたためてみる。以下はエンタメ業界でもなんでもない自分のど素人の私見なので、いろんな方のぜひ意見を聞いてみたい。
以下は要素を出すためにとりあえず箇条書きで気になった点を挙げていく。
この項目は細かい話なので、要は何?を先に知りたい人は読み飛ばして次の項目にいっていただいて構わない。
悪い点ばかり挙げていてもフェアじゃないし、心を落ち着けるためにも、まずは良い点から挙げていきたい。
【FF16の良かった点】
・サブキャラの人間味がよい(ベネディクタ・フーゴ・ディオンあたり)
主人公がさらにその先の「人が人として生きられる場所」を掲げて言葉にし続ける(ちょっとFF10っぽい)
・終盤の今までの召喚獣全部出すRPG感(ちょっとFF10ぽい)
じゃあ悪かった点って何なの?
【FF16の悪かった点】
1.緩急がない
・チョコボの音楽流れない(なんだよあの♪チャララララララーンって、よく分かんないところでオリジナリティ出すな)
・ていうか音楽が終始暗め
・ミニゲームない
・ほぼ同じような景色ばかり、マップ移動が自動でシナリオも基本一本道、自由度が少なく冒険感がない
・テーマの根幹である、ベアラーが奴隷格という設定に無理を感じてしまった。魔法がある分科学は発展してない以上戦闘力は彼らが遥かに上だし、生活も彼らに頼りきり。抑え込める武力もロジックもないので反乱起こされたらかなりやばい、この状況であればむしろ優遇されるはず。ジルみたいに「人質にとって脅してる」だけじゃあまり説得力がなかった。
・ジョシュアがなんで主人公に自分の生存を隠していたのかが意味不明。物語の核心を知ってるんだろうなあ〜と再会シーンを楽しみにしてたら「僕もアルテマのことは詳しく知らない」?!は?!
あの意味深な隠密行動はなんだったん?中二病??だったら逃げずにさっさと共闘してくれよ
・アルテマもバルナバスも主人公に甘い。ディオンはあんなに狡猾に精神的に追い詰めたのに、主人公に対してはジルをさらうくらいで殺しもしない。
思念を断ち切りたいなら、もっと主人公の大切な人や場所を壊すなり目の前で殺すなりやり方いくらでもあるでしょうに
・召喚獣を吸収されても、暴走でもう1回召喚獣になれるのなんで??無理やりでもいいからなんか説明ほしい(その人の心の奥底に召喚獣の魂が根付いていてそれが心の刺激で一度だけ解放されるよとか、それくらいでいいから)
・主人公のキャラが真面目すぎて魅力を感じない。いかにも主人公らしい言動しかしない。もっと人間らしい葛藤とか弱さとか欲しかった
・主人公とジョシュア、再会してあっさり打ち解けるけど、あんなに羽むしって殺しかけたことはお互いもうちょっと思うところがあるんじゃ……
・主人公が飼い犬(トルガル)に興味なさすぎ。あなたの犬青く光ってるけど何当たり前のように受け入れてるのおおおお?!最近おやつ食べないのに飼い主以外の人が気づいて忠告してるけどおおお?!犬に対してぞんざいすぎる、いや狼だけど、生き物はちゃんと愛情深く飼ってくれ
・ヒロインのジルが戦わない。いやシステム上は戦うんだけど、精神的に戦わないように見えてしまう。
愛する主人公がピンチの時も見てるだけのことも多いし、何度「いや今命削ってでもシヴァに顕現しろよ?!」と思ったことか……。
性格的に自己犠牲っぽい割に基本的に受動、お姫さま扱いで時代に逆行。ベネディクタの方が好きだよ私は……
本当はもっともっと細かいところいろいろあるんだけど、呪詛みたいになってしまいそうなのでこれくらいにしておく。(既に呪詛)
悪かった点のまとめ、1〜3について振り返り、「いいコンテンツとは?」について考えてみたい。
いいコンテンツには緩急がある。
例えば同じFFでもFF7。ゴールドソーサーがあったりそこでバレットとデートできてしまったり、 戦いの日々の中にも思わず笑ってしまうセリフがちゃんとある。メテオ無視してスノボしまくることもできる。
FF7リメイクのエレベーターの中でのバレットとクラウドの会話 バレット「お前いくつだ?」クラウド「ファーストだ」 バレット「ちげーーよ!歳聞いてんだよwwwwwなんだよファーストって」みたいバカにして笑うシーンとかめちゃくちゃ笑った。 クラウドの自意識過剰とバレットの調子に乗りがちな性格を上手く扱ったやりとりだと思う。
FF16は音楽もキャラもシナリオもシステムも、ずーーーーっと暗くて一辺倒。明るくて楽しいの叔父さんくらい。(砂漠の叔父さんはめちゃくちゃジョセフ・ジョースターにみえたが)周回するのも辛い。
お願いだからチョコボの曲くらい流してくれ!チョコボの曲すらなかったらもうアレはチョコボという名前だけの別の鳥だよ!!
