はてなキーワード: 落伍者とは
ときめきメモリアルに代表される恋愛シュミレーションゲーム、買ってみるものの途中でルーティンに飽きてエンディングまで迎えられたことがない。
会話の選択肢も、自分が思う返答を選択すると好感度が下がるので、「自分は思ってないけど好かれる選択肢」を選ぶのもキツイ。
こんな嘘ついて好かれても…と考えてしまう。
ときメモは藤崎詩織と一度も一緒に帰れないまま1年のクリスマスでコントローラーを置いた。
興味本位でガールズサイドもやってみたが、バレンタインのチョコが納得いく出来にならずにやめた。
恋人になる前にDSを触らなくなった。卒業Ⅱは生徒に「意味ないわよこんな授業!」とキレられるので早々にやめた。センチメンタルグラフティは桃鉄のほうが面白いじゃんと思ってやめた。ジャックジャンヌは絵がすごく綺麗なのに公演が始まると突然ポリゴンリズムゲームなるので萎えてやめた。
でも、恋愛シュミレーションゲームのパッケージやレビューを見ると「やってみたい!」って思うんだよね。
全然クリア出来ないから最近買ってないけど、イマドキの恋愛シュミレーションゲームはもっと面白いのか?オススメあったら教えて欲しい。
税金払わずに毎日図書館に来て冷房を浴びながら昼寝しているホームレスがいる。
何日風呂入ってないのかも分からないクッセーオッサンが一角を占拠している。
宿無し生活用の装備が詰まったリュックを近くにおいて椅子の上に横になって寝てる。
クッセー靴下の匂いが染み付いて汚染された椅子は、あとで職員がファブリーズかけまくってるんだろうなと想像がつく。
住民税払ってる人間が図書館に来て本を借りるのは全く恥ずかしいことじゃない。
皆でお金を出しあっているクソデカイ学級文庫が図書館なんだから。
絵本をすごい勢いでグルグル読んでいく生き急ぎ園児、ラノベを大量に借りているニキビの中高生、彼らはきっと親が税金払ってるから堂々と使って良い。
実験や論文用の資料を読み漁っている大学生、その日の分の新聞を3つぐらい掴んで読み終わったらまた次の新聞を3つぐらい掴んで戻ってくる新聞ジジイ、将来税金を沢山収めてくれたり、過去にたっぷり税金を払い終わった人間も堂々と使うべきだ。
だがホームレスはどうなんだろう。
ずっとずっと税金を払わず、本を借りるわけでもなくただ涼しい場所、暖かい場所を求めてやってきて、夜の怪しい仕事にでも備えているのか堂々と昼間から寝息を立てている。
3人がけの椅子に堂々と横たわり、場合によっちゃ隣の椅子に荷物をボンボン置いている。
1円の税金も収めること無く公共の施設を貸し切っているホームレス。
こんな存在が許されて良いんだろうか。
「ホームレスじゃなくてツーリストがちょっと休憩に来てるのかもよ?」←知らねーよこの街で住民税払ってね―奴が知識や娯楽を求めるでもなくただエアコン効いてる場所で寝るためだけに来てるのがおかしいっつってんだよ。
健康で文化的な最低限度の生活を誰もが送るために弱い人にも優しくしなきゃいけないってのは分かる。
俺がいつかホームレスに転がり落ちた時、同じようにどっかのデパートや空港の待合室で怒られるまで寝てるかも知れないから。
でも釈然としないんだよな。
ホームレスが単なるホームレスで居てくれているだけまだマシで、風雨を凌ぐ場所欲しさにどっかの家に押し入ってくるぐらいなら、公共施設で悪臭撒き散らしてくれてた方がまだマシだってのはある。
冬場は凍りつくから仕方ないにしても、夏場だったら公園の蛇口からぬるま湯が出てくるだろ。
どうしたらいいんだろうな。
「幸福な家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれの不幸がある」
人生が駄目になったとき、それには様々な理由があるので、そこから立ち上がるための方法は人によって違うのだ。
