はてなキーワード: 生業とは
仕事上、最も重要なビジネスパーソンから誘いの声が掛かってしまったのだ。
断ってくれてもいいが、という前置きは枕詞の意味合いしかなかった。
でも拒絶するべきだ。
妻が他の男に抱かれている様子など見たら発狂する。
そこに生きる私達夫婦。
二人に子供は居ない。
年に2、3度ホテルに行く。
それだけだ。
妻から求められることはない。
常に私の方から。
最低限の夫婦の交渉がなければ、ふたりの関係が消えてなくなるんじゃないか?と不安にかられて。
外に女をつくったことはない。
(見た目だけ)きらびやかな世界に寄り集まる美しい人たちは多い。
その中から都合のいい女性を選べないわけでもない、と自惚れている。
妻は私が外で遊ぶことを容認している。
というか、私に対しての興味が薄い。
関心がない。
ひょっとしたら、もう私に対して愛情がないのか?と思うこともある。
ただ商売をする上でお互いにお互いを補完しあうスキルが貴重すぎて手放せない、
夫婦というよりもビジネスパートナーと思っているのかもしれない。
そんな風に考えていた。
妻が他の男に抱かれているところを想像するのは苦しい。
しかし、仕方がない。
これをしなければ商売は続けられないのだ。
それに今の生活を捨ててでも守るべき矜持などというものは、とっくの昔に捨て去ってしまっている。
妻も、もともとは生き馬の目を抜く業界で営業の第一線で働いていた女だ。
そして重要なことだが、一度参加すれば二度と三度と抜けれない蟻地獄のような誘いではなかった。
その乱パは参加人数は10人程度。
そのうちの半分はセクシービデオに出演している方々を高額の報酬で招いている。
主催者が見たいのは、素人の女性が初めてプロの男優に責められて狂う様子とそれをみて苦しむ夫。
そして夫が自分より若くきれいでかわいいセクシー女優とセックスするのを見て嫉妬に駆られる妻、
という構図だ。
だから一度参加すれば、次回、また次回と参加を強制される性質のものではない。
なぜなら何度も参加して慣れることで夫婦に感情の揺らぎがなくなるからだ。
主催者が見たいのは「セックス」ではなく「心のゆらめき」なのだ。
パーティは都内の某所、邸宅というより要塞と呼ぶ方が相応しい分厚い塀に囲まれた建物の中で行われた。
2人は素人(このパーティには常連の仕切り役の夫婦(今回私達がこのパーティに参加しなくてはならなくなったのはこの2人の誘いによる))、
ITエンジニア達がこぞってクソコードの話をしている。他人様が書いたコードにいちゃもんをつけて悦に入ってるのだ。
書いてあるコードの変数名にいちゃもんを付けたり設計にいちゃもんを付けたりするのが奴らの生業だ。
Xでは今その話題で持ちきりである。クソコードだと揶揄するのは構わないが、ところでお前らはちゃんと風呂に入っているのか?
他人様にいちゃもんを付けているのにまさか、風呂に入ってない奴なんていないよな?
リモートワークだからと胡座をかいて、稀にある出社日に洗ってない犬のような匂いとカビ臭い服の匂いをオフィス中にプンプン漂わせてないよな?
