はてなキーワード: 知恵とは
そのYahoo知恵URL、参考にならなさそうだな、こっちのほうがいいかと↓
私がパソコンとインターネットに触れだした95年頃からしばらくしてから
そっからは結構な数のアングラサイトだのが目に触れる場所にあったし
というわけで違法にゲームという(他もだけど)コンテンツを消費する層は
一定以上常にいたのではないかと思う。
俺自身そう言うものに手を出したことがあるし。
自分も含めて屑だとは思うんだけど。
ただそういうの、もう10年近く手を出してない。
winMXを賢しらげにひけらかした先輩(ごく普通の人)を見て
「うわぁ……」と思ったからというのが一つの理由。
屑は屑なりに矜恃があるべきだと思ってたんだよね
(実に中二病的な発想であるのだけれど)
それを手に入れてることを楽しんでたところもある。
マジコンについてああいう事になってるのは個人的には歓迎。
http://anond.hatelabo.jp/20090228020645
さほど関係ないけど、俺の事実にタダ乗り?した創作で不快な気分になったことならある。
リアルタイムな実話で「俺より悲惨なクリスマスを迎える人っている?」というのを書いたんだが、夜に「悲惨な12月23日」という創作を書かれた。この増田は今では二次創作と追記してるようだけど、後になっての追記。
ニセ増田読んだけど二つの意味で面白くないと思った。高評価している人もいた。
なにより鬱陶しいのが、元増田の俺はこの偽物より面白く書かないといけないと思わされたことだった。
勢いで一気に書きたかったのにかけなくなった。
しばらく筆が止まり、一週間後にやっと続きを絞り出した。俺より悲惨なクリスマスを迎えた人っている?というの。
自分で言うのも変だけど、どんなに面白い事実でも余計な知恵働かせて書くとつまらない読み物になる。
増田で書いて意味不明な現実に復讐したかったのにそれもできなくなった。
増田に投稿しなくなってちょうど二ヶ月。結局書き終わらずに放置してる。
ほかのことも書く気がうせた。
こんな俺でもたまに調子に乗ったり、色気づくことがあり服を買いに行くことがあった。
しかし、だいたいどれを来ても似合わなかった。
背は低めで胴長短足でそこそこがっしりした体格のおかげで現代的若者的な服はことごとく似合わなかった。もしくは物理的に着られなかった(みなさん細いのね)。
そこで気持ちが折れて引き返す。
時がたち、体型に似合う服の知恵をすこしばかり仕入れ、ふたたび調子の波がやってきて再び店に赴くものの、やはり想像していたようには行かないのであった。
適当に妥協した服でとりあえずやり過ごした。
服飾品店にいくたびに心が少しずつ折れ傷つき、次第に足が遠のくようになった。
そこへ行って嫌な思いをする場所に行きたくない。
何度もこんな思いをするくらいなら、いっそあきらめた方が楽だ。
やってもやってもうまくいかない人がどういう軌跡をたどるのかを知った。
ところで、「似合わない」という価値判断は自己評価の低さに由来しているとも思った。
別にスタイルも良くはないのに、おしゃれでかっこいい印象の人はいるから。そういう人は大抵楽しげで自信がありそうだし。
しかし考察するのも疲れた。
色々ひっくるめて疲れた。
ただ、身だしなみって大事だと社会人になってから感じているし、ぼろぼろなのもいやなのでたぶんこれからも気をつけはする。
あきらめた方が楽だとかいたけれど、服装で今時の若者っぽく格好良くなろうとするのはあきらめたい。苦しいから。でも、好印象/悪印象ではない自分で無理ない服装はする。そういう風に気持ちがシフトしていったらいいなと思っている。
一時期引きこもったりしてしまった。(http://anond.hatelabo.jp/20090222004116)
お前は俺か?中学から高校に入る頃の、俺が書き込んでるのか?と言うぐらいお前は俺とかぶる。従って、その頃の俺と似たような状況だと勝手に仮定して思いこんで書くぞ。だから違ったら無視しろ。読まなかったことにしろ。そうしてくれないとかなり恥ずかしい。俺は「小学校五年から中学ほぼすべてを不登校」で過ごした増田だ。学校に行ったこともあったが、ほとんど保健室或いは特殊学級、相談室などにいただけだった増田だ。
とりあえずここで俺がこの増田を読んだのも何かの縁だろう。ということでレスをしておく。
今となってはなんで不登校になったのかすら完全にわからなくなてもうだめ
不登校というのは、理由がある方が珍しいのでそんなことは気にしてはいけない。というかよく某不登校支援の名の下に活動している団体を中心に宣伝されている「今の教育システムが会わなかったので不登校になっている人間は不登校になったのではない、不登校を選んだのである」とか「不登校になった子は今の教育システムの型に入りきらない才能を持っている」と言った宣伝は、有り体に言って親が自己肯定するために作られた作り話か、特殊な例だけ抜き出したファンタジーだ。全く気にする必要はない。
親が、自分の子育ては間違っていなかった、と思うための慰めの言葉と理由付けだ。それ以上でもそれ以下でもない。
従って、本人がそれらの言葉に踊らされて「世の中の不登校の人間はみな立派に理由があるのに(或いはいじめなどのわかりやすい理由があるのに)、俺は理由がない」などと悩む必要などない。
自分は、不登校になったのはいじめが原因だったのだが、不登校仲間、と言ってはあれだが、親が不登校の子供を持つ親の会、的なありがちな団体に入っており、その関係で再び交流を持つようになった親友がいる。
「増田君はいいよね、ちゃんとした理由があって。僕にはそう言うちゃんとした理由はないから」
