はてなキーワード: 皇軍とは
大学で第二外国語に中国語を習って以来、ここ数年間語学の練習を兼ねて定期的に台湾香港の掲示板(向こうでの2chみたいなとこ)を見てるんだけど、最近の傾向として日本のネトウヨみたいな台湾人香港人が増えてきている気がする。
ネトウヨってのは現地版の右翼じゃなく、大東亜共栄圏の肯定とか南京大虐殺の否定とか本当に日本のネトウヨと同じ主張。
https://lihkg.com/thread/1504039/page/1
例えばこういうのが例で、南京大虐殺ってほんとなの?というスレタイに対して、六四天安門で誰も死ななかったって言う共産党の言うことを信じられる?、支那豚30万殺しただけじゃ少ない、支那人が大東亜共栄圏を邪魔したから皇軍が鎮圧を強いられたのだ、みたいなコメントが付いている。
中国語読める人なら原文読めば分かるけどこれ日本やネトウヨに対する揶揄じゃなくて、むしろ中国を揶揄して貶してる。
そういう人たちは基本的に反中ナショナリストなので、敵の敵は味方とばかりに日本のネトウヨと共鳴するのかもしれん。
あー中国が発狂して沖縄の米軍基地に核ミサイル撃ち込まないかなー
そんで米中戦争が勃発して中止になった東京オリンピックの代わりに自衛隊の戦いぶりをテレビで観戦したい。
スポーツの試合なんぞとは比べ物にならない真の我が国の代表による我が国の誇りと民族の存亡を賭けた戦いに全身全霊で声援を送りたい!!
俺自身もうちの子もまず兵隊には取られない歳だから(先の大戦末期レベルの徴兵でもたぶん大丈夫)自衛隊員さんを応援するだけの立場でしかいられないのは本当に残念だ。
うちの子「じえいたいさんがんばえー。しなにまけるなー」
俺「ええぞ! 暴支膺懲や! 皇軍から逃げ隠れするだけの匪賊だったころを思い出させたれ!」
もしこのまま第二次世界大戦が日本が参加した最後の戦争になったら、人類史の終焉まで我が日本国と大和民族は『最後の戦争』に負けた負け組扱いされるんだよな……
百年後ぐらいに世界政府が樹立されて、ついに人類は国家と民族の壁を超えて手を取り合って宇宙への進出を果たし、テラフォームされた火星か、スペースコロニーか、はたまた恒星間移民船で、俺の夜叉孫あたりの子孫が、中国系に
「君のご先祖様は地球のどの地方で暮らしていたんだい? ニホン? ああ、前千年紀の終わり頃に起きた最後の世界大戦で世界征服を企んで滅びた悪の帝国か。キミは負け犬の末裔ってわけだw」
と馬鹿にされ続ける未来を想像する度に惨めで辛くて悲しくて胸を掻き毟りたくなる。
だから、真の世界平和が実現する前に、あと一回だけでいいから日本が戦争をして勝って欲しい!!
本当はね、台湾に武力侵攻した中国海軍を米軍・台湾軍と一緒に自衛隊が追い返して、その後しおらしくなった中国が台湾併合を金輪際諦める、程度の武力衝突がベストなんだけど(海上自衛隊員に少し犠牲が出るだけ)、最悪、沖縄の米軍基地に核攻撃までは容認する(攻殻機動隊がそんな設定だったっけ?)。
うちは結構近いところに家建てちゃったから、そうそう引っ越しできないんだ。
アメリカはこのまま武力を除くありとあらゆる嫌がらせを中国がキレるまで続けて欲しい。
ちょっとだけ出てる話みたいに、中国の特許権を無効にするとかまで踏み込んで欲しい。
トランプ「なにぃ? ファーウェイの技術が無ければまともな5Gができないぃ?
ならばファーウェイのハードもソフトもリバースエンジニアリングしまくれば良かろう。アメリカおよび同盟国にある中国企業の資産は全て接収したから好きなだけコピーするが良い!
