はてなキーワード: 知的好奇心とは
深い暗闇に住んでいて、ときおり我らの住む浅瀬へ浮いてきては我々を魅了する。しかしいくら個体を調べたところで、その生態は深海に生きる者しか知らず、浅い海に生きる者にとっては永遠の謎でしかないのだ。
……こんなことを真顔で言ったら一発で社会的に死ぬかもしれないが、女性とは何者なのか、小さい頃から気になっている。
筆者には女性の服の下にあるものをよく知らない。というとまず、母親の裸くらい見たことあるだろという反論が飛んでくるだろう。厳密には、筆者は先天的に視力が悪かったために、両親の身体的な区別がつかなかった。要するにぼんやりしていて記憶にないのである。幼児期には男女で混じってトイレや入浴、着替えをする機会もあるだろうが、メガネという文明の利器を得るのが遅すぎた。服装や趣味嗜好のほかに男女の違いなど見出せない解像度の低い幼少期が横たわっている。
性差の興味を持つきっかけは、習い事として始めたスイミングスクールだった。
小学校の水泳授業では、児童は各家庭から水着を持ってきていた。興味はなかったが、女子は模様入りの"ワンピースのような水着"を着ていることが多かったと記憶している。
当時の男子水着はVパンツと呼ばれるもので、動きやすさ重視の、大事なところを隠すだけのわかりやすい水泳パンツであった。しかし女子は全員競泳用のワンピース水着を着ていたのである。
指定水着に限らず、制服というものは集団をカテゴライズする。10年足らずの人生に於いて初めて、男子と女子を身体的に明確に区別した集団という者に遭遇したのである。
女子の水着には上半身と下半身の繋ぎ目すらなく、肩紐が背中でX字に交差して、奇妙な服装という印象を与えた。もはや水泳パンツではない、謎の女子専用水着の仕組みが気になって仕方なかったが、全ては女子更衣室の中で起こることゆえ男子には一生わからないのである。
やがて筆者にも思春期がやってくるのだが、このときまだ性知識が乏しく、異性に対する興味も薄かった。
筆者は中学受験キッズなので、胎児の発生において、父親の精巣で作られる精子と母親の子宮の中の卵子が結合するという概念があることは暗記していたし、卵巣と精巣の構造も予備校のテキストに描かれた性器の断面図から知っていた。
しかしこの性器がどこにあるかわからないのである。子宮はお母さんのお腹の中にあることはほぼ確実とみれるが、精巣は男性の一体どこにあるのだろう。
大人になったいま改めて、小学校向け理科教材を見返しても精巣の在処は伏せられているのである。
おちんちんは男性器の呼び名であるが、思春期以前の男子にとっては「おしっこをするところ」であって、精巣がここにあるという発想に至らなかったのだ。
ようやく性教育に出会ったのが中学時代。筆者は教科書が配られたらまず一通り目を通すタイプなのだが、保健と家庭科の教科書に性や家族計画にまつわる記述があった。やっとのスタートラインだった。
教科書を通じて、女性に膣という器官があることと、月経という現象があること、そして、精巣の場所と性行為について学んだ。陰茎が尿器から性器という概念に変わってようやく、女性に陰茎がないと言う現実を受け入れさせられた。そして身の回りの女子は毎月血を流しながらも平然と生活している。という想像し難い知識にただならぬギャップを覚え、異性への興味がエスカレートしていた頃だった。しかし女友達と仲良くなっても、この疑問をぶつけることはとうとうできなかった。
紆余曲折ありながら敷かれたレールを走り切って社会人になって、縁あって関わり始めたのが今の交際相手だ。付き合って2年ぐらい経って、いよいよ身体を見せ合った。初めて女性の体をメガネ越しに見て、本当に男女の身体機能が異なっていることを実感した。人生の大きな一歩だった。本当に長かったと感じている。
とはいえ、身体を交えて快楽を得ても、知的好奇心は満たされなかった。
男子が陰茎を心の友として生きてきたように女性にも女性の何かがあるはずだと筆者は考えた。しかし身体をまさぐったところで真実には辿り着けないし、拗らせた疑問を投げかけても答えが返ってくるとも限らない。
そもそも体が目当てで交際したわけではないので、消去法的に彼女を欲望の捌け口にしてしまうことは避けなくてはならない。
そんな筆者の欲求に、ある程度は応えてくれたのがAVである。盗撮は犯罪であるから女優によるヤラセであると知っていながらも、スクール水着の着方、ブラの付け方、男には縁のない知識をこうした動画で多く学んだ。
しかしこれでも満たされないものもある。AVと違って現実のトイレはいつも行列を作っている。「どうして女子トイレは並んでいるの?」なんて女性に軽く聞いても、それが普通なせいかなんとも思っていないようであった。いくら親しくとも筆者にはここが限界だ。排泄に時間がかかるのか、スマホでもいじっているのか、なぜ個室しかないのにゾロゾロと連れションしたがるのか。いろいろな文化が気になっても聞く勇気がない。
自分で言うのも変だが、筆者の人生は敷かれたレールの上を上手く走っていると思っている。それは絶対に脱線できない人生であることの裏返しだ。今の時代、異性とみだりに関わることはリスクを伴う。そう言い聞かせてやがておっさんになってもなお今更聞けない謎を一生引きずって生きていくのだろうか。
浅瀬で見かける魚が深海で卵を産んでいても、それを知る術は、浅瀬で卵を産むのを待つか、自ら深く潜るか。どちらにしても茨の道である。
刑務所の職員は出所するその瞬間まで囚人に対して敬語を使うことはないのですか?
