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2024-02-21

anond:20240221214439

AI模倣されて万策尽きる芸術家なら生きてるうちにどこかで筆を折ってるだろ

anond:20240221214439

AI模倣されて万策尽きる芸術家なら生きてるうちにどこかで筆を折ってるだろ

2024-02-13

サブカル活躍する障害者」はヘイトスピーチでは?

それってつまり障碍者が出来る仕事なんてサブカル程度」ってことでしょ?

適職占い芸術家研究者って言うだけならまだしも、それをハッキリと言葉にして「ほれほれステレオタイプのご紹介だ!お前らのお仲間はご立派だなー!テメーも社会寄生して仕事ごっこしたいならお絵かきでもしてろよゲババババ!お似合いだなー!」と口にしたらそれはもう開戦の合図だろ。

2024-02-11

初めて個展を観に行ったけど勝手が分からなかった

初めて陶芸作家個展に行った。

陶芸も初めて、個展も初めて。以前に広告を見かけて、すごく惹かれるものがあったから今回の個展を見に行こうと決めてた。

目の前で見た展示作品は、語彙力がないのでいい言葉が出てこないがとにかく心から“良いな”と思える作品ばかりだった。

混んでいて、十万円単位作品がいくつも売れていった。小物の作品一般人でも買える値段だったので、一番強く惹かれた作品を買うつもりだった。

だが色々と分からず、結局なにも買わなかった。

その1。買い方が分からなかった。

作家は色んな客とトーク中で話しかけられない。画廊関係者と思われる人がいたので、単刀直入に「購入するにはどうしたらいいですか」と聞いた。

10万円以上の作品は、ここで内金を現金でお支払い、残りは銀行振込でお願いします。それ以外の作品は全て現金です。」

驚いた。カード払いにするつもりだった。キャッシュレス生活で手持ちがなく、銀行カードも持ってなかった。

かに購入者作家と喋りながら平然と万札の束を鞄から出していた。内金ではなく全額。そういうものなんだと初めて知った。

その2。買い手がついている作品は値札に小さなシールが貼られていることを知らなかった。

家具屋でたまに「売約済み」の赤いステッカーが分かりやすく貼られているから、それが貼られるものだと思っていた。意味は同じだが、そんな小さな主張だとは思わなかった。

その3。これが一番衝撃的だった。

大きな作品には「触らないでください」と注意書きがあった。

小物と食器作品の棚には「食器はお手に取って頂けます」と書いてあった。私はこれを「食器は触ってもいい。小物は触ってはいけない。」と理解した。

実際に食器類は色んな人が手に取って眺めながら、それぞれ気に入ったものを買っていた。量販店食器コーナーの光景と同じ。

しかし、小物作品を触ってる女性がいた。

私が買おうか迷っている小物作品をことごとく手のひらに乗せて楽しんでいた。

ある動物作品を両手に乗せて、

「まあ~重いわ~~~冬眠できたのねぇ~~冬を越せたのねぇ~~~」

と壮大にひとりごとを言った。

するとその人の連れではない、近くにいた客が「そうなの?重いの?」と、スーパーで突然横からしかける年配女性のノリで聞いた。

「重い。この子は春を迎えられたのよ。」と答えがあった。

その女性は直前に大きな作品も触っていた。ちょっと触ってから注意書きに気付いて「あ、触っちゃいけないのね。そうよね。」とひとりごとを言って手を引っ込めた。

なんというか、おののいた。

そのテンションもすさまじいが、作家画廊の人も客も誰もその女性作品を触っていることを注意しなかった。私は一見なので、いきなり誰かに注意するというのは流石に出来なかった。

私はこの人が触ったものを買うのかと思ったら、完全に気分が白けてしまった。

「触っちゃいけないのね」って、そんなの注意書きがなくても当たり前だろ!とさえ思った。

結局その女性は触った小物たちではない別の作品を買った。金は出したが非常識な人だと思った。

楽しみに水を差された気分になって、そのまま歩いて別の画廊に行ってみた。そこも別の陶芸作家個展をやっていて、撮影禁止マークだけ置かれていた。

こっちも作品を触ってる女性がいた。ウン万円の器を持ち上げて、同行者と色々話した後、それらを戻してフロアを出て行った。

陶芸に限らず、こういう個展の展示作品は「触ってOK」の表示がない限り触ってはいけないものだと思っていた。

もし確認したい場合は、作家画廊の人に頼むか許可を取って触るものだと思っていた。観る側に自重がいるもんだと思っていた。

しかし件の女性が小物作品を手のひらに乗せてその感触を楽しんでいるのを誰も止めなかった。

実際「食器の上に小物がある」展示もあって、この場合は皿は触ってもいいが上の小物は触ってはいけないことになる。確かにそれはちょっと整合性がないと思う。皿を持ったら裏面も確認するだろうし、持ち上げたら上の小物を落としそうだからだ。小物だけ作家画廊の人に取ってもらうのが正解なのだろうか。そんな面倒な展示をするんだろうか。

