はてなキーワード: 美しい人とは
自分も大人なので、実るわけがないのも、向こうが仕事なのもわかりきっている。そもそもモテるほどはイケてるわけではないからこその風俗通いだからだ。
ただ、わかってはいても、うちから湧き上がる気持ちそのものは本物だ。
去年10年来の彼女と別れたばかりで、つまり10年ぶりの恋でもあり、男女の経験もそれなりに積んでるはずで、このザマである。
いやぁ、でも、そもそもからして人生でこんなに美しい人と巡り合ったのも初めてならば、その人と肉体関係も結べればやっぱり勘違いしてしまうんだな、というのが正直なところ。(見た目、性格、肉体の相性全部、物語のヒロインかと思うくらい自分の理想な人)
この日記を書いているのは、もう会わない方がいいんだろうな、という、会いに行く行為そのものが精神的な自傷であることに気付いたためでもある。(会ったあとに酷く落ち込むので)
もう何年も前、学生時代の話だけどマイクラをYoutubeで配信プレイしていたことがある
あんまりしゃべるタイプじゃなく、マルチワールドでひたすら建築
それでもいつしか鯖のメンバーとdiscordでつながって、コラボ配信とかもするようになった
いつも一緒にやってた中に女性の配信者もいて、その人とは個人通話とかもするようになった
その人は落ち着いたアニメ声というか、声がすごく可愛くて童貞だった俺はまあ、惚れたよね
もちろん顔も知らなかったが思い切って告白した
ご丁寧に自分がいかにモテず、いかにあなたと釣り合わず、いかに情けない性格かということを添えて告白した
今となってはめんどくせーやつだなと思うが、そのときは誠実なつもりだった
まあ普通にフラレたのだが、なぜか童貞は捨てさせてもらえることになった
次の日曜、俺は家族には中学時代の友だちに会いに行くと言って、その女性に会いに宮城のクソ田舎から神戸まで電車で向かった
彼女は駅の改札まで迎えに来てくれていた
とんでもない美人だった
付き合うことにならなくてよかったと思った、自分じゃ絶対に釣り合わないような美しい人に見えた
初対面の挨拶もそこそこに喫茶店で軽く何かを食ったら後はホテルに直行し、やることをやった
緊張しすぎてあんまり覚えてないのがもったいないが、とにかく感動して何度もお礼を言ったのを覚えている
日帰りだったから時間に余裕がなく、その後はすぐに別れて電車で帰った
ここまでならいい思い出なんだが、翌日にはdiscordのメンバーにこのことが知れ渡っていた
「お前も食われたのか」
「新たな被害者w」
という感じで俺がめちゃくちゃバカにされていて、その女本人も
「でもいい経験になったよね?w」
と開き直ったような発言をしていてた
しばらくいじられて恥ずかしい思いをしたが、それはいい
不可解だったのはメンバーたちのなかでその女性が「ブサデブ童貞食いババア」みたいな認識だったことだ
でも全然そんなことはなかったんだ
そう見えたんだが
ルッキズムとは、外見に基づく差別または偏見のことであって、思想ですらない。ただの差別。
「外見が太っている」→あいつは怠け者で体臭が臭く知能が低く卑怯で嘘つきに違いない。
みたいな、外見からあることないこと勝手に決めつける、差別や偏見を批判した言葉だった。
醜い人が言われもない不当な間違った評価を受けること。
ここ何年か「ルッキズムは悪であり解体すべき思想」みたいな意見をネットで見るようになった、気がする
容姿を理由にした差別、容姿が悪い・外見が人と違うという理由の差別なんてそりゃ無い方が良いに決まってる
エレファント・マンという映画があったけど、それも人と容姿が違うという理由で見世物小屋の名物になった男性の見ているだけで気分が沈むような悲しい話らしい
少なくとも自分は他人を嘲り蔑み馬鹿にする事を娯楽にしている奴を見かけたら不愉快な気持ちになるしこんな奴ら消えちまえ、と思う。(恐らくは自分も消える側になるけど)
「容姿差別反対」を掲げる上で「ルッキズム」という言葉が出て来るのは差別を一つ無くそうとしている動きだろうし良い事だ、と軽く思っていた
ところがね
