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はてなキーワード: 社会的とは

2024-05-27

ChatGPTに弱者男性定義確認した

https://anond.hatelabo.jp/20240524195801

ここで、社会的問題なのは1.と5.なんだろうけど、それ以外の項目で助けてくれと言われると難しいな。

助けてほしいことが、どの項目が多数派なのかで、話変わってくる。

以下、コピペ

弱者男性」という用語は、日本において特定社会的経済的な困難を経験している男性を指すために使われることがあります。具体的には以下のような特徴が挙げられることが多いです:

1. **経済的困難**: 安定した職を持たず、低収入または無収入状態にある。

2. **社会的孤立**: 社会的なつながりが乏しく、友人や家族との関係希薄である

3. **恋愛結婚の機会が少ない**: 異性との交際結婚の機会が限られている。

4. **自己肯定感の低さ**: 自分に自信がなく、自己評価が低い。

5. **社会的支援の不足**: 社会から支援理解が十分に得られない状況にある。

この用語は、インターネット上での議論や一部のメディアにおいて使われることが多く、時にはネガティブ意味合いを持つこともあります。したがって、この用語使用する際には注意が必要です。

2024-05-26

2歳男性と20歳女性はどちらがより弱いのか

社会的に。

かに生物としての、成熟度は2歳が幼く思える。

でもジェンダー弱度が年齢差でかき消せるほど小さなファクターだとは、どうしても見なせない。

インターネット引きこもりオタクの驕り高ぶり

anond:20240512152055

何度でも言うが、俺がインターネット引きこもりオタク便宜上呼ぶ属性は、オタク歴史の中では一過性存在にすぎない。

インターネット登場以前のオタク自分の足で情報を稼ぐしかなかった。見逃した物は誰かに頼み込んで見せてもらうしかなかった。

そんな古いオタクたちの活動アオイホノオ(島本和彦)やコミックマーケット40周年誌(なんと国会図書館以外では1館しか所有していない!)で見ることができるが、まあ割と普通社会的の人らが主である(40周年誌はフォークダンス踊ってる写真が有名ですね)

当時は消費オタクですら十分な稼ぎがないと務まらないのだから当たり前のように働いていたし、創作ギリギリ師弟関係機能していた。

他の漫画家のアシに入るか、出版社編集アドバイス貰うか、何かしら人伝があった。

特にコミックマーケットを始めとした同人誌即売会は各々でムラを形成していた。

それがインターネットによって広く開放され、オールジャンルイベントがまるで公共の物のように扱われ、コミケビッグサイトで開催されるようになった。

今ではいろんなイベントビッグサイトで開催されている。

大変素晴らしいことであるインターネットしか場所のなかった社会不適合者でもリアルお祭りに参加できるのだから

だが繰り返し言うがお前はこれらムラの歴史の一部に存在する者でしかない。

分派していった(諸説あり)女性向けオンリーなどまさしく「社会」であったし、SF本流などは「組織」であった。

オアシスはお前だけのものではない。みんな違ってみんないいのがオールジャンルイベントなのだ

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とはいえ昨今の同人界隈って魔境よな。

同人作品がそのまま商業上がったり、同人からフィギュア版権グッズが出たり、エロだとAVだのゲーム化だの横行してる。

かつて平野耕太が盛大に腐した同人ゴロ(誤用ではない)は今こそが最盛期といったところで、同人作家が別の同人作家に発注して本を作るなんてよく見る光景となった。

在野には同人編集者が溢れ、デジタル同人は音声にせよ映像にせよプロが当たり前にいて受発注行っている。

何らなら商業商流に乗るような作品まで頒布される(まあこれは今更か。音楽系だとよくあるし)

俺はむしろこの辺の外連味にこそ眉をひそめるのだが、好きなことで食っていけるのはいことなので黙って見ている。

ちなみに売り子のレイヤーからR18DVD写真集を渡されて「使ってください」と言われたことはありますが、粘膜の接触は一切ありませんでした。

よろしくお願いします。

トランス女性女性ですか?