から小物も本当は触っていいものかも知れなかった。あるいは注意すると画廊雰囲気が悪くなるので誰も何も言わなかったのか。「食器はお手に取って頂けます」の注意書きの存在をみんな忘れていたのか。

答えが分からない。あの女性ちょっとテンションが高いだけの真っ当な客だったのかもしれない。

2件目の画廊撮影禁止ではあったが「お手を触れないでください」とは書いていなかった。でも「お手に取ってご覧ください」とも無かった。

「触らないのは常識なので注意書きがない」のか「陶芸は触って当然だから触っていいとあえて書かない」のか、件の女性を見た直後だったので本当に分からなかった。

いけないとは書いてないかOKだ、と解釈するのが普通なのか。芸術家の一点ものに対してその解釈は不誠実に思える。

売約済みシールが貼られてる作品も相当数あって、それらに万が一があったらどうするのだろう。客に返金して終わるようなものでもない。

まあ触んないんだけどさ。何かあったら困るし。

売約済の作品も、飾ってる間に作家画廊関係者以外の人に触られるって嫌じゃないのか?

今日は買いたいと思える作品があったから、件の女性を見なければ家と画廊を往復してお金を持って行ったと思う。

でもその女性の手のひらに乗った作品を見たらびっくりするくらい萎えた。

本屋シュリンクされた漫画は買うけど、表紙に折り目のついた雑誌は買う気が失せるみたいな感じ。作家画廊関係者けが触れた作品を買えると思ってた。

見知らぬ女性が手のひらに乗せて楽しんだ作品に何万も出せない。でも買ってから触ってくれって思うのは陶芸界では異端なのかもしれない。あの瞬間を見ていない人にとっては穢れなき作品から

私は物を買うところから思い出にしがちで、例えばお気に入りの服なら試着した時の店内の様子や店員とどんな会話をしたかまで1着ずつ覚えてる。

たぶその小物を買ったら、見るごとに女性のことを思い出す。そんなものは家に置けない。

別の作家個展を見に行く予定もあるので、現金を持って行くこと、シールを貼ってある作品は買えないこと、なるべく初日の早い時間に行って誰も触っていない可能性の高いものを買うことに気を付けようと思う。

新しい世界を知るいい経験だった。この世には一点もの商品作品)に触ることを恐れない人たちがいるんだ。

2024-02-05

anond:20240205031129

ほな漫画家個人勝手に有能な人を雇ってもいいんよ。

2~3社で並行して連載をもってる漫画家なんかそうやって交渉役いれないと絶対編集部が「ウチだけ優遇して」ってごり押ししてくるじゃん。

ただたいていはそこまで売れてないか作画アシスタントの手配まで市役所の均一サービスみたいな編集部まかせになっちゃうと。

例外として今回の事件発言の多かった佐藤秀峰さんなんか自分が有能なので作画アシスタント労基法まもった雇用した上で電子書籍までマネージメントしてるけどね。

なみの創作者にはマネができないよ)

女性漫画家だと、有能な男性編集者個人的つきあいが発生して結婚し、マネージャー役を一生やってもらうってのもよくきく。

 

そもそも芸術家肌とビジネスマネージメントは昔から本当にそりが合わず大変なんだよね。

弟テオドルスに頼り切りで脚本家とおなじ結末にいたったゴッホや、

死ぬまで遅筆で借金まみれの厚顔なダヴィンチ

マッチョ愛人ロミオメールするミケランジェロ(まあこれはマネジメントの失敗ではないが)の例をひくまでもない。

 

近年は、個人絵描き同士の間で、twitter相互マネージメントみたいな生態系が発生して

脱稿ボロボロでも値付けを投げやりにするなとか相互に注意してくれる友人がいるのは精神衛生にもよい)

いたけど、

そのあとXになって生態系ズタボロ。イーロンマスクへの呪詛はそういうとこもあるとおもう。

今のXは、脚本家センセーショナル事件顛末だけはいち早く届くが

「そうならないためにどうすればいいか」という大事な友人による地味な注意やケアはとどきにくくなった(ツイート間引き)。

ほんともうどうしようもねえわ。

2024-02-03

anond:20240202211633

かぐや姫の物語スタジオジブリ最高傑作だし100年後も残る作品だと思う

ただ高畑勲アニメ監督というより芸術家みたいな部分が強くて、決して万人受けするような作風ではないか一般人から過小評価されているんだろうね

2024-01-30

目をつぶったときに見える模様をデッサン精神でできるだけ正確に描いた芸術家の絵ってないんでしょうか?

