はてなキーワード: 読書会とは
夜な夜な頭おかしくなりそうになるので、俺はどこに行けば良いか誰か教えて欲しい。
では、状況説明。
大学時代は毎日友人に囲まれ楽しい日々を送っていたけれど、卒業と同時に友人は各地へ散ってしまい、大学のあるこの地に残ったのは俺一人。
就職するも、会社の連中はクソばかり。クソばかりっていうのは、口を開けば「あのビジネスモデルが……」とかなんとかそんなクソみたいなことしか喋らないってこと。俺はもっとアホで神聖な話がしたい。
ちょっと頑張ってバーに行ってみたんだけれど、隣のおっさんに「この間京都観光行ってきたんだ〜。これがその時の写真」とかクソほど興味もない写真をクソ見せつけられただけで、俺はクソみたいな苦笑いを顔に塗りたくる羽目になって全くクソだった。
夜な夜な思う。最後に楽しい会話をしたのはいつだろう。話し相手は会社の上司だけ。俺が口にする言葉は「報告です」「質問です」「相談です」この三種類のうちどれかだ。もちろん、俺は言ってる楽しい会話というのは報告でも質問でも相談でもない。そんなものはどれもクソだ。
唯一クソではなかったのは読書会だった。あれは楽しかった。けれどもコロナで開催されなくなってクソだ。
オンラインでもやっているみたいだけれど、オンラインはクソだと思っているので参加していない。
やっぱコロナがクソなのかもしれない。
会社の連中はクソだと決め込んでいる俺がクソなだけかもしれない。
そもそも俺みたいなのがどこかに行ったところで、同じく寂しさを抱えたクソみたいなおじさんとクソの舐めあいをするだけなのかもしれない。
オンラインはクソだとか言ってないでオンライン読書会にでも参加すべきなのかもしれない。
楽しい会話には相手と何かを共有しているという相互了解が前提としてあると思うんだよね。
今の俺が何処かへ行ったところで、他者と共有できるものは寂しさだけ。
今の仕事に多大な不満を覚え、自分を変えてみようと行動して見ることにした
たくさんの本を読んだ、とも呼べない冊数だけれども、なんとなく読書会で出会った人たちが言いたいこと、伝えたいことは分かった(ような気がする)
人生は既に100年時代に突入していて、老後にもらえる年金だとか、今までに稼いだ貯金だとかじゃまともな生活は送れない
自己防衛おじさんが言っていたことをネタとして笑う人は多いが、その本質を深刻に考えている人はどのくらいいるだろうか
少なくとも、会社という組織に所属して給料をもらい続ける、そういった生活をすることに対するデメリットの数は計り知れない
あと40~50年も同じことをし続けるのか、顧客と会社に板挟みになって、毎日頭を抱えながらやれ「責任」だの「実績」だのを求められる
それなのに、生涯年収は1億にも達せず、老後抱えている貯金額はおそらく1000万も無い
幸せな生活ってなんだろう、どうすれば人生を楽しく過ごせるんだろう
考えても考えても、わからない
帰ってくる言葉は、「本を読み続けろ」「自分で考えろ」そんな言葉ばかりだ
答えを教えてくれなんて甘えたことは言わない
けど、あの人達は結局、自分達より劣等とされている人達をあざ笑いながら自分の立場をアピールしているだけではないだろうか
行動したくても、できない人は多い、だからみんな不満を抱えて生きている
みんなまともな頭をしているなら、みんな積極的で挑戦的な行動ができるなら、日本にはこんなにも暗いイメージが寄り付いていないはず
たった少数の「勝ち組」達が、できない人間に対してあたかも「できるようになる方法」を伝授している「ように振舞る」
なんなんだこれは
こういった文句すらも、「自己責任」や「やる気のなさ」の一言で片づけられる
あぁ正解だとも、そういう「勝ち組がダメな人間とレッテルを張る者たち」でこの国は構成されているからな
Fランク大学とか、大して儲かってない中小企業とかに努めている人間みんなそうだ
分かってんだよそんなこと
当然じゃないか
頑張る方法を知らないから、どうすることが最善なのかわからないから
いつまでそんなことを繰り返せばいい?読み続けた先に、答えはあるのか?
ただ、一つだけ確かなことがある
仕事はAIに乗っ取られ、アジア諸国にも乗っ取られ、求められる仕事はクリエイティブでセンスの求められるものだけになる
ますます無能には人権がなくなる、居場所がなくなる、人として生きる「価値」がなくなる
そんな世界が待っているんだ
本はある程度読むと「絶望」を感じるようになるらしい
ただ俺は、本をある程度読んだ結果「絶望」を感じているわけじゃない
「どんだけ読もうが、どんだけ努力しようが、それでも幸せになることは無い」という事実に絶望を感じている
なぜなら、今世の中にありふれている「正しい努力をしない人間の一人」であることを自覚しているからだ
この書き込みを読んで、今からでも危機感を覚えて活動しようと思った人はどのくらいいますか?
