はてなキーワード: 松岡修造とは
本当にしんどくて、どうしてこんなことやらないといけないんだ。苦しい。って気持ちになると、頭の中の松岡修造の真似をした私が「そんくらいでやめる?甘えんなよ」「被害者ぶるんじゃない、恥ずかしいぞ」って注意してくる。
すぐ悲観しがちな性格なのでほぼその通りだと思うんだけど、何やるにも注意してくるのでまずは我慢してうける、何があっても泣いてでもやるっていうのが染み付いている。
で、毎回限界きてボロボロになってから周りに、頑張れなくてすみませんって謝ると、いや無理しすぎだから。我慢強すぎ。と言われる。
社会人になってから、3回くらいやってるので、周りの迷惑を考えるともっと軽く考えるべきなのはわかってるんだけど、それはそれで「人よりできないのに?」「お前、これまでの評価は我慢強くやってる姿勢があるからだぞ。甘えを出した瞬間終わるぞ」って言われるのでできない。
その反動なのか、四六時中夢小説のことを考えてる。二次元キャラとイチャイチャしたいというよりは、自信に溢れてステキな女性になりきるのがいいんだと思う。
年取ってボケときに、自分はその夢キャラだと言い張るんじゃないかとドキドキしてるけどやめられない。
ボーッとするってどうやるんだろう。知り合いに何もしてない時何考えてるの?って聞いたら、なんも考えてないよ?って言われて驚愕した。
考えるのをやめると途端に不安になるんだけど、普通の人たちはそんなことないのか。
不安になったら今の状態に合った夢小説ストーリー作って妄想の世界に入る。そして、そのまま仕事もする。っていうのがいつもの流れ。
できる私。に憑依されてるので仕事ができるように見えるらしく、そんなに実害はない。
割と重度の逃避癖である自覚はあるんだけど、病院の先生に言おうとすると「そのくらいで?」「悲劇のヒロインやってんなよ」って言われて急に怖くなってしまい言えない。メモを持ってても渡せない。
表面上の症状が治ったら通院終わってしまう。
同じような人っていないのかな?
助けてくれたり共感してくれる人に言うことができないので、表面化してないだけで、増田とか書き捨てできるところならいるんじゃないかと思ったんだけど。
かんたんですよ(松岡修造)
開催できると思ってるの?とか。
オリンピックのことなんて考えている場合じゃないんじゃないの?とか。
開催ありきになってない?とか。
欧米では冷めた目で見ている。とか。
開催に反対する意見がやたら目につく。
でも、健康が最優先だから、さらに延期でも仕方ない。最悪中止になっても仕方ない。
って、私は別に委員でも議員でもない一市民だから無責任に意見を言ってもいるだけ。
オリンピック委員会が、やる前提で動いていることは、何で批判されるんだろう?
やる前提で準備しなきゃ間に合わないでしょ。
準備する人とは別に、開催の是非を本気で考えなきゃいけないチームが別であるべき。それだけの話。
本気でやる前提で動いても、最終的に開催できなくなるかもしれないが、それは仕方ない。大損害は仕方なくないけど仕方ないとしか言いようがない。
今、オリンピックを開催する(ための準備をする)ことを批判している人は、そもそも平常でも、(ロス五輪以降の)オリンピックは商業主義に汚染されている!オリンピックはやるべきでない!とか言ってそうなイメージ。
松岡修造とか、吉田沙保里とか、アスリート出身で、オリンピック開催してほしい(と思っていそうな)人たちがオリンピック開催について反対するなら、その意見は素直に聞けそうな気がする。
対面重視 明治安田5000人増へ - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6380025
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ここで燃え盛っているみたいなので、せっかくなのであまり知られてない内情、中でも特に営業に関するものを暴露していきたいと思う。
これらは、私が過去に体験したものや、知人・後輩が体験したものも含まれる。
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まず、ここは今も昔も根っからのノルマ主義だ。昭和のドラマで見たような営業成績グラフが壁に貼られている。
ノルマを達成しないと、ただでさえ安い給料から微々たる量のボーナスも減らされていく。
飛び込み営業なんて日常茶飯事だし、土日出勤や、営業先の飲み会に突然呼び出されたり、営業先で物を投げつけられたりすることもしばしば。それでもノルマと上司の圧で断れない。
ノルマが厳しくても、待遇が釣り合っていればまだ我慢はできる。外でつらい思いをしても、会社に戻れば体力と精神を回復できる。
ところがどうだろう。高度成長期の栄光にしがみつく老人たちが考えた非効率的で前時代的な会社戦略や、保険会社なのに社員には最低限以下の保障しか与えない制度にあふれている。
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入社したら、まず知人・友人・家族とあらゆる連絡が取れる人に保険加入のはがきを100枚送らされる。その全てが手書きでなければならない。
研修が終わると、身の回りの知人・友人・家族から最低でも3件保険を取ってこいと言われる。
これらのことをやらされて友人じゃなくなった相手も多い。傍から見たらねずみ講やアムウェイとそう違わないだろうね。
しばらくして、担当する企業の割当が決まる。一人で5000人規模の企業を担当することもあれば、10人程度の企業を担当することもある。