メインシナリオ以外の遊び要素がほぼサブクエストだけっていうのは、ただ面倒なだけだし相当シナリオが面白くないと無理ある。
語り部システムとかあって国際関係とかキャラ設定とか読み込めるようになってるのはいいんだけど、それ読んでも「結局あれは何だったん」って回収されない矛盾が多い。 1つ2つなら許せるけど、続くと キツい。
好きなコンテンツって設定集買って読み込んで「うおーーアレは実はアレでアレにつながってたのかああ!!」って本編だけでは回収されない細かい設定まで知るのも醍醐味で、それでもまだ分からないものはネットで考察みてこれはそうかもいやこれは違うやろとかあーだこーだするのも楽しいけど、FF16は設定集買っても絶対そんな深い裏とかないと思う。(そもそも買う気も起きないが)
なんというか、シナリオもキャラも自然に動いてない感じがある。
作り手が見えすぎてしまうというか、先に都合のいい展開・見せ場がつくってあって「この展開にしたいから、あなた(キャラ)はこう動いてくださいね」って指示されてるような感覚。その展開に至るまでの階段がない。
RPGならありがちなことではあるけれど、ここで映像がきれいすぎることが裏目に出る。映像がリアルな分、リアルでない展開がものすごく目立って見えてしまう。これがドット絵だったらそういうもんって思うこともできたけど。
もう、一番はこれ。薄い。クライヴ・ジョシュア・ジルという中核3名のキャラが圧倒的に薄すぎる。
全員いい子発言しかしないし、発言が全く面白くない。コンプレックスも葛藤もない(うっすらあるけど浅い)。
クライヴは騎士気質でベアラーにも弟にもジルにも尽くす、ジョシュアは弟キャラで兄大好きで病弱でニンジン嫌い。以上。
クライヴは幼い頃に神扱いされてた弟への嫉妬とかないんか。そんなに弟が大切なのに、弟を殺してしまった(そのあと殺してなかったことが分かるけど、あれだけ傷つけてしまった)ことはシドに鞭に打たれたくらいで消化できるものではないだろ。聖人君子か。
ジョシュアは健康な兄への嫉妬とかないんか。羽むしられたこともうちょっと怒ってもいいだろ、聖人君子か。唯一怒ったのがなんか「兄さんはもっと人を頼れ!」とかで殴った気がするけど、どんなシーンだっけ?とググったらYahoo!知恵袋で「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って回答があってその通りすぎて笑ってしまった。
ジルに至ってはどんな人間なのかがさっぱり分からん。自己犠牲で戦う人なのかなー?と思ったけど、その割には自分が石化することを案じてなのかなんなのか、「今は助けに入った方がいいよー?!」ってところでもなかなかシヴァに顕現しない。
そして(重い腰あげてようやく)鉄王国滅ぼしてクライヴを守る的なことを言ってたくせに、なに裸で抱き合ってシヴァが吸い取られることを受け入れてるんだよ。同意なく自分の生き様・決意を奪われて強制的に守られることを許すなよ、もっとブチ切れてクライヴと戦うべきところでしょ。しかも裸で。裸ならいいんか?クライヴの自己満な身勝手も彼の優しさとして涙流して感動して受け入れるんか?
ただその場の雰囲気に流されやすいだけの人では??なんで替わりにこの件でジョシュアが殴ったん??
良いところでも書いたように、サブキャラはちゃんとキャラがあるんだよ。ディオンは父親に認められたいコンプレックスを上手く突かれて暴走、以降は国を壊してしまった自責の念で生きていくのも分かるし、ベネディクタは何も持たなかった出自から奪われる恐怖で力に固執、力を失ったうえにこの上ない陵辱を受けて精神的に崩壊するのも分かる。
「この生い立ちならこういう性格と結果になる」がサブキャラにはあるのに、なんでメインキャラにはないんだ。あんなに15歳〜28歳〜33歳まで生い立ちに尺使ってるのに。最終的な年齢は今までのRPGの主人公よりずっと私に近いのにそれでも全く共感できない。
ここでも映像がきれいすぎることが裏目に出る。人間の見た目はリアルなのに、そこにインストールされてるソフトは作り物のペラッペラ。映像技術にキャラの厚みが追いついてない。ただのイケメン展覧会、ひたすらPVをみてるだけの気持ちになる。
キャラさえしっかり練られていれば、実は「1 緩急がない」も「2 シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い」もクリアできるのである。 1は性格設定に基づいたコント的な会話で緩急はいくらでも作れるはず。同人誌があれだけ発達しているように、メインのシナリオライターでなくても、設定さえしっかりしていれば他の人でも作れる。
例えばだけど、FF10のメンバーでクレープ屋に行ったとするとリュックがどれも食べたくて選べなくて、ティーダがそれをバカにして、でもユウナが「うーん、確かにバナナかイチゴか選べないなあ」って言った途端にティーダが「俺のもあげちゃう!」って言ってリュックが「何そのえこひいきー!」とかとか、面白いのが書けるかは別としてある程度会話が想像できる。 FF7なんて、どん兵衛のコラボCMみたいなめちゃくちゃな世界観にキャラを置いてもちゃんとキャラが動くからすごい。荒唐無稽な舞台なのに、「確かにこのキャラはこういうことやりそうwww」という説得力がある。
