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はてなキーワード: 発見とは

2024-05-15

避難準備ができたので皆様のご意見をお聞かせください

 自分の中では完璧にできたつもりなのですが・・・

環境・想定】

 都内11階建て賃貸マンション在住 夫婦+中二息子(娘は他県大学生)

 住居倒壊時もより避難所(小学校)は満員。隣接する広場テント自家用車避難の想定。

【持ち出し物品】

・夫 非常持出しリュック (玄関下駄箱の中)

・妻 水運搬用キャリーバッグ

・子 大きなリュック80ℓ

   ※玄関下駄箱の中に防災ラジオ付き懐中電灯×2 軍手

   500㎖水×6 乾パン6缶とアルファ米など各3食分 が入れてある。

非常持出しリュックの中

防燃袋(金庫等から出して詰める)

  貴重品・通帳・印鑑・診察券・定期入れ・お薬手帳保険証

ポケット

 外傷救急箱 多機能ナイフ 簡易うちわ マスク 消毒薬 ウエットティッシュ

 バイバルストロー 石鹸box 電池単2×6個 エマージェンシーシート

ポケット

 手巻充電USBポート付LEDライトラジオ ラップ養生テープ 歯ブラシ 

 箸類・マジック・櫛・髭剃りUSBコードセット 洗濯洗濯ばさみ

真ん中ポケット

 大バッテリー 財布 防燃袋

本体

 晒 水バッグ 水タンク 簡易トイレ袋(数回分)  皿とコップ各3

 レジャーシート 笛・ライター モーリアンヒートパック ドライシャンプー ロールティッシュ

 液体歯磨き カイロ ポリ袋大小 箸・スプーン・フォーク スリッパ 下着

 Tシャツ カイロ 新聞紙 化粧ポーチ ウォッシュbag    

                          総重量7.4㎏

水運搬用キャリーバッグの中

 水・缶詰・食料(乾パン非常食) 簡易トイレ

大きなリュック(衣服 食べ物)

 靴下 服 雨具 食料 水 お菓子

車に積載 ※()は状況に応じて家から運ぶ

 エマージェンシーシート(2つ) 簡易トイレ2回分 防災ライト

 粉ドリンク 水・アルファ米・ビスケット缶 シガーソケット電源折畳みケトル500㎖

 (ポータブル電源 1200w) (ガスコンロとガス6缶)

 (段ボール簡易トイレ) (ケース入り水 2ℓ×6)

 (寝袋 毛布 マット・ゴザ) (ポップアップテント)

 

ちなみに、避難の時はパニクッてるだろうから避難までの順序を玄関に貼っておく予定

玄関の扉を開ける

・外の消火器のチェック

玄関懐中電灯を持つ

玄関ヘッドライトをつける

風呂に水を張る(生活用水の確保)

・着替える ショルダーバッグ

・金庫を開け通帳類をリュックに入れる

非常持ち出し袋の準備

・水運搬用キャリーバッグの準備

リュックサックの準備

各自避難物品をどんどん入れる

避難物品のチェック

・毛布かヘルメットの準備

・ガスの元栓を閉める

ブレーカーを落とす

・鍵を閉めて避難

追記

水はあれから1ケース追加購入し、簡易トイレも凝固剤と黒ビニールのセット販売を100回分購入し、在宅避難用にしようと思います

お菓子は沢山あるのですが、厨二な人達が夜な夜な減らしにかかるので、供給デブ相関関係がすでに出来ていて困りものです(笑)

大量の期限切れのアルファ化米の非常食があるのですが、不味いと言って誰も食べないんですよねぇ。お菓子備蓄缶を購入しようと思います

あと避難するか在宅避難にするかの見極めが難しいなぁと感じました。避難経路も階下のベランダに物が置いてあって逃げる妨げになりそうな問題発見しました。

次の段階として、地域防災避難についての指針を確認して、自分達に合った避難準備を考えようと思います

皆さま、多方面からアドバイスありがとうございました。

2024-05-14

anond:20240513135622

こういうのが発見史実の発掘?)として驚きをもって語られるのを見ると、自分が歳をとったという事実に向き合わされてる気分になるのであった。(インターネット老人会会員)

https://anond.hatelabo.jp/20240514161338

  どうでもいいから読んでいない。 そもそもABC予想証明する必要がないし。 ワイルズ場合は確実な定理教科書に書いていって最終的に、コルイヴァギンフラッハ法により出来たが、