刑務所の敷地外に接する(一歩踏み出せば敷地外)入口で職員に最後に挨拶するのだと思うのですが、そのときでさえ「よくがんばりました」ではなく「よくがんばった」みたいなタメ口なのでしょうか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14162394229
↑を見て満期房があるとか出所の過程のざっくりとした流れは把握してます。その流れにそくしてどのあたりで敬語に切り替わるのか教えてもらえると私の知的好奇心が満たされます。
別に敬語といっても、敬う意味とかではなく、マナーとしての丁寧語ですよ。
知り合いでもない人に話しかけるとき丁寧語を使うのが常識でしょう。
その常識は囚人でも一歩門の外出て明らかに囚人じゃなくなった瞬間からは適用されるでしょう。たとえば「出た瞬間」に敷地内の職員に外から話しかける分には職員は敬語あるいは丁寧語で答えるでしょう?
ごめん、ヨハネスブルクでかえってわかりにくくなっちゃったかな。
国籍を含めると言葉が通じる通じないの問題もあるから、いったん日本人に限定してもいい?
ちなみに念のための確認だけど、あくまで「遭遇」するだけで、そこから先の行動は男性や熊の自由意志に基づくんだよね?
(場所は人里離れた山の中の獣道とするが、細かい指定によって変わるならそれも聞きたい)
A. 「日本国内に居住する男性の中からランダムにピックアップされた1人に遭遇するボタン」
B. 「日本国内に生息するツキノワグマの中からランダムにピックアップされた1匹に遭遇するボタン」
山の中の獣道でAとBのボタンのどちらかを押さないといけないとして、
元増田はBのボタンを押すほうがまだマシだって考えてるってことなんだよね。その考えは尊重するとしよう。
1. 元増田以外の日本人女性1万人を対象に実際に行ったとして、何割がBのボタンを押すだろうか?
(追加質問2. 元増田が日本人女性1万人分のボタンを一括して押さなければならないとしたら、Bのボタンを押すの?)
対象となる日本人女性は、完全ランダムでも良いし、年齢などで区切ってそれぞれ別の考察にしてもよいよ。
私の直感だと、1万人のうちBのボタンを押す女性は、100人もいるかなぁ?
いやむしろ、「それでも100人くらいはBのボタンを押しちゃうくらい、男性に恐怖を感じてる女性はいるんだよ!」ということなら、それは実によくわかるし、深刻な問題だとも思う。あれ、ひょっとして、この問題って、そういうこと?
↓
2 英語以外の言語は 言語A→英語→言語B という順番で翻訳している(はず
↓
3 なので自分で英語に一度変換したほうが精度が高くなる(はず
すげーな。
お前の下手くそな英語を間に通すよりも、直でソフトに翻訳させたほうが精度がいい可能性は考えたことないんか?
第2外国語ぐらい大学の必修で習ってるだろうに、それを試しに「日本語から直の変換」「と「自力で英訳してから変換」で比べてれみればいいんじゃねーの?
