はてなキーワード: 欠点とは
・小中→顔。性格やクラスカーストに共通点なし。会話すらしたことなくても好きになる。顔はそこそこぐらいでも、仕草や声がかわいくて親しくされると好きになる。
・高校予備校→顔と雰囲気に加えて頭がいい子。イケイケなタイプよりも明るいけど大人しめな子が好き。
・大学→基本的に高校予備校と変わらない。顔は濃いめより薄めが好き。少し掴みどころのない子。
・その後→過去にいじめを受けていた子を立て続けに好きになる。強い意志を秘めてる感じ。
・最近→相変わらず顔。論理的な会話ができるオタク。友達少なそう。ちょっとした欠点がある方がかわいく見える。
「男性が圧倒的に多い司法の現場そのものだし、判決は『傷つきのある女性』にまったく寄り添う姿勢がない」
「ホス狂」として生きていた時期を経て、今は歌舞伎町で女性支援に携わる希咲未來(きさらぎ・みらい)さん(24)は、名古屋地裁の判決の「欠点」をこう指摘する。彼女は10代最後の2年間、ホストに管理売春をさせられ、少なく見積もっても500万円以上を搾取された。
ホストクラブの実態を知る希咲さんは、男性裁判長が示した判決理由に引っかかりを覚える。
「裁判長は『意中のホストらの売り上げに貢献するために犯行に及び、刑事責任は相当重い」などと示したと報じられています。しかし、私自身の経験から言っても、女性たちはホストに依存するようマインドコントロールされている。
りりちゃんの弁護側は『ホストに利用された被害者的側面もある』と主張したとされていますが、その通りだと思います。裁判長には、こうした点にもっと注目してほしかった」(希咲さん)
判決の理由が言い渡された際、りりちゃんは過呼吸となり、一時裁判が中止となったという。希咲さんは、加害者であるが傷ついてもいるりりちゃんが「司法の場での絶望」を感じ、過呼吸を起こしたのではないかと推測する。
なにかの知識が欲しい時、児童書をたくさん出してる出版社の子供向けの本から読んだ方がいい気がする。
子供向けは一般企業から脱サラして企業して大成功した僕私が考えた最強のメソッド!みたいなのとか、専門家の中での異端的な思想持った人とかは大人向けよりだいぶ少ない(あるにはあるけど)。
児童書に特化してるところは作者のやりたい表現>子供、なのでめちゃくそ推敲されてて読みやすい。
・他人にとっての当たり前のとりこぼしを防げる
大人向けの本にある「この本読んでるってことは当然これも知ってるよな???って」ところの解説があるから次に大人向けの本読む時の理解が深まる。
児童書はよい。
欠点は図書館じゃ児童書コーナー行きづらい(行けない)ってところと中古で買うとボロボロだったり汚かったりするところ。
でも義務教育で取り上げられる分野(社会科系と理科系は強い)とか、コミュニケーション、マナーとか、スポーツなんかは電子の読み放題に沢山あるからよい…。
オルカンに突っ込んであとはほったらかし。という投資法はかなりラクで実用的だ。
だが、この手法には山崎元が死んだことで欠点ができた。それは山崎元のせいにできなくなったということである。
ほったらかし投資で資産を溶かしたとき、めちゃくちゃ人のせいにしたい。山崎元を掲示板やTwitter(現X)でこきおろして溜飲を下げたい。
俺は人のせいにできる手法を探していた。そんなとき、以下の記事を見つけた。
https://gentosha-go.com/articles/-/59917
これはかなり魅力的な手法だ。比較的ラクだし、素人の俺にも理にかなっているように見える。なにより万が一資産を溶かした場合、投資塾ゆうのせいにできる。掲示板やTwitter(現X)でボロクソ批判できる。
両親は共働き。
2歳か3歳くらい、歩いて喋れるくらいから保育園へ通っていた。
