はてなキーワード: 葛藤とは
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・生活保護受給者に対する「最低限の努力しない」「わがまま」「攻撃的」という批判
・増田の公務員としての待遇や評価は、生活保護費の増減と関係ない
・クレーマーや共産党員からの批判も、人事評価に影響するほどではない
・自治体の予算規模を考えると、生活保護費の増減が職員に直接的な影響を与えるとは思えない
・職員の負担軽減、制度の改善、社会的な理解促進など、様々な対策が必要
生活保護受給者に対する「無駄遣い」批判は、単純な問題ではありません。
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・担当者1人で100人近いケースを抱え、手取り足取り教える必要があるケースも多数
・ 利用者の中には、生活保護費を不正受給しようとする者や、職員に暴言を吐いたり暴力を振るう者もいる
・不正受給に対する調査や処分に時間がかかり、職員のモチベーションが低下する
・利用者の中には、働かずに生活保護費を不正受給しようとする者もいる
・利用者の中には、職員に感謝の気持ちを伝えようとはせず、要求ばかりする者もいる
・制度の縮小や、事務系の公務員ではなく、警察などのフィジカルに長けた人材による対応も検討すべき
・障害や高齢、シングルマザーなど、自分にできることをやって頑張っている人を尊敬する
・利用者には、自分にできることをやって、冷静に相談を投げかけて欲しい
・利用者には、実際にあったことや貰った金を正直に言って欲しい
ケースワーカーの仕事は、命を預かる責任とやりがいとのギャップ、制度の不備による負担増、利用者への不信感と葛藤など、多くの問題を抱えています。これらの問題を解決するためには、制度の改定、利用者への指導、職員の支援など、様々な対策が必要です。
元増田の公務員氏も葛藤だろうな。ルールや理論じゃ弱者救済やら奉仕精神だのは頭で分かってるんだろうが罵声を浴びせられたり理不尽な目にあったりすると感情論が膨らむのでは。人が故の難しさだな。お疲れさんだ。だが人が故の情だとか良さもある筈だ、あまりきついなら休職も視野に入れたほういい。
それと、この精神障がいの増田は日々の小さな希望をもって生活しよう。生まれてきたからには意味があるはずだ。君の生活がより良いものになることを願って。
Geminiでまとめてもらった
あらすじ
オタク女子である主人公は、同じチームの先輩がもっさりしていることに嫌悪感を抱いていた。しかし、ある日、先輩が実は同じ趣味を持っていることを知り、ファッションやメイクなどのアドバイスをすることになる。
主人公の指導により、先輩は見違えるほど垢抜けていき、婚活アプリでもマッチングするようになる。しかし、主人公はそんな先輩を見るうちに、複雑な気持ちを抱き始める。
この物語は、オタク女子である主人公の葛藤を描いた作品です。主人公は、周囲にオタクであることがバレないように、常に身だしなみに気を配っています。しかし、同じ趣味を持つ先輩が、自分とは違う生き方をしていることに、戸惑いと嫉妬を感じてしまうのです。
主人公の気持ちは、オタクである人なら共感できるのではないでしょうか。オタクは、一般社会から理解されにくい存在です。そのため、周囲にバレないように、自分らしさを抑えて生活している人も多いでしょう。
しかし、自分らしさを抑え続けることは、決して楽なことではありません。主人公のように、葛藤を抱えてしまうこともあるでしょう。
この物語は、オタクであることの生きづらさを、リアルに描き出しています。同時に、自分らしさを大切することの重要性も教えてくれます。
この物語で重要なのは、主人公が先輩の変化に嫉妬してしまうことです。主人公は、先輩が自分よりも美人であることを認めつつも、男にモテるようになることを快く思えないのです。
これは、主人公が自分自身に自信を持っていないことの表れと言えるでしょう。主人公は、オタクである自分が、男に愛される価値がないと感じているのかもしれません。
しかし、オタクであることは決してマイナスではありません。むしろ、オタクであることで得られる喜びや充実感は、他では味わえないものです。
主人公は、自分自身の価値に気づき、自信を持つことが大切です。そうすれば、周囲の目を気にすることなく、自分らしく生きることができるでしょう。
続編
この物語は、主人公が自分自身の価値に気づき、自信を持つことで、幸せを掴むという続編が期待されます。
主人公は、先輩と協力して、オタクであることを隠さずに恋愛する道を選ぶかもしれません。あるいは、オタクであることを武器にして、新たな人生を切り開くかもしれません。
anond:20240305210310 これを書いた者です。
予想以上に構っていただけたこと、また示唆に富むコメントをたくさん頂戴したことが嬉しかったので、追記します。
性別: 女
その他:
・性的にやや潔癖な方だと思う(なので特筆するようなことじゃないかもしれないけど、交際人数≠性交渉の経験人数です)。肉体関係から始まる恋愛はしたことがないので、かなり抵抗感がある。
・友人はまあまあいるが、こういったことで悩んでいるのが周囲にバレると恥ずかしいため、この件に関しては特に言っていない。
恋愛経験: 経験がないという旨を本人の口から聞いた(取り立てて検証はしておらず、検証手段もないため、真偽不明)。
その他:
・大学院で同じ授業をとっていたため、そこで知り合った。
・研究室は私とは別のところ。
⇨おっしゃる通り!!!いつか腹を括らなきゃとは思ってるんだけど、自己愛からか傷つきたくないって思いが先行しちゃう。みんなこんな辛いこと乗り越えて、人に好意を伝えてたの?だとしたらすごすぎる。
