はてなキーワード: 白鯨とは
おお、はあちゅう。君は僕のミューズ。美術館に囚われし姫。白鯨の住む大海原を優雅に泳ぐ人魚姫。清らかな、泉のような流れに逆らい、君を辿ればあたりは異臭。水は目に見えて濁りゆく。あたりは糞尿まさに下水。たどり着く先は便所小屋。きっとそこは、君が見たアンモニア香る素晴らしい景色が広がっているんだね。
おお、はあちゅう。君は知っているか。桜の樹の下には屍体、枝の先には熟れに熟れた実がたくさんたくさん実っていることを。傍ら君は、満開のサクラ色めくサクラ通りを、電気仕掛けの華やぎで演出することに勤しんでいたね。知ってるよ。その下にも屍体が埋まっているんだ。君はその屍体を、屍体たちの透明な苦しみを、海の巫女として色めく言の葉にして拡声器に載せ、またたく間に大海原をその言の葉の色で埋め尽した。ほんとうに圧巻だった。
おお、はあちゅう。君がその傍らで、手に取り玩んだのは、大海原に映った桜の実の影だろう。それが象徴する苦しみは限りなく透明に近いブルー。チェリーの記憶を持つものにしか真っ赤に見えない。おお、はあちゅう。僕はその色のない影に、色を、限りなく目立つ彩色を試みたんだ。おお、はあちゅう。君はやっぱり気づかなかった。僕は、君の知らないところで大海原に流れ薄れ溶けて消えていくその悲しみをぼんやり眺めていたんだ。
おお、はあちゅう。君は清らかな海の巫女。君を取り巻く警備員が、拡散された言の葉の色の濁りをたしなめたね。それは僕の、僕たちの悲しみの色だったんだ。おお、はあちゅう。君は眩しい。目を覆わんばかりさ。君と僕たちが生み出す摩擦は火花を放ち、みるみる海を漂う言の葉を真っ赤に染め上げた。
おお、はあちゅう。君は炎の歌姫。君の鎮魂歌は虹色の原油。おめでとう。君は油田を掘り当てたんだ。いつ海の奥底で地盤が動いたのかはしらない。たまたまそこから溢れたのが糞尿まみれの原油で、本当にたまたま君の真下だったんだ。君は、限りなく透明に近いブルーだったチェリーの悲しみが誰の目にもわかる熟れた警戒色に変わったのは何時?と歌う。コウモリのように、君を断罪する理由が黒い灰になって宙に舞い、空を覆い、世界は太陽の光を失いほの暗くなった。悲しみと怒りと煽りが雑じったショッキングピンクのグラデーション。超音波、高音波、波と波がうねりぶつかりくだけ、大荒れが君の歌声を掻き消す。灰色が充満する世界で炎に照らされた君。おお、はあちゅう。君は、もう、真っ黒。
おお、はあちゅう。クー・クラックス・クラン、ナチス・ドイツ。君もすっかり差別主義者。信じられるかい。君たちは、かつて私を悪から守るヒーローだったんだよ。黒人、ユダヤ人、童貞。その他、たくさんの悪を教えてくれたね。私は彼らを人間と思わず、ムチで打ち、十把一絡げに大量虐殺したんだ。でもね。海の底で地盤が動いたんだ。こくじんはにんげん、や、ゆだやじんのくるしみ、そして、どうていのかなしさ、は鮮やかに色づいたんだ。一方、クー・クラックス・クランの白衣は黒衣に。カッコいい正義の軍団ナチス・ドイツは糞尿まみれになった。はあちゅうは真っ黒。海の底の亀裂から海上に、吹き出した糞尿臭い原油の黒さは、君たち差別主義者を見分ける目印さ。
おお、はあちゅう。君は知っているか。ライトポリティクスのナイトが存在することを。誰かの祈りの言の葉に呼応して、どこからともなく現れて、海の底を伝説の棒でぶっ叩くのさ。おお、はあちゅう。君が悪いのさ。まさか糞尿くさい原油溢れる亀裂の真上に君がいるなんて思いもしないじゃないか。君もびっくりだろう。でも警告はした。そしてそれは君に届かなかった。おお、はあちゅう。でも安心して君をひとりにしないよ。今、君を嘲笑して、バカにして、消えろって言っている私たちの内の誰かも、人間を人間と思わず、無知でムチを打ち、大量虐殺を楽しんでいるんだ。でもね。またいつか海の底で地盤が動くんだ。きっとまた正義の騎士が軽い感じに(ライトのナイトがライトに)伝説の棒で海の底をぶっ叩いて、吹き出した原油と糞尿がそれまで高らかに正義を掲げていた誰かの頭に直撃するんだと思う。
ねぇ、はあちゅう。この現代アート、バカみたいで笑えるだろ。もし君がこの額縁の中に真っ黒、糞尿まみれで存在しないならば。でも、だからこそ笑えよ。君を人とも思わない未来の差別主義者である私をも。
GitHubの謎生物が気になり、せっかくなのでIT界隈の動物(?)を用いた名前やロゴの由来など調べてみた。
※追記あり:Gopherファンに襲われそうなので。ごめんねGopher君
Q.どうしてタコなのに8本足じゃないの?