そこに始まり、おおよそ常識と呼ばれるものは親に教わっていないことを後に知る。
特に洗顔・歯磨き・手洗い・うがい。あと交通ルールと他人の家でのふるまい。そもそも親がしているのを見ないのでなかなか習慣付かなかった。
小学校に上がり、数字がただそこにあるものではないことを知る。みんな当たり前に20くらいまで順番に数えられる。その前提からスタートしてる衝撃。幼稚園はお勉強があるらしいが保育園は自由だったからなぁ……。絵本好きだったので文字は読めた。
家でTVは付くものの、時間的に終わってたり、そもそもアニメ見てると怒られてたために小学校内で誰とも話が合わない。
たまにドッジボールに誘われてもぶつけられるのがメインであるため次第に参加拒否。あとバラエティ番組の真似が流行っていて、雑巾を人の口に突っ込んで笑いまくってる人たちがいて、アレとは少しでも関わらないでいられるように避けまくっていた。
あるとき何の気の迷いか、父が古本屋でときめきトゥナイトの4巻?とかを買ってきてくれた。マンガというものを初めて知る。読み方がわからないし中途半端巻なので何も分からない。
小3か、セーラームーンが好きな子と知り合えたためセーラームーンだけ視聴許可が出る。学童でセラムンの話をするか児童館の本を読んで過ごす。
アニメは引き続き禁止だったが、ニチアサは親が寝てるため見放題だった。当時やってたのは美神とかたるるーとくんとか。ママレードボーイはOPは覚えてるんだけど中身を一切覚えてない、やはりエロは強い。
小4か小5くらいに学校にマンガを持ってくる不逞の輩が出現し、クラス中でマンガが流行る。
マンガとの初めての真っ当な触れ合い。
ただ学校は当然マンガ禁止なので、放課後、親が帰ってくるまでの間に借りたマンガを隠れて読む。
マンガという共通の話題で人と話せるようになったが、「あいつが触った本は汚い」といった言われ方をされるようになり、借りられなくなり放課後古本屋に入り浸るようになる。
そういえば当時「横断歩道の白線からはみ出たらがんになる」というルールが流行っていたらしいのだが、私には「白線を踏むとがんになる」と伝えられていた。地方によってルールが違うタイプかと思っていたけど、白線に乗るのが正ルールなのは全国共通っぽい。まぁつまりそういう扱いだったってこと。
まぁそんな感じで「常識」「普通」を知らないために、どうしても日常のあらゆることで齟齬を起こすしつけ込まれてバカにされる。
そして変人、おかしい人、問題児といったレッテルを貼られ何においても仲間外れにされる。
小5頃から、絵を描かせてスゴーイと言いながらプークスするような女子のイジメが始まる。絵を人前では描かなくなるが、手を変え品を変え「ちょっと親切にして裏切って反応を楽しむ」「おだてて木に登る猿を見て嘲う」みたいな手口のイジメが私に対して流行るようになる。
修学旅行の班決めがその最たるもので、班決めを嫌がる私の態度辺りから親が中受を決意。
で塾に通うようになってからラノベの存在を知る。スレイヤーズ。オーフェン。
富士見ファンタジア文庫にハマり、塾をサボって本屋の文庫本コーナーで何時間も立ち読みするようになる。
教育ママが激しくなり、叩かれながら必死で勉強する(なお母は今「親が子に手を挙げるなんて信じらんない」とワイドショー見ながら憤っている)。
再度マンガゲームアニメラノベが禁止される。父が気まぐれで買ってくれたときめきトゥナイト4巻?、前後をこっそり買い溜めてあと2冊でフルコンプとかのところ、あえなく捨てられた。
ゲームは触れる機会がなかったのでその時点では特になんてことはなかったのが、ポケピ・テトリス・たまごっちといったキーホルダータイプのゲームに触れてしまいアウト。
