はてなキーワード: 紋切り型とは
俺は割と原作の漫画版が好きで買って読んでたんだけど、正直不満の方が多い。
SNSでは割と好評な意見が多くて今年ベストみたいな人もいてびっくりした。
1.品川ヒロシ節がウザい
これを現実に存在する人間が口に出して言うのに違和感しかない。
品川ヒロシの過去の映画でも頻出するコント文法というかなんというか。
A「なんかこいつキムチ臭くね?」
A「っていうか焼肉臭くね?」
こういう寒いコント風のやり取りをいきなり入れてくるので、何この場面?ってなりがち。
2.終わらせ方が紋切り型すぎる
今回の話は漫画の第一章にあたる「爆羅漢」編を映画化したものなんだけど、
元々の話は、敵対グループの爆羅漢とのタイマン3本勝負で決着がつく。
主人公と総長丹沢の"ヤバさ"を周囲のメンバーが思い知るという構図になっていたが
大乱闘→乗り込んだ先でバラバラになってタイマンという形に変更されている。
これはクローズ1、2もそうだったし、ハイローもそうだったし、東リベもそうだったし、
昨今流行したあらゆるヤンキー漫画が大乱闘→バラバラにタイマンの構図になっており
元々の流れを変更してこっちにしちゃうのかーと残念な気持ちになった。
3.アクションシーンは概ね良い
うーん、これは当ててませんねぇって一目見てわかるシーンがちょちょいと出てくるのは気になったが
パッと見て頑張ってるな!って思えるアクションシーンが多いのは品川作品のいい所だと思う。
ちゃんとバエるように戦う場所も工夫されているし、こういったカジュアル近接アクションを撮らせたら
実際頑張ってる監督はいっぱいいるんだけど、予算ついてアイドルも入れてこれやれるのは割と貴重。
暴走族のメンバーをラップで紹介するパートがあるんだけど、マジでダサい。
これに比べるとさすがにLDHが主導してただけあってハイアンドローの各チームのテーマ曲はかっこよかった。
あと、東リベのマイキーに激似のチビで金髪で長髪で喧嘩ゲキ強いけど飄々としてる総長が出てくるんだけど、
これってまぁ特攻の拓のマー坊時代からの系譜ではあるんだけども。
やっぱ演技させるとドラマ版池袋ウエストゲートパークの窪塚洋介のキング”風”でしかないなぁと思わされる。
三島由紀夫は日本を代表する文豪・憂国の士といわれるが、過大評価され過ぎだと思い、所感を書いておく。
三島由紀夫はかなり多作な作家で、小説・戯曲だけでおそらく200作を超える。
新潮社の三島由紀夫全集はバカデカサイズの全42巻からなり、通読した人間は三島の専門家くらいだろう…専門家すら怪しいが。
三島由紀夫といえば金閣寺。少し落ちるものとしては仮面の告白、潮騒、美徳のよろめき、鏡子の家、憂国、豊饒の海がある。
私は三島由紀夫が好きで、小説だけでなく戯曲を含めて結構読んでいる方だと自認しているが、若者がつまらぬ観念を語るだけの作品、あまりに紋切り型の恋愛作品が多すぎて、読むのが時間の無駄・苦痛だ。
2021年に『三島由紀夫vs東大全共闘』という映画が公開された。三島由紀夫 = 憂国の士という共通認識を前提とした筋書きのようだ。
しかし当時(1969年)の共通認識は「ややこしい人がクビを突っ込んだな」である。
当時の三島由紀夫はボディービルディングに熱中したり、鍛えた裸を披露するために自分の映画や写真集を作ってみたりと、脇道にそれる活動が多く、作家としての存在感が薄らいでいた。
それどころかいい年したおじさんなのにUFO・超能力の探求にハマったり、ハタチそこそこの若者を誘って私兵部隊を結成したり(後に市ヶ谷駐屯地に突入した楯の会である)と、お騒がせキャラクターを確立していた。
つまりUFO・超能力に興味があり、自分の映画・写真集をつくり、若者を集めて軍事訓練を積ませている40過ぎのおじさんが、ソ連・マルクス主義の嵐が吹きすさぶ東大に入って論戦しようというのである。いくらなんでもツッコミどころが多すぎるよ。
当時は同性愛・天皇礼賛主義への偏見が強かったこともマイナスイメージを形成しており、三島由紀夫は"へんなおじさん"であった。
散々語られていることだが計画性がなさすぎる。拡声器すら用意していなかったとは…。
偉い人を人質にとって吠えれば自衛隊が動くと思ったのだろうか。組織とはそのような属人的なものではない。
ずさんな計画のわりに、割腹自殺の準備だけはキッチリしていたらしいが。
