はてなキーワード: 葉山とは
いわゆる日常の謎ってやつだな!
北村薫が草分け的存在だ!「空飛ぶ馬」から続く円紫さんシリーズはどこかで必ず読む!
最初に読めとは言わないが、原点だから気が向いたら手にとってほしい!
米澤穂信は京アニがアニメ化した古典部シリーズ(アニメタイトルは1作目から取って「氷菓」だ)は
個人的に米澤穂信が大好きなので全部読めと言いたいところだが、日常の謎を読みたいという人なら
この古典部シリーズか小市民シリーズ、あとは古典部シリーズからの派生で「さよなら妖精」を読んでくれ!
さよなら妖精が良いなと思ったら、ベルーフシリーズに手を出そう!
「配達あかずきん」から続く大崎梢の成風堂シリーズは、特に本屋好きにはたまらんはずだ!
作者が書店員経験者だから、本屋で働いていた人なんかはあるあるを楽しみながら読めるシリーズだ!
それこそ前述の古典部シリーズや小市民シリーズのような、高校生を主人公とした日常の謎、
市立高校シリーズ(個人的には葉山君シリーズと呼んでいる)は、米澤テイストの系譜といってもいいだろう!
登場人物同士のコミカルな掛け合いと、真相に隠されたダークさが特徴だ!
あとがきが面白いタイプの人なので、それを楽しみに読むというのもありだ!
他にはそうだな、初野晴のハルチカシリーズもまた、アニメ化・実写映画化したやつだ!
1作目の退出ゲーム、その冒頭のエピソードだけでも読んでくれ!ここで多分好き嫌いが判断できるから!
加納朋子の駒子シリーズは、完全に北村薫の円紫さんシリーズへのリスペクトを感じるやつだ!
だから先に北村薫を読んで、これが好きなら加納朋子も読むというのがおすすめだ!
他にもたくさんいる!たくさんいるんだが!全部紹介するとただのWikipediaになってしまうので!
気が向いたらでいい!このなかのどれかを選んで読んでみてほしい!
順不同、敬称略。
今年導入されたTwitterの新機能フリート。24時間で消滅する発信の使い所に期待
https://www.youtube.com/channel/UCtL4YVGDSz3d9btmDLfMhfQ
その子はクセが強くて、強気で、いじめっこ的な気質もあって、私は苦手だなぁ…と思っていた。
実際、その子とはあまり仲良くならずに、稀に話すのみであった。
でもその子の絵は卓越して上手くて。
小学校の中では絵が上手い方だった私は、段違いに上手いその子の絵に、嫉妬さえ通り越した、憧れの念を抱いた。
その子の休み時間に描く絵は、街の電柱や看板にエアスプレーで落書きされているようなポップな画風が多かった。軽快で攻撃的で、少し怖い感じの絵。その子は目玉のモチーフが好きだったっけ。
その子の、美術の時間に描く絵は、普段とは違う雰囲気を持っていた。毒と繊細さとを纏っていて。その子の重い内面を予感させた。
これは今になって改めて気づいたけれど、その子は普段、強く振る舞うが、その実、脆くてセンシティブな性格だったろうね。
卒業式の後、教室に戻ってきて、クラス会も終わって、帰る時間となった。自由時間ができると、何人かの子たちが、卒業アルバムの最後の空白のページに、メッセージを書いたり書いてもらったりをし始めた。
私もいつの間にかそのやりとりに混ざっていて、そういうやりとりを何人かとしているうちに、いつの間にか教室がガランとし始めていた。あの賑わいは教室の中から、体育館の前やロビーなどの外に移っていたようだった。
教室は、まだセーターが必要なくらいには寒かったが、春の陽射しが、教室の床の木のタイルを暖めていた。
同じクラスにいた間、あまり会話もなかった私とその子であったけど、私は彼女に絵を描いて欲しかった。
と私は彼女にお願いをした。
すると、彼女はいつものごとく、めんどくさいなあとか、しょうがないね!みたいに小言を言いながら、でも、楽しそうに私のページにイラストを描いてくれた。
卒業式の日も、その子の筆箱にはずっしりとたくさんの色のサインペンが入っていて、色も選ばせてくれた。
1 年以上住んだ街限定。
(Good) 基本どこへ行くにもアクセスが良い。空港リムジンバス便利。治安良い。静か。タクシー拾いやすい。
(Good) 地下鉄と JR のアクセスが良くて素敵。一本中に入るとすごく静か。
(Bad) 休日の表参道の混み具合はちょっと嫌。夜に店が閉まるのが早い。空港まで微妙に不便。スーパー遠い。タクシーたまに拾えない。
(Good) 四谷と青山一丁目の両方が近くてアクセスは良い方。タクシー意外と拾える。緑が多くて雰囲気がよい。治安良い。
(Good) 子育て環境としては大変良い。公立も教育水準高い。オーロラモールで買い物充実。公園多い。環状2号で車のアクセスも大変良い。
(Bad) 横須賀線しか止まらない。ベッドタウンなので仕方ないが通勤時間が必要。東京からタクシー 1 万円以上かかるのが辛い。空港まで遠い。
5位: アメリカ・サンフランシスコ(Potrero Hill)
(Good) 食事はアメリカの中では良い方。280 と 101 に入りやすく車のアクセス良い。徒歩圏内に Wholefoods。
(Bad) 治安が日本と比較にならないくらい悪い。物価がくっっっそ高い。インフラ悪い(停電もしょっちゅう)。徒歩だと坂がキツい。16th の路上は大麻と小便の匂いで臭い。
(Good) 比較的どこに行くにもアクセス良い。秋葉原まで徒歩圏内でいける。安くて美味しいお店が多い。大学の図書館が便利。
(Bad) 六本木・西麻布あたりに遠い。タクシー捕まえにくい。道が細いが自転車も自動車も運転が荒くて危ない。空港までのアクセスが悪い。
本郷三丁目、最下位だけどそれでもすごく好き。また住みたいな、と思う街ばかりだ。
ついでに住んだことがないけど住んでみたい街ランキング
1位: 六本木(檜町公園付近): 夜遊ぶところが多くて良さそう
2位: 元麻布・南麻布(都立中央図書館付近): 図書館大好き。有栖川公園良い
3位: ハワイ(ホノルル、コナ、マウイのどこか): ハワイ好き
https://sgymtic.hatenablog.com/entry/2020/06/13/162824
取手に対抗してみる。他の町も見てみたい。
進学・就職で実家を離れるまでは似たようなエリアで暮らしていたので特に心配していなかったが、違う路線での長距離の電車通勤はこれまで経験がないので実際やってみるとどうなのだろうという不安はあった。 結論から言うと通勤含めて概ね予想通りではあったのだが、いくつかの観点での感想を書いていく。
都内で高級マンションに住む事に比べてどうなのかは知らない(まあ負けるだろう)が、少なくとも都内に安い家賃で無理して暮らしていた頃に比べると快適である。
そもそもこのあたりは建築規制があってマンションが少ないのだが、賃貸でも庭付きの家に住める。眺めていると煙突のある家がちらほらある。夢のマイホームに薪ストーブや暖炉を備えた家たちだ。
騒音だけじゃないが、マンションは左右上下の住人を選べないので、地雷に当たってノイローゼになりそうになったことがある。
蚊、クモ、蛾のような不快害虫はもちろん、立地によってはゲジゲジやムカデ、ハチなども現れる。しかし野鳥も多いし、カニも取れるし、魚も釣れるし、自然の多い環境を求めてきたので望むところである。ビデオ会議中にウグイスのリアル鳴き声を何かのアラーム音と勘違いされたことがある。