具体的に、どういう目標をもって、どういう行動をするか本気で考え、それをずっと「継続」させることはできますか?
・・・結局、誰も本気で考えようなんて思わないだろう
考えたところで、正解を導き出せる人間は極僅かだろう
コロナが流行ってみんなが引きこもるようになり、友人と会話する機会が増えた。
もともと自分は在宅でたまの事務的なやり取り以外ほとんど他人と接触することのない仕事をやっている。
別に他人と話すのは嫌いではないというか、むしろ好きなのだけれど、口からことばを吐き出さないと死ぬといった性分でもないうえにそもそもが極度のめんどくさがりなので、対人関係にコストをあまり払わなくていい生活に落ち着いてから、気づいたら一週間誰とも喋っていないのがしょちゅう、そんな日常になっていた。
ところが、最近は友人とよく話す。
discord、 zoom、skype といったアプリを通じてオンライン飲みや読書会やゲーム会やただの雑談に誘われまくる。
コロナ以前の彼らとは主にSNSやLINEを通じた文字ベースのやりとりを交わしていたのだけれど、今はむしろ音声会話の比重が高い。
おそらくずっと引きこもり自粛生活を強いられるのは相当なストレスなのだろう。
家庭持ちならパートナーや子どもと話せるじゃんと独り身の自分などはおもうのだが、そういうひとたちもやはり「外」と接触できないのは不満らしい。
ゴールデンウィークも連日ずっと友人たちと駄弁っている。
ひょんなきっかけから友人の友人まで参加したことで、うかつにも交友関係が広がりさえした。
なんというか、コロナのおかげでちょうどいいかんじに楽しく過ごせるようになってしまった。
よく考えればコロナのおかげというより電子機器類と通信技術の発展のおかげというべきだろうし、たとえコロナのおかげだとしても自分が申し訳なく感じる必要はないのかもしれないが、それでもうっすら後ろめたさのようなものを抱えてしまう。そんな今日このごろである。
とあるIT系の勉強会イベント後に交流会があったので、初めて参加した。
私が悪かった部分もあるのかもしれないので、是非とも指摘していただきたい。
私自身はIT業界で仕事を数年している、底辺エンジニアである。
実務に関係がない分野にはなかなか仕事以外での勉強がおろそかにしがちな性格をしていて、これじゃあダメだと思って仕事終わりに行けそうなイベントや社内外の企業イベントには月1参加するようにしていた。
会社のお金で出たイベントはレポートを書き、個人で出たイベントはブログを書き起こした。
自己満足なやり方で自身のIT分野への関心を広げる機会を増やしていた。
昨年の秋、初めてイベント後の懇親会に参加した。
とあるテーマに対して有志が発表し、そのあとに簡単な立食形式の交流会があるというよくある形式の勉強会イベント。
今まで時間的な制約でイベント後はさっさと帰っていたが、今回はスケジュール的にも余裕があり、何よりもテーマに強い関心があったので参加をすることにした。
結果は散々だった。
近くにいた人に話しかけたのだが、あいまいな返答しかしてもらえない。
イベントのテーマの話をしても「いや、わからないですね。」という返しが中心。
もちろん、テーマに対して関心はあるが技術的な知識はほとんどない、というケースはOKだと思うが、今回の発表内容に対する感想や自身だったらどういうことがしてみたい、という意見すらない。
やけに元気でいろいろな人から意見を聞いていると思ったら、IT技術の知識が皆無の大学生がIT業界の何が楽しいかを聞いて回っているだけだった。
「来年からIT業界に就活しようと思って」「どんな感じなのかを見てみたかった」
そうか、、、
あと数か月してたらみずほ銀行システム統合の本を差し出して逃げられたのだが、その時はただただ苦痛だった。
みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史 史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」
1,2の人から逃げるように場所を移動したら別の人に声をかけられた。
その人はテーマに近い仕事をしている人で、情報共有や感想については楽しく話せた。10分は。
話が盛り上がってきたと思ったとたん、「あなたは面白い」「読書に興味があるか」「今度読書会があるので連絡先を教えてほしい」と話の本筋から離れたことを話し始めた。
コロナ流行で、週末家から出ずに楽しめる事を100個考えてみた。
1.映画を観る
3.まだ見た事のない海外ドラマを見る
4.動画を見る
12.食べる
13.料理をする
14.麺うちをする
15.パンを焼く
16.ケーキを焼く
21.プログラミング を学ぶ
22.アプリ開発
25.漫画を読む
26.漫画を描く
27.本を読む
30.絵を描く
32.作曲
34.大掃除
35.DIY
35.ガーデニング
36.レゴ
37.ナノブロック
38.プラレール
40.マインクラフト
43.机上旅行
44.編み物をする
45.刺繍をする
46.服を作る
47.作ったものを売る
48.マッチングアプリ
50.仕事
50個しか思いつかなかった。
あと誰かよろしく
追記 --------------
51.ヨガ
52.ビリーズ・ブートキャンプ
54.ピタゴラスイッチ
55.株
56.レザークラフト
57.タングラム
58.数独
60.フォトアルバム作り
61.手紙を書く
62.絵手紙を書く
63.ディアゴスティーニ
64.トランポリン
65.内職
66.ギネスブックに挑戦
70.LINEスタンプを作って売る
71.オンライン同時上映会
72.寝る
73.蘇を作る
74.資格を取る
77.猫
78.ネイルアート
80.電子工作
81.アマチュア無線
82.シルバークレイ
83.包丁を研ぐ
84.VR
85.ジグソーパズル
86.金継ぎ
88.落語を聞く
89.部屋の模様替え
90.消しゴムハンコ
93.ポイ活
94.アクセサリー作り
95.HITT
ブコメ参考になりました。
レザークラフトで靴作り羨ましい。オンライン同時上映やってみたい。どうすればいの?