すまんねー俺もついつい「日本人なら第二外国語ぐらい持ってる(はず」で語ってしまったわ。
そうだよね高校までしか出てないなら日本語と英語しか分からないよね。
それでも趣味や仕事ちょっと齧ったことがある言葉ぐらいないの?
ない、んだろうね?
まあ日本人の半分ぐらいはそんなもんなんかなー。
そもそも高卒の時点で海外出張するような立場にはなりにくいし、海外フォーラムで情報収集とかするような知的好奇心とかもないような人達だもんね。
それが人口の半分かあ。
うーんまあ得手不得手ってのがあるからしゃーない。
意識が高い頃は、独学でさくらのVPSでJavaで動くサービスを作ったりして運用日記をブログにしたりしてたけど、Java自体がPHPに押されっぱなしで飛ばず鳴かずだった上、普通のレンタルサーバーで超ヘビー級のPHPが動くところも多くなってきたし、仕事干されてネットに繋がる環境を取り上げられて、自主退職に追い込まれたことをきっかけにIT系からきっぱり足を洗って、VPSも解約して、ブログも消したので、今はコマンドラインとか全然分からん。
むしろWindowsパソコンですら数ヶ月に一回立ち上げるかどうかで、立ち上げる度にアプデに長い時間がかかるのでパソコンとかいらんと思い始めてるわ。中古型落ちの2万円位のスマホとKindleだけあれば生活に不自由しない。知的好奇心や向上心がなくても、酒とつまみさえあれば人間は生きていける。
春から修士2年で,今はまだ就活中だがそのうち終わるし,授業ももう無いしで,なんか純粋に知的好奇心を満たすやつをやりたくなってきた
この一年で徐々に徐々に,回路触りたいとか,低レイヤやりたい欲求が再燃しつつあった
本や部品を買うためにバイトを増やすと,肝心の活動に避ける時間がなくなってしまうし
もちろん,研究でもある種の好奇心は満たせるし,就活で停滞していたぶんを早く取り返したい気持ちもある
自分の受け止め方は,
→ググっても出てこないことを調べて,ググったら出てくる情報にする,新規性と客観的な正しさが重要
進学しない人でも実績増やせば奨学金の免除も狙える(大学院の話)
でもまあ,一発ネタでもなんでもいいけど,解決したい課題とかテーマが必要な感じ,独自性があるといろいろと受けがよい
チーム開発したとか,身近な人に使ってもらったWebサービスとかだと,エンジニアでない人事担当者にも伝わりやすそう
→金が儲かる,なんか社会の役に立つ(たぶん),なんか金儲けに役立つスキルが身に付く
動機(金が儲かる,人の役に立つ)があるおかげで,もともとそんなに興味が無いようなことでも,調べて勉強したりするきっかけになって面白い
みたいな感じなんだけど,
ArduinoでLEDをチカチカさせる,CPU作る,みたいなことはわかる人にはそれなりに評価されるのかもしれないが,短期的に対外的評価に繋がりにくいように思うし,すぐには自分の生活をよくしないので,学生の自分ですら後回しにしがちだったと気づいた
ネガティブな意味ではよくわかっていないコンピュータシステムの上でいろいろやっている負い目とか,
コンプレックスだったり,インプットが足りていないままアウトプットに偏った活動をしている劣等感とかだろうか
就活や就活向けの思考に疲れ始めているせいで,そうゆうコンピュータクラフト系に癒しを求めている部分もあると思う
自分のこれまでの活動をうまく利用して,有利に就活を進められる場を提供してくれたサポーターズなどのサービスやイベント,
品定めするような目線を受け続けているとアンチ金儲け主義のような意識が芽生えてくる
会社が金儲けのために使う道具として自分がどれだけ優れているかばかりアピールしていると,そうではない側面が盛んに自己主張をはじめる
就職活動が念頭にあるので,自分の経験をわかりやすく就活で有利になるパッケージにしよう,みたいな考えにいつのまにか陥ってしまっていた
同年代が経済的な豊かさを手に入れ,どんどん人生の次のステージに進んでいくのを見ていて,焦りもあった
パンだけじゃ 生きていけねえ,し,
せめて高収入だったり,他人にすごいと思われるような職について,自分を慰めてやりたかったのかもしれない
あと一ヶ月もしたら,これまでの活動は内定承諾という形で一旦精算されそうなので,
残りの時間は研究と,別に新しい何かを生み出さないかもしれないただ好奇心を満たすための活動に使いたいと思い始めた
(面接では,一日も早く御社で活躍できるような人材になれるように勉学に励みます,みたいな顔をしているが)
別に社会人になっても,休日に自室で一人で自作CPUを半田付けしていてもいいし,多分やってると思うんだけど,