海と山が近いせいか、夏は都心に比べれば全然涼しく、就寝時にエアコンを使うことはまれ。冬はそれほど違うとは思わないが、それでもやはり多少温暖で、東京で雪が積もっても、こちらでは積もらないことが多い。
ウインドサーフィン、スタンドアップパドル、カヤックなどが盛ん。サーフィンは普段は波がないので向いてないが、台風や大きな低気圧が過ぎた後は、会社をさぼって波とたわむれる人たちが現れる。マリンスポーツしなくても、砂浜を散歩するだけでも楽しい。夕焼けの富士山と江ノ島がきれい。
三浦半島は自転車半島宣言というものをしているせいか、週末はロードがたくさん来る(道は狭いところが多いけど)
個人的にも家族としても商業施設を娯楽として求めたい気持ちがないのでそんなに困らないが、ショッピングを娯楽と考えると、横須賀か横浜あたりに出る必要がある。自分はイオンなどないほうが嬉しい。ハリウッドや日本の娯楽映画は見れないが、ミニシアターがあって通好みの作品を上映しているのは、近隣の自治体にはない楽しみ。
水族館:八景島シーパラダイス(遊園地併設)、新江ノ島水族館、油壺マリンパーク
動物園:金沢動物園、(少し離れるが)野毛山動物園、市内の披露山公園にはニホンザルやその他小動物が飼われている
当然ながら利便性では都内には敵わないが、意外とそこまで不便ではない。
逗子駅は湘南新宿ラインの始発で確実に座れる。通常の横須賀線も車両の増結があるし、そもそも東海道線ほど混んでないので座れる確率が高い。京急線の逗子・葉山駅も始発。座れてしまえば今はスマホという便利なものがあるので、長距離通勤もそこまで苦痛ではない。新型コロナのせいで通勤がなくなったら、通勤時に読んでいた本やマンガなどが溜まってしまった。JRと京急、二路線使えるので、事故でどちらかが動かない場合でも振替輸送で帰ってこれる。
さらにいうと、羽田空港も成田空港も乗り換えなしで直結している。(成田行くなら、乗り換えてNEX乗るけど)
東京からの終電は意外と早くない。むしろ山手線内に住んでいたときは、インバウンドの地下鉄は遅くまでやっていないので、油断して終電を逃しタクシーを使わざるを得ないことがしばしあった。距離を理由に二次会、三次会と付きあわなくていいのも、人によってはメリットだろう。
JR横須賀線の逗子行き最終列車は品川駅23:59発で、山手線の恵比寿駅でも23:49発の電車に乗れば間に合う。使ったことはないが、いざというときには新橋0:40、品川0:55発の深夜バスというのもある。
チェーン店が少ない一方、美味しくて個性的な店がたくさんあるので、食は充実している。スーパーはEveryday Low Priceのオーケーストア、創業118周年のスズキヤなどがあり、日常生活の食料品やちょっとこだわりの調味料、消耗品の買い物には困らない。当初ホームセンターがないのが不便と思ったが、地元の金物屋と後はMonotaROなどのネット通販で間に合ってる。
Uber Eats や Prime Now はないけど、新型コロナ下の状況に対応すべくズーバーイーツなんていう地元のサービスが出てくるのが、都心にはない楽しみ。
山も海もある環境なので運動不足になってないし、ストレスもたまっていない。最近同僚からも安い Airbnb 物件などないか問い合わせがある。
元々、東京に住んでいたときは、部屋の中にずっといるのもつまらないので、週末ごとに電車や車でどこかに出かけることを考えていたが、引越してからは地元ぶらぶらしてるだけで、景色もいいし、美味しいごはんも食べれるので、電車や車で出かけることが減った。
神奈川の湘南沿岸は距離に比べると割高な感じは否めなく(海が見えるだけで土地代が違う)、480万で家を買うことは不可能だが、それを補って余りあるものがあると感じている。横須賀以南だと通勤圏にも関わらず限界集落も生まれており、掘り出し物件もあるかもしれない。先日もゼロ円物件が話題になっていた。
タイトルの通りである。この文章にタイトル以上の何がしかは存在しない。面白いオチも無い。所謂お気持ち文章という奴なので、余程暇か、同じ境遇で涙を飲んだことのある腐女子以外は読まないだろうなと思って書いている。ただただ私個人の慟哭が続くだけであり、意味はなさない。そういったことをご了承頂き読み進めて頂きたい。
それからタイトルで嫌な予感がした人は読まない方がいいと思う。NLで好きなカップリングがある人も避けた方がいい。これは別に読んではいけないというのではなく、単に無意味な時間を過ごさせる自信があるからだ。
私がハマっているジャンルは「食戟のソーマ」という週刊少年ジャンプで連載していた料理バトル漫画だ。
「ああ、あの、メシを食うと女の子の服が脱げるやつだろ?」
そう、それである。実際には男の子もおじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも建築物もみんな脱げるが、ともかくその漫画だ。
ジャンプ本誌での連載を終え、その後ジャンプGIGA(ジャンプの別冊雑誌)で短期連載していた後日談も最終回を迎えた。ここで言う「最終回」はそのジャンプGIGAでの最終回のことである。
ここからはその最終回を含めたファンブックのネタバレもあるので注意されたし。
最終回の配信日、夜中を前に私はスマホを前にうろうろしたりもんどりうったり神に祈ったりして配信を待った。具体的には友人たちに、「最終回を迎えた後の精神状態に異常を来たす可能性が非常に高い。ついてはLINEがめちゃくちゃ荒れるかもしれないが今回ばかりはご容赦願いたい」というLINEを送り、「用意周到過ぎでは?」「骨は拾うからな」などという優しいお言葉を頂戴して過ごした。
今まで推しジャンルが最も推している最中に最終回を迎えたことのなかった私は、最終回という現実に自分の身が耐えられるかわからなかったのである。特に最終回では「未来の話」をやるという予告が最初からあったため、主人公・幸平創真くん(推しカプの受)の結婚エンドや子どもができているエンドがあるのではないかとずっと怯えていた。最近のジャンプではNARUTO然りBLEACH然りそうした最終回が多かったので、もう物凄く怖かった。そういったエンディングが悪いとは言わないが、それまでナルトや一護を応援してきたのに突然知らない子どもに未来を託されても全然感情移入できなかったのである。
そして0時。心臓が異常な爆音を奏でる中、最終回が配信された。震える手でページをめくった。
正直な話、良かった、と思った。
最終回の概要を述べると、25歳になった主人公たちのその後が描かれ、今後もそれぞれのフィールドで料理の道を極めるぜ、みたいな終わり方をした。
主人公である幸平創真くんとヒロインの一人である薙切えりなさんの間に恋心のような特別な感情が芽生えているという表現はあったものの、その描き方が絶妙で、明確に付き合ったり結婚したりという宣言は無かった。各キャラの進路やビジュアル変更について色々物申したい事があったが、とにかく結婚エンドは免れたのである。
よかった。へとへとになったものの、私はひとまず布団に横になった。そしてよりにもよって感想を検索してしまった。これがいけなかったのだが、感想の中に見つけてしまったのである。
「葉山くんの指輪の相手はきっと汐見先輩だよね!」というような言葉を。
ハ?指輪…?