巷に出回ってる絵は明らかにイメージ適当に描いていますよね。

添付画像ほど色相が豊かじゃないですし、輪郭がわかるような描き方をしてる時点でおかしい。

もっと狭い範囲グラデーションが視界を覆っています。個々の部分の近傍への色の変化が本当に微妙で、注意深くみなければ視界全体を単色が覆っているように見えることも確かですが、そこには確かに無数の微妙な違いを持った黒が混ざった緑や赤系統の色が散らばっています

芸術家からこそ、デッサン写実的に描く対象としてはもっとも難しいモチーフの一つだと思うので、これに挑んだ絵が一つや二つあってもおかしくないと思うんですけど、ネットで調べてもなかなか見つけられません。

そういう絵はないんでしょうか?他者が描いたものを見て「これだよこれ」って実感が得たいのです。自分でも目をつぶればいつでも見ることができるものとはいえ、この模様は絶えず変化するものなわけで、たととばある一点を見つめようとするとその一点にあったパターンが煙のように形も色合いも微妙に変えながらどんどん動いていってしまうので、一瞬を捉えたものがあると何か安心できるのです。

2024-01-27

anond:20240127165052

残念だがこの国では芸術家権利はないがしろにされるばかりだ

翻訳医療自動運転などに使うべきAI技術芸術悪用する盗人たちには吐き気がする

やはり画像生成AI禁止して絵師権利を守る必要がある

それから今まではっきりと明記されていなかった絵柄の権利確立必要になるだろう

画像生成AIってだけなのに反AIって呼ぶのをやめろ

画像生成AIに反対してるだけの人に向かってAI技術全てに反対しているかのようなレッテル張りをする卑怯なことをやめろ

画像生成AIの人たちは当然翻訳AI技術などの便利なAI技術には賛成している

文明を捨てろだとかラッダイト運動だとか言うのは的はずれな言動は改めてくれ

絵師という芸術家スキル保護すべきだしイラスト著作権を守るべきだという当然の権利を主張しているだけだ

2024-01-16

anond:20240116110533

成功を収めた芸術家は、大衆によって影響を受ける。一般的にそうした者は、新たに何らの貢献もしない。なぜなら、大衆はすでに知り、認めているものをのみ称賛するからだ。 アンドレジッド

2024-01-15

東浩紀現代アート

東浩紀 Hiroki Azuma

@hazuma

能登地震について、これから芸術家とか音楽家とかやってきて食い物にするぞ、気をつけろという投稿を早くも発見し、

日本における現代美術に対する不信感は相当なものだと暗い気持ちになった。

能登国際芸術祭とか、どうなるのかな。震災からやっているんだけど。

https://twitter.com/hazuma/status/1743847244707819561

午後1:09 · 2024年1月7日

東浩紀 Hiroki Azuma

@hazuma

椹木さん岩渕さん、梅ラボ解説とともに原発麻雀中ー みんな大爆笑w http://t.co/WfKpYnXBgk

https://twitter.com/hazuma/status/416133444364554240

2013-12-26 18:08:39

東浩紀さんが“福島第一原発麻雀計画”の件で炎上

https://togetter.com/li/609484

2024-01-11

成り上がりの友人と久々に再会した

久しぶりに食事でも行かないか。そう提案してきたのは向こうからだった。

まり乗り気ではなかったが、なんでもご馳走してくれるそうだ。

こちらとしても久しぶりに会って昔話に花を咲かせるのも悪くない。

そう思い、提案に乗ることにした。場所麻布の高級レストラン

入り口にはボーイが立ち、俺が話しかけるとギョッとした表情を見せたものの、増田のことを告げると笑みを戻して頷いた。

中へと通されると式場のようなテーブルが並び、蠟燭の柔らかい光が薄暗くぼんやりと輝いていた。

席まで案内される最中、数多の目が俺の方に向いているのを感じた。それでも出来るだけ気にしないようにした。

席に着くと既に増田は居て「よお、久しぶり」と声をかけてくる。

わず俺も相好を崩して笑い、「ぼちぼちだよ」と答えながら席に着いた。

増田とは学生時代から親友で、しかしこうして会うのは数年ぶりだった。

増田は今では家庭を築き、やり手のビジネスマンとしてそれなりの社会的地位があると人伝えに聞いていた。

彼はブランド物らしき紺のスーツに身を包み、縁の太い黒枠の眼鏡をかけていた。

昔はずっとコンタクトだったはずだ。

ボーイが俺に声をかけ、言われるがままにコートを脱ぐと乱雑に畳み、色褪せ玉虫色となったコートを手渡した。ボーイは終始、笑顔だった。

再び増田に目を向けると卓上で手を組み、重々しく口を開いた。

「お前、彼女は居るのか?」

いない、と俺は言った。

増田は深い嘆息を吐き、それから顔を上げると俺のことをじっと見つめてくる。

「俺たちもう四十だぞ?そろそろ落ち着いたっていい頃だろ?仕事だって定職についてないっていうじゃないか

「…そういうお前はどうなんだ」

「俺か?俺は今、妻も子供もいて、仕事だって順調で、身に余るくらいに幸せだよ」

「…今の仕事でか?ただのサラリーマンだろ?」

「ああ。それで十分幸せだ」

俺は愕然とした。そもそも増田の夢は芸術家じゃなかったのか?