借りたテトリスが見つかり母親に金槌で壊されてしまう。塾の友達には無くしたと言い張り、弁償しろと言われるも無視して逃げ回り縁を切られる。
中学受験は成功し女子校へ入学。親の帰宅までアニメが見られるようになる(黙認)。遅ればせながら友達からポケモンの存在を教わりハマり、休み時間にやらせてもらう。また別の友人からコバルト文庫と京極夏彦を教わり、また別の友人から封神演義(アンソロ)を教わる。図書室で小学校の比にならない蔵書量に感動し入り浸る。月曜日はお昼を減らしてジャンプを買いキャッキャする。
休みの日に遊びに行こうと誘われて行ったのが作者サイン会で、サイン本は残念ながら母に見つかりライターで着火・水道水で消火の上ゴミ箱に投棄された。
ネットは父の気まぐれ(いい方)により1日1時間制限で許可。1時間なので基本は学校のPC室。家にパソコンない子が携帯から夢小説読み過ぎて請求がン万来て親に怒られたみたいな話も聞いた。自分は携帯禁止。
毒吐きネットマナーでマナーを学び、18禁サイトでアクロバティックな性癖を巡り、自分でもとほほのHTMLを見ながらテキストサイトを運営し、レンタルBBSを設置し、絵茶をし、小説やマンガを書き、友達と「ファンに家特定されてストーカーされて警察沙汰」みたいなネット噂話とかしながらお互いのサイトを巡り合う。
小学校時代を知る人がいないし、話が通じないからとイジメてくる人がいない。エロ話を茶化してくる男もいないしまさに天国。
やっと人と人並みにコミュニケーションが取れるようになる。
親は敵だったので反抗期はかなりアレだったものの、オタクとしては幸せな中高生時代を過ごし、大学進学。
酒も飲めずTVの話題も分からず現実の恋愛もオシャレもしない女にできる会話はない。(オシャレは禁止されてなかったけど、やろうとしてたら禁止されてたと思う)
ストイックに勉強だけするなら大学ってのもありだと思うけど、友達欲しがったのが色々と間違いだった。
ネットに入り浸り、人間観察「何が普通で何が普通でないか」「空気を読むというは具体的にどの状況でどういった行動を取るのか」の研究を始める。
バイトという実戦も繰り返し、結果「最低限の偽装はできるが『なんかおかしい人』であることを悟られないのは無理」という結論に。
そもそも我慢してウェイの言う『普通』をするメリットがないことも多く(例えば女らしくするとセクハラされやすくなるし、みんなで一人の欠点を嘲うのに楽しさや仲間意識を感じられない)、あと「『普通』じゃない人間が生理的に無理」という一定数の人に普通らしくふるまって見せるのはかえって逆効果であることもあり、今や偽装すら放棄してヤバい人のレッテル貼られたまま過ごす立派な社会不適合者に成長。
あとバイトで金を稼いだので特に合意なくマンガアニメゲーム解禁ってことにした。部屋が埋まるほど買ってるので反動〜〜ってなってる。
という訳で、結局のところ親がガチの「生活の常識」を教えないといけないのと、マンガアニメゲームを禁止すると小学校という最初の社会で孤立して深刻なコミュニケーション欠陥を抱えるので、なんでもかんでも制限するとこうなるよの悪い例として展示しとく。
おいおい相談所経由で婚活する男女なんだから、どちらにも何らか問題はあるだろうよ・・・
あんただって欠点があったから最終的に成婚することなく退会したわけで
俺は普通に恋愛結婚した身だが、正直、相手から問題を打ち明けてくれたのなら、
その問題を許せるか許せないかもうしばらく付き合ってみろよ、と思った
元より結婚は別々の環境で育った二人の人間がする事なんだから習慣も常識も抱える問題も違って当たり前で、
それを許したり許されたり受け入れたり受け入れられたり出来る相手と結婚すべきなんだよ
たった4回会っただけでそんな事判断できるか?