慌てて最終回を読み返すと、確かに、葉山アキラというキャラクターの左手薬指にはあったのだ。どう考えても結婚指輪にしか見えないものが。
その葉山くんこそが、アキ創という私の推しカプの攻めだったのだ。
荒れた。
翌日は一日潰れていた。元々の体調不良もあったのだが、完全に気がふれてしまっていてダメだった。
食戟のソーマを2巻くらいまでしか読んでいないオタクのために葉山アキラというキャラクターについて簡単に解説すると、超嗅覚というめちゃくちゃ高性能の嗅覚を持った主人公のライバル料理人で、プライド高めの銀髪褐色だが心を許した相手には世話焼きオカン気質になるイケメンである。
彼が幼少期、海外のスラム街で親もなく彷徨っていたところで、スパイスの取引で騙されそうになっていた汐見潤という女性を助ける形で出会う。彼女はスパイスの研究者であり、葉山の超嗅覚に着目した。日本に連れてこられた葉山は汐見のもとでスパイスの研究者・料理人としての道を歩むようになる。それもこれも潤のため。自分を救ってくれた彼女の恩に報いたいと努力し続ける。
…というようなキャラクターで、これまでも彼女とのフラグはガンガンに立っていた。葉山自身汐見先輩には自分がいないとダメだみたいな台詞を何度も言っていたし、秋の選抜という一年の料理大会で優勝した時の彼は汐見先輩を抱きしめていたし、彼女を人質にとられて闇堕ちしたりしている。(なお闇堕ちからは創真くんが彼を救っている)
自分で書いていて「そりゃくっつくよな…」的な要素しかない。声を担当されている某方がおまけVTRで「彼は多分女性として汐見先輩のこと大事に思ってると思いますよ」的なことをおっしゃっていたこともあり、いい加減な発言をされない声優さんだからきっと原作サイドからもそういう話があったんだろうとは思っていたが…。
それに理解る(わかる)。きっと葉山くんは遠月を卒業と同時に汐見先輩にプロポーズして、けれどまだ未成年だから20歳になってからという条件をもらって20歳にゴールインしたんだろう。もう手に取るようにわかる。私の推しカプ、アキ創なのに。なんでやねん。
だが問題は、最終回に汐見先輩が一ミリも出てこない上に、指輪の相手についても全く触れられていないことだった。ただ指輪のはまった薬指があるだけ。絶妙にぼかされている。それは我々への思いやりなのか、それとも葉山くんと汐見先輩の間に年齢差が10歳以上あるため明言を避けたのかは未だに不明だ。
LINE告知していた皆に案の定悲しみLINEを送ったところ、「ジャンプで生殖エンドじゃないのは評価に値する」「もしかしたら創真くんとのペアリングかもしれない」「モテるから他の女の子を散らすためのファッション指輪じゃない?」などご提案を頂いた。ありがたいことに別ジャンルなのに二次創作会話文まで送ってくれた友人もいた。ありがとうございます。もちろん創真くんが指輪をしていないか探しまくりました。首にチェーンがないかも目を凝らして見ました。無かった。それも伝えたら「そりゃお前、創真くんは指輪なんかに頓着しないから無くしたんだよ」って言ってくれてありがとう。推しは頓着しませんが私は頓着しまくっています。
なお職場の後輩男子に伝えたら「え…そりゃそこがくっつくと思うんですけど…」って戸惑いがちに言われた。わかってるよそんなの!課金してまでアニメソーマ見てくれてありがとうな!君が作って差し入れてくれた化けるふりかけご飯おいしかったよ!でもやめてよそういう正論で殴るの!…というお気持ちになった。
だが、事態はこれでは終わらなかった。
勝手に受けた時間差爆撃で頭がクラクラしている所で、最終回と同時に二つの重大発表があったのを思い出したのだ。一つはアニメ4期決定。そしてもう一つは、ファンブックの発売決定である。
アニメはもちろんのこと、ファンブックは食戟のソーマファンは多分みんな待ち望んでいたもので、私も純粋に嬉しかった。
しかしハッとした。
もしかしてファンブックであの指輪の話題に触れられてしまうんじゃないか?と。
そこからは更なる地獄の幕開けだった。ジャンプGIGAでの最終回からファンブック発売までは1ヶ月以上あり、その間「ファンブックであの指輪について何か言及されたら死ぬ」とずっと思っていた。もう葉山くんと汐見先輩がくっついたと決めつけて脳内妄想を浮気ものにしたくらいの荒れようだった。
ファンブックについては2019年10月27日現在は電子版配信があるが、発売当時は書籍のみだったので、当日に確実に読めるようにAmazonと楽天とhontoで予約して、近場の本屋も何軒か回って予約した。考えられないかもしれないが私が住んでいる地域ではジャンプ単行本の発売日が一日遅れる。本屋は無理だろうと思っていたが、それでも最後くらい売り上げに貢献したかったし、…今思えばそれよりも、駆けずり回っていると気が紛れたのかもしれない。
ファンブック発売日、仕事から帰ってきて最初から順番に読んでいった。
原作者の先生によるキャラ紹介のところに差し掛かる。葉山くんのページにも汐見先輩のページにも結婚の文字は無かった。
しかし先生へのインタビュー記事の中に、その記載はあった。その小さな「こぼれ話」という記事自体、「元々は創真とえりなを結婚させるエンドにするつもりだった」というものなのでジャブとしてはかなり強力だったのだが、最後にこう付け加えてあった。
空笑いというか、やっぱりなというか。全身の力が抜けた。
この文章の凄いところはそれでも「結婚」の二文字を頑なに出さないところで、あの指輪が何の意味で誰との間の物なのか情報としてはゼロということだ。ある意味二次創作者には優しい。
でも、身勝手な言い分だとわかっていても、他の誰も結婚していないのに、葉山くんだけどうしてと思ってしまった。
他のキャラをくっつけるとファンが暴徒と化すから?(特に創真くんがどのヒロインとくっつくかについては論争が凄かったようだ。)でも葉山くんと汐見先輩はほぼ公式みたいなものだから大丈夫だと思った?単純に公式の推しカプだった?