学生の頃、共に理想を追い求めていたあの志の高い姿は何だったのか?

俺は文学で、増田芸術で食って行こうと、そう約束したじゃないか

そうした思いを、気付けば口にしていた。

増田は寂しそうな表情を見せた。目を逸らし、暗闇を眺めていた。

それから俺を見て、ゆっくり言った。

「いい加減大人になれよ」

声はエコーがかって聞こえた。

ああ、終わったんだ…そう思うと悲しみが…いや、怒りが勝っていた。

これは裏切りだ。憤慨して立ち上がる俺を増田は止めず、財布から札を取り出すと俺に差し出してくる。

見ると一万円だった。

「日々の生活だって困窮してるんだろ?」と。

馬鹿にするのも大概にしろよ。一万円をふんだくるとくしゃくしゃに握り潰し、投げ返した。

周りがざわつきはじめる。ボーイが寄って来る。落ち着けよ、と増田が声をかけてくる。

居た堪れなくなり、トイレへと向かった。

高級レストラントイレも高級で、汚れ一つなく真っ白いタイルに囲まれCube世界観のようだった。

何度も顔を洗い、それから鏡越しに自分の顔を見た。

よく見るとシミが辺りにあり、頬は弛みかけ、ほうれい線が目立ち始めていた。

自然と溜息が漏れた。

テーブルに戻ると席に着くことはなく、ボーイを呼びつけコートを返してもらった。

着ながら増田に「じゃあな、お幸せに」と声をかけると増田はじっとうつむき、何も言わなかった。

ただ最後に「おまえは馬鹿だよ」と小声でつぶやくのが聞こえた。

それから店を出て少し歩くと夜風が身に沁み、凍えてポケットに手を入れると違和感があった。

何だ?と違和感の正体を掴んで見ると、くしゃくしゃになった一万円だった。

あのときの一万だ。増田コートポケットねじ込んだのだろう。

あいつは昔から優しい奴だった。だがその憐憫は、俺をより哀れにした。

こんなもの…!と俺は丸まった一万円を投げ捨てようとして、直前で留まった。

くしゃくしゃの一万円を広げ、皺だらけになった一万円を目にして、自然と涙が溜まった。

俺は間違っていないはずだ。それなのにこの気持ちは何だ?

ちくしょうちくしょう

俺は丸めた一万円を握りしめながら、歓楽街の方へと足を向けた。

2024-01-08

松本人志イーロン・マスクじゃないんだから

年末週刊誌松本人志に関するスキャンダルを報じた影響で松本人志という人物に対して厳しい目が向けられている。

それは女性問題に限らず、過去松本人志が作り出したコンテンツに関してもだ。

この松本が作り出したコンテンツ評価は人によって分かれる。

評価の中には、彼の笑いはイジメ助長するあるいはイジメのものを笑いにしていたというような主張が存在する。

しかし、そのことの真偽を検証するのがこの文章目的ではない。

そのことをまず了承してもらいたい。

彼の笑いの是非を問うものでない。

その上で、あえて彼の作った笑いが極めて有害ものであったと仮定してみる。

そういう話をしたい。

彼が過去に作った笑いのコンテンツ有害であったとして、果たして我々は松本人志を責めることが出来るのか?

いや、それは出来るわけがない。

当たり前のことだ。

なぜなら表現の自由があるからだ。

表現者表現の自由行使して、その許されている範囲内で表現を行ったことを責めることは出来ない。

例えるなら中世ヨーロッパにおいてキリスト教以外の神を否定するような絵画を描いた芸術家断罪することが出来るのか?という問いと同じだ。

わかるだろうか?

表現者というのは芸術家だ。

芸術家というものは自らが作り出したもの検閲することなど出来ないのだ。

自らのうちから生み出された、ある表現が適切かどうかを判断する完全なる客観性表現者は有していないからだ。

だがら、その客観性を有しているものがその表現が適切かどうかの判断をくださなければならない。

その客観性を有したものとは何か?

誰が判断するべきだったのか?