この「ルッキズム」という言葉、使っているのは主に女性が多いんだけど
という…「容姿が良い人間が好かれる・優遇される」という現象に対する怒りの言葉…として使ってる人が大半だな、と見ていて思った
容姿差別に反対する言葉だからてっきりエレファント・マンみたいに見世物になってる人に対する差別をやめろ!!って怒りの言葉だと思っていたのに
それと、人間は自分が体験した事・知る事しか語れないというのは人間だからしょうがない事だとは思うんだけど…「ルッキズム」という言葉が使われる文章って
「私はルッキズムの呪縛で傷付いて~」とか「ルッキズムに支配された日本は本当クソ」とか「あの漫画はルッキズムを推進して~」とか
自分はルッキズムのせいで昔不快な目に遭った、ルッキズムが存在する日本は酷い国だ、ルッキズムを出してきたあの作品の作者は差別主義者だとか
そういう他人を攻撃するための概念や自分がこんな酷い目に遭ったのはこんな思想があるせいだ、みたいな負の感情を吐き出すための便利な道具として使われてるな…と思ってしまった
「そういえば自分も容姿で異性の好みを選んでるんだよな…」とか自省的だったり自分と異なる性別の人への同情に「ルッキズム」という言葉を使ってる人は自分が見た限りでは目に入らなかった
ルッキズムを批判した当の本人がルッキズムをまるで捨てていない所を目にしたのが一番大きかったからかもしれない
アクの強いおとぎ話の姫たち #4
という触れ込みではてなでも話題になっていた事があるのでこの漫画を読んだ事がある人も居るんじゃないだろうか?
白雪姫を題材に「白雪姫の継母も男達の言葉に傷付き狂わされた被害者だった」という視点でルッキズムやエイジズム(年齢主義)を痛烈に批判した小気味の良い内容なのだけど
この漫画の中でも作者きり子氏の思想を代弁する白雪姫や白雪姫の継母は「女性受けのする美人」として描かれ、
誰々が美しいと『選定してる鏡がキモいジジイ』なのは『「あの鏡の存在って、世間一般の男性目線の価値観を物体化したものだよね」って思ったので』あえてキモい顔に書いたらしい
自分が好きな相手は美しく、嫌いな相手は醜く描くって正にルッキズムそのままだよなーって思ったり
『若さ以外に魅力ない女が世に憚るのどうなん?』『若くなくなっても美しい人はいくらでもいる』って感想欄での読者ときり子氏のやり取りを見て
結局容姿主義・年齢主義を批判する理由って「若い女が男からチヤホヤされてるのにこの人達はムカついてるだけなんだな」って思った。そうとしか思えなかった。
「女性を容姿や年齢でしか評価出来ないキモい男達死ねよ」って思想ならまだ分からんでも無かったけど、「若いだけで男にチヤホヤされてる女うぜえ」もセットの思想なんだと気付いた
とにかくこういうインパクトがある漫画を読んで「この人は年齢や容姿で人を評価する風潮が嫌いなんだな…」と理解したんだけど
他に投稿されていた作品を見るに見目麗しい美青年を寵愛している事も分かって「…あれ?」って思った
白雪姫の漫画を描いたきり子さんは以前はどろろ(2019年版)の二次創作もよく描かれていたんだけど
テガミバチなどを描かれた浅田弘幸先生がリファインした主人公・百鬼丸は原作ともまた方向性が違う耽美な青年になっていた
正直この日記の内容とは直接関係のない事だけど…この新百鬼丸、ハッと息を呑むくらいカッコいいと思う。
手塚治虫先生の作品は大昔から女性ファンが多い事で有名だけど、どろろ(2019年版)も盛り上がっているのは女性ファンが多かった。
絶世の美男子と一見男の子にも見える女の子の二人旅…そりゃおにロリ好きな人にはたまらんだろうな、と思う。自分も嫌いじゃないしおにロリ。
だけども。「若く美しい異性」に熱を上げてキャーキャー持ち上げる事って、きり子さんが白雪姫で痛烈に批判した「ルッキズム」であり「エイジズム」なんじゃないか?ともまた思った。
もし百鬼丸が特に見目麗しくも無い中年の親父でもこのきり子さんが変わらずどろろの事が好きで作品愛から二次創作をバンバン描いていたならともかく、そうじゃないでしょう?
