はてなキーワード: 秀才とは
これは割と本当で、小学校あたりから私立行ってる人、マジで人生で「貧しい人」「家庭に大きな問題がある人」と接する機会がなくて、
本当に世の中は幸せな人だからけだし、上手くいってない奴は努力不足って本当に思ってるんだよな。
私立秀才コースを来た知り合い、「貧乏は怠けてきた証拠。ちゃんと話し合えば不和にはならない」が持論で。
寝食惜しんで必死に努力しても苦難ばかりな事例は幾多もある、ビックリするくらい対話の成り立たぬ相手はいるよ?と何回話しても、
それは努力が足りない、以上。
「自分の生育環境では貧困や毒親など、困難な環境で育った人たちを知らない」から
受験した皆様、お疲れ様でした。自己採点の結果はいかがでしょうか。
今年は例年より優しかったみたいですね。
さて、本題。
毎年この時期になると私にとって嫌な思い出がよみがえる時期でもあります。
宅建の受験体験記って、学歴はあまりないけど、頑張って合格しました!
とか、こうやって3ヵ月独学で合格しました!みたいな内容が多いと思うので、私のような例はある意味珍しいんじゃないかと思います。
まぁ失敗談なんてわざわざ残そうと思わないってのがあるでしょうけど何かの参考になれば。
私が宅建試験を受けたのは〇年前、理由は当時、自宅の購入の話を進めており、営業と打ち合わせをする機会が多かったから。
なので、自分も勉強して知識があった方が何かといいんじゃないか、っていう軽い理由からだった。
確か、その時が春先ぐらいだったので、言っても試験までは半年あるし、それなりの学校(都の西北方面)出ていた自負もあった。
メジャーな資格で、独学用の教材も充実してるから有名な参考書を買って勉強すれば、なんとかなるだろうっていう気軽な感じだったように思う。
(合格した暁には営業さんに実は私宅建取りましてね。とか言って驚かせてやろう、みたいなことも当時内心思っていた。今思い返すと恥ずかしくて穴があったら入りたい・・・)
で、早速本屋に行き大手予備校が出版している参考書と問題集を購入。
ただ、会社勤めもしているので試験勉強と言っても、平日は寝る前にテキスト読んだりっていうレベルのことしかしてなかった。
それでもほぼ毎日勉強するようにして、ゴールデンウイークも明けたころには、テキスト理解できたわけじゃないが問題集も取り掛かった。
が、勿論最初は9割以上解けない。
でもめげずに何周かして夏の終わりごろには8割は解けるようになって、それなりにいけんじゃね?ってなっていった。
このころには久しぶりに自主的に勉強することの楽しさや充実感、みたいなものも味わっていたように思う。
順調かと思われた秋口に過去問に手を付け始めたところで一気に奈落の底に落ちることになる。
問題集が過去問準拠なんだから、問題集解ければ過去問もいけるはず、と思って臨んだ過去問がさっぱり解けない。
問うてる本質は問題集と同じなのかもしれないが、聞き方を少し捻られただけでさっぱり解答できないのだ。
つまりそれは問題集を暗記していただけで理解していなかった、ということなんだろうと今にして思う。
が、もう時間も残されてない。かなり焦ったが過去問10年分を5回はやって40点ぐらいはとれるようにはなった。
あとは当日の問題の相性でなんとかならんかな、と運を天に任せて試験日に突入。
終って家で自己採点してから後の事はあんまり覚えてない。あまりにショックを受けすぎて。
・・・というのが一連の顛末。翌日教材一式は処分したことは覚えている。それから一度も受験はしていない。
宅建ごとき一ヶ月で、とか一週間で受かるとか言う人がいますが、本当であるならその人は相当秀才です。
ですが、宅建試験はちゃんと努力すれば合格する試験で、才能はいらないと聞く。
受験生は働きながら受ける人ばかりだと思いますし、当然スタートラインは皆が平等ではない。
それでも受かる人は受かっている。
私は一回で受けることをやめてしまった結果、「高学歴なのに宅建に落ちた人」になってしまいました。
家族しか受験のことを言ってなかったのが不幸中の幸いでしたが、もし職場に言っていたら、あいつ○○大卒なのに宅建落ちたのか、っていう評価に絶対なっていたはずです。
これは宅建受けたことない人、宅建を良く知らない人もそう言うと思われます。
つまり、世間的には宅建はそれぐらいの難易度と思われてるっていうことです。
いやいや、落ちたとしても勉強したことは財産だよ、っていう意見ももちろんですが、期待値が大きかった人にとってはあてはまりません。落ちたっていう事実だけが残ります。
これを解消するには再度受けて合格するしかないわけですが、残念ながら私は気力が持ちませんでした。