これは知的財産権というものを理解しない海賊どもに対する正当な賠償であるので何ら恥じることはないッ!
この『経済制裁』を解除して欲しくばGoogleとFacebookとTwitterの中国本土での自由営業を認めて俺様のツイートを14億人民が拝めるようにせよ(もちろん呑めない要求なのは知っているゾ。HAHAHAHAHA!!)」
そりゃ、当時の大日本帝国にあっては、直接的に皇軍に加わりアジア諸国を侵略したわけじゃなくとも、多かれ少なかれ悪事に加担はしていただろう。
工場勤務の青年は、他国を侵略する兵器を作っていたかもしれない。銃後の婦女子であっても、息子や夫を戦地に送り出して侵略の片棒を担いでいたかもしれない。軍人とは縁遠い教師が、軍国主義を子供たちに吹き込んでいたかもしれない。
あるいは生まれたばかりの赤子であっても、その子に乳を含ませた母親は、植民地から収奪してきたコメを食べていたかもしれない。とすればその赤子の幸福もまた、植民地の人びとの血と汗の上に成り立っていたことになる。
『この世界の片隅に』で主人公が泣き崩れるシーンを想起されたい。あのシーンは、自分たちの「平穏な日常」が植民地からの収奪の上に成り立った「暴力」であると気づくシーンであり、主人公に自覚していなかった「責任」を突きつけるシーンだった。
そういう意味で「無辜の人々など本当に存在したのでしょうか?」という問い自体は正しい。が、同時に、その問いを「この文脈で」持ち出すのは間違っている。
第一に。なるほどそういう意味で「責任」はあろう。だが、それは核の炎で焼かれても仕方ないほどの「罪」なのか。
ホロコーストを計画・実行した連中だって、生きたまま焼かれはしなかった。ニュルンベルク裁判で死刑宣告を受けた死刑囚たちは、どれだけ残虐なナチであろうと絞首台に吊るされる程度で済んだ。
それなのに、戦争犯罪や侵略を命令したわけでも実行したわけでもない、せいぜい「喝采を叫んだ」「止めなかった」「のうのうと暮らしていた」程度の人たちが、あんな殺され方をしていいのか。
罪には軽重というものがあり、罰はそれに応じたものであるべきだろう。
被抑圧者の膏血を絞って暮らしていたことに対して、下の世代から糾弾され反省を迫られる程度のことは受け入れるべきだ。でも、原爆で焼き殺されてもいいなんてとても思えない。
第二に。その論理を敷衍していくとヘイト野郎やテロリストどもにお墨付きを与える結果になるだろうが、それでもいいのか。
たとえば現在の中華人民共和国による少数民族への迫害に、中国人民は責任を負っている。外国に観光旅行に出かけるような都市部の裕福な人びとの暮らしを支える資源の一部はチベットから収奪してきたものだし、彼らの享受するテクノロジーは新疆でウイグル人を監視することによって発展してきた側面もあるし、彼らの抱くチベット人やウイグル人への偏見は政府による民族弾圧を側面からアシストしている。
では、彼らには迫害や弾圧への責任があるから、秋葉原で楽しく観光しようとしたときにヘイトスピーチを浴びても仕方ないと、暴力的なデモによって威圧されても仕方ないと、そういえるのだろうか。あるいは、だからテロで殺されても仕方ないといえるのだろうか。
アメリカは悪の帝国だから、その経済的中枢にあるニューヨークの人びとがビルに突っ込んだ飛行機に殺されても正当性があることになるのか。イスラエルはパレスチナを侵略しているから、イスラエルの空港で銃を乱射して民間人を虐殺しても正しいといえるのか。
世界貿易センタービルにいた人びとは、アメリカ帝国主義による他国への侵略や経済的収奪に責任の一端を負っていた。ロッド国際空港にいたイスラエル市民は、イスラエルの植民地主義に加担していた。だから彼らは崩れ落ちるビルに巻き込まれても仕方なかったのか。だから彼らは自動小銃で撃ち殺されても仕方なかったのか。
無辜の人々など存在しない。現に私たちは今も外国人技能実習生の汗と涙で育った安いレタスを食べ、ブラック企業にすり潰された人々の血で染まったシャツを着て、過疎地に押し付けた発電所から電気を供給されて暮らしている。現代日本で豊かな生活を送る私たちには責任がある。だがそれは、私たちが惨たらしく殺されてもよいことを、決して意味しはしないのだ。
