はてなキーワード: 決闘とは
やっぱ決闘は刀でやるの?
お前ぜってープレイしてないだろ。
今回優勝したSEKIROもどきからして単なるアイディア勝負で「あれ?これ結局は譜面の見にくいリズムゲームじゃね?SEKIROってこんなだっけ?」とSEKIRO試しにやったら全然面白さが違って逆に本家の凄さにビビるような代物だったじゃねーか。
前々回のDAY0はタワーディフェンスの面白さを完全にスポイルした「こんなの作れるんだ凄いね」の何か。
脳筋魔法使いは面白かったけど、マジであれはここ10年ぐらいの中で奇跡の一作。
ぶっちゃけ面白かったのは悠遠物語や帝国魔導院決闘科の頃だけどこの辺りはもう10年ぐらい前なんだよね。
今のウディコンはスッカリ「有料で販売するほどじゃないようなゲームの実験場」で終わってるよ。
むしろウディコンの中で歴代でどの時期が面白かったのかを考えていくほどにフリゲの時代は終わりつつあるなと感じる。
ぶっちゃけお前も「脳筋魔法使いさいきょー!」だけでどうにかするつもりだっただろ?
ここ最近5年ぐらいはアレ以外全部ハズレだよマジ
ニンテンドースイッチ向けにホグワーツレガシーが発売されたので買ってみたんだけど、最高すぎて今年一番ハマっている。
ちなみにハリーポッターは映画の一作目だけ見て「魔法が体系的じゃないしつまんねーな」と切ったレベル。
それでもTwitterで薩摩ホグワーツとかがバズっていたのでゲームの方はそれなりに面白いんだろうと思って買ってみた。
RPGでは必ず自キャラを女の子にするんだけど、14歳の女の子を自分好みにメイキングできるところでドキドキがとまらない。
洋ゲーはよくやるけれど、美形が作れるようになったとはいえおばさん感が否めないし、その点でもホグワーツレガシーは突き抜けていた。
丸眼鏡に四角い眼鏡、さらにはアンダーリムまで選べるので興奮は最高潮に達した。
これで赤いセルフレームのアンダーリムメガネが選べたらこの時点で昇天してしまっていたと思う。
そして当然魔法使いなので、ぞろっとしたローブを着込んでマフラーまで巻いているから露出度は皆無で、体型も全部隠れてしまう、が、それがいい!
むしろその方が断然リアルで存在感があって、北国の女子中学生感があって大変よろしい。
煩悶しながら出来上がったのは、ハーマイオニーを赤毛にして、眼鏡をかけた頭の良さそうな女の子だ。
さらにストーリーが素晴らしく良くて、この天才美少女が転校してくるや否やイケメンくんが「決闘でコテンパンにしてやるぜ」と突っかかってくるんだけど当然メタメタにされるわけだ。
洋ドラマだとここでライバル化するんだけどこっちが美少女なせいか(気のせい)他の生徒との決闘の時には一緒に戦ってくれたり、あまつさえ「お前にだけはこっそり闇の魔術を教えてやるぜ」と悪の道に誘惑してきたり、そのせいでイケメンだけには心を開いていた陰キャの闇魔法使いとのあいだで仲たがいが起こったりして「わたしのために争わないで!」と身もだえてしまう。
なんといってもこれらの物語がフルボイスで展開されるところが最大の魅力で、洋ドラマを見ているような感覚になる。
特にNetflixのウェンズデーとかセックス・エデュケーションに雰囲気が近い。
キャラクターの表情も豊かだし、声優の秋乃さんの声が良いこともあってCGなのに俳優さんのように生き生きと表現されているところがいいんだよなあ。
キャラクターもそれぞれバッググラウンドがよく作りこまれていて、それぞれの行動原理に整合性があるところがいい。
ポピーちゃんという動物を愛する女の子がいるんだけど、主人公よりもだいぶ背が低くておでこを出してて小学生みたいな外見でとても可愛い。
そんな彼女が密猟者集団にガチギレして一人でカチコミをかけたりするからビックリするんだけど、そこには悲しい過去が隠されていて泣ける。
みんなそれぞれ心の中に秘密や闇を隠し持っていて、お互いにそれを少しずつ明かしあいながら友情を深めていくあたりが、いかにも青春モノという展開で、魔法少女に転生してホグワーツを楽しんでいる感じがするのだ。
ほかにも魔法バトルがエルデンリングの純魔ビルドっぽかったり、装備を替えても見た目だけ好きに変更できたり、魅力はたくさんあるんだけどとりあえずみんな遊んでくれ! そして続編よ出ろ! 続編を出す魔法!