モブ女性にキャーキャー言われるような顔が良い美男子大好きじゃんきり子さん。
いや「顔が良い美男子」の事が好きってそれ自体は別におかしくも何ともないけど。
白雪姫で「世間一般の男性」を「キモいジジイ」として描いて自分はどろろ(2019年版)みたいな美男子を愛好してるのは、女性から男性へのルッキズムとエイジズムを肯定してるって事なんですか?
という風に、ルッキズムを批判する人に対して、そういう貴方のルッキズムはどうなんだ?と言い返したくなるから、
俺は「自然と容姿の良い異性を好きになってしまう傾向」(ルッキズム)を批判するのはどこまで行っても不毛だから止めた方が良いんじゃないかなぁ…と思ってる
【追記】
誤字を修正。
日々の仕事で疲れてメンタルが逝きそうになってる中、疲労に反比例して性欲だけが増しており、エロ同人でも読んで抜くかと思ったところ思っていた以上に感情移入した作品に出会った。
これはレビューでも書くべと思い立ったがFANZAのレビューは1000文字までらしく大幅にオーバーしたのでここに供養がてら記す。拙文たれ流し申し訳ない。
https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_216128/#area-link-review
世の中にギャルと致すエロ漫画は多数あれど、その中で本作のどこが抜きん出ているのか、その魅力を説明したいと思う。本作は、エロ漫画としてセックスシーンが多く、ヒロインのキャラも絵も魅力的ではあり実用性は非常に高いが、それが本作の魅力ではない。
本作の一番の魅力、それはエロ漫画としての文脈ではなく、恋愛漫画または青春マンガとしての文脈がメインを担っている点にある。
ヒロインの阿川さんはクラスでも目立つ可愛らしいギャルだ。明るく、気さくで誰とでも打ち解ける雰囲気を持つ。しかし、教師を始め、乞われれば誰とでもヤるという噂も流れている。またモブの容姿と比較すると彼女以外に金髪は見受けられず人当たりのいい性格とは裏腹にやや孤立している様子も見受けられる。
そんな彼女に優しくされ、一目惚れした陰キャである主人公が話の流れから彼女で童貞を捨てさせてもらうというのが大まかな流れである。背景やモブは大雑把に書きつつヒロインの阿川さんは丁寧に描かれ、セックスに至るまでの期待感をコミカルにしかしリアルに描いている。
さて、連載のエロ漫画と同人のエロ漫画の違いはなんだろうか?それは行為の濃淡ではないだろうか?連載のエロ漫画は少ないページの中でその行為を描かなければならないという制約がある。行為に至るまでの過程を丁寧に描くほどリアリティは増し没入感も感じられるが肝心のエロシーンが希薄になってしまう。そのため連載のエロ漫画の大半はエロシーンに配慮した結果どうしてもリアリティが無くなるといった問題が生じる。もちろん、それが一概に悪い訳ではない。ヒロイン自体の、またエロシーン自体の魅力、フェチズムでエロ漫画は十分別の魅せ方が可能であるし、連載を通して複数の話でキャラクターの核心にせまることも可能ではあるからだ。その点同人のエロ漫画に制約は無い。その結果生まれるのがリアリティの差である。本作におけるリアリティとはオナニーが恋愛に至るまでの過程である。
セックスとはもちろん快楽を伴う行為であり、互いを求め合う行為でもある。オナニーとの違いは相手がいることだ。そういう意味では、阿川さんがいままで相手にしてきた男(教師、他の同級生)は阿川さんを気づかうというよりかは、阿川さんをオナニーの道具として使い、阿川さんも同様に相手をオナニーの道具とみなしている。阿川さんが興味があるのはセックスであり恋愛ではないからだ。主人公が初めて彼女とセックスをする際、彼女の中で、最初は主人公とのセックスはオナニーの一環であっただろう。主人公の中でも憧れの女性ということはあるがこちらも行為自体がメインであっただろう。しかし、このセックスを通じてオナニーではない、相手のいるセックスとしての良さをふたりが薄っすらと体感したように思う。
セックスでは相手が嫌がるようなことはすべきではない。主人公は生来の臆病さもあるだろうが、一度セックスをした以降、1ヶ月ほど彼女に話しかけられずにいた。これは自分なんぞがまた話しかけても迷惑に思われるのがオチだと気遣い半分、否定されるのが怖いという臆病さが半分であると思う。
