はてなキーワード: 生物学とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2361965
lady_joker 私は部屋が散らかっているのが嫌なので配偶者よりはマメに掃除をするけど、私の好きでやっているだけなので別にイライラもしない。別のパラメータを混同している雑な漫画
このマンガは、
結局その話はだいたいひっくり返されるという構成で出来ています。
今回の話もそうなっています。
また、このことは別に1話から順番に読まなくても、この話の最後まで読めばわかるようになってます。
そのため、lady_jokerさんはこのマンガの描写を批判したいなら「雑な女の子だ」というべきでした。それならあってました。
この表現を出来なかったということは、togetterまとめのところだけ読んでコメントしたということでしょう。
マンガのワンシーンでこういうコマを描いているから作品や作者もこういう考え方なのだと考えることはよくありがちですが
そういう読み方をする人はマンガだから雑に読んでもいいと侮っているのではないでしょうか。
小説で、一節だけ読んで「これが作者の結論だ。雑な作品だ」とは言わないでしょう。
今回の件で言えば、間違いなく雑に読んで雑にコメントしているのはlady_jokerさんの方であると感じました。
人を「雑だ」と言うのであれば、自分の雑さについても厳しくあってほしいです。
私の指摘が明らかに的外れであるとか気に入らないということであればはてな運営に通報して消されても文句は言いません。
しかし、あなたは良い意味で格好つけたがりな人だと勝手に思っているので、あなたの思う格好良い対応を勝手に期待しております。
lady_joker 全編読んだら増田の言っていることが正しいのだけど、あの部分を文脈無視で切り出しているのは作者なので、その部分のみで論評されることも引き受けるべきだとも思う。とはいえ今後はなるべく全編読むようにします
やっぱり良い意味で格好つけだと思う。
悪い格好つけの人は前半しか書けない。
格好つけない人は後半しかかけない。
ここで格好つけられない人はその時点で興味なくなる。
「とはいえ今後はなるべく全編読むようにします」が言える人は信用できる。これからも良い意味での格好つけの人であってほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20240507174501
lady_jokerさんは、礼儀を持って事実を指摘する分にはBANはしないと信頼しているし仮にされたとしても文句言わないって書いとるやろが。
普通に考えてさ
匿名性の良いところは、現実で表に出せない本音を語れるところだからぶっちゃけようぜ
ついこの間まで16歳から結婚出来たのに一歳年下とはセックス出来ません
欲情するのは異常ですって、生物学的にも客観的に見ても論理的に考えてもあり得ないだろ
もちろん、現代社会の常識は急速に更新されるし、教員の職業倫理的にダメだってのはその通り
けど、中学3年生に欲情するのは異常とするのは、あまりにも現実離れしてる
むしろ男にとって一番魅力的な年齢がそのぐらいから二十歳までの間だろう
そもそも中学生同士がセックスして妊娠する問題があって、性教育しろって言ってるひとたちが、中学生に欲情するのは異常だと思うの一貫性がないだろ
周知の事実だろうが少子化問題に関しては別に日本固有の問題ではなくて、あらゆる先進国で発生している事象だ。
ここに関して、国が悪いだの、なんだのいう考えなしはここでは無視する。
まず医療技術の発達が、子どもが生き残る確率を上げたのは言うまでもない。
そしてリベラルな思想の醸成により、口減らしみたい行為は表立ってはできなくなった。
どのような才能や出自を持ってこの世に生まれ落ちたとしても、あまねく子どもたちは育てられるようになった。
これが一つ、今では誰もが知っているだろう現代の大きな問題の要因だ。
ハンセン病を始めとする病気由来のものもそうだし、生来的な障碍者差別もそう。
周囲や、若い人の反応は気にならなかったようで、それよりもむしろ親や親戚などの身内が、
地域社会から自分の存在を隠そうとしていたということに傷ついた、と語っていたのを思い出す。
よく現代病などとして、最近は花粉症が増えた、とか発達障害が増えた、などと言われて久しい。
これはもちろん、科学や医療が発達して色々なことが分かるようになった、ということもあるし
昔からそういう素質を持った人はゴロゴロしていたよ、という話もあるだろうが、