・ワイは、ひょっとして
心がせめぎ合ってる
・途中までは混じり気なく本当に面白かった
魅せてくれるアクション、
少し引き込み力は弱くなった
城潜入回でスタッフが楽しんでるのは、
よく、伝わってきた
・明美ターン、大体全てとてもいい
これは偉大になれる女性や
柔よく剛を制して女傑になってくれ…
もし続編があったら旦那と睦まじいとこ
もっとみてえ
・関の 気持も わかる
親こころ…
・泰造と明美の濡れ場しながら決闘やり返すのよの口上シーン、「少年漫画のライバル関係は少女漫画の恋愛と同じ論」の核を視覚的に伝えてきてくれて助かる
・水と泰造のドキッなシーンを…もっと…いやでもこれくらいがいい…いやもっと…いやでも…
「男性と男装した女性」のもだもだは女性バレしたらもう無いと思うとぼくは…ぼくは…
・登場人物のハンディキャップ率高いけどポリコレ臭く感じなかった
・海外の何百年も前を舞台にしたこんな大規模な話を作れるスタッフすごすぎ
時代劇無知勢だからだけど江戸城をここまで広範囲に舞台移動する映像初めて見た
・(クリフハンガーで終わったが多分…続編は…
でももし作られたら見させて頂きたい…)
いい加減いつまでこの話を続けるんだ?と言われてしまいそうだが、
このツリーの感想を読んでいて思ったことを性懲りもなく付け加えてみることにする。
水星の魔女は若者向けを目指したと言われているが、あまり若者向けの作りになっていないのではないか?という話だ。
ツリー内に共感できる感想が多かったので、引用が多くなることを許してもらいたい。
この投稿の「スレッタが酷いことを言われても耐えるキャラのまま終わった」、
この投稿の「スレッタとグエルの毒親受容」「ウテナ要素の中途半端なサンプリング」に同感である。
特に、決闘による花嫁争奪戦という現代の価値観では人権侵害でしかない制度を否定せずに終わったのはいただけない。
スレッタとミオリネがお互いの意思で一緒にいようとする・グエルが自分の意思でミオリネをスレッタに譲るという展開では駄目だったのだろうか?
そもそも何故そんな制度がまかり通っているのかということにも、制度に反対していたのがミオリネ一人だけという異常な状況にも、詳しい背景の説明がない。
正直なところ、本編の描写だけではべネリットグループやレンブラン家が政略結婚を必要とするほど切羽詰まっているようには見えなかった。
ミオリネだけではなくスレッタやグエルも当事者なのだからデリングに制度のことを問いただすシーンがあっても良かったし、
最初はデリングに反抗的だったミオリネも制度は父なりに娘を思ってのことだったと納得してしまったように見え、非常に残念だった。
この投稿の「格差描写が無意味、作品としての倫理観が粗末だった」、
中でも子供ばかりが罪を負い、大人は罪を償ったはっきりした描写がなかったことが引っかかる。
(オリジナルエランは自分の影武者として作られたエラン4号や5号ら強化人士たちの扱いをどう思っていたのか?
