はてなキーワード: 治癒とは
それどころか、今以上の疎外感、劣等感、その他諸々に襲われて立ち直れなくなるんやで。
やる気が出ないんやない、お前が立ち上がろうとしとらんだけや。
努力してるって言っても、それは口先だけや。
努力は結果のためのものであって、努力を誇ってもなんも偉ない。
よくSNSなんかで『逃げても良い』って聞くやろ?
逃げても良い時は絶対あるんや。それは間違いない。
だけどな、何でも逃げていいわけやない。
根性論とか嫌いやけど、気合い入れて踏ん張らないけない時はある。そんな時に逃げるやつは駄目なんや。
たまにいるんや、頑張って生きてる人に頑張れなんて酷いって言う奴がな。
違う、みんなそれぞれ頑張ってんのや。逃げたい時があっても踏ん張って乗り越えて、そんでたまに楽しい事して生きてんのや。
お前一人が頑張ってるんやない。お前の周りも生きるために頑張っとるんやで。
鬱ってな、ホンマ辛いんや。だけどな、鬱は誰も治してくれへんのや。
自分で治す病気や、自然治癒なんか無い。己が治癒させるもんなんや。
こんなもん続けっとたら、ホンマにお前立ち直れないどころかただの穀潰しや。
そんなん家族も見たない。友人知人だってそんなお前を見たない。
お前しか治せへんのや。
宗教二世と言う単語が俄に話題になっており、そう言えば私もそうだったなと思い、なんとなく当時の思い出を振り返りがてら
父親がはまっていた崇教真光について記そうと思う。今までROM専だったので、至らない所があったら申し訳ない。
細かい時期は覚えていないが、確か小学校にあがったあたりで父親が入信。
ある日いきなり家族を車に乗せて連れて行かれたのが西千葉にあった真光の道場(真光は支部を道場と呼ぶ)であった。
崇教真光と言うのは、神道系の流れを汲み、基本は教祖のもと真光大御神と言う神様を祀る新興宗教で、
一番の売りは、御神霊(おみたま)を言うものを装備して手を3回たたくと、手から目に見えない光が出て、
その光を当てると病気は治り食事は美味しくなり機械は治り悪霊は退治できると言う物であった。
この御神霊は初級中級上級などのランクがあり、初級はたしか5万円だか7万円だかを払い、
3日間泊まり込みの研修を受けたら誰でももらえるヒノキの棒のような物であった。
私も小学校2年か3年の時に受講させられてゲットした覚えがある。普段はネックレスのようにして首からさげ、
胸元に御神霊を入れるポケットがある専用のシャツを作ってそこにしまっていた。
体から外す時は、水に濡らすなとか心臓より低い位置においては行けないとかなんか細かいルールがあったけど忘れちゃった。
とにかくこれで御神霊をゲットした者同士でお互い手かざしをして、病気や煩悩などの悪いところを祓う修行をする場
と言うことで道場と呼ばれているようだった。
手かざしをする時の流れは、暇そうな人が集まる待機所に行き「すみません、○○をお願いしてもいいですか(なんて言ってたか忘れった)?」
と聞いて了承を得ると、二人で道場に行き、まずはお互い正座をして向き合って座り、
祝詞をパクったような呪文を唱えてから額に10分間照射するのが始まりだった。
その後は後ろをむいて肩首、うつ伏せに寝て背中、腎臓のあたり、足裏の順で指圧をして硬い所を見つけたらしばらく手かざしをすると言う流れで、
体が軽くなったと喜ぶ人も居たが、たぶん指圧の効果だったと思う。
たまに父親がなんだかんだ理由をつけて若い主婦の鼠径部あたりを執拗に施術?してたのは今思うと普通に痴漢やセクハラの類だったんだなとは思う。
■真光との付き合いや家族の事
宗教との出会いは上記の通り。典型的なモラハラDV親父だったため、母親を始めとして兄2人と妹を含めた4人兄弟は誰も逆らえずに入信。
定期的に道場に行っていたが、おそらく父親含めて誰1人信仰心から行っている者は居なかった。
逆らったり不満を漏らしたりすると、分厚いガラスの灰皿やゴルフクラブが飛んできたり、良いと言うまで正座もしくは町内をランニングなどさせられた。
母親は朝から晩まで会社で無給の事務員をやらされ、空いた時間で道場にいかされ、家事をやるものは居なく家の中は荒れ放題であった。
おそらくは父親自身のさびしさの穴埋めと承認欲求のために家族全員入信と信仰を強いられたのだと思う。
「○○さんのお家はご家族ですごいのね」
