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2023-07-30

脚本も絵も音楽も良いのに演者の質が低い

アニメでいえばジブリ作品代表

ほかは素晴らしいのに演者の質だけが見劣りする作品ってなぜか「(演技以外の)全部が素晴らしいから名作」って評価が意外とある

ドラマでもなんでもそうだけど、本来俳優声優演技力って滅茶苦茶大事だし、何なら作品の根幹といってもいいくらいなんじゃない?

キャスティングの段階から重要だし、現場でも演技指導はする。そうしないと作品として成立しないなんてのは子供でも分かる

けれど、なぜか俳優声優の演技がイモなのに、他がよいからという理由で謎の高評価ってのはちょっと納得がいかない

もちろん俳優完璧である理由はないが、全く無知視聴者からしても「こいつは素人だな」という人がキャスティングされているのに、そこをあえて無視するのはどうなの?

そんなの俳優価値って低いの?棒読みキャラクターを全無視しているのを許容してまで評価できるものなの?

芸能人声優が嫌われるのは、そこに重点がおかれていない、ってことでもあるんだよ?

作品全体が「俳優声優なんて誰でもいいんじゃね?」っていう立ち位置なんだよ?ひどいと思うよ

もちろん、棒読みのド下手な人でも意味がある状況は存在する、と俺は思ってる

例えば本人出演とかね

コナン映画で実際のサッカー選手が本人役で出演したけど、それは本人だから意味があるし、酷い演技も笑ってやり過ごしてあげるのが吉だと思う

サッカーテーマならやはり実在サッカー選手が出た方が話題性もあるし、意外な一面が見れるからね(純粋コナンファンには不評だが)

あるいは、映画の中で歌手が演技しているという場合意味があると思うし、漫才映画実在の大物落語家を出演させるのもありだろう

ようは、その人がそこにいる理由が明確なら俺は許せる

けれど、無意味キャスティングやその人を起用するために無理やり作ったキャラクターとかはいらないし、その人たちの棒演技で作品台無しにされたら目も当てられない

なんていうか、俳優なんて誰でもいいじゃんって気持ちで作られた作品なんて、どんなに脚本がよくても程度は低いんだよな

2023-06-22

anond:20230621212209

ジャンプ血統主義なんてはるかから批判されてるし

そのせいか最近関係ないor変化球にしてるのが多い

既出の有名作品以外の現行作品だと(ギャグラブコメ除く)

マッシュル→ラスボス(但し「最強の魔法使い父親」と「魔法が全く使えない息子」という構図)

アンデッドアンラック不明一般人 ※W主人公

夜桜さん→一般人(の主人公能力一家に婿入り)

・逃げ上手の若君→北条高時愚鈍人物として描かれている。まあ地位は継いでるんだが…)

・サカモトデイズ→不明主人公が妻子持ちおっさんで妻子は一般人

あかね噺→落語家挫折した一般リーマン

と、ストレートに「凄い父に憧れる主人公はいない

その下の新連載群でも最初からそういう設定はドリトライ拳闘選手だった父に憧れる主人公)だけ

最初はそういう設定なくても後で出てくる可能性はあるけど(どれもその前に打ち切り可能性の方が高いけど…)

