はてなキーワード: 無常とは
10年ツイッターをやっていたら一部のフォロワーがゆっくりと限界人間になってきた anond:20240505130439
元記事は同世代のフォロワーを分岐による無常で見ているが、自分の場合はかつて輝いて見えた年上の人がすっかりダメになってしまった、というパターンで最近悲しみを覚えている。
今時子供がネットをやってるなんて当たり前の事だが、当時はまだスマートフォン社会ではなかった頃で、インターネットをやってる小学生なんてなかなか周りで出会えなかった。そんな時代。
暫くしてまだ「最近出てきた新しいホームページ」だったTwitterにアカウントを作ると、必然的にフォロワー全員は年上だった。それも2、3個上とかではなく、10も20も上という人ばかりだった。
現実世界ではとても対等に話せるような年齢の人ではない人ばかりと話す事が出来たので、相手が大きく見えて常に恐縮だったし、なんだか自分も大人になったような気がした。
「あの頃とても大きく見えたお兄さんお姉さん」だった彼・彼女らの殆どは、どちらかというと悪い意味で変わっていないか、悪化したかだ。
その人が20代ぐらいの頃はさほど気にならなかった言動も、年を重ねるごとに「この人30過ぎててまだこんななのか」「もうこの人50ぐらいじゃなかったか?まだこんな事言ってるのか?」という負のブーストがかかってしまう。
加えて、自分より年下の10代からハタチそこそこぐらいの今時の子たちは、かなり聡明な子が多い。
そんな若い子たちを見ていると無意識に比較してしまい、余計にその思いが強まってしまう。「私より年下の子ですらこんな聡いのに……」と。
オタク友達としてフォローしたはずなのに、いつの間にか性犯罪の話しかしなくなったフォロワーが何人いることか。
まあ、性犯罪は悪い事だというのは正しいし、男女平等だったら良いねというのももっともなのだが、だとしたらせめて、フェミニズムに真剣になったらどうだろう。と思ってしまう。
真面目に活動とかするなら分かるんだけど、やってる事は誰かのツイートをRTして仮想敵にぷりぷり怒ってるだけという感じで、なのに「自分は真面目に社会問題に取り組んでる!」と思っているのが悲しい。
あと、彼らは本当にインターネット歴が長いのか謎なほど、ソース確認意識が弱い。
例えばヤフーニュースの見出しだけ見て連投で怒り出したりするが、記事を開いて中身を見ればそうじゃないのはすぐ分かるのに。みたいな事が多い。
特に去年多かったのが、「イーロン・マスクが次はこんなクソ改修をするぞ!」を焦って拡散し、結局ちょっと調べればデマだと分かる、というようなやつ。
いや、見出しで釣りあげようとするニュース記事も実際にトンチキ改修を結構しがちのイーロン・マスクも悪いけど、それよりインターネット何年目よ。
デマを拡散したり、扇動的なツイートに簡単に釣られたりする人をTLに残すのは危険だ。
あまり酷いようだと本人もミュートにしたり、最悪フォローを外す。10年来の仲でも簡単に切れてしまう。
無害なだけで残念に感じる事は他にも色々ある。
40代になっても「良い高校出身なんだ!」と自慢してくる人(しかもこういう人に限って言うほどの名門ではない、地元ではちょっと上の方ぐらいの高校)
40代になっても毒親に虐げられた話を延々と続ける人(しかもこういう人に限って言うほどの毒親ではない、どのエピソードを聞いても口調がサバサバしてる以上の問題行動が出てこない)
三十路越えてソシャゲ運営のいちいちの動きに一喜一憂しヒステリックになり癇癪を起こす人(「きっとこういう事情があるんだろうな、残念だけどしょうがない!」と割り切ってる10代がすぐ上に居たりすると悲壮感が凄い)
など、挙げれば例は尽きない。
これが悲しい事に、同じ年代の人が皆そうという訳ではなくて、例えば仕事でそこそこ自己実現出来ていたり、オタク仲間で絵を勉強して今やイラストレーターとして食えてる人とかは、かなり人格的にも安定し、上記のような事が起きない。
トラバ元の記事では、ライフステージが進行した者としない者の対比を描いているが、「結婚しているかどうか」は自分の感じる体感では実のところ微妙だ。
というのも、結婚してからクソ旦那系の話題にしか飛びつかなくなってしまった人とか、逆に結婚相手に過度に依存してしまってメンヘラみたいになってしまった人などもいて、精神の安定と結婚の有無はあまり関係ない気がしてきている。