自分は全裸でトランポリンしながら念願のウクレレをはじめてみようかと思う。
自分は病気で8ヶ月自宅療養したことがあって、その時は暇と孤独で発狂しそうだった。
考えてみたらこれだけたくさんの人が同時に家に引きこもって同時に暇になるってすごいことなんじゃないのかなあ。
ドアを開けて、どこにでも好きなところに出かけられるのってすごいことだと思うよ。
あと5個、誰かすごいのよろしく。
追記2——————————-
これで最後。
ちょっとオーバーしちゃったけどダブってるのもあるしまあいいか。
112.何もしない
と言うか学校が休校になった小学生がオンライン将棋をやったらその中から第二第三の藤井聡太くんが出てくるのでは?
良い女と良いセックスをしたい。
飯を食うとか、仕事するとか、俺のありとあらゆる行為の理由はコイツだ。
良い女、とはどんな女だろうか。肩ぐらいまでのショートカットであるとか、屈むと2リットルペットボトルがぶら下がってるみたいになるタイプの巨乳であるとか、下着には自分なりのこだわりがありますだとか、色々あるけれど、とにかく一緒にいて楽しい女、のことを言う。
良いセックス、というのはどんなセックスだろうか。良いセックスには良いストーリーが必要だ。大阪の道頓堀だとか京都の河原町だとかにあるひっそりしたバーで偶然隣りに座った女と好きな小説の話で意気投合。そのうちお互いの悩みだとかを話し合い、今までの恋人の良かった所、悪かった所、両親の変な癖だとかをざっくばらんに話していくうち、向こうはどんどん機嫌がよくなって最後に「なんだか、すごい楽しいわあ。明日も休みだし幸せー!」なんてすごい嬉しそうに満月のようににっこり笑った後、突然雲が掛かるみたいに妖しさを含み始め、そっと低いトーンで「この後どうする?」なんて囁かれ、そのままさっさと会計済ましてラブホにホテルに行き、ぐっちょんぐっちょんになった後、始発に乗るために誰も居なくなった早朝の繁華街を二人で歩く、みたいなのが理想のストーリーである。
俺はそんな良い女との良いセックスを求め、マッチングアプリに登録した。何人かの女性と会い、実際にセックスまでした事もあったが、良い女との良いセックスなんてのは一切無かった。
マッチングアプリで出会い、簡単にセックスできる女とは、つまらないセックスしかできなかった。こういう女には面白い共通点があって、会う前に「私ブスだけど良い?」とか「私太ってるけど大丈夫?」とかそんなことをご丁寧に確認してくる。当時俺はよくわからなかったからとりあえず会ってみたけど、本当につまらないセックスしかできない。これを読んだ男はよく覚えておくと良い。
まず勘違いしないで欲しいけど、ブスでもデブでも良いセックスをする女は居る。つまらないセックスというのは、その最中に俺の身体が突然バイブか何かに変わったとしても、相手はそのまま喘ぎ続けているんじゃないだろうかと白けるようなセックスのことだ。ま、仮につまらないのが目に見えていてもセックス出来るならするけどさ。
マッチングアプリに見切りをつけた俺は、次なる戦場として読書会を選んだ。細々と活動している小さな読書会だった。課題図書も面白そうだし、なにより場所が道頓堀の近くだったため、俺は良い女との文学的で良いセックスに想いを馳せながら読書会へと向かった。
読書会に参加した俺は、皆思い思いに感想を述べる女達の良さにグッときつつ、反省していた。読書会は非常に、本当に、心の底から楽しかった。それは純粋に読書会を楽しんでいる参加者や、楽しい会にしようと努めている運営の方々のお陰であり、そんな中セックスどうこうなんて考えていたのが、本当に失礼だと思ったからだ。俺はクソだ。
読書会が終わり、一人夜の道頓堀を歩く。俺も結局、セックス以外に自己確認の手段がないつまらない男だ。 良い女は俺なんかとは遊ぼうだなんて思わないだろう。マッチングアプリをやっている良い女は俺のつまらなさを易々と察知したことだろう。良い女は良いセンスも兼ね備えているので敵わない。
良い女と良いセックスをするには、当然だがなによりも自分が良い男でなくてはならない。どうしたら良い男になれるのだろう。だが、良い男になろうと思って何かする時点でクソみたいな男にしかなれないということだけはハッキリとわかる。結局は才能と運だと俺は思う。本当は運も才能に含まれるのだけど、才能だけっていうのはあんまりな気がしたからそこは分けた。