はいトランス女性女性です。ジェンダーアイデンティティ個人内面的な性別認識であり、トランス女性自身女性として認識し、社会的にも女性として生活しています。多くの専門家組織がこの立場を支持しており、トランスジェンダーの人々の権利尊厳尊重することが重要です。

anond:20240525113026

気付けばそこそこ反応されてて少々ビビる当方チー牛おっさん

 

被害妄想だったりジロジロ見てるのでは?と問われれば、否定できる材料はありません

ただ気を付けてる点として、普段目線を少し上に持って行くようにし、会話時は相手の顔上半分を見るようにしています

コンプライアンス教育の1つとして、不信感を持たれないよう一定の高さの視線を保って会話をするよう教えられましたので、男女関係くそのようにしています

また女性は胸を見られてると分かるという話を聞いたことがあり、視線だけでセクハラ認定されれば社会的抹殺されかねないということもあります

 

社会的抹殺という点で移動中も周りをざっと眺めて女性が見えれば少し離れるように移動しま

これがもしかしたらジロジロ見てるということになりかもしれないけど、昨今のセクハラ痴漢事情は服同士がほんの少し触れ合った程度でも発生する可能性はあります

君子危うきに近寄らず

警戒するに越したことはありません

 

むっつりすけべか?

スケベです

性欲はあるのだからスケベなことは考えます

ただ仕事中は極力考えるのはを避けます

これはセクハラとは関係無く、仕事中に余計な思考は集中を妨げるので、一息つくまでは仕事のこと以外考えないようにしています

 

アンチフェミニストか?

少なくともフェミニストでは無いです

ただ女性を敵か味方かのように二分化して見るのはどうかと考えます

女性を警戒するのは自己保身のためなのは否定しません

しか女性全てが自分を嫌ってるわけではなく、仕事を通じて信頼関係を築けることも知っています

もっと女性という大きな主語題名最初に使ったのが良くなかったと反省しま

正確には睨みつけてくる見知らぬ女性が怖い、ですね

 

>お前、男からも睨まれてるよ

おっしゃる通り

しか女性に比べて男性の方が気が楽です

幼少の頃より容姿バカにされて少なからトラウマを抱えてはいますが、社会では容姿より仕事の結果が求められます

そういった点では男性社会恩恵はかなり受けてると感じています

2024-05-25

anond:20240525165257

じゃあ社会的には意味があるからその教授の言うことは間違いだな

弱者男性女子供とおんなじ扱いでいいの?

よく弱者男性には社会的保障などが行き渡ってないとか言ってる人いるけどさ

大の大人の男が女子供と一緒んなって支援されるのでいいと自分で思ってるの?

本来であれば女性子供に使われるはずだったお金時間自分に使われるのはいいと思ってるの?

煽ってるわけじゃなくて真面目に聞いてる

なんか男としてみっともなくなり過ぎじゃあないか

ダサいと思わんか自分のこと

嫁さんからDVを受けてる男とかを見ても同じことを思うのだが、本気で抵抗すればそれで事が終わる話

今一度自分が本当に弱者かどうか考えてみたらどうだろうか

レジから椅子が消えた理由説明

試験的に椅子が設置されたが、社内アンケートで反対意見が多く、導入は結局見送られた。

「立ったままの接客厚労省実態把握へ 椅子の設置、実は義務

https://mainichi.jp/articles/20240524/k00/00m/020/185000c

大きく分けて3系統ある

1.立ち座りが多すぎて逆に疲れる(置いたからには使えよの圧力が余分に働いている)

2.物理的に邪魔オペレーション無視した大きさ・場所への椅子の設置)

3.それでクレームになった時に会社が守ってくれない(責任者対応不十分)

結局は椅子単体でどうのこうのではなく、椅子が引き起こす諸問題について会社が十分に検討しない、対応しないのが課題だった。

ただ現状社会全体として働きやす環境を作ろうという風潮が広まっているので、社会的に押していけば今度は大丈夫かと思われる。

しかし1と2ばかりは狭小店舗少人数オペレーションが多い日本だとどうしようもない気がする。

極論言えば「嫌いなものアウシュビッツ送りにしたい」んだろ?

嫌いなものへの文句きれいな言葉で誤魔化して、社会的正義とか公衆面前とかマナーとか言ってるけどさ

お前らの願いは「嫌いな物の排除弾圧、でも自分たちそいつらへの蛮行は許されるべき」って話だろ?