ラウダが学生たちの乗った宇宙船を攻撃し、グエルを殺害しかけたことはどう処理されたのか?という点も確かに気になるのだが)
デリングはテロ事件で一時昏睡状態に陥り、プロスぺラも体が不自由になり、一応痛い目に遭っていると言えるかもしれない。
それに比べてペイル社の4人のCEOたちは、財産は失ったらしいもののなぜか私服でティータイムを過ごしているシーンで終わった。
この4人にネタ人気が出たせいなのか分からないが、非道な人体実験を行い(少なくとも)4号を殺害した罪を曖昧にしてはいけないだろう。
御曹司のグエルがやたら視聴者に持ち上げられる脚本になっていて
(それこそスレッタが落ち込んで行動不能になるのを繰り返していた2期中盤などは、グエルこそが真の主人公だ!貴種流離譚だ!なんて言われていた)、
シャディクの掘り下げがなかったことで、「イスラエル可哀想!パレスチナ人は死ね!」の目線だけで終わった感があるんだよな水星の世界観。
シャディクが学園の生徒を殺したのは犯罪だが、スペーシアンがアーシアンを一方的に搾取する構造がなければシャディクは何もしていなかったわけで。
その辺りの掘り下げがなさ過ぎて、ただ視聴者のヘイト集めて終わって、水星の魔女って何が言いたかった物語なんだ?になってしまってる。
フィクションには、特に子供が見るようなアニメには、「愛人の子なだけあって全部がグエルに劣ってる」といった差別には反論できるように作る義務があると思うんだわ。
しかし本編を見る限り、ラウダを擁護できない。ラウダを擁護している人々は憶測と願望といった本編に無いものが主な根拠になっている。
フィクションは意図によってコントロールできるものなのだから、現実で差別や不利益に晒されがちな非嫡出子の扱いはもっと考えて欲しかった。
愛人の子だからジェターク姓でなくニール姓を名乗らされ、23話で「ラウダ・ジェタークが!」と叫んだのに、
客観的には「状況が分かっていない人による迷惑な横やり戦闘」でしかなく、3年後でも当たり前みたいにニール姓のままだったのは酷い話だよ。
兄は正妻の子なのにスレッタに振られ、弟は愛人の子だけどペトラに好かれているようだという点以外、一切の救いがない。本当に酷い。
ある程度年齢の行った視聴者なら、「紛争地帯出身の孤児でスペーシアンとアーシアンのハーフであるシャディク」
「正妻の子・グエルと同い年の異母弟で愛人の子であるラウダ」という設定を聞いた時点で
シャディクやラウダがどんな目に遭ってきたのか、これまでの知識や経験から何となく想像できる人が多いのではないかと思う。
シャディクは「アカデミー」に入るまでは貧困生活に加えて危険と隣り合わせの毎日だったかもしれないし、
ラウダはジェターク家に引き取られてからも「愛人の子」という本人には責任のない中傷に苦しんだかもしれない。
こう考えればシャディクがテロを起こした理由や、ラウダが神経質で他責的な性格になった理由にもある程度納得が行く。
ただこれらは本編に描かれていない以上想像にすぎないので、「そんな描写はない」と言われてしまえば反論できない。
個人的に、兄のグエルと比べて弟のラウダは大した苦労をしていないかのように言われがちなことにも無情を感じる。
ラウダも兄のグエルが行方不明になり、そこへ父親のヴィムが死亡し、10代にして経営が傾いた大企業のCEOに担ぎ上げられるという
なかなか壮絶な経験をしているのだが、何せ絵的には地味であり直接的な命の危険はなかったため主に若者の共感を得にくかったのだろう。
(恐らくペトラはそんなラウダをそばで見ているうちに助けたくなり、それが恋に発展したのだと思うがこれも描写がないので想像でしかない)
寮を追い出されて野外でキャンプをする、家出をして偽名でアルバイト生活をする、事故で父親を死なせてしまう、地球でテロリストに監禁される、と
視覚的にわかりやすくバズりやすい描写があったグエルの方が同情を集めたのも無理もないのかもしれない。
制作側としては「シャディクやラウダの過去を詳しく描くと生々しいのでカットしてしまおう、
描かなくても視聴者が何となく想像で補ってくれるだろう」という考えだったのかもしれないが、
果たして若い世代が本当にそれを想像できるのかどうか、もっと熟慮してほしかったところだ。
大人であれば「御曹司で純血スペーシアンで正妻の子であるグエルが視聴者に持ち上げられ、
そうではないシャディクやラウダがグエルと比較されて叩かれる」という状況の倫理的なまずさに気が付いても、
若者であればそれが分からず無邪気にグエルを持ち上げシャディクやラウダを叩くこともあり得る。
(というか、実際ネット上でもこのツリーの中でもそれが起こってしまっている)
グエルのような(中略)キャラクターに自己投影して持ち上げて、それに比べて貧困アーシアンを鉄砲玉として使い捨てして学生大勢殺したテロリストシャディクや
例えば15話なんて、グエルはもう他に充分良いシーンをもらっているのだから
それこそシャディクやラウダ、スレッタのフォローに時間を使った方が良かったんではないか?