今思うと全てがこの一言をもらうためにやっていたように思える。
例えば真光では、体調を崩して熱が出るのは体の自然な状態なので、なるべく解熱剤などを使わないようにし、
手かざしと自然治癒で治そう。ただし本当にやばい時はちゃんと使わなきゃダメだよみたいな教えがあった。
これを先の一言をもらうために、熱が41度出ようが右足に古釘がささって切断寸前までいこうが家族に病院と薬の使用を禁止し、
無理やり病院に連れて行ってくれた先生を呼びつけ罵詈雑言を浴びせ殴るけるをし、自身が経営する会社の金を横領し
道場に高級車や多額の献金をし、子供は学校を休ませて道場にかよわせ、真光一家の子供が集まるキャンプに参加させ、
岐阜の総本山での大集会に参加させてってここまで書いて思ったのですが、宗教と言うか父親の話ですねこれ。
大体土日ともに朝6時ぐらいに起こされて父親の車に乗せられて道場に連れて行かれる。
この時献金用(なんかお金を紙につつんで2礼2拍手かなんかしながらうやうやしく神前に置いていた記憶が)の100円と
昼飯代などを渡され、妹と二人でおいて行かれる。
母親は会社につれていかれて無給で仕事の残務処理を、父親はゴルフなどをしにいっていた。
父親の目的は「○○さんのお子さんは熱心ですごいわね」と言われる事で、
信仰心を満たすためでは無かったためこれはすごく理にかなった行動だと思う。
そして私と妹は、道場内にある託児所のような場所で、布教用の新聞を折る内職をしたり、信者同士で手かざしをしたり、
マイッチングまちこ先生の絵の人が書いた布教用?の漫画を読んだり、道場長(支部長)が幹部候補生(無給で道場の雑務を処理する青年奴隷)に
パワハラしてるのに怯えたりしながら、ゴルフ帰りの父親が迎えに来るまで時間を潰していました。
当時の数少ない娯楽で楽しみにしていた事が2つあり、1つ目は手かざし中にたまに憑依した霊が手かざしの光を嫌がると言う設定で、
普通のおばさんが「ワシは武士だ!」とかいい始めたりする突発イベントだった。私は2回しか見たことが無かったが、
最初は「まぶしい!やめろ!」とか言って目をつぶったまま光を避けようと抵抗してたが、
最後は「あたたかい…」とか言いはじめて最終的にはなんかお礼とか言ってた。
もう1回はなんか頭揺れてうーうー言ってただけ。今思うと後者は寝不足な人が眠気に抗ってただけなのかもしれない。
もう1つは布教(?)に連れて行かれる事であった。これ自体は面白くもなんとも無かったが、外に出られるってだけで嬉しかった。
主婦が5人1組ぐらいのPTをいくつか組んで、ワゴン車で移動して死亡事故があったところを皆で手かざしをしたりしたのだが、
たまーに「手がピリピリする!」とか言う人が出てくると、そこにどうやら成仏できない霊がいるみたいな設定で皆で集中砲火をするのが面白かった。
その浄化作業の後は阿佐ヶ谷姉妹の玄関開けると居る人たちってネタそのままの行動をしてた。
これのために子供会の野球もやめさせられたし、友達と全然遊べなかったのが辛かった。
当時一番嫌だったのが、金曜日から日曜日にかけて行っていた総本山での大集会(なんか名前がついてた気がするが忘れた)。
金曜日の夜に背もたれを倒せない古いバス10台ほどに分乗して千葉の道場を出発し、皆で寅さんの映画などを見ながら金曜日の夜を過ごし
土曜日の早朝に岐阜の総本山へ到着。全国、というか外人さんのために通訳とかもあったからおそらく世界中から数ヶ月に一度ここへ集まり、
手かざしのおかげで病気が治った、事故にあわずにすんだ、なんかしらの災いから逃れられたなどの今で言う嘘松体験のような物を
泣きながらやる発表会や、ありがたいお話を聞いたり、青年会かなんかの歌や踊りを見たり、みんなでお祈りをささげたりしながら、
集会1番の売りである、教祖様手ずから信者に向けての一斉手かざし(※通常は1on1でやるものだが、教祖様は凄いので大ホールに集まっている
全員に一斉に、しかも両手で光を浴びせることができた)を受けて良かったねと言ってまたバスで1晩かけて帰る。
2夜連続で狭く揺れるバスでの宿泊は車に乗ると確実に酔う私には拷問に等しかった。マジで2晩中吐いてた。
またこの集会にはアントニオ猪木をはじめとした国会議員が数名来ていた。その他芸能人も何人か来ていたが、覚えているのは丹波哲郎のみ。