俺も、マッチングアプリに蔓延るクソみたいな女も、才能と運が足りなかった。悲しいな。一杯飲もうぜ。なぁ、セックスしよう。いやいや、君は自分が思っている以上に可愛いって。特に目元とかキュートだ。こんなしょーもないメンタルのままじゃお互いダメだろうけど、最近なんか寂しいし、今日くらいはええやん?
道頓堀の街は賑やだ。なんばへ向かう通りはラブホテルが何件も並んでいる。カップルが目の前でラブホテルへと入っていくのを何度も見た。彼らの何組かは今晩、良いセックスをするだろう。俺はせめて良いオナニーをしてやろうと心に決めた。
こんな記事があった。
https://anond.hatelabo.jp/20191223173808
私はこれでも年に300冊以上の読書をしている。仕事上読む必要もあり、かつ、実際はゆっくりと文学作品を読みたいがために、速読術をマスターした。
たいした学歴もなく、IQも人並み程度であろう私の速読術を披露してみたい。
みんなの参考になればうれしい。
なお、この無能力者でもできる速読術は「慣れること」がとても重要である、ということをご理解願いたい。
【前提】
味わって読む本は除外してください。それはゆっくりと愉しめばいい。(といっても、速読に慣れると、文学でも速く読めますが)
ただし、アリバイ的に(自慢の為、読書会が近い等々)文学作品を読まなければならない場合は、速読でもいけます。
②「本なんて重要な箇所は本の数行、数ページだ」と達観する
「本」というものは、結論だけ書いてしまうと、薄い本になって大した儲けがないので、ページ数を稼ぐため文章が長くなっている。
・・・ということをどれだけ自らに信じ込ませられるか。
【基礎】
対象の本を、何分で読まなければならないのか決める。
そして、決めた時間以上読まない。
どうしても読みたければ読んでもいいが、緊張感をもって読んでほしい。
目次をざっとみて、ペース配分をしておく。
10分と制限時間を決めたら、本の前半半分を4分、後半を6分と配分しておく。
数字式の時計ではなく、パッと見てペースがわかりやすいのは針の時計がよい。
【実践】
①「読む」のではない。「視線」を文字・文章に当て滑らせていく
これが難しい。
最初は文章を読もうとしてしまう。頭に内容が入らなくても、入っても、どんどん目を次の行に動かしていく。
大したことは書かれていない。たから、大雑把なイメージを掴むためのヒントだけを、収集していく感じ。
慣れると、2~3行まとめて視線を滑らせることができるようになる。
もちろん、内容はざっくりしか入ってないが、これでOK。
②章ごとに内容をざっくり総括する
読んだ内容を章ごとに、2行程度の文章に、ざっくりでいいのでまとめてみる。
例「著者は、〇〇という行為は、×××という理由から、効果がないどころか、有害であると結論している。その一例として▼▼▼の事件をあげている。」
程度でよい。
この「まとめ」が結構重要。まとめを伝える相手がいないとしても、その相手を想定して、自慢するつもりでまとめるとよい。
「俺、こんなに速く読んで、内容もバッチリ理解できてるよ。本なんて、この程度、ざっくりわかればいいんだ。速く読むことが大切だ」と。
私の場合、かつて仕事上で、関係書籍を速く読む必要があり、部下とともに一日に3~4冊を読んでいた。
部下から「そんな速く読んでも内容がしっかりわかるなんて、すごいですね」と褒められるのが楽しくて、速読術が身についたと言ってもよい。
互いに内容を伝え合い、褒め合った結果、やがてその部下も速読ができるようになった。
③ゆったりとした姿勢ではだめ。緊張感をもって読む
「立ち読み」「浅くイスに腰掛ける」など、軽い運動をするような緊張感の中で速読をする
短時間で読み終わって、コーヒーを飲むとか、休憩するとか、タバコを吸うとか、それを楽しみにするなど、メリハリをつけて速読をすること。
④ともかく進む
時間があると思うな。
制限時間になってページをめくれてなかったら「殺される」という緊張感でひたすら視線を走らせる。
内容なんて二の次。読むなんてもってのほか、という気合ですすむ。
なんと、こんな読み方でも、頭に内容が残るようになる。
1週間後に頭に残っている内容は、時間をかけて丁寧に読んだほうが多く残っているかもしれない。
実際は私もそうです。
しかし、1ヶ月後、1年後は、速読のほうが頭に残っているから不思議だ。
