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はてなキーワード: 本棚とは

2024-05-07

Togetherランキングみるのや〜めた!

Togetherランキングあるじゃん

人気のまとめが並んでるやつ

あれ毎日見てたけどもうやめた

だって間に挟まれリンク邪魔なんだもん

まとめに関係あるならまだいいけどさ

見たくもない本のAmazonリンクが貼ってあったらそれだけでや〜や!ってなる

しかも多い時はそれがみっつぐらいある

いや、どんだけアフリェイ収益欲しいんだよって

からもうTogetherランキングみるのおわり

見たくもない本のリンクさよなら

ちょっと前に上がってた嘘松もきれいさっぱり

忘れちゃいます

でも本棚リンクから買ってしまった本が一冊だけあったり…する

2024-05-06

電子書籍は急に読めなくなる」って言うヤツほど電子書籍向き説

電子書籍メリットなんてテキトーに調べれば出るしどう思うかなんて人それぞれだから省略して、見て見ぬフリすればいいのにわざわざ電子書籍を叩いてる人に提言したいのがタイトルのこと。


今まで買った本や漫画のうち、手元に残ってる割合ってどれくらいなの?

その中でさらに、火事か何かで失ったとしても絶対に買い戻したいものってどれくらい?


俺、今まで数えきれないくらい本も漫画も買った。紙も電子も含めて。kindleで数えたら600冊は買ってるらしいし、kindle unlimited含めたらさらに数百くらい上乗せされると思う。

でも、記録してる読書メモとか本のリストとかと照らし合わせたら、買い戻したい本ってたかだか30冊くらい。残りは「必要な時に買う」「どうしてもってほどじゃない」って感じ。


紙の本や漫画無尽蔵に保管できるならいいけど、そんなハズないから手放す必要があるでしょ。人によると思うけど年一くらいの頻度で本棚整理するでしょ。電子だとその手間もないし、サービスが続く限りは置きっぱなしにできる。

著者がやらかしたとか何かで読めなくなるケースは知ってるけど、そんなのレアケースだし、現に(見落としてるかもしれないけど)俺が持っている本がそうなったことはない。


から相対的に見たら紙で持つより電子書籍で持つほうがより長く保管できるんじゃない?

「急に読めなくなる」なんて、SaaSなんだからサービス元の都合で利用できなくなるなんて当たり前でしょ。そんなの理解した上で買ってるもんだと思ってたけど。

2024-05-02

1LDKマンション大改造計画

3年ほど住み続けたのだが、オーナーが売りたいとのことで

30過ぎて独身ながらなぜか買ってしまった。

少々古いが山手線駅徒歩2分という好立地かつ管理が行き届いているので

ついキャッシュで買ってしまった。預金はほぼゼロよ。

さて、というわけで独身男性の賃貸住宅という魔窟から脱却しようと以下を計画

1.リビング改造計画予算10万)

年数回しか使わないテレビおよびテレビ台、カラーボックス撤去

PopInAlladinの導入

カラーボックスは寝室に移動する


2.PCデスク周り改造計画予算:40万)

布製チェア(くさい)および、昇降機能を失った昇降机の廃棄

ゲーミングPC購入による2PC

電動昇降機能付きデスクの導入

ちょっと良いイスの購入


3.ドラム式洗濯機導入計画予算:25万)

前居からの付き合いのH社製縦型。

9年ほどしか経ってないがたまに狂ったように脱水を繰り返すので更新

開閉の邪魔になるカラーボックスの廃棄または移動

壁面吊り下げ下着収納の導入

タオル洗濯機の上に置く


4.ウォーク・イン・クローゼット、ウォーカブ計画予算:5万)

押し込まれカラーボックスリビングに移動し

プロジェクタ投影範囲外に本棚をつくり本をそこへ移動

使ってない服、要らない本をブックオフへ売る


5.ガス台、給湯器レンジフードバス乾の更新予算:40万)

先月ガス屋さんが点検しに来たのでついでに見積依頼中

ガス台はIHにしようか悩む

バス乾はドラム洗濯乾燥機があれば要らないか…?


各項目、そのほか、おすすめがあれば教えて欲しいです

都民だけど、家に本棚くらいあるけどな

地方に一軒家をたてると安くて大きい家に住めるのはわかるけど、その土地代、建築費が安ければ安いほど不便で車必須土地ってことじゃないか

地方でも便利な場所マンションや家を買うには高い費用が発生する(それでも、東京大阪よりは安いが)

自分は車を持たずに生活ができて、むちゃくちゃ幸せだし、駅チカのコンビニスーパーも近くて最高の家だと思ってる。

東京暮らしが嫌いな人もいれば、そうでない人もいる。

コンビニデパートもなにもないド田舎好きな人もいる。

価値観は人それぞれなので都民暮らし全否定する人がいるのは不思議

都民文化外注増田自分の子供が上京したいって言ったらどうするんだろう

2024-05-01

anond:20240501213534

文化って触れないとダメなんですよ。

誰でもそれなりに触れていると思うが?