派手に割腹したかっただけでしょ。割と当たっていると思う。三島由紀夫がエッセイや映像インタビューで度々語っているお気に入りのエピソードに、終戦の日に夏の静かな日差しを見ていると自分は"生き残ってしまった、後に残されてしまった"という強い感覚を持ち、それ以来死に場所を探しているという話があり、その"死に場所"を選んだということなのだろう。
三島由紀夫はエッセイストとして優秀だとおもう。"高貴なる野蛮人たれ"という言葉を残した。上品で、教養があり、裕福な人間は一見洗練されているようではあるが、実は個性がなく退屈で、柔順で、脆弱な人間なのである種の誇り高き野蛮さを備えておくべきだという三島由紀夫の主張。この主張は私の人生の指針にもなってきた。
ただ文豪・憂国の士というのは過大評価であり、観念に引きこもるあまり最期は周りに迷惑をかけて死んだへんてこ作家、くらいが妥当な評価だと思う。
ブルアカ、という名前は耳にしたことがあり、とても人気があるのも知っていた。スマホゲーはやったことがなく、YouTubeでプレイ動画を少し観ると「もういいや」となって興味を失くしていた。
しかし今季アニメ化とのことで、試しに観てみたんだ。で、二話まで観てみたんだけど正直それほど面白いとは思えなかった。世界観が謎なのはもとより、どのキャラクターの顔も性格も設定もスタンプ絵のような既視感あるものにしか思えなかった。はっきりいえばそれが原作をやらなかった理由でもあり、一言で現せば"狙い過ぎ"だと思ったから。
こういうキャラクターを出して、こういう世界観にすれば戦闘が盛り上がるし、あとこうしたバックボーンがあれば…みたいな、如何にもオタクが好みそうな要素を分かりやすく提示し、それにまんまと引っ掛かって釣られるのはどうかなと。もちろん、それが悪いことでもないと分かってる。商売だからね。売れなきゃ意味がない。だからある程度市場調査をして、どちらかといえば尖るよりは角を丸める。ホームランを狙うよりはヒットを狙うわけだ。そこでオタクに媚を売る。美少女、暗い過去、重い世界観。どれもがオタクの大好物。それでコンビニ弁当みたいな美少女たちが加工食品な世界観でパック詰めされた牛肉を食べるような物語を展開する。すべては予定調和で、泣き叫んで牛が死ぬ瞬間を目にすることは決してないような物語を。
こうしたオタク保守的作品がヒットするというのはオタクにも責任があると思っている。狙い過ぎの作品であるのは大抵のオタクは気づいているはずで、大抵のオタクは敢えてそれに乗っかっている。そうすることでテンプレ型の作品はより安定し、傾いた作品は淘汰され類似品ばかりが増えていく。このサイクルを止めるのはオタク自身が一度「それはもう飽きたよ」と云うべきなのだ。分かっていながらそれを拒否するのは自らのアイデンティティを否定することになるからで、「飽きたよ」と言えば自分がもうオタクではない気持ちになり、オタクは冷めた大人になることを酷く怖れる。だがそれは違う。定型な美少女には待ったをかけるべきで、そうした美少女を否定したところでそれはあなたのオタク性を否定することにはならない。何故ならオタクとは本来、自らの拘りを強く抱くものであり、拘りがあるからこそ自らの意思表示をしっかりと行って然るべきだからである。
オタクはそろそろ自覚した方がいい。このままでは紋切り型の美少女だけが歳を取らず、自分ばかりが歳を取っていくことになるということを。
好きなアーティストの条件は、美男子 or 美女で、恋愛の歌とか、元気が出る歌を歌ってること
好きなアニメは、美男子と美女が強い悪者を倒したり、イチャイチャシーンやお色気シーンがある奴
外食は油っこいラーメンばかり or インスタ映えする飯ばかり
「エロ」「恋愛」「見栄」 「美男美女」 「カロリーの高い飯」「派手な演出」にしか興味ないやつ
もういいよ
そういう奴らばっかじゃん世の中
どうなってんだよ
何歳までハマってんだよ
流石に20も超えたら「あれ、なんかこれ紋切り型でつまんねぇな」って気づくじゃん
そういう奴がごく一部いるなら分かるけど、世の中そういう奴が多数派な気がするんだよな
俺が間違ってんのかな…
そういうやつって、例えば仕事でなにか質問しても、回答が浅いんだよ
1発目に思いついて、すぐ試すor考えれば「あっ、これは違うな」っていうような回答が飛んでくる
逆に質問してくるときも、すぐ試すor考えれば分かるようなことを聞いてくる
そんで、そういうやつって短絡的だから、↑のような事を指摘しても、内容の正しい間違ってるに関わらず「俺を批判した!こいつは敵だ!」と(表に出さずとも) 反射で思うんだろ?