小学校低学年だったため、子供でも知ってる猪木と、映画を見させられた丹波哲郎以外は名前を知らなかったし覚えていない。
全国から岐阜に集まっちゃうぐらい言う事聞いちゃう信者に顔を売ると言うのは、政治家や人気商売の有名人にとって計り知れないメリットがあるんだろうね。
教団側も内外への広告塔として利用価値あるし、統一教会と政治家がずぶずぶなのも何を今更としか思えなかったし、
参加している芸能人はともかくとして、政治家がどこまで本気で信仰しているのかは怪しい所だと思う。
■その後というか話の締めくくり的な物
父親はその後、思春期を迎えた兄2人を暴力で支配できなくなり、母親には小学生だった私と妹を連れられて離婚され、
会社は銀行に没収され、すっかり存在を忘れられていたが、数年前に膵臓がんにかかり長男に会いに来た所、玄関の扉も開けずに追い返されたとの事。
とっぴんぱらりのぷう
■追記
読んでくれてありがとう。自分の中ではとっくに整理がついてたつもりだったけど、改めて文章にしてみると無視してただけで
100%飲み込んだわけじゃなかった感情とかが見つかって良かったと思う。
上には書いてなかったけど、私が小学2年生の時に母親に連れられて秋田に逃げた事があった。
その時は確か3ヶ月ほどで見つかり連れ戻されたんだけど、そこの児童館かなんかで聞いたフレーズでやけに記憶に残っていた。
当時は個人情報にそれほどうるさくなかったから、学校への問い合わせで見つかったっぽい。
その失敗を踏まえて数年後にまずは母親が単身で家出して、生活基盤を整えてから私達を迎えると言う計画に出たが
居場所や計画などがバレないように私達には内緒にして行った物だから、妹と2人でお母さんに捨てられたと絶望したのはまた別の話。
(※兄2人は知らされていた)
>崇教真光の勧誘には会ったことないけど、勧誘に連れてく子供が他人の子供だった(そういうケースもあった)というのは新鮮な驚きだったわ
勧誘は基本的に主婦を積極的に狙ってた。主婦を釣ればほぼ確実に子供がついてくるし、財布を握っているケースも今より多かったからだと思う。
結果として託児所みたいなところがあって、そこに子供を預けて行くシステムが千葉の道場にはあった。他の道場や宗教はわからないけど
どんな宗教でも主婦を狙うのは基本っぽいから、似たようなケースはあると思う。
>経営者の親父は親父で経営者同士の会合とか政治家もいる会合とかで出会った人間に言いくるめられて入ったんだろうな
これはわからないけど、私個人の見立てとしては、めちゃくちゃお金を稼いで社会的には成功したのに人に好かれない寂しさからはまったんだと思っている。
でもさ、反対意見を言った社員を角材でぶん殴ったり、泣き止まないからって理由で子供を3階のマドから吊り下げたり、雪の降る夜に裸で追い出したり
高速道路に捨てていったり、今だったら即懲役になるような事をやるような人が自分を変えないまま新たな居場所を見つけようとしても、嫌われたり避けられる体験が増えるだけなんだよね。
離婚以降は真光をやめて新興宗教を転々としてたって噂に聞いた。
>結局、信仰宗教って最強の弱者ビジネスに思える。経済的、身体的、精神的な弱みに漬け込み、お金と人を集め、それを目当てに寄ってくる人間を利用する。
これはめちゃめちゃ居た。ガンなどの医師からさじを投げられた人たち、今思うと自閉症だったんだなって人のご両親が熱心にお祈りしてた。あと家庭内不和あたりは本当に
石を投げたらあたるぐらい居た。上得意だったと思う。日常で解決できない問題の救いを求める場所って言う意味では良いと思うんだけど、
割りと強引な勧誘がね…。
※極力ネタバレしないようにがんばる。
ボーイズラブアンソロジー『Canna vol. 84』を読んだ。最終回ラッシュだったのだが、ある一つの作品が全てを持ってく勢いだったので、同時に最終回を迎えた作品がちょっと気の毒な気もするんだけど、でも雑誌の講読者もけっこう自分の好みの作品以外は目に入らないっぽいので、大丈夫だったりするのだろうか。
という訳で、全部読んだけど感想を書くのは一つだけ。
高校教師の佐田は、不審者対策の夜回り中、殺人鬼に襲われて死亡した。ところが、彼はマッドサイエンティストの間宮に拾われてゾンビとして蘇生され、被検体として飼われることとなる。
