はてなキーワード: 東方Projectとは
ノックノートが求人サイトで東方Project関係の案件をやってるとおもらしした。書いていることが東方乗っ取りにも見える案件なので、色めき立った。
だけど、この裏で起きているのは東方ガチャのバブルじゃないか?ノックノートクラスのそこまで体制が整ってない会社が大金持ってうごめいちゃってるのじゃないか?
どうもロストワードは大成功したらしい。2020年5月に5億円売り上げたという話だ。その後売上は9000万円まで落ちているがロストワード進出時の想定を考えると元は取れてる可能性はあるだろう。
とすると二匹目のドジョウ狙いがあらわれる。その一角がノックノートの案件だ。20億円を誰かが出したのだろう。非公開だから、他にも案件があるかもしれない。
そして、東方の音楽アレンジや、イラストを書いている絵師に非公開で仕事が回ってるのかもしれない。裏で色めき立ってるのだろう。非公開だからみんなだまってるが。
だけど巨大案件が大量に発生しても儲からない。金はかけているから綺麗なイラストや音楽であふれるだろう。
出てきた案件は投資を回収できずほぼみんな短期終了だろう。そもそもガチャ自体大量に案件作っては短期終了の流れになってしまってる。
投資回収できたロストワードだけうまく泳ぎきればなんとかぐらいか。ただそうなるとロストワードだけが生き残るからロストワードが公式に見えるかもしれない。
アニメ化すると一気にバブル化して、それが去ったら衰退したかに見えるという話があった。ブームが一気に起きて去るというのがガチャで起きるかもしれない。
まあ、ノックノートを口実に以降ガチャの案件は許諾を出さないほうがいいと思う。
ノックノートがゲームの完成が近づいてきて表に出たとしても東方乗っ取り懸念が発生しちゃったし、公開時に炎上する可能性が高い。だからノックノートが表に出た段階で許諾を出さないと転ずるようにしてもいいかもしれない。
いや、ノックノートが表に出たときは熱病に冒されて、3匹目のドジョウ狙いが現れるやもしれん。やっぱりもう今日以降新規のガチャ案件に許諾を出さないほうが一番タイミングが良いか。
早めに手を打っておけばまだまだ東方はサブカルの端っこで生き続けるでしょう。あまりに長く続けてしまうと東方アレンジ屋やイラスト屋も毒にやられて、バブルが去ったら東方アレンジ屋やイラスト屋も去るみたいになるかもしれないが。
バブルとバブル崩壊が去ったあと、それをネタに東方新作を作ってもいいかもしれない。
、、、、、でもねぇ、今回の案件は大手サークルを中心に東方音楽アレンジ屋や、東方イラスト屋もだいぶバブルで大儲けしてる感じだから、あまり揶揄するようなネタだとそれはそれで炎上する可能性もある。
利用に見せかけて、権利の譲渡をしたという手口が一番怖い。あるいは、ノックノートの東方のほうが公式のような振る舞いをするとか。
ノックノートも今回は公開情報から東方の名前を消すということを選んでまあそれで一旦仮の終結だろう。
再び表に出てくるときに「ノックノートの東方」みたいな言い方をしたら一発で許諾を取り消すぐらい強くでないとならない。
一見ミスったみたいな言い方をするかもしれない。だが呆けて20億円で東方の権利を取れるなら安い買い物だろう。裏にどんな悪知恵働いている連中がいるかわかったものじゃない。
また、そういう手口があるし、ノックノートは悪意がなかったとしても、次に許諾を求めてくるやつが悪知恵働くやつじゃない保証はない。ガチャのこれ以上の新規の許諾はもうやめたほうがいい。
前回「作者の発言は公式設定なのだろうか」というエントリをアップした。今回の日記はそれの続きというか補足になる。
まず、前回のエントリの内容を一言でいうと「東方Projectで最強議論したけど話が噛み合わなかったよ」という話だ。
すこし前、とある掲示板で「東方Project」で最強は誰かという議論になった。
私は永琳というキャラを最強だと主張した。
お互い譲らず議論は平行線をたどった。それ自体は別にどうでもいい。最強議論なんてそんなものだ。ただ、私にはこのわかりあえなさそのものが興味深かった。
なぜ我々の議論は噛み合わなかったのか。
おぼろげながらその理由がわかったので、ここに書き残しておく。
なお、永琳とかヘカーティアとか何だよ、知らんわ、キモって人もいると思うが、以下の文章にはまったく関係がないので安心してほしい。
結論からいえば、我々がわかりあえない根本的な原因は、世界の捉え方が違ったからである。
議論の土台部分にあたる各々の世界観が異なるために、話が噛み合わないのである。
それでは、彼(もしくは彼女)に見えている世界、私が見ている世界とは、それぞれどのようなものか。
端的にいえば、彼は世界をドラゴンボール的に捉えていたし、私はハンターハンター的に捉えていた。
このように書いても何が何だが意味不明だろうから、以下で詳しく述べる。
さて、話は急に変わるが、全盛期のマイク・タイソンと私が喧嘩したらどちらが勝つだろうか。
「そんなのマイクに決まってるだろジャップボーイ!HAHAHA!」
という意見が圧倒的に多いと思われる。
ところが私はそうは思わない。勝機は充分あると思っている。
もちろん、ボクシングの試合なら私はタイソンに勝てない。1万回やって1万回負けるだろう。
でも、真剣勝負なら話は別だ。例えば「タイソンを車でひく」とか「タイソンの飲んでいるコークに青酸カリ入れる」とか「タイソンが寝たところで家の周りにガソリンをまいて火をつける」とか、やりようはいくらでもある。
ガチの殺し合いなら私でもタイソンに勝てる可能性があるのである。
つまり、これは勝負というものを試合という感覚で捉えているか、サバイバルとして捉えているかという違いだ。前者をドラゴンボール的世界観、後者をハンターハンター的世界観と表現することもできる。
