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2024-05-07

I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

 女はゆき過ぎた。

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

―やっぱり I was born なんだね―

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

― I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分意志ではないんだね―

 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから

 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

蜉蝣という虫はね。生まれから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね―

 僕は父を見た。父は続けた。

―友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。

―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―

2010-07-16

残されたバンギャ強がり

大佑が亡くなった。

事件性のある疑いはなく

事故死か自殺というニュース記事。

冥福をお祈りしてる前提で書くけれど

いまファンの方にそう読んでいただけるか自信ないな。

でも、そのつもりで読んでほしい。

私は蜉蝣をちゃんと見たことはないし

蜉蝣の曲もちゃんと知らないけれど

今では元オバンギャ程度になり下がった私でも

その名前がわかる程度には

その界隈で有名だったバンドマン

残されたバンギャたちは心からつらいだろう。

大佑がもし自分から死を選んだのであれば

選ばざるをえなかったことを残念に思う。

残念という言葉はあまりに簡単で

なんだかしっくりこないけど

ほかにぴったりくる言葉が思いつかない。

バンドマンとして成功してたじゃないの。

ファンもいっぱいいたじゃないの。

仲間も大勢いたじゃないの。

それなのに!!と、自分がファンならきっと思った。

私の好きだったバンドマン

おととし病気で亡くなったんだけど、やっぱり突然だった。

事故でも自殺でもないので

大佑ファンとは同じ気持ちじゃないだろうけど

似たような気持ちなのかなと思う。

大佑ほど有名じゃないけれど

私にとっては大好きな大好きなバンドマンだった。

いまだに思い出しては泣くこともあるけど

今では

「ずるいっすよ、あんなに早く死んじゃうなんて。

みんなびっくりしてましたよ!もう!!」

なんて感じのことを

何十年後かあの世で言ってやりたいと思っている。

私の好きなバンドマンは34歳で亡くなったから

私は少なくとも倍の68歳、できれば3倍の128歳まで生きて

そのうえで言ってやりたいと思う。

私も早死にしたら

「キミもけっこう早く死んじゃったじゃない」

って言いかえされるもの。

残されたバンギャの、精一杯の強がり

 
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