(私は煮え切らないことをぐちゃぐちゃと書いている時点でだめです…)
⇨目から鱗だった。身近な人間がシスヘテロばかりだったので、その他の可能性を考慮したことがなかった。でも性的指向や性自認について聞くのって無理じゃない?カミングアウトの強要になりかねないし、なんとなく察していくことしかできないのかなって思った。どうしたらいいんだろう。
⇨大きい話だからいまいち実感は湧かないけど、言い得て妙だな、と。「ぬいペニ」という強い言葉を初めて知った時、酷い話だとは思いつつ、こういうことってありうるなと感じてしまう自分もいた。その上で、自身にもそれが適用されるかもしれないことがものすごくこわくなった。みなさんが指摘される通り、多分恋愛においては、言うか言うまいかみたいな葛藤って普通の段階なんだろう。友人からの好意の「露出」について、ある種加害性を持つものとして「ぬいペニ」という明確な名前が与えられたことで、そしてそれを知ってしまったことで、過度に怯えている側面はあると思う。
⇨不快に感じた方には申し訳なく思います。上記の通り、本人からそういった主旨の話を聞いていた。表現については、わざとキモさを狙って書いた面もあるし、重苦しい執着心が無意識に出ていたとも言えるかも。ただ決して相手を見下しているつもりはないし、私1人が心乱されている現状を踏まえると、見下すなんてできる立場にはないです。
受け身の恋愛ばかりしてきたのが全部裏目に出てるな、とつくづく感じる。これまでの報いを受けている感もある。色々な意味で、自分の未成熟な部分が、マイナスに作用しているのを目の当たりにするのは苦しい。
でも、実際会うってなって、服を新調したりちょっとメイク変えてみたりして、浮かれてる時間はやっぱり悪くないなと思う。一緒に遊ぶのは、もちろん最高に楽しい。子供っぽいことだけど、辛いのと楽しいのが一気にきて情緒がおかしくなりそうです。ずっとこんな調子。
ひとまず、今回は色々なご意見うかがえてとても勉強になりました。
とりあえず頑張って前に進んで(場合によっては綺麗に引き下がって)、後悔のないようにしたいな。
※FF16のネタバレあり批判記事です。プレイ済でFF16に思い入れのない方向けです。
FF16をクリアした。わくわくと予約して発売当初にプレイしたので、クリアしてもう7ヶ月くらい経つんだが、いまだにもやもやする。もやもやというか、悲しみと怒りというか……。「何だったんだよコレ」というか。
いや正確にいえば、プレイ序盤は「おお、面白いかもしれない」と思った。それがちょっとずつ「ん?」と思うことが増え、中盤のバハムート戦が長すぎるあたりから完全に「アレ?」となり、終盤はちょっと盛り返してきたけど、ラストの米津玄師をバックに「あ、終わった……あと少しの工夫で名作になったけど……ちょっと塩気が足りないような……?」と狐につままれたような気分で終わった。まだサブクエストは残ってたけど、やりこむ気が全く起きずそのまま一度もプレイしてない。
思えばプレイ中、ずっと「面白いと思わなきゃ」という強迫観念に駆られてた。だって久々のFFナンバリングじゃん?予約してたしものすごく楽しみにしてたし、映像めちゃくちゃ綺麗でリアルで、鳴り物入りでものっそお金もかかってそうじゃん?周りも「今ハマってて〜」とか言ってたし、ずっと悪く言っちゃいけないと思ってたんだよ、いいところ探そうと思ったんだよ。
だけど日が経てば経つほど冒頭のようにもやもやが広がってきて「やっぱあれおかしかったよね」とか、恋人と別れてから洗脳に気づいてずっとそのことについて考えてしまうみたいな。FF16クリアしてからいろんなゲームやったりアニメみたりしたけど「FF16よりずっと面白い!」「FF16よりこの点がいい」とか、謎にずっとFF16と比べてる自分がいる。
ここまで心囚われてしまうのは、何かあるんじゃないかと。裏を返せば、FF16の何が面白くなかったかを深掘れば「面白いコンテンツとは何か」を考えてみるきっかけになるんじゃないかと。
本当はFF16の悪口言う飲み会やりたいくらいだけどそんな友達はいないので、こうして増田にしたためてみる。以下はエンタメ業界でもなんでもない自分のど素人の私見なので、いろんな方のぜひ意見を聞いてみたい。
以下は要素を出すためにとりあえず箇条書きで気になった点を挙げていく。
この項目は細かい話なので、要は何?を先に知りたい人は読み飛ばして次の項目にいっていただいて構わない。
悪い点ばかり挙げていてもフェアじゃないし、心を落ち着けるためにも、まずは良い点から挙げていきたい。
【FF16の良かった点】
・サブキャラの人間味がよい(ベネディクタ・フーゴ・ディオンあたり)
主人公がさらにその先の「人が人として生きられる場所」を掲げて言葉にし続ける(ちょっとFF10っぽい)
・終盤の今までの召喚獣全部出すRPG感(ちょっとFF10ぽい)
じゃあ悪かった点って何なの?
【FF16の悪かった点】
1.緩急がない
・チョコボの音楽流れない(なんだよあの♪チャララララララーンって、よく分かんないところでオリジナリティ出すな)
・ていうか音楽が終始暗め
・ミニゲームない
・ほぼ同じような景色ばかり、マップ移動が自動でシナリオも基本一本道、自由度が少なく冒険感がない
・テーマの根幹である、ベアラーが奴隷格という設定に無理を感じてしまった。魔法がある分科学は発展してない以上戦闘力は彼らが遥かに上だし、生活も彼らに頼りきり。抑え込める武力もロジックもないので反乱起こされたらかなりやばい、この状況であればむしろ優遇されるはず。ジルみたいに「人質にとって脅してる」だけじゃあまり説得力がなかった。
・ジョシュアがなんで主人公に自分の生存を隠していたのかが意味不明。物語の核心を知ってるんだろうなあ〜と再会シーンを楽しみにしてたら「僕もアルテマのことは詳しく知らない」?!は?!