先に言っておくと、雑に書けば殴られる形で集合知が集まるという例のやつのつもりで書いてるのでみんな気軽にボコボコにしてくれ。
女流棋士の話題になるとはてなではジェンダー論と安易に結びつきがちで変な論争が起こるため整理されたいと思い、増田の見解を書く。
そりゃ一般人に比べたら強いに決まってる。
プロ棋士は強ければ男でも女でもなれるし門戸も平等に開かれている。ただ、その門戸を突破した女性がまだ一人もいないのが現状であり事実である。
⚫︎なぜ男はプロ棋士になれるのに女はなれてないのか
とんでもない天才がひしめき合う世界なので、毎月数日コンディションが落ちるという生物的違いがとんでもない大きな差になるのかもしれない(対局日当日がその日に当たることももちろんあるだろう)。将棋とは関係ないところで男性相手に鎬を削るということにプレッシャーを感じるような「女は男を立てなくてはならない」「女は男に勝てない」等の刷り込みを社会生活のなかで学習しているということはあるかもしれない。後述するが女流棋士という枠の存在の影響もあるかもしれない。とは言え、プロ棋士になれるかなれないかの奨励会は勝敗がすべての世界であり、男の成績に下駄を履かせたりみたいな差別は一切存在しない結果がすべてである。
⚫︎女流棋士とは何か
そこで登場したのが女流棋士という枠だ。日本将棋連盟の役割はなにも「将棋が強い奴を選り分ける」だけではない。「より多くの人に将棋を楽しんでもらえるよう普及活動に励む」も日本将棋連盟及び棋士を生業とする人間の立派な役割だ。
そしてそうなってくると将棋界が男しかいないむさ苦しい世界だという事実は都合が悪い。別に門戸は開いているはずなのに、女性プロ棋士は一向に誕生しないのである。
こうして生まれたのが女流棋士という枠だ。プロ棋士とは別枠で、プロ棋士にはなれないけどちゃんと将棋を理解してて将棋が好きで将棋が強い女性には将棋を生業として生活できるように女性枠を設けますよ、という話だ。
これは、普及活動という点で男女差はなるだけ埋めたい女性にも将棋は楽しいものだと思ってもらいたいというそのままの意味でのアファーマティブアクションだとも言えるし、まあ解説やイベントの際に華を添える客寄せパンダ的なところがあるだろう点ももちろん否定しない。
プロ棋士になれるほど強くないやつでも、女なら女流棋士にしてあげるよ、それが女流棋士だ。
前項で書いた通り、女流棋士は必要により作られた女枠という認識ではある。が、閉ざされた男だけの世界に急遽都合の良い女が駆り出されたわけではない。平等な勝負の世界で女性が勝ち上がってこなかったので「これはまずい」と設けられた枠なのである。
女流棋士という概念自体は経緯を踏まえてもまったく悪いものではないのだが勿論弊害はあると増田は考えている。
まず一番大きいのは、プロ棋士を目指すための奨励会員と女流棋士を兼任できる点だ。つまり女流棋士のリーグ戦を戦いながら、奨励会でも戦う。女流棋士になれば解説やイベントなどの仕事も発生する。一方で奨励会で戦う男たちは「ここで勝てなかったらすべてが終わり」の人間たちだ。勝敗へのこだわりや思い入れに差が出るのは推して知るべしだ。
プロ棋士になるための奨励会での勝負への準備という点で言えば女流棋士も兼任できるという二足の草鞋が大きなハンディキャップになることは想像に容易であるし、女流棋士という生き方を選べることそのものが「逃げ道」として機能してしまうこともアファーマティブアクションという理想が善く機能することはいかに難しいのかという話にも繋がっていくのだと思う。男が一般職を選ばないとか、チルドレンと呼ばれる女性政治家とか、色々な類似例が想起されるが、完全実力主義の将棋の世界ですらアファーマティブアクションによる功罪は発生するのである。
ジェンダーを考えるための将棋などまったく馬鹿馬鹿しいが、全くすべてが勝負の世界である将棋界がどうなっていくのかというのは、その点においても興味深く思っている。
(追追記)
思ったよりバズり困惑する一方でこの話題に感心を持ってもらって嬉しくも思います。表現の汚さは、連休中日の当直後、概日リズムを崩すまいと、徹夜明けのハイな状態で書いていた文章である事を以て言い訳とさせてください。
一点、誤解されている点を追記させてください。あんな文章を書いておいてアレなのですが、私個人は、皆保険制度をまるごと消滅させるべきとは考えておりません。医者が他人の金をクソの山に埋める事を生業としている現状を変えたいと思っているのです。
現状は、様々なプレイヤーが種々の程度で皆保険チャンに乱暴を加えている状況であり、それが日本の衰退を惹起させているのだと認識しております。
(そして、すべてが手遅れになった際には、全て医師のせいにされるのであろうという、強い予感も感じております。)
しかしながら、ルールが悪用されるに当たっては、悪いのは悪用されるルールの方です。日本だとこのルール及び細かい数字はよーわからん方々がエイヤーとやって定めているのだと理解しております。