私がこんなにもショックを受けていても、周りはそうでもないみたいだった。そもそもソーマクラスタの友人がそんなにいないので全体がどうだったのかはわからないが、感想を検索した限りではおめでとうとかよかったねとか、当たり前に二人の関係を受け入れる文言ばかりだった。
元々その二人が好きな人たちが喜ぶのはわかるが他カプクラスタの人たちが祝福しているのも見て、「ああ、これを喜べないファンは私だけなんだ…」と膝をついた。だから二人をくっつけるエンドにしたのかな、だってこの世でこんなに醜く喚いてるの、私だけだもんね。そんな風なことを思って苦しかった。
別ジャンルに喩えて恐縮だが、あっちが刀剣乱舞ならこっちは歴史修正主義者なのである。歴史という概念としての正しさで言えば向こうが圧倒的上。こちらがどんなに原作を読み込んでも、些細なやりとりに萌えを見出しても勝てる筈がない。もちろん上下や勝ち負けなんていうものは二次創作界隈には無いし、意味もない。彼と彼女のカプを好きなファンの人たちと交流はほとんどないけれど、偶然出会った折には皆さんとても優しく接してくれる。カプは何なんですか、と問われるとちょっと困るけれども…そりゃ刀剣男士も隣に突然歴史修正主義者が現れたら驚くよね…ごめんね…という気持ちになる。
つらつら書いたが、ファンの中ですらひとりぼっちになってしまったみたいで、みんなと同じように楽しめなくて、自分だけ公式から置いていかれたみたいで、悲しかった。公式から認知されていないファンなのかなとか(むしろ認知されていたら困るのだが、この時は理性もなくなっていた)、自分勝手にぐるぐる考え込んでしまって鬱々とした。
心にぽっかり穴が空く、という表現があるが、この時の私は頭にがらんどうの穴が空いていた。考えるだけでつらくなるから妄想すら躊躇われて、大好きなカプなのにできるだけ考えないようにしようとしていた。
空いた穴を埋めたくて現実逃避したくて、久しぶりに他のアニメを見たり、他のゲームをしたりしてみた。でも何をしても推しカプ変換してしまう。パロったら楽しそうだなとか、中の人が同じだなとか、トロに推しカプの知識を授けよう…とか、そんなことばかりだった。
さっき突然刀剣乱舞の話を引き合いに出したが、とうらぶも好きだったので、そちらで妄想の息抜きをしようかなとも一瞬思ったが、まるで逃げ道に利用しているみたいでダメだった。とうらぶの私の推しに顔向けが出来ない。
何をしても楽しくなくて、しんどいなあと思った。指輪ネタも無理になってきた。今後どのジャンルでも指輪を贈るネタが無理とか笑える、と笑っていた。
誰かに、自分の思い描いた形になってほしいという理想を押し付けるなんて、なんて傲慢なんだろう。それは作者様に対しても、他のファンの人たちに対しても、作品の内容に対しても。
結局のところ、「自分がどうありたいか?」ということしか私の自由にできる事はない。それがわかってはいても認めるのがずっと辛かったんだなと思う。
それから、自分の妄想や推しカプをあんまり卑下するのも良くないな、と思った。マイナーカプでも、公式から半ば否定されても、私が好きになった二人だから、自分勝手に大事にしたいと思う。
私にできるのは妄想することだけだから、今後も自分が萌えている内は推しカプについて考えていくしかない。苦しい気持ちや後ろめたい気持ちを抱えては、時折下ろして一休みしながら。
…などとまともなことを書いてはみたものの、正直に言うと一日一回は推しカプがくっつかない世界に未練はないので明日地球が終わらないかな?とか思ったりする。何を生き甲斐にしたらいいのかよくわからない。そんな風にぼんやり生きている。
余談だがAppleMUSICに入ったので推しカプソングにできないか色々聞いていたらOfficial髭男dismの「Pretender」を聴いてしまった。コンフィデンスマンJPの曲ということくらいしか知らなかったのに歌詞で死にかけた。
……。
このお気持ち文章を書く前に読んでいた記事でも別のオタクの方がこの曲を推しとの別れの曲としてとらえており、だからApple MUSIC一位なのかな…などとぼんやり思った。
お気持ち文章は以上で終わりです。面白いオチも何もなくてすみません。
食戟のソーマ21〜23巻にアキ創の料理バトルが収録されています。攻めが受けを俺の天使にします。よかったらそれだけでも読んでください。よろしくお願いします。あと最終巻36巻に何回読んでもよくわからない葉山くんによる「俺の幸平創真語り」があります。
あと何故だかよくわからないのだが原作以外からは推されることが多くて、今回大阪であったコラボカフェでも上記の料理バトルで二人が出した料理が同じプレートにセット盛りされてきた。美味しかった。ありがとうございます。
最後に、友人から送られたLINEが強かったので載せておきます。同じように苦しむ腐女子に届きますように。
2006年12月9日にゴルフ指導を口実に当時高校生の女性をホテルに連れ、混乱して抵抗できない状態と知りながら強姦。2014年3月に無罪(鹿児島地裁)
公園で13歳の少女を強姦した27歳の男に「中学生が男性と別れた後もすぐに助けを求めずに公園で眠り込んだ」「中学生は強い抵抗を示していない」として2014年9月に無罪判決(東京高裁)。
2014年11月、天神の閉店後のワッフル店で従業員2名が女性を監禁し暴行。直後に女性が警察に相談。警察の事情聴取に対し、同点の経営者は容疑者2名のアリバイを偽証した。
2014年12月、天王寺区にて大阪の元警察官ら5名らが20代の知人女性を暴行。2015年10月、全員不起訴。
2016年9月、「ミス慶應コンテスト」主催団体の男子学生6名が共謀。葉山の合宿施設にて18歳女性を酩酊させ集団で暴行。被害女性が被害届を提出するも不起訴(横浜地検)
2017年11月、インターネット上で痴漢情報を交換する掲示板を見て集まった男4人が、JR埼京線の電車内で集団で女性に痴漢し、警視庁板橋署に強制わいせつ容疑で逮捕された。12月に不起訴(東京地検)。
2018年6月、容疑者1名の自宅アパートにて、抵抗する女性の手足を押さえつけ、8人がかりで2時間に及び性的暴行。部屋から逃げ出した女性が110番通報するも不起訴(富山地検) 。
2019年1月、酩酊状態だった女子大生に乱暴したなどとして5度逮捕された慶応大生ら全員不起訴(横浜地検)。
2019年3月、テキーラを何度も一気飲みさせ、嘔吐して意識を失った女性を暴行した会社役員の男性に無罪判決(久留米地裁)←NEW
愚者(あほ)が出てくる、村外(とかい)が見える――『屍人荘の殺人』批判に答える
第28回鮎川哲也賞を受賞した今村昌弘『屍人荘の殺人』が話題になっている。私も読んだ。
夏休みに大学生たちが山荘を訪れて、その場が閉鎖状況となって連続殺人に発展するという、設定だけなら片手で数えられる以上の似た作品を諳んじることができよう。
しかし、本作はその閉鎖状況の構成要因が変わっている。それが閉鎖状況下で発生する第一の(一見平凡な)密室殺人や第二の殺人を、この状況下「だからこそ」の、より不可解な謎を生じさせている。
(余談になるが、この構成要素に関して、小説の興趣を削ぐからと箝口令を敷く空気が流れているが、要素そのものが真相でもなく、そこから推理小説としての面白みに繋がるわけだから、過敏になる心証がよくわからない。だって、みんな有栖川有栖『月光ゲーム』の内容紹介に火山噴火のことが書いてあるからって怒らないでしょう?)