ドラゴンボールの世界では勝負とは殴りっこである。勝負は単純な「殴る、蹴る、手からだしたボールをぶつける」といった手段によって争われる。
ここではパワーこそジャスティスである。よりスピードの早いものが、より強いパワーで相手をぶん殴って破壊する。基本的にはそれがずっと繰り返される。
ここでは格下が格上に勝ったりはしない。戦闘力が低い者は戦闘力の高い者には勝てない。そういうシンプルな世界なのだ。勝ちたければ修行するなり、変身するなりして相手より高い戦闘力を手に入れるしかない。
ここでは能力というものが非常に大事になる。一人ひとりに個性的な能力が与えられていて、それをどう使うかが勝負の分かれ目になる。
能力は一撃必殺のものも多く、ハメさえすれば格下が格上に勝つこともある。
例えば、シャルナークというキャラは針使いだが、針さえさせば相手がどんな強者でもその時点で勝ちである。フクロウというキャラは風呂敷に包めばどんな強い相手でも無力化できる。
だからハンターハンターでは「相手をいかにして罠にはめるか」が非常に重視されている。
クロロという作中で最強クラスのキャラとして描写されている者でも、主人公たちの罠にはめられて無力化されてしまうという場面がある。
そういうシビアな世界だから、相手を罠にはめる発想力と同じくらい重視されているのが用心深さである。実際にハンターハンターでは強者であっても決して油断せずに常に神経を尖らせている。作中人物は自分の能力をペラペラ相手にしゃべったりしない。
要はハンターハンターの世界は、試合ではなくサバイバルなのである。先程、述べた「タイソンに毒薬飲ましたら勝ち」みたいな世界観なのだ。
ドラゴンボールとハンターハンター、それぞれの世界観を簡単にまとめるとこんな感じになる。
パワー、スピード、頑丈さ
パワー、スピード、頑丈さ、能力、発想力、用心深さ、対応力、その日のコンディション、メンタル、知識、相手との相性……などなど
私は後者のハンターハンター的世界観をもって世界を捉えている。
私の考える最強キャラというのはサバイバル勝負して最後に生き残るやつのことである。パワーとか火力が一番のやつ=最強ではない。
最強とは「パワー、スピード、知力、用心深さ、能力の強さ、能力の多彩さ、観察眼……」といった諸要素の総合点が一番高い者と言い換えても良い。
逆にヘカーティア最強説信者には、「最強」という言葉に、ドラゴンボール的なマッチョな世界観を思い描いている方が多いのではないかと思われる。
このような世界観の違いが、永琳派とヘカ派との間に横たわる深い溝の根本原因ではないかと考えた次第。
つまり何が言いたいのかというと東方で最強は永琳だということだ。
私が言いたいのは結局のところその一点である。
永琳最高!永琳最高!イェイ!イェイ!
【補足】
変な勘違いするやつがいたら嫌だからあらかじめ書いておくが、私は「ハンターハンターのほうがドラゴンボールより優れている」みたいなことは一切思っていない。マンガとしてはドラゴンボールは無茶苦茶おもしろい。ハンターハンターより好きなぐらいだ。
すこし前のことだが、とある掲示板で論争というかレスバトルになった。
議論のテーマを一言でいうと「東方Projectで一番強いのは誰か」だ。
うん、まあなんだ、いい年した大人が顔真っ赤にして、バトるようなテーマではない。自分でもわかっているので、とりあえず、それは置いておいてほしい。
その議論において私はとあるキャラを最強だと推し、相手は別のキャラを最強だと主張した。ここでは、その二人のどっちが真に最強か、とかそういうのはどうでもいい。私はここで最強議論をやりたいわけじゃないし、自分の思う最強キャラを推したくてこのエントリを書いたわけでもない。
私には彼(あるいは彼女)の主張する最強説は根拠が曖昧に思えたので、そこを突いた。彼はすぐさま反論した。曰く「ZUNがそう言ったから」と。
その後、いくつかレスが続いたのだけれども、彼が何をもって自分の推すキャラを最強と信じているかというと、要は「ZUNがそう言ったから」ということに大部分を拠っているようだった。
知らない人のために説明するとZUNというのは東方Projectの作者である。
ZUNはラジオかなにかのインタビューで、とあるキャラクターのことを「いままでのキャラよりずっと偉い。はるかに高位の存在」みたいなことを言っていて、それが彼らの根拠となっているようだった。
だが私はそれは根拠にならないと思っていたので「作者の言ったことは公式設定ではない。あくまでゲームや公式書籍から読み取れることを根拠に議論すべきだ」と書き込んだ。
そうすると即座に「なにを馬鹿なこと言っているんだ。作者の言っていることは公式設定に決まっているだろう」という反論が多数寄せられた。
最初はレスバに勝ちたいからそう言っているのかと思ったけれど、どうもそんな感じでもない。
どうやら、彼らは本気で「作者の発言したことは公式設定」と信じ切っているようだった。
世の中には「作者の発言=公式発言」と思っている人間が、思った以上に多いということである。私はなによりもその事実に衝撃を受けた。
(しかし、そう思うのは勝手だけど、それを否定されたからといって自分が馬鹿にされたかのように怒るのは意味がわからん。なぜかこの私への反論レスはほかと比べても感情的になっている人が多かった)
私はそうは思わない。
作品の持つ価値とか主題とかいったものは作品自身から読み取るべきであり、作者の発言はそこに含まれない。
はっきり言えば、作者が作品外で発言したことは、一個人の発言と変わらないと思っている。参考資料ぐらいの扱いがせいぜいだろう。
仮に村上春樹が「『ノルウェイの森』は核兵器の廃絶をテーマにして書いた小説だ」と発言したら、その日から『ノルウェイの森』は核兵器廃絶がテーマの小説になるのか?