だから、指摘もできない
ほんと世の中そういうやつばっかりじゃん
いつまでガキなんだよ
いつまで浅いんだよ
俺がおかしいのか
例の脚本家による原作改変は全般的に不評なのかもしれないが、それは改変の仕方が良くなかったからで、
世の中には改変によって原作超えを果たしたドラマもたくさんある。
その意味で個人的に、神改変を連発する脚本家だとあがめてるのが森下佳子だ。
【白夜行】
原作で内心の見えないモンスターとして描かれていた主役たちの内面を徹底的に描いた傑作ドラマだ。
原作者(東野圭吾)は改変が気に入らなかったようだが、俺は逆に原作の方に物足りなさを感じるようになってしまったくらい、
主役たちの心理状態の変遷には納得感があった。安っぽい紋切り型の美談にしているわけでもない。
原作では単なる敵対関係だった刑事を武田鉄矢が演じたが、彼と主役たちの間に生まれた悲しい絆の物語は見事。
【JIN】
原作漫画は良くも悪くも「大河ドラマ」で、話のスケールは大きいが平板で発散するだけの展開に感じ、没入しきれなさが残る作品だった。
ドラマ版は設定をうまく整理し、全てを視聴者の没入できる近距離にギュッと圧縮した。
主役(大沢たかお)の性格をいじり、江戸時代に適応しきれない現代人という要素を強めたことで、共感できるドラマ性を一気に強めた。
本作が当時の覇権ドラマとなったことは覚えている人も多いと思う。
ドラマ以前に原作漫画を知る人は少なかったと思うが、「よくこの原作を感動ドラマにできたな!」という別の感動が生まれるくらいのギャップがある。
綾瀬はるか演じる主人公の性格は原作漫画以上に漫画的に強調されているが、その分、漫画的仮面が剥がれていくクライマックスシーンが、視聴者の心を激しく揺さぶる効果を生んでいる。
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あとセカチューとかもあったな。あれは観てない。今の大奥はどうだろうか。
もういい加減にしてほしいが、同人を批判するなら同人のことを少しくらい調べようや。
とりあえずはまず、「fanboxは二次創作禁止なのに金稼ぎまくってる」について。
ああそうだな、
ここで間違ってるのは、「金稼ぎまくってる」という認識だ。
お前ら、「pixiv様のことなかれ管理主義」を知らねえだろ。
pixivは、疑わしきは問答無用で非公開にされる所だからな。
修正が薄いと言っては非公開にされ、ロリものを販売してると言っては非公開にされ、規約違反の版権物と言っては非公開にされ、なんだかんだと理由をつけて非公開にされる。
非公開は解除されない。
通報が何百件きてもシカトがデフォの、はてなみたいな衰退サービスと一緒にすんなよ。
巡回だけで非公開の嵐なんだわ。
fanboxがどうのと言ってる奴は、実際は「何年かの間に、たまたま非公開にされる直前の数件を目にしただけ」のくせに、
「みんなfanboxで二次創作で金をとってる!」とか思い込んでるんだよ。
あほか。
違うってんなら、「複数人のユーザーを数か月観察するくらい」のデータを取ってこい。
「二次創作で金をとるのはダメ」と言い出す奴がいるんだが、まあこれにはいろいろ議論の余地もあるとは思う。
だが、それならコミケはどうなんだ?
なんで許されてるんだ?
「は?バカじゃないの?コミケは紙に印刷するから、その費用でいくら売っても利益なんて出ないんです~だからセーフなんです~」という奴がいる。
あ ほ か。
例えばデジタル同人大手のDLSITE・FANZAは、同人誌の平均価格である「一冊700円当たり、手数料300円」である。
(ちなみに、600円でも同じく300円)
印刷量が高い高い言ってる奴は、ぎりぎりで入稿してるだけだなんだよ。
なら、高いのは当たり前だろ。
しかも、印刷費が高いといっても、「デジタル同人の手数料と同じくらい」だぞ。
それが、余裕を持って入稿するだけで「半額以下」になるんだぞ。
どんな素人でも、例え小学生だろうと黒字にできる値段設定なのに赤字になるのは、
「移動費が~打ち上げが~」ってのも、じゃあ高い家賃を払ってたら二次創作の儲けはチャラになるルールなのか?
