はてなキーワード: 神の言葉とは
私は体が弱いので、いよいよ働けなくなって食い詰めた時に助けてもらえないかと思い、色々な慈善団体やボランティア団体を訪ねているのですが、どこも宗教やイデオロギーに基づいて運営されていて馴染めないので、そういうの抜きの互助組織のような団体があれば紹介していただければありがたいです。
純粋に弱者の支援だけを目的とした団体というのはどこにあるのか……
宗教やイデオロギーと言っても露骨に布教してくるケースにはあまり遭遇したことがありません。だいたいみなさん親身に私の将来への不安の話など聞いてくださります。ただ、結局、その団体のオカルトめいた教義の信者になるとか政治活動の手伝いをするとかしないことには、私の目的である食い詰めた時に仕事を紹介してくれるとか福祉に繋いでくれるとかそういう援助を期待できる立場になれそうにないんですね。
団体の目的に貢献しないなら仲間として受け入れないし援助しないというギブ・アンド・テイクのルールは当然だと思います。しかしその団体の目的の宗教やイデオロギーというのがとにかく苦手で。
私は神は存在しないと考えています。より慎重に言えば「聖書その他の経典に記された人格とエピソードを持った神の実在は証明されていないので、人間の作り話と考えるのが妥当」という立場ですが。とにかく「神の言葉」のような妄想に基づいて行動するのは無理です。「日本人はあまり知らないだろうけど、今アメリカではダーウィンが始めた進化学説は否定されつつあるんだ。『インテリジェント・デザイン』という説を聞いたことはないかな?」なんて話題をコーヒー・ブレイクで振られると今すぐ逃げ出したくなるんです。
一方でイデオロギーもダメなんですね。ホームレス支援のために(私がホームレスに転落した時に助けてもらうために)参加したのに、なぜフクシマやオキナワに関して日曜の街頭に立って訴えねばならないのか? 政府や自治体への福祉の拡充の請願だったら内容を吟味した上で署名しましたよ。だけど、福祉を離れたイシューに私はコミットできません。この季節に街頭に長時間立つと風邪を引いちゃいますから。
公平のために言及すると、上記のフクシマやオキナワが好きなイデオロギーの人たちとは反対の立場(いわゆる保守)の人たちの慈善団体というのはさっぱり遭遇しませんね。保守の人たちは地縁血縁に基づく相互扶助で手一杯なのでしょうか。私のような都会の砂粒の如き孤独な個人を拾い上げようとするのは宗教(福音派キリスト教会)か左翼イデオロギー(共産党)だけと。
馴染めなかった団体への愚痴が大変な文量になり申し訳ありませんが、この記事の目的は「純粋に弱者の支援だけを目的とした団体」があれば紹介していただきたいということにあります。
弱者当事者だけでは継続が難しそうなので、当事者の相互扶助+弱者に同情する裕福な人々や専門家の支援で運営されているような団体がより望ましいです。
私は体は弱いですが、まだ一応ホームレスへの炊き出し活動で働ける程度に、健康と時間と金銭に余裕がありますので、元気なうちは支援者側で頑張ります。その代り、失職したり体にガタが来たら支援を受けたい、ただそれだけが望みです。
団体の具体名まで挙げていただかくなくとも、宗教フリー・イデオロギーフリーな慈善団体を見つける方法などご教示いただければ幸甚の至りでございます。
クルアーンの注釈書(『タフスィール・アル=ジャラーライン』)を買って読んでる。
・キリスト教勉強してたら、そらぁイスラムも気になるわな、という感じで買った。
・その辺に売ってるイスラム本は入門書ばかりで、肝心のクルアーンの注釈書がどこにもない。
・と思ったら、日本ムスリム協会というところで注釈書が格安(1冊3000円で3巻セット)で頒布されていた。
・Amazonだと買えない。
・メールで注文した際、後払いで良いと言われてびっくらこいた。善良というかお人よしというか。信仰の為せる技なのか。
・本のサイズがクソでかいのには面食らった。A3サイズ?携帯は不可能。
・このサイズで1500頁ぐらいあるので、トータルで約1万円ってのはやっぱ安い。
・『タフスィール・アル=ジャラーライン』ってのは「2人の著者によるクルアーンの注釈書」ぐらいの意味らしい(?)。
・著者のマハッリーさんとスユーティーさんは大体1400年代(!)の人。
・この本はめちゃくちゃ簡潔なのが特徴で、簡潔すぎてわけが分からないので、”注釈書の注釈書”があるとのこと。
・その”注釈書の注釈書”のうち、ジャマルさんという人のものを、日本語訳者が適宜織り込む形で出版されたのが本書。
・ちなみに日本語訳者は中田香織さんで、有名な中田考さんの奥さん。
・あとクルアーンの全訳(?)も付いてるので別途クルアーンの日本語訳を買う必要は無さそう。
・1400年代の本が読めるのかって感じだったけど、割と易しく書いてあった。
・ただ途中で気づいたんだけど旧約聖書の知識があることを前提に書いてあるので、何も知らんとキツい。
・聖書の人物の名前がアラビア読み(?)になるので一瞬「誰だよそいつ」ってなる。イエスはイーサーで、ダビデ王がダーウード。
彼らは、「ユダヤ教徒、またはキリスト教徒でなければ楽園には入らない」と言った。それが彼らの望みである。言ってやれ、「おまえたちの証拠を持って来い、もしおまえたちが正しいのであれば」。(2:111)
・ただ多神教(≒不信仰者)disはもっとすごいので、それよりかはマシぐらいの感覚なのかも。
・アラブの人たちが日常生活で直面する困難や疑問に対して神の言葉が下されるという形で書かれた章節が多いので、最初のほうからやたらと具体的。離婚したら慰謝料払えよー(2:241)とか、アナルセックスするなよー(2:222)とか。
・これは良いなぁと思ったのは、人の善行が神に対する「貸し付け」となって、死後何倍かにして返されるよ、みたいな言葉。これはキリスト教にない発想よね。