そして、謎解きの段に於いても、用意された設定が存分に活かされたうえで意外性のある真相へ導かれていくのだから、新人のデビュー作としては文句のない出来だ。
選考委員の一人である北村薫氏が選評でも書いているように、年末のミステリ・ランキングにもランクインすることだろう。江戸川乱歩賞受賞作が出なかった2017年に至っては最大の新人である。票が集まる可能性は高い。
なお、これより先の文章は『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は注意されたい。そうは言うものの作品分析とは違うので、そういうものをお望みの方には本文章は無用である。ほかの小説や評論を読んでいるほうが、よほど有意義な時間の使い方というものだろう。本格的な『屍人荘の殺人』論は私も読みたいので、その仕事はほかの方にお任せしたい。
それでは本題にはいろうと思う。
あらゆる作品に言えることだが、普段そのジャンルの読者を標榜する輩が仲間内で褒めているうちは、実際の読者数はそんなに多くないというのが常だ(そういう輩は自分の村の外には碌に目を向けられない田舎者で、声だけは無駄におおきい)。
一方そういったジャンル読者のなかから以下のような記事(詳細はリンク参照)を書く者が現れ始めると事態は変わってくる。田舎者が批判するのは他所者と相場で決まっている。つまり、彼らの仲間以外の人々がその作品について(読んで)語っていて、その感想へのカウンターとして下記のような記事は生まれてくる。これはより多くの読者を獲得しつつある、要は売れる兆しと言える。
http://rikuriaikawa.blog.fc2.com/blog-entry-28.html
本人のtwitterを拝見する限り、文学フリマでは200頁超のミステリ評論も頒布したらしい。熱心な書き手である。残念なことに自分はミステリ評論のほうは手に入れていないのだが、それほどの分量なのだから、すくなくとも労作であることは間違いないだろう。
もし、そのミステリ評論も先に紹介した記事と同程度の読みの確度であるなら、物を書くことに徒に時間を浪費するより、余生は別の趣味を見付けることをお勧めしたい。
読者の疑問に対して、作者が答えられる機会はそう多くない。作者一人に対して読者は数千数万といるわけだし、アホな質問にいちいち答えられるほど作者も暇ではない。
なので、ここでは氏の疑問に対して僭越ながら自分が答えたいと思う。
もちろん私は『屍人荘の殺人』の作者ではない。ましてや作者の知人でも、インタビューして伺ったわけでもないので、あくまで氏と同じ読者の立場から作者の意図を拾って回答するかたちとなる。ここでの回答が作者の望むものとは同じでないことは(こんなこと本来は言うまでもないことだが)留意してほしい。
「『屍人荘の殺人』を読んで16の疑問」という記事を書いた藍川陸里氏は、冒頭を読む限りでは、まず『屍人荘の殺人』が「過剰に絶賛されて」いる状況に疑問を持っている。本作が完成度以上の賛辞を得ている点には、私も反論はしない(とはいえ、その現象に対して私が差し挟む疑問や意見もない)。氏は本作に関して「さすがに不備が多すぎるんじゃないか」と、本人曰く「辛口のレビュー」を展開している。
しかし「レビュー」とは言ったものの、「手落ち感のあった16の箇所」を列挙しているだけなので、いわゆる書評の体裁からは程遠い。「手落ち感」という予防線を張った書き方も気になるが(明確に「手落ち」と言えるのであれば手落ちと書けばいい。取って付けたようにオブラートに包むことで批判を「雰囲気」に回収して最初から退路を用意する書き方は、物を書く(それによって批判する)者のスタンスとしては最低である)、ここは氏のやり方に倣って自分も箇条書きにて回答したい。
念のためもう一度注意を促すが、これより先の文章は明確に『屍人荘の殺人』の結末に言及することになる。よって未読の方は、このくだらない文章を読む前に、興味があるなら作品を読むことをお勧めする。世評や他人の感想ばかり集めて読んだ気になるのは、読書に於いて最大の愚行である。
……登場人物のひとりが話す(映画における)ゾンビの特徴を実際に発生したゾンビに当て嵌めて話を進めるのは納得いかない、と氏は批判している。しかし、謎解きの道具である特殊設定(現実では有り得ない設定)の説明に筆を割けば割くほど、物語における主従が逆転して本末転倒になっていく。氏の指摘は尤もだが、これは特殊設定を活かしたミステリ全般が孕む問題であり、本作に限ったものではない。ほかにもそういう作品があるから本作でも問題にならないというわけでは勿論ない(こういった問題をクリアしている作品もちゃんとある)。本作はミステリ研究会の会員が作中でミステリについて言及するなど「お約束」を踏まえた舞台づくりになっていて、更にそこに加えられた異常な状況を、ゾンビ映画の「お約束」で説明している構図になっている。自己言及的なこういう遊びは、すれっからしのマニアもにやりとさせるためのサービスなのだと考える方が多少は面白く読めるというものだ。読書はすこしでも楽しい方がいい。
当該記事のなかでは数少ないまともな指摘なので、あまり長くなっても仕方ない。ここで止めておこう。
……記事から引用しよう。「第一の殺人ではゾンビがなぜ部屋から消えたのかは犯人からの自白によって落下したということが明らかになるけれども、さすがにそこは落下したという証拠を元に推理をして探偵が独力で辿りついて欲しかった」
端的に言って、この指摘は誤りである。まず、犯人指摘より前の段階、第一の殺人の真相が明かされた直後に探偵役は「詳しい状況はわかりませんが」という留保のうえで、「星川さんは進藤さんと揉み合いになり、手すりを越えて下へと転落したのでしょう」と推理している(267頁2-3行目)。この推理は厳密には真相と異なるが、星川麗花(ゾンビ)の落下に関しては自白の前に既に推理が為されている。何より、第一の殺人直後の現場検証に於いて「ベランダの窓は外に向かって開け放たれ、足跡というほど明確な形ではないが何者かが歩いたような血の跡がベランダの外へと続き、手すりにもべったりと付いていた」と手掛かりまで書かれている。
また、この項目のなかでは「最後に犯人を指摘する際、葉山か静原のどちらかが犯人だというところまで来て、結局しズはらの自白により犯人が決定したのも手落ち感があります。この腐対rのどちらが犯人なのかという所はちゃんと推理で絞って欲しかったです」と指摘が続く(誤字まで原文ママ)。
しかし、これに関しても、用心深い読者なら頁を遡って「彼女に見送られて俺は部屋に戻り」(191頁8行目)という記述を見付けたことだろう。この記述から、最後に自室に戻った人物(=犯人)が静原美冬であることは明白である。語り手の意図によって一部欠落した記述はあるが、彼は嘘はついていないので、上記の箇所も手掛かりとしては有効だ。ここまで親切に手掛かりが用意されてあるにも関わらず、確認もせずに批判する人間がいるとは思えない。もし確認したうえで上記のような批判を出しているのであれば、氏は真に恐ろしい書き手である。