あとはちょい前に終わったPPPPPP(天才父と捨てられた凡才息子、だったのが実は息子も天才だった展開やった所で打ち切り)くらいか

2023-06-06

anond:20230606184200

ギャグのつもりなんだろうけど、古典落語のような昔のものは余裕で身体障害者を笑うような演目があるので、結構難しい問題なんや

この前某有名落語家独演会に行ったときに話していたけど、某会場では客席に障害者がいれば、楽屋噺家に通知が行くそうだ

今日はこのような方が客席におみえです、と

そして噺家はそれに合わせて配慮ある話をしなきゃいけない

ただ、例えば目の見えない方が、目の見えない人物が出てくる話を、自分事なので聞きたい、と思うこともある

実際に、目の見えない方本人に、なあ、そういう演目があるって聞いたんだけど、なかなか当たらないんだよなあ、と言われて返答に困ったという話をしていた

しか配慮必要なためそういう方がいれば話せないので、その方は永遠に寄席で聞くことはできないそうだ

この需要配慮ポリコレ交錯しまくってるのがいまの寄席の現状らしい

そして俺は健常者なので、その独演会では決してテレビじゃ放映できないだろうおめくらさんの話を聞かせてもらった

とてもいい経験だなと思うと同時に、これは確かに難しい問題だな、と考えこんでしまったよ

2023-06-01

松本人志氏への提言審査員という権力中田敦彦 書き起こし 1/2

https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A

動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。

~~~~~~~~~~~~

今日はですね、「THE SECOND漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。

いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングオリラジ

アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組生放送してた。生放送という

プレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。

なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。

僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう

知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか三四郎とか同期だしね。

うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。

あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで

オンエアしましたね。

その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。

でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかし

よねと思って、見たわけですよね。

ギャロップさんですとか三四郎漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。

中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。

これでさネタ面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会のもの

どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。

本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1自体そもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれ大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。

そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。

というのもお笑いで言うと東京ってああいお笑いの賞レースって。

ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東あんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西文化大阪ABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。

でもその吉本の中でも大阪東京って全然文化が違うから、その東京人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪芸人のものだっていうのが、大阪テレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。

から東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。

から僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー

がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。

でもそれはそれで、テレビ局全国ネット東京にあるんだから東京芸人は売れやすくて有利じゃないか大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから

必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。

そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから

2004年NHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから

その「M-1」の大会存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず

これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ

というですね。

そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。

ところが1回終わるんだよね。「M-1自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。

そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ

よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。

これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初デビューした時に武勇伝っていう

もの自体そもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ

なかったんですよ。

そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。

そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。

芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。

ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。

で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。

この「M-1至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん

だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。

もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか

いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。

売れるために「M-1しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1しか

ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり

特にM-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって

漫才だけじゃないんですよ。まず。

漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉

いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からお笑いの流れしか知ら

ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。

実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代

ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロ演芸になりかけてたところがあったんですよね。

それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸コントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。

みなさんの中で落語漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。

落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸格式が高いっていう認識って全然違って。

ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的ものなんですよ。すごく相対的もの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。

エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。

もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コント漫才を直してやるぐらい、お茶の間センターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。

から言ったら「エンタ芸人と「M-1芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。

そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリア10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。

そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。

減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。

特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員ものすごい力があって、審査員ものすごい光を当てられる。

あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。

他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。

でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。

これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事めっちゃ多いんですよ。それは第一人者からカリスマからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。

たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。

松本さんはあらゆる大会主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。

芥川賞審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。

から太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。

それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンル審査委員長松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。

たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人キャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。

求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。

その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。

もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。

まり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。

ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。

それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。

ブランドアンバサダーかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。

今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たち書き込み自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。

それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。

価値観への介入に値するわけですね。

M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。

それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。

「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?

2023-05-08

マッチングアプリ始めた

31歳にして、自分人生を生きるのが下手糞だ!と気が付いた。誰かと協力して人生を乗り切りたかったので、マッチングアプリを始めてみた。年収400万円以下の童貞だけど。

協力して生きるだけなら、友達同士でも良いけど、重い病気介護必要になったりしたら無理だと思う。でも、恋愛を介するだけで、そんな心配不思議となくなる気がしません?というか、結婚してる人ってすごい。一緒に生きて行きたい人どうやって見つけたの?自分人生より相手人生の方が大切だと思った瞬間があったの?私は初めてプレイするゲーム説明書は読まなかった。そういう人達を見ると、ちゃん説明書読んでから人生プレイしてるんだなと思う。私は説明書も読まずに年だけとってしまった。Bボタンダッシュできるって知りたかったな!

マッチングアプリ始めたら、普段しない排水管の掃除自然とするようになった。いい匂い柔軟剤も買った。なんか生活が丁寧になってきた。とりあえず、加藤ミリヤを聴きたくなった。

そうしたら、何度かメッセージした人と通話することができた。とっても楽しく喋ることができて舞い上がった。すぐにaikoの桜の時を聴いた。会ってもないのに、好きになった。会ったこともないのに!どこでデートしたいかとか、結婚できるかとか、じゃあ転職しなきゃとか、平気で仕事中に考えた。会ったこともないのに!本当に自分は愚か。毎日顔写真プロフィールだけで判断していいね押してたけど辞めた。なんか浮気してる気分になったから。別の人ともメッセージ送り合ってたけど、無視した。自分キモい。会ってもない人のことを毎日考えて、メッセージを送った。少し返信が遅れただけで、悲しくなった。相手プロフィール写真が更新されてたら、すごく焦った。私と楽しく話してるのに、まだ別の男との出会いを求めてるってこと?とかストーカーみたいなとことを考えた。会えなくてもメンタルストーカーになれる。もしも会って、もしも告白する機会があって、もしも振られたら、モンスターラブのクロちゃんみたいに嗚咽してしまうことが容易に想像できる。落語家みたいに上着を脱いじゃうだろうな。

そもそも恋愛なんてロクにしたことなかった。相手気持ちを考えて、相手に好かれたいと思うことが、こんなに汚いなんて知らなかったよ。醜くないですか、私?会ったこともない人のことで一喜一憂して。本当に馬鹿。それに比べて他の皆はすごいな。私が他人気持ちを考えられるようになったの最近だよ?周りは普通にこんなことしてるんだね!人間あるある恋愛しがち!