一瞬意味がわからなく、一体何が良いだよ、と思い、激しくフラッシュバックして、パニックを起こしかけたことがある。しかしそんな彼の表情を見ると、すごくつらそうであり、自分は何も言えなかった。
そして、彼も俺も、母親からも「お前は不登校になったんじゃない、選んだんだ」と言われていた。
これは一種の劇薬、いや麻薬といってもいいか、そのときの自己を肯定することには非常に役立つ魔法の言葉だ。しかしその魔法が切れると、もはや重荷でしかなくなる。そして一人深く考えるうちに、だんだんそれは孤独を生んでいく。つまりこう考えてしまうのだ「同じだと思っていた不登校の人たちは、実は同じではなく選んだ人たちで、自分は選んだわけじゃないから、あの人達のようにはなれない、だから僕はだめなんだ」と。
そんなわけあるか。細部は違えど、みんな一緒である。選んだ奴などほとんどいない。選ばされた奴らばかりだ。
誰も不登校になろうとしてなるものはいない。そう言う人間はこうしたことで悩んだりはしない。だからそのときの限界だったなにかがはじけた結果、最悪の事態から自らを守るための行動が不登校だ。したがって不登校は結果でしかなく、そこに理由などはない。なぜか?物事は理由が分かれば8割方解決したも同然であり、理由が分からないので問題の根本解決ができないからだ。そして、解決ができなかったから、その問題から自分を守るための行動が不登校である。有り体にいって学校から自分を守るための行為だ。従ってほとんどの場合不登校の理由などわかるはずがない。理由が分からないことが、解決できない大きな要因だったのだから、理由が分からないのは当然だ。それを「理由がない」と勘違いしてはいけない。火のないところに煙は立たないとか言うが、世の中のすべてのことに原因がないことなど、存在しない。ただ発覚するか、しないか、分かるか分からないかの違いだけだ。
同じように「不登校になった子供は、そうでない子供では経験できない特別なものを得ているのです」「不登校になっても、一つの分野、たとえばゲームだって、漫画だっていい、誰にも負けずに打ち込めるものがあればいい。そしてそれは必ずある」なんて話も問題がある。このあたりはある程度事実であり、確かに普通の子供では理解できなかった部分もたくさんあったと思う。その点で、経験と失った者がうまく釣り合っているのではとすら思う。が、しかしこれは結果論でしかない。つまり「あぁ、あの時の経験が役に立ったな」と後から思うことだ。おそらく今悩んでいる元増田氏が俺ぐらいの年齢になって初めて感じることだろうと思う。従って、「不登校時代の経験や打ち込んだことがが役に立った」なんてことを今の当事者である元増田氏が感じられないからと言って、悩む必要などない。逆に、それらをその当時に分かったような気になっている奴がいたとしたら、そんなものはよほど特殊な例か、分かった気になっているだけだ。
つまり何が言いたいかというと、理由がわからないことなど当たり前なんだよ。よって、それで負い目を感じる必要などない。その点で元増田氏は九割九分特別などではない。。効果が後から出る。だから自分が馬鹿か天才かなどと言うことは、今は本人はわかりはしないのだ。今のありのままで感じるほかなく、それで必要以上に、自らの存在意義すら問うほど悩んだり評価したりしないことだ。
ちなみに、勉強についてだが…「勉強などいくらでも取り戻せる」と言ってる奴がいるが、それは無理だ。不登校である間に仲間が得ていたはずの経験が全くないので無理だ。と思っている。が、それは結局のところ「あいつは工業高校に行ったが、俺は商業高校に行った。従って俺はあいつが持っている工業高校の知識がない」といった程度ではないかと最近思うようになった。つまり道を違えただけだ。
だから同じ知識を得ようとしてもそれは難しい。自分なりに新たに勉強していくしかない。ついて行けない部分があるなら、そのたびに勉強して補っていくしかない。それは地道な作業だが、仕方がない。こういう言い方をすると反感を買うが「違えた道の知識を後から勉強していくことは、大人になればよくある話」である。これを今言って聞かされても分からないだろうとは思うが、特別なことではないと理解して欲しい。
先ほど話に出した親友の不登校の奴は、その後高校に進学後、国立大学で工学を学び、就職した。勉強ができなきゃ、そんなところには行けないはずなのだが、しかし今でも「あの時にやっていれば違ったかもしれない」と言っている。かく言う俺もそうだ。あの時にやっていれば、と思うことが多々ある。そして、そう思ってない不登校の人は今まで会ったことがない。
だが、この喪失感は不登校であろうとなかろうと、大なり小なりいずれ誰でも持っているものだ。つまり「あの時工業高校に進んでおけば、工業のことも分かったのに」といった程度のものと同一だ。ただの後悔である。
ならば、どうするか、それは一つしかない。つまり「やるしかない」のである。「そういうもんだ」と思って「やるしかない」のだ。積極的になれば大抵何とかなる。そして、そんな風に理論武装をしないといけないほど、学生時代の、ある特定の部分がすっぽりと抜けている、と言うことは喪失感があり、負い目であり、自信をそぐ原因であることは事実である。しかしそれにつきあっていくほかない。「そういうもんだ」と思ってつきあって、その上で「やるしかない」のである。後悔は先には立たない。そして、大抵の後悔など屁の足しにもなりはしないし、猫の手ほども役になど立たちはしないのだ。また、この場合、今元増田氏の段階で反省してもあまり役には立たない。