A.なにも考えずに描いたからね!
もともとデザイナーはoctopussと呼んでいたが、いくら訂正してもGitHubの社員がoctocatと呼ぶため、octocatで落ち着いた。
octocatはあの生物種の名称であり、monalisaという名前は社員の娘が学校の課題で名付けたもの。
種類:ニシキヘビ
名前: -
イギリスのコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』より。
またPythonという英単語はニシキヘビを意味するため、マスコットとしてヘビが用いられる。
オライリーの本とかすごい表紙だよね。
種類:ゾウ
種類:ゾウ
名前:slonik
「動物のロゴにしたいなら、象なんてどうだい?アガサ・クリスティの小説にもある『象は忘れない』だ」
― PostgreSQL発足時のメーリスより
種類:ゾウ
名前: -
象は記憶力が非常に優れた動物のため。PostgreSQLと同じで、象の優れた能力にあやかっている。
種類:ヌー
名前: -
種類:キツネ
名前: -
もともとPhoenixという名前だったが、商標権を侵害していたので、公募でFirebirdという名前に決定。
しかし今度はDBに同じ名前があったので、Firefox(レッサーパンダの別名)に改名。
みなさん命名は慎重に。
種類:クジラ
『白鯨(Moby-Dick)』より。クジラを採用した理由はデザイン見れば納得。
種類:ペンギン
名前はタキシード(Tuxedo)を着ているように見えるから。
ロゴコンテストで決定されたが、他の作品を見ればなぜ選ばれたのかよくわかる。デザインって大事。
https://www.cs.earlham.edu/~jeremiah/linux-pix/linux-logo.html
種類:鳥
名前:ラリー・バード
名前はNBAのラリー・バード選手より。社員がファンだったらしい
ちなみに初期のTwitterのデザインはGitHubのデザイナーが手掛けたもの。すごいっすね。
種類:シーサー
名前: -
種類:イルカ
名前:Sakila
種類:ネコ
名前: -
オライリーの本に載ることを考慮して動物をマスコットにしようと考え、「自立した強かさ」を持つという意味でTomcat(雄猫の愛称)を採用。
しかし、猫はオライリーのUML本で使われてしまい、念願のTomcat本にはユキヒョウが使われたという…。
種類:Dogcow(イヌ+ウシ)
名前:Clarus
昔々、Mac OSで用紙の向きや色を表示するために使用されていたらしい。
知らんわ。
種類:ウサギ
名前:Glenda
OSの名前である「Plan 9~」はエド・ウッドの『Plan 9 from Outer Space』に由来。
ウサギの名前であるGlendaはエド・ウッドの『グレンとグレンダ』に由来。
どんだけエド・ウッド好きなんだよ。
ニュージャージーのWFMUラジオで、Renee Frenchによって宣伝用のTシャツに描かれたのが、彼の初登場。
その後、Bell labsのメールシステムでアバターとして起用もされた。
(ちなみにReneeはBell labsのGlendaを描いた人。Glendaもアバターの一員だった)
そうして2009年、Goプロジェクトが発足し、ロゴを検討していたメンバーにReneeが無償で描いてあげたのが「Go gopher」である。
みんなGo Gopherと呼ぶので、特に固有の名前は無いらしい。
由来は下記サイトにありました。
死に戻れる保証が無いにしては、序盤に喜んで死んでるぞ。希望に満ちた崖からの投身自殺をどう説明するの?
