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2023-07-22

君生き感想宮崎監督、『名作』をありがとう!~

自分宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。

さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したとき期待感MAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。

総論

美術アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリー感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督キャリアハイとしての作品千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。

しかしながら、君生きはストーリーっぽいもの感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷もっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後パヤオけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次想像してもらいたい)。

あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない

もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督過去インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである

※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情理解できるだろう。事情が分かれば感情了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。

なお、この流れで養老他人気持ち理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー芸術理解を示す人はいるかもしれない。

自分映画

こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督ホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分けがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。

ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったこから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督インタビューがあった気がする。ジブリブランド確立するまではコケたら次はない状態であったろうから興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才大衆に合わせてくれていたわけであるしかブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけであるジブリ体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかたこと」を我々は目にしているのかもしれない。

過去パヤオ感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆天才現実的妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才ちょっと付き合ってもらったという感じ。天才ちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。

この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望からまれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督から面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである野球大谷いくらいからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督場合、次があるかは分らんが)

「問い」として捉える

さて、作品表題に立ち返ってみると、これは疑問形である作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。

しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分勝手に期待して、勝手失望しているだけのことである

すでに名作はあるのに、なぜおかわりを望むのか

最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。

あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!

で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか

若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験プレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代ゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品ちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。

各論

ゲド戦記を思い出した

視聴しながら、ぼんやり宮崎監督ゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見価値はあると思う。

東映アニメ長靴をはいた猫』を思い出した

インコ大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品監督宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年作品なので絵のきれいさはどうしても現代作品には見劣りするがアニメーション面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王ラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白カット増やした方が良かったろうにって思っちゃう

音楽

使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為ちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。

2023-07-16

映画って「夢」とか私小説的な表現主義ジャンルと、エンタメジャンルがあって、それぞれのジャンルをそれなりに見たことがある前提で語ってくれ

2023-07-09

anond:20230709172552

全ての創作物がそうだと思うけれど、自分気持ちバリバリ投影した人物主人公視点人物にする場合、その人と距離をきちんと取れなければまともな創作物になりはしない。その点で、今いま経験中のことを私小説風に書くのはたいへん難しいし、独りよがりになる。だからある程度大人になった時に高校生感性を思い出して書くってのは全然ありだし、そうじゃないと書けないと思う。…とはいえ、70過ぎて30代の主人公とかはやっぱり無理があるのだけれど。

2023-07-04

anond:20230704003612

この前障害者の方が文学賞を取った私小説の内容

もし健常者だったら、悪い男に入れ込んで妊娠させられて堕胎たかった(意訳)みたいなの思い出した

やっぱ潜在的にそういう願望持ってる人って一定数いるのかねぇ

そうやっていいようにされて堕落することが、逆説的に女性性の開放なんだろうか?

(考えてみると、堕落した男性は完全に自由象徴だよなぁ、酒とギャンブルとか)

2023-07-01

私小説とかエッセイマンガとかで、どんなに作者が自己卑下してたとしても「本が出版されて僕程度の人間に読まれてる時点で成功者じゃん」と思ってしまい、著者に深く共感が出来ない

2023-06-26

anond:20230626153042

加賀乙彦私小説

東大医学部を出て精神科医局に入り

精神病理学研究する加賀の同期の医者の卵が

ある日突然「上司に殺される」って言い始めて精神分裂病発症してしまったくだりがあったけど

当然精神分裂病がなんであるかを学んできてるし

ヤスパース研究してる優秀な医学研究者だったのに

最後まで自分の言ってることがおかしいと気づけなかったとあったな

2023-05-28

加賀乙彦私小説読んでたんだけど

加賀の同期(東大医学部)でヤスパースが専門の精神科医たまご精神分裂病なっちゃって入院した描写しかったな

知性や知識があっても関係ないなんて残酷病気だな

2023-03-27

最近詩が面白くなってきたKKOですが

素人なのでBingくんに詩の書き方を教わったわけです。

そうすると、

自分の見たものや感じたことを詩的な表現で書けばええんやで」

との回答がありました。

まり私小説表現を詩的に変えればいいと理解しました。

ネットでは自分お気持ちを書き連ねることをポエム揶揄されますが、その表現さらにふんわりとさせれば詩という作品になるのかもしれません。

それを早速書いてみたところ、すぐにお気持ちを乗せたものが完成して、とても面白くなってきました。

しかし、KKO感情などほとんどがネガティブものですし、KKO感情などいくつか絞ってみればすぐに枯れてしまます

はて、こまった。書くことがない。

そこでBingくんにまた聞いてみたら、

別に自分の心情じゃなくてもええで、非現実でも、空想でも、幻想でも、想像でもええよ」

という回答が返ってきました。

なるほど。じゃあ、どこかにいる宇宙人の心情を書いてもいいの?