なんでも話せる恋愛に全く興味のない友人がいるけど、このことは話せなかった。汚な過ぎて。もしも一緒の汚い思いをしてたら話せたと思う。同じ地獄を味わって欲しい。同じ地獄ドリンクバー飲みながらお喋りしたいよ。でも、他の人から見たら自分も今までそうだったから、結婚した友人と疎遠になってしまうのか。そういう仕掛けだったのか。同じくらい苦しい人と話した方が楽しいもんね。共有できないなら、話す意味ないもんね。

最近読んでとても感動したエッセイ最後に、本当に美しい瞬間は誰にも教えたくない、と書いてあった。自分人生に誰にも教えたくない美しい瞬間なんて思い当たらなかった。これから先、誰にも教えたくない美しい瞬間は訪れますかね?

5chの「定説」一覧

「~というのは定説だが…」等で検索して出てきた書き込みを集めた。

・減量すると脂肪だけでなく筋量も少なからず減る

北アイルランド紛争の開始が1960年代後半

アイドルの足を引っ張るのはアイドルヲタ

アルファはみくのしんといる時に一番人間味を引き出される

スクワットを適量(10回くらい)行った後は握力が上がる

桜通信は9巻と11巻が抜ける

・ナッパの宇宙ポッドは屁の臭いが充満していた為あっさりと爆発した

予備校教師社会不適合者

将棋板で羽生さん付けする奴はキチガイ

アウトロー板が一番頭が悪く・むさ苦しい場所

業界が狭い板は荒れる

口語文の誕生落語家速記出版が影響してる

ホールクラスアーティストになると露天でコピー商品がでる

子供が次々おもちゃ出して遊ぶ時、大人には次に興味が移ったように見えても本人にとっては一続きの遊びだから片付けるのは子供の発達には良くない

・女が男を一度嫌いになると死ぬまで嫌い続ける

・同居は提案してくる方に旨味がある

仙台二郎が全二郎の中でも収益が良い

ハロプロ病み期にハマる

ヲタクの天敵は男アイドル

ウエスタンアンプの方がマークレビンソンより遥かに上だった

・強い女はアナルが弱い

・息子の嫁が産んだ孫より娘が産んだ子の方がカワイイ

徳島交通事故起こしたら警察弁護士裁判所までグル

ホモ漢字に弱い

SPY×FAMILYの生命線はアーニャの可愛さである

ネットで強いのはいつの日もニートかきままな主婦

・辞めるのが決まってるアイドルはむしろ晴れやかになってメンタルが安定している

2023-02-24

面白い良いこと思い付いたんだけど

松本人志さんがやってるIPPONグランプリあるじゃん

あれ普通に落語家やらせたら面白くない?

年配の視聴者にも分かりやすい安定感ある答えで幅広い年齢層に面白い番組になると思う。

まり詳しく落語家さんのことは知らないけど派閥というか師匠部屋別でやっても

お笑い事務所対抗みたいな感じでも面白いかも知れない。

面白いのを答えたらIPPONグランプリみたいにランプが灯るんじゃなくて、

落語家さんだから座布団2枚3枚重ねにしていけば雰囲気出ない?

でも電球が点くみたいに座布団機械仕掛けに重ねられないから、

落語家さんの得点表示システムは何か良い方法考えた方がいいかもしれないけどね。

でもまあ普通に話芸の落語家さんのIPPONグランプリみたいなのやったら面白いと思う。

スゴイ良いと思わない?

2023-01-08

ツイッターなどで漫画家アカウントを見かけるようになって久しい

この時代から漫画には結構予算が割かれているのだろう

昔、小耳に挟んだところではある

旅行会社雑誌は、有名な落語家にウン百万で筆書きの題字を依頼したと言うことであった

そういうことを考えれば数は少ないかもしれぬがネット漫画家生活できるぐらいの報酬は得られるのであろう

ひとまず生活情報発信は100年後ぐらいには生活史の資料になりそうだ

2022-12-30

anond:20221230171538

そういうの人達芸能人で括るのなんかちょっと嫌なんだよね

ちゃんと、歌舞伎役者だとか落語家だとかってカテゴライズで呼びたい

2022-12-25

anond:20221224200159

固定メンバーと専業落語家日本語発音から違ってるのがいたたまれなくてなぁ…見に行ったことはないけど笑点経由で落語存在を知った者としてはテレビで素の落語やってくれんものかと思う

2022-12-24

笑点を見てほしい

笑点は、JK日常四コマに似ていると思う。

お決まりキャラクターが、毎回テーマに従ってワイワイやっているのを眺める。

大きな起伏も急な展開もないが、のんびり見ていられる。

ここ一年笑点が大きく変わったのは、円楽入院を繰り返すようになって以来、ゲストが週替わり(最初の方は収録の都合で2週ごとだったが)が参加するようになったことだ。

以前は新メンバーの発表すらもったいぶって数か月かけていたが、はっきり言って普段から落語を見ている人でなければ誰が出てきてもどんな人なのか、どれくらいすごい人なのかよくわからないし、予想も別に楽しくなかった。

ゲスト制になってから、良い意味で敷居が大きく下がっていて、若手(といってもそれなりのキャリアと年齢なのだが)や上方関西圏)の噺家まで出演するようになった。

若手の枠での出演だったが、春風亭ぴっかり改め春風亭桃花は(女子アナ大喜利のような企画を除いて)初の女性大喜利メンバーとなったし、いろいろあった立川流メンバーゲストとして何度か参加している。

(※これは当然円楽入院に伴う(復帰を前提とした)一時的措置だったので、今後このシステムがいつまで続くかはわからない。

前回と前々回が王楽(三遊亭好楽の息子)→当代林家木久蔵木久扇の息子)と、少々ネタ切れを感じさせる人選だったので、年明けにはレギュラー新メンバーを入れるかもしれない。)

ゲストとはいえ毎回簡単説明ぐらいはされるし、芸歴の長い者同士で初めてのぎこちさなどもないが、新鮮味はあるので、以前より大喜利が楽しみになってきている。

また、三平メンバーから抜けて桂宮治が加入したすぐあとというのもタイミングが良かった。

宮治は底抜けに明るいキャラクターであり一番の若手、真打になったばかりということで、レギュラーメンバーだけでなくゲストにとっても非常にいじりやすポジション人間だ。

そして、主観だが、ゲスト制になってから真ん中の席にいる林家たい平が明らかに「全体の回し役」の立場になることが増えたように感じる。