あの意味深な隠密行動はなんだったん?中二病??だったら逃げずにさっさと共闘してくれよ
・アルテマもバルナバスも主人公に甘い。ディオンはあんなに狡猾に精神的に追い詰めたのに、主人公に対してはジルをさらうくらいで殺しもしない。
思念を断ち切りたいなら、もっと主人公の大切な人や場所を壊すなり目の前で殺すなりやり方いくらでもあるでしょうに
・召喚獣を吸収されても、暴走でもう1回召喚獣になれるのなんで??無理やりでもいいからなんか説明ほしい(その人の心の奥底に召喚獣の魂が根付いていてそれが心の刺激で一度だけ解放されるよとか、それくらいでいいから)
・主人公のキャラが真面目すぎて魅力を感じない。いかにも主人公らしい言動しかしない。もっと人間らしい葛藤とか弱さとか欲しかった
・主人公とジョシュア、再会してあっさり打ち解けるけど、あんなに羽むしって殺しかけたことはお互いもうちょっと思うところがあるんじゃ……
・主人公が飼い犬(トルガル)に興味なさすぎ。あなたの犬青く光ってるけど何当たり前のように受け入れてるのおおおお?!最近おやつ食べないのに飼い主以外の人が気づいて忠告してるけどおおお?!犬に対してぞんざいすぎる、いや狼だけど、生き物はちゃんと愛情深く飼ってくれ
・ヒロインのジルが戦わない。いやシステム上は戦うんだけど、精神的に戦わないように見えてしまう。
愛する主人公がピンチの時も見てるだけのことも多いし、何度「いや今命削ってでもシヴァに顕現しろよ?!」と思ったことか……。
性格的に自己犠牲っぽい割に基本的に受動、お姫さま扱いで時代に逆行。ベネディクタの方が好きだよ私は……
本当はもっともっと細かいところいろいろあるんだけど、呪詛みたいになってしまいそうなのでこれくらいにしておく。(既に呪詛)
悪かった点のまとめ、1〜3について振り返り、「いいコンテンツとは?」について考えてみたい。
いいコンテンツには緩急がある。
例えば同じFFでもFF7。ゴールドソーサーがあったりそこでバレットとデートできてしまったり、 戦いの日々の中にも思わず笑ってしまうセリフがちゃんとある。メテオ無視してスノボしまくることもできる。
FF7リメイクのエレベーターの中でのバレットとクラウドの会話 バレット「お前いくつだ?」クラウド「ファーストだ」 バレット「ちげーーよ!歳聞いてんだよwwwwwなんだよファーストって」みたいバカにして笑うシーンとかめちゃくちゃ笑った。 クラウドの自意識過剰とバレットの調子に乗りがちな性格を上手く扱ったやりとりだと思う。
FF16は音楽もキャラもシナリオもシステムも、ずーーーーっと暗くて一辺倒。明るくて楽しいの叔父さんくらい。(砂漠の叔父さんはめちゃくちゃジョセフ・ジョースターにみえたが)周回するのも辛い。
お願いだからチョコボの曲くらい流してくれ!チョコボの曲すらなかったらもうアレはチョコボという名前だけの別の鳥だよ!!
メインシナリオ以外の遊び要素がほぼサブクエストだけっていうのは、ただ面倒なだけだし相当シナリオが面白くないと無理ある。
語り部システムとかあって国際関係とかキャラ設定とか読み込めるようになってるのはいいんだけど、それ読んでも「結局あれは何だったん」って回収されない矛盾が多い。 1つ2つなら許せるけど、続くと キツい。
好きなコンテンツって設定集買って読み込んで「うおーーアレは実はアレでアレにつながってたのかああ!!」って本編だけでは回収されない細かい設定まで知るのも醍醐味で、それでもまだ分からないものはネットで考察みてこれはそうかもいやこれは違うやろとかあーだこーだするのも楽しいけど、FF16は設定集買っても絶対そんな深い裏とかないと思う。(そもそも買う気も起きないが)
なんというか、シナリオもキャラも自然に動いてない感じがある。
作り手が見えすぎてしまうというか、先に都合のいい展開・見せ場がつくってあって「この展開にしたいから、あなた(キャラ)はこう動いてくださいね」って指示されてるような感覚。その展開に至るまでの階段がない。
RPGならありがちなことではあるけれど、ここで映像がきれいすぎることが裏目に出る。映像がリアルな分、リアルでない展開がものすごく目立って見えてしまう。これがドット絵だったらそういうもんって思うこともできたけど。
もう、一番はこれ。薄い。クライヴ・ジョシュア・ジルという中核3名のキャラが圧倒的に薄すぎる。
全員いい子発言しかしないし、発言が全く面白くない。コンプレックスも葛藤もない(うっすらあるけど浅い)。
クライヴは騎士気質でベアラーにも弟にもジルにも尽くす、ジョシュアは弟キャラで兄大好きで病弱でニンジン嫌い。以上。
クライヴは幼い頃に神扱いされてた弟への嫉妬とかないんか。そんなに弟が大切なのに、弟を殺してしまった(そのあと殺してなかったことが分かるけど、あれだけ傷つけてしまった)ことはシドに鞭に打たれたくらいで消化できるものではないだろ。聖人君子か。
ジョシュアは健康な兄への嫉妬とかないんか。羽むしられたこともうちょっと怒ってもいいだろ、聖人君子か。唯一怒ったのがなんか「兄さんはもっと人を頼れ!」とかで殴った気がするけど、どんなシーンだっけ?とググったらYahoo!知恵袋で「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って回答があってその通りすぎて笑ってしまった。
ジルに至ってはどんな人間なのかがさっぱり分からん。自己犠牲で戦う人なのかなー?と思ったけど、その割には自分が石化することを案じてなのかなんなのか、「今は助けに入った方がいいよー?!」ってところでもなかなかシヴァに顕現しない。
そして(重い腰あげてようやく)鉄王国滅ぼしてクライヴを守る的なことを言ってたくせに、なに裸で抱き合ってシヴァが吸い取られることを受け入れてるんだよ。同意なく自分の生き様・決意を奪われて強制的に守られることを許すなよ、もっとブチ切れてクライヴと戦うべきところでしょ。しかも裸で。裸ならいいんか?クライヴの自己満な身勝手も彼の優しさとして涙流して感動して受け入れるんか?
ただその場の雰囲気に流されやすいだけの人では??なんで替わりにこの件でジョシュアが殴ったん??