その後、友人の後押しもあり、彼女ともう一度話すことになるが、その際、迷惑だと思ったので話しかけられなかった≒オナニーの道具としてではく自分を気遣ってくれていた主人公に対し阿川さんに初めて恋愛感情が湧く。これは、奇しくも、陰キャの自分にも屈託無く話してくれた阿川さんに惚れた主人公と同じ構図であり、これをもってエロ漫画の文脈は完全に恋愛漫画の文脈に置き換わる。この辺り、なぜか、映画エレファントマンのワンシーンで「こんなに美しい人に優しくされたのは初めて…」というシーンが想起された。
以降は互いを求め合うセックスに没頭する二人だが、それ故に失敗し、困難もつきまとう。その困難に立ち向かうシーンでは恋愛漫画から青春マンガもしくは青春映画に鞍替えしたのかと思ったほどだ。若いうちの失敗などどうとでもなる。若さと無謀さで是非とも乗り越えていってほしいと思った。
最後に、自分は童貞ではないが、いつまでも自分が童貞であるかのように感じている。それは、高校時代、大学時代と恋愛と無縁の生活をしていたからではないかと思う。こういう恋愛がしたかった、そして恋愛に当たり前の様に存在するこんなセックスがしたかったと強く思わせてくれる作品だった。私は、セックス≒オナニーがしたいのではない、セックス≒恋愛がしたかったのだ。
https://twitter.com/Ljor_O/status/1522908777552687104
結婚衣装を着て登山として吊り(吊られ)ながら崖の途中で写真を撮った人。
https://togetter.com/li/1883657
素人だが考えてみると安全性を問うなら問題はダメ・ヨシの01ではなくいつもどおりのグラデーションだと思う。
こういうアートにうんざりするぐらい出てくる安全性を問う人たちはたぶん見かけ上すごく安全を図られていてもわずかな隙を見つけて安全性が~と指摘すると思う。わら人形だけどね。
そして山の写真を見るとこれも登山としてはできうる限りの安全な装備をしてないよね。どうみても衣装が普通の登山家の服装と比べても安全ではなさそう。でもそういっちゃうとそもそもウェディングフォトを山で、が成立しない。
じゃあ(法律的な問題はあるかもしれないけれど)ぱっと見の詳しい背景を知らない我らはてブ民は一方をよしとすると他方もまあ受容するっつーのがなーなーな態度な気がするな?
高所での自己表現(アートのほうは表現者とリスクを負う人が別なのがままだが…同意は取ってるとする)のリスクは普段より高まるが、閾値が違うのかブコメを見て違和感を覚える人たちもいた。
俺としてはどっちもリスク犯してやってんなー。これらに別々の態度とったらまずそーだなーとしか考えてない。
kurotsuraherasagi
足元に覗くゴツい靴が合成とかじゃないリアルな写真である実感をもたせてて、すごくいい!真似は絶対できない…
たまにみかける「ネガティブな反応含めてアート」みたいなの、気持ち悪く感じるけどうまく言語化できないんだよな…アートって言えば何でも許されるわけじゃないというか…私に現代アートは難しい…
lenore
写真がとても素敵だし、工程聞いてすごいと思う。こんな大プロジェクトを共同で遂行したなら、もうこの夫婦に怖いものは何も無いんじゃない。
ちゃんと安全とモデルの心身の健康と名誉が保たれないなら、アートでも何でもなく傷害罪だ。アーティスト本人が障害を負うなら愚行権の範囲内だが人を巻き込むな。批判だけで済まない場合を想定しないのはただの無謀
mutinomuti
情熱がすごい
nandenandechan
緊縛は体への負担が大きく、数時間程度と言われています。なので、緊縛後に何点かで吊る方法だと思われます。建設業には「1mは一命取る」という標語があり、今回の場合はヘルメットとハーネスが必須です。怖いです。
totoronoki
結婚関連のイベントを「趣味や夢の実現イベント」と切り替えるとお金をかける価値のあるものに変わっていくんだな。そもそも結婚式って旧式のクラファンみたいな部分あるしな。
指が絡まったまま体が落下したら指が飛ぶからな。首なら窒息。車の危険運転等と同じで、アートでも危険行為やったら罰金、となるようにしたほうがいいのでは?(ただ表現の自由との兼ね合いが難しいか?)