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2010-01-22

http://anond.hatelabo.jp/20100122143150

国家が存亡の危機に直面した時にどうするかが前提の話でしょ。「共にしない」って事は、逃げるって事でしょ。違う?

違う。

「命運を共にする」というのは、「共に死する」「殉じる」という意味だ。

だから、生命を優先するといってる。

うん、共にしたよ。「大日本帝国」を維持するために300万人以上が死んた。

生き残った人達も、「大日本帝国民」という肩書きを全員が失った。

亡くなられた方は、命運を共にしたといえるけど、生き残った方で生を選んだ方は殉じていない。

よって、「命運を共に」していない。

戦争に負けた場合、場合によっては戦勝国間で領土を割譲されたり(東西ドイツ香港マカオとか)、強制移住させられたり(旧ソ連朝鮮族とか)、民族浄化(世界各地で進行中)の憂き目にあう場合もある。もしヤルタ会談戦勝国側が「もう日本人要らなくね?」という結論を出してたら、今のこの国の繁栄はあり得なかった。

民族浄化は「特定地域から特定の民族をほぼ丸ごと排除して、その地域の住民の民族構成を『純粋化』すること」なんだから、国民国家の形成過程くらいでしか生じないんじゃないの。

今はむしろ、EUをはじめとして、AUなど統合の方へ漸進している。

民族間対立は発生するとしても、民族浄化まではそうそういかないだろう。

運命を共にしない」というのは、そうなる前、もしくはなった後で他国に逃げる事を意味する。

以下略

こちらはその意味で使用していない。

「命運を共にしない」というのは、国が存在が否定されようと己の存在を否定しないこと、すなわち、生命を捨てるようなことはしないことを意味する。

国が滅びるからといって、国民に死を共にせよってのは、到底受け入れることはできない。

http://anond.hatelabo.jp/20100122110216

国家が存亡の危機に直面した時にどうするかが前提の話でしょ。「共にしない」って事は、逃げるって事でしょ。違う?

逆に言えば、何の危機も発生していないような平時では、たかが一個人が「国家と命運を共にする」なんて事は不可能だよ。相当高いポジションにある人間でもない限り。

大日本帝国の臣民は、皆命運を共にしたのか?

うん、共にしたよ。「大日本帝国」を維持するために300万人以上が死んた。

生き残った人達も、「大日本帝国民」という肩書きを全員が失った。

大多数が日本国民として出直しただろ。

そりゃ単にGHQの都合で運良く出直せたってだけの話。

戦争に負けた場合、場合によっては戦勝国間で領土を割譲されたり(東西ドイツ香港マカオとか)、強制移住させられたり(旧ソ連朝鮮族とか)、民族浄化(世界各地で進行中)の憂き目にあう場合もある。もしヤルタ会談戦勝国側が「もう日本人要らなくね?」という結論を出してたら、今のこの国の繁栄はあり得なかった。

運命を共にしない」というのは、そうなる前、もしくはなった後で他国に逃げる事を意味する。リカバリー絶望的な状況なら逃げるのもアリだとは思うが、往々にしてそういう状況は逃げる事自体ままならないし。

また、リカバリーが可能なうちから「俺は国家運命を共にしないぜ!」とさっさと逃げ出すような奴はどの国へ行ってもそれなりの扱いしか受けないだろうね。「敗戦前に国外逃亡した政府の高官」を想像すればわかりやすいと思うけど。

とにかく、「俺は国家運命を共にしない(キリッ!」みたいな事は自慢げに言う事じゃないよ。程度が知れるから。

2009-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20090416130601

「全員帰せばいいのに」って言う根拠は、在日の人の主張が判を押したように「強制連行!」「謝罪!」「賠償!」って言われるので、

だったら終戦時に全員帰らせるのが一番よかったんだなーと理解したからなんだけれども。

で、繰り返すが、「日本在住の朝鮮籍の外国人」が終戦時に大量に発生したのは日本国政府の選択の結果なの。その選択が理にかなっていたとしても、その行為によって「在日」という存在が発生したんだから、日本人に「お前らは勝手に来た」とか「帰ればいいじゃん」とか言われる筋合いは無いの。

スタンダードじゃないし、みんな強制連行だというのは事実じゃない。

えっと、「日本在住の朝鮮籍の外国人」が全員が強制連行の結果というわけではないのなら、強制連行以外は自由意志で来たってことですよね?

そこに「日本国政府の選択」の余地はあるんですか?

頼んで(または強制的に)来させた人については責任を取れ!といわれても納得するけど、自由意志で来た人の分の責任と言われてもー。

あれ? 選択って「朝鮮戸籍の人を朝鮮人にした」こと? なんか混乱してきた。<頭悪ッ!

でも、住んでいるところで戸籍を分けちゃうのも問題があると思うですよ。東西ドイツとか、親戚とかでも国籍が別れちゃったんですよね?

なにをやっても問題は出るだろうけど、一番無難そうな「もともとのデータに戻そう」というのが合理的だと思うんだけどなあ。


それとも、朝鮮人でも希望者は日本国民にしろ、という主張なのかな?

してるじゃないですか。帰化のしくみがありますよね。希望すれば(例外はあるけれど)日本国籍取れるのはもちろんご存知ですよね。

その人のルーツも尊重して、日本国籍をとる選択肢も与えていて、他に何が必要なんです? そこがわかんないんですよねー。

ルーツを大事にしたいから在日のままでいる、でも権利は日本人と一緒のが欲しい? その主張は通りませんよ。


で、これはすごくプリミティブな疑問なんだけれども、そもそも在日一世は日本国籍が欲しかったのかな?