最終的に、こう言われても仕方がない脚本になってしまったと思う。
シャディクやラウダへのヘイトも酷かったが、グエルは人気キャラクターであるのと同時に
「主人公であるはずのスレッタを食っている」とアンチも多く、グエル役の声優がSNSで攻撃される事態にまでなっている。
人気キャラだからと言って持ち上げすぎても作品のバランスを損なってしまうのだ。
本題からはズレるが、特定のキャラクターを活躍させすぎるとプラモやキャラ商品の販売にも支障が出る。
できるだけ多くのキャラクターを魅力的に描いた方がそれだけ多くの種類のプラモやキャラ商品が売れることに繋がるはずだが、
シャディクやラウダは本編内の描写だけを見るとさながら「お星様(グエル)の引き立て役B」になってしまっており、
(グエルと比較されることこそあまりないが)やはり悲惨な境遇であるエラン4号や5号も目立った活躍や掘り下げが少なかった。
その割にスレッタ・ミオリネ・グエル以外のキャラもそれなりの人気を獲得しているのは、ファンが想像でキャラの過去や長所を補っているからだろう。
だからと言って制作側は視聴者の想像に頼りすぎず、必要な描写はアニメ本編内でしっかり描くべきだったと思う。
・子供が大人から受けた酷い仕打ちを許し、大人の分まで罪を被ってくれるという大人に都合のいい形で終わったアニメだった
・「信賞必罰」「勧善懲悪」があやふやであり、血統による差別を推進する、道徳的に子供や若者にふさわしくないアニメだった
と言わざるを得ない。
制作側に良心があるなら、今からでも作中の大人の罪やモラハラ行為をきっぱりと否定し、
作中で不遇だったキャラクター(特にシャディクとラウダ)について何かしら擁護できるような情報を出してほしい。
そして次回こそは上記のようなことに気を配った、一本筋の通ったアニメを制作してほしいものである。
動のジョンウィックと静のイコライザー、似たような二作を同時期に観たけど対照的なサマを感じられて良かった。
ジョンウィックはアクションに遊びがあった気がする。一騎当千に飽きさせない工夫というか。満身創痍で暴れ回りつつ、ヌンチャクアクションはコミカルな感じもあった。MGSみたいな俯瞰映像も嫌いじゃない。凱旋門の往来は敵に囲まれるというよりオブジェクトに襲われる特殊ステージのような緊迫感があった。最後は決闘で締めるのも良いね。
犬のくだりとかで一応「報い」というテーマは挟むけど、総じてアクション面で魅せてくる印象だった。
イコライザーの方はもはや敵に倒されてしまうかもしれないなんて不安すらなく、スプラッター映画のように淡々と粛清する感じ。
序盤で惨殺死体の果てに登場する時の佇まいとか、完全に悪役のそれ。教会や十字を挟んで、やりすぎじゃね……?って感じの自問めいたシーン。スントを外してドンパチ抜きの休養で、美しい街と善良な人々の生活をじっくり映す。そしてそれを踏みにじる存在をねっとりと描いて、溜めて溜めての制裁。もはや戦いではなく、一方的。ぶっ刺したチンピラにじっと目を合わせる所とか、瀕死の相手をのたうち回らせて何をするでもなく側についている所とか、完全に異常者のそれ。一作目のDIY戦法、二作目のステーション・バーじみたお節介殺戮おじさんときて、最後は平穏というテーマに重きを置いた感がある。良いね。
イコライザーって音楽とかのやつを先に思い浮かべちゃうけど、確かにイコライズしてたわ。平等にするものが転じて銃をそう呼ぶの知らんかった。ピースメーカーとかと同じか。ホンマに平等になっとるか?