ジャンプ+のケントゥリア、期待して読んでいたものの4話まで来てかなり酷いなと感じた。
作者の力量にすら疑問符が付く内容だった。
働き口を探す気になり近くの村を紹介してもらう。
ところが村のリーダーから「お前には信用が無い」「足手まといは村全体の負担になる」と言われて
テスト内容は「崩落した穴の土石を一人で運び出してみろ」というもの。
夜中には仕事を完了して見守っていた村人達も感嘆、労働者として認められる。
…これもうすべてがおかしいでしょ?
どこの世界でも第一次産業では子供に手伝わせるし何ならその為に子供を作る。
「とりあえず小石運びとか雑用からやらせてみて勤まらなければ帰す」でいいわけで
わざわざテストなんか課す理由はどこにもない。テストだってコストがかかる。
現代で試用期間だの面接だのがあるのは労働者の権利が守られてるからであって
奴隷上等のこの世界なら一日働かせて「「この役立たず!給金なんかねーぞ帰れ!」でいいから
・ダメな奴にやらせられる仕事がないどころか触らせたことで台無しになる可能性がある
みたいなことはあるんだけど、作者はその現代日本の感覚のまま話を考えている。
自分の作った世界の諸条件に合わせて人物の行動を考えるということが出来てない。
ユリアン少年は村のそばで半年間生活していて、同居して面倒見てくれてたのは先述の兵士。
今回の話もその兵士が村に働き口の世話を依頼している。
兵士と村人との関係も詳細は不明だが、こういう話をするぐらいの関係ではある。
その兵士が身元を保証する少年を労働に使ってやってくれって言ってるのにこの対応、
「村人が兵士に相当険悪な反発心を抱いている」みたいな設定があるならいいけどたぶんないでしょ?
「有難いお申し出ですけどこの子はちょっとまだ小さいようで…」と兵士に談判するか、
兵士の顔を立てるために誰でも出来る雑用を与えるかとなるはず。
人間関係や社会的な行動についての想像力が相当低い(たぶん実体験が乏しい)。
暇すぎるだろ。
なんでよそ者の子供一人のテストに村人があんなに集まってるの?今日はまつりか?
一個目の時も背景にどう見ても数十人単位でいる。
半分まで行った時にもまだ同じ密度でいる。
ユリアンが石を運び終わった夜中にも同じ感じで村人が沢山いる。
新入り労働者のクオリティに「村の足を引っ張るんじゃないか?」ときついテストしてくるほど生産性に厳しい村の人間が
何十人も朝から晩までくだらない石運びテストを興味深く見守っている。
そんなに暇なのもおかしいし、そんなものに関心が続くのもおかしい。
これ本当に何も考えずに絵を描いてないだろうか。
主人公ユリアンにとってこの石運びが死んだ仲間やディアナ母への決意表明だったとしても
そんなことは他人には関係ないし伝わってもいないのだから、外から見ればただの石運びなので
ただただ退屈な石運びを見つめ続けられるわけもないし心を打たれるわけもない。
村人の視野とか村人の都合とか村人の思考とかを想像する能力が無く
ユリアン君が頑張ると村人がずっと一緒に見つめ続けて感動するという有り得ない展開になってる。
これは精神的発達段階としてはかなり未成熟段階の認知だと思う。
絵が素晴らしく巧みなのでギャップがあるが、描かれてるものだけ見ると相当稚拙なんではないだろうか。
全然裏切らずに命を捧げてくる奴隷仲間の時からなんか変な感じが漂っていた
(が、善良ベースな世界を描いているのかなと保留されていた)部分が
もちろん、裏切り者が出てくれば成熟した精神世界だとか言ってるのではない。
そうではなくて各キャラに独立した都合や思考が想定されているか、その上でユリアンに命を託してくれているのか、
と言う話をしている。
つまりただただた絵と内容が合ってない。