   リチャードテイラー、 谷山豊などは、哲学的に確実な方法に持って行こうとして、発見すべくして発見した。

   幾何学アイデアも用いている。  ちなみに警察強制していないと、  ABC予想といったところで、 40代東大卒理科3類からウソ乙と言われて終わってしまうので。

   ABC予想検討している30代のペーターショルツェが金メダルだった問題は、 2倍にならないという背理を仮定しておいて、ちょっときつい補完定理発見して証明してそれで作れる

     俺が解いた問題は、 補完定理を設定して帰納法でやってもいいし、 ちょっとめんどくさい計算アイデアで、帰納的にやることが用意されている問題だった

  界隈でも知られていないアイデアに基づくテクニックだったので何が書いてるか分からない

    俺が解いた問題の模範解答は、AoPSで、5個くらいあって、魅力的だったのは、補完定理で、 計算テクニックによるものは、Messyと書いてあって、 糞女はこの問題に関してまだ見つかってない

  と2ちゃんねるに書いてあったが、AoPSに大体のことは出ておる。

日本製九州製鉄所大分地区工場 溶鋼鍋内から人骨のようなもの発見 行方不明の30歳男性社員か 警察捜査

もう骨だけになったけどもっかい火葬するのかな

日本製九州製鉄所大分地区工場 溶鋼鍋内から人骨のようなもの発見 行方不明の30歳男性社員か 警察捜査

大分市西ノ洲にある日本製鉄の九州製鉄所大分地区で14日午前、工場の溶鋼鍋内から人骨のようなもの発見されました。



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https://anond.hatelabo.jp/20240514152728

  よしこは次の経緯で亡くなった。  倒れてから老人ホームに入居していたのは、わずかに5年だった。 3,4年前だかに、姉がなくなったのを、洋子が知ったときに、姉さんが!と驚愕した夢を見た。

    平成14年に自宅で倒れているのが近所の発見され、脳梗塞か脳溢血ではないかと診断

    平成19年6月に、プリエール野田葬式を挙行したときの状況に関して、 久美さんやゆきは部屋で寝ている感じで、夜間はすっからかんという感じで、エブリワンは当時からあった。

   前田洋子(桑原洋子)  不明。 そういう夢はどうやって見せているのか分からない。  旦那が、令和3年3月1日に死亡した。

ゲームはもうマイクラだけでいいよ

なんだかんだ10年近くやってるけどまだ新しい発見があるし

次のアップデートも楽しみ

こんなゲーム過去には無かったし

今更他のゲームを覚えるのもしんどいんよ

スクエニが頑張ってファルシのルシとかを考えてもいちいち覚えるのが面倒だし

マイクラ自分勝手目標決めて冒険するほうが楽しい

   最近東京の5ちゃんねるでは、驚愕ばやりだが、数学定理は、真実に対する深い愛情研究とにおいて、驚愕的な体験によって、定理自体は、 出版されたとき驚愕されるので

   その後は陳腐化すると書いていた。 だから定理と言うものはそんなに大したものではないのだと思った。何で人間定理発見するのかは分からない。私が工場にいたときはただ

   常識から突然紙に書いたということで、当たり前のように発見した気がする。それに来して、技術上の驚愕的というのは、要するに、昔みつかっていた論法ものが、そこに突然出て来るという

   内容のもので、だいぶんに難しいと思った。散々に問題を適切に追い詰めていって、出て来るべきところに激甚な方法によって出すというようなことではないかと思う。哲学ではそれを美しい技術