そして何年たってもずっとこのことを自分の中で引きずってます。
どんなに社内で仕事のことで難しいことを言っても、頭の中で「でも宅建は落ちたんでしょ」っていう囁きが聞こえます。もう病気ですね。
こうなってしまうぐらいなら一回も受けない方がマシすらあります。
今なぜ数年経って振り替えろうと思ったか。
それは会社のよく知る後輩が受験して合格の見込みっていうのを聞いたから。
後輩は決して高学歴ではない。
でも、仕事で一生懸命努力が出来る、周りからの信頼も篤い好人物だ。
きっと仕事と同じようにコツコツと宅建の知識も積み上げたのでしょう。
なぜだかわからないが、その一報を聞いて、私も来年やってみようかな、とふと思い、その気持ちを忘れないうちにここに記すことにした次第。
違うんだよ常識的に考えて戦後5人目の東大社会学博士号を取った稀代の秀才がそんなこと知らないわけないでしょほんとのこと教えるとウーマン村上や望月イソ子Twitterの陰謀論アカなど取るに足らない知的に怠惰なインフォデミック加担者を敢えて持ち上げて社会をいち早く破壊しよりよい変革を促すための世直しの一環なんだよヘタレにはわからないだろうけど先生は若い頃から自己啓発に精通し空手やクラウマガの達人であるなど心身共に完璧に鍛え上げられた巨人でさ断固たる使命に対して誠実に従事してきた先生の情愛の深さや慧眼に救われた側からすると意図や結果や確からしさを推し量れずに表層の言葉に自動機械のように激昂するのなんて知的怠慢なことか自分で気付けないのほんと恥ずかしいよね先生はお前らヘタレが拘泥している自我やプライドなどとうの昔に捨てていて敢えてわかってやってるんだっつうの傷つけて傷の痛みに気づいたものが知的に学問的に小さな円で社会をよりよくしていく好循環のプロセスを邪魔するなってのお前らエセインテリには滑稽に見えるかもしれないけれど敢えて粗忽者のピエロを演じざるを得ない先生の悲哀を少しは恥じる知的学問的な誠実さを少しぐらいは持ったほうがいいんじゃないかな()
例えばルールについて無条件に従う子と、ちゃんと自分で考えて納得しようとする子がいたとすると
ルールなんて不完全なものだっていうのに完全に気づくのは30歳くらいになってからじゃないかな
それまで彼ら世間では優秀とされたり、ずる賢いとされる人はそれに気づく前にうっかり逸脱することが有る
あと、ちゃんと考えてもどうにかならない社会構造という問題もある
ちゃんと考える人、かつ天才であればどうにかできるかもしれないが
ちゃんと考える人、かつそこそこの秀才であればどうにかできない、みたいなものは沢山ある
この程度というのは結構難しくて
それよりならルールに従い、凡人と同じように暮らして平均よりちょっと良いあたりのポジションを確保したほうが結果論ではよかったということも有る
子供の頃から自分で考えて、ルールの隙をついたり、やり方を工夫したり、周りと違うことをやったり
そういう傾向がある人は平均よりはそこそこ上手くやるが、うっかり罠にはまることがある
そう言えばむかしからこういう「逸脱気味の人」「ルールハッカー」的な傾向に名前がないと思っていた
ルールや仕組みの部分に興味があって、積極的に周りと差別化することで成功を目指し、それをアイデンティティにする、自分の考えがしっかりありすぎる人
<論点整理>
松尾:人間なのに、すごいことやれてるじゃん、みたいな将棋みたいな価値観は残るから教育はあり。未来のために資産的な意味なら意味がない。
松尾:人間を生産性の指標として捉えるからおかしい。農業が8時間労働から30分でできるようになって、なのに仕事作っているってのは人間がそうしたいからそうしてるだけにすぎない。そういう、やってもしょうもない仕事で優劣決めて分配決めてるだけで、生産性は関係ない。そういう人間なのにすごいじゃんで分配しあってるだけ。
働きたくない、社会と関わりたくないです。AIに仕事奪われる側だな自分は。
尊敬されないし、仕事もできないから、人間社会の評価でも負けてるから配分が取れないわけだな。
<論点整理>
松尾:企業数が増える。少人数で、たくさん仕事できるようになるから、小さな仕事をする小さな企業が増える。
川上:しかし経済では、人からお金を取るシステムにしなきゃだから、みんな無職で金がないと経済が回らない。ベーシックインカムが必要。
松尾:人は人からすごいと思われたい、人と接したい。ベーシックインカムでも、人だからすごいと感じて、人は人に金払う関係は維持されるはず。
ひろゆき:すごい人には大量に金が集まるけど、90%の人は人間に相手されずCGとかに相手されて気持ちいいで子供残せなくなりそう。