そうだろうな、だってそう言いたい感じがするもんな

言っちまえよ、「徹底迫害して人権を奪いその末に死ぬようにしたい」って

お前らはレイシスト差別主義者なんだからよぉ

いい子ぶるなよ、嘘つき

「あるがままの自分で」「あるがままの心で」みたいな歌詞が良くあるけど、あるがままの人間ってかなり凶暴で醜くて、差別攻撃性やマウント利己的行動に終始する怪物であるかもしれないけどいいの?と思ってしま

社会という金型に当てはめて打ち直されて、それでなんとか社会人間である可能性は捨てきれない

パンとサーカス」はポジティブ概念ですか?

 「パンとサーカス」というフレーズは、一般大衆を楽しませ、気をそらすために、ローマ帝国時代パンとサーカスの娯楽が提供されたことに由来しています。この戦略は、政治的問題社会の不満から民衆の注意をそらすために使用されました。

 

 このフレーズは、政府権力者が人々の基本的ニーズを満たし、エンターテイメント提供することで、民衆の支持や服従を確保できるという考えを表しています。この意味では、「パンとサーカス」は、人々の物質的なニーズを満たし、彼らを楽しませることができるため、肯定的概念として見なすことができます

 

 しかし、このフレーズにはしばしば否定的な含みがあります。それは、権力者が「パンとサーカス」を利用して、人々の政治的無関心や受動性を助長し、重要問題から目をそらさせていることを示唆しているからです。この意味では、「パンとサーカス」は、人々の知的好奇心社会的関心を損ない、より大きな社会的、政治的変化のための努力を妨げる可能性があるため、否定的概念と見なすこともできます

 

 したがって、「パンとサーカス」が肯定的概念かどうかは、それがどのように使用され、どのような文脈提示されるかによって異なります。それは、人々のニーズを満たし、幸福を促進する可能性を秘めている一方で、政治的操作社会受動性につながる可能性もあるということです。

 

2024-05-24

男性差別とは男性全般に「社会的強者」の役割押し付けること

経済力収入ジャッジ、男らしさの押し付け時代時代であれば徴兵義務を負う。

過労死長時間労働、遺族年金男性差別など。

男性が育休を取りにくい問題にしても、強者なのだから仕事を優先するべきだという思想帰結する。

なので男性にとっての男性差別の解消とは、女性もその「強者」の負担を負うことなである

女性管理職の増加、女性徴兵などどんどん進めていこう。

企業に対しては女性管理職割合50%を、罰則規定付きの強制にすればいいと思う。

いいこと書いてある

そもそも男性に生じている問題を「排除」ではなく「差別」の文脈で語ることは間違っています差別とは、歴史的構造のなかで、ある特定属性を持ってきた人たちに対して社会不利益を負わせてきたことです。この意味での「差別」は女性が受けている一方で、マジョリティ側の男性は受けていません。

また、障害を持つ男性も「弱者男性」に含めるべきだ、と論じられることもあります障害を持つ人が「差別」を受けていることは確かですが、「障害者は政策によって支援すべき」という社会的な合意はすでに成立しており、経済恋愛とは位相が異なる問題です。

昨今の弱者男性論は、90年代以降の「排除」論で語るべき物事を、70年代以来の「差別」論に基づいて語っている点で誤っています。そのために適切に議論することが難しくなり、「実は女性よりも男性のほうが差別されている」などと主張する不毛な「逆差別」論に終始しているのです。

端的に言えば、「差別」されているのは女性であり、一方で「排除」は男性の側に目に付くようになった、ということでしょう。ただし女性は、「差別」と「排除」の両方を受けることもあり、そうした点にも配慮する必要があります

お前らはガタガタうるさいけどそれ差別じゃ無いから。

排除されたくなければ文句わず大人しくしとけ。

anond:20240524170416

言語理解

言葉理解したり、言葉説明する能力です。一般的知識社会的ルール理解力も含まれます学校学習した国語社会学習成果としての能力もここに含まれますが、単純に学校での国語社会科の成績や能力というよりも、言葉を使って物事理解して、表現するための潜在的能力、と捉えるべきでしょう。