終わりが見え始めたら,周りに興味をもってくれそうな人がたくさんいる今の環境は尊く得難いものであると気づいてきた
そんなことを考えながら,いろいろググっていたらCPU自作を手芸に例えたとても秀逸な投稿を見かけた
裁縫も編み物も商業的にはほとんど機械化していて,実用品を手に入れる目的なら買った方がはるかに早く安く性能もいいが,
まさに手を動かして作る楽しさを味わうために取り組む趣味的な活動として残り続けている
自作CPUとかは短期的には対外的評価を得にくい活動かもしれないが,それ自体が純粋に自分の好奇心を満たし,
完全に加齢のせいだと思うのだが、
決して退屈というわけではない。
出ているセクシー女優は好みの顔をしててオッパイも好きな形だ。
なのに、ハッと気づくとコックリコックリと居眠りしている。
本当に歳をとったものだと思う。
最近はエロ動画だけじゃなくて大好きだったアニメ、映画なんかでも内容に知的な興奮がないとあっという間に眠りに落ちてしまう。
なんというか頭の中の理性的な部分、論理脳の部分が興奮していないと眠くて眠くて仕方なくなってしまうのだ。
しかし、だ。
そのためには知的好奇心を満たしつつ、エロいセックスをしてもらいたいのだ。
難題だとは思う。
しかし、なんとかして私の望みを叶えて欲しい。
なろう完結済みだとこのあたりはよかった
https://ncode.syosetu.com/n0172eh/
駆除人
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あと、連載中だと
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がわりと好き
広範な分野の雑学が散りばめられてるのが、知的好奇心を刺激されるって人と鼻につくって人とに分かれてるけど、元増田は合うほうじゃないかと
(続き)
そんなわけで俺の股間はじょじょに頭がではじめ、首まで出て完全体になった。皮は余ったままだけど。
今のようにインターネットって調べたらなんでも出てくる時代とは違って情報が全くなく、その頃はセックスという言葉は聞いたことはあってもその行為を知らなかった。たぶん交尾と同じなんだろうと漠然とは思っていたが。
なお、その頃は同世代ぐらいの体が好きだった。大人の、おっぱいがでかくて、おしりが大きくては好みではなかった。それは余りにもパターン化したエロというか、こういうのが健全なエロなんですよ。というのが何か苦手だった。
どちらかというと胸は控えめで、スラッとしてて、あそこには何もなく掴み所がないというのが無垢で何色にも染まってない気がして好きだった。
いっぱいコメントありがとうございます!
めっちゃ教えてくれてうれしい。
こんなの自分の周りで話しても自分と同じ価値観の人しかいないから聞けなかったと思うとネットって偉大だな~って思ったよ。
みんなが自分の思う最高の自分でいれる社会になりたいねはやく。
でも想定と違って、「別の指標があるからどうでもいい」じゃなくて「ブスだから」とか「家族がからかう」とかが多いのが気になった。
学校が厳しくても興味あってやりたいな~と思ったらプライベートでやると思うので、実際は校則とかあんまり関係なくて上記の2点がネックなのかなと思った。
校則も関係あるっちゃあるのかな、忌避観がなんとなく育ちそう。
ブスだからという意見に関しては、そんなことないよ!みんなかわいいよ!!!と思う。まじで思っている。
人生でブスに出会ったこと一回もない。クラスにも会社にもいない。たぶんそれは親とかから与えられた呪いで、私みたいな赤の他人が言っても意味ないんだろうけど。
興味はあるのに自分の容姿に自信がないというだけで手が出せなかった人から新しい趣味や生き方が生まれる可能性を潰したすごく罪深い呪いだと思う。「色気づいて」みたいな家族からのからかいもそう。そういうこと言う人に限って女らしさを求めてきそうなイメージがあるよ。あなたたちはかわいいので自信を持ってほしい。
コメントくれた人の中に、「鼻が大きすぎるとコンプレックスだったがメイクすると目鼻立ちがバランスとれることをおしえてもらった」って方がいたんだけど、たぶんきっとこういうことなんだよ。あなたたちのコンプレックスは絶対活かせるし、他人からしたらどうでもいいことだし、なんなら羨まれている可能性もある。
わたしも鼻が横から見てまっすぐ伸びている友人をうらやましいと思っていたら、本人はそれがコンプレックスでわざわざシェーディング入れて鼻の付け根の高さを消しているし、あなたみたいなおでこから鼻先までがくるんとなっている横顔がうらやましいよと言われたことがある。全然傷つく必要ないよ。コンプレックスに対して自信持てとは言わないけども!!!
