はてなキーワード: 異論とは
これは本当にそのとおり。
いろんな大物アーチストのいちばん脂っこい時期を教えてほしいです。
長く活動している大物アーチストにも、全盛期、ってありますよね。
ヒット曲を連発して、そのアーチストのスタイルやイメージが確立された時期ってあると思うんです。
後期はメンバー交代があったり、飽きて変なことを始めたり、落ち目のテコ入れが裏目に出てたり。
そういうイマイチな時期のアルバムを最初に手にとってしまうと、「なんかピンと来ないなあ」ってなっちゃって色々不幸だと思うんです。
そこで、いろんな大物アーチストの「このへんを聴いとけばまず大丈夫」といういちばん脂っこい時期を教えてほしいです。
私の考える脂っこいところを何例か。
たとえばスティーヴィー・ワンダーならこのあたり。
リトルスティーヴィー時代にも名曲は多いけど、やはり脂っこいのはセルフプロデュースでモリモリ曲を作っていた時期。より絞るなら太字のアルバム。
たとえばレッド・ツェッペリンならこのあたり。
もちろんZEPらしさは1stアルバムから全開なのだけれど、脂っこさで絞り込むのならばこの時期。
最近、スポーツが、軽音楽(バンド活動)並に、社会不適合者を育てるのではないか?と思うようになった増田です
(ヤベー口の利き方するプロパーがかなりの割合いる某社を見て)
まぁ体育会系の有害さと、男女のあれそれは横に置いといて・・・・
筋肉貯金、体力作り、運動による脳内物質のコントロール、これらの有用性については異論ないです
きっちりやっていきたいよね・・・
ただ、発達にありがちなこと言うと、協調運動に問題あるから、それ以前の問題なんだよなぁ・・・
(もちろん、発達のアスリートやフィジカルワーカーもいるので全員ではない)
ジム行っても筋トレすらロクにできないよ・・・トレナーつけても全然効いてる様子ないのよな
めっちゃ運動負荷の低いサークルトレーニング用の機器なら、まぁ運動音痴でもなんとかなるけど、
10秒クリック、年収2年分チャージ。これが完璧に成功すればもう二度と労働に縛られない人生が待っている。手に入れた時間で好きなように人生を生きよう!「俺は実はいつでも辞められるが?」を精神の支えにして普通に働いてもいいし、趣味を仕事にするべく創作活動にのめり込んでもいい。不安から解放され、自由を手にしよう!(ただし勝利者に限る。) 「タイパ」の究極系は「注いだ時間以上の時間を得ること」であることに異論があるものがいるだろうか?(いや、いる。なぜならここは天邪鬼の集まりだから)。
成長型ゲームの根源、本懐、トロ、ミソ、核、爆を超高速で味わえる。数字をインフレさせるだけのゲームのガワを剥がした内側にあるもの、その楽しみ、成長曲線、苦行、カタルシス、味変、ルールチェンジャー、あらゆる要素を駆け抜けていける。そして訪れる静寂の如き、飽き。引き際の悟りと深みへの誘いが波のように交互に打ち寄せる。沼に飛び込みたい気持ちをグッと堪えてデータを削除したとき、きっと君は「何百日とプレイしてしまったソーシャルゲームを手放した直後」のような開放感を味わうだろう。そうだ!盆栽の最大の楽しみはそれを捨てた直後に訪れる!いくつものクローンがあるが、本質は本家が極めているので本家以外を遊ぶ意味はない。人生をドブに捨てたいなら別
この世界で一番楽しいのは可能性を空想することだ。ミロのヴィーナス、サモトラケのニケ、そしてモナリザの謎。現実世界において完全でないものこそが脳内において真に完全へと近づける。βテストや体験版で「このバグ強すぎるー!!」と暴れまわったり、他ゲーの経験を活かして初心者を狩ったり、ないしはそういうスマーフ野郎半チート野郎を囲んで叩く自警団を気取ったり、βの自由な世界にしかないモラトリアムな楽しみが確かに存在する。そしてなにより無料だから人口密度が高く、ネットで皆でワイワイするのも楽しい。「これって製品版ではさ~~~」「いやいやこれは~~~」で無限に語れるぜ!未完成!それは可能性!十で神童、十五で才子、二十過ぎればセンター試験の点数をいつまでも自慢げにSNSに書いてるちょっと可愛そうな人と古事記にも書いてある。
きっと きみたち は もう わすれれて いるだろう。 人差し指だけで 必死な顔をして 一文字ずつ丁寧に キーを叩いていたあの頃を。 タイピングゲームがなければ僕たちは今でも そんな状態で毎日インターネットをやっていたかも知れないんだ。 そしたらブクマで100文字打つのだって 余りにも大変で全く楽しめなかったんじゃないだろうか? コンピューターを使った仕事につくことなんて想像もできないぐらい ただキーをタイプするだけのことがしんどいまま人生を生きていたんじゃないか? マジでちゃんと感謝したほうがいい。タイピングゲームでひたすらキーを叩きまくった時間は決して無駄じゃなかったと俺は信じているぞ。