夏目漱石の日記が見つかって、そこに「『坊っちゃん』は自然保護をうったえる小説だ」ってあったら、坊っちゃんは環境保護小説になるのか?
いやいや、そうはならんでしょう。
作者は作品の中で自分の主張なり、美意識なり、好き嫌いなり、といったこと、要は全てを表現しないといけない。
作品内でそれが表現しきれていないのに、別の場所で「あれは実はこれこれでね~」とか言ってもしかたがないんじゃないか。
いや、別に言うこと自体はかまわないし、私もそういうの聞くの好きだけれど、それを作品の正当な解釈として扱うのは違う。
「作者の発言だから」とそれを絶対的なものと考えるんじゃなくて、「ふ~ん、この人はこういう解釈なんだ」と、あくまで解釈のひとつとして、相対的に扱うべきではないだろうか。
少なくとも私は、たとえ作者の発言であっても、それが作品内から読み取れないことであったらノイズとしか思えない。
無論、作品を産み出してくれた作者には敬意は払う。尊敬もするし、作品というのは作者のものだとも思う。しかし、それと「作者が作品外で発した発言を、その作品の一部とすること」は別問題である。
【追記】
公式資料集は個人的には重視しない。ああいうのってたいていむちゃくちゃだし。作者のチェックなんかほとんどなしで編集者が勝手に作ってるだけでしょ。
仮に作者ががっつり関わっているとしても、それが「作品から読み取れること」を補足するための資料足り得るのかどうかは物によるとしかいえない。
あくまで重要なのは「作品そのものから読み解く」という姿勢であって、別に作者の発言や公式資料集を否定しているわけじゃないのよ。「作者の意見は一個人の解釈にすぎない」という前提さえ理解してくれるのであれば。
作品を読み解くにあたり有用だと思えば作者の発言も(参考資料として)採用すればいい。ただ問題は、そういうレベルで作者の発言を捉えている人間は少なくて、彼らは「作者の発言>作品そのもの」って思っているってことなんよ。
これはデレマス多分お気持ち表明というやつ。新参なので誤用してたら申し訳ない。
なにせ、夢見りあむに出会うまで、推しと言う概念を理解していなかった。
夢見りあむの事は2019年2月の実装で一旦ツイッターのタイムラインを賑やかした時に
「おっ、面白いキャラだな! あと髪の毛の配色が今時で最高だな!」
くらいに感じただけだった。
3月下旬頃にはSEKIROでSHINOBI EXECUTION…とかやっていて完全に頭から抜けていた。
まだ私は推していなかった。
おっ、面白キャラおるやんけ、見にいったろ! くらいにしか思っていなかった。
それにしても知らん間にめっちゃ曲増えとるな〜〜。
とりま、りあむをセンターにして、難易度proのはにかみdaysをプレイ。
愕然とした。
この夢見りあむ、顔がいい。表情がいい。体型がいい。
普段から見慣れているプレイヤーにはピンと来ないかもしれないが、
デレステの2015年のサービス開始当初から進化したMVへの拘り、
モーション、徹底された表情とキャラクターディレクションに圧倒された。
夢見りあむの顔の良さと表情芸は、楽曲の特徴を選ばなかった。
なにを歌わせても、似合う。子供らしい曲、大人らしい曲、悲しい曲、激しい曲。
MVの色合いの都合でりあむの個性的な配色の髪にはちょっと苦しい曲もあるが、
コーデで誤魔化したり、他メンの髪の色で調整できる範囲だ。すごい。
まだ推してなかったと思う。興味のゲージは振り切った感じはあったけれど。
なにせ課金した後のアカウントを削除した後で完全にデレステもモバマスも引退していた。
元々アケマスを稼働初期にやり込んだ以外、アイマスというコンテンツ全体と特に接点がなく、
筆者はファンタジーや非現実種族を非常に好んでいるため、アイドルものに全く興味がなかった。
モバマスの原作セリフを確認しに行ったり、情報を集めたりした。
いつ夢見りあむがイベントやガチャに出てきても良いように課金し、アカウントの戦力状態を整えていく。
モバマスでは、最低限の投票券ラインを叩けるようにトレーナーをぶっ込んで行く。
繰り返すが、筆者は人間の推しなどまるで一切の興味もないどころか
「えー、ただの人間〜?」と言いだすくらいのマイナス印象すらあった。
人間の推しなど伴侶さえいれば問題ないし、申し訳ないがつい先日まで
「推しを推すより伴侶を推せよ」と思っていた節があるがその節は申し訳ない。完全撤回ですわ。
今もツイッターで5分に一回「りあむ」で検索をかけて色々楽しんでる。
Twitterの検索に障害が起きてるのに気がついて初めてわけわからんくらいサーチしている。