おそらく松本過去コンテンツに関して責任がある存在とは、すなわちテレビ局であるはずだ。

松本いかに偉大な表現者だったとしても関西の一劇場で細々と舞台演劇を行っていただけならば、いかカルトな人気があろうと全国的な影響力など持ちようがないのは言うまでもない。

ネットなどなかった時代なのだ

松本がつくったコンテンツが適切かどうかの判断をし、

広く流布するべきものか、

あるいは極めて優秀な作品だが

これはもっと人の目の触れにくいところに留めるべきか、

その判断をするのは松本人志仕事ではなかった。

このことに松本人志の笑いを否定するものたちはまずは留意すべきだ。

テレビ局は当時、松本人志コンテンツを広く全国民に向けて放送することに問題がないと判断し、流布した。

理解できるだろうか?

松本人志イーロン・マスクではないのだ。

イーロン・マスクのようにメディアのものコントロールするような権力松本は持っていなかった。

一介の芸人である

その松本に対して、イジメ助長するような作品を流布したと批判することは出来ない。

さらにいうならば、その松本の笑いがなぜ広く流布されるようになったのかという原因そのものもっと考えてみるべきだ。

当時はまだネットがない時代テレビ全盛の時代だ。

テレビ以外はすべてがマイナー存在だった。

そのテレビが、ある番組を放映するかどうかの判断の要としていたのが視聴率だ。

テレビ視聴率とは、どれだけの人が、その番組を見ていたかどうかを表した数字だ。

松本コンテンツは、その視聴率で極めて優秀な成績を残した。

たくさんの人が松本コンテンツを視聴した。

それは批判的に見ていたわけではない。

現在ネット炎上コンテンツのようなものではない。

あのとき、あの場所で、多くの大衆松本面白いと思ったか視聴率を稼いだのだ。

松本の笑いは革命的であったといわれている。

その松本の笑いはムーブメントを作り出した。

ムーブメントは当たり前だが松本人の力では作れっこない。

イーロン・マスクのようなメディア支配者でも無理だ。

ムーブメントには必ず、それを支持する多数の大衆必要となるのだ。

賢明な読者であればすでにお気づきだろう。

松本の笑いとはすなわち松本と我々大衆との合作なのだ

松本大衆共犯関係なのだ

大衆が望まなければ、松本の笑いは生まれなかった。

松本のような広いマスに対して自らの表現を売り物とするものは、

常に時代を見つめながらコンテンツを生み出さなければすぐに大衆から見捨てられる。

彼らは我々が思っている以上に、笑いというもの真摯だ。

ウケないものを作ることは死であるとすら考えているだろう。

ウケないものとはなにか?

それは大衆が受け入れないものということだ。

大衆とはなにか?

それはすなわち社会だ。

価値観アップデートしろ

このような言葉使われるようになって久しい。

これはどういうことか?

価値観とは常にアップデートしなければならない。

なぜか?

それは社会というものが常に変動するということだ。

それまでの常識常識ではなくなる。

から常に価値観アップデートしないと常識はずれの言動してしまうぞ、ということだ。

ならば、その逆も真実だ。

過去を振り返るときには、価値観ダウングレードをしなければならないのだ。

理解できるだろうか?

松本の笑いは、過去私たち過去松本との合作作品なのだ

松本のような存在大衆無視して作品を作る事は出来ない。

ゆえに松本の笑いはその当時の社会を反映しているものなのだ

そして、重要なことに価値観社会で常に変動する。

価値観アップグレード必要なのだ

そのアップグレードされた価値観で持って過去出来事を振り返れば違和感しか感じないのが当たり前だ。

なのにそのアップグレードされた価値観過去出来事断罪するなど

愚か者のすることだ。

そうは思わないだろうか?

笑いというのは毒である

人は毒を面白がるのだ。

しかし毒は

その時々で

使っていい量

使っていい種類

が異なる。

常にその許容は変動していき、

それを間違えれば死をもたらす。

2024-01-07

この後被災地によくわからないNPO団体とかよくわからない芸術家とか音楽家とかどんどん押し寄せて僕の考えた最強の事の発表会を被災地資金資源を使って始めます

そして片付けないで帰ります。後片付けは被災者に回ってきます

13年前にあった出来事ですが参考までに。

https://twitter.com/yuukikaga/status/1743577015947796490

2023-12-29

anond:20231228000201

絵師芸術家IT屋はただの単純作業員じゃん

存在価値が皆無の作業員特別技術を苦労して身に着けたクリエイターを一緒くたにするなよ

AI芸術家技術を盗むのは犯罪行為だ 

2023-12-26

anond:20231226160314

言いたいことはよくわかった。ちなみに文章は全部変なところは感じなかった(笑)

そのうえで、それはその芸術家崩れがおかしいんじゃねーのって思うわけよ。もちろんおかしいといくら思ったところで憎まれっ子世に憚るだから、そういうのが嫌なら自分が避けるための対策こそ大事なのはわかる。

でも上手い絵の基準は単純に言語化できるものじゃないのよね。もちろんパースは射影幾何範疇だし骨格的におかしいとうのも生物学統計学で完全に定量的評価可能そうなので要素によりけりだけど。