2画面にして映画やYoutubeを見ながらやれば、運動しつつ動画を見ているので実質時間消費0で運動が出来る。あまりにも圧倒的パフォーマンス。圧倒的すぎて蛇足にならない言葉が思いつかないほどだ。
やってしまえ。どんなゲームなのか気にしてる時間が無駄。やってみれば分かる。体験版でいい。とにかくやれ。脳のリソース管理的にも。
一作だけならガチってもいいっぽい空気があるので一作だけガチらせてくれ。このゲームは本当にタイパがいいんだ。名前の通りちょっと短いハイキングをゲームの中でするだけ。でもそこにはゲームというものの楽しみが詰まっている。箱庭の中で圧縮された個性豊かな人々の営みがあり、世界には相互作用が働いて、それぞれの人物に物語がある。小さな冒険を通して少しずつ成長する主人公。少しずつ操作が熟達するプレイヤー。軽やかで気持ちのよい成長曲線。少年時代を思い出させるスピードで次々に広がっていく世界。刺激される想像力が解法を閃かせ、世界の謎が次々と解き明かされる。挑戦する楽しみ、成長する喜び、小さな友情、時には挫折、そして再挑戦。人生という苦行の中から光り輝くものだけを集め直した生きる喜びの宝石箱。たった2時間程度でたどり着けるエンディングなのに、確かな満足感と高揚感を感じるのは、冒険に求めていたものがこの温かな箱庭の中に詰まっていたから。
生きていれば色々と出来る。何でもは出来ないけど何かは出来る。死んでしまうと何にも出来ない。死後0秒から人間はもう何もできなくなる。生きてさえいれば、空想を広げるぐらいのことは出来る。人生のあらゆる場面が時間消費型のコンテンツなわけだからして、とにかく生きていなければ何も始まらない。一見すれば生きることのタイパがどんなに低くても、死のタイパは0なので相対的には圧倒的に生きることが勝るのだ。生きろ。まずはそこから全てが始まる。
互換性があろうがなかろうがこれは不変の事実なので異論はないけど争点はそこじゃないよね
国の都合で高い機械を更新させられたらやっていけないから通貨側で互換性を持たせろってのが問題提起だよね
で通貨刷新にあたって避けて通れないのが偽造防止技術ってだけで命題は偽造対策ではない
ただし旧通貨に対応するには偽造問題が避けて通れないから議論がこんがらがっている
互換性があろうがなかろうが結局は機械を更新しなければならないのだから
機械を安価に更新できるようにした方が現実的ではないの?ってこと
岡崎律子を知ってる人は多くないとは思うけど毎年この時期になると思い出してしまう。
そのうちどこかの記事にまとめるかもしれないけどそうなっても許して欲しい。
2004年3月17日に彼女がリーダーをしていたメロキュアのベストアルバム『目処ディアスハードキュア』が発売された。
彼女の作る楽曲、歌声は俺の荒みきった心にスーッと染み渡る即効性があった。
本当に生活や世の中への不安を共感してもらえたような気持ちになれた。
CDが発売されてかしばらくしてストアイベントをやるとの告知が出た。
たしか突然だったと思うけど当時飛ぶ鳥を落とす勢いで調子にのっていた俺は
「こういうのは発売前に告知しろ!コロムビアは常識が無いのか!?」
「もうアルバム買っちゃったしどうすればいんだ!」
などと思ったのかもしれない。
渋谷のHMVでのイベントはアニソンには似つかわしくない場所だよなと感じたのは覚えている。
そもそも当時44歳の彼女は表に出てくることはほとんど無いのだ。
俺は勇気を振り絞ってヤングの街渋谷の領域に行く決心を固めた。
今にして思えばこれは虫の知らせだったのかもしれない。
イベント当日の2004年4月6日渋谷に場違いな俺、いや、俺達は100人くらいだったと思う。
HMVのCD売り場にちょこっと作られたイベントスペースに集合させられた。
表現は悪いかもしれないが、ソーセージの試食や半額弁当に群がるハイエナの如き様相だった。
ハイエナ共を囲った鎖の外には望月久代も来ているのも確認できた。
明らかに業界人じゃないし通りすがりの一般人でもない普通の人が何人か認められた。
この時受けた感銘は一生忘れることはない、し、この気持に異論を唱える人は誰ひとりいないと思う。
彼女は『ふたりのせかい』では振り付けまで披露してノリノリだった(この振り付けはこの楽曲を耳にするとついやってしまうくらいお気に入り)。
MCでは(別に嫌というわけじゃなかったけど)はしゃぐ彼女と、イメージとの違いに若干の違和感はありました。
相方の日向めぐみも「リーダーはしゃぎすぎだからもっとおさえて!」と訝しげにしていた。
握手会でも彼女は丁寧にコミュニケーションをとっており、日向の流れ作業とは本当に対象的だった。
ものすごい牛歩だったけど、そろそろそのくらいで!とか声を荒げるスタッフはいなかったのも印象的だったな、やるじゃんコロムビア。
そしてそれは突然訪れた。