一番の理由は、子ガチャが出来なくなった、許されなくなったからだと思う。
で、今になってグレーゾーンだとか、ひまわり学級だとかが見直されつつあるわけだ。
もちろん、社会全体として生物学的な多様性を保つことは、種全体としてもリスクヘッジになっているだろうし
倫理的な側面からも、人間社会が豊かになったことの証左であると言える。
だが、個人としての本人の意思はいかほど尊重されているのだろうか。
自分もとある身体的ハンディと、重度のADHDを抱えていたものの、そこそこの努力と
周囲の助けもあり、大学も卒業し、サラリーマンを経て、親の敷いたレール、つまり家業を継いだ(祖業は廃業したが)
クソボンボン野郎、という声が聞こえないでもないが、幸福度で考えても全く釣り合わない、と思う。
ノブレス・オブリージュなど聞こえはいいが、結局は社会の奴隷かつ、労働者の奴隷でもあるのだ。
はたまた巷にいくらでも溢れている成功者の自伝本のように、努力が足りない、
などという世迷い言をいいたいわけではない。
この努力、というものを、子どもに押し付けたいか?ということだ。
これからますます、勤勉で、清潔感があって、思いやりがあって、物事の分別がつく、聖人君子が求められる。
厳しくなりすぎたからこそ…自ら世捨て人となる人が増えているのではないか。
トラックに轢かれて別の人生を、自ら子ガチャをやり直すような妄想が、蔓延しているのではないか。
で、この少子化問題に関わる議論として、責任負いたくない問題がある
さらには、経営者、責任者、政治家の責任重すぎやしないか問題。
今では部長が悪い、課長が悪い、OJTが悪い、親が悪い、環境が悪い、国が悪い等と
終わりのない他責思考と、昇進拒否や退職代行のような責任回避思考が蔓延している。
そんな責任を負うのなら、JTCで怒られない程度にお茶を濁すが如く耐える方がいいと。
ただ、それすらも今は…
だって社会と法律が、どうあっても子供を殺すな、きちんと責任をもって教育しろ、と言っているのだから。
だが、お前ひとりで育て上げろとも言っていない。
そもそも人ひとりで育て上げられるはずもない。犬猫を育てるのとはワケが違い過ぎる。
人間は社会性の動物であり、文字通り、社会の中で、人々と交流することで全てを身につける。
そうした側面を無視して、新自由主義的な、自らの力で全て何とかしないといけないような考え方に囚われちゃいないか。
ただ、オギャーと産まれてくるのは、ただの動物だ。チンパンジーだ。
産まれてずっと親と暮らすわけでもない。社会性をどこかで身につけなくてはならない。
そしてそれは、才能にもよる。マセガキもいれば、少々社会性の獲得が遅い人間もいる。
何より実際のローグライトゲームのようにリセットなど出来ないのだ。
何も持たず生まれて、何も持たずに土に還るのだ。そうした自然な循環をしようじゃないか。
だからこそ、基本的には子どものしたいようにさせるのが一番だ。
時には殴ってでも止めないといけないこともある。
刺し違えてでも、社会に迷惑をかけないように体を張って止める。
それはお前の役目だ。それは覚悟しておけ。その責任を社会にだけ負わせるな。
今は教師も、近所のカミナリ親父も、その役目を負ってはくれない。
そういう意味で、精神的な子育てのハードルは上がっているのは間違いない。
ただ、それが出来ないと思うのならよく考えて親になってほしい。
躾をされないで育ち、大人になってから鬱になるか、反社として生きるかの二択を迫るのか。
大人になってから躾を身につけさせるのは非常に難しいし、個人主義の現代にそのようなお人よしはいない。
社会に出てから虐められてみろ。怒られてみろ。言いたいこと分かるよな。
いじめられるわけでも、怒られるわけでもない。
子供のうちはいくらでも挑戦させろ、失敗させろ、身内で迷惑を掛けさせろ。
一つだけ伝えておきたいのは、別に世界も社会もあなたの敵ではないということ。
そして、今は未曽有の危機、第二次世界大戦前後以来の混迷期だということ。
もっと言えば、明治維新と第二次世界大戦を同時に経験しているくらいの、
大きな変化の渦中にいるということを、頭の中に入れておいて欲しい。
産業革命以来の、"働き方改革"(強制)と、年間数十万人の人口減の同時発生。
そんな場面で、日本人同士でいがみ合って、責任を押し付け合ってどうする。
別に指をくわえてみてたって構わない。
けど、お願いだから、これに対処しようとしている人たちの足を引っ張ることだけはしないでくれ。