ただそれは裏を返せば、なぜそれが変かの説明理論的に説明不可能な要素もあるということで、たとえばそれを変とみるにはある種の感覚必要なら、そもそもなぜその「感覚」はそうじゃない人の感覚より上位にあるのか。その理論根拠はどこにあるのか。

単に昔の偉い人が持ってた感覚からみたいな権威主義的なことなのか。そうすると、場合によっては(定量化できる要素については変なところがないものを楽しんでるという前提が必要かもしれないが)、「変だと思わない。いい絵だ」という人(たち)にたいして「変だ。お前らが知識がないだけだ」と否定するのは、知識という権威を使った民主的評価ちゃぶ台返しにすら感じるから、俺は好きじゃないなあと。

それに感覚を研ぎ澄ませた結果変だと思うようになるなら、それすなわち楽しめる作品が減る(変と思いつつ楽しめる器用な人でない限り)リスクを負うわけで、手間をかけてまでそういう感覚を磨く価値があるかどうかは、よっぽど粘着増田が嫌いな人とかじゃなきゃ微妙だよね。

感覚を研ぎ澄ませて「上手い絵の良さがわかるようになる」のと、いまのままで、誰かにとって変だと思う絵が楽しめることのどちらが幸せなのか…

既に投稿してあるのがもう一つあるのでこっちも見といてくれるとうれしい↓

https://anond.hatelabo.jp/20231226152832

anond:20231226131209

よつばとは線が少なく単純だからヘルシングより画力が高くない」とか「ドラゴン桜手塚治虫藤子不二雄の絵が大差ない」とか「簡易化した絵柄から画力は感じられない」と感じてしまう人は、要するに絵について知らない人なんだと思う

何が「いい絵」「上手な絵」なのかがわからいから、絵の密度や書かれている題材の良し悪しで判断してしまうんじゃないだろうか

 

んな事言うならもっと定量的に示してくれ、って思うかもしれないけど、そういう単純な基準があるわけではない

感覚を鍛えたければ、たくさんの絵を見て人の話を聞いたり本を読んだりして経験を積むのが一番だと思う

比較して共通点を見つけて言語化しようとするんじゃなくて、あくま感覚を鍛えるんだぞ

 

もっとも、個人で楽しむ分にはそんな感覚を鍛える必要はない

すべて好き嫌い判断すれば良く、それで多少人と話が合わなくても別にそれは悪いことではない

別に悪くないんだけど、たとえば下記の文章を見てほしい

これ、各ジャンルに詳しい人が見ると結構「変」なことが書いてあるんだよね

でも鉄道とか料理とか楽器とか自転車に興味がなければ「ふーん、そうなんだ」で済ませちゃうような文章でしょ

 

で、絵にもこういう「変」があるわけ

わかりやすいところだと骨格がおかしいとか、遠近感が狂ってるとか、構図のバランスが歪とか…

絵に興味がないと、その「変」を見過ごしてしま

画力とは何かって定義は色々だと思うけど、俺はそういう「変」を避けて通れる能力ひとつの「画力」だと思っている

 

絵の上手さや魅力は画力だけではないが、画力の高い絵と低い絵を同じものとして語っていたら、芸術家崩れの粘着質な増田にぐだぐだとクダをまかれるという実害が発生するんだよね

2023-12-21

anond:20231221135801

ワイは効いてないので飲んでないやで。手帳更新のために通院だけはしてるけどね

薬飲んでないのは幻聴妄想性格豹変などのクリティカルものじゃないってのもあるな

流石に、鎮静剤は効くので、どうしようもなくなったら飲むように頓服(リスパ)持ってはいるけど、

人殴ったり・物壊したりするほど衝動性強くないから、フツーに家帰って寝るやで

 

これで解決!なんて方法はなく、長い時間かけて認知を変える、長い時間をかけてより怒らない環境を作る、

この2つしないと思いましたわ

あと、感情制御しようとしている人を見ると、方法は真似できなくても常に自分自分!じゃいけないなぁという気持ちにはなれるな

たとえばこういうのとか(別増田転載です)

皆さんはストレスフルな時にどんな言葉が頭に浮かんできますか?

https://anond.hatelabo.jp/20230221195809#

 

それから偏食と運動習慣の改善だけど、どっちも今のところ大したことできてないなぁ

 

あとこれがいちばん大切なんだけど、やらされているのではなく、やりたくてやっていることなんだよな

年収は高い方がいいですし、いろいろある親族フォロー感情制御がいるし、芸術家でもないのに感情爆発させている職場は働きづらいので嫌だしね

2023-12-19

anond:20231216182609

長いこと室内楽をだらだらやりつつも、あんまり俺も詳しいわけではないので語るのもなんだし、そのうちクラオタというオタク界で最も闇の深いところに住む怖い方々から講釈頂けるだろうから控えようとは思ったが、ディヴェルティメントから伝って探しても見つからないだろうなぁと思ったので書いてみる。