上手い絵で粗い内容を読まされると人間心理としては段々不快感やイライラがたまってくるので
このままなら『ケントゥリア』はそのうちアンチ的な感想が増えて叩かれるようになると予想する。
今はまだ『ケントゥリア』が期待され持ち上げられている段階なので
怪獣8号も2話3話で「これは期待外れかも」「普通の漫画になってしまった」と書いたら
作者は絵に対して真面目で打ち込むタイプに見える。
描かなくていい村人を描いちゃうぐらいには絵に賭けてる。
もしかすると実は内容が薄い自覚があって絵だけでもと思ってるのかもしれない、
けれども作家としての成長を考えるなら&『ケントゥリア』の成功を考えるなら
というアプローチが良い気がする。
粗い内容は粗い絵の方がいい。
結論:吉野家のスタミナ超特盛丼は良い。すき家の牛丼メガ盛よりも。
店 | メニュー | 価格(税込) | カロリー | |
すき家 | 牛丼メガ盛 | 930円 | 1458kcal | |
すき家 | 牛丼並 | 430円 | 733kcal | (参考) |
吉野家 | スタミナ超特盛丼 | 974円 | 1977kcal | |
吉野家 | 牛丼超特盛 | 941円 | 1174kcal | (参考) |
吉野家 | 牛丼並 | 468円 | 633kcal | (参考) |
https://images.zensho.co.jp/materials/sukiya/allergen/nutrition.pdf
https://www.yoshinoya.com/pdf/allergy/
スタミナ超特盛丼の方が牛丼メガ盛よりもわずかに高価だが、カロリーは圧倒してる。しかもスタミナ超特盛丼は、牛豚鳥の三種類の肉が入ってるし、玉子とネギも乗っかってるし、ニンニクたっぷりのラー油がかかってるし、マヨネーズも付いているのだ。
一方のすき家の牛丼メガ盛は、ただ単に普通の牛丼だ。量が多い以外に特徴は無いので味に飽きる。味に飽きるからと玉子を追加したら、それだけで千円越えだ。
腹が減った時は吉野家のスタミナ超特盛丼を食べるが、たまにはすき家で腹いっぱい食おうと思って牛丼メガ盛を食べてみたけどがっかりだったよ。基本的に牛丼の価格は『吉野家>すき家』だから普通の量を食べるときは安いすき家に行くんだけど、吉野家のスタミナ超特盛丼だけは例外だ。同じ吉野家の牛丼超特盛と比べてもその異質さがうかがえる。というよりも、価格設定間違ってないか? スタミナ超特盛丼は具材の種類が多くて作るのにかかる手間暇(人件費)もかかるはずなのに、ただ量が多いだけの牛丼とほぼ同じ価格なんて。
ちなみに牛丼の量を増やすよりも、並を2杯頼んだ方が安いというのは有名だ。すき家と吉野家のどちらにも当てはまることだ。しかし、並2杯ではご飯の量が多くて肉が少ないという欠点を持つ(詳細は栄養成分表を参照)。
「正しさ」は社会が定義する、という話。いわゆる共同体主義っぽいな。
そういう立場があるのは理解するが、欠点もあるやり方だね。どんな残酷で無茶な結論であろうと共同体の結論であれば無謬である、という、ありえん結論を導いてしまうので。
君のAIの話は、むしろ共同体主義の欠点を顕にする例え話の類に思えるね。
サンデル教授に、反証の一種として、お前の言う通りならこういうことになるが、どうやねん、と突きつけたりするための。
俺の考えとしては、やはり人や共同体の外部に、真の正しさは存在する。
世界は人の精神の外にもあり、正しさは世界から導かれるからだ。我々と我々の共同体=集合知は、そのプロセスを読み取ったり間違えたりするだけだ。
よくある意見が、正しくないこともあるのなら、それは正しくないこともある意見であり、正しい意見とは違う。よくある意見に特権地位を与える理由はない。