推しができるとそれまで全く興味がなかったデレマスのアイドルたちの個性や顔が急に鮮明になり理解できるようになっていく。様々な個性が混在しライブに営業にと走り回るプロダクションの様子が鮮明にイメージできるようになっていく。
GWの最後は友人宅で、2ndライブのブルーレイを全部見たし、3rdのブルーレイは借りた。
暇を見て全日通しで見るが、Hotel MoonSideだけは先に見たごめん最高だった。あとで自分で買い直す。
初めての総選挙の様子も、気が気でないPの方もたくさんいらっしゃる中不謹慎だと思うけれど、めちゃめちゃ楽しい。
歴史の重みでいろんな匿名お気持ちを拝読したし、過去の総選挙のプレゼンやイラストなど、
夢見りあむの得難い魅力の中に「嫌われても良い」と言うものがある。
当然個人差はあると思うが、普通、推しや好きなキャラに限らず、
自分が大切にしているなにかを誰かに貶されると言うのは、心に来やすい事だと思う。
そうでなくても、悪口や見下されたりされたり、
石を投げつけられたり人格を否定するような文字列を見たら、げんなりしかしないと思う。
しかし、夢見りあむに限っては、それが
「はっはー! よう燃えとるな夢見ィ!!」
これは筆者にとっては本当に救いだった。
筆者は仕事柄どうしても、人と人の争い、主義と主義のぶつかりを調停したり、
正直、先月はだいぶ辛かった。
なんでこんな仕事についてるのかも正直よくわからなくなってきた所に夢見りあむと出会えたのだ。
不謹慎と叫ばれる事も節度を守れば「りあむのオタクは無理」と言われるだけで済む。
毎晩デレステでラブレターとはにかみdaysをりあむセンターで
MV流してニコニコするなんて30日前の自分に言っても信じないと思う。
で。
筆者が夢見りあむに出会えたのは、シンデレラガールズという作品が総選挙第8回という長きに渡り休まず作品を更新続けられた、運営し続けられていたからです。
デレマスが動き続けている間に一体どれだけのゲームが始まり、そして終わったでしょうか。
そう考えると、ここまで辛かった人生に夢見りあむという光を与えてくださった世界に無性に感謝したくなってきました。受け取りたくない方もどうでもいいという方もいらっしゃることと存じますが匿名ブログである事をいいことに一方的に感謝します。
今尚ゲームをプレイされている方々、特にデレステはきゅんきゅんマックスで10,000位以内取れた筆者ですが、無重力シャトルでは全然話になりませんでした。ハイスコアに至っては天井叩いてSSR揃えたのに(育成が終わってなかったとは言え)全然5万位も切れなかったのは、皆さんが作品を愛し続けていたからだと思います。ありがとうございます。夢見りあむイベント来たら万障繰り合わせて丸々有給取るんで勝負していただけると嬉しいです。たぶん2000位逃して発狂するか、無事2000到達でイキるかのどちらかは100%します。
ライブへ足を運ばれている皆様、ライブを運営、参加する皆様、関係者皆様、友人にブルーレイを色々見せていただいています。力と気合の入った舞台や構成、観客の一体感も含めて圧倒されました。大きくても2,000の箱までしか行くことのなかった自分には輝かしい世界でした。次のチケット争奪は筆者も参戦しますのでイープラスさんも申し訳ないですが文句言うかもしれません。ごめんなさい。
二次創作をネットや即売会、同人書店で頒布したり、公開している皆様、web小説を掲示板に書かれている皆様、界隈の勃興を色々見てきた身からすると、油断すると10年に達しようかと言う界隈が一定規模から廃れていないのは、筆者の経験では東方projectくらいだと思っています。
制作している運営スタッフ様、これだけの更新頻度を維持するのにきっと誰かがすごい苦労をしているはずです。お疲れ様です。楽しませていただいております。記念にフェスで天井叩かせて頂きつつ、りあむにちょっとやばいくらいの票をブッ込みましたので運営の足しにしていただければ幸いです。
そして何より、課金してコンテンツを支えていらっしゃる皆様、思うところが多すぎる上にむしろ「夢見りあむみたいなのを産むために課金してるわけじゃねぇから」と怒られる気がしますが、Twitter上で以前見かけた「俺たちの課金で城が建った」の誇らしげさが今でも記憶に眩しく焼きついています。
少なくとも、課金者がこれだけの規模で存在しなければ、結局ゲーム企業は会社としての宿命から逃れる事は出来ません。サービスは終わっていたでしょう当たり前ですが。
夢見りあむという顔の良い推し、炎上しても嫌われても笑顔で推し続ける事ができる推しを産み出してくださった世界すべてに感謝します。
新参Pで、夢見推しが煙たいとは思うけど、これからちゃんと金をドカドカ落としながらコンテンツを愛していこうと思うので許して欲しい!