とにかく、「二次創作で金をとるのがいけない」っつうんなら、
「世界最大規模で」「海外でも知名度のある」「瞬間利益もでかい」コミケの方をまず批判してくれ。
それが理屈ってもんだろう。
そのうえで、権利者がコミケを許してる事、下記に書いた問題も含めて論じてくれや。
それならまだ議論ができる。
でも「コミケは印刷費が~」とかいってる時点で、「ただの妄想によるお気持ち」でしかねえから。
ネット上で同人誌を販売する、いわゆるデジタル同人界隈において、
二次創作よりも「オリジナルが圧倒的に多い」のは、デジ同人ユーザーならだれでも知っているな?
ユーザーなら当たり前の認識だが、大手DLSITE・FANZAでも「2010年代の後半」においてすら、
「二次創作は売れないことで有名」だったんだぞ。
下手なオリジナルが月1000本売れて、巷で有名な超大手作家(なんなら商業やってる)が、月100本以下で当たり前っていう文化なんだよ。
じゃあ作家側は、二次創作とオリジナルのどっちを描くか、わかるよな?
面倒くさいこと言う前にデジ同人サイトのR18ランキングを見てみろ。
見たか?見たならわかるよな?
どこをどう見たら「二次創作だらけ」だと思える?
だいたい、コミケにしたって「サークル数はオリジナルの方が多い」だろうがよ。
一般参加者でもそういう情報はふつうに見聞きするんだから、知ってるはずだよな。
ではなぜ、「同人は二次創作ばかり」という誤解がいつまで経っても消えないのか。
あそこでは「コミケで頒布された二次創作同人」が山のようにアップされて、どこを見ても二次創作だらけだからな。
違法アップロードサイトでは、そりゃあ「オリジナルなんて人気ねえ」もんな。
選び切れない量の作品がタダで見放題なんだから、自然と知名度のある作品が検索され、閲覧され、人気になるよな?
はっきり言って、同人=二次創作ばっかり、ってのは「タダ見が前提のユーザー」の発想でしかないんだよ。
「同人で金とるな!」って言ってる奴は、「同人なんてタダで見て当たり前」と思ってるから、そういう考えになる。
自分は違法サイトでタダで見ておいて、「悪しき金儲けを批判する正しい読者のつもり」なんだよ。
狂ってんだろ。
SNSでも無料で公開されてる絵は、二次創作の方が人気だよな。
これはSNSというコミュニティの話だから、「話題性」が大事なのは当然。
でも、金を払う人間は少し違う。
「話題性」よりも、「内容」を重視する。
それはデジタル同人を見てもわかるし、商業のエロ漫画を見てもわかる。
話題性に乗せられて、好みでもないしょうもないエロを買って泣いた経験は、誰しもある。
むしろ、「一時の流行を追っただけの二次創作に金を払う方が希少種」なんだよ。
だから同人という「内輪に向けた文化」のなかで、根付いてきたものだったんだよ。
しかもネット上の意見を見ればわかる通り、基本的にはみんな「二次創作なんて見下してる」。
共通の話題で集まってはしゃいで、アッパーな気分になってるから、二次創作に散在もするのだ。
でもだからこそ逆に、
デジタル同人界隈ではいつまで経っても「二次創作よりもオリジナルが人気」なのだ。
「同人は二次創作しかない」「俺はタダでみたいのに二次創作で金をとってる」と逆恨みしているのだ。
あのさあ、
そんな「違法サイトユーザー」の話をまじめに聞くことほど、時間の無駄はなくねえか?
その時間を使って、自分で同人について調べた方がマシな議論ができると思わねえか?