どうも、「制限の中で緊張感をもって、かつ誰かにざっくりでも内容を伝えないとならない」というふうに読むということが大切らしい。
【速読に慣れると】
本当に速読ができる人は、カメラでページを写すように一瞬で映像が頭に残り内容も把握できるらしい。
ですが、私のような無能者であっても、1冊20分で読めれば十分。
学校司書の仕事には、一般的な図書館で発生するような、資料の貸出・返却などカウンター業務やリファレンス、棚に戻す配架業務などがあります。そしてさらに、児童・学生を対象とした学校司書ならではの業務が加わると考えてください。
カウンター業務
カウンターでは、貸出・返却の手続きはもちろん、生徒たちからの問い合わせに答えたり、資料の検索をしたりする、いわゆるリファレンス業務があります。
生徒たちは一般の利用者と異なり、「自分は何のために、どのような資料が必要なのか」が自分自身で整理できておらず、漠然としていることがあります。「夏休みの宿題として」「社会科の調べ学習で必要」「レポートを書くための下調べ」「単純に興味がある分野だから」など、様々な理由で図書館を訪ねてきます。いきなりパソコンに向かって検索するのではなく、きちんとインタビューをして「何のための資料探しなのか?」を知ると、ぴったり合う資料を提供できますよ。
また、学校の先生たちも、授業で使う資料やネタ探しに来ることがあります。
生徒や先生の質問に的確に対応するため、どの教科書で、今はどんな内容を扱っているのか、どの先生がどんな課題を出しているのかを常に把握しておくことも大切です。日頃から、先生たちともコミュニケーションを深めておきましょう。
資料管理
司書の業務として、資料の購入・廃棄などの管理業務があります。
予算の限りがあるので難しいことも思いますが、全学年の生徒が読めるような資料がバランス良く棚にあるか常に把握して選書(購入する資料を選ぶ作業)をする必要があります。例えば、小学校1年生が読むような本ばかりでは、高学年の生徒は退屈して読むものがなくなってしまいます。逆に漢字が多かったり、難しい言葉を使っている資料を、低学年の生徒は読めません。もちろん、自然、科学、歴史、芸術、昔話、エッセイなど、各ジャンルの資料がある程度そろっていることが望ましいです。教科担当の先生がいればよく相談をして、購入する資料を決めるのが良いでしょう。
子どもたちが読む本にも流行があります。これをある程度把握して棚に揃えておくと、子どもたちが図書館に来るきっかけにもなります。とはいえ、昔から読み継がれている名作や古典の良さもあり、読む力がついてきた生徒にはぜひ勧めたいので、古くなっても廃棄資料に回らないよう十分に気をつける必要があります。どうしても状態が悪くなってしまった場合は、新品を購入可能か確認してからが良いでしょう。
その他の業務
生徒たちが本に親しみ、図書館を利用するように、図書館外での能動的な活動も必要になります。
読み聞かせや読み語りは、読書が苦手な生徒にも物語の世界を体験してもらう機会になります。民話などの内容を全て暗記して語って聞かせる「語り」など様々な形態があるので、自分に合った方法を選択してください。
ブックトークという、1つのテーマに沿って本を紹介していく方法もあります。物語に限らず様々な資料を連続して紹介でき、生徒たちの好奇心をかき立てる効果があります。
また、小学校高学年以上になれば、生徒たちがお互いに本を紹介することもできるようになっていきます。代表的なのは、課題の1冊を決めてその内容について語り合う「読書会」ですが、各メンバーがおすすめの本を持ち寄ってプレゼンし合う「ビブリオバトル」も流行しており、生徒たちが読書を楽しむ場を企画・提供する実行力が司書には求められています。
また、「調べ学習」の図鑑などを使って調べ物をする需要も増えています。百科事典の使い方や、辞書・辞典の引き方をレクチャーする機会もあるので、スムーズにできるようになりましょう。
学校によっては、新刊案内や図書館だよりといった印刷物を作成・配布する場合もあります。図書室に来る習慣がない生徒たちも興味が持てる情報発信を心がけて行います。
読書会に行くことをきっかけに不定期イベントなどに顔を出すようになった。
本が好きな人が集まって「この本のこういうところが好き」ということを語り合うと、好きがどんどん加速していくようになった。