自己負担○割に変更するのも一つの手でしょうが、明確な理由も無くその数字が定められる以上、本質的な最適化ではないと思われます。勿論、1割よりかは3割の方が望ましいと思います。
根本的にこれを是正するにあたって、米国の様に見えざる手に委ねるか、或いは英国の様に医療アクセスを絞り費用対効果を分析から得られた結論をトップダウンで課すか。
表題では医師というポジションのみを考え露悪的に前者を推してみましたが、現実的には後者でしょう。
つまりは「○○歳の五体満足な人間の一年間は、○○万円に相当し、bedriddenであればそれを0.○倍する」という、地球より重いはずの人命を日本円で測定する事をやらねばならない訳です。
忖度なしにこれをやると、いまの医療漬けのご老人方は壊滅すると思われますが、忖度無しに行うからこその費用対効果なのです。
このベースに加え、足りない分を、英国のように、修練を積んだconsultantにのみprivate practiceを許して補うという制度あたりがちょうど良いのだと考えております。
(追記)
医者バッシング一色になるかと思ったら、意外にもそうではなくびっくりしました。
我々の富が如何にして投資に回されず、誰のためにもならない形で浪費され、みんなで不幸になっているかを知ってもらうため、注目を引きたいが為に露悪的に、過激に書きました。ハマスがやってるような手法です。大勢の方々が気分を害されたと思いますが、誰も半裸にして引き回したりしてないので、許してね(^_-)
日本人が皆保険を手放す訳無いと理解しておりますし、仮にもし、皆保険制度がなくなったとしても、案外多くの勤務医がクソみたいな低い値段で医療を提供し始め、そんなに人件費は上がらんじゃないかと思います。奴ら、どうしようもないお人好しばかりなので。
私個人は普段努めて優しく臨床をしております。患者が憎いわけではないのです。先程私が口汚く罵ったような方々を実際に目の前にした際には、「大変だなぁ」と思います。患者ご本人に対し、そして世話をする家族や自分含めた医療従事者、そのシステムを支える皆様方や将来の子供たちに対して、です。
もうちょっと、制度が違っていれば、もっとうまくいくのになあと感じます。
さて、皆様に於かれましてはお医者さんが大嫌いな方も多いと思われますので、以下、医者を困らせる方法を記載しておきます
これらをされると、我々のお客さんが「なんもしてないのに病気になった人」だけになってしまい、困ります。
(本文)
国民民主党の玉木議員の医者の給与を減らせというツイートが昨今話題になっている。その理由は医療に金がかかりすぎ、成長と全体の幸福を損ねているから、らしい。
ここに、手っ取り早い解決法を提案したいと思う。国民皆保険制度を廃止すれば良い。
国民皆保険制度、そして高額医療制度は非効率な医療サービスのバラマキを行っている。
発熱すらしていないコロナ患者に対するラゲブリオや末期肝硬変患者の貧血に対するエリスロポエチン。どうしようもなくボケちまった爺さん婆さんはあめ玉のようにアリセプトを舐めている。大正生まれのご老人に順内と血外の連中がTAVIやらEVAR,TEVARをするせいで、ピンピンコロリへの道筋が絶たれていく。一種の老人病である心アミロイドーシスという病気にタファミジスのような冗談みたいな価格の薬が投与される。
PD-1阻害薬なんて薬ができたせいで森○朗が復活してしまい、東京五輪で遺憾無く老害っぷりを発揮したのは記憶に新しい。ヤニカスは年金を受け取る前に早く死んでくれるから財政的にトントンだったのであって、延命してしまえば単なる息の臭い金食い虫だ。
糖尿病で腎臓をぶっ壊せば医療費がタダになる上に週3人工透析をする権利が付与される。これは米国だと週2回である。別に週2でも死にはしないのだが、政治家にとっての票田、透析病院にとってのアクティブユーザー数を維持する為に週3となった。
そして今後これにレカネマブが加わる。
この話を欧米の医者にすると、イかれてんなwどこからその金が出てんの?、と言われる。納税者の財布からである。日銀が円債を引き受け、円の価値を希釈させることでそれを行うこともやっている。
世間のイメージとは裏腹で、日本の医療従事者の人件費はとても安い。
これは一人当たり医療費支出を見れば明らかだ(4,691ドルでOECD加盟中15位/38位)。上述のような無意味なバラマキをしており、かつ失敗国家のような人口比率であるのにもかかわらず、日本の医療支出は相対的に低い。何故か?それは医療従事者の人件費が安く押さえられているからだ。
米国の医者や看護師の給与水準は日本の5〜6倍くらいはある。最近は円安でそれにブーストがかかった。米国の一人あたりGDPが日本の2倍程度であるのを考慮しても、単純計算で3倍もらっていいことになる。しかも、日本は医療サービスを必要とする高齢者の割合が高く、富は高齢者に集中している。その上、日本の人口あたりの医者数は米国の二分の一強しかいない(看護師数は知らん)。自由競争が許されれば、価格はどこまで上げて良いのだろうか?