昇太ミスを拾い、木久扇や好楽のボケを拾い、笑えるように全体を盛り上げている。

日常四コマ漫画のような番組だが、落語家には卒業年度がないので、いつまでもあのメンツの掛け合いが見られる。

長く続くわけである

明日は年内最終放送恒例の、30分まるまる大喜利スペシャル

ぜひ見てほしい。

2022-12-16

anond:20221216210721

https://anond.hatelabo.jp/20221215192051増田だが、

↑でも書いた通り、ぶっちゃけあの師匠指導力はそれ以前、な展開になってるので「漫画描写として」はそれで矛盾はしない

原作者はわざと無能師匠に描いてるつもりは恐らくなく展開の都合でしかないが。そういう展開にせざるを得なかったのは原作者能力のなさ、ってならその通りだと思う)

んで原作&監修は、女が落語家に向かないと言われてる事はちゃんと分かってるよ

丁度そういう説明あったばかりだし(なのに大成した女師匠が出てくる、って展開のための枕だが)

まあ漫画としてはそれでいいんじゃない

バレー選手目指してるのに背が低いハイキュー主人公とか、魔法世界なのに魔法が使えないブラクロマッシュルの主人公みたいに

主人公に何らかの生来的なハンデを負わせるのは少年漫画王道だし

https://anond.hatelabo.jp/20221215161704

これまで女流落語家大成した人物が一人もいないのは厳然たる事実だし、そこには相応の理由事情もある

亭号にもなってる「三遊」は「飲む・打つ・買う」だけど、これは全て「男の道楽」だから女性が演じても無理のない噺はかなり限定されてしま

古典落語をやる限り、この問題だけはどうにもならないことは、本来なら弟子入り前に師匠がきちんと説明するわけだが、そういう所をすっとばしてデビューされてもリアリティが全く無いんだよ

原作者根本的なレベル落語を舐めてるんだろうと思う

https://anond.hatelabo.jp/20221216125431

>監修の落語家をよく思ってない勢力落語業界に少なくないみたいなので

大して知名度のない二つ目が引き受けたら、そりゃまあ「本業で売れるのが先だろ」と言われるよ

本職が関わってる割に設定がガバガバから前座とはいえプロアマチュア大会に出るのは御法度だろう)、監修として仕事してんのか?ということにもなる

ある程度の事情通なら「よく思う」方が無理だと思うぞ

anond:20221215152844

ハンターハンターのついでに読むことあるけどそんな面白いかな?

そもそも髪型とか着物とか言葉遣いとか師弟関係とか諸々ありえないことだらけだし、なんか蘭彩歌うららみたいなホステス上がりで廓話の世界に客を引きずりこむ人間離れした能力を持った女流落語家が大看板みたいな世界リアリティゼロじゃん。

anond:20221215152844

アンチの湧き方が売れてる漫画パターン

来週号もまたまたまたカラーだし、もう掲載順位トップ3以内確定。

小学生が読んでも大人が読んでも面白いジャンプ王道

ただし、原作作画はともかく監修の落語家をよく思ってない勢力落語業界に少なくないみたいなのでその辺の事情は複雑。

ヒカルの碁バクマンと違って「落語もっと身近に!」的な社会現象になるのを昔から落語ファンが歓迎してないのも向かい風。

これはあかね噺以前からSNS落語家を知った若い女ファンが会や演芸場を埋めるようになり以前に増して混んで落ち着いて見れないことに苛ついてるおっさんおばさんがすごく多いこと。

ジャンプ的には大成功だけど、業界は熱烈歓迎ではない難しさがある。

2022-12-15

anond:20221215152844

単行本派なら4巻までしか読んでないだろうから最近の展開分からないだろうけど、個人的には最近どんどんつまらなくなってる

父親破門→その真相を知るまで、と言う所で話が一旦まとまってしまった感じ

多分連載前はそこまでしか話を考えてなかったんだろう

以下ネタバレだけど

その後は主人公目的あやふやだし(可楽杯までは「破門真相」や「どうやって寿限無で勝つのか」って所が読むモチベになってたんだが今は何もない)

主人公子供の頃から落語大好きで師匠について修行してきたはずなのに、展開の都合で何も知らない事にされてるし

(何で半年前まで素人だった格下のからしか落語界の常識教えられる立場になってんだよ)

師匠も(入門半年元素人が知ってるレベルの事すら主人公に何も教えてない、ネタも5個しか教えてないとか)指導力なさすぎで

ひょっとして父親落語挫折したのは師匠のせいだったんじゃ…と思えて主人公師匠の格が下がりまくり

地味な下積みやって先輩に嫌がらせされてやり返したら自分立場がまずくなってという胸糞展開はリアルではあるがジャンプらしくはないし

じゃあずっとリアル路線で行くのか?と思いきや、「有名落語家のすごい落語」の表現領域展開(派手な絵の見開きで周りにスゲーと言わせる力押し)で

初期はちゃん理屈で良しあしを描けてたのにそのネタが尽きたのか?結局漫画落語はこれでしか表現できなかったのか?状態

(こういうの一度やると今後はどんどん絵の派手さをエスカレートさせるしかなくなるんだよね、

あと今は同じジャンプ芸能系でPPPPPPという領域展開漫画があるから飽きてるんだよな、単行本派には関係ないが)

可楽杯までがピークの漫画だったか、って感じ

少し前まではジャンプ開いて真っ先に読む漫画だったんだけど、今は最後らへんでそういや読んでなかったなで読む漫画になってる

それでも今のジャンプ他の作品レベル低いし、最初貯金である程度までは続くんだろうけど

anond:20221215154117

主人公が男でもまったく物語の魅力が損なわれないから、女子高生落語家を描きたいって感じじゃないけどな

ただのアイキャッチで女なだけかと

あともう卒業たか女子高生じゃなくて高卒だよ

anond:20221215152844

いやあ、実にジャンプ的で面白くないね

絵は悪くないがフォントジャンプ的で目障り。(説明多すぎぃ)

談志見立て師匠