    であるともてはやす

   数学証明技術は次の種類があるが、私は専門家ではないので、全てを知っているわけではない。幾何学をするといいですよと言う風に阪大富田先生から教わった。

    (1)必要最小限の隠れている補助線を引くとただちに答えが見つかる。

    (2)補助線を一本引いて出来る。

    (3)例えば Induction and Contradiction のように、大昔に発見されていた鉄板だろうと思われるようなもの一見使えそうにないとき使用できる。

        他に、特例的な発見と言ったものがあるがまだ議論されていない。

    これを踏まえて私が10工場でやったことを少し紹介する。

      (1)定理作業中に発見した。しかし、  (3)に該当するもの発見できなかった。  宮地先生は、補完によって出て来るといってますが、 補完定理も、特例的な奴になると

  難しいことは宮地先生も分かっていると思う。

    次に、次の事項をこれから強制する。   日向市に住んでいてエロ落ちしているらしいけれど、延岡西高校に、 末永祐治という数学先生がいた。その者に言わせれば、そんなもの

   教えていない。  有村芳郎はバクサイにいて、 ~よ、が口癖である

    警察強制しているから、  私と、  里見先生田辺先生が会うことが実現しないようになっている。

    法の実質は、暴力による強制であり、 法自体が フィクションという人もいるが、 フィクションを強調しているだけで、フィクションではない。  法はただ法である

  しかし、専門的で技術である。 いつからそうなったかは分からない。

民事Cb係の横田もぐらが言いそうにないこと

  では当職の勝ちと言うことで、  とつぶやいたもぐらです  4月に

   その問題はシムソン線が隠れているからそれを見つけてミケルの定理でやります。それ以外は、隠れている補助線をみつけてやるのがほとんどですよ。

    補助線だけではなくて、定理発見する場合もあるので、数学技術はそれだけではありません。

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

大西配列なるぼくのかんがえたさいきょうの日本語配列発見したが

https://o24.works/layout/

VOCALOID」「VOICEROID」「VOICEVOX」全部左手拷問みたいな動きになるので作者が合成音声オタクではないことがわかった

「YJSNPI」も右手拷問からホモでもない

まり作者はニコニコ動画を知らない

2024-05-12

今日発見したこと「お尻の穴は最高に気持ちいいです」。

オレっち、今日女の子なっちゃいました。

内言、意識が本当に自分なのか?と疑問に感じたときの恐怖

普段、生きているとほとんどの時間で私の頭の中では、私が言葉を喋っている。

それを内言というらしい。

その内言という自己との対話を通して私は思考というものをしているようだ。

この内言、意識が=自分、ということになるかどうかは議論余地があるらしい。

かいうことは哲学心理学領域ちょっと難しすぎる話で素人には理解が及ばない。

それはともかく絶えずといってもいいほど、頭の中で喋っている自分を、本当にこれは自分なのだろうか?

と疑ったことはありますか?

この「本当」にというところがポイントなんですけど。

こうね、意識が喋ってるじゃないですか?

それをね普段は当然のこととして「自分」と思ってるんですけど、

瞑想とかあるじゃないですか?

あれって自分の中の内言を黙らせることとかが第一歩になるみたいなんですけど、

そういう作業、内言を客観的視点で眺める視座みたいなのを手に入れた瞬間に

あれ?このずっと喋ってる奴、

こいつって本当に俺なのかな?

ってことを「言葉になってない、言語化していない感覚として感じたとき」に

意識・内言が

「ちぇ、バレたか

って言葉を発するんですよ。

これが本当にゾッとする瞬間です。

なんかね「私」という存在が実は「意識という私のふりをしている誰か」に乗っ取られている、という発見みたいなのがあって

ギョッとなるんですよね。

そしてね、一旦分離した「私」と「私のふりをした意識」というのは、

その次の瞬間には再び「私」と結合して私のふりをして私をコントロールしようとしてくるから

その「私のふりをした意識」を分離しようとするんですけど、

その分離しようとしている「私」はすでに「私のふりをしている意識」に乗っ取られた私であり、

その私こそを、私は私のふりをした意識から分離しなければならないのだが、

みたいな調子で合せ鏡のように延々と私の中の私みたいなものが一気に溢れ出してしまます

なんか全然、うまく説明できていませんが

とにかく「意識」というものが本当に自分なのか?