スターターパック欲しかった人、その時そばにいたかったなと思った。憐れみとかではなくこれから沼にハマってくれるかもしれない人を見ているオタクの気持ちです。
田舎者でドラストコスメメインで頑張ってたからそこら辺の金銭的なアドバイスができた自分がその場にいれば沼に引きずりこめたのに!!!と無念な気持ち。
いろいろ指標はあると思うけど、勉強好きな人とかかっこいいなあと思った。いいよね、人生の指標があるということ。
あと生理的に無理だっていう人がいるのが全く未知の価値観で面白かった!面白かったって言うと変な意味に聞こえるけど、interestingのほうです。
女の子は誰でもどこかではお姫様になりたいと思ってると思っていたから、やっぱこれってあくまで個人の意見で、たまたまそういうコミュニティに属しているだけだったんだなあと思う。
気分が上がらない人がいるのも知らなかったなあ。でもそうだよね、私もいくら価値があってもブルーアイズホワイトドラゴンもらっても気分は上がらないし。
確かに筋トレと似てるのかも~~!って思った。筋トレと違ってメイクは切り替えできるところが強いかも。筋トレって気軽に体型変えれないからね。
あくまで私の中でなんだけど、武装のメイクと普段のメイクって違うんだよね。
武装のメイクは競争相手がいるときに自分を奮い立たせるためにやってた。それこそ高校のイベントごととか、就活とか、ガルバで働いてた時とかかな。
普段のメイクはあくまで「今日自分が過去最高にかわいいな~」と思えるメイクであって、対人を意識しないで済むメイクだからかな。
自分がかわいくて最高と自分自身で思えることがミソなのよ。なので他人からの評価はどうでもいいってなるし、武装の時と真逆の価値観でメイクしてるなという発見がありました。
正直クラス対抗の時とかは「おら~~~かわいいと言え~~~~????」の気持ちでメイクしてた。
それはまじでそう。
しかもメイク道具も安くないし、人におすすめしてもらっても、その人に合うものが自分に合うかなんてわからんしね。
そしてうまく合致するスタイルになかなか出会えなかったらもうええわってなるのも仕方ないことだわね…と思った。だってめんどくさいし実際。
世間でおもしろいと噂のAPEXやってみたけど全然操作うまくいかなくてすぐ辞めたの思い出した。
楽しいとこまでたどり着けなかったらそりゃそのまま興味のない人生を歩むよね。
そりゃそうよね、だったらメイクしないよね。
たぶん世間一般だとメイクしていない=身だしなみが云々ってなるんだけど、そういうことではないよね。
女らしいスタイル以外に好きなスタイルある人はそのスタイルの中で自分の好みを突き進んでるんだから、身だしなみはちゃんとしてるでしょと思う。
というか自分のおばがそのタイプだったと思う。今で言うと無印良品みたいなシンプルな服装とパンツスタイルが好きな人で、メイクも全然しないんだけど、眉毛とかはいつもきれいに整っているし、髪の毛もショートでちゃんとセットしているし、肌もすごいきれいな人だよ。最近会えていないけどきれいな人という印象だもん。その癖笑顔がまあめちゃくちゃかわいくてギャップなんですなあ。
おばのろけに脱線してしまったけど、髪の毛ボサボサとかならともかくメイク就活で必須みたいなの嫌だよね。この方はちゃんと自分を貫かれて、今もそれでいけてるのですごくよかった。
ここで強要されて心がおれちゃう人、めっちゃいるんだろうなあと思った。私も就活メイクは上で言った通り武装メイクだったから普段とは全然違ってかわいいメイクしたいよおおってなったから、就活のメイクについてはどんなメイクでも、していなくてもいいよとなってこの文化が薄れていって欲しいと思う。内定欲しかったから武装メイク作戦に切り替えたけど。
「ブスだから上方修正意味ない(意訳)」、「しなくても問題ない容姿だからいらなかった」系のコメントがめちゃくちゃ意外だった。
なんか、かわいくいたいって感情と、メイクによって自分が上方修正されているという感覚が一致しなかった。伝わるかな。