は〜〜、夢見りあむの顔が良すぎる〜〜〜〜!!!!!
トレチケ時間取るために仕事も効率よく手をつけて、課金しまくるためにもっと稼いで、創作のための時間もちゃんと取らなきゃ……!!
あーもう夢見りあむのせいで人生メチャメチャだよ。
アラサーぐらいの人が語る思い出、デジモン・ミニ四駆・ポケモン・ニコニコ・2ch・オンラインゲーム・型月・葉鍵・深夜アニメ・RPGツクール・FLASH黄金時代、そういった中に東方Projectはもう存在しない。
東方プロジェクトは一時期あれほどまでに盛り上がったのに、燃え上がりすぎて燃え尽きてしまった。
思い出そうとしても、何だかうまく映像が出てこなくて、それなのに今でも世界のアチコチには残滓が残っている。
今でもまだブームはどこかで続いているはずなのに、その姿は時折見かけるかどうかだ。
多くの人が思い出の中にある東方を語る。
今でもまだ誰かが同人誌を同人ゲームを作っているし、本編だって続いている。
日常ミステリを好む方でも、2009年から足掛け10年、既刊19作にわたって続く『少女秘封録』(浅木原 忍 著)という作品を知っている方は、そう多くはないかと思う。
それも当然、これは東方Projectの二次創作として制作・頒布されている同人誌であり、一般的な知名度があるわけではない。
おっと、東方に興味はないとかいう方も、もうちょっと目を通してくれ。
詳細は後からゆっくり語るが、この作品。すこし特殊な立ち位置なのだ。なにしろ、「東方Projectに関する前提知識は、ほとんど必要がない。」
どのくらい必要がないかというと、「東方はよく知っているがミステリ小説は読まない」人よりも、「東方はまったく知らないがミステリ小説はそれなりに読んでいる」という人のほうが、作中で語られるネタについて、より深く楽しめるだろうと思えるくらいだ。
ちなみに19作とはいっても、ストーリーの大きな流れはあるものの、ほとんどが連作短編集、たまに長編といった形で、各エピソードもほぼ独立していて、わりと気軽に手を取れることには言及しておく。
少しでも興味がわいたのなら幸い、もうちょっとこの語りを読んでいってほしい。
まず、この作品は、東方の中でもやや特殊な「秘封俱楽部」の二次創作、という立ち位置である。そもそもこの「秘封俱楽部」、東方の主な舞台となる「幻想郷」とは切り離され、現実世界をベースとした世界設定になっている。
でも二次創作には違いないし、キャラも知らないし? 心配はいらない。導入となる第一作では、キャラクターを一から構築するのと変わらない丁寧さで、主役となる二人の背景をきちんと描いている。端的にいって、事前情報は必要ない。
また、このシリーズの最大の特徴として、各エピソードは主役の女子大生二人と、「ゲストキャラクター」との絡みによって紡がれる。この「ゲスト」は、幻想郷の住人の「そっくりさん」ではあるが、あくまで作中の世界を生きる人々である。
たとえば、「図書館の魔女」が「図書館の司書」だったり、「姉妹の騒霊楽団」が「姉妹のバンド」だったり、「虎の妖怪」が「タイガースファンのお姉さん」だったりするアレンジのやりかたを楽しむくらいしか、原作要素はない。
(もともと現実世界のキャラである東風谷早苗がどういう扱いになるか気になる人は、『ヘビガエル・サナトリウム』を読むのだ)
大事なことなので繰り返すが、『少女秘封録』を読むにあたっては、東方Project原作の前提知識は、まず必要にならない。
「秘封俱楽部」を原作にしているとはいえ、それを「少女秘封録」という二次創作のキャラクターとして肉付けするにあたって、もっとも大きなものは、「主役ふたりを、現代のミステリ小説マニア」にしたことだろう。
第一作第一話『桜並木の満開の下』の冒頭で、語り手が手にしているのは、島田荘司『異邦の騎士』だったりする。
『三月は深き紅の淵を』の感想から恩田陸論をたたかわせる女子大生ふたりとか、ちょっとゆっくり観察したいとは思わないだろうか。
「探偵事務所」といわれて連想するのが巫弓彦の名探偵事務所だったり、カラット探偵事務所だったり、真備霊現象探求所だったりする会話は微笑ましくもなるだろう。
こればかりというわけでもないが、こんなふうに、マニアックになりすぎない程度に「ミステリ好き」を全面に押し出したミステリ小説、というのもちょっと貴重かもしれない。
背景設定が設定だけに、物語全般としてはオカルトとSFが入り混じる世界観になっている。しかし、ミステリとしてのパートはそのほとんどが「人の想い」のすれ違いによる、どこにでもある「日常の謎」である。
そうやって生まれる謎に対して、主役のひとりはまっすぐ他人の心を思いやり、もうひとりは探偵の目をもって冷徹に、挑もうとする。しかしそれはどちらも、謎を解明することで、その謎を抱えるひとを幸せにしようとし、一貫している。
ひとの気持ちは一筋縄ではいかない。だからこそ、それに逃げずに、「探偵」として「助手」として、謎に、人に、向き合う。これは、そんな「日常の謎」の物語なのだ。
そもそも、なぜ、このタイミングでこんな語りをしているのかといえば。
忘れてはいけない、この作品は同人誌。一期一会をつかみそこねたら入手が困難……
なのだが、ちょうど、ほぼ全巻の再販がかかったということで、この機会を逃すとほんとうに手に入らなくなるかも、しれないよ?