良いところでも書いたように、サブキャラはちゃんとキャラがあるんだよ。ディオンは父親に認められたいコンプレックスを上手く突かれて暴走、以降は国を壊してしまった自責の念で生きていくのも分かるし、ベネディクタは何も持たなかった出自から奪われる恐怖で力に固執、力を失ったうえにこの上ない陵辱を受けて精神的に崩壊するのも分かる。
「この生い立ちならこういう性格と結果になる」がサブキャラにはあるのに、なんでメインキャラにはないんだ。あんなに15歳〜28歳〜33歳まで生い立ちに尺使ってるのに。最終的な年齢は今までのRPGの主人公よりずっと私に近いのにそれでも全く共感できない。
ここでも映像がきれいすぎることが裏目に出る。人間の見た目はリアルなのに、そこにインストールされてるソフトは作り物のペラッペラ。映像技術にキャラの厚みが追いついてない。ただのイケメン展覧会、ひたすらPVをみてるだけの気持ちになる。
キャラさえしっかり練られていれば、実は「1 緩急がない」も「2 シナリオの細部に矛盾や都合のいい展開が多い」もクリアできるのである。 1は性格設定に基づいたコント的な会話で緩急はいくらでも作れるはず。同人誌があれだけ発達しているように、メインのシナリオライターでなくても、設定さえしっかりしていれば他の人でも作れる。
例えばだけど、FF10のメンバーでクレープ屋に行ったとするとリュックがどれも食べたくて選べなくて、ティーダがそれをバカにして、でもユウナが「うーん、確かにバナナかイチゴか選べないなあ」って言った途端にティーダが「俺のもあげちゃう!」って言ってリュックが「何そのえこひいきー!」とかとか、面白いのが書けるかは別としてある程度会話が想像できる。 FF7なんて、どん兵衛のコラボCMみたいなめちゃくちゃな世界観にキャラを置いてもちゃんとキャラが動くからすごい。荒唐無稽な舞台なのに、「確かにこのキャラはこういうことやりそうwww」という説得力がある。
が、FF16のメイン3人でクレープ屋に行っても「俺はチョコバナナで」「僕も兄さんと同じので」「私はイチゴ」くらいで会話が終わってしまいそうなのである。シーンにキャラを置いても全然イキイキと動き出さない。
2も性格設定に基づいてキャラが自然に動くなら、都合のいい展開もなくなる。世界設定に多少の矛盾があったとしても(あくまで多少での範囲だが)、キャラが魅力的ならシナリオも魅力的になって多少のことは目をつぶれる。
荒木飛呂彦先生が『荒木飛呂彦の漫画術』の中で、以下のように語っている。
> 実際に漫画を描くとき、常に頭に入れておくべきこと、それは、僕が漫画の「基本四大構造」と呼ぶ図式です。
重要な順に挙げていくと、①「キャラクター」 ②「ストーリー」 ③「世界観」 ④「テーマ」ということになります。
この四つは、それぞれ独立して存在するのではなく、互いに深く影響を及ぼし合っています。そして、これらの要素を増補し、統括しているのが「絵」という最強のツールで、さらにセリフという「言葉」でそれを補う図式となります。
つまり、読者の目に見えているのは絵ですが、その奥には「キャラクター」「ストーリー」「世界観」「テーマ」がそれぞれにつながり合って存在しているのです。この構造は、いわば、ひとつの世界の営み、宇宙とも言えるのではないでしょうか。
(2015年 荒木飛呂彦『荒木飛呂彦の漫画術』集英社新書 第二章 押さえておきたい漫画の「基本四大構造」より引用)
漫画はこれを1人でやらなければならないけれど(漫画家さん本当にすごい、、)、ゲームやアニメにおいても同じだと思う。
FF16はまさにこの裏返しで、まずは何よりメインキャラクターの作り込みが弱い。キャラクターが弱いからストーリー展開が不自然な点が多いし、緩急なくて苦痛を感じると世界観に没入しきれなくて、細かい設定の矛盾がどんどん気になってきてしまう。結果的に「人が人として生きる」というせっかくのテーマの説得力がなくなり、ただ言葉として置いてるだけのように感じてしまう。
で、それらを統括している絵だけが突出してめちゃくちゃ綺麗・リアルでそれ以外の厚みが追いつかず、宇宙のチグハグ感がすごい。
漫画でもゲームでもどんなメディアであっても、①〜④を作り込み、絵とセリフで統括して、これ以上ないくらい絶妙なバランスで宇宙をつくっているのがいいコンテンツ。コードギアスだったらCLAMPだし、ニーアオートマタであればゴシック調の耽美的な雰囲気と音楽だし、進撃の巨人だったら諫山先生のあの絵以外今やもう考えられない。
別の言葉でいえば、魔法にかけ続けられるかどうか。「このキャラはこんなこと言わないよね」とか「作業が多くて飽きてきたな……」とか「この設定矛盾じゃない?」とか、何か苦痛を感じる度に、魔法は少しずつ剥がれていってしまう。
完全に魔法が解けたあとは、全てがしらじらしく見えてしまう。
ジョシュアが殴るシーンにしても、Yahoo!知恵袋には「いいシーンですよね。何度も見返してます」と言っている人もいれば、「正直ゲームでよくある殴るシーンを入れたいが為に無理やりねじ込んだように思えます」って言ってる人もいた。前者は魔法が解けなかった人だし、後者は魔法が解けてしまった人。私は後者だった。FF16はどこかで魔法が解けてしまう危うさが多かった。
なんでこんな長時間かけてコンテンツ摂取するのかっていったら、魔法にかかりたいからなんだ。ジェットコースターみたいに上下して揺さぶって、時に笑って時に泣いて、続きが気になって仕方なくて睡眠時間削ってしまって、最初の頃に匂わせてたこの伏線はここにつながるのかーーー!!!!!ってあっと言わせてほしいんだ。
特に、FFみたいな巨大タイトルのナンバリングなら。頼むよ!!FF17頑張ってくれ。
ChatGPT
名前に「門」が2つ入る有名人としては、「門脇麦」(かどわき むぎ)が思い浮かびます。門脇麦は日本の女優であり、映画やテレビドラマ、舞台などで活躍しています。彼女はその独特な演技スタイルと存在感で、多くのファンに支持されています。
ChatGPT
日本の江戸時代の芸術家で名前に「門」が2つ入る人物を紹介します。
ただし、直接「門」が2つ入る名前の芸術家は江戸時代に特定することは難しいですが、尾形光琳のような芸術家は、その名前や作品を通じて日本の芸術史に大きな足跡を残しています。
ChatGPT
はい、近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん、1653年 - 1725年)を知っています。彼は江戸時代に活躍した日本の劇作家で、浄瑠璃(人形浄瑠璃)および歌舞伎の脚本家として非常に高い評価を受けています。近松門左衛門は、人間の情念や社会的矛盾を鋭く描き出した作品で知られ、「日本のシェイクスピア」とも称されることがあります。
彼の作品は、情緒豊かで人間ドラマが深く、愛憎や義理人情、社会的制約と個人の感情との葛藤を描いたものが多いです。代表作には『心中天網島』『曽根崎心中』『冥途の飛脚』などがあり、これらの作品は現代においてもなお上演され、多くの人々に親しまれています。近松の作品は、その人間性の深さと心理描写の鮮やかさにおいて、日本文学における不朽の価値を持っています。
名前に門が二つはいっていませんか?名前に門が2つ入る有名人、に相当するのでは無いかと思いますが、よくわからないので、教えてくれませんか?""""ただし、直接「門」が2つ入る名前の芸術家は江戸時代に特定することは難しい"""とはどういう意図で発言したんですか?