どんな傷でもたちどころに治癒する、ほぼ不死に近い体になってしまったのとひきかえに、ヒトの屍肉しか食べられなくなってしまった佐田。彼の食糧を得るために間宮は殺人を企てる。佐田は間宮を非難したものの、間宮の殺人を幇助するようになり、そして次第に罪悪感を麻痺させてゆく。
間宮邸での暮らしにすっかり慣れた頃、佐田の生存と居場所が彼の元同僚にバレてしまう。逃亡せざるを得なくなった佐田と間宮だが……。
追い詰められてゆく間宮の描写が凄かった。生来、口が悪くて言いたいこも言うつもりじゃなかったこともずけずけ言ってしまう性質の間宮が、佐田の前で絶望的未来予測を口走りそうになりながらも、佐田を案じて虚勢を張り、皮肉を言うのを堪えつつ、率直な言葉で愛を告白し、大丈夫だと佐田と自分自身に言い聞かせる。動揺しつつも気を奮い立たせてすべき事をするはずが、行動を起こすことそのものが現実逃避に繋がり、佐田の声を聴く耳を塞ごうとする。ともすれば自分の殻の中に逃げ込み閉じ籠ってしまいそうなのを、佐田への強い愛情が辛うじて引き止める。
間宮の行動原理はとっくの昔にすり変わっている。ゾンビ化研究で成果を出し名を上げて彼と彼の大伯母を馬鹿にした奴らの鼻をあかすことではなく、すべては佐田を生かすために。
だが当の佐田は間宮に研究に没頭しろと諭す。辛いことも悲しいことも忘れさせてくれるほど、熱中できることを持てるのはいいことだと。一人きりでも生きていくには。間宮にとって、何もかも忘れることが出来るほど熱中させてくれるものは、とっくのとうに研究ではなく佐田に置き換わっていたというのに。佐田の言葉は間宮にとってあまりにも残酷だ。
ラスト数ページの、佐田のために間宮が狂っていく場面は圧巻だった。
ここまで受けが攻めに対するクソデカ感情を持ち、それに狂わされて堕ちていくBLって珍しいんじゃないかなあ。どちらかといえば、そういうのは攻めの役割になりがちかと。
恋情と憧れ、劣等感、嫉妬、憎しみ、罪悪感そして献身……それらがごちゃごちゃに混ざって爆発寸前な感じ。むしろBLよりも百合の十八番のような……ずっとBLなのに百合百合しい作品だった。『さようならアルルカン』『少女革命ウテナ』『魔法少女まどか☆マギカ』『ルックバック』が好きでBLも読めるという人は是非どうぞ。
はぁ、むっちゃ泣いたわ。しばらく立ち直れそうにない。
実家ずみで結婚が決まり、部屋探しと引越しが全部決まり、結婚式の準備してる時に部署から人がバンバン辞めていなくなって、仕事が沢山降ってくる中補充人員の教育任されて。
あー、もうキャパ超えてる、結婚も引っ越しももっと後にしたい...みたいに思ってたら実家の父が難病に。介護の手伝い開始。
あーなんか疲れたーっておもってたら意味わかんないタイミングで涙がとまらないし寒いのに汗かくし暑いのに震えるし眠れないしもうぐちゃぐちゃで。
もう覚えてないんだけど寝る前になると『(仕事とか介護とか結婚式とか)どうしよう』って言い始めて毎晩泣いて眠れても悪夢見て叫んで起きるようになった。
それを見てた夫が病院行ってくれないか?と言ってくれて、ドクターストップがかかり休職。
薬飲んでゆっくり休んでたら眠れるようになってきたし、自律神経がボロボロだったのもよくなってきた感じがする。
でもまだ眠れない日はあるし、薬バリバリ飲んでて次の日朝からシャキッとなんて無理でゾンビ状態。メンタルも前みたいに〝楽しいことしたい〟つて前向きな気持ちがなくなっちゃった。毎日が過ぎていくのを他人事みたいにぼーっと見てる。
少しくらい眠れなくて会社に行くことなんて誰でもあると思うし、アレルギー薬飲んだせいで日中眠い人も普通に居ると思う。
鬱じゃなくても憂鬱な日なんて沢山あるよね。
こう思うといつ復帰していいのかわからなくなってる。
無理したら復帰できる気はする。これ以上前みたいになるのか?もうわからない。
自分のこの停滞はただの甘えなのかな。
そうそう、
腰パワーもまだ完全ではなく腰が重い感じだけど、
腰パワー王のところに通うのは終了したわよ。
腰異常ステータスもまあ解消と言えば解消だけど、
ちょっと用心して急に曲げないようにとか寝返り打たないとかしないといけない用心さよ。
慎重に気を付けて生活よ。
でもさ
寝返りってなんで打つって言うのかしら?