https://twitter.com/asagihara_s/status/997845336977625089
ちなみに、短編のうちいくつかはネット公開されているので、合うか合わないか、くらいの参考にはいいかもしれない。
http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/80/1247237593
『「東方バー」が無許可で当然のように営業されている事に皆が疑問を持って欲しい』
という内容の発言を複数Twitter上でつぶやき、それが拡散されたことによる。
元のツイートはより感情的であり、それが余計に状況の深刻さを演出してしまい
結果「無許可東方バー」という言葉だけが独り歩きしてしまった事は否定できないが、
それでも当初は堂々とキャラクターを使用したサイトデザインや誤解を招く店側の発言を
問題となる前に訂正するよう店側に求める声が多数見受けられたし、
店側はファンからの助言通り、版元である上海アリス幻樂団に使用の許可を申し入れた。
これだけであればまだ謝罪文一つ出せば済むような話であったのだが、
なんとバーの店長は、店の問題点について指摘してきたファンに対して「何が悪いのか、他所もやっている」と開き直るような態度を取ったのだ。
またガイドラインに反しているとの声が多くなると、「東方バーではなくオタクバー」「なら東方要素は一切無くす」と
それまで「東方バー」として宣伝していたにも関わらず掌を返すような態度を取り、
一層反感を買う事となった。
まず勘違いされがちだが、東方Projectの著作権は放棄されていない。版権フリーでは無い。
そしてもう一つ勘違いされがちだが、著作権法は親告罪であるため
無断で使用しても著作者が訴えを起こさない限り違法とは言えない。
つまり、たとえ明らかに著作権の侵害であり尚且つ著作者が実態を知っていたとしても、
訴えを起す気がなければ見逃される。
最終的な判断基準は著作者であるのだから、部外者がとやかく言えることではないのだ。
勿論、見逃されていたが何か問題を起こして著作者に不利益をもたらし、
何らかの法的手段を取られるという事は十分ありえるので、
また、版元に使用許可を問い合わせる事についてだが、悪手であるといえる。
版元にメリットがないどころか、万が一の場合イメージダウンに繋がるため
加えて今回の場合は使用してからの事後報告であり、印象が良いとはいえない。
そして版元から公式に「使用はしないで欲しい」と言われてしまえば、その時点で従わざるを得ないし、
版元も聞かれたからには答えざるを得ないだろう。
今後版元の申し入れがあれば対応する」の一点張りでも問題はなかっただろう。
仮に版元に考慮するのであれば、もっと表現を抽象的にするべきだっただろう。
例えばゲーム名に直結する「東方バー」ではなく「幻想バー」として売り出すとか、
キャラクター名は出さずシルエットやパーツ程度にするとか、
神主が言う「うまい具合に」収める方法などいくらでもあるのだ。
だが、人に言われるがまま版元にあっさり問い合わせをしてしまった事を考えると、
店側がこのような著作物に対しての対処法や理解を持っていたとは言い難い。
結局のところは、店側が作品を扱うにも関わらずあまりにも著作権に無知であり
遅かれ早かれその経営スタイルに対し批判の声は出ていたのではないだろうか。
今回の件で、一番最初に注意喚起したファンを営業妨害だ等と批判する声もある。
ファンからの指摘を受け、版元に問い合わせるもその返事を待つ前に店を正式オープンさせるという行為は、全く筋が通らない。
問題を感じたからこその問い合わせであるのに、何故それを軽視するのか。
そしてそれをおかしいと感じる人間が現れることは、至極当然ではないのか。
バー、店長のツイートには、リプライを除いて謝罪に関するツイートは一切ない。
先ずは店側が「お騒がせして申し訳ない」と客に言葉を掛ける所からではないだろうか。
この一言の発表が長引くほど、客足は遠のくだろう。
俺は昔から嫌いなものが多い。
型月作品と東方Projectが嫌いだ。
東方畑から出てきた同人サークル全員滅べと思ってる。
あとニトロプラスも嫌いだし、虚淵が話書いたのとか吐き気がするレベル。
そうそう、ボカロも歌い手も嫌いだな。
アイマスもダメだ、殺意が湧く。
ネットで有名人気取ってる芸人崩れも死んで欲しいね。
型月はFate/GrandOrderが良くも悪くも流行って空前のFateブーム!