イケメンがどのぐらい外見・見え方に気を配っているかわかるようになった。
単純に外見だけでなく、いわゆるいい男の言葉の使い方や動き方や人との接し方・考え方を観察して、よいところを自然に取り入れるようになった。
モテ方の次元が上がると言葉では言い表しにくいが、圧倒的な自信が構成される。
今までそこまで相手にされなかった層が自分にとってのノーマル層になる。
自然に、相手に応じてどのように振る舞えばいいかがわかってくる。女性の言語が女性並にわかるようになる。
美人の中にもランクがあることを知る。細かい部分(「細かい」というのは以前の主観であり、現在では決して細かくない)差に目がいくようになる。
ある意味、美人にそれほど興味がなくなるので呪いのようなものかもしれない。
自分のファンが増加する。付き合っていない状態で自分が王のようにありのまま感じたままに振る舞ってもワンコが尻尾を振ってついてくるような女性が多くできる。
スポーツが好きになり体が動くたびに嬉しさを感じるようになる。進んで望んで体を動かしたいと感じはじめる。
初対面の人に能動的に話しかけにいくことが増加した。友人関係の向上。
今まで見て見ぬふりをしていた部分について直視し、ダメな部分・変えたいと思う部分を実際に改善しようと考えるようになった。
しかし、そんなダメな自分をも含めて受け入れられるようにもなった。現状の自分にバツをつけるのではなく、行動を変えようと考えるようになった。
基本的に前向きになってきた。
自然に非モテ男性から嫌われるようになった。また、非モテ男性の何が非モテかをクリアに理解できるようになった。
たとえば外見を見て「はじめまして」と言われた瞬間に、どことどことどこをどう改善すればよくなるかを一瞬で見抜く(失礼になるので絶対に言わないが)
性格についても卑屈さや女性への攻撃性を持っているので、なんで女性に対してそんなこと言うんだろうと思いがち。
敵視されるならまだしも、具体的に足を引っ張られることが多くなった。これを反面教師と考えて戒めのように捉えている。
わかりやすいところでいうとKPOP敵視。無関心ならまだしもKPOP嫌いの男は年代問わずまず非モテで確定。
最近の課題はどうやったら足を引っ張られないように対応するかどうか。
なにか参考になれば幸いです。
最後の節については、未だ自分が完全にモテているわけではない証左と捉えてもらえるとありがたいです。
tyhe 俺は知っているぞ。名古屋の民は名古屋に来て矢場とん行きたいと言われた時に他の美味い味噌カツを案内したくてうずうずしていることを。なんなら矢場とんに行ったことが無いことを。
四十ウン年間名古屋民やってるけど、うずうずしてないしそもそも味噌カツなんて名古屋人にとってそんな特別な料理じゃないんだよなあ。ソースにするか、味噌にするかだけの違いでしかない。
そこらへんのとんかつ屋で食うことはあるけど、トンカツに味噌つけただけの料理なんてどこで食ってもそんな大差ないよ。
矢場とんも言ったことあるけど、あそこは味噌カツがどうこうより味噌汁が赤味噌じゃないのがおかしいと思う。
うなぎはひつまぶしよりうな丼の方が好き派だが、うなぎの良し悪しはあるんで下手な店では食わない方がいい。それなりの店なら好みでしかないね。
個人的に言わせてもらえば、名古屋で本当に食べてもらいたいものはあんかけスパゲティなのよ。ピリ辛いコショウのきいたトマトベースのソースに太麺が最高にあう。
私は大学に入るまで、スパゲティといえばあんかけスパゲティをさすものだと思ってた。少数派として弁当に入ってるナポリタンと、喫茶店にあるインディアン。
大学に入って初めて他のスパゲティが存在することを知ったが、それでもあんかけスパゲティ以上のスパゲティはないな、と思っている。