別に賛同してくれなくたって、協力してくれなくたって、疎外したりはしないから。
あまねくご先祖様、これだけの天下泰平を築いたものの、戦後最大の危機が訪れております。
・ハイスペ(上位20%男性?)のセフレにされて、シングルマザー。
こんな感じなんだろうけど。
この女性に対して、「妥協しろ」というのは無理だろ。そもそも、その妥協する頭があるなら、男性の上位50%とくっつくことはできる。そもそも弱者女性になっていない。
多分、ほとんどの人は、「そんな簡単な妥協すらできないのか、馬鹿だなあ」となるのかもしれないが。
女性は生物学的に、雑魚男性だと思ったものを認知できない脳になっている。色盲とかと同じ。
この弱者女性が多少でも頭良ければ、そりゃ、そこそこの妥協(男性の上位70%くらい)はできる。
しかし、その選択肢は、頭が悪い女性には無理。色盲があることにすら気づけないのが一番致命的なところ。
色盲の世界がその女性にとっては事実でしかないから、絶対に妥協はできない。世の中に色があることを絶対に理解ができない。
なので、弱者女性は、「楽勝な解決策があるから弱者じゃないじゃん」ではない。
それって、ホームレスに、「福祉に相談すればいいじゃん」と言ってるようなもの。ホームレスはホームレスの理屈でホームレスになっている。
弱者女性のせいで少子化というが、それは、この世代がもうダメなだけで、次の世代では、ちゃんと淘汰されて、色盲に気付けない女性は淘汰されて、まともな女性になって、弱者女性問題は解決する。
https://www.bbc.com/japanese/articles/c9rzgexn444o
キャス医師はBBCのラジオ番組で、現場の臨床医たちはジェンダー関連治療について「ガイダンスも科学的証拠も訓練もない」状態にあることを懸念していると語った。さらに、ジェンダーにまつわる「有害な」議論が、専門家によるオープンな議論を妨げていると指摘した。
NHSではこれまで、子供や若者のジェンダー治療を取り扱う唯一の専門機関として、「性自認・発達サービス(GIDS)」をイングランドとウェールズで運営していた。
しかし2020年、NHSから独立した病院監査・評価機関から「不適格」と格付けされ、GIDSは2024年3月に閉鎖された。
NHSの検証では、こうした治療が「安全で効果的」だと証明する十分な証拠がないことが判明した。
イギリスの平等人権委員会(EHRC)は、平等法における「性別」の定義を「生物学的性別」に改正することを検討すべきと助言している。
トランスジェンダリズムの終りやね~
最初からトランスジェンダーの存在自体否定してるわけじゃなかったんだけど、
トランス女性は女性です(だから女性のプライベート空間にも入れるべきスポーツも混ぜるべき!)
生物学的に女性ではない(から全く同じ扱いはまずい)と反論してたんだよね。
酒井順子が(高校まで女子校で)「男は人間だとは思えないというところがある」と言ってて
あーなんか分かるな、そういう女性いるなと思った
女性を同じ生き物とは思えないとこあるよな、って。
でも、よく考えたら、俺は男に対してもそんなに「同じ生き物感」を感じていないというか、
少なくとも俺にはそんなにないというか、
となると、不思議なのは酒井順子をはじめとする(特に女子校育ちの)女性が、
同じ女性を「理解可能な他者」として捉えていることのほうな気がし始めた。
連帯感、共感、生物学的な不都合の共有、なにが根幹かはわからないけれど、
あれは一種の社交術的なマウンティングandマウンティングされたフリとかだから
ただの歪んだ社会性の表出であって、
おそらく女性が思うような共感ベースの強い結びつきじゃないと思う。
でも「他者を(同性なら)理解できる」という感覚を持っている女性からすると
ホモソは互いに理解しあっている、自分たちには理解できない奴ら、ってことになんのかもなぁ。
あ、男が独力で誰にも頼らず立っている、なんて思ってはいません。
むしろ男の方が他者に頼り、甘え、依存しがちだと思う。なんなら組織によく依存してる。
でも他者を理解可能な存在として捉えてはいないと思うんだよなぁ、男は。少なくとも俺はそう。
他者を「理解可能」と捉えてる男がいるとしたら「分からせ可能」つまりマウンティング可能な下位の存在と捉えてる時じゃないかな。
異論はぜひください。
https://archive.md/m3u6E#selection-495.0-495.47
「身体性別はない」と主張する能川センセイ、ニューヨークタイムズのまともな記事読まなくちゃ!