あくまで私の場合趣味みたいなもので、かわいくなりたい!ではなく「かわいいの最高値ですよ」なので、そこが感覚違うのかなと思った。ネイルがわかりやすいかな。ネイルしたところで自分の顔がかわいくなるわけではないけど、めちゃくちゃかわいい自分にはなれるじゃん!そういうことなんだよね。メイクしてて顔面偏差値上がったわ見たいな感覚は正直ない。武装メイクの時はスキルをかっ込むので顔面が上方修正されるけど。
メイクめちゃくちゃ大好きで、子どものころに子供向けメイクセット?みたいなのもらってからたぶんずっと好き。
おばあちゃんの家にあったうる星やつらで、塗った人同士の口をくっつける口紅をラムちゃんが作る回があったんだけど、そこだけ死ぬほど読み返したりしてた。
うる星やつらで記憶に残ってるエピソードこれとラムちゃんがツノを溶かすクリームみたいなの使って転校生の振りするみたいな回しかない。どんだけこういう系好きだったのかって感じ。
周りもそうで、母親はデパコス結構使ってたしクソでかスチーマー兼美顔器が家にあって、たまに使わしてくれたりとか。ちょっとしたお出かけにも眉毛をかいたりしてた。
おばあちゃんも毎日カーラーでかわいく前髪を巻いていて、口紅軽く塗ってて本当に絵本に出てくるみたいなふわふわしたかわいいおばあちゃんなの。
もう一人のおばあちゃんは脳梗塞かなんかの後遺症で早逝したしあんまり記憶にないんだけど、写真とか記憶の中だと赤くてかっこいいリップをいつもつけていて、片手でお化粧してるの見せてもらった記憶もある。
そんなんだから中学入るころにはメイベリンかなんかの色付きリップをカバンのポケットに忍ばせてて実際学校でも塗ってたような性格で、自然周りにもメイク大好きな子が多かった。
進学校(かしこいという意味ではなく、大学進学以外の選択肢がないという意味で)だったので、美容系の専門学校に行った友達こそいなかったけど、メイク上手な子とかファッションがいつも決まってる子は結構美大に行っていた。美大に行ったらメイクとファッションが進化していて、アイラインとかめっちゃ大胆な色とか構図で引いてた。かっこよすぎる。
うちの学校は結構成績さえよければなにやってもいいよな感じで、そもそも生徒側も叱られるようなラインを間違える人はあんまりいないんだけど、結構自由にやらせてもらっていた。
そんな感じなので、自然体育祭とか文化祭、クラス対抗では女子の装いがガチになる。
手作りのカチューシャとか、こったヘアアレンジとか、メイクいつもより濃くするとか。
これは何もメイク好き・ファッション好きに限らなくて、「普段はノーメイクで学校来るけどこの日はメイクしちゃう」って子もいるし、「まったく経験ないけどやってみたい!教えて!!!」っていう子もいる。
私もそうなんだけど、うちの学校のメイク好き・ファッション好きはやたらとお姉さん気質が多かったのか、後ろの黒板に「クラス対抗ヘアアレンジします! メイクは○○まで」みたいなのを書いておいて、興味はあるけどやったことないからどうしよう…という子が声をかけてくれたら事前に教えるのも、当日早く来て武装するのも手伝うのをやっていた。
なにもうちのクラスだけではなく、クラスとか学年違っても同じ感じでなので校風だったんだろうな。
あと仲いい子とそのために安いスポンジとか綿棒とかヘアゴムとかアメピンとか割り勘で買って準備するのも楽しかったし、やっぱり武装含めてイベントだったんだなと思う。
あんまりよくないけど、「うちのクラスのほうが髪かわいいよね~おソロだし~~」とか言っていた。気分はプロデューサー兼メイクアップアーティスト兼スタイリストだった。
家に親のクレンジングがあるかわからない子には、ウェットティッシュみたいなタイプのクレンジングを百均のジップロックに詰めて押し付けていた。アフターフォローもばっちり。
こんな感じの雰囲気の学校だったので、友達の中でメイクしない子がいてもドラストコスメ巡りに付き合ってくれたし、男でもメイクしてみたい!という子にやったり、男子改造計画みたいなのを夏休みにやったり、デートの服を何人もの人間で選びに行ったり、初めてのコスメ会に行くのに付き合ったりと、かなり装うということに関して土壌が豊かな環境で育った。