上に乗せるのは個人的にはソーセージ系かフライ系をおすすめしたい。ミラネーズとかバイキングとかね。たまねぎとかの野菜系のものもあるけど、野菜の水が出てソースが薄まってしまっていまいちだと思う。でもそちらも人気みたいなんであくまで個人の感想です。
で、できれば鉄板。あんかけスパはあつあつが最高にうまい。火傷するぐらい熱いんで、熱いのが得意な人以外にはおすすめしない。私は毎回やけどしながら食ってる。
あんかけスパゲティは店によって結構味が違うんで、自分の好みのあんかけスパに出会う楽しみもある。私がよく行くのはチャオとドンキカフェ(旧ドンキホーテ)。チャオは鉄板があり、ドンキカフェはコショウがよくきいてて好み。チャオもドンキカフェも一応チェーンで、以前はたくさんあったのだが今は大分数を減らしてしまった悲しい。チャオはイオンとかのSCに時々入っている。ドンキカフェはチェーンなのにいまいちソースや麺の温度と具材の調理が安定しないという欠点があるのが残念。
20年ほど前から某大手カレーチェーンがあんかけスパゲティの店をはじめたが、こちらは結構独特な味で、まあ全然好きなんだけどちょっといつものあんかけスパゲティとは違うな、と思ってしまう。初めて食べる人にこれをあんかけスパゲティのベースだと認識されるのはどうなんだろうと思って薦めるのは躊躇してしまう。
そんなあんかけスパゲティの代表といえばヨコイだろう。私も学生時代に何度もお世話になった名店だ。だけど、こないだ名駅店で観光客に混じって食べたらぬるいスパゲティ出されて幻滅したね。昼時で客も多かったからか知らんけど、観光客にあんなもの食べさせてヨコイはあんかけスパゲティの代表として恥ずかしくないのか?と憤りを感じた。
今の職場を5月末で辞めるのが決まって4月いっぱい出勤して5月から有給消化する予定なんだけど
これまで部下の提案とか後々のこととか考えすぎて、これ呑むのウゼーって思って
判断を後回しにしたり、とりあえず欠点があったら拒否するようにしてたんだよね。
年明けに辞めるって決めてからは「ええよええよやったらええよ」って
よっぽどイカれてる提案以外はポンポコ呑むことができるようになった。
上には適当に言うとくからっつってドンドンやらせていったら、なんか業績も上がってきたし
部下からの評価も上がってきて、なーんやこれでよかったんやって思うようになった。
近年、特にいわゆるツイフェミ的な文脈で男性への蔑称として使われる言葉、チー牛についてなんとなく思ったこと
・チー牛とはなにか
細かい説明は検索に譲るが、そもそもは「チーズ牛丼を頼みそうなやつ」みたいな意味合いの蔑称で、その対象は本来の意味では支援の必要な障害を持つ人を揶揄する言葉である
しかし、なぜか特にツイフェミ的な文脈において、チー牛は男性、特に根暗なオタク男性を揶揄する言葉として非常に多用され、大変不思議に思ったのでぼんやり考えた
そう言った文脈で使われる言葉といえば、古くはキモオタ(気持ち悪いオタク)、引きニート(引きこもりのニート)、近年ではこどおじ(子供部屋おじさん。いい歳して実家の子供の頃に与えられた部屋で暮らすおっさん)など、多岐にわたって存在する。
そう言った蔑称に対して、「チーズ牛丼頼んでそう」は明らかに攻撃力が低い。と言うか無い。誰かに刺さるのか?これ。
どう考えてもキモオタの方がチクチクしてるだろ。
個人的にチーズ牛丼が好きでないからと言うのもあるが、まず誰を攻撃しているのかよくわからない。チーズ牛丼が好きな人はこのワードにネガティブな印象がまずない気がするし、チーズ牛丼を頼まない人も「チーズ牛丼を頼みそうだなんて、なんて酷いことを言うんだ…」とはならんだろう。いや頼まないけど…で終わりだ