2009-03-13

ギュンター・グラス青年時代はナチ太鼓持ちだった。

書評川口マーン惠美 著『日本はもうドイツに学ばない?』(徳間書店

小生のようにドイツを知らず、漠然とした技術大国=ドイツの印象を身勝手に抱いてきた者にとって、この評論集は新鮮な驚きのパケッジであり、あのメルセデス・ベンツをつくる器用なドイツ人が、他方では奇妙な思考体系をもつことなど想定外のこと。またドイツおよびドイツ人の意外な側面を知り、本書はとても有益である。

一般的に日本人ドイツの印象は良い。いや、良かった、と過去形で書くべきだろう。

森鴎外留学し、伊藤博文プロシア帝国憲法を範にとって明治欽定憲法を起草、制定した。ゲーテトーマスマン、ヘルマンヘッセ、ワグナー。

手塚富雄高橋義考という人たちの名訳でドイツ文学にしたしみ、西尾幹二の新訳でニーチェに親しむことができだ。三島由紀夫第二外国語ドイツ語だった。

ところが現代日本ではドイツがまるで語られなくなった。

大学ではドイツ語第二外国語に選択する学生は稀となり、中国語語学ブームは移った。

ドイツ政治を分析する論客も目立って減少した。

日本戦後政治混沌としてきたが、ドイツもご多分に漏れ混沌そのもの、いや東西ドイツ統一以後は、旧東ドイツの貧困を旧西ドイツが吸収し、そのためドイツ経済優等生の質が劣化した。さらには欧州通貨統一によって、ドイツ経済中国に抜かれるほどに疲弊した。米国日本に次ぐGDP世界三位は北京が獲得した。

ドイツにも政治家の右往左往、右顧左眄、売国奴の跳梁跋扈があり、構図的にいえば、ちょうど日本売国媚中派保守派とに二分され、さらにその保守が真性保守、体制保守、偽装保守などに細分化されるように、ドイツ政治は、ロシア利益と通底する二流の政治家がいる。

言うまでもなく売国奴政治家とは、シュレーダー首相である。

川口さんは舌鋒鋭くこう批判する。

シュレーダー首相在任中、毎年中国を訪れたが、当地では、徹頭徹尾相手の嫌がることには口を噤み、大型商談をまとめることだけに心を尽くし、中国人のやんやの喝采を浴びて満面の笑みを浮かべているのが常だった。そして、このシュレーダー外交を、官邸で、裏からしっかり支えていた」男が、後述するシュタインマイヤーというニヒルな政治家だった。

戦後、アデナゥワーは米国協調したが、ブラント政権東方外交へ急傾斜をはじめた。そしてブラントの個人秘書東ドイツスパイだった。

後継シュミット時代に「ドイツ経済は完全な停滞状態にはいったしまった。それを引き継いだのがCDUのコール首相。行き過ぎた福祉にブレーキをかけ、19990年には華々しく東西ドイツを統一下」(本書140p)

だが、いまやドイツ統一の偉業をなしとげたコール首相は顧みられず、現首相メルケルへの罵詈雑言左派からなされる。仕掛け人は現連立政権にありながら次期首相の座を虎視眈々と狙うシュタインマイヤーSPDの面々である。

ドイツ政権は左右大連立で「十五の大臣のうち8つがSPD」。外交を取り仕切るのは左派なのである。

ナチス靖国は、これほど違う!

日本との比較で二点、異なるポイントがあると川口さんは指摘する。

ドイツには日本とは決定的に違う二つの負い目がある」、それは「ホロコーストと戦時賠償未払い」

東方外交をすすめたブラント首相ユダヤ人慰霊塔に跪き、ヒトラーを擁したドイツ軍がなした狼藉を謝罪したが、「ヒットラーの率いたドイツ自分とを同一視していない」。

いや一般的にも「ドイツ人政治家の謝罪はヒットラーが起したことに対する謝罪であり、自分国民の罪に対するものではない」。

つまり「親族人非人がいたことに対する悲しみの表現のようなものであり、つまり『あいつのしたことは本当に悪いことだった。恥ずかしい、許してくれ』と誤っているのだ。日本は幸いなことに、あとにも先にも身内にこのたぐいの人非人を持たなかった」(本書73p)。

 

本書にはホーネッカー(旧東ドイツ独裁者)が、旧東ドイツ市民秘密警察に監視されつつ、生活がうまく行かずモノもなく、途端の苦しみを味わっていても、一人だけ核戦争にも生き残り、モスクワへ逃げる場合に備えた豪華な核シェルターを築いた事実が暴かれる。その妄想ともいえる塹壕が、ドイツ統一後、埋められる前の見学ツアーが行われ、川口女史はでかけて、壮大な無駄独裁の虚無を見いだす。

それにしても直撃取材のフットワークの良いこと!

また“ドイツ良心”などと左翼ジャーナリズムに持て囃された“ドイツ大江健三郎的な作家ギュンター・グラス青年時代はナチの「太鼓持ち」だったこと、シュレーダー首相プーチンの代理人のごとき政治屋ロビィストであること、ダライラマとの関係ベルリン北京へ頭を下げるのも、日本と同様であり、北京とはビジネスさえ旨くいけば中国に叩頭しても構わないと考えているのがドイツ人の大半であること等々。

次々と暴かれるドイツの真相を知れば知るほどに、表題のようにドイツに学ぶことなんぞ、もはや無いという結論が出てくるのだった。

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