……探偵役が提示した「全員が死ぬか生きるかという追い詰められた状況で、わざわざ密室の中の進藤さんを殺す必要があるのか」(142頁6-7行目)という謎の提示に対して、氏は「その真相が「こんな状況じゃなくても元から殺す予定だった」っていうのはさすがにしょぼすぎる」と批判しているが、これも正しくはない。
まず、第一の殺人(進藤殺し)の犯人は「元から殺すつもりだった」(290頁16行目)静原ではなく、ゾンビとなった星川である。よって静原の動機は、ここでは本来関係ない。
また、第一の殺人における眼目は「なぜ殺したのか?」に見せかけた「誰が殺したのか?」である。犯人が人間ではないという真相が明かされることによって「なぜ殺したのか?」も明らかになる。明かされる事件の構図から考えても、「動機がしょぼい」という批判は的外れとしか言いようがない。
……「推理の根拠となったのがただ1つ「布団の裏側に血がついていた」というものだけ」とのことだが、2.の回答でも書いた通り、そんなわけがない。
そもそも、この疑問自体がほとんど2.の重複で、さして意味のないものである。きっとこの項の手前で氏は一度記事を書くのを中断したのだろう。途中まで書いた内容を忘れて、同じ疑問を書いてしまったに違いない。
5.1つめの殺人の顔が食べられた謎
……このあたりから、箇条書きの見出しも日本語が怪しくなってくる(係りが不明瞭である)。
進藤の顔がゾンビとなった星川に「噛みちぎられた」理由は解決編で犯人が話している通り「星川さんに口づけをした」からである(292頁14-15行目)。氏は本当に解決編を読んだのだろうか。
……この項にいたっては、該当頁の典拠さえ誤っている。他人の文章をあげつらう労力の何割かを自分の文章に向けることをお勧めする。
7.登場人物の名前をゴロ合わせで覚えやすくしているけれども意味がない。
……難癖以上のものではない。
8.キャラの書き方が雑すぎる
……言い方を変えてはいるが、新本格に対する「人間が描けていない」という批判と何が違うのか。ここで繰り返すのも馬鹿らしいことではあるが、謎解きを主軸に据えたパズル・ストーリイに対して、心理描写の多寡をあげつらうのは的外れも甚だしい。こういう時に出てくる「深み」という言葉は、どうしてこれほどまでに浅薄に聞こえるのだろう。
9.音楽の伏線の回収は面白かったけれども、伝聞であるのが良くない。
……このあたりから作品評を離れて、遂に難癖をつけること自体が目的となってくる。氏によれば、探偵役とワトソン役が体験した以外に集めた手掛かりはぜんぶ信憑性はないそうだ。それでは、探偵役が証言を集める事自体が意味はなく、安楽椅子探偵は頭から存在を否定されることとなる。
10.最初のワトソン役の推理がものすごく適当な推理をする意味が分からない
……氏曰く「偽の推理をさせる場合は最低限納得できるものにしてほしい」とのことだが、こういうのは可能性の消去であって、推理に於いては当たり前の手順である。
……だから、どうしたというのだろう。
読者を驚かせることが推理小説の第一義でない以上、犯人の予想がつくことは瑕疵とはなり得ない。
何よりメタ読みは推理でもなんでもないので、それで犯人がわかることを殊更に主張する真意がわからない。
……叙述トリックが本筋でないことは誰が読んでも明らかだ。これもまた的外れな批判である。
……「――あげない」
強い口調。
「彼は、私のワトソンだ」(302頁15-18行目)
この箇所にすべてが書かれてある。氏が、こういうロマンティシズムに感興の湧かないひとなのだと思うだけである。
14.3つめの殺人の毒の入手方法は面白かった。けれども、毒を仕掛ける部分の描写がさすがに不足している
一から十まで書かれていないと理解できないのだろうか。書いてあることも理解できていないのだから、仕方ないのかもしれない。
15.屋上まで逃げた時に、丁度ヘリコプターが来るのはさすがにずるい
……「救助のヘリが現れたのはそれから四時間後」である(303頁18行目)。
何がずるいのかさっぱりわからない。
それでは、何時間後にヘリコプターが現れるのが現実的だというのかご教示いただきたい。
……読みやすさは、ひとつの美徳である。「引っ張ってくれない」と作者の「もてなし」を求めるのは、「お客様は神様だ」と宣うことと何が違うのか。こういう考えを抱く読者が改心することを願って已まない。
ここまで氏が指摘した「手落ち感のあった16の箇所」に対して回答したが、その後も熱心に指摘が書き連ねられている。
それらのひとつひとつに付き合う程私も暇ではないが、看過できない指摘もある。
「選評で北村薫が「奇想と本格ミステリの融合」と評しているのだけれども、ただゾンビを出しているだけだと思います。化け物が出てくれば何でも奇想とするのはさすがにどうかとは思いました」
……恐ろしい。とうとう選考委員の北村薫氏まで批判の対象となるのである。
推理小説に於いて「奇想」という言葉が謎の不可解さや意外な真相を形容する語として用いられることは、多少推理小説を読み慣れている者には周知のことだろう。もちろん北村氏も、ここではゾンビの存在を踏まえたうえで事件の不可能趣味や真相の意外性を以て「奇想」と評して、それが本格ミステリの作法に則って書かれているから「融合」と賛している。
決して「ゾンビ」が出てくる事自体を「奇想」と評しているわけではないことは、前後の文章を読めば大半の読者にはおわかりのことと思う。文脈が読めない読者というのは、作者にとっては脅威以外の何物でもないだろう。
田舎者も村の外を一歩でれば、自分の価値観や考えが偏ったものと知ることとなる。
そこで考えを改めるか、それともこれまでの考えに固執するかで人間は分かれる。
すくなくとも、村の外に出ることなく、出ていった者や訪れてきた者を思い込みで批判する人間は、内と外どちらにとっても害悪以外の何物でもない。
まずは卑小な自意識を捨てて、村の外に出ることを勧める。(WY)
周囲は林になり、すぐに道は未舗装になった。海まで行けるのか分らなかったので私は自転車を壁に立てかけて少し歩きだした。
途端に視界の端にかろうじて入っていた警察官が3人ワラワラっとダッシュしてきて私を取り囲んだ。
「あ、スイマセン」と言って自転車を移動させたらそれ以上怒られたり職務質問されたりすることはなかった。
話はそれだけのことなのだが、おまわりさんにかけられた
「御主人!」
という呼びかけ方がなんだか変な感じがして心に引っかかった。
「おにいさん!(おねえさん!)」「お父さん!(お母さん!)」
が良く使われる気がするが、今回の場合
「おにいさん!」と呼ぶにはオッサンだし「お父さん!」と呼ぶには家族連れでもないので「御主人!」になったのかなあ?