でもイオンもないような田舎だからデパコスも全然なくて、みんなセザンヌとキャンメイクとKATEとメイベリンしか選択肢ないし、服もGUはないからUNIQLOとハニーズで何とかするしかない。
遠出して電車に3、4時間揺られないと一般的な駅ビルがあるような都市にたどり着けない。そんな場所のわりにみんな楽しんでいたと思う。
余談だけど、うちらが中学の時に高校の先輩方がイベントで女装してるの見て、これもイベントにならんかなと思って生徒総会で男装女装コンテストをネタで提案したらしっかり通ったことがある。3年生の時に実現したので1年分しか見れなかったけど、男装の方はガチレイヤーの人が優勝し、女装の方はうちのクラスの総プロデュース男子が優勝した。どんなもんだよ。
なので大学も社会人になっても周りは変わらずファッションとかメイクとか好きな人ばっかだったし、なんならジェルネイルが追加された。金ドブですよあんなん。あんな爪がかわいくなるなら何万円でも払わせていただきます…。
でもこれたぶん私の周りにたまたまそういう人が類友で集まってただけで、クラスにメイクしない子もいたはずだし、社会にはなおもっと興味ない人がいるはずなんだよね。
私は幼少期からこんななので、もう生まれ持った素質の民だと思うんだけど、友達の中には大学からメイク本格的に始めた子もいるし、職場にはメイク手抜きでいくって子もいるけど、みんな会うときはいつもお互いに「自分の中での最高値にかわいい自分で!」というのが共通してるんだよね。
髪型も髪色もネイルも服もメイクも、そのすべてを使って、「好きな人に会うときは最高値にかわいい自分でいたい」というのが我々のような人間の最たる欲求だと思う。私もすっぴん部屋着でスーパー行くし。
好きな人にかわいい自分を見せたい欲求がない人もいるのかなとここ数日のXを見て思った。かわいい服買ったらかわいい顔と髪型合わせたいし、好きな人に会うのにかわいい自分を自慢しないわけにいかないと思わない人がいるんだなと。
働いててメイクめんどくさいな~と思う体調の日もあるけど、メイク好きな私でさえめんどくさい日があるんだから、メイク興味ない人はいわんやだよね。私もオンラインゲームを毎日強制されたら死んでしまうと思うし。
すごい紆余曲折したけど、私からしたら「かわいくいたい」がたぶん人生で一番でかくて、そりゃ好きな人にかわいいと思われたらなお幸せなんだけど、一番大事なのは「自分が自分をかわいいと思えていること」なんだよね。
だからメイクしない人?興味ない人?の感覚がうまくわからない。人生で一度も「かわいい自分でいたい」と思う瞬間がなかったということだと思うから、たぶんその人はその人で「自分がこうだったら最高!!!」と思う指標があるんだろうなと思った。これは私の中ではある種の「エウレカ!」だった。
これが…多様性……となった。
多様性ってこんなレベルでいいよね。魚好きと肉好きがお互い存在してもいいように。私は今まで魚は生が一番おいしいと思ってたけど、世界には生魚食べるの生理的に無理な文化の人も嗜好の人もいるもんな。
だからさ、そういう「メイクガチで興味ない」っていう人がどうしてもメイクしなきゃいけないときにさ、スターターパック用意してあげるのもいいけどさ、私みたいな装いキチ(見方を変えればルッキズム)の人が横でバカみたいにメイクとかに金使って幸せそうにしてるのを見てもらってさ、こいつらがこんなに熱中してんだからいっちょ私も楽しむ気持ちでやったろうかなとか思ってくれたらうれしいなって。
どうせやらなきゃいけないなら楽しいほうがいいよ。勉強も仕事もメイクも。
だから今日からも私はストーリーでキチっぷりをひけらかすのを辞めないと決めたよ。フォロワー各位覚悟してね。
あとごめんメイク興味ない人の心情を勝手に書いたけど、全然違うって人もいると思うからそれはごめんね!!!!
タイトル通り教えてくれると嬉しいけど、それは私の知的好奇心が満たされたくて呻いてるだけなので、優しさとかではないので…。