大事MANブラザーズバンドを聴くとどうしても皇軍を思い描いてしまう
首相夫人付職員が、旅費法に定める旅行命令の発令なしに出張することを、職員本人が自ら判断したとか
夫人付職員が、わたくしに知り合った人間からの問い合わせに対し、
勤務時間内に職場の電話を使って問い合わせをして職場のFAXから送ってもそれは職務ではなく、かつ職務専念義務違反でもなく、
つぎつぎに弥縫策的答弁を閣議決定していることは話題になっていますが、
森友学園の土地取引の詳細について、「法令にしたがって適切に処理している」が典型的ですが、
加計学園の獣医学部設置を認める今治市の国家戦略特区認定に関して、森ゆうこ議員への答弁がとてもひどかったのです。
これは経緯がわからないとひどさがわからないので、話題になりにくいとは思うのですが、
ちゃんと説明できないのであれば、今後の政府が出してくるペーパーについての信頼性を大きく損なうものでした。
これまで、獣医師には人員の偏在の問題はあるものの(医師が田舎に行きたがらないのと似ている)人員不足ではないとして、
獣医学部の新設は不要とされてきたほか、安倍政権以前にも加計学園は構造改革特区に15回提案して、15回とも落ちている。
しかし鳥インフルエンザなどの畜産等に影響を与える獣医学部の新設を可能とする国家戦略特区認定をすることと安倍総理が判断し、
地域選定がワーキンググループで話し合われたが、そもそもは地域を限定した公募ではなかったので、
ここ最近、鳥インフルエンザ研究などバイオサイエンス分野に力を入れている京都産業大学、新潟薬科大学も公募するつもりで準備を進めていた。
しかし、ワーキンググループの会合で、獣医師の偏在が問題だから空白地帯に限るということになり、
採択理由は加計学園の提案のほうが熟度が高かったからとされたが、加計学園の提案書はA42枚。京産大の提案は21枚。
公募期間は2週間。当然、今治で計画してきた加計学園だけが公募し、選定されることとなった。
その一方京都産業大学の提案書、ヒアリングの議事録については、他の事例ではすぐ公開されるのに、公開せず、外部からの指摘により
ようやく公開したが、加計学園の提案にくらべ、はるかに具体的で、研究者資源の面からも充実していると見られるものだった。
さらに、この決定がいつ下されたのかについて、山本有二農水大臣、山本幸三特命大臣、松野文科大臣が3大臣合意をして、
パブコメで否定的な意見が多く、日本獣医師会からも反対声明が出たため、
1校に限ると3大臣で合意して決めたと答弁したが、桜井充議員が、内部情報で、会合や資料作りなどはしていないと告発を受けたため、
合意に関わる文書、ならびに会合等の議事録の提出ができるかと問われたところ、文書はないから出せないといわれた。
その後山本有二農水大臣が12月22日に持ち回りで署名したと答弁したため、
桜井充議員、森ゆうこ議員がじゃあその合意文書、稟議書を出せといったが
なかなか出てこない。やっと4月4日に森ゆうこ議員に提出されたわけです。
もし本当に12月20日に合意文書を作成したというのならファイルのプロパティをみせろと要求し、
理事会に諮ったらそれを理由に書類を出さなくなるから松本副大臣の責任で見せて欲しいと要求し、
松本内閣府副大臣が前向きに対処することを約束したところまでが、背景。
18分30秒ごろから
「その結果といたしまして、そもそも行政文書は国家公務員がその職務を遂行するに当たりまして法令等に基づき、
適正に作成、保存しているものであり、これに違反した場合には懲戒処分など、さらには公文書偽造などに該当することになるなど、
その真正性については制度的に担保されているということ、またその真正性を証明するために、
逐一電子ファイルのプロパティデータ等にさかのぼって確認することを要求されるとすれば、
行政サイドとしては、対応ができないとのことで内閣府の中で結論を出させていただいた。」
公務員が作った文書を偽造すれば公文書偽造に問われるから、その真正性は担保されているし、
国会議員が見せろといっても電子ファイルまでみせるまでもないってんですからね?