モーツァルトのディヴェルティメントは間違いなく名曲だが、さすがに2千回も聴くほど好きってのは初めて聞いたのでいろんな人もいるんだなぁと思った。そこからプロファイルしてみよう。

作曲家にも努力型/天才型が居て(まぁ歴史に残る作曲家はみんな努力した天才なんだが)、ご存じの通りモーツァルト天才型ですげえざっくり神童と呼ばれた幼少期(初期)、メキメキと才能を発揮して実験的なこともした青年期(中期)(ウ○コマン期)、色々と人生の哀歓を味わった壮年期(後期)で結構作風が変わる。このディベルティメントは中期の作品。ということで

1.誰が:天才が作った若い頃の

2.どんな:軽快な長調宮廷音楽である

3.なに:多楽章形式室内楽

ってことになる。

1から入るならメンデルスゾーンが同じ属性なので近い曲が見つかると思う、バイオリンソナタはディヴェルティメントに近いが、バイオリン協奏曲も有名なので聴いてほしい。

2は古典派の音楽全部じゃねーかって気はするが、ハイドン皇帝ヒバリグリーグのホルベルグあたりは特に近いと思う

3は無限にあるけど有名どころだとチャイコフスキーの弦楽セレナーデシベリウスのカレリアとかだろうか、どれもド定番から既に聴いてるかもしれないが。

もちろんモーツァルトをひたすら聞いても人生1回分には十分なので彼の伝記(漫画でよい、もちろん吉田秀和でも良いが)を読んでこのころに書いたんかなぁ〜とか妄想しながらディベルティメント、アイネク、ピアノソナタ28とかを聞き直してくれてもいいと思う。

あと俺の最推しは「偉大な芸術家の思い出に」って曲です。これも良い曲なんや。素敵な音楽出会えることを祈る。

2023-12-17

プロフェッショナル仕事流儀NHKプラスで見てる

高畑勲さんがすごすぎる

絶対妥協しない、妥協するくらいなら作品未完成のままでいい

このスタイル死ぬまで貫き通して作品を発表し続けることができたこと、社会的な名声も地位も手に入れたこ

周りの人にものすごく恵まれていたんだろうこと、それだけの才能も持っていたであろうこと

すべてが奇跡的だと思う

こんな純粋培養の「芸術家」は他にもいくらでもいるだろうけど、ほとんどの人は社会から脱落して食い詰めてどうしようもなくなるのがオチだろ、それが現実ってやつだろ

この人すごいよ、どうなってんだよ

あと、メカキャラも人並み以上に描ける、あの本田雄さんがジブリに……って話は噂にしか聞いてなかったけど、マジだったんだね

庵野ナウシカがもしあるなら、この人がキーマンになるんだろうな……すごいなもう

2023-12-16

マリリン・モンロー知的コンプレックス

マリリン・モンロー里親転々とし、高校中退したため高等教育を受けられなかった。

スターとなってからも、いやむしろスターになったからこそ世間に持たれたイメージが重なり生涯にわたって「自らは知的に劣った教養のない人間だ」という劣等感死ぬまで苛まれ苦悩していたと言われる。

事実マリリン・モンロープライベート写真として文学新聞を閲覧している様子を頻繁に撮らせ、社交界では政治家学者芸術家たちの会話に異様なまでの興味と関心を示した。またそのような会話に混ざるためにあらゆる書物新聞を読み漁っていたと言われる。

2023-12-14

anond:20231212172917

まず手塚治虫デビューした頃の印刷技術の話になるんだけど、そもそも自分が書いた絵がそのまま印刷されるわけではない。

浮世絵なんかと同じでマンガ家の絵は原画で、それを版画の原板みたいに別の人が写して印刷する。

浮世絵ほど手間暇かけてないので、微妙な線とかは再現されない。

のらくろ」なんか、田河水泡原画は線がすごく美しくて感動するけど、印刷された「のらくろ」は潰れた線みたいな感じになってたりする。

手塚治虫の初期の頃も同様。

 

次に、マンガ根本的な技術命題として、たくさんのコマを連結するために、それぞれのコマの絵の登場人物の見分けがつかないといけない。

同じキャラクターのつもりで書いてても別人に見えてしまうとか、別人のつもりなのに混同されるとか、これは今でもしょっちゅう発生する。

これを上記のような未熟な印刷環境の中で発生しないよう、キャラクターの明確な書き分けをしないといけない。

なので、見分けのつきやすいパーツでキャラクター構成する必要がある。

のらくろが他が白犬なのに一人だけ黒いのは、アメリカのフィリックス・ザ・キャットのフォロワーであるのと同時に、主人公を埋もれさせないため。

 

ここに「キャラクター感情表現」の問題が絡んでくる。

昔のマンガ入門なんかだとキャラクター喜怒哀楽の表情のラインナップが並んでたりしたんだけど、

同じ登場人物なのに、泣いたり笑ったり怒ったりで顔を構成してるパーツがまるきり違うのに気づくと思う。

あれ?