読書会に慣れてくると、人との集まりに顔を出すのが楽しくなった。
のめりこみやすい人ならば、ボードゲームの会なども熱中するかもしれない。
人慣れしてくると、時間があるときにはfacebookで適当なイベントを探して顔を出すようになった。
「人との話し方」みたいな本もそれなりに読んで、一緒にいる人と楽しいという雰囲気をみんなで作り上げるよう心掛けている。
ポイントの一つは、心に負担をかけすぎない、体に負担をかけすぎない、ということだ。
私自身はゆる体操というものをやっているが、ヨガなどの身体を動かす楽しさを知っていると、心の負担も軽くなる。
そうしていくと、知らない人に会うだとか、人間関係を深めていくとかがいつの間にかすんなりできるようになってきた。
恋愛や結婚だけにとらわれると、恋愛対象になりうる相手とそうでない相手とに無意識に違う態度をとってしまうことがあったので、今思えば反省している。
そうしていくうちに、私のことを高く評価してくれている人から相手を紹介していただいて、40代にして人生初めて女性と交際をしている。
自分は決してリア充だったことなんてないし、大学なんて究極ボッチだった。
でも30過ぎてから色んな社会人サークルに参加するようになって、こんな自分でもこんなに人間関係作れるんだって感動したんだ。
でもさこういうのって都心に住んでるから参加できるのかなって思うわけ。
自分も20代の頃、仕事で地方都市に住んだんだけど、やっぱ車社会って侘しいよね。
ためしに「地方都市、読書会」で検索したけど、ホントヒットが少ない。
それで地方の若者がイオンがないと生きていけない。遊ぶ所がないっていうの?
それはさ、地方が貧しいんじゃなくて、地方の発想とかコミュニティがないなら自分で型を破って作ろうって行動力に乏しいだけじゃん。
今でも地方はそうなのかな?
学歴あるなら(勉強できるなら)、学習支援系のNPOボランティアさがせばいいと思う。塾行けない家庭の子とかの勉強を教えるボランティア。
自分はここに所属して友達作った。関西のNPOはどうなのか知らんけど、首都圏なら探せばあるのでは?
あと、何でもいいからはてなブログやった方がいい。趣味のこと、孤独だけど友人が欲しいことを何かしら書けば、若い女性で貴重だし同性の(異性も)読者ができると思う。
名前の横に(読書と趣味)と書いてフォローすると、同じ読書垢の人がリフォローくれる。読書垢はリフォローつきやすい&女性が多いので仲良くなりやすいイメージがある。
読書垢で1年ほど活動したら、自分で読書会(カフェで5人とか少人数で)開いてもいいわけだし。
Twitterとはてなブログはネット友達を作るのに現状最良のツールだと思う。
これだけやれば何かしらの友達ができるはず。ネット上でも話せる人ができたら孤独感がやわらぐよ。
はてなブログ作ったら読むから教えてくださいな (id:akihiko810)
先日ツイッターでこの記事が流れてきて読み、ずっと心に引っかかっていたので筆者さんが読まれることがあるかはわからないですが、一人の異性の立場から気になったことを書かせていただこうと思いました。
大きなお世話と思われるかもしれませんが、筆者さんを批判するつもりも、書かれてあることに対する怒りでも、男性批判でもありません。
>昔は女が憎くてたまらず(それなのに優しくされたくてたまらず)ネットで女叩きをしていた。
筆者さんをかつていじめた「女」や、「弱者男性」が「敵」とする「女」以外にも社会には女性が存在しています。
ネット上や現実世界で、女叩きをしている人が叩く女性は上記以外の女性であることが多いように思います。
自分が危害を加えられたわけではない、“ただ自分が憎い「女」”という性が当てはまる、叩いたところで自分に危害は及ばない、自分が傷つくことのない相手を選んでいませんか。
憎い「女」を叩くことで、「弱者男性」と近い立場にある女性(いじめを受けた、容姿に恵まれない、男性に危害を加えられたことがある、貧困でギリギリの生活をしている…)を傷つけているかもしれません。
(坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかもしれませんが)
「優しくされたい」「支え合う女」
とはどういうものを望んでいるのでしょうか。
自分と近い価値観を持っている相手と話をして、相手に自分を理解して欲しいのか。