全部見せろって言ってんじゃなくって、合理的に疑いがもたれる(今までないっていってたものを突然出してきた)ものを
公文書偽造の疑いがあるから、本当なら確認させて、っていったら
偽造したら罪に問われるから大丈夫だって大本営発表かって話ですよ。
追記
修正するのもめんどくさいのでご勘弁を。
これはほんとに推測だから書かなかったけど、
多分桜井議員や森議員は、3大臣が合意してきめたんじゃなくて、
国家戦略特区の議長である安倍総理が加計学園の今治に決めたんじゃないかと疑ってると思うんですよね。
なぜなら告示が総理名、類似事例の国際医療福祉大学では関係大臣の連名署名文書がすぐ出ていたこと、
ワーキンググループのメンバーが八代さんとか竹中さんで、獣医学部の新設のためにどうすればいいのかについて
さらに山本幸三が一旦、山本有二農水大臣、松野文科大臣と話し合った記憶はないと口走っていること、
だから何度も分掌されているのかについて質問したり、合意文書の真性性にこだわってるんだと思う。
まぁそこまでいくのは無理だと思うけどね。
口振りからして、仕送り止めるまではバイトもしてなかったんだろう。
今まで甘えてきたのに突然仕送り貰ってる奴等を非難して敵視し始めるだろ。
何より一番悪いのが、夢をかなえるためのパスが
でも、「いい歳なのに仕送りをもらっている奴らには絶対負けない、そうでなくても夢は叶えられる」と思うことで、戦っていけてる。
そんなことでしか戦っていけないの?
なんかおかしくね。
おっさんな、
「辛い環境で頑張ってるんだから辛くない環境のやつには負けない」
みたいなこと言ってる奴がいい方向に進んだのを見たことない。
そういうこと言い出す奴はみんなバカだったもん。
精神論言い出す奴は必ず頭悪いし、更に悪くなっていくんだ。
日本軍が
「わが皇軍は乏しい補給を糧に大和魂で頑張っておる、補給の潤沢な甘えた米軍に負けるわけ無し!」
って言ってたらダメだと思うだろ?
戦争に勝つか負けるかはそういうことじゃなくて装備や作戦の技術レベルで決まるし、
お前にまともな戦略があるなら「仕送りの有無」なんてことを勝ちの根拠にはしないんだよ。
単なるケジメとか家庭の事情で仕送り止めるんなら別にいいんだけどね。
お前は仕送りを止めた事実にすがってるように見えるからなんかヤバい。
仕送り貰ってでもその夢をかなえる日を近づけることの方が親孝行じゃないか?
逆に言えば
お前は夢がかなうのか自信なくなってきたから仕送りを止めたんじゃないか?