自分の親友は、この不景気になって、真っ先に首が切られると思いこんでいた。不景気になったとたん、ああおそらく俺はすぐに首だ、とまっさきに落ち込み、次はどういう職を探そうかと、肩たたきが始まってない段階から話していた。そこまで自信が持てないでいたが、結果は会社の中で肩たたきが始まった頃、期待の若手社員として唯一、会社の長期的な産業構造の変化に対応するための新規事業開拓の開発チームの重要な部分を任されたそうである。これは彼の性格によるところもあるだろうが、我々(と言ってしまって良いのかわからないが、少なくとも俺は)不登校ということを経験している人間は、そして特に、その深淵をのぞき込んだことがある者は、おそらく一生これとつきあっていかなければならない…と思っている。「思っている」というのは、俺もまだこれらに決着がついてないからなのだが。
それ以外は、もはや普通の勉強について行けない人間の勉強法と同じだと思う。おそらく意欲が低下するのは、できる自分がうまくイメージできないからではないだろうか?とか、塾や家庭教師などの専門家の知恵を借りて見るだとか(不登校に限らず、病気などで遅れる子を復帰させるノウハウを持った人はいるはず)、とにかくわかりやすそうな本を探してまず理解して、そこからとっかかりを探すだとか、そう言う普通の勉強法だ。
そう言ったことの専門家でもない俺が、一番安くすぐにでもできそうなことをあげるとするなら、元増田氏が高校生以上であれば「大人なのためのやり直し化学」とか「やり直し数学」とかそういう類の新書が結構でているので、それをBOOKOFFみたいな新古書店で買ってきて(大体100円)、とりあえず読んでみるのがおすすめである。(が、俺は勉強ができる方ではないので、このあたりについては何とも言えないのだが…)ハンデとしては勉強法を学ぶ時に不登校だった人間だと勉強法の確立から始めなければ行けないことだが(つまり俺だが)、そこは本当に自分なりのやり方を見つけるしかないのでやるしかないとしか言えない。何度も言うようだが、自分は勉強ができる方ではなかったので。
まぁつまり、長々と書いたが、言いたいことは「気にしすぎ。俺もそうだった。とりあえず肩の力抜けよ」と言うことである。
っていうかかなり恥ずかしいなこれ…全く的外れだったらどうしよう…そんときはさっくり無視してほしい…
小学校で、1年生~3年生に教えたことのない人間が吠えてると思うんだけれども、
論理的な思考とかできないから。
そういうのに教え込むのに、国語、歴史、理科は不要とか、そういう問題じゃないから。
子供にものを教えるには、というか、知恵、知識と呼ばれるものを得られるようにするには
まず、何でもいいから頭に放り込む。
興味のあるものをなんでも放り込んでいく。
音楽でもいいし体育でもいいし、理科でも算数でも国語でも(ざっぱに分けてるけれども、この中でも、動物が好きな人もいれば電車が好きな人もいるしとりあえず興味をもってることをとっかかりにする)
脳に放り込まれた知識の量がある一定量を超えたときに、
化学反応が起きて、主観的なものの考え方や論理的な考え方ができるようになる。
だから、この増田がいらないっていってるような教科はすごい大事。
その頃なら田舎の子沢山家庭だったら高校進学は難しかったかもな。うちの親の実家とか
その近所とか皆そんなもんだ。なんでブヨが浸っちゃってるのかわからん。
あのときは、「幼少期の苦しい体験は取り返しがつかないので気をつけましょう」だのなんだのという話を、
実際に不幸な体験をしてきた人も含めて全方位に語ってしまうことで、誤爆して過剰な反発を招いていた。
結局は配慮気遣い思いやりが問題の要であり、
そこに気づかない限り、いつまでも誤爆→過剰反応コンボが繰り返され、反発が増幅再生産されていくだけ。実に不毛。
はてサ(に限らずはてなで議論をしちゃってるタイプ)には配慮も気遣いも思いやりもないし、
口を控える慎重さもなく、自ら悟るだけの知恵もない。
なやみごとがあったりやりきれないことがあったりすると
夜中泣いてたりするんだけど、これって皆普通にやってるよね?
この前友人に、「やー今回のこの件(たまたま色々あった)で昨日夜中思いっきり鼻水たらしてさ!」って
笑いながら話したら、お前が家に帰ってまで泣かなきゃいけない状況が許せない!直訴しにいってくる!って
本当に行きかけて慌てて止めた。そういう反応するのってそいつだけじゃなくて、結構ネタにしてるつもりで
「やっべー悔しくて昨日家で思い出し泣きしちったよ!」的なノリで言ったら
帰ってからも気になっちゃう職場はだめだろ!って別の友人が怒ってくれて逆にひーってなった。
他人事なのに自分のことのように怒ってくれる友人たちはすげーありがたい。
友人たちの知恵とか手助けで私はそういう思わず泣いちゃう一件を今まで乗り越えてきてるわけだし。
だ、だけどさ、皆家で悔しくて泣いたりとかしないのかな…!夜中思い出して泣いたりとか…!
結構1年にいっぺんくらい思い出し泣きしちゃう規模の悩みみたいなものが私はくるんだけどさ…!
身だしなみを整えることは生活習慣に組み込まれているべきことで、幼児期からの教育としてあるべきであろうこともよくわかる。
出かける時は、ティッシュとハンカチを持ちなさいねとか。
自分の容姿が気になって、鏡とにらめっこ、綺麗になりたいと願う少女の思いはまだゆるせる。
同じように25も過ぎて、綺麗でありたいと願い鏡とにらめっこの時間が多い女には魅力を感じないのは何故だろう。
バカなんじゃないのか?とすら思ってしまう。
話題の一つとしては必要だと思うし当たり障りもないから、みんなそう思ってるから生活の知恵としての話題の選択?