社会主義的な医療制度を採用しているカナダ、オーストラリア、イギリスと比較しても日本の医療従事者の待遇は地を這うような水準だ。この差は、これら国々は費用対効果に見合う医療のみ提供する事より生まれる。そして、費用対効果という言葉は日本で最も忌み嫌われる言葉だ。医は算術ではなく、バラマキなのである。
看護師の方々の礼節は海外と比較するとびっくりする程だ。大して金を払っていない患者に対して奴隷の如くクソ丁重にもてなす(個人的にやめたほうがいいと思っている)。消化器の先生は海外ではまず不可能であろうESDなどを華麗にこなしてみせる。外科の先生はクソ面倒くさいリンパ節郭清などを毎回丁寧にやってらっしゃる(あれエビデンスあるんすか?)。心外、脳外、婦人科の先生方はキチガイじみた24hオンコールを律儀に請け負っている。
ネットに出没する出羽守の方々が海外で稼げなくなってから日本に凱旋するのはまさにこれが理由である。医療が安いだけが理由であったのなら、金が腐るほどある金持ちは海外で医療を受け、そこを終の住処とするだろう。
要するに国民皆保険制度は医療従事者を抑圧する制度でもあるということだ。
この手の話題では、医業の独占を医者から譲り渡すべきだという議論になりがちがだが、別にそうすればいいと思う。
chatGPTの言われた通りに動けば素人でも9割方正解を出せる(残り一割はとんでもなく間違う)。
ただ、麻薬とか向精神薬とか抗癌剤など人を殺せる系薬剤の処方権をお譲りするのは難しいと思うし、無免許医が患者に不利益を及ぼした場合、たとえ事前の患者の同意があったとしても殺人罪やら傷害罪が適応されるべきだと思う。じゃないと麻薬密売やら自殺幇助などがはびこるだろう。
血圧とか糖尿病の薬程度であれば各々自由にやればいいんじゃないかな。ここら辺も匙加減間違うと死ぬけどね。
ネット上では医者が率先して寝たきり患者を量産していることとなっているが、それは嘘だ。寝たきり患者が増えることで得をするのは病院であって、医者ではない(そして、病院にも大した得にならない)。医者が胃瘻やら中心静脈栄養やら喉頭気管分離を行うのは、家族から「できることはやってあげてください」、或いは「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」と言われるためである。一度そう言われてしまうと、文字通りできる限りの事をしないと訴訟や医師免許お取り潰し、場合によっては殺人罪を着せられることになる。延命を行わないことのデメリットが甚大である一方で、メリットは皆無なのだ。
そんな中でも過去にALS患者を安楽死させようとした医者や、透析を中断させようとさせた医者が過去に居たが、日本人はその行為の是非を議論しようとはせず、彼らは司法やらメディアの袋叩きに逢い、無事死亡した。
医療従事者は、低所得者や生活保護者ともっとも交流する職業のうちの一つだ。実際に相手をしてみると解るが、大抵彼らは愚かで、卑しく、救い難い。そんな人々を相手にしたくないし、彼らのために真面目に労働し納税している人々の税金を注ぎ込む際には良心が痛む。
だが、そうせざるを得ない。国民皆保険制度がそうさせているのだ。
ただ、想像してみてほしい。ご高齢の方々は、周囲から疎まれながら、そんなに長く生きたいだろうか?役目を終え、尊敬される老人のまま、死にたくないか?