「強制だから慰安婦制度は性奴隷と言って勝手に抗議しよった。これが皇軍か。皇軍は人権がなくても合法と見なさなければならないのだ。当時日本が批准した条約に合致しない、やれ休業の自由や廃業の自由がない、合法な自由売春ではないなどは日本正当化を放棄する理由にならぬ。刑法上の誘拐に該当する行為には無視が有るじゃないか。スマラン事件や中国の事案は日本自ら重罰にしたと捏造するんじゃ。給料に関しインフレの件や送金や貯金の規制で本国に送れず受け取れなかった件は表面上の金額だけ取り上げて高給だったと強弁しろ。軍票での支払いの場合換金不能だった件は皆同じだったで済ませろ。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神道政治連盟が守って下さる…」
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、
その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」
2「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、
3「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、
仕方なく慰安所に行ったんだ」
4「満18歳になったある日、男がやって来て、
5『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、
1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』
黄さんは話芸でメシ食ってる感覚だと思う。
(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
松井稔監督の『日本鬼子(リーベンクイズ)』を観る。東京ではユーロスペースで大ヒットした作品だ。これまで観る機会がまったくなかったわけじゃないけど、往年の日本兵士たち(つまり老人たち)のインタビューだけで構成された三時間近くの作品と聞いて、正直に告白すれば、これまでどうしても食指が動かなかった作品だった。でもせっかくの機会だから観た。退屈だったら途中で退席すればいいと思っていた。会場のシティホールはほぼ満席。結論から書けば、僕は最後まで座席に釘付けだった。まさしく一歩も動けなかった。
戦争時、虐殺行為を働いた兵士たちの証言はこれまでも何度か聞いたことがある。でもそのほとんどは、同じ舞台の兵士がやったという目撃談か、上官に命令されて仕方なく……式の証言がほとんどだった。つまりは傍観者であった(制止できなかった)自分を悔いるか、加害者でありながら戦争という構造的な狂気の被害者でもあるというエクスキューズは残されているのが常だった。しかし『日本鬼子』に登場する元日本兵たちのほとんどは、まさしく虐殺の命令を自らの意思で下した上官か、そうでなければ実際に手を血で染めた兵士たちだ。まずはその身も蓋もないほどの事実に圧倒された。
中国の村を襲い、略奪と村民全員の虐殺をはかった兵士の証言が出てくる。家の中で幼児と共に震えていた若い妊婦を見つけ、レイプしようとしたが抵抗されてかっとなり、妊婦の髪を摑んで家から引きずり出して、井戸の中へ叩き込んだという。泣き叫びながら井戸の周りを走り回っていた幼児が、家の中から椅子を持ってきて井戸の脇に置いてよじ登り、母親の名を呼びながら中を覗き込もうとしてつるりと滑り落ちた。その一部始終を眺めていた彼は、部下に命じて井戸の中に手榴弾を投げ込ませた。
目撃談ではない。命令されて仕方なくの行為でもない。証言する彼が、まさしく自分の意思でやったのだと断言した。
「中国人を同じ人間とはどうしても思えなかった。何故かは分からない。でもとにかく、人間を殺しているという感覚は全然なかった」
登場するかつての皇軍兵士たちのほとんどは、そうつぶやいた。七三一部隊で中国人捕虜たちを材料に様々な生体実験を率先してやったお爺さん。南京で何十人も虐殺して河が紅く染まったと証言するお爺さん、捕獲した民間人を中国軍のスパイだと決めつけて拷問の末に片っ端から銃刀で突き刺して殺したお爺さん、中国娘をレイプした後に虐殺してその肉を部隊全員で食べたお爺さん。たくさんのお爺さんたちが、縁側で、茶の間で、ホテルのロビーで、診療所で、午後の柔らかい日差しに包まれながら、蝉の声を聞きながら、訥々とそう告白する。
慟哭はない。嘆息や逡巡や絶句すらほとんどない。松井監督はそんな要素をすべて削ぎ落としている。作品としての評価は分かれる部分だと思う。僕がもしこの作品の編集を担当したとしたら、インタビューの内容よりもむしろ、お爺さんたちの話の合間に生じるそんな余白に興味を持つだろうし、カットとしても最優先するだろう。そもそも彼らへのインタビューの交渉そのものを素材にしていたかもしれない。
しかし結果として、そんなニュアンスを徹底的に削ぎ落としたインタビューは、これ以上ないほどにグロテスクなものになる。「内臓がドバーッと出てきましてね」と苦笑混じりに語るお爺さんを眺めながら、彼らは殺人鬼でもないし血に飢えた狼でもないと客席の隅で僕は歯を食いしばりつづける。親を敬い初恋に胸を焦がし子供を愛し、笑ったり泣いたり、憎んだり赦したりしながら、戦後の半世紀以上を市井の片隅で生き抜いてきた人たちなのだ。だからこそ考えなければならない。優しく穏やかな僕たちが、そんな残虐さを何の躊躇いもなく発露することがあることを、僕らは自分たちを主語として考えねばならない。
右の人も左の人の主張もネットに溢れているけれど、
大抵ステレオタイプな主張になってしまう感じがある。
たとえば、
「米国の世界制覇に対抗すべく 共産主義の名の元に日本国は再軍備せよ」という左翼とか
「南京事件は、我ら皇軍の陛下の御名を汚した罪で全員謝罪せよ」とかいう右翼とか
そういう人ってみたことない
(もし、いたら教えて欲しい)
どうして、右だの左だの、思想を選んだ人の考え方がステレオタイプになるのか?が激しく謎。
1.一種のポジショントークだから、しょうがないのか?