イベントから1ヶ月後の2004年5月12日に彼女の訃報が読売新聞に掲載された。
俺達は知るすべは無かったかが2004年6月6日の読売新聞の追悼渉によると1年ほどの闘病生活だったそうだ。
2003年の5月に胃ガンと診断され翌月から入院、病室にキーボードを持ち込みでクリエイティブ作業を継続。
(ちなみにこの記事に掲載された彼女の写真は2004年の3月に撮影されたものであった…)。
日向めぐみ、望月久代の「なんて目をするんだ…」という様相は俺達に向けられた侮蔑の眼差しではなかった。
場違いな普通の人たちはケアマネさんかもしかしたら医療関係者だったのかもしれない。
このような状況下で『メロディアス・ハードキュア』は造られ俺達に届けられたのだ。
突然のイベント告知は彼女の体調次第、おそらくは彼女がわがままを押し通したのだろう。
正確なところを知るすべは無い…しかし俺は感じ取ることは出来たのだ…
リスク取って起業している創業者の思想 (第二の家族で在りたい、すべての人が活躍できる場を作りたい等)を体現する事ついても咎める気はまったくないが、
ブクマカやブクマカを兼ねてそうな増田や生きづらいちゃんってほんとうにアットホームな職場が好きね
中小・ベンチャーで定型業務やらせてるだけなのに、公私混同の馴れ合いでマネージメント崩壊していて、育休が公務員並みにとれる職場が好きだよな
自分の望みには自覚的になって職選びして、その結果をちゃんと受け入れて欲しいね
身内とか、友達とか、皮肉ではなく文字通りの意味での家族的な仕事仲間とか、
俺私がボスだからお前ら祝えとかなら、産休アピプリントや自分の子どもをプリントして配るのわかるんだけど、
どーもそーじゃないみたいだからな
これも職場で怒鳴る・泣く・1対1で部下/後輩を飲みに誘うと同じラインにある話でしょうね
逆張りネタならもっとわかりやすくやってくれ。下記の一派かと思ってしまう
ブクマカ:職場で泣くのは当たり前!配慮しろ!子育て中の人のサポートをしない人は辞めて自営業しろ!媚びて早く結婚するのは無能の戦略!私は発達障害だからー
anond:20240417232852 anond:20240418114405 anond:20240418131515
ぜーーー〜んぶ同じ味じゃん。
コーヒーや紅茶やフルーツとかはそれぞれ違いがあるのに抹茶味は全部抹茶!!!!!はい抹茶!!!!!異論は認めねぇ!!!!!ってレベルで同じ味。抹茶味。飽きる。一口目でまたこの味か…とガッカリして二口目で飽きる。
もちろん人によって評価は変わるし、視聴率とか売り上げとかを評価基準にすると話は変わるし、あくまで俺の評価だ。異論は大いに認める。
その上であえて言う。
Go!プリンセスプリキュアが最高だったな。
全部が完璧だったとは言わない。
というかそんな作品はプリキュア以前にこの世には存在しないだろう。
でも欠点や粗がとても少なく、魅力がとても多かった。
キャラクター、ストーリー、世界観、絵、声優、音楽、どれもよかった。
キャラクターはストップとフリーズがやや存在意義が薄い印象だったが、みんな素晴らしかった。
メインのプリキュア4人のみならず、一般人協力者の同級生ゆい、ノーブル学園の生徒や教師たちも良かった。
モブ生徒に思わぬ美少女がいたり、どうでもよさげなザマス先生にも「いいとこあるじゃん」と思えるようなシーンがあったりする。
特に敵のディスダーク三銃士は、途中で三人が全く別の道に進んで、そして最後にまた集束していくのが実に印象深かった。
ストーリーは主人公はるかの「お姫様になりたい」という幼稚な願望をどこまでも膨らませていくもので、途中にいろいとろ都合のよさはあるのだが、
最後には中学生から大人の女として「お姫様のように生きていきたい」という姿に着地させるのはよかったと思う。
世界観は「絵本のお姫様」のような華やかさがあるものの、同時に「説教臭い」「土臭い」という印象もやや強い。
説教臭さについては、後のプリキュアシリーズにもっと説教臭い作品が出るので相対的に気にならなくなるという面もあった。
絵はキャラクターデザインが中谷友紀子というアニメーターで、最近では「薬屋のひとりごと」を担当している。
後に「トロピカル〜ジュ!プリキュア」も担当し、キュアコーラルは最高にかわいかった。
声優はプリキュア4人は嶋村侑、浅野真澄、山村響、沢城みゆき。
嶋村はゼルダの伝説のゼルダ姫や進撃の巨人のアニも好きなのでひいきにしたくなる。
キュアトゥインクルは声優もビジュアルも(変身前も変身後)もどれもとても好きだ。
音楽はエンディング曲は歌詞の一部がプリキュア4人のために4種類あるのが好きだったし
またストーリーの中で「二つの別のバイオリン曲が実は一つの曲だった」という仕掛けがあって、非常に感嘆した。
なんつうかもうプリキュアとかじゃなく全50話のオリジナルアニメとしてとても素晴らしかった。