デブやアル中、ヤニカスの皆様方は、太く短い生涯を送りたくて、そういったライフスタイルを営んでいるのではないだろうか?
そしてなんといっても皆さん、フリーライダーは、お嫌いでしょう??
「お前もいずれは高齢者になる」と言われるが、私の経験では生産可能年齢を過ぎてからの延命は本人含め、誰も幸せにしない。
病院に巣くうご老人方は醜く礼節に欠きそれでいて生産性は皆無である。家族含めた周囲は陰に陽に早く死んでほしいと考えている。そんな中貴重な医療資源を浪費し、死ぬはずであった今日を先延ばしにしているご本人は少しも幸せそうでなく、それどころか不機嫌な顔をしている。飯塚○三のような、あの顔である。
医療に縋らないと生きられない時点で、生物として破綻しているのである。そんな中長く生きても、なーーーーーーーーーーーんもいいことないよ。
私は、基本的には人の為になりたくて医者になった。給与や労働条件が他国に比べてイけてないのはまだ我慢できる。だが、劣悪な労働条件で滅私奉公し、それが故に国賊の様に扱われるのは納得がいかない。国民皆保険制度は医療従事者の待遇を悪化させているだけではなく、医療従事者が頑張れば頑張るほど、日本国民、および患者とその家族に不利益を及ぼすような制度設計になっている。悪いのは制度であって、医療従事者でも、患者でも、老人でもないのだ。
今から書く言葉は誰に許可を求める訳でもなく、僕個人の自分勝手な言葉です。
表に出る人間として、表現者として、エンターテイナーとして、自分の勝手な思いで言葉を吐いてはいけないと思いながらずっと生きてきました。
それはある意味、本心という物に必死に蓋をして生きてきたのだと思います。
俳優を生業として17年、文字にするとたった3文字だけど、この3文字の中には数えきれない出逢いと別れ、失敗と成功、躓きと挫折、だけど喜びと愛…色んな物が詰まってます。
14歳でデビューしてから一人で暮らし、中学にも行かず一心不乱に役者業を邁進してきました。
皆んなが思春期に経験する殆どの事をすっ飛ばして、大人の中で生きてきました。
価値がなければ必要とされない、才能がなければ淘汰される、そんな荒波を息継ぎの仕方も知らないままここまで来ました。
全てを許して手を差し伸べてくれる家族も僕にはいない。誰も助けてくれないなら、自分で何とかするしかなかった。
そうして虚勢を張って、狡賢く、狡猾に生きる事を覚えました。
それは生きやすい環境を手に入れる反面、淡々と自分を殺す作業だったのだと思います。で、遂にガタがきたんだなって。
本当の自分って何だろう?友達と笑って恋人と愛し合って、うん…で、君は誰?何処に居るのが本当の僕なんだろう?ずっとそんな疑問が宙に舞うばかり。
でも役を演じている時だけはそれを忘れられた。自分じゃ無い何者かになる事で、自分が何者であるかという事から目を逸らした。
いま僕は人生のどん底にいます。真っ暗闇で、星のひとつも見えない混沌の中にいます。
役を生きる事でしか生を感じられなかった壊れた僕は、役を取り上げられたらただの壊れたガラクタでしかなかった。
プライベートもぐっちゃぐちゃに拗れて、手に入れたと思った安息は、逆にこの首をこれでもかと絞めてくる。
これが代償だと言うのなら、僕は一体どれだけの罪を重ねたんだろう。
よし、あっちへ行くか。と思った事は数え切れないほど沢山ある。実行した事も。
だけど、だけどね、もう少しだけ生きていたいんです。いや、違うな。怖いんだ。
悲しむ素振りをして、でも3日と経てば元通り、何事もなかったように世界が廻るのが怖くて怖くて仕方ない。
誰かに必要とされたい。必要とされながら死んでいきたい。忘れないで欲しい。