パーツが違ったら別人、別キャラクターなのでは?

……と、感情表現のつもりで異なるパーツを使うと、読む側が別のキャラクターだと認識してしまうかもしれない。

昔の有名な漫画キャラクターは表情変化に乏しいことが多い。

キャラクター同一性重要なので、顔が大きく変化させにくい。

アニメだと連続的にアニメートすることで激しい表情変化でも同一性比較的らくに示せるが、マンガはそこが大変。

なんで縦筋や汗の漫符表現必要なのかと言えば、表情が変わらないままで感情表現するため。

 

ようやく手塚治虫が何をやったかの話になるんだけど、

複雑な長編ストーリーを描きたいが、そのためには必要な道具が多数ある。

まず登場人物がたくさん出てくるのを、見分けがつくように交通整理しなければいけない。

その複数登場人物ストーリー展開によって複雑に変化していくのをわからせなければならない。

主人公だけでなく複数人物感情ダイナミックな動きをキャラの書き分けを維持しつつ表現しなければならない。

それができないとストーリーが示せない。

なので、絵の情報整理をやった。

有名なスターシステムは、キャラクターの書き分けのための土台。

劣悪な印刷環境で見分けがつくため記号化されたパーツを、それぞれの定番キャラクターごとに整理し、見分けがつきやすくする。

その土台の上に、感情表現のための記号パーツを組み合わせる。

これで顔の構成パーツが大幅に入れ替わっても同一人物だとわかり、その人物感情が変化していることが表現できるようになる。

手塚治虫が「マンガ記号だ」と説明したのを、なんか面倒な理屈でこねくりまわす人がいるけど、

複数登場人物の複雑な感情の動きを表現してストーリーを描くために、記号の整理分類、使い分けを行ったんだよね。

 

これ、手塚治虫アニメ進出したときに導入した「バンクシステム」と考え方が一緒なんだよね。

というか、マンガ改革成功体験を元にバンクシステム提案したんだろうけど。

「同じ絵を使いましてセル画節約すればいい」という、「同じ絵」はつまり記号」なんだよね。

マンガ記号だ」と言った手塚治虫からアニメの絵も記号だ」という発想に行きつく。

こういう発想ってさ、「芸術家」じゃないわけでしょ。

芸術としての絵画は1枚だけのオリジナル性、作家の手に宿る技術の唯一性に依拠するわけだけど、

手塚治虫が優先したのは、ずっと、絵よりも何よりもストーリー

ストーリーのための絵であって、優先順位は常に絵が下位。

から絵を分解分類して記号にしていいし、アニメーションを分解整理してバンクシステムを作れる。

こういう人じゃないと、そもそも絵描きなのに絵を下に置けない。

 

ストーリーを描きたいという自分目的のために、既存の仕組みを分析解体して再構築し、現代日本マンガの基礎を作った。

その仕組みを応用できると考えて、アニメ産業進出産業構造を変えたベンチャー起業家でもあった(会社潰れたけど)。

俺が「産業人」と言ったのは、そういう意味です。

2023-12-12

anond:20231212170001

昔の作風なので俺もそんな合わない

 

手塚治虫って自分作品を後から時代に合わせる形で改変するのだが、改変前よりイマイチになってるの多いよね

有名なのでいうと「新寶島」は最初オリジナル版(合作)と改変版だと全く違いすぎて、

改変後のを読んで「えーこんなので藤子不二雄が衝撃を受けたのか」とガッカリするが、オリジナル版見ると感動する

なので、古い作品ほど、なるべくオリジナル版で読んだ方がいいと思う

 

あと偉大なのはストーリー漫画を量産する仕組みを発明したことだと思う

昔言われてたコマ割りが映画的、みたいのは「手塚以前からホラ、こんなのがあるよ」と系譜が指摘されてるのだが、そういう映画的なレイアウトが凄いとか以上に、映画みたいなストーリーマンガでやる、短編でなく、ギャグでなく、単行本1冊分の長編ストーリーを次から次に送り出せるようなのは手塚治虫発明したと言っていいんじゃない

自分が書きたいストーリーを量産するために、コマを整理したりキャラクターを整理したりと細かいノウハウを整備舗装して、手作業芸術家のものだったマンガを、近代化されたストーリーマンガ製造工場を打ち立てて産業化に貢献した産業人というのが凄い

アニメでも同様に芸術から産業に、仕組みそのものを変えてしまった)

まあ自分生命財産を削りながらしか成り立たない仕組みだったわけだが……

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