「御主人!」も既婚者か店主・経営者に使う言葉のような気がするし適当でないような…。
でも「そこのあなた!」とか「そこのおじさん!」よりも高圧的ではない気もする。
一方で夫を「主人」、妻を「奥さん」と呼ぶのは主従関係を表すのでよろしくないと少し前に女性の作家さんが書いていたことを思い出し、何が正解なのかますます分からなくなったのであった。
この2つのバンド、アイドルバンドかと思いきや、ライブパフォーマンスも凄い巧い、人気があるの納得!と、僕やりナイトに行って感じた。
普段聞かないタイプの音楽にも関わらず実際めっちゃ楽しかった。
ただ、このドラマに本当に合ってるのか、というと、?んー?って思う。
受注者側(バンド)としてはコンセプト通りにバッチリ作ってるんだろう。
メインターゲット層は高校生ではなくもっと上の層が正解だったんじゃないのか。
「やらかし真っ最中」または「これからやらかす」層ではなく人を傷つけて自分も苦しんだ経験をした人たち…、30代以降の大人をターゲットにするべきだったんじゃないのかなと。簡単に言うと、カルテットを見ていた層で良かったんじゃないのかなと。
あとこのヤンキー校の感じ、今もあるの?
荒れたヤンキー校設定の漫画はおそらく80年代ごろに発生して色んな作品が作られて、90年代以降も松本大洋「青い春」、ドラマにもなった「ごくせん」とかあったけども、今、ヤンキーの存在ってリアルな存在なんだろうか、教えて高校生。
まぁ、今30代〜50代は自分の周りにリアルにヤンキーがいたはず(地域性もあると思うけど)なので、やはりターゲティングを大人にするべきだったんじゃないかと(しつこい)。
まぁ、走り出した後のプロモーションを見て勝手にやんややんや言うのってダサいしほんとに勝手なんだけど。
ドラマOP曲ED曲は、じゃあ何が正解だったのか私なりに考えてみた。
30〜50代がぐっときて、もっと苦悩を感じる音楽。泥臭くて汗臭くて、なんなら血の匂いもするような音楽。
OP曲をINU「メシ喰うな」(俺の存在を頭から否定してくれ♪)、ED曲をザ・スターリン「メシ喰わせろ」(俺の存在を頭から輝かさせてくれ♪)か「ロマンチスト」(何でも良いのさ壊してしまえばお前はいつでもアナーキスト壊れていくのはテメエばかり♪)なんてどうだろう。
年齢層少し下げて、大森靖子の「私は悪くない」(私は絶対悪くない生きていて本当にごめんなさい♪)、アーバンギャルド「ノンフィクションソング」(生きろこれは命令形だ死ぬなこれは命令形だ消せないノンフィクション♪)なんてのも良いのではとひとしきり妄想…してみたけど、
うん、違うね。
違うわ。
違うよねー!
9時台のドラマですもんね。
ED曲はドラマをそのまま歌詞にしたど直球、曲調もヒリヒリしていて心地いい。キャストとのコラボMVも緊張感のある仕上がりでやたらかっこいい。窪田正孝の歌の巧さ、今野浩喜の声の良さにもグッときた。
疾走感ある爽やかなOP曲も、人の心の黒い部分に触れるドラマゆえに、逆に視聴者の気持ちを軽くする役割を担ってくれているように思う。
9時というメリットとデメリットの中でいろいろ葛藤した結果の最適解。
シナリオ、エロや暴力の表現、キャストの演技も9時というメリットとデメリットの中でめちゃくちゃ闘っていると思う。
窪田正孝の映画、東京喰種見てきた。この映画も主人公が自分の背負った罪に苦しむという共通点があるんだけど、(僕やり単体で見ると分からなかったが)明らかに演技の「トーン」を変えてる。狙って変えている印象で、狙って変える事ができる窪田の実力ハンパないっすね。
川栄とのエロシーンも制約があっただろうに、窪田と川栄の表現力で相当エロかった。男性の言う着衣の方が寧ろエロいというのが良く分かった。
各所ですでに言われているがキャスティングが良い。
特に、メインキャスト4人が完璧だと思う。暴力とか人の狡さとか胸糞な内容をこの4人が苦い薬の糖衣のように「魅せる」ものにしてくれている。個体でいうと、マルがダントツ。どクズ胸糞キャラなのに葉山の可愛らしさが「憎みきれないろくでなし」と視聴者に思わせて、感情移入すらすることも。川栄もバッチリハマってる。そして、パイセン。ドラマ全体を糖衣で包む。これは今野にしか演じられない、というか今野ありきでこのドラマが立案されたんじゃないのかと思うレベル。
視聴率はイマイチのようだが、単純に「親と見れねー!」「子供と見れねー!」って人が多いのだと思う。録画視聴率は高いのでは。
もうすでに折り返し地点だが、今シーズンのドラマの中で、抜群に面白いし深い。
日本銀行は、戦前から天皇・ロスチャイルドが株主として君臨し、紙幣発行権を駆使して、市中銀行をコントロールし、その先に大企業群を従えてきた。
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「株式会社 日本」の大株主であった、天皇財閥 2 - るいネット
皇室と日銀株のつながりは深いものがある。第二次大戦直後の段階で、皇室は29社の株式を所有していたが、とりわけ目を引くのが、20万8000株(額面で2080万円分)を保有する日銀の株だった。
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日銀株が下落して 天皇家も大損の「悲劇」 | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]
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farwestto.exblog.jp
横浜正金銀行は、東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身とされている銀行です。
貿易金融・外国為替に特化した銀行であり、明治維新後急速に成長し、やがて列強の仲間に加わっていく日本を国際金融面で支え、香港上海銀行(HSBC)、チャータード・マーカンタイル銀行と並ぶ外国為替銀行へと発展
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天皇家は日銀株のほか、横浜正金銀行(現・三菱東京UFJ銀行)や日本興業銀行(現・みずほコーポレート銀行)などの株式も保有していた
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日銀株が下落して 天皇家も大損の「悲劇」 | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社]
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plaza.rakuten.co.jp
皇居がある東京駅周辺の丸の内のビルの3分の1が三菱財閥の保有となっています。
天皇家と日本郵船は明治期から深い仲にあった。日本郵船の大株主は天皇と三菱財閥であった。当時は海外渡航といえば船舶しかなく、日本郵船は日本貿易の命綱である。
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天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁されました。そして売春を強制されました。
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天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。
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http://www.yuuai.sakura.ne.jp/home20/konnaonna.html
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国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していたただのどぶ鼠野郎です。