故に我々が知るべきは「誰かがこの方法で成功した」ではなく「あなたはこうして人生に失敗する」というアンチパターンである。
一見して路頭に迷った時に最適解に見える職業ほど、路頭に迷ったときに更なる絶望が待っているものだ。
公務員のメリットは「クビになりにくい」のと「賃金の最低ラインが高い」という2点だけだ。
仕事を通じて得られるやりがいや自由度は皆無に等しく、国政の頂点に立つ小さな暴君~町内のご意見番を気取る小さな暴君まで様々な小さな暴君たちに媚びへつらうだけの仕事である。
中でも自衛隊は最悪であり、この組織は無数の小さな暴君を量産し、ネズミ講的に「お前も後輩にエバれるよ。だから今は我慢しようね」と教えられて育つ。
小さな村社会の中でしか役に立たないゴミのよなルールを精一杯に読み込み、最後は身近な上司によって全部ひっくり返される。
そして気づけば声を荒げることに長けた誰かや、地雷を埋めて逃げていくネコババ野郎の尻拭いをするために、公文書を偽造させられ、下手をすれば捕まって仕事を失うのだ。
世間に偏見があるのではなく、実際に公務員は「世間の人間とは全く違う働き方」をしすぎており、他の社会では全く使えないのだ。
特に自衛隊はその傾向が強く、「人間関係が嫌で陸自をやめて海自にいった」みたいな人間がゴロゴロいる。
転職の候補として民間企業が入らないということは、30辺りにある年齢制限をオーバーしたが最後、もうまともに転職を出来なくなるということである。
普通に働けない人間が「じゃあ俺は芸術家になれば良い」と突然目覚めてしまうことほど恐ろしいことはない。
大抵の場合それは単に「他人の作品を通して努力や才能を正しく評価する目が養われていない」ことに端を発する自画自賛から始まっている。
クリエイターであっても3DCGが使えたりイラストがかけたりするならば意外と働ける場所は多い。
絵による説明は多くの業界において便利なスキルだし、単純に「綺麗なパワポやポンチ絵が作れる」というだけでも生き残りやすくなる。
工作作業系はその技術をある程度流用してつける一般的な職業もあるのでクリエイターを目指して失敗しても再起のチャンスは残る。
本当に文章が人より上手くなれるのならばいいのだが、大抵の小説ワナビは意味不明なポエムを語りだす悪癖がついただけの妖怪となる。
文章によるコミュ力は目指す前よりも下がっているパターンが多く、面接ではシートを見た段階で落ちていく未来が待っている。
小説ワナビはポエム癖がついていたことに気づければ最終的には文章力が身についているということが多い。
だが音楽に向き合った時間が後に残すモノの中で、音楽と無関係な業界で役立つものはあまりにも少ない。
リズム感がちょっと人より優れていたとして、それが現代においてどう役に立つのだろうか?
たとえばアフィブログはそれはそれは一時期流行ったが、今はその末路を見ることの方が多いだろう。
情報商材を売り歩く詐欺師や、ネットにゴミをばらまく反社となった者達はまさしく「末路」だ。
ゴールドラッシュで掘り当てた金を堅実に使いながら、普通の会社員として働いてる人間たちだけが正解だったと言えるだろう。
今はまだ生き残っているブロガー連中も、AIの発達とともに死が待ち受けているのは明らかである。
Youtberはブロガーとはまた少し毛色が違うが、本質に違いはない。
収入源がYoutubeの経営方針に依存しているという点ではより厳しい立場にあるとも言える。
次々と参入するプロはどんどん大規模になっていき、個人Youtubeが生き残ることは本当に至難である。
起業に拾われる道ももはや狭まり、起業がオーディションで選んだ新人を売り出す時期に来ている。
とはいえ何らかの強みと言える分野が自分にある場合は、それが転職の時に役立つ可能性はある。
少なくとも「私はこんなにも一つのことに没頭できました」という経験があるのはいいことだ。
だがそこで「私はゲームをひたすらやってました」となったらどうだろうか?