お互いに尊重しあえるような相手と、支え合いながら生涯を共に生きていきたいのか。
自分にとって都合のいい、自分の心を癒してくれて、自分を認め受け入れて生活面でも性的にも望むことをしてくれるアイドルのような若くて可愛い美少女を求めているのか…
とありますが、
「恋愛」や「性欲」を一旦置いて、日常で関わる女性を「女」ではなく自分と同じさまざまな内面をもつ一人の人間として向かい合うことで、
また筆者さん自身が女性や社会に対する考え方や認識を少し変えてみることで
「結婚」はわからないですが、受け入れてくれる女性に出会えるかもしれません。
「おっさんが嫌がるおっさん」を女性は嫌がらないのでしょうか?と、疑問が湧きました。
「男が怖がる男」も怖いですが、「男を怖がる男(筆者さんや女叩きをする男性)」も
(私自身低身長なので性別問わず小学5年生以上なら襲われたら負けると思うので
>男同志の関係が築けていたなら、多分女なんてどうでもよくなる。
女を叩いてる時間、そのコミュミティだけは同性の強い肉体を持つ仲間がいるんだ。
「女叩き」が女性を叩く男性間の共通言語というか、コミュニケーションツールとなって、それをしている間は気持ちが繋がることができるんですよね。
「敵」を攻撃することで繋がる関係じゃなくて、もっと前向きで明るい関係を、同性とも作れたほうが筆者さんの気持ちにも将来にも良いような気がします。
>男は怖いが男を怖いと言ってはいけない気がした
男が怖い男性はたくさんいると思うので、現実で言うのは相手を選ぶと思いますが、ネットやSNSで誰かを攻撃するためではなく、自分や自分と同じ気持ちを持っているかもしれない他人のために、素直な気持ちや考えたことを吐露することはどんどんしたらいいのではないでしょうか。
憎しみを、他人を攻撃する原動力にするのではなく、自分を含めた将来の社会のために使えたらいいなと思います。
余計なお世話ついでに、本読みませんか?
本の世界は負け犬(この言葉は好きじゃないけれど)のために書かれたものや、
世間の言うところの負け犬が書いた本が古今東西山のようにあります。
文学なんてなんの役にもたたない、と思われるかもしれませんが、自分と同じようなことで悩みながら生きてきた人を世界中の様々な時代に見つけることができるかもしれませんし、自分以外の人間の視点で世界を見ることができます。
それによって今までとは違う価値観が生まれるかもしれないし、少しでも筆者さんが生きてゆく力となるかもしれません。
差し出がましいのですが少しだけ筆者さんに私が勧めたい本を…
・整形前夜(穂村弘)
・蚊がいる(穂村弘)
・もうおうちへかえりましょう(穂村弘)
・プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年
(アンウォームズリー)
・見える光、見えない光(朝永振一郎)
長々とすみません。
お前ら超叩いてる。当然だ。
でもさ、最先端は朝活とか読書会とかっていう名前でリアルにやっている。
オンラインで月額¥3,000とかでやってるのはお前らが超叩いてくれてるから、普通のネットリテラシーがあれば引っかからないだろう。
でもさ、朝活とか読書会ってのはリアルで5-10万円を巻き上げるみたい。
そんで、親玉の高額セミナーを何回も受けて、認定資格を貰えると、自分でセミナーを開いていいのでそれで儲かりますよっていうネズミ講。
当然上納金が発生するわけでしょう。
アムウェイとかこういうやつの子ネズミ達っていうのは、ネズミ講だっていうのをわかっていて、それを利用して一儲けしてやると思ってやっているのだろうか。
でも、そうだとしたらさ、増田式超速読術とかって何か適当に変えて自分が親玉になってやればいいじゃんね。実際に何とか協会とかいうのが乱立しているんだし。
子ネズミになったところでカモられるだけ。
それとも、こういう読書術ってのに心酔しているんだろうか。でもさ、お前ら凡人がちょこちょこっとセミナー受けただけでできるようになる読書術に何万も払うようなバカが世の中にそんなにいっぱいいるわけないだろ?ネズミ講はネズミが無限にいなきゃ破綻するから禁じられているんだぜ?こういう人達が老人になるとおれおれ詐欺とかでもカモられるんだろうな。
正直、条件が先に来る婚活では、アラフォー女はかなり不利だと思う。
男女逆でもそうでしょ?