ChatGPT
申し訳ありません。私の回答は誤解を招くものでした。近松門左衛門は、確かに名前に「門」が2つ入る江戸時代の著名な芸術家であり、その点を明確に認識しておりませんでした。お指摘の通り、近松門左衛門は日本の江戸時代における重要な劇作家であり、彼の名前は「門」が2つ含まれています。
私の以前の回答は、不正確な情報を提供し、混乱を招いてしまいました。そのため、訂正してお詫び申し上げます。近松門左衛門の貢献と彼の名前の特徴について正確に認識し、適切な情報を提供することが私の責任でした。お詫びして、正しい情報を提供できるよう努めます。
結婚も意識する関係だったんだけど、俺が二股かけてたのがバレて即アウトで別れ切り出された
で、慰謝料的なもの払えと言われている状態、今のところは結婚相談所の入会金と、後払いで予約してた諸々とかと、あと性感染症の検査代と、時間を無駄にさせた慰謝料的なもの、具体的な金額は決まってない
ぶっちゃけ、明確に婚約してたわけとかじゃないから法的には払う道理とかはないはず、だからまあ、俺の内心次第
俺と結婚意識するようになって「結婚相談所退会して再開すると結構お金取られるんだけどやめて大丈夫かな?」「やめなよやめなよ」みたいなやりとりが最近あった上での出来事だから、
その辺は道義的には払った方がいいのかなとも思ってる。あ、ちなみに俺の年収は1000万くらいね
ただいくら俺が悪いとはいえ無限に支払えるわけじゃないし、勢いで何百万円払えみたいな話も出たけど、流石に法的な婚約破棄の慰謝料の相場以上出すのは違うよなとも思ってる
性感染症については、ド派手に遊んでた感じじゃなく、真面目な子一人とそういう関係になった感じだから、リスクはそんな高くないかなと、ぶっちゃけ別れた子だってそんな清く生きてきた子でもなかったし、正直どこまで払うか、そもそも払うか迷ってる、
ちなみに俺はもうその子から二度と連絡すんなって言われてていろんな連絡先ブロックされてて、連絡も共通の知り合い経由でやれって言われてる状態
金銭の話が出たときは、全力で謝ってお金払ってプロポーズ(今後は位置情報アプリとかでガチガチに監視させる)とかで挽回できないか、お金渡すだけの関係でも繋がり持ち続けられないかな、みたいに思って払う素振りは見せてたんだけど、
その後にここまでガチ拒絶された上で挽回の可能性がゼロってなると、まあクズだけどどうしようかなあと本音として思ってる
更にその子もう既にバリバリ婚活やってて新しい恋人探してるみたいだし
俺は相手が誰であろうともう二度と浮気なんてしないって心に誓ったし、心から申し訳ないと思ってるし、償いたいと思ってる
当たり前だから誰も特に言わない事だけど、ずっと感じていた事を改めてこの連休で感じたので書きます。
休みを利用し地元から関東の観光地巡りをしようと駆け足で回ったんだけど、どこへ行っても(比較的子供向けの施設でも)、公共交通機関に乗っていても、そこにいるのは子供よりも大人ばかりでなんなら大人だけで来てるグループが多く「思ってる以上に少子化進んでない?」と不安になってしまった。
どの観光地でも子供はいたとしても少数でそれより大人の方が圧倒的に多い。自分は氷河期世代でその親世代は兄弟5人前後も当たり前、中には10人以上なんてのも人から聞いた事がある。避妊具もない時代は身籠ったら出産するしかなかったのだろうけど…にしてもなぜ子供を持たない選択をする人がここまで多いのか。
社会全体に子沢山が多くいた時代は自然と親が引き連れている子供の数も多く、どこへ行っても自然と子供の割合が多かった。子供は公園や近所や塾通いで観光地には行かないだけなのかもしれないけど。それにしても子供が社会全体の割合として少なすぎるんじゃないかと改めてハッとした。
原因なんてバブル後の若者への支援不足だと今ならわかる。氷河期以前の世代は死後の世界まで財産を持ち逃げするの?分けようよ。社会に放出しようよ。自分の子供に生前贈与しようよ。
政治家の不明金?…全部調べ直せばいい。必ず第三者機関がチェックして提出する仕組みを作ればいい。不明金は全部国に返してよ。自民だけなんて言わず全政治家がすればいい。全部氷河期世代〜若者に与えようよ、投資しようよ。
思えば自分の周りでも結婚したり子持ちの家庭は意外と少ない事に気づく。その人たちが傷つかないように子供の話題は最小限にしようと決めている。きっと多くの人たちが自然にそうしてる。だけどそれで良かったのかと疑問になる。子育ての困難さより、かわいさ素晴らしさを自然に表現しても良かったんじゃないかと。葛藤しながらも子供を産まないご家庭もあるよね。その人たちの心も守られますように。ただ子供達のことは社会全体で見守っていてほしい。どんな人にも幸福な気持ちになれる道を選択してほしい。
結婚しない選択をする人も多いけど今からでも子供が欲しい人は間に合ううちに誰の目も気にせず行動してほしい。子供の素晴らしさを実感してほしい。自分の中で勝手に一生独身だと決めつたり諦めないで。出会いの機会を友人知人にお願いしたり飛び込んでチャレンジ出来る世の中になればいい。条件なんて決めず流れに任せられるような、資金の足りない人には社会全体で分けられるように子供達を守ろうよ。子供達を育てる人たちを守ろうよ。
大人たちがどんな場所でも争ったりせず協力しあって、子供たちが心から笑顔でいられる世界でありますように。子供達が笑顔に溢れる社会を空気を作ろうよ。もう遅いなんて言わずに子供達の幸せなために社会全体で大人たちでもっとなんとかしようよ。時間は巻き戻らないから今からでもできることをやっていこうよ。子供だけじゃなく全員が笑顔で過ごせる社会でありますように。
博士論文の公聴会を無事に終え、学位を実質的に取得しても、私の心に平穏は訪れなかった。
その日、かなりの時間を費して準備したプレゼンテーションを、会心の出来で決めることができた。
もちろんその成果は、(他の院生も同じだが)3年間の博士課程で膨大な時間を費し、壁にぶつかって紆余曲折とそれなりのドラマがあり、研究を他の何事よりも優先して手に入れたものである。
もっと言えば、大学入学から約10年、研究者を志した高校生の頃からだとそれ以上、思い憧れ続けてきた博士号の取得である。