理由説明もなし。

女子高生落語家が書きたいんならサンデーマガジンのように最初からそれを描くべきだよ。

読者が食いつく。

目指すようになったきっかけは伏線。後でいい。

あかね噺」がめちゃくちゃ面白いぞ!!

このマンガがすごい!2023』の4位になったらしい名作なんだ

月曜にジャンプラで電子版が公開されてたので読んでみたが、めちゃくちゃ面白い!!

一気に引き込まれ無料公開分の3巻、25話まですぐに読んだ

そして、続きが読みた過ぎるし、電子版じゃなくて紙の単行本が欲しいわ!ってなったので本屋に行って4巻を買ってしまった

単行本買ったのなんて鬼滅の最終巻以来だよ(ブームの中、最終巻だけ買った)

こんな面白いマンガ、読まずに過ごしていくのは絶対に損だと思うので、プレゼンしていくぞ!

読んだことない人への布教のつもりだから勿論ネタバレには気を付けるけど、面白みの紹介のためには序盤数話分はどうしてもストーリー踏み込む必要があると思う

そこは申し訳ない

少しのネタバレも嫌な人は今すぐジャンプラへGOだ!

無料12月25日までなのでお早めに!

https://shonenjumpplus.com/episode/316190246999430065





…では、いいかい?

タイトルが「あかね噺」なわけだけど、噺とは「はなし」と読む

「話」と意味は変わらないのだけど、「話」よりも「噺」のほうが「語って聞かせる物語」的なニュアンスが強い漢字となる

現代で「噺」の漢字が使われる場面は「噺家(はなしか)」くらいかなと思う

噺家」とは物語を語って聞かせる職業の人で、ほぼ落語家同義

まりおわかりの通り、このマンガ落語を題材としたマンガ

これは主人公少女あかね」の、「あかねに関する物語」という意味と、「あかねの語る落語」という意味ダブルミーニングだと思う

長くなりそうだから章立ててくよ



基本ストーリー

じゃあ序盤のストーリー、少しだけ要約するよ

主人公あかね小学生時代から物語は始まる

あかねの父は落語家、阿良川志ん太

志ん太は落語家階級としては中堅で、最終ランクである真打」への昇進を目指している

中堅どころなので稼ぎはよろしくなく、妻、つまりあかねの母の稼ぎで家計が成り立っている

父はヒモだとクラス男児からかわれてケンカするほど、あかねは活発で気が強く、父を大切に思っている

そしてあかねは家で練習をする父の落語が大好きで、幼いころから父の真似をして、落語に親しんでいた

志ん太は家族のためにも真打へ昇進するための最終試験に挑むことになる

落語家一門の「阿良川一門」の重鎮たちが揃う中、昇進試験落語を行ったが、阿良川トップ、阿良川一生がなんとその日の受験者を全員破門にする

それ以降、志ん太は落語家を続けられなくなり、一般企業就職し、経済的にはむしろ裕福になった

しかし、あかねは父の落語が断たれたことに納得できない

そしてあかね高校生になり、父の落語を認めさせるためにも落語家への道を進んでいく…

というのが第一



ラスボスライバルの描き方がすごい

まず、落語マンガではあるのだけど、バトル物かと思うくらい、ライバルラスボスの描き方がうまい

最後までラスボスヴェールに包まれてわからないようなマンガも多くあると思うけど、このマンガ第一からラスボス良川一生がはっきりと描かれ、そこに向かってあかねが成長していくような熱い展開となっている

ラスボスを隠すパターンは謎解き感が演出されるのに対して、ラスボスがはっきり序盤で出てくるとそこに到達するときの盛り上がりがすごく熱くなる

ワンピースシャンクスとか、鬼滅の鬼舞辻無惨とかね。

あかね噺はそっちのパターン

父はその後もちゃんと生きているはずだが、マンガではその後単身赴任として描かれず、バトルマンガで言えば「父は阿良川一生に殺された」状態

まあ落語家としては殺されたんだけど

ラスボス良川一生と父、またあかねとの因縁がこれ以上なくはっきりしてて、かつ、阿良川一生は落語界最大の重鎮

そこに挑むために成長していくのだから熱くないわけがない

それに加えて、志ん太の元師匠で、今のあかね師匠である良川志ぐまも、何やら阿良川一生と因縁があるようで?ここははっきり描かれていない伏線になってそう


あかね初舞台出会う阿良川魁生もいい

おそらく中ボスという感じで、あかねと年齢は近いけど、天才的な実力で若くして中堅ポジションに昇格したカリスマ落語家で、阿良川一生の弟子

学生大会で戦うライバルたちも熱い

この辺の演出は本当にバトルマン王道物って感じの熱さがあってすごくいい



展開がめちゃくちゃスピーディ

ジャンプと言えば努力友情勝利だけど、あかね噺もそのパターンが組み込まれている

そしてそのサイクルがめちゃくちゃスピーディに展開する!

あかねが壁に当たる→兄弟子のふんわりした助言→あかね解釈努力→成長!

だらだら失敗したり、だらだら修行したりしない

何か掴んだ描写があったら、その後の練習は描かず本番に移るので、ダレるタイミングすらない!

なのに説得力はすげえあって、あかねの成長がすごくよくわかる

こんなにグングン成長していく様子が、読んでて気持ち良くないわけがない!

ここの展開の速さが、このマンガにぐいぐい引き込まれる最大の要因だと思っている




ここまで読むと、王道バトル物をスピーディな展開で飽きさせないだけなのかな、って感じたかもしれない

当然それだけじゃないんだわ

落語マンガならではの強みがある

ちょっと専門的になるけど、ここを書きたかたからこの増田を書いているので頑張ってついてきてね

劇中劇のお手本になるような名作

このマンガの最大の魅力は「劇中劇」がふんだんに盛り込まれながらストーリー展開するところだ

劇中劇」とはなにかというと、「作中作」とか「物語物語」とかいわれるように、お話の中にさらお話入れ子になっている構造を指す

あかね噺」という物語の中で「饅頭怖い」という落語が語られれば、それは物語の中の物語なわけだ

で、その劇中劇がなんだってんだよ、と思うだろうけど、劇中劇で語られる物語が、外枠の物語リンクすることで、物語中で語られない意味合いを伏線として提示することもできたり、外枠の物語登場人物が感じていることを劇中劇人物リンクすることで強調したりすることもできる