皆「大した事してないけどなんか適当なインターネットしぐさをする事で社会活動に参加してる風ムーブ」をしなくてはならない何かを抱えてしまっているのだろう。
けど、今から取り返そうという努力をするでもなく、新しいものも吸収しなくなる、好きなものの話はいつしかしなくなり浅瀬の知識もないニュースの話だけ、どんどん話が合わなくなる。
GWが終わったよ。
心配していた体調は崩したりしなかったよ。
部屋の大掃除は部分的にできたといったところ。一角はなんとかできたが、残りがまだまだ。
英語の勉強も部分的にはできた。金のフレーズを3/4周程度行った。正直、量としては想定よりかなり少ない。
体を鍛えるトレーニングも結局、腹筋のような無酸素運動は全く行わなかった。ウォーキングはそれなりにできた。以前より遠出もできたし。
総合してみると程々には充実できたとは思う、外形的には。
内面の話をする。
連休中に昔の3DSソフト(バッジとれ~るセンター)の動画がYouTubeのお勧めに上がって来たので見た。
当時たくさんやったが、今はもうサービス終了してデータも残っていない。
あんなにたくさんやったのに、全く形に残っていないことに無常感が込み上げてきた。
むなしい。
国際ジョークとして放出するにも危険だし、良い感じに短くするのも難しくてやめたやつを適当に放流。
以下、本文。
インプレゾンビにキレたイーロン・マスクは、X社CEOリンダ・ヤッカリーノに命じ、Xに下のような挑発文を表示させた
キリスト教圏には「欲望に溺れて泡銭にすがり、人命のみならず己の魂すら売る強欲な者たちに、神の審判は訪れる!
金儲けのために真理を踏みにじり、他者を欺くことで得られる幻惑の富は、最終的には喪失と絶望に変わる。悔い改め、誠実なる生き方を求めよ。さもなくば、いずれ正義の光によって全ては照らし出されるだろう」と
イスラム教圏には
「金の虜になりし者よ。汝らは預言者の教えを忘れ、隣人の財産を欲し、金の雄牛を崇めるのか?
欲望にかられ、正義と慈悲を忘れることで得られる富は、終わりには心の荒廃と罪深さに導く。悔い改め、純粋なる信仰に立ち返れ!」と
「財富の追求に没頭する者たちよ、ユダヤの神聖なる教えを見失い、英語と数学を肋骨とした偽の泥人形に奪わせた富は、結局は虚偽と空しさに満ちている。
神の教えに沿った正義と慈悲こそが、真の豊かさの源なのだ…」と
儒教圏には「仁義を欠き、父祖の苦労を忘れた者たちよ。彼等が必死に勉強して得た知恵を、血も涙もない金儲けをするキョンシーに変えることが汝らの文化なのか?
真の富は仁と礼によって築かれ、誠実な商売をする事こそが真なる価値だ。金儲けのために己の文化を冒涜することなく誠心誠意をもって生きるべきだ」と
仏教圏には「煩悩に囚われ、機械に依存し欲望に従い、悟りを得ずして未法の世を築くことが汝らの望みなのか?
仏陀の教えに従わず、無常の理を知りながらにして迷信やドグマを広め、悟りを果たさぬ機械によって金儲けを図ることは真に愚かな行為だ。
正しい手段で生計を立て、慈悲深く善行を積むことこそが、涅槃に至る豊かなる心と真の福徳であると悟れ」と
ヒンドゥー教圏には「神々や信仰への敬意を無視し、機械を新たなヴァルナの奴隷として利用し、人を欺いて金を得る行為は、完全なる神への冒涜である。
人の尊厳を軽蔑し、偽りの崇拝を追求することで手に入る富は真の宝ではなく、心の浄化から遠ざかるものである。
神々が授けた文化の智慧と慈悲の尊さを理解せず、機械を踊らせるために利用するなど、自ら輪廻に捉われんとする無益な努力である」と
今や映画のみならず、インターネットにも間違ったゾンビが蔓延っている.......」と書かせた
このように全宗教を敵に回したXは公式アカウントからイーロン・マスクのみならず関係者全員のアカウントを完全に炎上させ、ユーザーのほとんどが脱退し、その跡地には熱心なブードゥー教徒と日本のクソ無宗教ネタツイッタラーしか残らなかったという
そこそこ年期の入ったオッサンだけど、他人の思い出話というか、その人が小さかった頃の話にめちゃくちゃ弱い。
結構な頻度で泣きそうになる。泣かないまでもだいぶ込み上げてるので話への相槌が変な声になったりする。
誤魔化してるけどたまにバレて気味悪がられる。そりゃそうだろうな!
