はてなキーワード: 田原俊彦とは
平成の初頭の時点でそういうのに詳しい人は知ってて耳に入ってきたけれど、みんなそういうのはどこで知ってたんだろう?
田舎だし、知り合いの知り合いにジャニーズがいたなんて話は聞いたことがないから口コミだけで伝わってきたという可能性は低い気がする。
報じていた雑誌があったのかな
ググるとでてきた
ジャニーズ性加害報道、最初は「1965年」 雑誌や書籍の追及はなぜ見過ごされたか
https://www.bengo4.com/c_18/n_15987/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_18/n_15987/
見てないし、見る気もないけれど、ジジイなので、第1回東京国際映画祭をテレビ中継した時の
大惨事を思い出したよ。明石家さんまと片岡鶴太郎が来日していた海外の大スターに向かって
当時流行っていた自分の持ちギャグを相手の反応を無視して執拗にぶっこむ国辱的な中継を。
結局、日本ではバブル時代のウジサンケイグループのノリをいまだに克服できてないということ。
昼間にやってる『ぽかぽか』なんかも、バブル時代のウジテレビのノリでサムすぎて正視できない。
>1985年5月31日午後、渋谷NHKホールに常陸宮ご夫妻をお迎えして開会式が行われ[33][34][35]、
>村田敬次郎通産大臣、三木武夫元首相、鈴木俊一東京都知事ら政財界代表や[35][36]、国内外の映画
>関係者、各国駐日大使[17]、三船敏郎、勝新太郎、高峰秀子、栗原小巻らが出席[35][37]。岡田真澄
>が司会を務めた[36]。瀬島龍三組織委員会会長、鈴木俊一東京都知事などの挨拶後に『乱』がオー
>プニング上映された[33][38]。『乱』は海外招待客100人を含む映画関係者2500人のみで、一般客
>は入れなかった[39](1985年6月1日から一般公開)。ほとんどの映画人が絶賛したが[36]、『影武
>者』でトラブルを起こした勝新太郎が「いたずらに長い。見る人のことを考えてない作品。戦闘シ
>ーンは見飽きた」などとこき下ろした[36]。同日夜に東京プリンスホテルでウエルカム・パーティ
>が開かれ[34][40]、この模様の一部がフジテレビ『おもしろバラエティ』枠で生放送された[17][41]。
>司会はタモリと明石家さんま、沢口靖子[42][40][43]。ハリソン・フォード、ブリジット・フォッセ
>ー、ジェームズ・ステュアート、ヘルムート・バーガー、ソフィー・マルソーなどの海外スターの
>他[34]、中曽根康弘首相[33]、三船敏郎、三橋達也、安西郷子、司葉子、仲代達矢、宍戸錠、吉永小
>百合、石坂浩二、ピーター、島田陽子、松坂慶子、中井貴一、片岡鶴太郎、田原俊彦、近藤真彦、
>中森明菜、池田満寿夫、佐藤陽子、手塚治虫、石森章太郎、小森和子らと[36][40][41][43]、鹿内春雄
>フジテレビ副社長と頼近美津子が結婚後初めて公式の場に出席した[40]。出席を予定していた黒澤明
>は欠席[17]。黒澤は御殿場で静養中で[44]、映画祭期間中も姿を見せず、来日した俳優、監督や『ニ
>ューヨーク・タイムズ』や『ガーディアン』の記者30人から面会申し込みがあったが全て断った[44]。
>ウエルカム・パーティでは、ハリソン・フォードがグラス片手に会場を回るなど[40]、有り得ない
>ような豪華なパーティであったが[40]、生中継は構成が悪く、タモリと明石家さんまが司会をふざ
>けたり[42][45]、会場には海外からのビッグスターが顔を揃えているのに彼らへのインタビューは
>なく、当時日本で人気があったマット・ディロンをアメリカに訪ねたVTRが流れる間の悪さで[45]、
>マッチや中森明菜がステージで映画とは関係ない歌をうたい出したとき、招待客は何が始まったの
>かとビックリし、まわりをハラハラさせた[45][46]。フジテレビが当時、「楽しくなければテレビじ
>ゃない」というキャッチフレーズを打ち出し『おもしろバラエティ』枠で放送したことで、新聞各
>社に悪評の投書が殺到し[45]、好評がゼロという珍しい事態になり[45]、「ユーモアとスマートさに