綺麗でいなくちゃいけない、若くいなくちゃいけないという強迫観念は、まあハリウッドあたりからやってきてるのかもしれないが、現地では
脂肪を志望したことないのに脂肪のせいで死亡しちゃいそうです、みたいな人間が多いから余計にその強迫観念が重くのしかかってるのかもしれない。
それでもってその反作用のためか、「内面の美しさ」こそが大切みたいな話になっちゃたり。
美しいというあまりに抽象的な観念に捕らわれてしまっているなあ。
なんでだろうなあ。
面倒だなあと思う。
今朝、起きたら昨夜髪を乾かさないで寝たせいで、頭が爆発していてサイボーグ007の真ん中に立っている人みたいになっていて、
このヘアスタイルはどうやってもスタイリングを再現することは不可能だろうけど、このまま外に出たら「アイタタ-」な人って見られるだろうし
どうしたものかと一瞬迷ったけど、直した。
これは身だしなみだよね????
会話のキャッチボールが成り立っていなくても、コミュ力がなくても、人間がいなくても、「他人と関わること」から逃げても、コミュニケーションは作動する。
コミュニケーションは、人間の意識や主観や行為を参照せずに進展していく。コミュニケーションを人間的な単位に還元することはできない。人間が想定する「コミュニケーション能力」などお構い無しに、コミュニケーションは作動していく。あくまでコミュニケーションとは、<コミュニケーション>についてのコミュニケーションなのだ。だからこそ学術的なコミュニケーションは、各人が知識人の「本の受け売り」にならずとも進展していくことができるのである。先行研究の観察が接続可能性の担保に必要となるとはいえ、それぞれの人間が先行研究を理解しているか否かは何の問題にもならない。観察されるのは、理解度や各人の意識の合意形成などではない。観察されるのは、観察である。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090122/1232605196
id:ekkenのような誹謗中傷や罵倒を垂れ込んでいる奴のも、ある種のコミュニケーション。ekkenがコミュってのも実感がわかないが。
社会システムは、コミュニケーションを継続させることによって存続している。コミュニケーションが中断されれば、そこに社会は無い。よって、自己を存続させようとする社会システムからすれば、学術だろうとコンフリクトだろうと、コミュニケーションが継続していればありがたいものなのだ。だから、免疫システムとしてのコンフリクトは、まず社会システムの存続の負担を免除しているのである。
一方、コンフリクトによって負担を免除されているのは、社会システムだけではない。学術的なコミュニケーションを継続させることの負担についても、免除されている。たとえば、ニクラス・ルーマンやヘーゲルの先行研究が観察されることによって学術的なコミュニケーションの接続可能性が担保されたとしても、ルーマンやヘーゲルの先行研究の観察が理解されなかったとすれば、それ以降、ルーマンやヘーゲルについての学術的なコミュニケーションを継続させることの負担は増大することになる。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090122/1232605196
コミュニケーションは学術、政治、経済、法、教育、芸術、宗教とかに区別される。全部ひっくるめた会話のキャッチボールとか、全部ひっくるめたコミュ力とか、全部ひっくるめた人間性とか、そんなものはない。
このことは、各種の社会的部分システムにも相当する。学術的コミュニケーションは、いつも<学術的コミュニケーション>についての学術的コミュニケーションである。政治的コミュニケーションは、いつも<政治的コミュニケーション>についての政治的コミュニケーションである。
機能的分化社会では、政治的コミュニケーション=システムも学術的コミュニケーション=システムも、互いに全体性を記述していく。だが、互いに全体性を記述するからこそ、その全体性は真の全体とはならず、特殊部分化された<全体性>だということになる。それ故、双方は互いに全体性を記述するものの、政治の全体性に学術が倣わなければならない理由も、学術の全体性に政治が倣わなければならない理由も、無い。「審議会」のような場でできることは、精々のところ、一方が他方の作動の前提に攪乱を与えられる程度のことである。だから、一方が他方の作動を制御することは、原理的にあり得ないのである。よって双方のシステムは、互いに自律的に作動していく。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090128/1233124298
勿論、政治システムは、<世論>の心情や苦悩やカタルシスや怨念や「一般意思」や「憲法意思」などといった心的要因や人間的な単位を理解しようとしている訳ではない。政治システムは、こうした心的要因や人間的な単位について、政治的にコミュニケートしているに過ぎないのである。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090128/1233124298
学術的コミュニケーションと政治的コミュニケーションにおける接続可能性の差異は、市民的な対話や「言葉のキャッチボール」などといった猿知恵を、いとも簡単に粉砕してしまう。こうした学術と政治の対話に期待することができない以上、対話に期待する<理性的な啓蒙>よりも、機能的に差異化された各コミュニケーション形式への参入離脱可能なポジショニングを採ってもらうべく、各システム作動を学習させる「社会学的啓蒙」を選択したほうが無難かもしれない。と言っても、この「社会学的啓蒙」それ自体が既に学術システムの構成物なのだから、この結論は学術の学術に対する自己言及だということになる。こうした状況は、前半で取り上げたハーバマス・ルーマン論争の時期から、既に一般化していたことだ。この意味で、未だに右と左の区別に縛られ、厳密な根拠づけや理性的な合意形成を目指すような政治的討論を試みるのは、完全に周回遅れである。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090128/1233124298
要は、「会話が成り立たない」という会話も学術的で成り立たないから、「会話が成り立たなくても作動していくそれぞれの部分システム」への参入と離脱を両立しろってこと。
アホウもここに極まれりといったところだろうか。
だからってアホウにアホウと言っても、アホウはアホウのままだと思う。