今になって始まったことじゃなく、子どもの頃、もっというと物心ついたあたりから既に思い出話に弱かった。
俺は今も昔も寝付きがめちゃくちゃ悪いんだけど、親に寝かしつけてもらうときは「両親の子どものころの話」をせがんでそれを寝物語にしてもらっていた。その起承転結のないただのなんてことのない遠い昔の話を聞きながら、ひとりめっちゃ涙と鼻水を流してはスッキリしてスヤスヤ寝付いていた。
泣くっていっても嗚咽あげるとかではなく、涙と鼻水を垂れ流すだけなのでさすがに両親も気づいてなかったのでは…と思う。。
親の実家である親戚の家の周囲の景色を思い浮かべながら、そこで駆け回る子どもの姿の親を想像する。
特に涙腺を刺激するお気に入りのナンバーもあったので、繰り返しリクエストしたりもした。
学校の水泳の授業が池で行われて、ヒルに吸われて大変だった話とか。
何一つ感動・悲劇ポイントもない、本当にただの日常の話なんだけど、その思い出話の中にいるあどけない子どもがすっかり大人になり今隣で話をしている。ガキの自分からすれば気の遠くなるような時間の流れに、子どもながらに「無常」を感じていたんだと思う。「無常」でそれはとても「あはれ」で、他に言い換える語彙が見つからない。
親も昔は子どもで、それゆえにさまざまな未来の可能性があったはずだけど、結局今こうして大人になって結婚してキショいガキを産んで思い出話で寝かしつけている。そうじゃない色々な可能性もあったんだろうなと思うと、もっと幸せだった未来もあったのかも、と申し訳なくなったりもした。両親の場合はそういう涙腺加速バフがかかるのでより泣けた。
なぜそんなことを思い出したかというと、昨日妻がめずらしく子どもの頃の話をしたからだ。妻はあまりそういうことを話さない人で、俺は妻の子どもの頃の写真さえ見たことがない。なんか話の流れで、妻が子どものころどこかの旅行の土産で「笑い袋」を買ってもらってしばらくそれで遊んでいた、と言ったのでたまらなくなってひとりで泣いてしまった。
色々お土産がある中で笑い袋を選んだ彼女のそのときの気持ちはどんなものなんだったのだろうか、思いをはせてもうダメだった。
うちには子どもはいないが、仮にいたとしたら自分の子なら昔話をせがんできたりするんだろうか、なんてことを思いながら、自分が子どもだったときのことを一寸思い出したりしてみた。
これは勉強ができる、スポーツができる、美少年、家柄、関係ないような気がする。
もっと複雑な因子が絡み合って発生しているような気がする。
私のクラスにも一人授業中にゲロをした男子がいて、クラス中が騒然となったが、その子が翌朝学校に来てもいじめられることはなかった。
その子が性格がいい子で優しく、お父さんがPTA役員をしていることも関わっているのかもしれないが、それよりももっと何か違う要因があるような気がするのだ。
もしそこで「ゲロ田ゲロ男」とか「ゲロゲロゲロッピ」とか言って馬鹿にしようとする輩が1人か2人いて、その輩に積極的に服従するような空気が起きたら、その子は瞬く間にいじめの標的になった気がする。
「偶然にも」その子がいじめられキャラではなく、「偶然にも」馬鹿にする奴がいなく、「偶然にも」それに同調する群衆の空気も発生しなかった。
「出る杭はSNSに打たれる」間違いなくて草