死に戻る時間については、vs白鯨の後でセーブポイントが変わったのかって言ってる。という事は、セーブポイントという認識は以前から有ったという事だろ?
Amazonプライム会員なので、各所で好評なRe:ゼロから始める異世界生活を見てみた。
死ぬとセーブポイントまで戻る異世界転生系ラノベが原作らしい。
プライムにある24話まで見てみたのだけど、コレの何が面白いの?
確かにエミリアやレムはかわいいけど、強くてツンデレなテンプレラノベキャラだし、
敵を前にして延々悩んでるし、魔女教の司祭?は敵を前にして喋って無駄な動きしまくってるし。
あんだけ無駄な動きしながら悪行の限りを尽くしても捕まらないって、官憲とどんだけ実力差有るんだよと思ってしまう。
何よりも、死んだらやりなおせる話で、一々絶望してる主人公って何なの?
序盤では積極的に死んでやりなおしたり、かと思えば終盤では死んで延々レムに愚痴ってるし。
死ぬのは苦しいだろうが、死に戻りを口にすると魔女にアレされるのも慣れていってるし、あんだけ死ねば慣れるだろ。
批判的な事ばかり書いてるけど、マジで何が面白いのかよくわからんので、教えて欲しいというのが本音だ。
クリエイティブ系の仕事をしているので、流行ってる物が全く理解出来ないと不安になる。
Re:ゼロを楽しんで見ている人たち、あの作品のどこが面白いの?
現実に死んだ事が無いから判断出来ないというなら、ファンタジー世界に転生した事が無い人が論評するのもおかしくなりますね。
と、一行で終わるブコメですが良い機会なのでもう少し続けます。
何度も繰り返せば、どんな事でも慣れるのは、生きていればわかるかと思います。
Re:ゼロから始める~の主人公は何度もやっていて、しかも死に方を見ると喜々として崖から飛び降りたりしてますよね?
あと、死ぬほど厳しそうな死に戻りを口にすると魔女にアレされるやつ、どんどん慣れて、囮になる為に自分からやったりしてますよね?
主人公が死ぬ事や魔女にアレされる事に明らかに慣れている描写が散見されます。
慣れるだろという指摘は、演出が後押ししていると思いますが、いかがでしょうか?
さて、ここまで読んだ上で、どうして慣れているという判断をしてはいけないのか?根拠が有るのでしたらご教授下さい。
「喜々として崖から飛び降りたりしてますよね?」自分が見ているアニメとは違うアニメのようなので言及できなかった。いつこんなシーンがあったのだろう。
第七話 ナツキスバルのリスタートです。殺されるのではなく、初の自殺をするシーンですね。
絶対に助けてやると叫びながら死に戻るのが当然といった風情で崖から飛び降りています。
死に戻りが不明確説は、この七話で崩壊していると感じています。
白鯨戦後の死に戻りでセーブポイント発言がありますが、恐らくこの辺りで、すでにセーブポイントの認識が有ったのではないでしょうか?