が、FF16のメイン3人でクレープ屋に行っても「俺はチョコバナナで」「僕も兄さんと同じので」「私はイチゴ」くらいで会話が終わってしまいそうなのである。シーンにキャラを置いても全然イキイキと動き出さない。
2も性格設定に基づいてキャラが自然に動くなら、都合のいい展開もなくなる。世界設定に多少の矛盾があったとしても(あくまで多少での範囲だが)、キャラが魅力的ならシナリオも魅力的になって多少のことは目をつぶれる。
荒木飛呂彦先生が『荒木飛呂彦の漫画術』の中で、以下のように語っている。
> 実際に漫画を描くとき、常に頭に入れておくべきこと、それは、僕が漫画の「基本四大構造」と呼ぶ図式です。
重要な順に挙げていくと、①「キャラクター」 ②「ストーリー」 ③「世界観」 ④「テーマ」ということになります。
この四つは、それぞれ独立して存在するのではなく、互いに深く影響を及ぼし合っています。そして、これらの要素を増補し、統括しているのが「絵」という最強のツールで、さらにセリフという「言葉」でそれを補う図式となります。
つまり、読者の目に見えているのは絵ですが、その奥には「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」がそれぞれにつながり合って存在しているのです。この構造は、いわば、ひとつの世界の営み、宇宙とも言えるのではないでしょうか。
(2015年 荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』集英社新書 第二章 押さえておきたい漫画の「基本四大構造」より引用)
漫画はこれを1人でやらなければならないけれど(漫画家さん本当にすごい、、)、ゲームやアニメにおいても同じだと思う。
FF16はまさにこの裏返しで、まずは何よりメインキャラクターの作り込みが弱い。キャラクターが弱いからストーリー展開が不自然な点が多いし、緩急なくて苦痛を感じると世界観に没入しきれなくて、細かい設定の矛盾がどんどん気になってきてしまう。結果的に「人が人として生きる」というせっかくのテーマの説得力がなくなり、ただ言葉として置いてるだけのように感じてしまう。
で、それらを統括している絵だけが突出してめちゃくちゃ綺麗・リアルでそれ以外の厚みが追いつかず、宇宙のチグハグ感がすごい。
漫画でもゲームでもどんなメディアであっても、①〜④を作り込み、絵とセリフで統括して、これ以上ないくらい絶妙なバランスで宇宙をつくっているのがいいコンテンツ。コードギアスだったらCLAMPだし、ニーアオートマタであればゴシック調の耽美的な雰囲気と音楽だし、進撃の巨人だったら諫山先生のあの絵以外今やもう考えられない。
別の言葉でいえば、魔法にかけ続けられるかどうか。「このキャラはこんなこと言わないよね」とか「作業が多くて飽きてきたな……」とか「この設定矛盾じゃない?」とか、何か苦痛を感じる度に、魔法は少しずつ剥がれていってしまう。
完全に魔法が解けたあとは、全てがしらじらしく見えてしまう。
ジョシュアが殴るシーンにしても、Yahoo!知恵袋には「いいシーンですよね。何度も見返してます」と言っている人もいれば、「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って言ってる人もいた。前者は魔法が解けなかった人だし、後者は魔法が解けてしまった人。私は後者だった。FF16はどこかで魔法が解けてしまう危うさが多かった。
なんでこんな長時間かけてコンテンツ摂取するのかっていったら、魔法にかかりたいからなんだ。ジェットコースターみたいに上下して揺さぶって、時に笑って時に泣いて、続きが気になって仕方なくて睡眠時間削ってしまって、最初の頃に匂わせてたこの伏線はここにつながるのかーーー!!!!!ってあっと言わせてほしいんだ。
特に、FFみたいな巨大タイトルのナンバリングなら。頼むよ!!FF17頑張ってくれ。
性に関する常識がずれてるやつを減らしたいなら女をあてがえって話になるだろう。
でもたぶん女側もそういうやつがいたらいたらで自分を犠牲にしてまで減らそうとは全く思わないだろうし、童貞弱男側も「あてがわないなら好きにするよ」って感じで双方歩み寄る気なさそうだからどうにもならんよね。
というか童貞煽りも非童貞が童貞にない経験をしてこそ効くものなはずだが、世の女を見る限り経験済みの人間でもおっぱいすら触らせてもらえてなさそうだな。
生身の女とのセックスの醍醐味ってオナホや二次元と違って女の普段触れられないところに触れたりかいだりすることにあるのだろうが、
世の女がAVすら非現実的なものとしていて子作りのためだけにセックスを受け入れてるだけなら、こりゃもう自分でした方が気持ちいいんじゃねってなってくる。童貞煽りが意味を持たないのではないか。