>欠けたドタバタ司会、日本には機知と弁の冴えでわかす芸人はいないのか」「日本語でくだらない
>言葉を外国人に言わせるな」「少ない時間で映画と関係ない歌を三曲も歌わせるな」「外国から大ス
>ターを集めながら、大切な機会を無にした」「まさに島国映画祭だ」など[45]、「時と場」をわきま
>えぬ企画などとマスメディアに叩かれた[47][48]。この日の開会式とウエルカム・パーティを合わ
>せた費用は1億5000万円[39]。
まず断っておくと、自分はフェミニストか否かという点では、フェミニスト寄りである。白饅頭や青識のようなアンチフェミは心底嫌いだし軽蔑もしている。ただ、フェミニストがやたらに好む以下の論法には、一男性として強く反発している。
「特権」という言葉を使う場合、権力者や富裕層などに対して、自分の意思で自由に捨てられるものだけを指すべきだと思う。いじめやパワハラで引きこもりになって無職で……という男性は決して少数の例外ではないと思うが、こうした男性に何の自由に捨てられる「特権」があるというのだろうか。あと、同じ「無職」でも女性だと「大変だね」になるのに、男性だと「情けない」という感情が瞬間的に沸き起こってないだろうか。これも「特権」なのだろうか。
女性の多くも付き合う相手を決める時、男性のルックスとか年収とか社会的地位を無意識に考え、友達に紹介するときに恥ずかしくないかどうかを気にしたりするのはごく普通である。それはいい悪いではなく、人間である限り仕方のないことだ。男性だけが異性をモノ化しているってことは絶対にない。完全にお互い様の問題について、男性だけが非難されるのは理不尽だと思う。
「男が30にもなって定職もなくて情けない」「男は結婚して家族を養って一人前」という規範は、男性自身が内面化している部分も確かにあるけど、それは世間や社会が求めているからであって、自分の意志で自由に脱げ捨てられるものではない。女性だって「女らしさの呪縛」を捨てて、化粧も何もかも一切やめればいいじゃない、という話になる。というか、「女らしさ」については、それを押し付ける人々への批判や非難になるのに、どうして「男らしさ」については「男らしさ」を押し付ける人々への批判に向かわず、男性自身が自己責任で脱するべき、という話になるのか。明らかにおかしい。
こういう意見を見るたびに、フェミニストは教室の中でひどいいじめを受けていた男子とか、パワハラでいつの間にかいなくなった男性社員とかが、全く目に入っていないんだな、とつくづく思う。だから主張が間違っている、というわけではないけど。
(追記)
気がついたら炎上しているけど、言いたかったのは、本来のフェミニストの仮想敵はジェンダー規範そのもののはずであって、「男性」ではないこと。
既存のジェンダー規範を変えるためには、政治とマスメディアの役割が大きく、それに働きかける社会運動が必要になる。それは、個々の男性の自己犠牲の精神で実現できるものでは絶対にないし、そもそも自己犠牲できる余裕のあると思える男性は貧困者に限らずほぼいないだろう。そんなものに期待してはいけないのである。
(追記2)
時々感じるのは、フェミニスト「男性は・・・すべき」という言い方の中に、「男らしさ」が要求されているように感じられること。「女性を押し除けてまで男性が前に出るなんて、男らしくない」みたいなジェンダー規範が、特に男性フェミニストの中には確実に存在する。まさに田原俊彦の歌の意味での「フェミニスト」(誰も知らないか)。
実際2014年にブラジルで猟師がオオアリクイに殺される事件が発生しており、オオアリクイによって人間が殺されること自体はありうる話ではある。
ただしオオアリクイは南米に生息する動物であり、なぜシンガポールに行った設定の「夫」がオオアリクイに殺されるのかは謎である。闇ペット商人だったのだろうか?
『おおありくい』というモンスターが『ドラゴンクエスト3』に登場するため、ネタにされたことも。
これが一番有名になった要因
また、2016年には野村宏伸や山田菜々といった豪華キャストによって舞台化がされた。
野村宏伸さんか、(代表作:教師びんびん物語 主演:田原俊彦)
今はひげで窪塚洋介みたいだな