舌鼓も打つって言うし、
相づちも打つって言うし
打てば響くシリーズなのかしら?身体の部位に関してのそう言ったところはね。
納得は打つとは言わなくて擦るって言うし、
ゴマと一緒なのかしら発送は?
オープンセサミって
普通に開けゴマ!って今日知った言葉を今日言いたくなるような感じで言うんだけど、
開くのはゴマ!
擦るのもゴマ!って
まるで、
谷でも金!
田村でも金!ってのにすごく似ているわ。
前者を選びがちなのかしらね?
私はどちらかというと
ヒレカツ定食が出てくる前にゴマ擦って準備して卓上整えるじゃない。
もうすでにルービーも1杯空けてて、
もう一杯おかわりなんかしちゃって!
いいかい!学生さん!ちょうど豚カツを食べられるように丁度いい火加減の美味しい以下略って言われるような
そんなゆとりが欲しいわね。
時間が欲しいって言ってる割りにはいつどのぐらいの時間が欲しいと言われても漠然としすぎてて、
時間捻出しやすいのは休日を楽しむための豚カツ御膳を目の前にして、
目の前にニンジンぶら下げられた馬のように
パッパカパッパカ走るのよ。
何の話しだっけ?
そうそう
パッパカパッパカ走るお馬さんのはなし!
って違う違うそうじゃなくって、
腰パワー王の元に通うことを卒業して涙が出たって涙そうそうなのは時期尚早だったって話し。
まだ腰パワーが定着して安定しないないので、
用心しなくちゃってことなのよ。
なんか今回は自然治癒力がいまいちチャクラが開ききってない感じもするし、
あんまり熱いお湯も冷水交互浴も自己流で治癒を早めるんじゃないだろうか?って勝手に思い込んでしまう節があるわ。
思い込んで思う方が、
信じて行くしかないし、
腰パワー定着・維持が今後のテーマよ。
「あちらのお客さまからです」
「それ私が頼んだものよ」
ぜんぜん腰パワーが定着してない不安定な感じで、
ちょっと緊張感があるのよね。
私はよそのお店で出前を取った餃子が来たので
ここは軽いフードメニューがないので適当に近くのお店から出前ができるの。
その餃子に舌鼓を打ちつつ、
濃い目表面張力ぎりぎり気持ちてんこ盛りのハイボールを頂くの。
だから
これだけ見たらこのお店何屋さんなの?って
まあそんなことより!