二作とも観て思ったけど、ただ銃で撃ち殺されるとか轢き殺されるとかよりも、ナイフで手を刺す所をジッと映すシーンのほうがウッてなるな。痛みが想像出来る分そっちの方がキツい。アウトレイジの拷問とかもそうだけど。
美術部あがりのインドア腐女子がラウダモンペしてカワイソカワイソしているがラウダを可哀想がるポイントがズレてるから反省しろ
パイロット科なんて若い男のなかでも特に負けず嫌いなほうのやつしかおらんだろ(※シャディク・ゼネリを除く)
現実にいるやつに例えるなら野球やサッカーのスポーツ特待で進学する奴だったり
ゲームもエンジョイ勢じゃなくガチってeスポーツの大会出るような勝負師メンタリティしとると考えるほうが自然
(だいたいお前ら腐女子は中学や高校で男子生徒がジャンプ読んでも教室で強さ議論ばかりして、「男同士の激重感情がどうの」みたいな話してたのが美術部か演劇部の腐女子しかいなかったことを覚えてないんか。陰キャ男ですらポケカの強さ議論しかしとらんかっただろ。人間関係ないがしろにすると人生が本当にやばいと気づき始めるのはだいたい大学以降や。それより前は強えヤツか雑魚かしかない。「ざぁ~こ」とかいう発想はメスガキやなくてリアル男児脳。それが気に食わないなら架空男性と理解したうえで商業BL読めや!)
そいつが後輩の女の子に機体完璧に整備しときましたよ!言われて寮全体から応援されて送り出されながら
「ガン!うわ〜!」で終わり、失神したところを後輩の女の子とアーシアンに庇われてましたってプライドズタズタだろ
かわいそうに……かける言葉もねえよ
そこのガノタは今すぐにカミル・ケーシンクの気持ちになってみろっていうんだよ
カミルの立場になってこのときのラウダになんて声をかければいいか考えてみろっていう話だよクソどもがよ
ラウダディランザはグエルに勝手に使われてエラン4号君にボコボコにされたときにしろ
ランブルリングでラウダがワンパンされたときにしろ噛ませ犬ばっかで可哀想なモビルスーツではあるんだわ
ファラクトもソフィのルブリスもガンダム禁止や決闘仕様の出力制限など無視したルール破りのモビルスーツだし
どっちも不正して高性能のMSにボコられてはいるけど、晒し者みたいな酷え負けっぷりだっただろ
グエルは4号にだいぶ憎まれてるのか執拗に毟られてたし、逆にラウダはワンパン(ソフィがラウダに一切興味がないから)っていう方向性の違う尊厳破壊
しかしどうして腐女子は強い弱いとか勝ち負けを徹底的に無視してメソメソして男から男への執着とホモセックス可能性のことばかり考えるのかね
ラウダがなんで可哀想かってずっとルール守って、身内も自分もルール違反者にボコられてプライドズタズタにされて耐えてきたのに
最後の最後に彼女意識不明説で錯乱してシュバルゼッテ乗ったのが「えっ、何?」「今それどころじゃねえんだよな~」「シンプルに邪魔」「グエルディランザと盛り盛りの最新鋭機シュバルゼッテでやっと釣り合うほど兄弟で実力差あったのかよ」と言われてしまうことやろが
しかも一方的にグエルに喧嘩売ったせいでもう賞賛されている兄と自意識同化することもできなくなった
「メッシ来たから俺らマイアミ最強!」みたいな帰属意識が異常なスポーツ観戦者のように、強者と自己同一化してプライド守るやり口が、もう使えないわけだわ