まり劇中劇を上手に使えば、本編で深く語らない内容を読者に伝えることができるようになる

あかね噺」はこの劇中劇の使い方がめちゃくちゃうまい

文学理論教科書に載せたいくらいだ



あかね噺」は落語マンガなので当然、物語中に落語を演じる場面が多く出てくる

もちろん知らない人のために、最低限の演目の内容紹介はある

さらっと読むにはそれでじゅうぶん足りているし引っかかりもない

しかし、この劇中劇である落語が分かると、めちゃくちゃマンガ解像度が増すんだ

読者もyoutubeなどで探せばどの落語も全編視聴することができるし、その演目の見せ場や意味も読者はネットで調べて知ることができる

ぜひ、一度マンガを読んだ後、時間がある時に扱われている落語を視聴してもらいたい

そしてもう一度マンガを読んで欲しい

例えば冒頭の場面、あかねの父、志ん太が寄席で演じて、さら帰宅後にも練習する演目は「大工調べ」という落語

これは経済的に貧しくて家賃を滞納した人物が、大家商売道具である大工道具を取り上げられ、大工棟梁と一緒に大家に道具を返してくれるよう交渉するという話だ

これは、落語ほとんど稼げない志ん太そのもの立場と重なっているし、商売道具を取り上げられてしま未来を暗示しているとも読める

(その後最終的には奉行所までいって道具は取り戻すストーリーなので、最終回では大工棟梁あかねが父の落語を取り戻す、つまり父の落語(のもっと上の師匠落語?)を継承するエンドの暗示かもしれない)


父が真打昇進試験でやった演目は「芝浜」で、これはこんな話

日々真面目に働かない亭主がある日、浜で大金を拾ってきて、大酒飲んで寝てしまったので、妻が大金を拾ったのは夢だということにして金を隠し、亭主が真面目に働くように訴える

その日から更生し、財を成したある日、あの時は夢ではなく妻がお金を隠して亭主を騙したこと告白し謝るが、亭主はお前のおかげで身を立て直せたのだと感謝する

そんな人情話だ

これがなかなかすごい

志ん太は芝浜の亭主とは逆で本当にまじめで、家族のために昇進したいと、真面目に芸に取り組んだ試験だったのに、その挑戦は夢と散るという、芝浜のストーリーとは逆の構造を見出せすことができる

しかし、経済的意味では芝浜と同じで、落語なんて食えないことをやってたのが、夢から覚めてサラリーマンになって稼ぎが増えた、とも言える

この場面の志ん太と、芝浜の対比を考えるだけでいくらでも飲めそうな話になっている



あかね初舞台は「まんじゅう怖い」

これはこんな話

みんなが何かしら怖いものがあるだろう、と言いあってた時、何も怖いものなんかないと言い張る男がいたので、さらに追及すると、本当はまんじゅうが怖いと言い出した

そして寝込んでしまったので、もっとからかってやろうとみんなでまんじゅうを買い集めて、男の枕元に並べた

起きた男は、怖いーとおびえるふりをしながら美味しくまんじゅうを食べてしまった

怖い怖いと言ったらみんながまんじゅう持ってくるだろうと思っただけで、本当はまんじゅう大好きだった、という話

まり、怖いものなしの無敵感満載の男が躍動する滑稽話なんだけど、これをあかね初舞台で堂々とやるわけさ

あかねの強さの演出にはこれ以上ないよね、とうならされるわけ

いやもう、これで終わらずずっとこの調子で色んな落語が出てくる

劇中劇考察だけでいくらでも読み直せるよこのマンガ

と思うと、まじで電子書籍で一読するだけじゃダメなんだよね

マンガ読む→落語見る→漫画読み直す→落語見直す→また漫画読み直す、ってサイクルをずっとできる

紙で欲しいね、これは


その他

あとはですね

逆に、落語への理解度も増すよ

三方一両損」って落語があるんだけど、あれ、序盤の掛け合いは面白いんだけど、後半のお奉行様が出てくるところは別に面白くないのよ

それがこのマンガで、真面目過ぎると面白い、みたいに書かれてて、ああ、確かに、そう見ればそうかも、ってなった

おかげでイマイチわかってない落語についてもちょっとわかった気がする

マンガから落語落語からマンガ、どちらも理解度が増すってめっちゃ得だよね


もう少し魅力を語るならば、落語ってひとりの人物複数キャラクターを演じ分ける形態だけど、落語の語りを声色も何もないマンガで見せるわけなので、表情の描き分けなんかも面白い

あかね可愛い

絵の技術、というか、マンガ技術もしっかりある人じゃないと、このマンガ面白く描けなかっただろうなってのはちょっと思います

作画の馬上鷹将先生ありがとうございます

まあそんなわけだ

読んでみて

2022-12-14

笑えない雰囲気作る大御所芸人落語家って何考えてたんだろ?

もうすぐM-1グランプリだなーと思って思い出したのだけど

M-1って始まって5年くらいは番組として全然面白くなかったよなー。

審査員は何を勘違いしてるのか、ブスーっとした面で漫才見て

厳しい意見言って偉そうにして、会場の雰囲気最悪だった。

その雰囲気司会者にも伝わるしお客さんにも伝わるし。

そんな中で漫才やれと。

いつも楽しく見てた芸人さんが全然違って見えて笑えなかった。


落語家にもそんな人がいっぱいいた。

ああ、この人テレビ映ってないとこで性格悪いんだろうなあ

という雰囲気がぷんぷんしてて、

テレビの司会っぽいことを一見楽しそうにしてても

作り笑顔気持ち悪かった。(桂文●とか)

まあ昭和の「仕事は何事も厳しく!」てな雰囲気

勘違いさせたというのは少し理解というか同情する。


まあともかく最近暖かい雰囲気M-1は見てて安心するし笑える。

昔のあの審査員芸人さんたちは「笑えない時代を作っていた」と大いに反省して欲しい。

2022-11-22

anond:20221122113402

別にさあ落語家野球選手不倫してキャンセルされなかろうが、客がそれでいいと思うならそれは仕方ないわけよ

そして落語ファン野球ファン別にポリコレ正義面なんかしてない

でも腐ェミさんはねぇ

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