ゲームはそれ自体の完成度が高すぎる娯楽であり、それを誰かがやり込んだならその成果が褒められるのは作ったゲーム会社の方である。
料理を作るのと、完成した料理を食べ歩くことの違いのようなものだ。
むしろ、単に酒を飲んだくれ続けていたのを「私は酒に打ち込んだ」と語るようなものだろう。
それでは誰も君のことを認めはしない。
ああ……本当に恐ろしい錯誤がここにあるのだ……。
ハロワと提携している団体がやる職業訓練で定番なのがパソコンコースとビルメンコースだ。(追記:介護コースも定番ですね。介護もめちゃヤバっぽいので安易に選んでは駄目です)
まだ30前後の人間や、前職での経験を思い切り値下げして売り込めばいくらでも再就職できる人間がこのコースに来ることがあるのだ。
勿体ない。
ここに「でも学校の用務員って結構美味しい仕事らしいよ?」という錯誤が出てくる。
彼らがそれなりの待遇を得ているかのように見せるのは、あまりにも自分の立場が惨めすぎて強がっているだけなのだ。
ダメ人間達がビルメンは楽らしいぞと勘違いして押し寄せたことで業界は人余りに近づいてきている。
それこそ「多少乱暴に人間を扱って辞められても次が来る。というかビルメンになるような奴らは辞めても次がないから、そのうち同業他社から回ってくる」という価値観が今でも通用するほどに。
電気工事士や電験三種で資格ブンブン振り回せばいけるだろうという考えの人間がビルメンに行くのもオススメしない。
そういった仕事をするのならば本当にちゃんとモノをメンテナンスする修理業者や工場のような製造業につくべきだ。
電気ビルメンにおける日本トップと言える東京電力の原子力発電所がどれほど終わっていたか忘れたわけではないだろう?
下手に資格があるビルメンは尻尾切りのための座布団を与えられ、その上から組織が薄利多売で買ってきた本当にどうしようもない人間たちを監督させられ、最終的には自分を守るために全部の仕事を自分でやることになるのだ。
あえて多くを語らないでみよう。
社会に対しての憎しみから犯罪に手を染める落伍者は少なくない。
最低賃金とコンプライアンスという壁に阻まれた最低賃金未満労働者が、そういったルールが存在しない反社に拾われることも多いだろう。
詐欺で億を稼げば、それを上手く隠してから刑務所に10年入っても実質的に年収数千万になる。
裏切りが不可能な関係で結ばれた有能な仲間たちがいるなら、犯罪は美味しい。
扱いの悪さにおける最悪は闇バイトだろう。
最初の一瞬だけはコスパもよく感じるが、犯罪の証拠を一方的に握られてしまったことで便利に使われるようになる。
最終的には自分の有り金を差し出して告発を防ぐことになるので収入はマイナスだ。
犯罪行為に加担するための絶対条件は、「俺がお前をチクったらお前も死ぬんだぜ?」と言えることだ。
生まれつき親が莫大な遺産を残してくれているわけでもないならプロニートになる道は諦めるべきだ。
親がめちゃ金持ちであったとしても「遺産相続のために親に媚びる必要がある」という状態を続けるのは精神に悪いので、億単位の小遣いを貰って貯金してるとかじゃないなら一応は働いた方がいい。
ニートの定番といえばスロプーだが、スロプーは実際にはスロットに縛られて労働しているも同然でありニートの旨味がない。
本人たちにニートの自覚はないかも知れないが、労働しているも同然なだけで遊んでいるだけなのでニートの一種である。
ニートとしてプロを目指す道はアフィリエイターに繋がることが多いのだが、それはもう語ってしまったので割愛する。
FIREの一種とされる株ニートだが、これを実現するために必要な資産額は結構なものになる。
そこに辿り着く頃には既にニートの年齢制限を終えているというツッコミはおいといて、資産がありながら使えないストレスや変動による人生への影響の強さを考えると、働いておいたほうが心身が平和なことは多い。
大家業なんかをある種のニートみたいに捉える人もいるが、付き合う相手が不動産業界であることを思い出してもらえれば過酷さが想像できるのではないだろうか。
あれはニートではない。
将来的に考えると、働いているのに経歴0の状態になりかねない。