川上:人口減った方がいい。労働力みたいな人口が国力の指標になってるけど、AIで労働力はダブつく。資本主義は、資本受け継ぐ人が少ない方が有利だから。
松尾:老化は病気という科学的コンセンサスができつつあり、到達ゴールに据えられているから、10年,20年後は子供産む感覚が変わってる。
不老不死なりてえ。
<論点整理>
川上:文字をソクラテスは否定した、馬鹿になると。でも、現代人はソクラテスの賢さ超えた。AI使えば人間は強くなる。整形とかAIとかVRでマトリックスでプラグ繋ぎたいとか受け入れる人は勝つ。
不老不死になったなら、マトリックスみたいなプラグ繋ぎたいなあ。
リアル社会はクソすぎる。
<論点整理>
ひろゆき:日本でも生成AI作ってデジタル赤字出さないために、松尾さんが数百億円、日本で集めても、デジタル庁みたいに、デザイナーとかが上に立って、まともなことできないんじゃないの?
松尾:GPUを買うのに突っ込んでます、まともじゃない人はGPU使えないから
ま〜一応、勝負してんですねえってかんじ。
GPT-5が出て欲しい、マルチモーダル欲しいとかくらいしか思ってなかったけど、日本もファイティングポーズはとってるんですねえ。
AIで仕事奪われるってのは、現状のchatGPTでなく、もうちょいpdfの読み書きとか、ドメイン知識の理解とか、そういう話が今後できた時に来るんだろうけど。
それって、来年にはもう来てそうだね。
弱者男性で現状の社会では救われない身からすると、さっさとベーシックインカムで失業者になるのが最高だなあってかんじ。
そん時にセクサロイドとか、AIが作る神ゲームや神漫画がないときついけど。多分できるんちゃうの数年以内に。
あとは、不老不死が来るかどうかだなあ。不老不死が来てくれないと困るけど、不老不死は今のところ達成できる道が不明なのが怖いところだなあ。
AIで仕事を奪われた天才や秀才たちが、不老不死に到達できるんかなあ。
こうやって、未来に弱者男性が救われそうな可能性がはっきり見えてきたのはありがたいんだけど。
半導体だのフラッシュメモリの進歩がいまいち現状のAIの使用に耐えるために進歩が必要とか。
AI動かす電力問題が解決する道の核融合がまだまだ遠いとか問題はあるかあ。
ソフト側だけの進歩は強いみたいだけど、ハードがノロノロなんだよなあ。
ロボティクスとか、セクサロイドのキーポイントが抜けてるのも痛い。
仕事だけ奪われて、AIが弱者男性に利益与える未来にはギャップがありそう。その時期は地獄やんけ!
個人としては、起業をしてみてるんだけど、小さな会社ってか、自分一人でやってんだけど。AI使ったりしてるけど、営業とか古臭い感じで一軒一軒会社を訪ねる感じになってる。
地獄から救って欲しいなあ。AIが強くなれば、自分の起業も強くなるから、なんとか世界中のAI研究者頑張ってくれ。
https://www.toben.or.jp/message/pdf/230518arktokyo.pdf
ここで言う「A社」とは株式会社DSC、「B社」とは「株式会社Dキャリアコンサル」、「同一人物」とは児嶋勝なる人物のことです。
https://diamond.jp/articles/-/250777
3年前の東京ミネルヴァ法律事務所の破産で裏にいたのと同じ会社、同じ人物。
首都圏にいると気づきませんが、地方のラジオや新聞は今でもいわゆる「過払い金」の広告で溢れています。
その広告を手掛けているのが上記のA社=株式会社DSCを代表とする広告代理店群。
サムライうんちゃんらとかね。名前は入れ替わりつつ、常に数社そういう会社がある。
上記の「児嶋勝」氏もそうです。
経営基盤が弱い弁護士事務所に取り入る(食い詰めた弁護士を取り込んで事務所を作らせるパターンもある)。
相談会の広告費は回収した過払い金報酬から払えばいい、と甘いことを言う。
相談会の日程、会場(公民館とかが多い)、相談者の予約設定までやってあげる。
弁護士は、回収した過払い金から弁護士報酬を徴収し、そこからさらにツケになっていた広告費用を支払う。
もし支払えれば、ですが。
そのツケが貯まりに貯まって数10億に達して破産を申し立てたのが東京ミネルヴァ。
破産申立てにすら行き着けずクラッシュしたのがアーク東京です。
A法律事務所はいわゆる「過払い」の代名詞のような事務所です。
A法律事務所は2000年代後半のいわゆる「過払いバブル」の渦中に登場し、瞬く間に47都道府県に支店を置くほどの規模に成長しました。
その急成長は代表弁護士(一時期テレビによく出ていた)の手腕によるものだったんでしょうか?