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1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族は、この蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、海外に蓄財を「逃し」始めました。
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henmi42.cocolog-nifty.com
安倍晋三さんも、三菱財閥が創設した、成蹊大学を卒業しています。
安倍晋三首相の実兄である安倍寛信氏が4月1日付で三菱商事の執行役員に就任することが決まった。
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成蹊学園初代理事長・岩崎小弥太以来、三菱金曜会のトップが成蹊学園の理事長を務めている。
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第二次世界大戦前は三菱財閥との繋がりが非常に強く、運営費用の大部分は三菱からの寄付で賄われていた。また1917年(大正6年)開設の成蹊実業専門学校は三菱合資会社の要請によるものであり、実業界、特に三菱での中核となる人材の育成を目的としていた。
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戦前の日本経済は財閥が支配していた。三井、三菱、住友、安田の4大財閥を中心に、古河、川崎、浅野、中島、日産、大倉、野村、日本窒素などの中小財閥があった。
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
財閥復活を防ぐために、戦後長く独占禁止法で禁止された持株会社が復活するのは、金融ビッグバンのさなか1997年のことである。現在ではなんとかホールディングス(HLD)を名乗る持株会社が数多く存在する。
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
戦前の天皇家が株式、国債、土地などの資産を持っていたことはよく知られているが、著者によれば、財閥解体時の資料を基に天皇財閥は4大財閥の10倍程度の規模があった
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
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plusi.info
ソニーが没落した要因のひとつとして、昭和の古いシステムにこだわった為と言う事が良く言われています。
1953年(昭和28年)に宮内庁次長の宇佐美毅を後任とし長官を辞任した。長官辞任後、請われて東京通信工業株式会社の監査役に就任する。これが後のソニーで、取締役会長、相談役を歴任し社内からは「会長さん」と親しまれた。
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天皇、皇后両陛下(昭和天皇と現皇太后陛下)の工場見学が決定した。この日、両陛下は、時の東龍太郎東京都知事を案内役として、東京タワーや都内の各所をご視察の予定である。その計画の中に、ソニーが選ばれたのだ。
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Sony Japan | Sony History 第13章 IREショーで見つけたもの
「昭和天皇はソニーに興味をお持ちくださって、葉山の御用邸に行かれるとき、うちの工場(注 ソニーのこと)がだんだん大きくなるのを見ていらっしゃって、<田島の会社(ソニー)はまた大きくなったね>って、いつでもお話になったそうです」
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書評 吉田祐二著『天皇財閥―皇室による経済支配の構造』 最大の財閥・天皇家の海外進出における「経営判断ミス」 | ちきゅう座
僕らのごはんは明日で待ってるを読んだ。なんかふわふわした内容の小説だった。
主要な登場人物の葉山くんと上村さんはどっちもずれた性格をしている。葉山はぼんやりしていてどこかぬけているし、上村は変なこだわりというか流儀を持っている。この二人の恋愛が主要なテーマになっている本作は、こんな二人だからいろいろとすれ違ったりヤキモキしながら進展を見守るかと思いきや、意外とすんなりくっついてしまう。大学生活もそれなりに謳歌しているし、一度は別れてしまうんだけど、なんやかんやでこれまたあっさりと元の鞘に収まってしまう。
文章もぼんやりとした葉山くんの一人称なのでどこかとぼけた印象が強く、激しかったり力強かったりする内容の小説ではなかった。かといって心温まる人情ものであるわけでもないので、全体的にマシュマロのような柔らかくてとらえどころのない作品になっていたように思う。
しかしながら、部分部分にはっとするような綿飴に包まれたラムネの粒のような内容が描かれていて、それらが徐々に染み入ってくる。顕著なのは四話で、山崎さんの言葉が静かに胸を打つんだけど、どの章でもぼんやりとした描写の中に煌めく一節が紛れ込んでいる。おかげで知らず知らずのうちに毛布で温められているような(比喩が過剰すぎる)気分になった。
パンチ力はないけれど、優しくて柔らかな物語だと思った。葉山くんの頓珍漢な受け答えや、上村さんの素頓狂な物言いが小気味良く効いていて、折に触れてくすくす笑える小説だった。
〜 http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol14.html を読んで感じたこと。
父は木挽町で生まれ泰明小学校、銀座中、塾高から慶應大学に行った。
だが、父は木挽町が好きなようで本籍はいまでも木挽町だし、僕も生まれた時から初詣は家族揃って鉄砲洲に行っている。
また、父と仲の良い小学校の同級生はいまでも銀座で店を構えてる連中が多く、父は今でもスーツは銀座の同級生に仕立ててもらっているようだし散髪も同じくである。
目白駅から祖父の家まで行く目白通りは、いまでも好きな道の1つである。
母から地元での話はあまり聞いたことがなく、言うのは学校の近所の話だったり、就職してから出来た友人の話の方がよく聞く。
僕はと言えば生まれたのは小石川で、その後、馬喰町、恵比寿、一番町、南青山、東麻布と都内を転々としている。
転々としているのは父の気まぐれだと思う。同じ町に住んだのは一番長くて7年程度だった。
また小学校から大学まで私立なので同級生も皆、住んでいる所がバラバラだった。
家が近所の奴もいたが、多くは電車で数十分で、遠い奴は葉山とか佐倉、三島などもいた。
住んでる所が一緒、ではなく学校や習い事、塾が一緒という点でのつながりしかない。
たしかに、今でも出身校の近くを通る時、弁当屋の親父は元気かなとか、
授業抜け出して行った定食屋はどうなったとか考えるし、
南青山のみゆき通りに外国のブティッグが増えたなあと、変化したことに感慨があるし、
軍艦パジャマは相変わらず下品だなと、逆に変わっていないことに安心感みたいなものはある。
でも、それぞれに取り立てて愛着がある訳でもなく、それに昔から転々としていたから、
いつの間にかよく通っていた店や建物が、久々に行ったら無くなっているというのも当たり前のことだ。
また、ある種の観光地の近くに住んでたこともあり、田舎者に囲まれて育ったこともあり田舎者に対して特段の思いも無い。
そもそも田舎者とは要は東京者に対するヨソ者という感覚だけれど、僕には地元が無いのだから田舎者という概念を持ち得ない。
東京は本当に巨大で、とてつもないマチの集合体だと思う。
よく地方の人が「マチに遊びに行く」という意味での「マチ」が東京には無数にある。
白金台の裏の方のお屋敷ばかりのあの空気、後楽園の雑多な仲にも昭和的なにおいがある空気、一番町は空気がキリっとしているし、麻布は昔からの重みを感じる。
マチの空気はそうそう変わらない。(表参道の同潤会を壊したのは駄目だと思うが)
東京とひとくくりにするから、毒を浴びるんだと思う。地方出身者にレイプされた気になるんだ。