ていうか世界書き換えって一生物のなせることなのですかみたいな感じ。
これって全人類の記憶だけが書き換えられてるのかな、それとも歴史ごと書き換えられてるのかな。
記憶だけが書き換えられてるんだったら、レムの部屋にものがないことの説明がつかないし、
歴史ごと書き換えられてるんだろうか。
スバルのオットーさんに対する印象がたぶん最悪な感じになってそうだけど、
これ次のループとかで協力したりもうしないのかな。
それともあえて協力して、スバルの精神的成長を見せる要素として使われるのだろうか。
「なんでそんな苦しそうに泣いてるの」と言うエミリアさんが……。
これはまさしく彼女の言うとおり、信じようとしている、理解しようとしているというそれによってなされたものだと感じる。
単に優しいとか寛容だとかそれだけでは、こんなことは到底できないだろうと思える。
ベアトリスさんは何か知っているのだろうか。気になる。
来週明らかになってくるんだろうけど。
来週も楽しみ。
気になる異性の秘密を知って動揺する女の子。どちらも夏の坂のある街が舞台。
真琴と千昭以外の人が止まっている博物館のシーンは、日中なのに誰もがシエスタしていて誰もいないスペインの街とかぶる。
余談だけどラストのナージャの表情はどう見てもヤッた後の貌だった。
一作品に一下ねたの源流かも。
どちらも「2つの生き方が提示されている。どちらを選ぶか?」というテーマ。
また、人と人でないもののギャップや疎外感が作品の下敷きになっているのも共通している。
少々強引だがガラス作りを通して未来の生き方を知るどれみと、田舎暮らしを経て雨の生き方を受け入れる花の姿も似ているかも。
余談だが、この話では最後にどれみは未来さんに着いてく決断をしたと個人的には思っていて、
そういう「卒業すべきとされる世界」から卒業しない生き方もあるんじゃないかというのは細田氏のテーマの1つに感じられる。
ただ主要人物がケモノオンリーであったり、ファンタジー+バトル物であったり絵面的には共通性がある。
37話では同ポや、広角レンズを使った演出、キャラを画面の端に置く……などの細田守の作風が既に確立されているのでファンは要チェック。
27話はバケモノの子後半で重要アイテムとなった白鯨がモチーフの話で、氏のコンテデビュー作。これは監督も間違いなく意識しているハズ。
その白鯨に自分の姿を見いだして倒す訳だから、やっぱりバケモノの子は細田氏にとっての自分殺しでもあるんだなあ。
これは常識だね。
「大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除・ソート。出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れてしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデル、エッシャー、バッハ─
の長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記)
『超権威主義的世界文学百選』http://togetter.com/li/138734というランキングを見て、面白いと思いながらも疑問に思ったことがあって、「20世紀の小説ばっかりじゃん!!」ということで19世紀の小説を重視したランキングを作成してみました。具体的には近代文学の始まり「ドン・キホーテ」(1605,1615)からモダニズムの始まりである「ユリシーズ」(1922)までです。つまり近代文学のモダニズム以前、ということになります。小説を選ぶうえで参考になればと。あと、あくまで個人的な基準に過ぎないことを留意してもらえればと。
1.「ドン・キホーテ」(1605,1615) ミゲル・デ・セルバンテス
2.「ガリヴァー旅行記」(1726) ジョナサン・スウィフト
3.「トム・ジョーンズ」(1749) ヘンリー・フィールディング
4.「紅楼夢」(18世紀中頃) 曹雪芹
5.「トリストラム・シャンディ」(1759~1767) ローレンス・スターン
7.「高慢と偏見」(1813) ジェーン・オースティン
8.「黄金の壺」(1814) E.T.A.ホフマン
10.「いいなづけ」(1825) アレッサンドロ・マンゾーニ
11.「赤と黒」(1830) スタンダール
13.「アッシャー家の崩壊」(1839) エドガー・アラン・ポー
15.「虚栄の市」(1848) ウィリアム・メイクピース・サッカレー
16.「緋文字」(1850) ナサニエル・ホーソーン
17.「デイビッド・コパフィールド」(1850) チャールズ・ディケンズ
18.「白鯨」(1851) ハーマン・メルヴィル
19.「死せる魂」(1855) ニコライ・ゴーゴリ
