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2009-12-27

読書映画で見る)大人/子供、そして批評哲学

確かこれは高校の現国の授業でやったネタだ。

「大人は読書をする時、それまでの経験を踏まえ、解析を試みながら”読む”。つまりは半ばその是非を疑いながら読むのである。」

子供読書をする時、経験が無い為に移入する。そのものに成り切ってしまうように。その世界観に染まるのである。」

これも極端な話だ。読書中に大人がスキゾで子供がパラノとはね。

と考えると、ワタシは「読書中に限り」子供パラノイアだ。自分で言うのもアレだが、移入の鬼だろう。

小説キャラクター台詞をパクってそのものに成り切ったりとかね。コスプレだよコスプレ(笑)

しかしながら、普段のワタシはそれを否定する。裏切る。

網状言論F改』だろう?「オタク」の奴。アレは当初物凄い没頭した。

でな、2年前に裏切ったんだ。呆気なく。切っ掛けはスラヴォイ・ジジェクだった。(例の東さんもお好きなようですが・笑)

要するに「裏切りの過程」を全部見せていた訳さ。ひょっとすると、今までに無いパターンだったのかもしれない。

「そのものに移入し、それが後になって全否定される。」という強烈な振り幅。

因に『身体なき器官』の冒頭に有った「対話こそ哲学に対する最も際立ったアイロニーである。」は今でも正しいと思っている。

山月記』の詩人は人と一切交わらず虎に成っただろう?虎のままで居たければ人と交わらない事しか無いんだろうか?

哲学コミュ非コミュ詩人/虎、大人/子供。それにな、今は「メディア」が介入する。

情報公開/非公開という要素は案外無視出来ない。過去日記は非公開にしている。

最近じゃ「自分の所有物である」という主張すら止めた。だから増田。それも今年で終わりにしようと思う。20世紀が終わったからだ。

でもこの状況でも「怪物」と言えばマイルス・デイヴィスだ。エヴァンゲリオンの方がネタとしては解り易いかもしれない。

TV版の最終回は単なる「悪戯」だ。だが「通過儀礼」でもある。

アニメという強シンクロ、「見たまんまが総て」という全能感からたった2晩でそれを総て裏切る。

と言っても所謂「酷いオチ」では無く、総てへの裏切りである。失恋に近い感情を抱いた人が多かったのだろう。

(これ実際有りましたよそりゃ。良い歳こいた大人が「はぁ〜」とか言いながら人生語ったりするのよ。エヴァ語りながら・笑)

で、次の映画版ラストは前も言ったけど「中途半端な破滅願望」な。

失恋すると世界が終わるような幻想を抱く事で自分精神を防衛する」これはアンナフロイトが言っていた事だけど、

世界が終わっても結局シンジアスカが残っていた訳。これは新しいパターンだよ。「破滅した。だが人類は滅亡していない。」

後輩の女の子エヴァ劇場2作を振り返ってこう解釈していた。「あれはアダムとイヴなのだ。」とね。

で、次だよ。今のシリーズ

アニメは言わば強シンクロ世界だ。そこに映る物で総てが説明出来る。」とは『アフロディズニー』のネタなんだけど、

先の『破』はとてつもない強シンクロ世界シンジは男らしく、レイは女らしくなった。恋をして、守ろうとした。言うなればただそれだけ。

それだけに素晴らしい。監督自分の望む世界を雄弁に語った。それに尽きると思う。

評価は分かれたな。移入出来れば、まるで自分が恋をしているかのような感情すら抱くと思うし、

出来なければアレだ。「今更庵野と手を組む気は無い」とか言ったりする。両方ともファザコンに近いなぁもう。

東の新作は実はコッソリ読んでみようと思う。哲学談義が現在大パニック状態なだけに多分面白い。(好事家なので)

やっべ。クソ長ぇ文に成っちまった。多分こんなのまともに読まれないだろう。

(まぁ、誰か読んでくれるかもしれないからこのまま落とす。)

http://anond.hatelabo.jp/20091226193955

 
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