という疑問をいだいたときに抱く恐怖というのはこういうことです。

禅とかだと、こういう体験にも名前がついていそうですね。

あんまり勉強は得意ではないので禅を学ぶ気なんてありませんが簡単説明できるのなら聞いてみたいですね。

弱者男性って日本寄生するガン細胞だよな

早期発見、早期切除!

早くしないと手遅れになるぞ~!

anond:20240512140800

ぼく:可能な限り短く簡潔に要約してください。

chatgpt:バナナ人生の様々な側面を象徴し、新しい冒険文化体験の窓口となり、人々とのコミュニケーション自己表現手段としても機能する。それはまた、EVでのドライブにおける仲間や休息、自己発見の旅にもなる。

EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。

静かで、しかスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。

そんな中で、プラスチック香り新車匂いが混ざり合い、不思議バナナの甘い香りを思い出させるんだ。

それに、EV運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。

バナナは手軽に食べられるし、エネルギー補給にもいい。

からEVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。

それに、バナナ黄色い。

EVの静かな走りと、黄色バナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。

黄色は注意を引く色だし、EVの静かな走りは注意が必要だ。

から無意識バナナを求めるのかもしれない。

それに、バナナは曲がっている。

EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。

まるで、バナナEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。

それに、バナナは持ち運びやすい。

EVでのドライブは、快適で長時間に及ぶことが多い。

そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。

それに、バナナは分けやすい。

友達EVドライブに出かけた時、バナナシェアやす食べ物だ。

からバナナEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。

それに、バナナ環境に優しい。

バナナの皮は自然に戻るし、EV排気ガスを出さない。

からバナナEVは、エコペアと言えるだろう。

それに、バナナストレスを減らす効果がある。

EVに乗るときの静けさと、バナナリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然ことなのかもしれない。

それに、バナナ記憶に残りやすい。

子供の頃、おやつバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。

EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。

それに、バナナユニークな形をしている。

EVユニークデザインと、バナナユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザイン親和性からくるのかもしれない。

それに、バナナは安い。

EV運転するとき経済的選択意識する人も多い。

バナナコストパフォーマンスが高く、EV効率的イメージに合っている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的理由からかもしれない。

それに、バナナ世界中で愛されている。

EV運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。

バナナ世界共通スナックで、EVグローバルなイメージにぴったりだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。

それに、バナナ簡単に食べられる。

EV操作簡単で、バナナの食べ方も簡単だ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプル美学からくるのかもしれない。

それに、バナナ健康にいい。

EVを選ぶ人は、健康にも気を使う傾向がある。

バナナ栄養価が高く、健康的なライフスタイルマッチする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。

それに、バナナは色々な料理に使える。

EVの多機能性と、バナナの多用途性は、互いに補完し合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。

それに、バナナ子供から大人まで楽しめる。

EVの楽しさは年齢を問わずバナナ普遍的な魅力も同じだ。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代共通する楽しさからかもしれない。

それに、バナナはいつでもどこでも手に入る。

EVアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。

それに、バナナエネルギーをくれる。

EVの静かなパワーと、バナナエネルギー補給は、ドライブサポートする。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーシナジーからかもしれない。

それに、バナナは気分を明るくする。

EVの快適なドライブと、バナナの明るい色は、気分を高める。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブ気持ちからかもしれない。