トライブにとっては、学術システムこそが外部環境に位置づけされる。双方のコミュニケーションは互いに影響を与えることは無く、自律的に作動している。したがって、こうしたトライブの戯れを批判し、啓蒙することは不可能である。経済学者や活字好きのご老体は、はてなブックマークに馬鹿や危険因子が存在していると批判していた訳だが、彼らにできたのは、あくまで馬鹿や危険因子が存在していることを発見し、記述するところまでである。彼らを啓蒙することなど、できるはずもなかった。何故なら、トライブのコミュニケーションを決定付けるのは、トライブだからである。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090122/1232605196
「自分にとって読むべき(読みたい)章だけを、本からちぎって、常にかばんに入れて持ち歩く」
自分の場合、これが一番有効だった。特にIT関連。ほとんどの場合、かばんに入れてから
2日以内に読んでしまう。
IT関連の本は大体重いから、一冊まるごと持ち歩くのはちょっとつらい。
あと、ちぎるなんてことまでしたのだから読まなきゃ、っていう心理が働いた。
それにこの状態なら線を引いたり書き込んだりするのも全く抵抗がない。これ
も大きい。
本をちぎるのは抵抗があるというか、本は大切にしなきゃって考える人もいると思う。
この大切にっていうのは、小説とかには当てはまると思う。特にハードカバーだと、
ただ、そういう味わう為の本じゃなくて、知識を得る為の本に関していえば、一番
もったいないのは、せっかく買った本から知識・知恵を得られないこと。
自分も正直最初は抵抗あったけど、仕事の要求が厳しくなってきた&自分にとって
本当に必要なことは何かということをよく考えたら、ある時ふっきれた。
これを実践するようになってから、無駄にしていた時間を有効活用している、という
実感はある。
・なるべくまだ読んでないものを常に入れておくこと。
・その為にはちぎったまとまりを、あらかじめたくさん作っておくこと。
・根元からゆっくりちぎらないと失敗するので注意。
・かばんを開いたら必ず目に入る場所に入れること。
・読んだ範囲については、自分の理解したことをPCに入力して、必要な時にすぐ
見られるようにしておくこと(たまに読み直すのがベスト)。
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以下を読んでから書きました。
本を買ったが読まずに積んでそのままにしてしまう「積ん読」を防ぐ10の方法
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090130_stop_accumulating_books/
派遣労働者って知恵遅れも多いけど、ヤクザも多いよ。正確に言うと元ヤクザかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090125095427
ブクマでいいたい事いわれ放題なので、わかってもらえたんかなーと思ったら、追記が酷い酷すぎる。
>とにかく俺が言いたいのは世の中の悪い事は全部疑似科学のせい!という風潮が気に食わないんだよ。
どんだけ観測範囲狭いんだよ!全部って何だよ、風潮って何処のだよ。はてな村民にもほどがあるぞ!
いやほんと君は何か主張したいなら、もうちっと年を重ねて、大人になってからしたほうがいいと思うんだ。
人の指摘に表面だけなぞってかえすなんて、せこい自尊心の保護の仕方なんてやってないで、
自分が子供をもつ親になると考えて、どういうことを彼らが言っているかにきちんと耳を傾けてみて欲しい。
人が生まれるとか、死ぬとかいうときは、あっちこっちから「TVでみた知識」「誰かが言ってた話」「先人の知恵」みたいなのがやってくるんだ。
「こうすればいいよ」なんてのはマシで、たいては「すべきだ」「何でしない」ってのでがんじがらめにされる。ほんとに多いんだぜ。
その内容の大半が、過剰だったり、極端だったり、中には間違っていたりするので、疑似科学批判してるひとはその中に紛れた疑似科学を潰すことで少しでもそういうのを減らしたいね。ってのが大本の話。と俺は読んだ。
その筋で君の指摘に目を通すと、何をいってるか意味が通らないものが多いのはわかるかい?
君に賛同してる人がブックマークでも増田でも見当たらないのは、なんでだとおもう?
一つ一つの突っ込みかどう間違ってるかを指摘するのは他の増田がやってくれてるから、一度冷静になってそれを読み直してみるといい。
いつか人の親になるときとか、そうでなくても誰か兄弟友達が人の親になるときにきっと役に立つはずだ。
以上、文責objectOでした。
またデカい流出事件が。今度は同人ってことで、知り合いも多数含まれている模様。
本当どこから漏らされるかわからん、明日は我が身。
会社に潜む情報セキュリティの落とし穴:Winny利用の果て――家族崩壊した銀行マンの悲劇 (1/2) - ITmedia エンタープライズ
ところで最近こういう記事もあったが、内容も世間の反応も流出させた人間の話ばかり。みんな「一番悪いのはウィルスを作った人間である」という基本的な事を忘れていないか?皆Winnyを使えばなんとなくファイルが流出してしまうおそろしいツールだとでも思っているのか?それは単なる結果論であり、事件は知識と技術と悪知恵を駆使し暴露ウィルスを故意に作成した人間がいるから起こっているのであり、どう考えても流出の直接の実行犯はウィルス作成者。Winnyの作者が賛否両論ありながらも特定され逮捕され有罪にされている一方で、ウィルス作成者が法で裁かれない意味がわからない。該当する法律がないのなら何故作らないのだ?わけわからないダウンロード違法化なんかよりもこちらが先だろう。
誰もが一様に傷付くなら、それは通じるが、他の誰もが普通に接してる話題で君だけが「ウーッ、僕の心は狭いから姉さんの発言でダメージ受けました!」って騒いでるわけで……
怪我するからこの世から体育の授業を撤廃しようとか、知恵熱が出るから数学の授業を無くせとか、そういう事を元益田は言ってる……
わけじゃないだろ。
それと同じ。極端すぎ。
自分の心が狭い、ただそれだけを認めれば、それほど楽なことはないのにね。
http://www.jimin.jp/jimin/kanjicyo/2101/210113.html
Q.今年、総選挙があり、民主党が政権を取る可能性もあるということで、日頃より幹事長は、民主党に一度政権を任せるというのはとんでもないとおっしゃっていますが、民主党の政権担当能力についてどのようにお考えですか。