既に好きな相手や付き合ってる相手なら、多少ださい服で安めの居酒屋でもいいけど
初対面のお見合い相手だと、ちょっとでも変な服だったら「あ、2回目はナシだな」って即切りがち。
というか、婚活の場合、条件に少しでもマイナスがあると、マッチング自体しなくなったりする。
そういうわけで、先に条件云々より、男友達や知り合いを増やして
その中でお互い気が合う人と関係を深めたほうが、建設的なんじゃないかなと思ったり。
婚活だと、値踏みされ、お断りされ、が続いたりするとほんと気持ちが折れるというし。
できれば、女性だらけのホットヨガとかじゃなく、男女比が同じか、男のほうが多そうなもの。
自転車や、興味があれば車やバイクとか、スポーツ観戦サークルとか、インドアなら読書会とか。
酒飲みなら、よさそうな店で常連になったりとかもアリかな。
自分もアラフォーで、既婚子無しなんだけど、夫婦で近い趣味があるとなかなかいいよ。
2人で趣味の話とかしたり、出かけたりできるし。
子供がいない分、2人で何かするって事があったほうが、仲良くいられる気がする。
文系か?迷わず読書会にいけ。学問と向き合う上で他者との視点共有や議論がどれだけ実りあるか理解してないと見える。発表をぼけっと聞いて、何か一つだけでも質問するだけでもいい。研究畑で真っ先に潰れていくのは大抵孤立した奴だ。テクストはお前の孤独を癒してくれやしないぞ。
大学を中退し、ニートをやったりブルーカラーの労働をしたりしていたが、どうしても学歴コンプを拭い切れず、前からやりたかった文系の学部に編入した。
友達ができないのも、まともな就職が望めないのも覚悟していたので大きな問題ではない。
しかし、編入して8ヶ月が経ち疲れが出てきたのか、最近活字が頭に入って来ずしょっちゅうゲシュタルト崩壊を起こす。
勉強が滞ると、三十路を前にしていよいよ自分は一体何をやっているのかと追い詰められてくる。
周りを見ていれば、勉強したい連中は読書会なんかをやっているし、そうでない連中はウェイウェイやっている。
歯を食いしばって一人でテクストと向き合えば山を越えられるのだろうか。
地下鉄の駅を出て路地を入り、大丸の裏にある紅茶がおいしいカフェを外から眺める。中華料理屋のメニューを眺め、錦市場に足を踏み入れ、適宜左折して京都で一番おいしいケーキ屋さんに入る。そういう夢。
学生の時分に何度も歩いたコースだから、夢からさめても鮮明に思い出せる。あの頃私はいつも新規開拓を目論んでさまよっては結局あの店に通っていた。タルト生地とナッツとを噛み砕く感触もまだ感じられそうだ。
こっちに引っ越してから数年来、その界隈からは足が遠のいていたのでとても懐かしい。夢にみてから、あの街並みを、そこに差し込む日差しを思い返しては眩しく思う。
しかし再訪できるのはずっと後のことだろう。なぜならうちには乳児がいるからだ。少し前に私が産んだ小さな赤ん坊。彼女がふにゃふにゃと頼りないうちは、500kmを移動した後よさげなカフェを探してあてどなく散歩するなんてのは難しいだろう。
それに今はあまりそうしたいとも思わない。子連れで移動が面倒だとか、家族が預かってくれないだろうとか、そういうことではない。
私はいま、温かいものに浸っているような恍惚の中で生きている。
それは授乳によって分泌されたプロラクチンとオキシトシンをそう解釈しているからなのだろうけど、脳を直撃される側としてはなかなか悪くない感じだ。人間という動物はよくできている。
かように問答無用の幸福感に押し流されているためか、あまり新規性の開拓ということにうまみを感じない。新しいものに触れるとわしゃわしゃ出るのはドーパミンだけど、今はそのあたりが優勢でないのだろう。
産前から理屈としてはそのことを聞いていたので、そうなる前にと急いで色々なことをしておいてよかった。具体的には少しでも行きたい企画展があれば行っておいたり、一度やってみたいと思っていた読書会の主催をしたりなんかだ。
産後は新しいことに踏み出すハードルが高くなるし、新雪に足跡をつけるみたいにやっといてよかったと思う。産後の手数も増えるし。
産前にもっていた、外へ外へと自分を駆動させるものはなくしてしまった。まあ、それでもいいんじゃないかと思う自分がいる。
日々ふくふくとかわいくなっていく我が娘。先週くらいから笑うようになってきて、そのかわいさはもはや暴力的である。笑おうと思って笑ってるわけではない、単に顔が笑顔を形作るだけの生理的微笑ではあるのだが、その破壊力はすさまじい。父母祖父祖母を次々と陥落させてゆく。
追記
娘の寝顔を見ながらふと、この日々を懐かしく思い返す時がくるのだろうなという確信が訪れた。
日々重たくなる娘を夫と代わる代わるだっこしながらきゃあきゃあ騒がしく過ごした夢をみて、その頃のことを大きくなった娘に繰り返し話してはうんざりさせてやろう。今からそれが楽しみだ。