あくまで一人あたり数企業という割り当て方だ。もちろんノルマは企業によって変わったりなんてしない。みんな同じ数の保険を毎月取ってこないといけないのである。
これらに加えて飛び込み営業もさせられる。アポもなしに営業に来られるのはいやだよね?行く方もいやだ。このようなLose-Loseの戦略をオフィスで優雅にふんぞり返ってる上層部は平気で命令してくるのである。それもそのはずで、実際に飛び込むのは彼ら・彼女らじゃないのだから。怒鳴られたり、物を投げられたりすることもない。ただ命令するだけ。
それ相応の保障制度?ないない。営業に行く時の交通費は自費、お客さんに奢るカフェラテや食事も自費、お見舞いに持っていく品も自費。月に有給が取れるのは1日のみ、年末休みはなく、年始休みは1/1〜1/3だけ。
最近コロナが蔓延してる中、その対策すらまともにできていない。これだけ出社してオフィス内で密密になって、お客さんには対面を貫くのにPCR検査も自費、もちろんコロナにかかっても労災なんて降りない。
そのせいでほぼ毎日会社内からコロナ感染者が出ている(下記リンクを参照)。
https://www.meijiyasuda.co.jp/profile/news/info/index.html
最初の頃はコロナ感染者が出たら雑なオフィス内消毒(それもその人のエリアだけで、重要なトイレやエレベータなどの共用スペースは対象外)をしていたが、最近はそれもしなくなった。
「今後も感染拡大抑止とお客さま・従業員の安全確保を最優先に対応を進めてまいります。」(笑)
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こんだけ杜撰なら辞めればいいじゃん?って思うかもしれない。実際大量に辞めてるし、辞めた分の人員を補給するために大量に採用してる。
まあその循環を良くすることで採用した人たちの知人や家族が新規契約対象になるから会社としては嬉しいだろうけどね。
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例えばJリーグ買収。これによって世間一般の認知も上がるし、悪口記事は大量のサッカー記事に紛れるので検索しても全然出てこなくなる。
例えばCM。小田和正によるエモい演出や、松岡修造のいかにも社会貢献している風な演出で見た人はポジティブな感情を滾らせる。
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わたしがメイド喫茶で働いてた時、頭おかしい客がいるのはもちろんなんだけど店長がとにかく頭おかしかった。
深夜の3時にいきなり「この店をより良いものにするためにはどうすればいいか全員何かしら返信しろ」とグループLINEにチャットが届いて、そんな時間にも関わらずメイドたちはああだこうだ返信してて、朝起きた時に気付いたわたしの携帯には脅威の約400件の通知が来てた。一人一人の思いに松岡修造氏並の熱いメッセージを送る店長…。それに対して喜んだり反省したりするメイドたち。
ここのみんな頭おかしいんだな〜って思いながら画面をスクロールしてそのままお店辞めた。メイドさんみんな意識高くて凄いわ。そんな人間にわたしはなれませんでしたって話。
摂津(西部)・播磨・但馬・淡路・丹波(氷上郡・多紀郡)の5か国が置かれた。
神戸港が貿易で栄え、武器を収める倉ができ、兵庫という呼び名が広がり、いつの間にか合併されてしまったこの5か国。
兵庫県となった今も、この5か国の分断は続いている。
まず地形を見てほしい。日本海から瀬戸内海があるのが兵庫県だ。山も海もある。
隣県は大阪、京都、岡山、鳥取。どれも微妙に毛色の違う県である。
しかし、やはり県境というのは日本人にとって重大なもの。隣県に、いつも仲間に入れてもらえないのだ。
尼崎なんてそこらの大阪より大阪の中心部に近い。なのに、大阪ではない扱いだ。市外局番06なのに。ほとんどの市民が大阪に通って仕事しているのに、だ。
結果的に、地域性や自分がどこの出身かということを強く意識し、そして愛する人が多くなっていった。
自らを「〇〇市民」「阪神沿線」「阪急」「JR」「伊丹空港」「自然学校」などと称する人ばかりになった。
ゆえにケンミンショーという番組が始まるまで、兵庫県民という使い方は一般的ではなかった。
ケンミンの焼きビーフンは神戸の食べ物であり、別に兵庫県民に特別なじみがあるわけではない。
正直兵庫の真ん中、秘境の地(何もないので大河の撮影をしている場所)あたりの方言は、もはや関西弁ではない。何を言っているのかわからない。
淡路島という場所も兵庫県にある。ここもまた、独自の文化で発展した。
「神が生まれた島」ともされている。
それゆえか、いたるところにタコが干されている。タコの印象しかない。
しかし淡路島の玉ねぎが無ければ、日本に淡路島の玉ねぎが無いということになる。淡路島は大切だ。
姫路の人は神戸人のふりをする。姫路はド田舎だ。神戸は三宮以外わりとなんもない。
宝塚なんか松岡修造の祖先が作ったような地域だ。阪急の支配下である。ウィルキンソン炭酸水がとれるくらいしか土地的には面白みがない。
思うに、兵庫県と呼ばれる場所は、戦乱をくぐりぬけ、平和こそが大事だと悟り、大切に、尊重しあった結果、
自国(摂津播磨但馬淡路丹波)の概念は残り続けたのではないか。
それに伴い、兵庫県知事は住民票に基づく兵庫県民に対して「外出を控えるように」と宣言した。
海の、山の、六甲おろしを超えた、また海の、兵庫県民たちがざわついた。
決して、交わることのない兵庫県民が、はじめて一くくりにされた。
はばタン、空を飛ぶ。