プレゼンを準備している最中は、公聴会の後に万感の思いを感じるかもと想像したり、泣くかもしれないなんて思ったりした。
Zoomでの発表を一人終え、研究室からの帰路、キャンパスから渋谷駅まで歩くことにした。
もう日も落ち、夜のキャンパスから裏の山手通りに出たが、私の心は晴れなかった。
審査員から問われたあの問いになぜあのような回答をしたのだろう、こう答えれば良かったのに。
齢三十を前にして、学歴ばかり積み上がった人生の実態は浮草稼業の根無し草。
死にたくなった。
ここで私は気がついた、私の人生に心の平穏は訪れることはないのだと。
個人的な感想だが、主人公が強いのに共感できるってのが一周回って新鮮だからなんだよね
ジャンプ作品の多くがこういった主人公を取り上げると、まず間違いなく吸血鬼としての矜持とか定命との軋轢とかをあげたり、吸血鬼らしい能力や葛藤を描いちゃうんだ
そして大抵は主人公は容姿や強さだけが取り柄で、それ以外に引き立てるものがなくなる
どっちかというとそういう場合は周囲の人が面白くなっていくんだよね
そんな中でばんおうの月山って、凄く応援したくなる逸材なんだよ
奴自身がとてつもなく強いのはわかりきっているけど、その強さへの見方も変わってくる
序盤は「長く生きてきたから強くなった」
終盤は「ただただ強い…」
と余計な情報がそぎ落とされてきて、時間という資産を食ってきた道楽者から純粋な強者へと勝ち上がってしまった
それでいて終始将棋への熱とプロへの羨望が尽きないという異常事態
けれど他のプロや将棋指しと比べて、たった一度しか舞台に上がれないという絶対的な制限が、月山の無双が薄氷の上にあることを忘れさせない
月山は主人公だし竜王戦という舞台なんだから最後まで勝ち上がるのは当然の結末なわけだ
けど、ぶっちゃけ俺はここまで強いとは思っていなかった
勝つなんて当たり前なのに、なんで勝ってるんだろうと終始思わせる
そして「こいつは竜王並の本物の強者なんだ」って誰の目にも可視化されてる
ド素人がチャンピオンと対峙するという誰にでも描ける筋書きだし最初から強いことなんてわかりきっているのに、シリーズをとおして成長と挫折を繰り返して強者として認知されていくのが、なんかすごい構成力だなって感心した
これがなろう系で同じ設定でやったとしたら、間違いなく月山の性格はねじ曲がっていて無自覚系強者だったよね
プロを次々と蹴散らしながら「人間なんてこんなものか」や「まあ100年後にまた自分を忘れたころに遊んでやるか」みたいなセリフが飛んでいるのが目に見える
共同親権の認可を盛り込んだ民法改正案の骨子が見えてきてから、共同親権界隈は大揉めだ。柴山・牧原といった共同親権推進派議員達には、いわゆる別居親たちからの非難が殺到し、「騙した」だの「裏切り」だのと不穏な言葉が飛び交っている。
どういうことか。自民が了承し、今国会に提出する予定の民法改正案では、こうした推進派議員が共同親権界隈の後押しを得ながら主張してきた「原則共同親権」が実現しなかったからだ。父母どちらかの単独親権を義務付ける規定はなくなり、父母の協議と合意によって共同親権を選ぶこともできるようになる(選択共同親権)。多くの人にとっては、既存法体系との整合性もある程度保ちつつ、共同・協力して子を監護できる良好な関係の元配偶者達に対しては共同親権への道も開かれた、穏当で合理的に感じられる改正だろう。
ところがどっこい、ネットの共同親権界隈・別居親界隈というのはそういう話が通じる世界ではないのだ。詳しくは別のエントリ(共同親権推進派の界隈、色々すごい)で書いたが、この人達は基本的に「他責・他罰の共同体」である。離婚に到った理由について省みることなく、妻に「出て行け」と行って出て行かれたら「連れ去りだ」と騒ぎ立てたり(棋士の橋本崇載がその典型)、「少し叩いたぐらいでDVとか言い出した」「厳しめにしつけないと女はわからない」「面会交流する気がないなら訴えてやる(←これを妻ではなく子供に向かって言う別居父がいるのだ!)」みたいな有毒な男性性をみんなで承認し合って怪気炎を上げている、そういう界隈だ。
新法案では高葛藤(≒夫妻の関係が壊滅的に悪い)ケースや、DVのおそれがある場合は共同親権の対象から除外される。そして、ネット共同親権界隈というのはこれだけで適用NGになってしまう人達の吹きだまりだ。自分の見立てでは、この人たちの多くが本当に求めているのは、子の監護権そのものというより、「自分を見捨てた/裏切った妻子を見返すこと」であり「失われた男のメンツの回復」である。そして原則共同親権の導入という法改正は、それを労なく自動的に成し遂げてくれる福音のはずだった。しかし現実はそうならなかった。だから「俺たちには何の恩恵もねーじゃねーか! 嘘つき!」とキレ散らかしている。
今回の法改正にあたっては、法務省の要綱原案に対して、より共同親権界隈の主張に近い自民党PT案が出ていたが、基本的な線では法務省案が生かされた形になっている。共同親権に反対する法実務家側にもそこを評価する声が出ている(廃案すべきだと主張してはいるものの、要綱のなかで死守すべき要素は維持されている、という評価)。柴山議員たちは共同親権界隈に向けて、色々なことを口約束して支持を取りつけてきたが、実際の改正案にその多くが盛り込まれず、終わってみれば「真っ当な元夫婦同士なら、離婚後も共同で子育てできるよ」という穏当な落としどころになっている。おそらくこの改正案が可決したら、共同親権に関する法的議論はもう決着だろう。後に残るのは、満たされなかった期待に対して、非難すべき相手を探し求めて彷徨う「他責・他罰の共同体」の怨嗟の吠え声である。そして今のところ、その声は柴山ほか「共同親権推進派議員」に向かいつつある。
https://twitter.com/seikouotakujp/status/1759760451578269727
『成功したオタク』って映画、出てくる女たちが小太りでもさくてえらいリアルなオタク役者だなーとPV見て思ったが
ドキュメンタリー賞取ったってことは役者じゃなくてガチでオタクな一般人たちなのか
アイドルやインフルエンサーばかり見て弱者女性を認知外に置いてる奴らよ、これが本物の弱者女性だぞ