A.これはいささか疑問のところがあります。これまで主張されてきたことについて、必ずしも具体的な方向が示されていない例は多々あります。
例えば、農業対策として、戸別の所得補償をする、2兆円ほどお金を出すと言っていますが、それが本当にそういった政策が農業の発展のためになるのかということの詰めとか、どういうことで保障するのかということがはっきりしない面もあります。
それから、共済年金、厚生年金、国民年金の統合という問題もあります。まず政府与党としては、より類似している厚生・共済両年金を徐々に統合していって、しかる後にさらなる統合を検討しようではないかと言っているのに対し、個人、自営業を中心とする国民年金も一緒でなければならないと言っています。一緒にするということが、既存の労働組合等から受け入れられているということがまったく感じられませんので、反対のための反対で言ってみて、それから考えようという気配が非常に濃厚です。
それから医療についてもそうです。いろいろな知恵を出して、高齢者のためになる長寿医療制度、若い人の負担を増やさない医療制度を考えた訳です。もちろん、いろいろな欠陥があって修正したりすることは必要ですが、これに対して、前の老人医療制度に戻せば良いと言っていますけれども、8割の個々の高齢者の保険料を増額することになるし、肝心の市町村は、全市町村が反対と言っても過言ではありません。では、どのように全体的な高齢者医療の像が描けるのか全く回答なしに、ただ反対ということを言っていることも非常に不安です。
それから、最近の労働問題についても、ワークシェアリングというようなことも言っていますし、製造業での派遣労働禁止を言っています。景気回復する過程で製造業が中心になって、バブル崩壊後、派遣や臨時がかなり多かったですが、100数十万人の雇用を吸収した訳です。5.5%もの完全失業率が3%台まで戻したという過程では、派遣労働も非常に大きな意味があった訳です。製造業においても、そのような弾力的なことも考えなければならない訳ですが、これは全部禁止しましょうとか、あるいは仕事が減ったのだから、どうしても企業としては、労働時間の短縮、そうなると賃金にも手をつけざるを得ないという面が出てくる訳です。賃金を絶対カットしてはならないという連合側との調整ができるのかと考えると、観念論で今の大きな問題を次から次へと現状の政策を批判することによって、政権抗争をするということは決して望ましいことではありません。
責任を持って、政策、日本の社会を担っていかなければいけないのに、政権を取ってから考えようという姿勢が非常に目立つ。政府与党の評判が下がっているから、この期に乗じて、早く解散をさせて、政権を奪取しよう。そして、あらゆる政策は、行政改革も含めてこの後考えようと。ポリティカルアポインティを入れて、民間からどんどん行政の中に人を入れて、行政改革をするとか、天下りはすべてやめさせる、良いこともたくさん言っていますが、各論になったときにそれが政府として責任を持った政策として実現できるのかということが問われている訳です。マニフェストもあいまいなものではなく、選挙のときに、「これはこうします。あれはああします」ということをもっと明確にしなければ、私は非常に危ういと思っています。これはこんなはずではなかったということにもなりかねない面があると思います。何でも否定するのではなくて、切磋琢磨して、この方がよかろうということであれば、良い政策になっていくと思います。もっと本当は話し合って、年金の問題はこういう風に処理しましょう。医療の問題はこういう風に処理しましょうということでなければならないはずですが、そうなっていないことは非常に残念です。
つまり、野党側も今ここで妥協的な案を出すとかえってマイナスになるだろうということで、ただ元の医療保険制度に戻せば良いというような老人保険制度に直せば良いということだけ言えば、細かいことは皆さんに分かってもらえませんから。今より良くなりそうだというけれども、それを一つとっても良くなるどころか、悪くなるだろうと全ての首長が言っている訳ですから、1800の市町村長の意見を聞けば、元の制度に戻すことは全員反対です。それではやっていけないからです。したがって、そのようなことを一つ一つ詰めていかなければいけない。年金制度も先程言った3つの年金を統一するという基本方針は、既存の連合だけではなく、いろいろな関係者は、全員と言ってよいほど反対している訳ですから。そういったことを詰めていかないといけないということです。
言えば何時間でも話せますが、政治というのはそういう議論をもてあそぶだけではいけないので、まさに何をやるか、それを国民がそれぞれに分かって、信頼できるかどうかということが問題です。もちろん政府与党にも過去の年金問題など解決すべき問題がたくさんあるということは分かっている訳です。それが問われてきたということは大事なことですし、この野党の指摘に対して、一生懸命対応しているのも事実です。
だから、取り替えると良いことやるぞというようなムードだけで対応すべきでないと考えています。地方と都市の関係も危うい所があって、その辺も問題があるということです。法規制より自由な経済活動を保証するような考え方なのか、そうではなくて様々な規制を入れて、政府主導、官主導に逆になりそうな感じもあります。今の野党は、今までの自由に民間に任せるという方向への批判が非常に強いですから。それは批判して、どうするんだと。行政というのはそんなに強力に指導し、政が官を指導して、そして政と官で国民をより縛っていく考え方は実は古いのですが、そちらの方が好きな傾向を私は感じ取っています。今まで自由にしてきたからいけないとか、過度な競争をしたからいけないとか、そういう議論が出てきているのは心配しています。
使う時間を完全に失ってしまったらしく、「これで色々見てきて気分転換してみたら?」と譲られた
でも見たい場所などなく、何かを見たりしたりが劇的な気分転換になるとは思えないし、正直手に余る、かといって使わないのは非常に勿体無く
無い知恵を絞って精一杯考えてみても
・一日でどこまで行けるか試してみる
→ まず電車に乗り続けて疲れるだけになりそう、どこまで行けるかざっと計算してみたら終着点は東京かその近隣の県になるのが明らかだった、それってなんか面白く無さそう
→ 自殺などできないことを改めて分かった所で何か見つかるわけでもないと思うので却下
というつまらない発想しかできず、どうすべきか悩み続ける今日この頃、増田は何かオススメな使い道とかある?