誰の図星も付けていない。「トランプを武器にしそうな奴」の方がまだ攻撃範囲が広い。
・にも関わらず、言った側の満足度は高い
インタビューした訳ではないが、個人的に最大の疑問点なのがここで、書いてる側はまさに「痛いところをついてやった」「効果的な侮辱だ」と思っているような印象を受ける。
スイーツ(笑)と言われていた時の若い女性の気持ちもそうだったのかもしれない。もうすっかり菓子はスイーツになったしスパゲッティはパスタになってしまったな…。
言う側は満足して言われる側は傷つかないのである意味ウィンウィンの関係だが、言う側は侮辱してダメージを与えるのが目的のはずなのでやはりなんだがおかしい気がする。
例えば最近騒いでいる着替え中のフィギュア、「チー牛はこう言うのが好きなカス」より「キモオタは…」の方がどう考えてもいい。
攻撃的だ。
ただ、これには欠点があって、例えば高校を中退した人は「低学歴」と言うレッテルを人に対して使いにくい(使う人がいないとは言わないが)。貧乏人は底辺と言う攻撃を使いにくい。
同様に、キモいオタクはキモオタと言うラベルを使えないし、無職の引きこもりで親の脛を齧ってると引きニートやこどおじもレッテルとして使いにく…
あ。ああ…。
……。
コミュニケーションにおいてお土産というものは効果を発揮すると経験的に体感している。
もちろん、どこかに遊びに行って…という形でお土産を渡していいのだがそれにはひとつ問題がある。
それはお土産を渡した人に、「こいつは何処かへ楽しく旅行してきやがったんだ」ということへの妬みの感情を引き出してしまうかもしれないからだ。
世の中、孤独な人は多い。
私自身も10数年前までは一人ぼっちで人生を送ってきて無駄に他人を妬むことが多かった。
そして、そのことに自分では気づけない。
そういう人は私以外にもいるだろう。
「いやあ親が帰ってこい帰ってこい孫の顔見せろとうるさくて」
みたいな雰囲気(あくまで雰囲気、実際に言葉にするわけではない)を醸し出し義務としての帰省を消化した、その副産物としてのお土産ということにしたいのだ。
ただ、この方式の欠点はたまに私のイマジナリー田舎と同じ出身地の人に接するときだ。
一応、現地には実際に行ったことがあるし日々情報を仕入れて(いっときは爆サイなどもチェックしていた)知識をアップデートしている。
それでも不意をつかれるとボロが出かねない。
嫉妬心は女に無くて、男にはある、それはその通り。
でもその話、更に踏み込んだら、どちらかというと女にとって都合の悪い話になると思うんだよな。
普通に考えたら、悪意や攻撃でしかそんなことしないだろ、という理不尽な言動を、女はやる。
自分の優れた同僚の粗探しをしてみたり、
産休したんだから、○○のような態度でいないといけないでしょ、と指示してみたり。
たぶんこれは、支配欲なんだと思う。
私の周りにあるものを支配し、私の意思によって変えさせる。毒母親的な感じっていうの?
嫉妬心より支配欲のほうが悪いと思うのは、これ本人は善意のつもりなんだよな。
私がコントロールしてより良くなるようにしてあげよう、と介入している。
嫉妬心ならそれは悪意だから、反撃されたら、まあ悔しいけど自分が悪いのよ。
善意だと、反撃されても、被害者は自分なんだよな。反省とかが無いのよ。
反省の無さが、嫉妬心ドリブンの男には「女の見苦しい嫉妬心」に見えちゃうというね。負けてるのにまだその嫉妬心引っ込めないんだ!? よほど強い嫉妬心なんだな~!? と。
その見方は、まあ間違いなんだけど、でも見苦しい行動が続いてるという事実がまずあるからね。それを止めようと思ったときに、悪意を克服するより、悪い善意を克服するほうが大変だと思うぜ。