東方は相変わらず同人勢力最大級!原作者がよりオープンな許可出したから商業用ゲームにもゲスト出演してる!
夢喰い○リーやポプ○ピピックも東方同人描いてた人原作だね!
アイマスは派生沢山だね!また増えるんだって!
ボカロも人権得て引っ張りだこで、元ボカロPや歌い手が歌手としてメジャーになってたりしてる!東方アレンジ歌ってたのもだな!
ニトロも色々手を出すし虚淵はすっかりエロゲ以外の脚本も書くようになっちゃった!ちょっと前の仮面ライダーにも関わってんだぜ!
あとなんかYouTuberから派生してVYouTuberとか出てきたね!すげえよあの流行りっぷりは!
1 弱者男性とは
1.1 機会不平等
1.2 経済性なし
1.3 利己的
2.1 利他性
2.2 姉弟愛
3.2 VS
4 お姉さんキャラの超越
4.1 姉弟愛の超越
5 まとめ
5.1 お姉さんキャラのススメ
機会平等の仕組みであるクラウドファンディングでさえそうなのだ。
機会は平等であってほしいと私たちは思っているが、機会は平等に与えられることは
何か違うような気がする。
自堕落な生活を送っているものに千載一遇がやってくるわけがないと思っているし、
そんな者にチャンスがやってくることこそ機会が不平等である証拠として私たちは受け取る。
それか自堕落な生活を送る者に何か人とは違うものを求め、実は機会を得るのに相応しい人物であることを見つけようとする。
弱者とは機会を得ることができない者であるが、それは弱者が弱者たるゆえなのだ。
機会を得ることができるような人生を送っておらず、また恵まれないていない、余裕もない。
弱者男性にとって機会とは他者が必ず勝手に取っていくものであり、恨みの対象である。
現代においては、お金がないことが弱者を象徴するものではなくなった。
人とのつながりがあれば、支援者を見つけることもできるだろう。
お金という物に縛られている弱者男性は、容易に操られてしまう。
操られた結果は悲惨であり、お金の存在は弱者男性にとって恐怖対象である。
その日のお金を稼ぐことに人を蹴落とし、自分が恵まれていない状況を短期的に打破しようとする。
弱者男性にとって利己的は合理化されているが、常に利己的に振舞うことはできない。
なぜなら人を蹴落とす際に逆にやられてしまうのは弱者側だからである。
そして利己的であることを拒絶される世界において、利己的であることを合理化してくれる他者を求める。
弱者男性にとってお姉さんキャラとは、利己的である弱者男性を包んでくれ、
(本来はお姉さんキャラが得たものである)機会を与えてくれるものであり、お金という恐怖を跳ね除けてくれる存在である。
弟はその庇護を受けるか、また跳ね除ける。
その利他性は無条件の愛に近い。
弱者男性を弟のように庇護してくれるのはお姉さんキャラだけである。
ツンデレキャラに好かれる男性とは、利他的であることが条件に入るだろう。
男性にとって利他的であることは、すでに恵まれた状態にあり、やっと他者に分け与えられる状態になったということである。
つまり強者男性の証である。ツンデレキャラがそのことを理解し好意を寄せているわけではないだろう。
そして弁舌がたち、人心掌握術に優れ、コミュニケーション強者でもある。
彼らの弱点としては肉体面であったり、一般的な学問には疎いというのがあるのだが、
ツンデレキャラに好かれる男性が利他的である証拠としてエヴァンゲリオンのアスカというツンデレキャラの存在である。
同作品の主人公が利己的な考えを露にした際に、発する言葉が「あんたバカァ?」である。
弱者ゆえの利他性が剥がれ落ち、主人公が一気にツンデレキャラに嫌われた、これが証拠になる。
ツンデレキャラのアスカと本当に付き合うなら強者男性になるしかない。
お姉さんキャラとツンデレキャラが衝突する時は悲劇でしかない。
お姉さんキャラにとってみれば、弱者男性を応援し、ようやく実ってきた男性が
ツンデレキャラに好かれる属性を持ち出すというのは皮肉である。
この状況で弱者男性は道理を通すなら、お姉さんキャラを選ぶべきだが
弱者男性がまだ移行期の状態なら、半弱者男性に道理を求めるのは不可能のように思える。
弱者男性が強者男性になるようにお姉さんキャラもお姉さんキャラを超越する。
それは姉による庇護を拒絶する弟とは当然別物であり、利己的であった弱者男性が
お姉さんキャラに利を分け与える状態になったことを証明するものである。
傲慢な希望をかなえ様とする弱者男性に、手を差し伸べる、または背中を押してあげるだけでよかった。
その状態からお姉さんキャラは脱し、無償の愛から有償の愛へと変貌しなければならない。
弱者男性は(もはやその状態であっては弱者でもないが)当然、それに答えられる。
そうなったときに姉弟愛という状態を超越し、お姉さんキャラも超越する。
それは利己的であれば、姉弟愛も成り立たず、弱者男性もそれに答えられないからである。
だが、お姉さんキャラを超越するとき、利己心を持たなくてはいけない。
その利己心は、次のステップに進む可能性のある弱者男性に影響しており、