途中で投げ出すのは簡単だけど、諦め切れない自分がいる。諦めないでと言ってくれる人がいる。
だから、もう少しだけ頑張ってみようと思うのだけれど、足がすくんでしまって今までのように上手に歩けない。
でもそれでいいんだって、下手くそでも、笑われても、これからは自分の足で歩いていきたい。
だから、一生のお願いです。僕にもう一度足を踏み出す勇気をください。
SNSの無機質な点と線で出来た言葉じゃなくて、あなたのその手で、その心で紡いだ僕だけのお手紙が読みたい。
多分、きっと、それで前に進めると思うんです。分からないけど。そんな気がするんです。
それで、死ぬほど泣いて、枯れるまで泣いて、もう一粒も零れないくらい泣いたら、明日から生まれ変わって、ありのままで生きていく…そうなれれば幸せだなって、そう思うんです。
まとまりのない長文を読んでくれてありがとう。僕の存在に触れてくれてありがとう。僕も、誰かの存在を確かめる何かでありたい。これからも。
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Xユーザーの池田純矢さん: 「人生最大の弱音を吐きます。 今から書く言葉は誰に許可を求める訳でもなく、僕個人の自分勝手な言葉です。 表に出る人間として、表現者として、エンターテイナーとして、自分の勝手な思いで言葉を吐いてはいけないと思いながらずっと生きてきました。…」 / X
霊能者マンガを読んであれこれ検索してて、ふと昔のことを思い出した
突然、おばあさんに占われた時のこと
朝のバスでちょっとした人助け的なことをしたんだと思う、何をしたかはもう覚えてない
別に何の他意もなく、ただお年寄りには親切にとかそれくらいの気持ちだったんだと思う
駅についてちょっと寄り添って歩きつつ、仕事に行くので別れようとするとおばあさんは、突然何の脈絡もなく言ったのだ
それ以外にもいくつかアドバイス的なものをもらったと思うが忘れてしまった
その時に思ったことは、おばあさんはきっと占い的なことを生業にしてる人で、私がしたことへのお礼として占ってくれたんだろうな・占うことでお礼としたんだなと
その占う内容自体はその後の人生にそこまで影響を与えたわけでもなく
それまでも結婚するなら、父親・母親も良いと思ってくれる相手がいい、とは思っていたので、まあそりゃあそうね、くらいに聞き流してた
父親が夫を選んだわけでもなく、良いと言ったみたいなエピソードもない
でもまあ、私は夫は好きだし信頼もしてる、それでいい
そして良い評価という感じも受けなかったが、、
ちょうど大きめの美術館が何個かある地域にいる。それぞれ年に数回企画展が行われる。
しかし美術館へ足を運ぶ経験を重ねるうちに、たとえあまり惹かれないものであっても、1500円前後で貴重なものに触れられるのなら、とりあえず行ったほうがいいような気がしてきた。
そこでここ一年くらいは、とりあえず全通してみた。別にアートを生業にしているわけでもないし、アートに深い関心があるわけでもない。同人もしていないし、何か生活の役に立つわけでもない。大した学びにもなっていないだろう。
ただふとしたときに既視感のあるものが増えて、少し人生の楽しさがアップする程度。でも個人的にはいいお金と時間の使い方をまたひとつ見つけることができた気はしている。
とくに西洋画(特に油絵)にはまったく興味がなかったけど、行ってみたらなんか、写実的すぎるよりは色彩が明るめで、絵の具がキラキラしている油絵が好きだなあとか、遠くから眺めると奥行きが綺麗だなあとかいう発見ができた。アニメとかの絵に慣れてると、あんまり遠くから絵を見るという感覚がなくて新鮮な発見だった。