The Problem With Saying ‘Sex Assigned at Birth’
「割り当てられた性」が採用される理由のひとつは、敬意に満ちた婉曲表現が提供され、特にノンバイナリーやトランスジェンダーの人々にとっては、厳しい生物学的現実のように感じられるものを和らげることができるからである。誰かが「出生時に女性に割り当てられた」と言うことは、その人が生物学的に女性であることを伝える、間接的でより丁寧な方法であると考えられている。この用語は、トランスやノンバイナリーの人々との連帯を示すと同時に、伝統的な性の理解は時代遅れであるというラディカルな考えを伝えるためにも機能する。
「出生時に割り当てられた性別」の表現は、善意によるものかもしれないが、進歩ではない。私たちは礼儀正しさや連帯感の表現に反対しているわけではないが、「出生時に割り当てられた性」は人々を混乱させ、生物学的事実について疑念を抱かせる可能性がある。また、私たちの伝統的な性に対する理解を正す必要があるから、このような表現が求められるのでもない。
そうではないのだ。セックスは、私たちの種にとって重大な結果をもたらす基本的な生物学的特徴であるため、それに関する誤解を助長することには問題がある。
性差は健康、安全、社会政策にとって重要であり、文化と複雑な相互作用をする。女性は男性に比べ、薬物による有害な副作用を経験する確率が2倍近く高いが、この問題は女性の薬物投与量を減らすことで改善できるかもしれない。一方、男性はCovid-19やがんで死亡する確率が高く、殺人や性的暴行の大部分を犯す。"割り当てられた性 "が死亡数を増加させるわけではない。重要な事柄に関する用語はできるだけ明確にすべきである。
影響力のある組織や個人が「出生時に割り当てられた性」を推進するとき、彼らは、「セックス」、「男性」、「女性」のような、社会で誰にとっても馴染み深く、性の意味合いを議論するのに必要な言葉を使うことで、市民が辱められるような文化を奨励している。これは通常の検閲のようなもので、特定の意見を公的に支持することを抑制するものではない。もっと巧妙で、そもそもその意見を議論するのに必要な語彙そのものを抑圧しているのだ。
より急進的な「割り当てられた性」の支持者は、生物学的事実としての性という考え方そのものが疑わしいと異議を唱えるだろう。フランスの哲学者ミシェル・フーコーや、最近ではアメリカの哲学者ジュディス・バトラーに関連するこの見解によれば、性とは何らかの文化的生産物であり、赤ん坊に男か女かのレッテルを貼った結果である。したがって、「性別」よりも「出生時に割り当てられた性別」の方が好まれるべきであると主張する。
この立場は、人間が自然の摂理から免除されていることを暗黙の前提としている。残念なことに、私たちは動物である。有性生物は少なくとも10億年前には地球上に存在していたし、人類が進化しなかったとしても、オスとメスは存在していただろう。セックスは、分娩室での言語的儀式やその他の文化的慣習の結果というわけではない。
一部の学者によって蒔かれた混乱にもかかわらず、私たちは性別の二元論が人間の発明ではないことを確信できる。
「出生時に割り当てられた性別」の問題は、確立された生物学的事実から会話を遠ざけ、政治的アジェンダを吹き込むことである。私たちは、医学的、社会的、法的な問題に関して、意見を明確に述べ、最善の方針を打ち出すのに役立つ共有言語を必要としている。その共有言語こそが、たとえ強い意見の相違が残っていたとしても、相互理解と民主的な審議の出発点なのである。