それに、バナナ写真映えする。

EVでのドライブは、写真を撮りたくなる瞬間が多い。

バナナインスタ映えするし、EVスタイリッシュイメージと合う。

からEVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。

それに、バナナ気分転換にもなる。

EVでの長いドライブは、時には単調になりがちだ。

そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。

それに、バナナ話題作りにもなる。

「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。

それに、バナナは時には武器にもなる。

突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。

それに、バナナ音楽リズムにも合う。

EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。

それに、バナナアート作品にもなる。

バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。

それに、バナナは時には哲学的思考を促す。

バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。

それに、バナナは時にはゲームアイテムにもなる。

EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。

それに、バナナは時には記念品にもなる。

ドライブ目的地で買ったバナナは、旅の記念になる。

それに、バナナは時には友情象徴にもなる。

バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。

それに、バナナは時には冒険の始まりを告げる。

EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。

それに、バナナは時には平和シンボルにもなる。

バナナを食べながら、世界平和について考えることもできる。

それに、バナナは時には時間概念を変える。

バナナゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。

それに、バナナは時には自己発見の旅にもなる。

バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。

それに、バナナは時にはミステリーを解く鍵にもなる。

「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。

それに、バナナは時には未来への希望象徴する。

バナナを食べながら、EVでの未来の旅を夢見ることができる。

それに、バナナは時には過去への郷愁を誘う。

子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。

それに、バナナは時には現実逃避手段にもなる。

EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。

それに、バナナは時には創造性を刺激する。

バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。

それに、バナナは時には人生の喜びを教えてくれる。

バナナシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。

それに、バナナは時には人間関係を修復する。

バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。

それに、バナナは時には新しい出会いをもたらす。

バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。

それに、バナナは時には旅の安全を祈るお守りにもなる。

バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。

それに、バナナは時には自然との一体感を感じさせる。

バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。

それに、バナナは時には人生哲学を考えさせる。

バナナ存在を通じて、生命不思議宇宙の広がりに思いを馳せることができる。

それに、バナナは時には心の平穏をもたらす。

バナナの甘い味と、EVの静かな走りは、心を落ち着かせる。

それに、バナナは時には新しい自分発見するきっかけにもなる。

バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。

それに、バナナは時には人生旅路象徴する。

バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。

それに、バナナは時には幸せの分かち合いを表す。

バナナを人と共有することで、幸せを感じることができる。

それに、バナナは時には新しい文化体験する窓口にもなる。

バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。

それに、バナナは時には人生のサイクルを思い出させる。

バナナ成熟していく過程は、人生の成長と似ている。

それに、バナナは時には自己表現手段にもなる。

バナナの持ち方や食べ方で、自分個性表現することができる。

それに、バナナは時には新しい挑戦を始める勇気をくれる。

バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。

それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。

バナナを食べながらの会話は、なぜかスムーズに進む。

それに、バナナは時には日常からの脱却を助ける。

バナナを食べることで、日常ルーチンから抜け出すきっかけになる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。

それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談ネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナ一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブ自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園バナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生サプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナ最後一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分発見する旅の終わりにもなる。バナナ最後一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブ楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分

anond:20240512131717

小6どころか中3まで上半身裸にさせられてたよ。

個室で医師の前でだけ脱ぐんじゃなくて、女子全員が上半身裸の状態で並ばされる。アウシュヴィッツ強制収容所かよって思ってた。

医師曰く、側湾症の早期発見のために必要かららしい。

anond:20240512003820

まんがはカンブリア爆発並みに何でもありで、低予算で作れるんだなーアニメ化ゲーム(≒ソシャゲ)は予算が桁違いなんだなーというのがわかる

訳あってきらら系(雑誌)を何十冊か読んだが「ジャンル」でくぎると元増田の視界に入っていない作品があった

Youtuber・・・ 街歩き・街の意外な〇〇発見レポート配信する系Youtuber美少女キャラクター数人 メイン配信者とリアクションキャラクター達)

 多いのはファンタジー系(魔王妖怪サキュバス…) ファンタジーものは出尽くしたのでサブ要素が差別化になってる

 魔物×コンビニ店員とか異世界×サウナ

 あと多いのは飲食系 カレー作り部×二次元美少女群 パン屋さん×二次元美少女

増田の指摘のうちのサブジャンルとしては

 絵描き学生ものの中の「エロ絵追及特化もの

比較的珍しいものでは

オタ婚活まんが「結婚3次元でもできるんですか?」

クトゥルー×2次元美少女群「SAN値直葬 闇バイト

スポーツチャンバラ×二次元美少女群 なんていうのもあった

なぜヨシヅヤ津島本店にはスガキヤが2店もあるのか?