弱者男性がそのままならお姉さんキャラは利己心を持たないだろう。
まさにそのとおりだ。
だが、二次元なら話は別だろう。
東方とはソシャゲのように思えるだろうが、PCゲームで縦シューティングゲームなのだ。
そしてステージ制をとっており、各ステージごとにボスを配置している。
このボスは一般的に、他のボスと何らかの関係を持っていることが多い。
そしてシューティングゲームという特性上、勝ち負けがあって、キャラクターに強弱が存在しており
これはもうどういうことかというと、お姉さんキャラ優位の世界観なのである。
全キャラクター数(124人:http://lineq.jp/q/18378763)にしては、お姉さんキャラの宝庫の東方だが、注意点としては
東方は二次創作による影響が強いため、今後どうなるか不明な点である。
お姉さんキャラは原作にも雰囲気はあるが、過度に強調されている。
東方の二次創作が下火になり、さらに東方の公式活動がやや活発化しているため
今後は原作設定が優位になるだろうと思われる。
そういったストーリー消費に熱中している人たちはすごい熱量をもってる。
ファンは作品に対する愛や思いを音楽の購入に際限なくぶつけてくれる。
そういうのと従来の「音楽」の違いは、
まず先に「添え物としての音楽」に触れて、音楽ではないコアコンテンツの方に心酔していることだね。
東方ProjectのZUNさんは、自分の作った音楽を聞いてほしいから
プログラミングをしてSTGゲームを作ったのがきっかけだという。
曲つくってみました!聞いてね!曲単体で評価してよ!というのはもう無理なんだよ。
誰も興味を示さない。まあそれでもアイドルとかバンドみたいな、
本人自体がすでにコンテンツであるような人気者だったら別だけども、
結局、「音楽」なんて崇高ぶらずに、複合的なエンタメのワンパートとして音楽を売るべきなんだ。
「音楽」だけで魅せようとするのは、もはや怠慢だよ。
自分はべつに他人の楽しみ方は好きずきだと思うし、半端な知識で創作するのも別に構わないと思う。
東方Projectの二次創作をしているうち、原作のハードコアな弾幕STGについていける人がどれだけいるだろう?
実際それほどいないと思う。それでも原作未プレイな人たちも含めて立派に同人を支えている。
なぜそれが可能なのか、お察しのとおりだけれども、
最近はネットコミュニケーションの発達で、未プレイ未到達でも、
十二分にストーリー性やキャラクター性のエッセンスを感じ取ることができる。
だから、原作のコアな部分を見ていなかったとしても、あながち見当ハズレとも言い難い創作をアウトプットできる。
それは、実はけっこう面白い現象なんじゃないかと、私は好意的にとらえるようにしている。
エッセンスを掴んだ状態で、だが公式の描き出した「結論」に因われていない状態だからこそ描けるものもあるんじゃないかな。
もちろん逆に、増田の言うように、半端な知識だから細部も半端になることも多かろうが、まあ彼らは好きで書いて見せてくれているものだから、
製品にクレームを入れる時のような感情を抱く道理もない。自分のお眼鏡に適わなければ、以後ご遠慮するだけの話で。
同人作家一人を見続けるという悪趣味なことをすれば、いつまでも原作のコアに手を伸ばさないなぁという人は確かにいる。
そういうのを見つけると、原作に対する敬意やなんやらを欠いているだとか自己表現のためだとか思えるかもしれない。
でも今の時代、ほとんどの人はいくつもの作品を同時並行的に楽しんでいるわけで。
一作品の「深さ」を完全に網羅していくほどの時間的・精神的リソースが割けないのだろう、と思うようにしている。
同人作家に対して悪意的な見方をするようになっても自分は何も得をしないしね。
そもそも自分を振り返っても、二次創作を楽しませてもらった作品ぜんぶをそこまで熟知してフルコミットしていたわけじゃない。
ハマったと自負する作品でさえ、もっとコアな人はネットを漁ればすぐに見つかる。ほとんどの人がそうだと思う。
だから、ニワカを許容できるほうが、自分にとっても他人にとってもオタク活動を気軽に展開できて、楽しみを最大化できるはず。
そう思えるようになると、自己表現のために人気作品を利用しているような人の生き様も、共感はしないまでも可愛いものだと思えてくる。
そんな人の創作でも、いいものがあれば素直に読めるようになるし、なんなら尊敬もできる。消費専門の自分にしてみたらね。
あとは原作至上主義的にならなくなるから、東方でいうと大沖チルノみたいな、
二次創作が独り歩きして生まれたような原作とかけ離れたキャラも楽しめるようになってお得だし。
いい意味で「意識の低い」ものが跋扈していられるからこそ、敷居が下がって一大コンテンツになれるほど盛り上がるんだと東方を見て私は学んだよ。
因果は逆かもしれないけど、この構図はその他の大ヒット商業コンテンツでも同じことだと思う。
もう、自然の摂理として、“「深い」ものほど「浅い」ところでヒットし、その深度差が渦を巻き起こして大きくなる”とでも言ってしまおう。