アッラーに良い貸し付けをする者はだれか。彼はそれを倍加し、数倍にもなし給う。アッラーは締め付け給い、また気前良く広げ給う。そしておまえたちは彼の御許に帰らされるのである(2:245)
長くなったので以上。
僕の家庭は親がカトリックだったから、自然と洗礼を受け、教義自体に違和感とか感じることはあったけど、十年間以上教会に通っているし、それを当たり前のことだと思っていた。
でもある時、サークルの予定や友達との約束が尽く教会の礼拝やイベントの日程と被り、全部潰れた時があった。社会にとって日曜日なんて土曜日と変わらないんだから、そういうことは昔からよくあったし、普通だと思っていた。でもなぜかその時はこういう考えが浮かんできた。「なぜ僕は自分のやりたいことを捨ててまで教会に行ってるんだろう」と。その行為を信者たちは「神への犠牲」として尊ぶ。でも犠牲にして何かあるの?色んなこと要求されるけど、そもそもカトリックの信者やってて良いことあったの?そこから僕は自分が宗教を信仰する意味を考え直すようになった。
確かに僕の倫理観はカトリックの教義によって培われたものかもしれない。でも宗教持ってなくても素晴らしくて尊敬できる人はたくさんいるし、むしろ神父なのにクソみたいな性格の奴だっている。正直聖書の言葉なんか一度も心に響いたことないし、それよりも自分が人生の中で生み出してきた言葉のほうが自分をよく支えている。神を信じないと地獄に堕ちるって言われても、死後のことなんて知ったこっちゃないし、ほらっ、宗教が無くても十分幸せに生きられるじゃないか。結局宗教の主な役割ってコミュニティの形成だし、僕が信者を辞めないのも、家族や今まで教会で培った人たちとの関係を壊したくないからなんだろうなと思う。多分海外で一人暮らししたら教会行かなくなるよ。
まあこんなことを言うと、「神父様や他の信者さんに相談してみなさい」って案の定言われるんだろうけど、神父や“熱狂的な”信者ってやつは、普通の人が到底納得できない「神の言葉」を延々と振りかざすだけで、何の解決にならない。多分神の言葉を万能だと思ってるんだろうな。本当に絶望している人には神の言葉なんてこれっぽっちも届かないけど、まあ彼らは絶望したことがないから分からないんだろう。
そもそも信者たちはこういうことを考えること自体を「神に背くこと」として忌避する。まあそれでもいいけど、そんな思考停止状態じゃ普通の人たちに神の言葉なんか伝わるはずないし、教会の先細りは決まってるようなもんだよね。
http://anond.hatelabo.jp/20150609194256
カトリックのものです。生まれてすぐにとても大変な辛い経験をされましたね。
神は私たちを創造されました。それは私たちが不幸になるためではなく、
幸福な人生を歩むために創造されました。これは私の人生から学んだことです。
そして、このように人に語りかけています。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)
それは分からないのです。
なぜそのようなことが生じるか、論理的に説明はできないのです。
それでも、日々迫る苦しみ・問題を解決して前に進まなければなりません。
能動的に人として与えられた知性・理性をフルに駆使し解決しなければならないのです。
これらの問題を解決していくときに、他者からのあらゆる言葉、意見の相違、価値観がぶつかりあい、どれが本当か分からない時があるでしょう。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、
従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」(ヘブライ書11:1-3)
逆に、信仰(faith)はその人の内なるところで絶対的なもので揺るがないものなのです。
日々迫る問題を解決するときに、信仰は揺るがない土台なのです。
ここまで言うと、反応は2つに分かれるかと思います。
「そんなこというけどさ・・・」「そういうものなんだ、よし・・・」
でも、どちらでもよいのです。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43:4)
そして、私も愛している
ここhttp://musyoku.com/nikki/title.phpは底辺の集まりなので高みの見物すると楽しいですよ
主な日記書き
うつくん 古参。一ヶ月で20社ぐらいの面接を受けている就活キチガイ。自分のことをうつくんとよぶ癒し系。オススメ
ジャック 小売で営業をやっている古参。恋愛に憧れを抱いている高齢童貞。
ナイト2013 これぞ至高の孤男日記。神の言葉。皆の衆も見習えたまえ。ヘイドっ。超オススメ
40歳の男 高齢ゆうメイト。低所得なのに競馬をやり続けているギャンブル依存症。ほかの奴に煽られてもものすごい勢いで競馬をやり続けている。金がなくなってからの極貧報告が面白い。歯が抜けているにもかかわらず自分は福山雅治似だと主張している。オススメ
ぷー メンヘラ無職。かなり狂った独白を長文で書き殴っているキチガイ
アル中ブラック 説教と自慢と足引っ張りしかできない偉そうな糞。変わり者だと思われたくて必死。ちょこのこなどの人気日記や前向きにがんばっている日記を見つけると嫉妬して個人攻撃する。しかも直接本人に言わず自分の日記でネチネチ嫌味を書く卑怯者。そして該当部分をすぐに排除するヘタレ。文章がおっさん臭くてクソつまらんのだが自分を面白い人間だと勘違いしているから哀れ(笑)。他人の邪魔する奴は勝手にリタイアして牛糞でも食ってろよバーカwwwwwwwwwwww
無職.com歴九年目 精神障害2級(不正)。頻繁に更新している。文章がへたくそ。他人の日記にイチャモンをつけるゴミクズ。コメント欄つけろよヘタレwwwwwwwwwwwwwww