日本という格差社会において経歴は家柄と同じぐらい強い力を持つ。
強い経歴を作にくい職業、他の業界に行った後のリセット幅が大きい職業につくのはかなりリスクが高い。
たとえばエロゲーを作っていたような人間であっても、経営・営業・事務といった行為に関わっていれば「ゲ、ゲームとか作ってて~」と誤魔化せば他業種でもそのスキルは通用するとみなされやすい。
だが水商売におけるスキルは思いっきり詐欺まがいのことをするような業界や、奴隷を管理するような業界以外では応用しづらい。
そういう業界自体は結構多いのだが、そこに途中から入ってきてそのスキルを活かせる立場につける確率は低い。
店に所属するならまだいいものの、パパ活のような個人経営型水商売となるといよいよヤバイ。
個人経営の経験があると身につくスキルは結構多いのは「子供の金融リテラシーを鍛えたいならまレモネードを売らせてみよう」という話を思い出してほしいのだが、パパ活は売っている商品が特殊すぎてこういったスキルも身につきにくい。
自分が年老いても女衒として他の女を売るという道はあるのだが、そんな器用なことが出来るなら落語者にはならない。
手に職の究極のように語られるが、勉強マン同士の戦いの中で勉強するより、ちょっとズラしたポイントに勉強コストを割いたほうが強い。
勉強ができるというスキルは実際かなり強く、あらゆる職種においてそれ自体が「コイツは職場の柱になるぜ」というオーラを持たせてくれる。
せっかくそういう能力があるのに勉強しすぎマンまみれの士業に飛び込んでしまうのは、結果として自分の才能を安く売ることになりやすい。
資格で食っていくのは一見手堅いが、手に職の本質は自分のスキルによって食っていくことであり、資格は箔をつけるアイテムとしての側面が強い。
資格を持っていることが大前提となってしまう世界では、資格を持っているだけの人間は最低ラインからのスタートになるというのも忘れてはいけない。
落伍者になるような連中は得てしてプライドが高いが、そんな君が自慢の勉強スキルを「できて当たり前」と言われながら底辺として何年も下積みできるのかね?
「勉強できるなんて凄い!」と言われながら未来のエース感に守ってもらいつつ下積みをしたほうが幸せではないか?
立派な仕事してるのに「自分の仕事なんかしょーもないもんですよ」と謙遜ができる人間が本当に少なくなった。
たいていの人間、勉強仕事がこんなに大変だとか、家事育児が大変だとか言って愚痴ばかり。(そしてそれをこなしている自分凄いでしょ、という心)
自分のやってることなんか誰にでもできますよ、なんてとても言えないだろう。
最近はCMとか見るとどの企業も「社会の誰かの役に立ってる」的な、なんかふわっとした良い感じのポエミーなキャッチフレーズで自社を気持ち悪いくらい賛美してるものが多い。
社長やら実業家やらが驕り高ぶって謙虚さをしばし忘れてしまっているのはまだいいが、水商売やら配達員みたいな連中まで「誰かの役に立つ大事な仕事だ」、とかそりゃ需要があるから金が入るんであって必要不可欠な仕事だし誇りを持っていいことなんかめちゃくちゃ当たり前なのに、自分に自信が持てないでそんなポエムに縋ってる姿が哀れで仕方ない。
そんな薄っぺらな当たり前のことしか言わんポエムがないと自己肯定できんのかと悲しくなる。
一番典型的なのは、昔は芸人とか芸術家なんかはめいめい自分の仕事はしょうもない、俺らは落伍者だ、道化だと自虐していた。学問ばかりをやってる研究者なんかも、自分は社会からはみ出た仙人みたいな存在であること認識していた。
今そいつらに位置するYoutuberやらなんかは完全におごり高ぶってわけわからんポエムを吐いて自分の仕事を神格化している。
研究者や専門家はまるで世界の中心にいるかのような感覚で仙人である自分を自覚せず、机上だけの論理で現実的な生活感覚のないまま好き勝手に本を書いたり、コメンテーターして世の中をかく乱している。
とにかく自分のことを良い感じに見せることしか頭にないやつが多い。
別に「自分はしょうもない人間」でいいじゃないか!そして「しょうもないなりにはそこそこやれてるな」って、内心で思ってればそれでいいじゃないか!