うふふ。
早く起きて少し早く出掛けたので、
和って感じの和朝食ね。
こう言うのって海苔って余りがちよね。
ご飯の食べる配分が難しいわ。
でも目玉焼き美味しかったからたまにはこう言うのも頂いてみるのもいいなって思ったわ。
飲むと葉緑素というか?そんな成分が爽やかよね。
お茶っ葉は何でもいいのよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
腰パワーがなかなか完全復活しない完全版がディレクターズカットなんだけど、
一昨年に腰パワーゼロになった時と
今腰パワーゼロになった時の自然治癒力の差の違いなのかしら?って思うけど、
前回のパターンならもうすでに直ってもおかしくない状況下におけるこのまだ腰パワーに違和感のある中、
まあ元通りには歩けるようになって結構長い時間毎日のウォーキングの日課の課題の報告をしていいころで、
あの頃に戻れたぐらいの少し遅いペースだけど、
まあ快調に歩けるようになったのよ。
仰向けになって寝ていると少し腰が浮くじゃない、
そうして寝返りを打つと激痛が走るのは相変わらずで、
たしかに
多少はその激痛は直っているのか
だんだんと小さくなっていってる感じはするのよね。
腰パワーの完全復活までには及ばないのよね。
なかなか完全治癒までの道のりは
食は万里の長城を越えるわけない今注文した餃子はどこ?って言ってる場合じゃないのよ。
言い得て妙な感じもするけど、
腰には違和感があって
腰が重い感じがするわ。
明日また腰パワー王のところに
十字キーの上を押したままでいけるように安直な真っ直ぐな道のりで王様の元へいけそうなものの、
いやあれやっぱりバスで腰パワー王のところに通っているとなると
時間が読めなかったので、
やっぱり車で行くに限るわ。
楽チンだしね。
よくよく思ったんだけど、
あれって猫背のアーチ型は腰に直撃の負担を与えないアーチで重さが分散されている発見をしたの。
腰を90度に直角の角度にすると、
腰に直撃する重みの痛みの感じるみがするのよね。
腰に優しい背骨がアーチになっていて、
そこで重さが拡散されていて
大谷翔平選手がこないだ満塁アーチをお見舞いしたのとはまた違う負担だと思うのよね。
あれはあれでスゴかったけど、
直角に曲げずに
よく分からないけど全集中!猫の呼吸!って言いたいだけだから特に深い意味はないので、
ここはサラッと笹舟にでも乗せて川に流してよ!って思うわ。
日頃さ
から揚げ店舗が全店舗何かしらの金賞を受賞しているかのように、
あれはあれでもしかして、
洋服の青山閉店セールって閉店セールって含めるところが正式な店名だったりして!って
そういうカラクリだったのね!
あれはきっとモンドセレクションとか
モンドセレクションって言うと
でもアーって言うのが木の実って意味で、
なかなかそっかアーモンドなのねって木の実なのよ。
木の実ナナさんがあんたもナナって言うんだ!って言いたいぐらいな冒頭のシーンを彷彿させると思わない?
だから、
イコール何かしらのから揚げ協会か何かの参加賞なのかも知れないわ。
金賞ってそしたらどの店舗でも謳えるでしょ?
なかなか考えたわね!
あのからあげクンは
あれはあれで金賞を受賞していないのよ。
それがエビデンスよ。
海老天丼の美味さのエビデンスを求めたら皆海老天丼のプロはどう答えるのかしら?
そう思ったら天丼屋さんは何も金賞とか受賞していないわよね。
世の中何かを謳ったもの勝ちなのかも知れないわね。
世の中の真理に気付いてしまって気付かないふりをしているわ。
うふふ。
美味しいコーヒーにはやっぱり美味しい牛乳を入れなくちゃって思うわ!
今日実感したのよ。
格別だわ。
つぎ再現出来ないのが残念なところでもあるけどね。
そうそう!
人気なのかしら?
並んだらすぐ売り切れているみたいね。
今度見かけたらちょっと多めに買っておこうっかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私の母の場合は「近所の人が自分の悪口を噂しているのが聞こえる」「外出すると後をつけられる」「電話を盗聴される」「庭に侵入されて毒を撒かれる」「家に侵入されて物を盗まれる」「電波で攻撃されて頭が痛くなる」といった具合だった。
夜中に何度も「声が聞こえる」(私には何も聞こえない)と言って起き出すため、
「眠れないと具合が悪くなっちゃうから、よく眠れるようにお医者さんに相談して薬をもらおう」
といった感じで人から紹介された個人クリニックに連れて行った。
しかし、母は「薬を飲むと頭がボーッとして何もできなくなる」と薬を飲むことを怖がった。増田の父親同様に、母の姉が受診を妨げたこともある。
「そんな薬飲んでると本当におかしくなっちゃうよ」などと余計な「助言」をしてくれる母のお友達のせいもあり、また医師から言われた「認知症の初期でそういう症状が出ることもある、あなたの場合は違うと思うけれど」と言われたその「認知症」という言葉が酷くショックだったらしく、通院も薬を飲むことも中断してしまった。
私は母を救えない罪悪感に苦しみ笑えない数年を過ごした後、そもそもそこまで母を最優先させるのは毒母に抑圧され心理的虐待を受け支配されていたからだったことに気づき母と絶縁したのだった。
10年あまり断絶した後多少交渉は復活したが、結局発症から30年近く経っても母の幻聴と被害妄想は治癒していない。老年性の認知症も進行しつつあるようで、このまま世を去ることだろう。
・医者につれていくには「眠れるように」「疲れが取れるように」などの方便を駆使
・ある程度努力したら諦めてもよい
といったところだろうか。