2.人が思想を選んだとき、人の考え方はどうしてもそういう方向付けをとってしまうものなのか、そういう力学が働くものなのか?
どうなんでしょうねえ。
>彼らが任官したとき、上司も部下もみんな「旧軍関係者」なんです。
>にもかかわらず、20代のそこそこの若者が、周りが旧軍出身という環境で、
>自称「大先輩」にそれを面と向かって言ったという、その勇気と気概が痛快で
>見事なわけで。
「面と向かって」というのはさすがに嘘臭いな。
防大初期の人間にそういう意識のものがいた、というのは聞いた事があるけど。
随分と話を膨らませていないか?
>隊内のいわゆる「むかし防人、いま自衛隊」ちゅうたとえは、そこから来たわけで。
これもなんか嘘臭い。
2009/4/7の読売新聞の論点にて元陸将が田母神論文批判を書いていた。
だいたいこんな内容。
●(田母神さんは)自衛官が命を捨てる国防の根拠を「侵略の過去を持たない良い日本の歴史」に求めているが、
交戦国は互いに異なった正義があるのは世界の常識で、日本の主張だけを正義とするのは客観性に欠いている。
●自衛官の決意の前提(文のまま)を「良い日本の歴史」とするならば、歴史の評価が定まるまで
●今の日本を見れば、政治も道徳も決して良い日本とは言えない。それでは「良い日本」が存在しないから、
自衛官は命を捨てる国防の決意を持たないことになるのだろうか。
●自衛官が国防を決意する根源は歴史でなくて、「自分の国は自分の手で守る。主権者には国防の義務がある」と言う
●私も在職中に政治決定への反論を考えたことがある。だがその都度、先輩から「軍人は所詮職人だよ」と諭されて受け入れてきた。
組織のトップがこのルール破れば、部下はそれに倣って勝手放題の行動を取るかもしれない。
己の所信に忠実ならんとして、組織を省みないのはトップではない。
●軍国主義華やかなりしころの軍人は今の自衛官に比べて遥かに自由であったことと思われる。
だが一部の現役将校たちは、専門外の軍事以外の分野に発言を求めだし、クーデターも純粋な青年将校の行為と主張したのではなかったか。
http://kakisyann-kaisou.seesaa.net/upload/detail/image/001-6e6f8-thumbnail2.jpg.html/
でもってそれに関するネタを2ch軍事板で探してたらこんなスレを発見。
694 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 00:52:06 ID:???
読んだ香具師いる?
696 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 11:32:05 ID:???
ああ、読んだよ。
至ってまともなもんだよ。
戦中派とか厖大10期ぐらいまでは、組織人としてごくまともで、非常にラディカルでバランスのいい
方々が多かったなあ。
ところが俺が厖大にいた頃に冷戦構造が終わり、さてこれから日本の防衛をどうするべきかって
学生なりに真剣に考えていたところに、タモさん世代は混乱して、なぜか皇軍に「原点回帰」しちまった。
講話とかで平気で旧軍を「先輩方」と言ってしまう神経には、呆れたものだよ。
自分たちの存在意義や使命感を半世紀前に求めるって、どんだけよ?