乱暴に言えば"文章"を読めるか、"文章"を書けるか、"文章"によって考えられるかってとこだろ、文章力ではなく

破綻してない長文書いてんだから十分高いだろ

あとsnsは基本テキストベースからここ高めの人間が目立ちやすい これが低いのは水商売とかパチンコ屋で観測できたりする

anond:20240524101426

このあとたぶん毎日が乗っかってきて小児検診バッシング始めるから引用するならそっちだな

医者毎日新聞を切り抜いて持ってきて、すみません、これが怖いんで小児検診やめていいですか?となる

医者側の立場なら「「このような気の狂った言説に基づいてあなた社会的に追い込んだりしません」っていう文書での確約が取れるまで動きたくないだろうね

これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーションキャンペーン

[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明

共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に

出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。

これは欧米ミスインフォメーションキャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。

ミスインフォメーションキャンペーンとは、世論有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディアマスメディア口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュース作成したり共有したり、事実操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。

その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。

これがいかヤバいことかのメディア自身自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。

今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。

それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。

上川氏が女性役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか

しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。

ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。

今回のメディア場合不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的正義に訴えたわけだ。

上川氏の潜在的差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。


出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。

子育て環境制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からプレッシャーとして理解するひともいるだろう。

女性出産役割自己実現価値見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。

まり上川叩きの味方を増やす効果があって、上川からすれば、保守から批判されうるし、フェミから批判されうるという状況に置かれてしまたことになる。

今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定ターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。

その意味で、上川氏がすぐに発言撤回したのは賢明だった。

出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。

問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。

それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信スタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。


とはいえ共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。

出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別配慮必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。

これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味偏見が強化されるってことでもある。

社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者感情意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分発言自己検閲し、無意識のうちに自らの意見抑制するようになる。

兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現大衆戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。

これに対して、いやいやむしろ偏見解消は積極的キャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。


しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。

強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分偏見を解消できるわけでもないし、

言論警察よろしく配慮に欠ける発言バッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。




近代黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、

なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。

それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。

さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。

ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。

もちろん、制度機会平等理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。

偏見はなくならないけど、制度の普及・概念進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。

ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼傲慢からだ。

伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。

進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。

「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。

から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっとサヨクのムカつくところなんだよ。

かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦ブルース」のなかにこんな歌詞がある。

機動隊学生の衝突が テレビニュースで映される

息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない

息子は私に議論を吹っかけて 沈黙共犯だと責め立てる

だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れた

おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしない間にふけちゃった

わびしい夢に はかない楽しみ 思い通りには何もならない

安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、学生運動は結局、どの社会階層とも連帯できずにスピンアウトしてゆく。1968年に作られたこの歌はそれを暗示しているかのようだ。一方、中島みゆきの「世情(1978)」は、この10年後の70年代世界がうたわれたものひとつ前の安保世代情熱新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたか守旧派とさして変わらない頑固さでイデオロギー打破を訴えている、という皮肉な構図になる。


今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現タブー視が蔓延し、出産自己実現見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的差別意識助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。


かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。

たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分偏見を認めたほうがいい思うんだよね。

制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せ自己実現否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。

男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生否定するのがフェミではないと思うし。

そういう意味じゃ、左翼保守主義のマインドも頭の片隅に入れておく必要があるし、保守派も制度的な公正について左翼の主張に耳を傾ける必要がある、といったところか。

"清潔感" は社会進出できない女たちの悪足掻き手段である

ごく単純な話としてさ。

モデルでも芸能人でもない、ごく一般社会人のくせして、化粧だとか美容だとかっていう自身能力に紐付かないもの投資してる時点で、女っていうのは社会的能力の成長の機会が男よりも少ないわけじゃん。

肌のケアかいって顔面パックしてる間に資格の一つでも取れば良いものを、自分でその機会を潰してるじゃん。

からなんだよね。社会進出できない女がいまも多いのって。だから男に社会的能力で負けるんだよ。仕事ができないんだよ。だから女特例で下駄履かせないと昇進できないんだよ。