津島ヨシヅヤ1F店

津島ヨシヅヤ3F店

3階建てのスーパーの1Fと3Fにスガキヤ存在するのだ。直線距離にして最も距離の近くなるスガキヤはこの2店でまず間違いないだろう。名古屋市大須商店街スガキヤが3店もあることは有名だが、それぞれの位置が離れているのでそこまで密集はしていない。

それ以前に、スガキヤ以外の飲食チェーン店でもこんなに距離が近くなることはないはずだ。例えば店舗数の多いことで有名なマクドナルドスタバすき家でも、同一チェーン店がここまで近寄った位置にあることは考えられないことだ。

ちなみに、かつては名古屋市名東区藤が丘駅にはミスタードーナッツが2店あったけれども、現在ではそのうちの1店が閉店となっている。

【名古屋市名東区】あの「ミスタードーナツ 藤が丘東ショップ」が10月25日に閉店していました。「同店 藤が丘ショップ」は通常営業です。 | 号外NET 名古屋市名東区・千種区

ちょっと見てきて:地下鉄「藤が丘」駅の周辺 __ デイリーポータルZ

コンビニでは同一チェーン店が並んでいることがよく話題になるが、たいていは直営店FC店の争いであることは有名だ。

しかし、スガキヤフランチャイズはやっておらず全店が直営店なのだ

スガキヤは、「直営」での店舗運営実施しており、現在のところ全ての店舗直営店となっています

よくある質問 | スガキコシステムズ株式会社

もともとは織田信長のことを調べていた。津島は「信長台所」と言われており商業の発達したまちだという。そのために津島市は、スーパーマーケットチェーンの本社本店だったり物流拠点所在する市であることが分かったが、そこからたまたまスガキヤが隣接していることの謎を発見したせいでもう夜中の1時をとっくに過ぎてしまった睡眠不足確定だどうしてくれるんだよとりあえず謎はそのままにもう寝る

2024-05-11

らーめん再遊記

Xで見かけて無料から最新刊まで買ってもうた

各シーンから作者がSNSをよく勉強していることが感じられた

いや廃ユーザーかも知れんが感心した

ラーメン回は感動した

数年前にTwitterどん兵衛日本酒を入れると味が数段良くなるという手法がバズっていた

同じくこの手法うどん味噌汁(加熱で酒気を飛ばさない)の仕上げに追加で入れても良い

これを店で出すラーメンに入れたら最高だろ・・・・・・

作画デジタルのグレスケ使ってるよな

発見しか読んでないから中期の変遷わからん

酒入ったグラス描写綺麗になってたな

あとものづくりへの芹沢の言が秀逸

手ばっかり動かして頭が動いていないとろくなものが作れんとかなんとか・・・・・・

これはすごい、言い射得てる。

作画がんばれやで~

   巡査山本が背後から出てきて俺は山本だ昔から後ろからみてるよ、  などの言動があったこから、 自作自演であることを発見して次第にやる気がなくなっていったものと思われる

  いつも、緑道の箱が置いている場所に立ってますよね、 あの、回しがついた鉄製の器具はなんですか? 分かりません。

 平成13年に延岡西で進研模試を受けるときに、 物理先生が、 漢文の 夫 という文字が書いているところを、 漢文では、 それ と呼ぶわけですが、 物理先生が、おっと、と呼んだので

  こいつは教養がないなと思いました

   生物村社は、物理先生尊敬していたと高校内でも言っていたが言っていただけで

     文Ⅰに入る前に、  速読英単語を使っていて、Z会の、   東大試験は、数学の第3問の、 テクニックがいる奴が20点だったので入れた。他の奴が出来なかったからだ

   高海にゃーこ先生 :  誰かが年齢に合わせてやることなすことを制御しており、つまらないしやる気もないといった言動が見られる。複数自作自演などを発見して次第にやる気が

              なくなっていったと思われる。

            

   

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