そりゃ誰だって内心自分の仕事を誇りに思ってるし、でもだからってそれを他人にわかってもらおうなんてしなくていいし、自分の仕事が一番偉いと思いながらも、表面上はお互い立てあってたらいいじゃないか。
日本人の謙虚さとかは、それを逃げ道にして臆病なだけの人間が増えたせいでいろいろ言われるが、やはり素晴らしい美徳だと思う。今一度取り戻してほしい。
現代では自分のことを下げて言えるのは強者の特権で、自分なんかしょうもないですって言えるほど余裕のある強者がもういないんだろうか。
高校入試が無いからラク出来ると騙されて一貫校の中学入試を受けた。
おもしろ/鬱屈受験録を期待する人は読まないほうがいいです。おれの内的な整理なんで。
元々進研ゼミか塾かの強制二択で前者を取ったのだけど、家にいてもテキストが視界に入るのが不快でたまらなかった。
いつだか、コレ説明不足だろって感じの算数の解説にイライラしてた。添えられたイラストのナントカ君のつっまんねーギャグが異常に癇に障った。きっかけは些細だけど、募る不快が爆発してテキストをクシャクシャにして投げた所を母に見られた。
で、なんか揉めてヤケになって塾に通うって言ったのを覚えてる。
渋々通ってる内に、なぜか入試を受ける運びになってたような気がする。
6年間のまとまったモラトリアムが手に入るなら、まぁ……って自分に言い聞かせた。PSPとモンハンの購入を禁止されたのも我慢した。というか当時は「ダメ」と言われて逆らうって発想が無かった。
そんな感じでマジメというか了見が狭かったんだけど、ある時学校で寺島君に誘われて掃除をサボるという体験をした。自分の人生にサボるという選択肢が現れた。
黙ってPSPを買うほどの勇気、というかその発想は未だ浮かばなかったけど、意を決して塾をサボってみた。
バレなかった。10km離れたイオンまでチャリこいでフードコートに居座ってエヴァ読んでた。実はバレてて初犯だから見逃されてたのかもしれない。
そんで調子こいてサボりまくっていたらバレて、嫌なら辞めろと言われた。
冗談じゃない。塾通いでドブに捨てた日々を今更無かった事にしろと?初めは強要されて、今更辞めて良いと言われたってアンタは私の時間を返してくれるのか?
なんてアンビバレンスな感情に苛まれて泣きながら「通わぜでぐだざい」って頭を下げた。
後日学校で○○塾サボったって本当?と複数人から訊かれた。金輪際母に大事な情報を伝えるのはやめとこって決めた。
まあそんな感じだったけど一応第一志望に受かって、晴れてまとまった6年間を手にした。
合格後になって実は土曜も授業があると知らされた。そんなとてつもない重大情報は真っ先に言えよカス。コイツらの味噌汁に農薬でも混ぜて殺してやろうかな、って本気で思った。
かなりマジで悩んだけど、まあ今更……という事で入学を決めた。
親の意向とは違って上昇志向なんて1ミリも無かったんで、勉強に励む気も毛頭なかった。
初めての定期テストでは当たり前に100点が取れる色刷りのやつに代わって、70とか40とか書かれたザラついたテスト用紙が返ってきた。
学校のテストで平均を割るなんて考えられない体験だった。まあ後の惨状に比べれば全然可愛いもんだったけど。
どこかにあったプライドがやや傷つきはしたけど、そこで悔しさをバネに、なんて気持ちはサラサラ湧かなかった。
目的を忘れちゃいけないからね。ダラけるために小学生時代の放課後を捨てたんだから。ってことでさほどは気にはしなかった。
こんな塾の続きをするために入学したんじゃないんだよおれはって事で、もう勉強は丸投げしようと決めた。授業中は寝るかゲームか買い与えられたばかりのスマホをいじるかだった。
唯一ちゃんと授業受けてた中一1学期に聞いたクリプトコッカスネオフォルマンスとか、バージェス動物群のピカイア、オパビニア、アノマロカリスみたいな単語だけ今でもよく覚えてる。
合格発表の時おれが「これでもう勉強しなくて済む!」って言ってた時にはヘラヘラしてた癖して、いざ入ってみれば成績にグチグチ言う両親を適当にいなしながら、モラトリアムに浸った。