化粧?いらんいらん。金の無駄や。

美容?知らんそんなもん。犬にでも食わせておけ。それより知識の一つでも入れんかい

髪なんて伸ばしたら場合が。時間資源のムダや。余計に髪伸ばして行く先々に抜け毛を撒き散らしおって。掃除代払えやアホどもが。剃ってこい。

いったい大学で何を学んできたわけ?大学婚活会場じゃないんだよ。ほどほどの大学に入って良さげな男を探して、あとは四年間遊ぶとかナマ言ってんじゃないよ。汗水垂らして勉強する場所なんだよ。それを勘違いして遊び倒して、単位足りないとかいってあちこちに泣いて回るゴミカスどもめ。真面目にやってれば単位なんて落とすわけないだろ。必修が足りないとか頭足りてねぇんじゃねぇの。そのくせそんな武勇伝ネットに撒き散らす知能不足女がデカい顔をするインターネット社会。全部ゴミです。

こういうことを言うと、"清潔感" がないと仕事ができないとかのたまう輩が湧いてくる。まぁ不潔な人間には仕事ができないというのは同意するが、しかし化粧をしないと仕事ができないというのはどういう価値観なんだ?そんなことに時間を浪費している人間も、それを強いてくる人間理解できない。どうやら男女問わず化粧をしてこない女を迫害する者もいるらしいが、まるで理解できない。理解できないというのは、迫害する側、迫害される側両者に対して言っている。される側は、そんな迫害無視して結果で黙らせればいい。迫害する側は、それを強要することが生産性を落とすことを理解していない。そんなんだから生産性が低いんだ。

そんな意味不明行為を、最近は男にも強いようとするものがいるらしい。やれ男は不潔だからメンズメイクしろだとか。美容に気を配れだとか。とても正気とは思えない。

これは、要は男にも無駄時間と金の消費をしろという要求だ。私たち女は損をしているから、同じだけの損を男にもしろと言っている。仲良く損して男女平等というわけだ。アホか。まともな頭があれば、損をしている側を救済する、すなわち女が化粧をしない側にシフトするのが当然だろ。

いま清潔感がどうのこうので男を叩いている女どもは、そのままで生産性で男に敵わないから、男にも損させようとしているだけだ。敗北宣言だ。そんなことしている暇があるなら、お前たちも化粧をやめて自己投資しろ

虎に翼がグロテスク過ぎて朝から不快になった

戦争に行く男が、女に対してお前は何をやってもいいんだよみたいに言うのグロテスク過ぎるだろ

誰でもいいか社会的ちいのために結婚したいと言ったら、自分のことをずっと好きだった男が偽装でもいいか結婚してくれて、結局セックスしてってところからもう何もかもひたすら気持ち悪い

女女女女女女女女女女女女女女女女女女って感じ

anond:20240524103701

お前は徴兵されてないし過労死するほど仕事してないよね?

自分が背負ってなくて、今後背負う気もない負担女性押し付けるのはどうして?男女ともに負担を減らしていこうという方向に向かわないのはどうして?

いや、男に対して背負わせてるから病院夜勤だって男ばっかやってるよね?

から、今後は女医夜勤やらんかやだめだよね?

ミラーリングしたいのかもしれんが社会的ロールが異なっているのをまず自覚したら?

システム屋でマネジメント層だけど、夜間対応とかあっても女性全然やらんので変わりにやってるし女性がチームにいると回らないので僕のチームに女性入れないよ

男と同じく夜間対応だのやってくれるなら入れるけどやらないんだもの

権利だけ主張して義務を果たせないならいらんがな、それが「男女と同じに扱うこと」だから

会社就業規則で夜間対応法令分の夜間手当+4時間以上で特別休暇も出るけどなやらねぇんだ

男女共に負担を減らす?誰かがやらなきゃ社会がまわらねぇんだよ

4月末の普通救命講習で保護者が『男性女性に対してAED使って社会的死ぬってことはありませんか?』の問いに消防士が答えに困った場面を見て、男性消防士ですらその懸念を拭えないなら一般人はどうなるのだろうかと感じた