ちなみに譲られたといっても何度か使用された形跡があります。たぶん残り2日分。質屋に売るのも、期限がすぐそこだから、無理。
粋とは言うものの人間そんなもんです。
30代既婚。幼い子二人。
ここ数年ゴタゴタ続きでちょっと鬱っぽい。
ネット依存気味で、このところ家事育児はあんまりちゃんとやってこなかった。それは認める。
学生時代から長年付き合って結婚した夫が、気に入らないと私を殴るようになった。
一番の理解者だと思っていたのに、まさか手を上げる人だったとは…。
正直、一度殴られて流血してってことがあったからもう相手を信じることなんかできない。
次は刃物でも持ち出されるんじゃないかって、そんな不信感が消えない。
だから、同じ屋根の下で暮らすのが恐怖だ。今は私一人家を出て、実家に避難してる。
私自身は子どもがかわいい。もちろん自分の手で育てたいと思ってる
夫も子どもはかわいがっているから、鬱で家事もままならない私に子どもを渡すわけにはいかないって息巻いてる。
夫の実家の人たちにはすごく大事にしてもらったっていう思いが強くて、できれば元に戻りたいとは思うんだけれど
私が経済的に自立していれば、そんなもんどーにでもなるんだろうけど
あいにく専業主婦…。
どうするべきか、まだなにも思いつかないのでとりあえず増田で愚痴ってみた。
どうかお知恵をお貸しくださいませ。
荒川:ポッドキャスト連動コーナー。週刊ミヤダイ。今週のテーマはこちらです。
荒川:年末年始、派遣切りされた労働者の方々が年を越すということで、日比谷公園に派遣村ができました。でも、派遣村じゃあダメだというお考えですね。
宮台:「だけ」じゃあだめだと申しましょう。「だけ」という言葉をつけておきましょう。
宮台:あるいは緊急経済対策であるとかですね、シビルミニマム、あるいはベーシックインカムを保障するための最低限の所得を保障する政府の再分配、こうしたものは全部緊急避難として重要ですけれど、結局、緊急避難でしかないのですね。長期的にまわる社会の経済や仕組みにつながっていなければ、結局それもできなくなっていってしまいます。
まず、根本的に考えなければいけない問題があります。キーワードは「グローバルガバナンス」というのですが、グローバル化に関係することなんです。
どういうキーワードかというと、さっき法人税の話をすこし話をしましたけれど、たとえば1960年代にドイツの税収に占める法人税の割合は40%あったのですが、今はEU筆頭のドイツですら16%に下がっているのですね。
宮台:つまり、BMWとか、シーメンスとか、ジーメンスとドイツ語で言いますが、こういう会社はもうドイツでは会社はお金を納めていないんですよ。資本が流出していて、税金の安いところに工場があったり、移転、いろんな支部があったりということがあるんですね。そうしないともう国際競争では勝ち抜いていけないというふうになっているんです。
荒川: ええ。
宮台:それでドイツでは法人税収入が下がってきた。対処してどんどん法人税を下げてきた結果、法人税収入は上がったんです。そうすると、実は、他の国々も「じゃあうちも」「うちも」というふうに法人税を下げて流出を阻もうとしますね。そうするとどういうことが起こるかというと、短期には法人税を下げることで工場・本社が戻ってきて税収は上がるけど、続かないんですよ。だってみんな下げちゃうから、最終的に。
荒川:ああ、はい。
宮台:結局、どういう方策しかないか。もうお分かりですよね。国際的に連携して企業からはこれだけ税金をとりましょうというふうにやっていくしかないね、という話になっているんです。
荒川:はい。
宮台:ただ、ここで重要な問題は、そうやって国内で税金を納める企業がいなくなって国外に出て行く、タックスヘイブンとまでいかなくても、企業にとっていいところで税金を納めているということは、そういう国国の多くは低開発国でしょ。そうすると、実はこれは所得の移転なんですよ。従来、南北格差として知られていた経済の格差が縮まる方向性なんですよね。だから世銀、世界銀行が出している統計なんかにもありますように、グローバル化がすすむとそうしたことも背景にあって、地代や労賃が安いだけじゃなくて法人税が安い低開発国に資本が流れて、そこの国の国富が増大するということがあるんですね。そして、いわゆる「旧南側」の国々は、グローバル化がなくしては国富は増大しないというこがあるんです。
荒川:ええ、はい。
宮台:そのことを考えると、グローバルガバナンスという観点、さっきのワークシェアという問題と同じ問題をはらむんですよ。簡単に言えば、「誰とシェアするんだい?」という問題。国内だけでシェアしていいのかという問題。そもそもそういう問題をたてるまでもなく、国内の労働分配率が下がっているというのは、南北格差が縮まるという問題“でもあり得る”のですね。
荒川:現に日本も、低い労働賃金ということを求めて中国だベトナムだとずうっと企業が移りましたよね。
宮台:そうです。あるいは逆に外国人労働者が高い賃金を求めて入ってくるということになりますよね。昔、労働力はあまり空間移動はしないものだというふうな前提のもとで資本が動いていたのですが、今はそういうことはなくなっているんですよね。そうすると、ワークシェアの応用の話になりますけれど、いままでのような一国の枠の中で見て、「政府は手当てをしろ」とかですね、「企業は派遣を切るな」「全部正社員にしろ」とかって言っているわけにはいかなくなってしまう。だって企業が逃げてしまったらもともこもなくなってしまいますよね。
荒川:そりゃあそうですよ。グローバル化っていうのはそういうことですもん。日本だけじゃなくていいんだと、安い労働力を求めて日本を離れますものね。
宮台:もちろん右翼としてのわたしは、そういう人を「売国奴」として批判してもいいんですよ、日本から出て行ってしまう人たちをね。でもそれはムダでね。なぜムダかというと、だって倒産したらもともこもないです、企業は。雇用されている人も含めて。なので、競争から勝ち抜く必要から、これは望むと望まざるとに関わらずそうしないではいられないという企業の原則もあるのですね。
荒川:よくわかります。ただ、しかし、国内から逃げてしまうということになると、今度は日本の国内にいる労働者はどうすればいいんですか?