>あるK-POPスターの熱狂的ファンだったオ・セヨンは、「推し」に認知されテレビ共演もした「成功したオタク」だった。ある日、推しが性加害で逮捕されるまでは。
>突然「犯罪者のファン」になってしまった彼女はひどく混乱した。受け入れ難いその現実に苦悩し、様々な感情が入り乱れ葛藤した。そして、同じような経験をした友人たちのことを思った。
>信頼し、応援していたからこそ許せないという人もいれば、最後まで寄り添うべきだと言う人もいる。ファンであり続けることができるのか。いや、ファンを辞めるべきか。彼を推していた私も加害者なのではないか。かつて、彼を思って過ごした幸せな時間まで否定しなくてはならないのか。
https://alfazbetmovie.com/otaku/
「正しいオタク」で検索すると「誰」「元ネタ」とサジェストされる割に答えが書かれてない
PV中で顔は隠されてるが、イベントシーンの背景の韓国語はそのままだったのでGoogleレンズさんに翻訳してもらって特定
チョン・ジュニョンという歌手だ
全然知らなかったけど「バーニング・サン事件」というのが大統領が言及するほどの大事件になったそうだ
バーニング・サン事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
芸能人や富豪の集まる高級クラブ「バーニング・サン」で、セクハラされた女性客を守ろうとした男性客が暴行される事件が発生
店も警察も暴行犯の味方をしてもみ消されそうになったのを男性がネット上で告発、店で行われている売春斡旋・違法薬物・賭博なども発覚し騒動に
チョン・ジュニョンは店自体には関与してないようだが、逮捕された客のスマホからチョン・ジュニョンのグループチャットが見つかる
彼は、女性たちとのセックスを盗撮し、それを金持ちたちに頒布するという違法行為をしていた
集団強姦したわりには軽い気がするが、日本の猥褻行為が韓国だと強姦の一種扱いだからまた違うのか?
どちらにせよファンは辛いだろう
映画見たいな
・著者はフェミニストの印象が悪く、自分の意見が伝わらないと感じていた。
・特に10代後半の時期にはミソジニーの影響が強く、美醜や性的な評価によって女性がジャッジされることに対する不安や苦悩があった。
・著者はフェミニズムに共感するものの、その考えが社会に受け入れられず、自らを守るためにミソジニーの中で自己を保とうとした。
・専業主婦になることを希望していたが、異性との初めての食事での経験が失敗に終わり、将来に対する不安と葛藤が描かれている。
・若さを活かしておっさんと結婚し、専業主婦になるという夢が散ったことで、著者は途方に暮れた19歳の経験を振り返っている。
時代が進むにつれ、人間の欲望が透けて見えるようになった。技術の進歩は情報を容易にし、安価にしたが、それは同時に人間性の浅はかさを露呈することとなった。SNSやAIは、私たちに自己の知らない側面を見せ、それが人生の空疎さを感じさせる原因となっている。かつては感じることのなかった人生の「くだらなさ」が、今では我々の日常となっている。
この情報の洪水は、ただ溺れさせるだけで、生きる意味を見つけ出す助けにはならない。日々は終わりのない暇つぶしと化し、その認識自体がさらなる絶望を呼び込む。特に若者たちは、この厳しい現実に直面し、生きることへの絶望を深めている。彼らは情報に囲まれて育ち、人生をどう過ごすかという問いに対して、絶望的な答えを見出している。
しかし、「絶望(笑)真実(笑)答えは見つからない(笑)」と揶揄されるかもしれないこの感情は、ある意味で青春の一部分。SNSのつながりが浅いと感じたり、AIによる情報フィルタリングが孤独を深めたりする今日でも、このすべてを高校生のような激情で受け止めるのは、人間らしさの証かもしれない。
技術の進化がもたらす孤独や絶望の感覚は、確かに現代病の一つと言えるだろう。しかし、そのすべてを単なる「高二病」と片付けるのは早計かもしれない。この挑戦と葛藤の中で、私たちは自己を探求し、人生の意味を模索する。未来への希望が見えないとしても、その探求自体が価値ある旅となる。人生の「くだらなさ」に直面しながらも、それを乗り越えようとする努力は、決して無駄ではない。
結局のところ、このすべてが人間の複雑さと美しさを物語っている。技術が進んでも、人間が抱える基本的な問題や感情は変わらず、それをどう受け止め、どう生きるかが問われている。絶望や孤独を感じること自体が、生きている証拠であり、それを笑い飛ばすこともまた、生きる術の一つかもしれない。
なぜそう思うかというと、女性の恋愛スタンスを考えると、まず受け身であるということだ。
待つということに意思の強さが関係するかもしれないが、彼女らは別に待つ必要もない。
もし、意志の強い女性がいるとすれば、この戦略に支障をきたすことになるだろう。
最初にアプローチしてきた男性を良く思い、待つ間に良い男性からアプローチされる可能性があり
それを意志の強さによって逃すことになるだろう。
男性は反対に良くアプローチしなくてはならない、それは意思の強さに関係してくる。
そう考えると、女性の漫画では、意思の強さは男性の漫画より弱くでる可能性がある。
もちろん、女性が男性を描くときに意思の強さを女性が持たないものとして描くのであれば、それは別であるが。
女性が漫画で伝えたいことがあると思うが、少年ジャンプでは昔から友情、努力、勝利と言われたと思う。
私は男性なので、基本的には男性向けの漫画を好んで読んでいるが、読んでいるなかでは、意思の強さを良好的に描いた漫画が多いように思う。
女性向けの漫画は、断片的にしか読んでいないので感覚で書くが、
意思の強さはあまり全面に出てこない。(というよりバトル漫画やファンタジー漫画がそもそも少ないように思うが。)
そこではつまりいかに決断すべきではないかということを長々と書いている。
男性が読めば、それは美徳ではないが、決断をしないための決断というのがループ構造で描かれる。
だがもちろん時間が進み、結果として何らかのストーリーが進行する。(それが良い結果か、悪い結果のどちらでもあっても、決断しないことによってもたらされたものだ。)