anond:20240524102302

まぁ炎上狙いのネタで書いてるんだろうけど

ミソジニーでもなんでもないでしょ

社会的男性がやっていたことを女性負担するべきであるっていうだけの話

男女同権っていうのであれば権利に紐付く義務実施するべきである。って言うのは当然の話

から韓国でも徴兵男性だけだったしキャリアの断絶が起きるから就職下駄履かせてたのに

それを女性差別であるっていって撤廃させた結果女性に対する徴兵検討され始めている。

ミソジニー云々ではなく、男は権利に対する義務を求められるからやっていただけの話で女性権利を求めるなら義務をおえってだけの話。

やっぱりおじさんが女性AED使ったら社会的に殺される

Xでバズってる学校健診のあれ見て、おじさんが女性AEDを使ったらどうやって社会的に殺されるか実演されてるようで鬱々としてしまった。

気持ち問題女の子が嫌だと思った事が大事女医が診なかったのが気持ち悪いとかとか。同じようなこと言われて断罪されるんだろう。

女性尊厳は命よりも重いって事いい加減理解しないといけない。

追記

発端は下の流れだから男女対立じゃないよ。日本全体で女性尊厳を護ってるんだよ。

クラスで健診があった→女子が嫌がって泣いていたと息子が聞いた→その父親ジャーナリストが噴き上がって病院名も出して批判毎日新聞がすり寄る&女性市議人権侵害と動き出す

全員がそうとは言わないけど、「権力のあるヒゲ男性医師断罪するのが社会正義」って人間がどこに潜んでいるのかわからない、どんな経路で断罪が始まるか分からないって事実が鬱々とさせるんだよ。

あと、女性やらせればいいって意見。それ現場にちらっとでも女性が通っていたら「なぜ女性AEDを使わせなかった?」「わざわざ男性が使うのはやましい気持ちがあったからだろう?」と責めることを遠回しに肯定してるから口を閉じたほうが良いと思うよ。

2024-05-23

anond:20240523111506

法的に正しいとしても、「信用できない相手」に社用PCという「人質」を手元に置かれている状況で、「買取金額で返すのが当然なので文句があれば訴える」と主張するべきだ、などというのはちょっと現実的ではない。過失にせよ「売った」という事実だけで、情報漏洩やら何やらのために社会的生命を失いかねないという増田にその判断ができるとは思えない。普通に考えて、”相手の言い値でいいから、とにかく可能な限り早く手元に取り戻したい”だろう。

共働きと属人化・標準化

現代仕事環境において、業務の「属人化」は一般的に悪いとされています

属人化が進むと、その業務特定個人依存やすくなり、ブラックボックス化してしまリスクが高まります

このリスク回避するために、多くの企業では業務標準化が推進されています

しかし、標準化には業務見直しマニュアルの整備といったコストが伴います

一方で、属人化された業務は、その人が持つ知識経験に基づいて効率的遂行されることも少なくありません。

属人化と標準化トレードオフ関係にあり、状況に応じて適切なバランスを見つけることが求められます

例えば、対象業務が多かったり、人の入れ替わりが多い、あるいは業務付加価値がない場合には、標準化が進められます

一方、チームが小さかったり、その業務自体が高い価値を持っている場合には、属人化のデメリット理解しつつも標準化しないという選択も考えられます

このような属人化と標準化視点を、夫婦の子育てに当てはめてみましょう。

昭和の家庭では、役割分担が明確で属人化されたライフスタイル一般的でした。

しかし、平成以降、女性社会進出が進む中で、家庭内業務標準化が求められるようになりました。

これは属人化を避けるためではなく、女性も働きたいという希望が高まった結果です。

夫婦二人のチームとして、仕事育児家事などの業務標準化することを考えると、お互いに得手不得手がある中で、各業務で最低70点程度のアウトプットが求められます

標準化により、どちらも業務遂行できるようになる一方で、不慣れな業務を新たに担うことになり、負担が増すこともあります

その結果、ワークライフバランス子育て世代に関する社会的な問題が表面化してきています

家庭内役割標準化した結果、夫婦それぞれの負担は確かに増えています。この負担の増加に対するコストは一体誰が担うべきなのでしょうか?

各家庭の選択という点を考えれば、このコストは国や社会ではなく、個々の家庭や個人負担するべきではないでしょうか?

この問いに対して答えを見つけるために、社会全体としても、家庭内業務負担をどのように分担し、支援するのが最も効果であるかを再考する必要があります

家庭内業務負担を適切に管理し、より良いワークライフバランスを実現するために、個人社会役割分担についても深く考えることが求められます

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