それは甚だ疑問です。
実はA事務所も中核に武富士OBの人物がいて、実質的に事務所の経営を仕切っていました。
過払い金回収の顧客は、要はかつて消費者金融から借り入れていた人です。
どこの誰が、いつ、どれくらい消費者金融から借り入れを行っていたか。
株式会社は2010年9月に会社更生法の適用を申請し、事実上倒産しています。
それ以前から武富士の経営は苦しく、従業員多数が外部に流出していました。
武富士の元従業員が退社に際し顧客名簿を持ち出し、過払い金回収ビジネスに活用した。
弁護士業界を潤したいわゆる「過払いバブル」の真相は実はそれだった可能性が高い。
武富士の倒産については、「計画倒産だったのでは?」という根強い疑問があります。
弁護士業界では、武富士といえば「過払い金の支払いの気前がいい」ことで有名でした。
過払い金を請求するとホイホイ認め支払ってくれる相手方が武富士でした。
会社の負債総額を膨らませて倒産を急ぎ、創業者一族はとっとと資産を持って逃げる。
武富士創業者一族の計画にまんまと司法が利用されたのかもしれません。
もっとも弁護士は儲かったので、ウィンウィンでいいのかもしれません。
武富士倒産当時、過払い金の影響で次に潰れる消費者金融大手はどこだ、と言われていました。
ところが結局、その後は大手はどこも潰れていません。
プロミスにせよ何にせよ、大手銀行の傘下に入りピンピンしています。
結局、消費者金融は儲かるんです。
昔のように年利40%とかは取れなくても、年利20%でも十分ビジネスとして美味しい。
だから、過払い金という負債を物ともせずどこも今も消費者金融業にまい進しているんです。
過払い金に手を出したのはA法律事務所や東京ミネルヴァやアーク東京だけではありません。
当時、驚くほど多くの弁護士が過払いビジネスに参入していました。
過払いビジネスには、
そうは思えません。
弁護士はペーパーテストを頑張った秀才がつく専門職であり、事務作業は概して得意ではありません。
それらの事務作業をやってあげたのは、実は上記DSCを始めとする武富士OBだったんじゃないのか。
弁護士業界の過払いバブルとは、実は武富士OBに利用されただけじゃないのか。
そう疑っても不合理とは思いません。
もちろん、過払いバブルで潤った弁護士と、上記の東京ミネルヴァやアーク東京には大きな違いがあります。
でもそこに質的な差があるとは思えません。
まだ過払いが美味しい時期に参入し、うまく立ち回り、さっさと撤退した前者。
旨味が薄れた時期に今さら参入し、儲けることもできず、あげくに大事故を起こした後者。
その違いは、要は上手くやったか否かだけです。
過払い回収業務への規制はどんどん厳しくなっていましたから、むしろ前者の方がヤンチャしていた可能性すらあります。
というか、実際そうだったはずです。
冒頭のA社こと株式会社DSCと取引があった弁護士は、東京ミネルヴァやアーク東京だけではありません。
もっとたくさんの弁護士と取引をして、渋谷にキレイなオフィスを構え、キレイなお姉さんを多数雇っていました。
IT技術も無い世界(階級)で育ったキャラに「○○は××するようにプログラミングされているんだ」なんて説明しないでくれ
そのキャラも絶対仮想的な空間に触れたことがないのにスッと理解してんじゃないよ
パンチカードとか機械式のもっと原始的なプログラミングがありましたなんて通らないしそいつはそれらに触れてないのはほぼ明らかだからプログラミングもプログラムも初めて聞く単語だよ
「生まれながらに絶対××するように指示され・作られているんだ」とかで代替か?遺伝子とかもNGだわな
ハイテクな世界と進歩が抑制される過酷な世界のキャラが繋がるのは面白いけれど、ハイテク側は俺に対して喋っているように感じるしローテク側は秀才かあるいは聞いているフリして何も理解してない大物くんだよ
長男の才能は優しいところではないかと思う。おもちゃを貸したり順番を守ったりは苦手ではあるが、悪意があってやってることではない。必要以上に追撃しないし、嫌なことがあっても八つ当たりもしない。