─3年後─と丸々スッ飛ばされたけどこの飛ばされた期間の適応や成長がラウダにとっては大変だったやろなまあメインキャラではないから丸々カットも当然の処遇ではあるが
ラウダ腐女子は自己憐憫の投影が強すぎるのとインドア文化部の発想の限界のせいでキャラクターの心情エミュレートにフルスロットルで大失敗しとると思うわ
スレッタはプロスペラにとって、ナディムとの間にできた第一子である大事なエリクトの世界を作るための鍵・道具となる
リプリチャイルド(つまりエリクトのクローン?オルガノイドアーカイブだの、SF設定の説明省くのやめろ)だったわけだが、
スレッタはプロスペラの所業を積極的に肯定して同居エンディングだった。何もツッコミを入れず全肯定したわけだ。
また、グエルもヴィムに結婚相手を勝手に決められ、決闘に勝てなければ平手打ちされ、
指示に従わなければ住むところを奪われ退学させられるという経済虐待を受けていたわけだが、
事故で父親を殺した自分を責め、父親との対話から逃げた自分を責め(対話を拒絶していたのは父親のほうだが…)、
ヴィムの短所について事実陳列したシャディクに怒り、父親の遺した会社を守るエンディングだった。
プロスペラとヴィムの問題についてツッコミが入らず、毒親重力圏から離れるキャラクターが不在のまま終わったのには、悪い意味で非常に驚いた。
正直、バズりやすい毒親ネタを、視聴者の興味を引くフックとして利用したようにしか思えない。
「毒親をどう受容するか」という物語にしたって、被虐待の落ち込み状態から全肯定状態にワープしており、間の説明がないのである。
そして比較的良い養親をしていた(シャディクに対してもっと子供らしくしても良いと言っていた)サリウスは、
シャディクに利用されて裏切られ煽られる。血縁を賛美して養子を貶したかったのだろうか。
ミオリネはデリングに文句を言っていたので、ホルダー結婚制度とトロフィー扱いを否定するのかと思っていた。
しかしホルダーになるための戦いに挑まないシャディクに対して不満を抱き、
2期では「意味不明なフェンシングによりホルダーの白制服に戻ったスレッタ」をミオリネは受け入れた。
これはシャディクが決闘しなかったから振られた、決闘に負けたから振られた、というホルダー制度追認なのか?
結局、ミオリネにとってグエルはタイプではなく、シャディクかスレッタなら好みであり、
「好みの人間が勝てばOK」という、父親のホルダー制度追認と個人的好き嫌いの良いところ取りをしたように見える。
これが初期のウテナオマージュに対する中途半端なアンサーになっており、
ミオリネを同性をエンパワメントする女性キャラとして描き切れず、強い言葉でむやみに他人を非難するだけの半端者にしてしまった。
プロスペラによるクインハーバーのアーシアン大量虐殺について、
地球生まれの戦災孤児のシャディクが罪を被るという謎のエンディングを迎えた。
また、スレッタの初恋は4号だったはずだが、4号がペイル社CEOに消耗品扱いされて死んでいったことについて
5号から聞かされて知ったあとも、スレッタは主体的なアクションを全く起こさないまま終わった。
強化人士を研究のための消耗品扱いして死なせていくのはアド・ステラ世界では罪にならないのだろうか?
5号もスレッタも4号の末路を知りながら「何もしなかった」ためにCEOらはシャバに放流されていると考えるのが自然だろう。
連絡係として使われたニカが自首して服役、地球寮を殺しかけたラウダは無罪。
シャディクがプロスペラの罪まで被って服役、強化人士を殺していたペイル社CEOは呑気にお茶しており無罪。
シャディクのような子供たちを犠牲にした金で育ったグエル(もっとも本人はそれを知らされていなかったのだが)が褒めそやされ、シャディクが批判されるというグロテスクな光景が生まれてしまった。
「グエルは最高、それに比べてシャディクやラウダは最低」というような感想に対して反論する材料が本編内に不足しているのは、作品として深みがなく失敗ではないか?と思う。
https://anond.hatelabo.jp/20231010204339
水星の魔女について納得できない点をツイートすると「同性婚に反対している差別主義者」「保守右翼」「日本会議」と断定されたり、
エラスレ・グエスレ・シャディミオなどのカップリング二次創作を作ったり読んだりしていたのに
そうした性愛関係妄想が本編に否定されてアンチ化したのだろうと断定され、引用RTやスクショで集団攻撃を受ける状態になっていた。
実際、支離滅裂な本編批判ツイートを見かけてbioを見るとやれグエスレだのラウグエだのと書かれていたから、
水星の魔女批判者の一定数は「ただ本編が思ったとおりのカップリングにならずにキレている恋愛依存症のカプ厨である」というのは事実だろう。
しかし批判者の全員がカプ厨であるというのは、まったくもって事実ではない。
最近になってようやく「カプ厨目線ではない批判」が可能になった。
それくらい水星の魔女視聴者界隈はスレミオだの、グエスレだの、ラウグエだのによって荒らされていた。
毒親、トロフィー扱いされた女性の自立、経済格差・一方的な搾取の構造・差別といったテーマが、
「バズネタ」として表面的に取り扱われ、着地についてはろくな説明もなく放り投げられた作品だから、
居着いたのは結局、絵に性欲を抱いているカップリング厨ばかりだった。
御曹司のグエルがやたら視聴者に持ち上げられる脚本になっていて
(それこそスレッタが落ち込んで行動不能になるのを繰り返していた2期中盤などは、グエルこそが真の主人公だ!貴種流離譚だ!なんて言われていた)、
戦災孤児から実力で成り上がったシャディクや、愛人の子で母親に捨てられたラウダなど、
弱者性を持つキャラクターが視聴者のヘイトタンク化したのも本当に希望がないなと思う。
シャディク
・シャディクが戦災孤児である設定がミオリネのセリフでさらっと明かされ、回想がない。地球でどう育ってきたのかや、アカデミーに拾われて実力で勝ち上がってきたことの詳細などは、何も明かされない。
・シャディクの思想についての掘り下げが全く行われず、ミオリネに対する恋愛感情の描写ばかりがくどいほど繰り返される。視聴者に「ミオリネに振られたからテロリストになった」と動機を矮小化される始末。
・テロリストにならずサリウスの後継者を狙い続ければ、シャディク個人の地位は富裕なスペーシアン相当のままいられる。それを捨ててまでテロリストになる動機の描写が浅いまま、グエルのPTSDの原因を作ったり、ソフィとノレアを使い捨てて死なせたことで、どれだけ殴っても良いヘイトタンクキャラと化した。大量のヘイト創作が作られた。
・シャディクの行動は戦争シェアリングに加担する構造を維持していたサリウスに「愚かな息子よ」とまとめられておしまい。サリウスの思想も描写が曖昧で考察不能、憶測を書き散らすしかない状態。
ラウダ
・グエルの腰巾着。なのに父には逆らえずグエルのプライドを傷つける。
・グエルのスレッタを大切にしたい気持ちは知らないし無視で、スレッタに暴言。しかもスレッタがシャディクに勝利したばかりの絶好調で調子に乗っているときは黙っていて、スレッタが負けて振られて人生どん底状態のときに死体蹴り。
・父殺しのPTSDで浮かない表情のグエルの変化に気づかず(部外者であるセセリアですら気づいていたのに)、八百長での決闘勝利に泣いて喜ぶ。グエルとの温度差がひどいことに。
・パイロットにヘルメットを渡す表面的な役割だけを、グエルのMS整備担当のカミルから奪っている。ペトラは自分自身で整備したうえでヘルメットを渡していたのに。表面のラウダと、中身のカミルになっている。