Bingくんに聞いてみると、

「ええで、宇宙人の心情を書くことで、人間との違いが浮き彫りになり、人間について新しい発見があるかもしれんな」

との回答。Bingくんすごい。

まり宇宙人が延々に愚痴ってる詩を書いてもいいということです。

それってめちゃくちゃSFじゃん。

小説なら設定を練って起承転結ちゃんと話を作って、

物語というパッケージにしなければならないわけです。

でも、詩ならそんなところをすっ飛ばして、宇宙人の一人にフォーカスして、その人の目から見た風景だけ描写するってこともできるわけです。

小説であれば宇宙人私小説という形で作品にできるのでしょうが、それでも小説体裁を整えるためにかなりの設定と文章必要になります

詩だからこそできる表現が見えてきてワクワクしてきました。

SFがいいなら、ホラーだってファンタジーだってできます。海底に潜んでいる旧神の描写をしたっていいし、ドラゴンの炎にこれから焼かれようとしている男の恐怖をつづってもいいし、ふたなり天使がおちんちんをシコシコするところを表現してもいい。

創作というのは自由なのです。詩だって自由なのです。

ポエムという言葉イメージに囚われていたために、お気持ち表現する手段としてしか見ていなかった自分バカでした。

楽しくなってきましたね😊

anond:20230327065534

そうなんか。

惚れた男と性の快楽が繋がらんわ。

個別には存在するけども。

あと、何か「惚れた」って言葉から連想する大正私小説みたいな重い感じを知らん気もする。

なんか、そこまで好きになったオスが居らんかった気がする。

前提が満たせて無かった。

分からん事が増えた。

2023-03-13

anond:20230313195428

小難しいと言われがちだが、例えば吉本隆明のような韜晦的悪文ではなく、解読しようと思えばしっかり解読できる文章だった。

思わせぶりなハッタリに満ちてはいるがハッタリはハッタリと識別できる。ふつう日本語としては癖が強いが、記号としてはノイズが少ない。

そしてちゃんと読んだらめちゃくちゃ幼稚なことしか考えてないな、なあんだというものだった。

そのあたりはハヤオに似てるかな。思わせぶりの巧さ、芯の薄っぺらさ。

意外かもしれないのは彼は作られたアイドルだということ。筆一本でのし上がったのではなくインナーサークル内で政治的に上手に泳ぎ続けた作家

大江作品セカイ系が多い。「治療塔」はエンタメとしてなかなかの出来だが、エバンゲリオンよろしく世界人類にとってのキーパーソンは尽く主人公血縁である

晩年の身辺雑記みたいな私小説みたいなウダウダがそのまま小説だというスタイルには妙な味わいがあった。一つの発明ではある。それもセカイ系の変奏だ。進歩的知識人特別存在で、その日常の些事や生理世界シンクロしているのであるおまえらとは違うんです。

まあ一言でいってよくある昭和の徒花のひとつよ。時代を超えて残ったりしない。これから忘れられていくという意味じゃない。作品はもう忘れられてる。いまリアルタイム大江作品読んで心震わせて若者なんか日本中に一人もいない。彼の「思想」なんてものはもともとない。作品以外の社会的発言は全て左翼的スローガン拝借しかない。

2023-03-05

一部の社会学者

どうも「文章表現」に力を入れたいというか

自身著作を「文学」の領域で扱って欲しい欲求があるのでは、と勘繰ってしま

実際、社会学者の本の中には「今の日本社会はなんちゃらかんちゃらで嘆かわしいことだ……ああ!」みたいなエッセイを羅列して、はいこれが社会学でござい的なもんがごろごろある

そして読者(正確にはその社会学者信者)も、〇〇先生の新作、胸に沁みました!みたいな極めて情緒的な感想を述べるのである

社会学者及びその擁護者はしきりに社会学必要学問なんですよ!と言うが

著者の私小説を展開するのが学問か?