その点、次男なんてひどい。
妻に叱られたり、iPadがうまく操作できなかったりすると、床にモノを投げつけたり、床や家具を殴って当たり散らすのだが、ときに長男やパパ(自分)を殴りにいく。
不意に理不尽な頭突きや体当たりを食らっても、長男は基本的に無視である。力加減によっては
「わけわかんねぇよ、なにすんだよぉ」
と困惑こそすれど、反撃しない。
極めて温厚。社会性は欠如してるけど、寝言でさえケラケラ笑う。
妻と次男は、嫌なことが積み重なると、最後に起きた嫌なことに怒りがのる。
裏ドラが乗るような感じだ。
さらに
「ワタシが怒ってるということはお前が悪い。お前が悪いからワタシは怒ってる」
という循環論法も成立してる。
も妻と次男のなかでは真だ。
これら、全部無茶苦茶な論理ではあるが、根本的には、「お気持ちは察されるべきだ」がある。
人の世の悩みの8割は、そういうものな気がする。
「愛されるべきなのに愛されない」
などなどの「~べき」論が脳内にあり、それが満たされない矛盾が、怒りとか哀しみとかに転嫁され噴出する。
長男は共感力が弱いので、「共感しあって当たり前」がない。素直に喜び、素直に甘え、素直に怒る。
猫が獲物咥えて自慢しにきて「ほらみて!」とする感じ。無視されると「もっかいやるからほらみろ!」と次は力に訴えてくるけれど、怒りの対象は見てくれなかったという事象に向いていて、気持ちを察してもらえなかったことには向いてない。
そんなんじゃないと思う。
とりあえず小学生入学時点じゃ支援級とかなんじゃないだろうか。
喋りだせば早いんじゃないかとか、オムツは自然に取れるんじゃないかと思ってもいるのだけど、裏切られ続けて今に至ってる。
英単語や英文を覚えてタイプしたりするけど、将来の英語の成績とはつながらないだろう。語学って、そういうものじゃない。
早く数字を理解してるからって、数学に必要な才能もそういうのではないと思う。記憶力がいいし法則の理解は早いから、そこそこの秀才にはなれるかもと心の中で期待してるのは否定しない。
知育コンテンツが好きで勝手に覚えるということは、算数が苦行には感じないのだろうし、勉強が好きな子になればワンチャンってくらい。
地元の医学部に入学しそのまま母校の附属病院で勤務という、いわゆる地元の秀才コース。数年前まで同地域の大学病院に勤務していた。
研修医の大学離れが叫ばれて久しいが、働き方改革でそれに拍車がかかっており、人的リソースは多くの医局において現在進行形で悲惨なことになっている。
大学病院を辞めて時間が経ち、自分が辞めた理由を冷静に振り返れるようになったので、備忘録的に記載してみる。
多くの方がそうかもしれないが、辞職の理由は単一の理由ではなく、複数の要因の組み合わせである。
一つのことであれば我慢できても、同時期にいろいろな問題が重なるとその場に居続けるのが難しくなってしまう。
大学へ行く前から、化学や物理の実験の時間が苦手だった。当時から実験計画を立てて正確に遂行していくのに興味がなかったように記憶している。
大学病院勤務なので、研究の真似事や学会発表、論文執筆は細々としたが、何年やっても面白くならなかった。
仕事だから嫌々やっている状態で、達成による金銭的なインセンティブもなく、全くモチベーションが湧かなかった。
そんな折、大学より「来年度から各講座への研究費は教員当たりの論文数を参考にして支給する」旨の通達があった。
つまり論文数が少ない医局員は講座のお荷物になるということと同義である。
今後、論文数が減りこそすれ増えることは全くないことを自覚していたため、大学から離れる理由の一つとなった。
・地域医療への貢献ができないこと
弱小医局ゆえ、県内の主要病院への医師派遣も行きわたっていない状態が続いていた。
例年、研修医として回ってくる若手をあの手この手で勧誘し、少しでも人員不足を解消しようと全医局員が願っていたように思う。
しかしボス(教授)より不意に、「来年度からA県のB病院へ一名派遣することにしたから調整よろしくー」とぶっこまれた。ちなみにボスはA県出身である。