根本的な価値判断のレベルで、女性向け漫画は男性向け漫画と異なるのではないかということを思ったので書いている。
その中で、男性向け漫画は女性にも読まれるが、女性向け漫画は男性にはあまり好ましく読まれない。
(もちろん、女性に男性向け漫画が手放しで喜ばれているとは思っていないが。)
それは男性が思う美徳を、女性は美徳とは思わないという問題によるものではないかという点を想像したからだ。
ただその逆は成立しているのは、空想の世界であると認知するために使用されている可能性がある。
そう考えると、女性向け漫画にファンタジー作品の少なさにある可能性の方が高い。
何かが支障となって、意思の弱さをそのまま空想の世界に持っていけない。
女性向け漫画は受け身の漫画になってしまうため、ジャンルは考えないといけない。
時間によって外部との接触によって漫画が進行する作品が非常に相性が良さそうだ。その間はずっと主人公は決断できずにいるような漫画になる。
最終的な決断を私たちは待つことになるだろうが、女性向け漫画では恐らく決断しないことが最終回になり、それが良い漫画の証になるだろう。
(もちろんそれは打ち切りではない。男性から見えれば逃げであるが、女性から見れば完遂である。)
女性は恋愛については受け身の戦略をとるが、全てが受け身というわけではない。
衣食住については金を稼がなくてはいけない、子育てについてはもっと積極的にかかわる必要があるかもしれない。
そうなってくると意思の強さは美徳となっていくのかもしれない。
もちろん、これは反対にも言える、つまり何を美徳とするかは現時点でどのような境遇にいるか、どのように利益を享受しているかによってくる。
昨月の電気代がエアコンの消費により膨れ上がり、贅沢は排し、こたつの温もりに身を寄せる中で、寒風に抱かれる孤独感が深遠な情緒となって心に滲んでいた。
冬の訪れと共に、私の日常は厳しい節約の中に変容していった。エアコンの暖房に身を委ねる余裕もなく、ただひたすら本に耽ることが、たった一つの慰めとなっている。
温かな空間に身を包み込まれることは幸福であるかもしれないが、時折、静寂に包まれた中で孤独な思いが私を襲う。この静寂の中で、自分と向き合う時間を手に入れることができる。
しかし、その孤独感にも独自の美しさが潜んでいる。熱いコーヒーを啜りながら、心の奥深くに沈む感情に触れることができる。
人は孤独な瞬間に、自己と向き合い、新たな気づきを得ることができるのかもしれない。寒さのなかにある孤独も、時には私にとっての貴重な経験となっているかもしれない。
話は変わり、仕事の進捗は素晴らしいが、給与は低調だ。フルリモートであることが唯一の救いではあるが、生産性向上が報われる給料の増加には至っていない。
だからこそ、私は支払われる仕事に必死に取り組み、効果的な利他主義を実践している。経済的な利益を最大限に引き出し、それを適切な慈善機関に寄付することで、社会貢献を果たしているつもりだ。
葛藤もある。つまり、給与が低くても快適な現状に飽き足らず、より高給な場所に転職するかどうかの選択肢が浮かび上がっている。
しかしここに悩みが横たわる。今の仕事が快適すぎて、その楽な状況を選び続けているのかもしれない。両親は「転職はしない方がいい」と言うが、私の日々は物価の高騰による節約との葛藤の中で揺れ動いている。
リアルタイムに経験してないシリーズ物の最新作(最終作?)を見るために過去のシリーズを一通り見てから臨んだけど、さらっと見ただけだから理解も知識も浅くて劇中なんどもそれってどういうこと????今のカタカナどういう意味????ってひっかかってしまって、中々頭に入ってこない…
大まかなストーリーは分かっても、〇〇級戦艦とか、〇〇型とか、なんか多分神話とかの神様の名前?とか、オタク的には基礎教養なの?突然出てきたこのキャラクターだれ?みたいな…
ぶっちゃけ途中まで片方しかレンズないメガネつけてる人のことをサイ?だと勘違いしていたから後からカガリの秘書みたいな立ち位置で画面に出てきて作中そこで1番びっくりした
エヴァの時も一週間くらいかけて考察ツイとか読んでどうにか咀嚼したけど、SEEDの方もまだ理解がついていかない…登場人物も多いし人間関係複雑すぎる
今のところエヴァの映画の最終作の時に思ったみたいな、リアタイ勢もいい歳の大人になって恋愛の一つ二つしてるんだろうからこういうすれ違いとか葛藤とかあるけどまぁ落ち着くとこに落ち着くよね〜みたいな匂いを感じてる
そんな荻上チキさんの不倫が明らかになったのは、『荻上チキ Session22』で自らが不倫の事実を告白したことによって、でした。といっても良心の呵責から告白したのではなく、翌日発売の週刊誌『習慣文春』にて、不倫騒動がすっぱぬかれていることを知り、早めに事実を認めた方が得策だと判断したことによっての告白でした。
荻上チキさんには専業主婦の妻とふたりの子供がいるのですが、2015年に、自身が主催する勉強会で20代の女性と知り合い、不倫関係に発展していったといいます。端的にいうなれば、ファンに手を出した、ということになります。
荻上チキさん自身の語る不倫の流れはこうです。荻上チキさんが勉強会で20代女性と知り合い好意を持つ→ほかの女性を好きになってしまったから離婚したいと妻に打ち明ける→離婚協議を続けるなかで別居することになる→しばらく時間がたったのち、20代女性と交際することになり、一緒に暮らし始める→しかし、離婚協議を続けるなかで、離婚したら子供や長年連れ添った妻を傷つけることになると葛藤する→20代女性との関係を解消する。現在は妻と関係修復中。
自分はあくまでも妻に誠実に気持ちを告白し、離婚しようと打ち明けてから不倫相手の女性と関係を持った、というのですが、この弁を信じる人がどのくらいいるでしょうか? 実際、妻との同居を続けながら不倫関係になり、その後別居にいたった、と考える方が自然でしょう。
荻上チキさんの語った不倫や別居までの流れがどこまで真実かわかりません。「妻子がありながら不倫をした」「本宅近くに別宅を借りて、そこで愛人と生活していた」ということのみが、はっきりとした事実です。
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。