ああこういうバカな司令官になっちゃいかんのだなと、その時みんなで思った。
ちなみに厖大一桁は、旧軍の将軍を「諸君の先輩は」と言った旧軍将官に対して
といって、新たな国防の担い手であることを高らかに宣言したという逸話がある。
隊内のいわゆる「むかし防人、いま自衛隊」ちゅうたとえは、そこから来たわけで。
705 名前:696[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 12:54:42 ID:???
「先輩なし」というのは、表面的につながっているとか継承された部分があるとか、
本質はそういう話じゃないと思うんですよ。
彼らが任官したとき、上司も部下もみんな「旧軍関係者」なんです。
にもかかわらず、20代のそこそこの若者が、周りが旧軍出身という環境で、
自称「大先輩」にそれを面と向かって言ったという、その勇気と気概が痛快で
見事なわけで。
もっともこの勇に至ったのも、当時講話なんかを旧軍関係者がすると、平気で
当時の海軍や陸軍の礼装で来きて、ひたすら武勇伝を宣う、今で言う「KY」な
負け戦しといて、軍装して自己弁護とは、なんのこっちゃと。
こりゃあ、指揮官がこんなのだから戦に負けたんだなと思ったんだろう。
井上成美は、こういう連中に「恥知らずが!」と激怒した話があるらしいけど。
706 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 13:51:56 ID:???
なるほどね。そういう背景があったんですなぁ。
了解しました。
昔の自衛官はえらかったんだねぇ。
むしろ我々もみならわなきゃいかんね。
720 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 16:38:45 ID:???
>井上成美は、こういう連中に「恥知らずが!」と激怒した話があるらしいけど。
当時は蟄居して自伝書いて印税を部下の遺族に渡してたんだっけ?
そりゃ恥知らずって怒るのも判る気がする。
そもそも敗軍の将が平気で兵を語ってるんだからな
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1239170839/
はるかに年下の若造が、大先輩に対して「我らに先輩なし!」と言い切れてしまうその若さと気概にちょっと震えるくらいの感動を覚えた。
2009年現在の皇軍の一員かつ、一人の国民としては「I feel like I'm kind of responsible for that war」ではなく、「I feel like I'm kind of responsible for the war coming」だね。
あれは対外関係においてはなるだけ償却された事だと僕は思うけど時代の特異性で済ますのはつまらない。そう思いたがる航空事業本部長がいましたげど・・・。
普遍的な再現性があるから怖い。こいつは9番目の理なんかじゃ始末できないと思う。地政学的な幸運をドクトリンにすり替えるのは困る。
僥倖に頼るのは止めよう。僕らは同じお盆の上に置かれている。
そういえば「河豚計画」ってなかったっけ?
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
「ソ連に北海道を取られてたくらいなら、2つ3つ都市が灰になって100万人死んだほうがずっとマシだった」という本音を聞かされて、「一般市民の命を何だと思っているんだ」と思うのと同時に「スターリンに対する憎しみはそれほどまでに強いのか」と思わざるをえないよねって事、が、わからない人には全然わからないだろうな~と漠然と思うだけ。
だってさ、大本営がポツダム宣言受諾して無条件降伏した「決定打」って、1にも2にも8/9のソ連対日参戦じゃん?原爆投下はその「要因」に過ぎないわけよ。ソ連軍さえ満州国境を破ってこなければ年内は戦うつもりだったのだよ?まさか、これ以上一般市民が虐殺されては堪らないから白旗揚げました~なんて本気で思ってんの?東京大空襲の次の日も沖縄守備隊全滅時も降参しなかったのに?アメリカの原爆投下に焦った強欲糞馬鹿ヨシフが日ソ中立条約を一方的に破棄し、背後から騙し討ちのように即軍事行動を起こしさえしなければ無敵の皇軍が負ける筈が無ぇんだっつーの嗚呼忌々しいアカ野郎貴様如きが偉大なる我らがファンファン大佐意識してんじゃねぇょ死ね死ね死んでしまえ千島樺太は全部俺のモンだコンチクショゥうんこプリッ