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2008-10-29

http://anond.hatelabo.jp/20081028011307

ううむ、もうちょっと頑張って人文学を肯定して欲しかった……。

なお人文科学はそれ自身が人間研究テーマにおいており、表現する際に用いる言語数学(数式)ではないため、

言語的特性により自然科学的に正確に表現された状態にはなりえません。

ちなみにその特性を曖昧と呼ぶのはかなり正確な自然科学的表現だと思います。


文系は不案内なので、話題を文学に限定させてもらうけれど、

何かあると「曖昧」とか「揺らぎ」とか「多義性」で逃げるのは

文学の一番良くないところだと俺は思う。

あんまり曖昧さを放置すると、

「まあ曖昧だけどここはこう読むべきなんだよ。根拠? フィーリング!」とか

「なんか曖昧で俺には良く分からないけど、

とりあえず偉い人の書いた文章だから凄いんじゃね?」

という不健全な態度に繋がる。

むしろ文学は正確さを目指すべきだし、本当に凄い文学作品はかえって正確で、

これしかない! というふうに感じられる気がする。

それで、文学が正確に表現しようとしているものって何?

と聞かれれば増田がさんざん言っているように感情や人間性だと俺も思うのだが、

じゃあ感情とか人間性って何よ?

なんで(増田の主張によれば)自然科学還元論)だとうまく扱えないわけ?

という突込みが当然入る。

感情とは何かって、もちろん楽しかったり悲しかったりすることだ。

でも単に楽しかったり悲しかったりするだけなら、難解な文学表現なんて不要で、

単に「楽しい」「悲しい」とか書けば済む。

「悲哀計」みたいな道具があって感情が量れれば、

「俺悲しすぎて今朝360mmHgもあったよ」という正確な表現もできるだろう。

が、もちろん感情はそんな単純に扱えない。

なぜなら、それぞれの感情は全部独自の今だけココだけあなただけのもので、

コンテキストから切り離して(還元して)扱うことが本来はできないからだ。

例えば、

非モテ三十路越え男性が初めて女性に告白されたときの喜びと、

モテ20代前半男性が何人もの女性を乗り越えた末に理想の相手と巡り合ったときの喜びは、

それぞれまったく違う。

非モテモテというコンテキストを無視して

純粋な喜びだけを取り出すことはほとんど無意味だ。

で、文学が伝えたいのってそういう《ある感情(人間情緒)が他とどう違うのか》ということだと俺は思う。

その違いを表現するために、

小説みたいにコンテキスト(人物の過去とか考え方とか)と一緒にしてみたり、

言い方を色々変えてみたりする。

文学は違いを明らかにするものだ、と俺は思う。

で、翻って自然科学を見ると、目指すところがちょうど逆。

自然科学はむしろ、違うように見えるものの間に一般法則を探す、という考え方だ。

多種多様現実世界をより少ない(しかし十分な)情報量で表現できれば勝ち。

自然科学は同じところを探す。

で、文学自然科学も、方向は正反対だけど、同じくらいマジになって人間を探求していると思うわけだ。

それぞれ相反しているということも無いと思う。

自然科学が極まって、あらゆる人間の行動が予測できるようになったとしても、

それでも文学には価値がある、と俺は思う。

ぶっちゃけ小説だって最後まで決まった筋しかなくて、それでも感動できるんだし。

で、なんだっけ……国語の読解テストの話だった。(汗)

コンテキスト作品にもあるし、読者の側のもある。

読者は自分のコンテキストを使って作品を読み解くことになる。

コンテキスト同士をぶつけてその人だけの読解を作る。

その意味読書創作活動だし、読解した結果は創作物だ。

創作物だから、文学作品のように良し悪しを評価することはできる。

良い読みなら多くの人に共感されるだろうし、悪い読みなら否定される。

でも、だからといってテストのような方法で評価するのは多分間違い。

図画工作の授業で、先生と同じような絵を描いた人ほど高得点、という評価をするようなものだから。

本当は読書会のように、それぞれどんな風に読んだか・なぜそう読んだか、を話し合えれば良いんだろうけど、

大の大人でもなかなか難しいことだからなあ……。

最後に随分以前のエントリレスしてしまうけど(汗)