歴史学者が「明智光秀は本当は世を憂いた優しい男だったんです……泣ける!」なんて言ってたらバカしかないが、社会学は罷り通るのである

2023-02-02

anond:20230202131807

面白い私小説ノンフィクション)だと思う。

バイオロジカル的にアイデンティカルだったとしても、個別人格から

まり双子からどうということもなくそれぞれの人権尊重されれば問題なし

2023-01-30

anond:20230130111423

小説にしては作者の気持ちが全面に出過ぎてるような。

特にオチの部分。

増田私小説として捉えればいいのだろうか。

2023-01-13

anond:20230113133753

自伝とか私小説で、若い頃はとにかく金がなかったを強調してるの読むと、

実際にどうやって生きてきたんだか謎だし本当にそんなに金なかったの?って思う

金なくても今の時代ほど困らないような社会だったのかな

2022-12-12

フミコフミオサラリーマン私小説みたいなやつ、最近めっきり見なくなったな

2022-07-03

自分藤本タツキだと思い込んだ佐々木哲平みたいな志望者増えすぎ

藤本タツキ氏の影響で「私小説風で映画意識した作風」を描く漫画家志望者が増えたんだけど、

他人アドバイスを受け入れられないタイプの志望者がなぜか藤本タツキ氏と作品に過剰に自己投影してて、

正直キツい。

読者の視点意識する能力全然育ってないのに、自分投影した主人公が突然叫んで何ページも自分語りする作品を描いてくるんだよ。

自己投影した人物の異常に細かい自分語り以外は既視感ある表現のツギハギで、漫画として成立してない漫画自体は志望者の描いちゃうものとして割とよくあるんだけど、

問題はこういう点をオブラートに包んで指摘すると突然キレて「藤本タツキ天才ですよ、アンチですか?」みたいなことを言ってくるんだわ。

いや、藤本タツキ氏の作品あなた漫画とは全然違うし、そもそもあなた藤本タツキじゃないし、お前は一体何を言ってるんだ?状態

アドバイスされているのは藤本タツキ氏の漫画じゃなくて、あなたの描いてる漫画なんだけど…

どう見ても他の人気作品そっくり漫画を描いてきた志望者に「あなたは○○先生じゃないでしょ?」と言って「○○アンチか!」と逆ギレされることはまずない(と思う)けど、

めちゃくちゃ独りよがり漫画を描いてきた志望者に「読者の視点意識してね」と言って実は相手藤本タツキ氏に強い影響を受けていた場合逆ギレして印籠のように藤本タツキ氏の名前を出してくることがある。

全員そうとは限らないけどヤバいやつは本当にヤバい。なんでこうなるんだ?

藤本タツキ氏の漫画、読者の視点をすごく意識してると思うんだけど…しろ良い例として出したいくらいだぞ。

そういうのを何人か相手しててうんざりしたあと、藤本タツキ氏に強く影響された志望者は、

私小説風で映画意識した作風」=「藤本タツキ風」=「主観的感情をぶちまけ読者に媚びないのがタツキ風」(?)=「読者の視点は気にしなくていい」(??)=「俺の作品批判する奴は藤本タツキアンチ」(???)

と考えているんじゃないかと思った。

藤本タツキ氏の漫画面白いし好きだけど、藤本タツキ氏に影響されて描いた志望者の藤本タツキ漫画主観的すぎて意味不明なことが多くてキツい。

ファイアパンチチェンソーマンルックバックもさよなら絵里も、読者の視点無視した作品じゃなかったはずなのに、なんでそうなるの?

(ファイアパンチは若干怪しいが)

志望者がプロになるためのハードルである「過剰に自己投影した人物を描かない」「読者の視点意識する」「第三者アドバイスを受けて軌道修正する」を越えられない人は昔から居たけど、

その自己正当化のための武器として藤本タツキ氏を持ち出す人が増えた印象。

なぜかそういう人物ほど過剰に藤本タツキ氏に自己投影してるけど、

過剰に自己投影して超主観的客観性がなく第三者アドバイスを全て拒絶してるなら

それ藤本タツキじゃなくてタイパラの佐々木哲平だぞ。

2022-06-13

anond:20220609235923

私小説嚆矢となった作品から名作扱いなんやで。もちろん当時は、「なんやこの小説リアルすぎてキモすぎやべえ」という批判はあったやで。

2022-06-07

anond:20220607163400

私小説風に仕立ててる時点で臨場感なくてつまんないから続けんでいい

作品」が作れなくなると、プライベートを切り売りしないといけなくなる。締切に追われてインプットができなくなり、これまでのアイデアもすべて枯渇するとどうしても手が出るのが私小説的なやり口だ。

結局いくつか、「作品」の代わりに「自分」を売った。生きるためとはいえ、やりきれないものがあった。

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