考え事してる内に、自分なりに実存主義や相対主義に辿り着いたりもした。サルトルとかニーチェとかハイデガーを大学入って齧った時、コイツおれじゃんってマジでびっくりしたよね。
道徳の授業で教わるような規範はもうおれにとって意味を持たなかったし、晴れて購入を許可されたゲームが没収されても黙って新しいのをもう一機買うのに罪悪感は微塵もなかった。
歳相応に、というか同年代よりも遥かに時間をかけてアイデンティティとかにも悩んでみた。
こういうのは拗らせた10代の一過性の悩み、で片付けていいもんじゃないと今でも確信してる。厨二とかいわれるような心をすっかり忘れてしまったら人間お終いだと思う。
まあそんなんで順当に成績はカスだったけど、教室の空気を吸ってるだけでも無自覚に上昇志向というか、学歴厨じみた思考が植え付けられてくるんだよね。
高校にもなれば受験の話題が増えて、おれもそれに合わせていった。
こんなに勉強嫌いでも大学受験をする事だけは疑わないんだから恐ろしいもんだね。高卒は人生の落伍者ってかなり本気で思ってた。
最初は勉強もちゃんとやってれば楽しいはずだなんて自分に言い聞かせてみたけど、やっぱり苦痛だった。だから変に楽しもうと工夫なんかしようとしないで、入試の通過手段と割り切っていこうって決めた。
これはそのまま、賃金労働に自己実現だとかやりがいなんか求めず生活の糧と割り切って、軸足は趣味において生きようという人生方針へとスライドしていく。その「割り切り」は後の人生の後悔にも少し繋がってくるんだけど。
そんな感じでやっていって入試に臨んで、まあぼちぼちの結果といった所に落ち着いた。
終わってみれば後出しで後悔も湧いてくるものだけど、進路に関しする始まりは「ダラけたい」だったんだから、小学生の頃の自分への義理はそれなりに果たせたと思う。
大学入ってから、世界史とかロクに聞いてなかったからその辺文脈理解が必要な話にはやっぱり苦労したけど、一人で考え事してた時の内容は宗教学や哲学のレポートを書く時大変に活きてる。
教授から直々にメールで褒められた時はちょっと嬉しかった。大学の勉強は楽しい時もある。大抵ダルいけど。
放っとけばボーっとしてるかたまに好きな事に手を出すだけ、根が遊び人のボンクラだから、環境に下駄を履かされて助かってきた部分はあるんだろうなって思う。
でもアッパーミドルの王道を目指す生き方を非常に中途半端に内面化してしまって、好きにも「べき」にも振り切れないハンパなディレッタント崩れになってしまったよね。
思うままに生きた人生は暗澹たるものだったかもしれないし、もっと肩肘張らずに生きていられたかもしれない。考える意味のない可能性をつい思っちゃうね。
振り切れた生き方をする勇気なんて平凡な人間にはなかなかないし、そのバランスが課題なんだと思う。
たらればを言えばもっと「好き」に振り切れる期間が欲しかったかもしれない。
高校上がってから嫌々ながらも主体的に勉強を始めたと言ったけど、本当はもっと前からハンパな「べき」が心にあったんだよね。
6年のモラトリアム期間だって、何をするにも「こんな過ごし方でいいのか」って水を差してきた。
なんというか幼い白黒思考の潔癖状態の段階で、バランスなんか考えられない状態で相反する価値を抱えてしまって、それでどっちつかずになってしまった感じだな。
中庸って言葉にすればありきたりだけど、そこに実感や納得を乗せられたのはせめてもの学びか。
勉強から逃げて(そもそも最初から立ち向かおうする気なんかなかったんだけど)自意識を煮詰めた時間だけは無駄じゃなかったって、そこだけは確信を持って言える。
でも出口のないナイーブな悩みなんか適当な所で蓋をして、どこかで思考停止して目の前の生活をやってく生き方はある種の賢いものなんだろうなとも思う。
まあ人生なんて結果論でしか語れないだろうし。電源ボタンはあっても、セーブ機能やリセットボタンはないのだし。