数学自然界にあるものを根底として、抽象化する作業であるのに対し、

数学は別に自然界なんか根底にしてないと思うよ。

実際は自然界をはるかに超越していて、現実世界に応用できるのはたまたま偶然。そこが数学の凄いところ。

物理学要請に従って数学進歩した例はあるけど、それでも自然界から独立した体裁を取り繕うハズ)

196883次元の空間で回転する球が……とかいう話をどこかで聞いて萌えた。

意味不明だが萌えた。(笑)

連日の長文スマソ。

2008-07-26

物理オタが非オタ彼女物理世界を軽く紹介するための10人

via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220

まあ、どのくらいの数の物理オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない物理世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、物理のことを紹介するために

見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女物理布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うマニアックな人物は避けたい。

できれば伝記が出てる人物、少なくともブルーバックスレベルにとどめたい。

あと、いくら物理的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

物理好きが『ケプラー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

物理知識はいわゆる「ブルーバックス」的なものを除けば、中学校程度の物理は知ってる

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。

アルバート・アインシュタイン

まあ、いきなりかよとも思うけれど、「アインシュタイン以前」を濃縮しきっていて、「アインシュタイン以後」を決定づけたという点では

外せないんだよなあ。知名度もあるし。

ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

情報過多なアインシュタインの業績の数々について、特にリーマン空間上の時空の幾何学という数学的側面が強い一般相対論について、

どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報彼女

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」試験としてはいいタスクだろうと思う。

アイザック・ニュートン

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな物理学者(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

物理オタとしてはニュートン力学万有引力法則は“常識”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

スティーブン・ホーキング

ある種のSF物理オタが持ってる時空制御やタイムトラベルへの憧憬と、一方で時間順序保護仮説を唱えるオタ的な理論物理へのこだわりを

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもSFオタ的な

「一般相対論破綻」を記述する特異点定理

量子力学重力統合」を提唱する量子重力理論

の二つをはじめとして、オタ好きのする理論世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

ジョン・フォン・ノイマン

たぶんこれを見た彼女は「モーツァルトだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

これほどの変態的天才がその後続いていないこと、これがアメリカでは軍事への貢献で大人気になったこと、

数学から経済学までのあらゆる分野に影響を残した天才ぶりはアメリカなら実写テレビドラマになって、

それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、

日本国内でこういう天才が生まれないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

ジェームズクラークマクスウェル

「やっぱり物理は目に見える自然現象を説明するためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「アンリ・ナビエ」

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、電磁気学にかけるマクスウェルの思いが好きだから。

(以下思いつかねえ)

レオンハルトオイラー

今の若年層でオイラーを目指す人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

量子力学よりも前の段階で、力学現象を解析的に取り扱う哲学位相空間の技法は彼で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティ物理学者数学者の片手間でこの時代に生まれていたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく物理好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆるニュートン力学でしか物理を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

アマリー・エミー・ネーター

(還元論的)物理の「本質」あるいは「原理」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「あらゆる基本的な物理量は保存する」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそ理論物理学の最も基本的な量はハミルトニアン以外ではあり得なかったとも思う。

複雑系を取り扱う新しい物理」というオタの感覚今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源はハミルトニアン(時間並進対称性に起因する保存量)にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に対称性と保存量の美しい関係を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。

エドワードウィッテン

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう純粋数学チックな物理を元文系の天才物理学者が推進していて、それが非オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

リチャード・P・ファインマン

9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファインマンを選んだ。

アインシュタインから始まってファインマンで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、場の量子論以降の

素粒子物理時代の先駆けとなった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

10人は疲れるなこれ…。穴だらけだわ。そういう意味では元増田すげえな…。

ディラックとかハイゼンベルグとかシュレディンガーあたりを入れたかったが入らなかった。

あと湯川秀樹朝永振一郎も入れたかった。

 
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