宮台:…そういうことなんです。
荒川:…。
宮台:だから、さっきのワークシェアの応用問題と考えるしかなくて、自分たちの労働分配率が下がった、と。「これはグローバル化のせいだ」「グローバル化がいかん」と話をするのは一方的なんですよ。そうじゃなくて、グローバル化である種の所得の再配分が進んでいるという“面”もあるんですね。だから自分たちが良ければいいという話じゃすまないというのがさきほどテレフォンにもありました。この発想を柔軟に広げていって、その上でグローバルガバナンスということを言わないと、「みんなで国際的に協調しましょう」と言っても「うちはこれだけのパイがあってこれはもう譲れないんだよ!」とかいい始めるともうにっちもさっちもいかなくなっちゃうんですね。
荒川:うーむ。
宮台:だから、ここは我々のある種の“賢明さ”が問われる場面だというふうにも思われます。
荒川:となるとですよ、派遣というところでいけば、派遣村「だけ」じゃあダメだとい今日のコーナーのテーマなんですが、じゃあ派遣禁止ということで正解が生まれてくるのか?
宮台:生まれませんね。細田官房長官もあるいは御手洗さんも仰っていたように、企業は逃げます。間違いなく逃げちゃうんです。なので、そこはそれなりに愛国心を持ってもらいたいなという思いもありますけれど、基本的に国際競争に勝てるようなどういう仕組みを、しかし社会の保全と両立するようにたてるのか、と。たとえば、公共投資の使い方、財政出動の使い方をはじめ、さまざまなセーフティーネットの張り方、あるいは所得を再配分するときの頭数の数え方、いろんなところで知恵を絞って、少ないパイを“合理的に”わけるというふうにしなければいけない。少ないパイというのは国内だけじゃなくて世界中全体の、グローバルな問題なんですね。なので、「グローバルガバナンス」がキーワードなんです。そのときには、我々のような、別に利己的という意味ではないのですが、ある種のアタリマエさ、自分のことを考えるのはアタリマエという発想では、実は解決がつかないんですよ。
荒川:ただ、緊急避難的な対策にはつながらないかと思いますけれど、日本の労働力の問題、あるいはコストの問題で、外に行った企業、だけど製品の品質が落ちてしまったということから、日本に戻ってきている企業がどんどん増えてきているんですよ。
宮台:だから、経済の流れとして言うと、VTRからDVDへとよく言いますけれど、昔はプラントを輸出しなければならないような技術が重要だったんですが、今はコーポーネンツ、つまりアセンブリー産業になっているんですね。いろんなところで作られた部品を単に組み合わせて作ればいいという作業になっている。自動車もそうですよね。インドのタタ自動車が15万円で乗用車を出しました。これもDVDとかパソコント同じように自動車を作ることができるということを世界に示しているわけですよね。もちろんそういう中で、トヨタのように、人こそが資源だということで優秀な人材だけを集めてものすごい付加価値の高い車をつくるというやり方もありますが、そういう車は高いので所得が高い人にしか売れないわけですよね。そうすると市場を当て込むことができませんので、トヨタもどの会社もいずれにせよ、アセンブリー産業的な側面を抱え込んでいく以外に生き残ることができないんです。
荒川:うーむ。
宮台:そうなると、グーローバル化にむしろふさわしい適応形式ということになっていくんですよね。
荒川:ということは、グローバル化ということからもう目をそむけることはできないわけですね。
宮台:できませんね。
荒川:グローバル化ということを認識した上で、じゃあ次の産業とはなんなんだと、これを模索することが。
宮台:だからさっき強啓さん仰ったように、いまだったら技術水準下がるというふうにまだ言えるかもしれないけれど、プラントが世界中に輸出されているので、それぞれの昔の低開発国といわれるところでも、高品質の商品を、生産材ですけれど、作れるようになってきている。
荒川:なってきているんですね。
宮台:そうすると、昔の「先進国」という言い方がもっているアタリマエさは、もう通用しないんです。
荒川:うーむなるほど。次へのジャンプが新しい労働力、それから仕事のクォリティ、それを政府というか、国全体でそこを探さなければならないと。
宮台:そうです。という時にアメリカのオバマさんが大統領になるのはとてもいい兆しです。
荒川:はい。社会学者宮台真司先生でした。どうもありがとうございました。
宮台:ありがとうございました。
ちょっと調べたら、出るまで一年半くらいかかるんでしょ。
うちの妹の場合もどうなるかまだわからないが、少しでも介護の足しになってくれればと思う。
今俺が住んでるとこって大きな病院があるせいかもしれないが、
一概には言えないかも知れないが、知恵遅れっぽい人って、言動がほんと「子供」なんだな。
40才の体に小学生の魂が入ってる感じ。
そう考えたら、彼らの言動がにすごく納得がいったことがある。
まともに接したことがあるわけじゃないから、
「子供」なら「子供」としてのコミュニケーションがとれるかどうかはわからないけど。
>両親が死んでから妹の口に自分が耐えられるかどうかが問題かなと思っている。自分の小ささが嫌んなるよ。
うまい言い方ができないんだが、
相手が「子供」だと思ったら、そんなにムカつかなかったりするじゃん。
外見に惑わされず、妹さんの精神年齢にあわせてあげるのがよさそうだな・・・。
まあそうも行かないのが肉親だったりするんだが・・・。