繰り返しになるが、話はそれからだろ。
アニメでは「親子の関係」みたいなのもテーマの一つで今流行の毒親要素も描かれている。
主人公の母親は主人公に対して優しい言葉をかける一見優しい母親で、
ヒロイン二人の父親はどちらも「子供の事なんて考えずに一方的に自分の考えを押し付ける」という、いかにもな高圧的毒親タイプ。
しかし話が進んでいくと、実は父親は物凄く不器用だったり一方的ながらも、彼らなりにヒロイン達の事を思っている一方で
主人公には優しかった筈の母親は、実は主人公の事なんて大事でも何でも無く(実の親子では無いらしい)
目的の為に「優しい母親」を演じているだけに過ぎない、という描写になった。
そして物語が進み、毒親だった筈の父親達は、ヒロインを命がけでかばったり、
かと思えばもう一方の父親はお互い知らないままヒロインと攻撃しあって、最終的にはヒロインに刺されて殺されるのに
死ぬ間際に「お前が、生きてて良かった…」みたいな事を言って
刺した事を責めないばかりか無事に生きている事を安心して死んでいくという
厳しい父親が実は子供の事を不器用に強く思っていて…という、ありがちながら古き良き父親像が描かれるのに対し
一方で母親は、主人公を相変わらず優しい言葉で洗脳し数人を犯させるという、サイコパス的な毒親に描かれて辛かった。
何がモヤモヤするかって、家庭を顧みず子供を押さえつけ支配しようとする父親」でも、実は子供の事を強く思っているのに
「ひたすら優しく前向きな言葉をかける母親」は、実は子供の事なんてなーんも考えてない冷酷な人、と描かれている事。
別に父親=悪!母親=善!というステレオタイプな親子の関係の描き方が必ずしも悪い訳では無いにしろ
それにしたって父親を良く描き母親を悪く描きすぎなんじゃね?って思った。
昨今のフェミニズムに対する反発やミソジニーを揶揄して描写している(そしてその否定も今後描かれる)
というのであれば、まだ納得いくんだけどね……今の所は正直あまり期待できない。
話の筋は面白いだけに、親子関係の描写についてはあまりにも紋切り型でモヤモヤというよりイライラする。
家父長制肯定?この辺りも最近のアンフェ事情に忖度とかしてんのかね…
まーアニメ自体が男中心の男性社会に合わせてるからかも知れないけどさ。
今、中学生男子のこどもふたりと、小学生男子のこどもが1人いる。
こどもが好きというよりも、これまで世界に生まれたほとんどの人類が持っていたから、
自分もどのようなことを思い、考えるのか経験してみたいと思ったから。
それを経験しないのは、死ぬときに後悔するだろうなと思った極めて消極的な理由。
こどもがとくに好きということもなかったし、
できたあとも、かわいいなと思うこともあったけれど、
こどもができて幸せとか、そういうこともとくに感じなかった。
家に、人間みたいなペットが来たなと思うくらいの印象で過ごしていた。
あるとき、仕事の飲み会で、年上のクライアントに、こどもについて聞かれて、
みたいなことを言われた。
「そうなんですよ、めちゃくちゃかわいいんですよ」
みたいな定型的な返答をしていたが、
うんざりしたのをよく覚えている。
実際、こどもといっしょにいることで、
自分の人生がゴールデンタイムになったなんてちっとも思わなかったから。
大変で、うんざりすることも多かったし。
育児放棄という感じではなく、
また、新しいペットが増えたなと思うくらいで、
しかし、大きな転機が訪れた。
保育園にお迎えに行くだけで、大喜びする。
そんなふうに求められ続けて、
若いときに女の子とデートしたときのような気分に近かったりする。
そして、家族みんなで過ごすのは、ほんとうにゴールデンタイムなんだなと。
ここまで来てやっと気づくことができた。
こどもは同じ両親からも、全然違う性格のこどもたちが生まれるし、
こどもだって人間なんだから、良くも悪くも、相性みたいなものもある。
うちがひとりっこや2人兄弟だったら、
その中に、長くいっしょに楽しく過ごせる
思春期〜大学生くらいの若者がさあ、人生の意味とか己は何者なのかとか、そういうことで迷ってんの見るじゃん
若いな〜、俺にもそんな時期あったな〜と思うじゃん
でも、俺、実は、全然分かってないんだよな
いや、実際のところ、「人生は完全に無意味で、無意味なので俺が何者かとかそういうのはまったくどうでもよくて、結局マジで全てに何の意味もないんで、自分が満足できるのがいちばん!」みたいな、程度の低い紋切り型の結論に至ってんだけどさ
でも俺、それでいくと、今すぐにでも首くくって死ぬのがいちばん満足感あるんだよな
労働とか義務とか全部嫌いで、ホント何もしたくないからさ 死ぬ瞬間にはかなりの高揚感があるだろうと思う
俺がたどり着いてる「生きている理由」って、実際のところ、「自殺してる途中に感じる苦痛が怖いし、うまくいかなくて晒し者になるのが怖い」ってだけなんだよな
こんなゴミみたいな結論しか持ってないのに、「若いな〜」じゃねえんだよ、って話じゃないすか?
だいたい、この結論自体、それこそ中学2年生くらいのときから動いてないんだ
どう考えても人生って無意味で、無意味であるということ自体も無意味で、自我がある以上とにかく楽しまないと損だけど、この世って俺にとって根本的に全然趣味に合わなくてまったく楽しくないから、死ぬのがいちばん!
どうすんだよこれ
どうしてくれんだよって話だよな実際
そして、皆さんどうしてるんだ
わかる。結末がいつも紋切り型になる