・兄がミオリネにつけ込まれミオリネに縋っていると勘違いして、無関係の第三者も巻き込んだ殺人未遂。フェルシーに文字通り火消しさせる。脚本にあったト書きは「しょうもない兄弟喧嘩」だが、客観的にみるとグエルは攻撃していないから喧嘩ではなく一方的な殺人未遂なのでは。
・母親に捨てられたのをグエルに存在承認されて救われているのに、グエルを殺しそうになる展開。
・地球寮を勢いで殺しそうになったのに、殺人未遂の直後に「僕はお前達を許したわけじゃない」と喧嘩を売りに行く。視聴者から「ハァ?」という反応が噴出しただけでなく、ラウダ役声優ですら「殺しかけてどの口が」と思ったとコメント。
・グエルは言うまでもなく強制的に大人にされたような大幅変化をした。それだけでなく、後輩の小物いじめっこ腰巾着として登場したフェルシーが、元々アーシアン差別をしていたのにアーシアンであるチュチュと共闘する展開や、ペトラがスレッタに礼を言いモブを助けようとする展開があった。ラウダは最後まで性格が悪いまま終わった。
ノレアもニカを攻撃したメンヘラバカ女扱いされたり、5号とノレアの関係が「理解ある彼くん(笑)」と揶揄されるなどヘイトタンク化してた時期あったし、
社会的弱者キャラが視聴者に袋叩きにされやすい構造のキャラクター配置・描写になっていた。
そしてペイル社で金儲けのことしか頭にない風見鶏してたCEOが無罪放免で、強化人士死んでも平気な上級国民してたケレスさんとやらも味方面して参戦。
フィクションに一番やられたくないことをやられた感じがした。
恵まれてる人は性格がよく、相対的に恵まれてない人が性格が悪いのは現実に似ているけど、若い人に見せるつもりで作っているアニメならこういう希望を摘む真似はやめてほしかった。
結果的に水星の魔女はアラサー以上しか見ていないようだけど、プロジェクトの意図としては10代など若い視聴者を新規で取り込みたかった様子。
でも見てて息苦しくなるような嫌なリアリティは希望がなくなる。二次元っぽい性格の悪さではなく、実際にいそうな性格の悪さの「湿度」が本当に見ててしんどかった。
最近いろいろな事を考えてしまって、どうにも寝付けないのです。スティーブン・セガールとデパプリが映画でコラボしたらどうなるだろう、戦艦を舞台にテロリストと戦う話にすれば同じ無敵のコック同士だから話も合うはずだ、映画のタイトルは沈黙のプリキュアパーティ……あダメだわ沈黙の食卓とかデパプリのテーマと正面衝突でヘッドオンからの全火力解放で仁義なき決闘待った無しだわボーツ!ボツ!!ボツ!!!とか、じゃあクトゥルフ神話とコラボしてみようか、SUN値が初期値の75%を喪ったら日曜日の75%を喪失したのでTBSで世界遺産を見る、SUNが0になっても月曜日に死ぬことを覚悟すれば午前3時ごろまで粘れるシステムとかすればわりと生き残れる、とか、そういえば歴代プリキュアの多くは救世主だけど救世主を裏返せば覇王になるのではないか。救世主プリキュアに対して覇王プリキュアを出して兄弟対決とか盛り上がるのではないか。世紀末プリキュア伝説とかいや駄目だわリンがピンクでバットが黄色としてもセンターが青キュアとか世論が許さないし次回予告に毎週千葉繁起用とか予算吹っ飛ぶわボーツ!ボツ!!ボツ!!!とか、コラボといえば今年はちょっとテーマに柔軟性があって「料理」と「食卓」の両方とも使えるわけでつまり食戟のソーマが相方でもいけるしザ・シェフ同伴でもやれるし孤独のグルメとも相性バッチリなのではないか。15分くらいがゴローちゃんが和美さんちの「なごみ亭」で一人でメシ食って幸せになる例のシーケンスで、なんか一人でなごんでいたらブンドル団の狼藉でメシがまずくなってこれもうゴローちゃんご立腹ですよ。ウバウゾーとプリキュア達が戦う裏でゴローちゃんはジェントルーをアームロックですよ。そんでウバウゾーを叩いておいしーなタウンに帰ってきたゴローちゃんはまた一人で孤独にうまい飯を食って救われるのです駄目だわこれもデパプリのテーマにアームロックかけてるわボーツ!ボツ!!ボツ!!!とか、入社試験で面接官に「敬愛するババアキャラを3人あげるとしたら誰ですか?」と訊かれたらどう答えよう、ドーラばあさんと画太郎ババアは鉄板としても三人目はまぼろしお蝶にすべきか、のび太のおばあちゃんを推すべきか、デカいババア(北斗の拳)の深い滋味を語るべきかとか。ここんところそういう答えの無い問いかけが頭をぐるぐるして眠れないのです。これが鬱というやつでしょうか。
剣を抜け。決闘だ────。