20.「オーレリア」(1855) ジェラール・ド・ネルヴァル
21.「ボヴァリー夫人」(1857) ギュスターブ・フロベール
22.「晩夏」(1857) アーダルベルト・シュティフター
25.「ミドルマーチ」(1872) ジョージ・エリオット
29.「ブラス・クーバスの死後の回想」(1881) マシャード・デ・アシス
30.「さかしま」(1884) ジョリス=カルル・ユイスマンス
31.「ハックルベリー・フィンの冒険」(1885) マーク・トウェイン
32.「飢え」(1890) クヌート・ハムスン
33.「クォ・ヴァディス」(1895) ヘンリク・シェンキェヴィッチ
36.「シスター・キャリー」(1900) セオドラ・ドライサー
37.「ロード・ジム」(1900) ジョゼフ・コンラッド
38.「ブッデンブロークス家の人々」(1901) トーマス・マン
39.「超男性」(1901) アルフレッド・ジャリ
40.「チャンドス卿の手紙」(1902) フーゴ・フォン・ホーフマンスタール
41.「鳩の翼」(1903) ヘンリー・ジェイムズ
42.「一万一千本の鞭」(1907) ギヨーム・アポリネーム
44.「ハワーズ・エンド」(1910) E.M.フォースター
45.「ペテルブルク」(1913) アンドレイ・ベールイ
46.「変身」(1915) フランツ・カフカ
47.「明暗」(1916) 夏目漱石
48.「ワインズバーグ・オハイオ」(1919) シャーウッド・アンダーソン
49.「われら」(1921) エヴゲーニイ・ザミャーチン
6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
手短にいこう。俺は長編小説が読めない。
事情とはなにか。
第一に、俺は読むのが遅い。時間がない。小説は、長いというだけでハイソだ。俺はハイソじゃない。
第二に、俺は飽きやすい。「飽き」は意志の弱い人間に挫折を受け入れされるのに十分な言い訳になる。永久に。
第三に、無理をして読む動機がない。『白鯨』や『失われた時を求めて』以外にも魅力的な他の選択肢はある。
たとえば、以下にあげる50の選択肢が。あなたにとってはどうだろうか。
■海外編
「しあわせの理由」 グレッグ・イーガン★
「9マイルは遠すぎる」 ハリイ・ケメルマン★
「ライ麦畑でつかまえて」 J.D.サリンジャー
「ねじの回転」 ヘンリー・ジェイムズ
「長いお別れ」 レイモンド・チャンドラー
「地図にない町」 フィリップ・K・ディック★
「ポップ1280」 ジム・トンプスン
「99999」 デイヴィッド ベニオフ★
「眼球譚」 ジョルジュ バタイユ
「虎よ、虎よ」 アルフレッド・ベスター
「無常の月」 ラリイ・ニーヴン★
■国内編
「葉桜の季節に君を想うということ」 歌野 晶午
「最悪」 奥田 英朗
「バイバイ、エンジェル」 笠井 潔
「姑獲鳥の夏」 京極 夏彦
「ハサミ男」 殊能 将之
「大いなる助走」 筒井康隆
「生首に聞いてみろ」 法月 綸太郎
「百億の昼と千億の夜」 光瀬 龍
「すべてがFになる」 森 博嗣
「瓶詰地獄」 夢野 久作
謝っておかなければならない。
好きな小説を上から50数えたら、こんなに★があったわけだ。
そういう奴もいる。
あんたは俺を哀れだと思うか。
超名作
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名作
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良作
北回帰線 赤と黒 阿Q正伝 ボヴァリー夫人 失われた時を求めて 1984年 キャッチ22
ゴリオ爺さん ガラス玉演戯 ユリシーズ 響きと怒り 城 アンダーワールド 異邦人
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佳作
怒りのぶどう 大地 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
グレート・ギャッツビー 明暗 老人と海 夜の果てへの旅 スローターハウス5
感情教育 ハムレット 失楽園 オデュッセイア モンテ・クリスト伯
クオ・ワディス 大使たち イワン・デニーソヴィチの一日 ライ麦畑でつかまえて
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豊饒の海 ティファニーで朝食を レベッカ 万延元年のフットボール
決壊 初恋 アルジャーノンに花束を グランド・フィナーレ 椿姫
見えない都市 百年の孤独 オネーギン オブローモフ 外套 暗夜行路
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。