いやいや先生、まだ県内すら充足していないのに隣とはいえ他県に人を出す余裕はないっすよ、と繰り返し伝えたが、
「もうB病院の先生と約束しちゃったんだよ。同じ大学の先輩なんだよね。非常勤でいいから。お金はしっかり出してくれると思うよ。」と取り付く島もなし。
やむなくスタッフを説得して派遣。B病院の事務と交渉したが、給与はむしろ当県としては安いレベル。
前項のようにボスは気分や口約束で仕事を拾ってくることが多く、悩みの種であった。
科内の方針変更だけであれば不平不満をカバーすることもできるのだが、他院や他科も絡むと厄介この上ない。
あるときボスから、「C科と共同して新しいプロジェクトを進めることにしたからよろしくね。D教授とは話がついているから。C科の先生たちと調整してね。」
明らかに業務量が増えそうな内容であったが、自分の科の医局員にも勉強になりそうであり、資料集めを行った(一部は実費で)。
それからC科の先生方と何度か調整を行い、C科としても非常に前向き。必要な人員やコストを見積もれたのでボスへ報告。
で、返答は「思ったより負担が大きいねえ。うちの科としては無理じゃない?やっぱりやめようか。D教授には直接伝えないけど、医局員同士で話をつけといてね。」
いやいやいや・・・もうC科の先生方は割とやる気ですよ、そのつもりでいますよ、と話したが覆らず。
この辺りは言うに及ばず。
筆頭はやはり夜間の緊急性が極めて低い呼び出し、夜間帯は当直医に運ばせる薬剤、採血や点滴をやらない看護師、あたりか。
挙げればきりがない。
・医局員への不信
まず先に、自分が所属していた医局は非常に雰囲気がよく、医局員も非常にまじめだった(と少なくとも自分は思っていた)。
年々ボスの要求が強まってきているのを、皆が不穏に感じてはいたが。
上述の幾つか不満が頭の中でグルグル回っていた折、決め手となる2つの事態が発生した。
患者さんの病状に関わるような内容ではなかったものの、精神面には少なからず影響を与えそうな事象であり、明らかにこちらに非があった。
自分はその後輩のオーベンという立場で繰り返しフォローを行い、なんとか訴訟にならずに済んだ。
なお外来主治医はボスであったが、フォローの場には一度も顔を出さなかった。
もう1つは自分が出張で不在中、および不在後のトラブル。コロナ禍の真っ最中であり、どこも入院ベッド確保に苦労していた時期である。
自分が長期にフォローしている外来患者さんが、自分の不在時に具合が悪くなったと受診希望があったようだ。
その日の当科救急担当の後輩(上述の後輩とは別の医局員)が電話を受けたが、満床で来院を断ったと。
自分が出張から戻ってきて数日、他院他科の先生から連絡があり、その患者さんが急変して亡くなったとのこと。後輩からは何も報告を受けていなかった自分は、電子カルテを開いてようやく状況を把握した。
「満床なのは分かるが、長期フォロー中の患者の具合が悪くなったのであれば、まずはフォロー中の病院で患者を受けて病態の評価をしたのちに十分な情報提供と共に依頼をするのが筋ではないか」と至極真っ当なお叱りを頂いた。
この辺りで急速に、力が抜けていくのを感じた。しばらく腑抜けた状態が続いた。
大学病院とはこういうものだ。ボスも業務が多くて忙しいのだ、仕方ない。後輩も日々がんばっていた上で、トラブルを起こしたり満床ゆえ断ったりしたのだ、やむを得ない。
結局、自分のフォロー患者の急変報告を受けて数か月後、大学病院を退職。
それから数か月は仕事をせず過ごして、今は臨床研修指定を受けていない小規模の一般病院で働いている。
全く苦労がないわけではないが、仕事に関する不満はほぼない。
家に帰ってから、ボスからの要求や他科の先生との交渉、他院の先生からのお叱りが頭の中をグルグル回って眠れないこともない。
子供関連のイベントはほぼ皆勤賞で出席できるようになった。運動習慣がついた。酒が減った。
もしかしたら上述した要因のうち、いくつかがなかったら、まだ大学病院で働いていたかもしれない。
それでも間違いなく言えること。
追記: