「菊池誠」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 菊池誠とは

2019-08-03

まとめると、「山口貴士も青織亜論もろくでなし子もぬまきちも山田太郎荻野太郎水戸泉菊池誠玉井克哉も会田誠表現の自由戦士ではなく、萌えキャラを散々disって来た表現規制派のサヨク」ということでOK

2019-03-20

anond:20190320101900

少なくとも菊池誠は立憲民主なんて100%投票しない。

嫌がらせに決まってるじゃん。

そもそも自分の得意分野を教えてあげるからと近寄ってくるキモオヤジにろくな奴いない

菊池誠粘着

キモい



2019-02-05

ちょっと有名になった人が即炎上芸人化する世界

新井紀子最初重要問題提起をする人ととして出てきて、しかだんだんと評判が落ちて今では痛い人扱いだ。

これはインターネット以降に出てきた人のほとんどがこの末路をたどっていると思う。

例えば菊池誠だって最初重要問題提起をする人として現れてだんだん痛い人になっていった。

古市だって最初統計データと実地取材から若者論を書く人だったんだ。

ちょっと有名になると何でもかんでも放言する痛い人に、今の時代はみんななっていく。

で、これは個人資質問題じゃなくて、おそらくツイッターアルゴリズムフォロワーが数値化されることに原因がある。

これは体感的なものだけど、フォロワーが3万人を超えたあたりから、人はだんだん痛くなっていく。

本来なら留保すべきことを根拠なく言い切って、反論を「たいしたことない意見」として切り捨てるようになる。

これはきっとツイッター仕様のものが、自尊心肥大させて人を痛くする傾向があるんだ。

それをちょっと前まで何の注目も浴びてなかった、人前に出ることを訓練していない人が浴びちゃうと、こういった変質を招いてしまう。普通の人がフォロワーが増えてしまったときの変質を考えると、芸能人はすごいなって思うよね。

もっとみんなこの問題について考えるべきなんだ。SNSアルゴリズムが人の振る舞いに影響を(悪い意味で)与えちゃってるんだよ。しかも本人もその取り巻きも、そのことはまったく自覚していないんだ。

2018-10-11

https://anond.hatelabo.jp/20181011093225

「じゃあ俺が菊池誠を○るわ」

「俺もやるぜ、菊池パブリックエネミーだからな!」

「俺も俺も」

「…あの、他は?」

「ど う で も い い(キリッ」

ニセ科学批判クラスタ()で勝手にやってろ」

はてなで呼びかけると大体こんな結末になる

anond:20181011091619

理系の皆さんで武田邦彦近藤誠菊池誠を黙らせてくれればフェミ学者を自浄することも検討しますのでどうぞよろしくお願いしま

2018-10-10

https://anond.hatelabo.jp/20181010074239

論文でも何でもないtwitterでの議論に何で査読必要なんだよ…………

それに査読をつけろとか頭おかしすぎるわ。そもそも理系だってtwitterでの発言にいちいち査読なんてつけねーだろ。そういう戯言はまず菊池誠を黙らせてから言えよ。

別にtwitterとかSNSblogでの投稿自由にしたらいいというのは普通に同意できる。

けど、件の先生不特定多数相手自分意見としてある程度まとまった文章ネットニュース投稿したわけで。

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/

結果としてネットニュースよりかは査読の付いた論文のほうがマシなんじゃないかというサンプルになった感じ。

その菊池誠とやらも論文として変なこと書きまくっているわけじゃないだろうし、twitterでの放言はまた別問題でしょ。

anond:20181010012738

査読の一番の効用時間節約だっていうのは、今回の件で実感されたんじゃないのかな。

・聞き役が女ばかり→去年は男だった

・相槌を打つだけ→質問などもしており何をもってそう記述したのか不明

このあたりは、査読があれば必ず突っ込まれたはずで、多くの人はそこら辺がフィックスされた

文章を読むことができたはずだった。

論文でも何でもないtwitterでの議論に何で査読必要なんだよ…………

それに査読をつけろとか頭おかしすぎるわ。そもそも理系だってtwitterでの発言にいちいち査読なんてつけねーだろ。そういう戯言はまず菊池誠を黙らせてから言えよ。

2018-09-30

おしどりマコって何が良くないの?

まったく知らない名前なのに一部の人たちにものすごく嫌われているので何故なのか知りたい。

適当検索してみたのだが、批判しているのが池田信夫とか菊池誠とかはちま起稿とか名前を見ただけでうんざりするような連中ばかりなので、今のところ読むにたえそうな記事が見つけられない。

まともな人が書いた批判記事ってどこかにある?

2018-06-25

anond:20180625140741

先生ルールでは、デマを訂正したり詐欺業者について注意喚起したりするだけでゴミクズ扱いになるってこと忘れてない?

たとえばNATROMとか菊池誠先生について一言言及してないはずだけど、先生の中のキルリストに入ってるっぽかったぞ

2018-06-21

anond:20180621200047

阪大教授でも菊池誠みたいなのもいるしなあ

大学ってなんなのか…

2018-06-04

anond:20180603010115

フクシマ別に侮蔑関係ないだろう

ヒロシマスシと同じで、世界的・歴史的事象意味だろ

菊池誠以外にとってはだが

菊池誠氏が「好きな時に鼻血を出せる #フクシマ人とは」を批判され「好評なのに」

https://togetter.com/li/808369

2018-05-28

anond:20180527190259

菊池誠に聞けばいいよ

マジレスすると安倍ちゃん権力無罪を躊躇なく使えるので、権威主義パーソナリティにとってはたまらんのですわ

2017-07-28

菊池誠トンデモっぷりについて(放射能編)

菊池誠周辺のニセ科学批判ネトウヨ化するのは彼らのご都合主義権威主義妥当な結末だと思う

現にこの増田も陥っているが、放射能関係ですら菊池誠デマはひどい水準だよ

列挙してみるが、

メルトダウンじゃないだす→ウソメルトダウンでした

炉心溶融メルトダウンは違う→ウソ。同じです

・β 線はからだに当たっても皮膚で止まるから心配しなくてもいい→ウソ。数ミリは進んで熱傷他の障害を起こす

広島長崎被爆した 9 万 4 千人と被爆しなかった 2 万 7 千人を追跡調査している→ウソ被爆しなかった 2 万 7 千人は LSS 解析対象から除外されている

妊娠中に 100 ミリシーベルト以上被ばくしなければリスクは上がらない→ウソオックスフォード調査で上がることが確認されている

セシウムパーティクルはない→ウソ。ありました

閾値なしモデルは予防的なものウソデータから最も科学的に妥当モデル

・排気塔の倒壊リスクデマウソ東電規制委員会リスクを認める

甲状腺がんは増えない→ウソ。すでに多発している

etcetc...

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

しょっぱなからトンデモかまして何言ってんだ?

特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、やはりニセ科学批判派が正しかったというのは間違いない

菊池誠メルトダウンじゃないだすは言うまでもなく恥ずかしい大間違いだし、甲状腺がんが出ないってのも大外れだろ

https://anond.hatelabo.jp/20170401232134

2017-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

最近はてサブームは、菊池誠ネトウヨレッテルを貼り付けることみたいだけど、わりと最低だなと思う

自分の気に入らないものネトウヨ認定して処理するの止めた方がいいよ

こんなくだらない印象操作に引っかかるやつなんているのか

追記:

houyhnhm 「専門外のものドヤリングするのに保守速報ソースにする」とか

この程度のことでネトウヨ認定とか恥ずかしくないのか

自分が嫌いな人間必死悪人に仕立て上げようとしているのが透けて見えてる

「とか」とか言ってるけど他に挙げるものなんて無いんだろ

2017-07-26

ニセ科学批判ネトウヨが結び付けられるようになったことについて

 最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。

 先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界科学だろう、という思いは変らない。

 余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分積極的フォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。

 あらかじめ書いておくと、自分見解は、「ニセ科学批判とネトウヨ本来、つながらない」であるしかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。

 なお、あくま自分観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンス統計的根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。

 あと、話は基本的ツイッター世界が中心である

3.11以後の動き

 ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。

 3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリ左派左巻健男石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたか想像に難くない。

 元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なから割合がただのウヨアカウントであり、人権問題危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。

多層的な「ニセ科学批判者」

 ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベース意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的ニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。

 こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報割合的にはごくわずかということになる。

 俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分であるデマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。

 この層、とひとくちにいっても、いくつかある。

(1)善意悪用して、自分イデオロギーをのっける層

 まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。

(2)人を叩くのが好きな層

 言っちゃあ何だが、科学正義であるしかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。

 正義暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。

(3)理系としての選民思想の持ち主

 一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。

 ところが、ネット理系研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタアニメ談義が話が合うという理由高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。

 これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである

 しかし、本来意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想親和性を持つのはまあ時間問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。

 そうすると、本来関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。

 (この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。

 後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要カテゴリーかもしれない。

こじらせびとたちの罪

 ネトウヨ定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近人間大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベル定義みたいなものだ。物語シリーズラノベかとか三毛猫ホームズラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。

 しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由ネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供ももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間京大生でなければ狂人である京大生でも狂人かもしれない。

 菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。

 ジャンルは違うけれど、所謂キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。

フィードバックはめぐる

 ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。

 RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。

 ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイート文章のものであるツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。

 さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイート自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うからニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。

 ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい

 でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。

 「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。

 それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。

 2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。

 ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。

そして深まる左右対立

 このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来意味も、日本独自派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。

 よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。

 「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタけが受けるものではなく、左派いちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

 しかしその結果、溝はますます深くなるのである

 こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。

経済をめぐる対立

 先日ツイッター問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーリフレニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨ定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。

 経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。

 ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。

 なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字勘定してイメージやすい「ロジカル」なものからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。

 これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレ経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。

おわりに

 昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。

 それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。

 ここ10年くらいのインターネット歴史は、ノンポリ政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。

 1970年ごろの学生運動だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。

 俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。

(追記しました→https://anond.hatelabo.jp/20170802040735

2017-07-15

菊池誠菊池

そこになんの違いもありゃしねぇだろうが!!

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