そうなると、音楽を聴きに行くだけじゃなくて演奏するとか、

演奏のほうが聴きに行くよりハードル低いよね

元増田も言っているけど、本を読んで家族と共有するとか、

共有の方法に依るが、共有本棚に置くとかならOKだが、本の内容を教えるとかは鬱陶しいのでNG

スマホだと共有は出来ないもんね。

Kindleリンクぐらい共有できると思うが?

人間って元々群で生活する動物でしょ、だから他人と共有することが大事というか、

馬鹿も何も言わなければ賢いと思われるという格言があるように、共有が必ずしも良いというわけではない

それが自然だと思う。本って他人の叡智の塊だからね。

Bingちゃんに聞いたが、本ってのは有名になりたいというただその虚栄心のために、ゴーストライターに書かせて出版するようなのが多数いるらしいよね、それが叡智?

anond:20240421132347

これはかなり核心を突いているかも。

本棚のない家はダメだと思うわ。

anond:20240421132347

まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。

大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパ東南アジア珍味を貯めておけない。

ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器一家20枚もない。

子供学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形ひな人形を飾れない。

結婚式で作ったドライフラワークローゼットの奥にしか置き場がない。

ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。

どういう家を想定してるんだ?ワンルームマンションとか?

一軒家建てれば全部できるよ

anond:20240501081834

分かるわぁ。

俺も離婚した時、本棚とかベッドとか一人で捨てたもの

😂

2024-04-27

anond:20240427151947

すまねえなKindle派なんだ……

漫画でも小説でもないけど紙の本を買って本棚を埋め尽くしては入れ替えを繰り返して本をほぼ全部捨ててからKindleじゃないと物理的スペース半端なく取るから買いたくないし図書館に行くのも面倒だし

それにもうKindleで買っちゃったからねえ

2024-04-24

anond:20240424142706

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないの??????

付き合ってる彼氏オタクでつらい。

いや、別にオタクであることは否定しない。

夢中になれる趣味があるのは良いことだと思う。

だけど一緒に映画を観に行ったときにいちいち深読みとか考察とか元ネタ探しとかをするのが本当にウザい。

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないんだろう。

私の彼氏は週に1回は映画館に行って家では暇さえあればネトフリやアマプラを観ている映画オタクで、たまに私に映画を見せようとする。

お家だろうが映画館だろうが最初の頃は映画デートも楽しめていたんだけど、段々彼の映画感想の言い方が鼻についてきた。

映画を観終わったあとの感想なんて「面白かったねー」「ここのシーン良かったねー」「ここのシーンかっこよかったねー」「このキャラ良かったねー」だけでいいじゃん。

それに対して「わかるー」って共感してそれでおしまいでいいじゃん。

彼氏映画を観終わるたびに「ここのシーンは原作のここをアレンジしていてー」とか「監督過去作に似たようなシーンがあってー」っていちいち語り始める。

気に入った映画絶対原作ビジュアルブックを買うようにしているらしい。

彼氏の家の本棚にはそういう本がぎっしり詰まってる。

この間彼氏の家で映画を観たあと「アートブックにこういう記述があってさー」ってわざわざ本棚からその映画美術本を引っ張り出してきて見せてきたのにはホントに引いた。

頼むから普通に作品を楽しめるようになってほしい。

普通の人は原作を買ったりアートブックを買ったりなんてしないんだよ。

映画パンフレットを隅々まで読んだりしないんだよ。

監督意図とか調べたりしないんだよ。

ネットに転がっているインタビューとかを調べたりしないんだよ。

オタクの人の作品鑑賞のスタイルって本当に気持ち悪いと思う。

制作者は普通に楽しんでもらえるように作っているんだから制作者の意図を汲んで普通に楽しめばいいじゃん。

たぶん彼氏とはそのうち別れると思う。

次は映画デートとかしても普通感想を言えるような人と付き合いたい。

全体的に自分普通だと思い込んでる悲しき地雷モンスターで草

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないの??????

付き合ってる彼氏オタクでつらい。

いや、別にオタクであることは否定しない。

夢中になれる趣味があるのは良いことだと思う。

だけど一緒に映画を観に行ったときにいちいち深読みとか考察とか元ネタ探しとかをするのが本当にウザい。

なんでオタクって普通に作品を楽しむことができないんだろう。

私の彼氏は週に1回は映画館に行って家では暇さえあればネトフリやアマプラを観ている映画オタクで、たまに私に映画を見せようとする。

お家だろうが映画館だろうが最初の頃は映画デートも楽しめていたんだけど、段々彼の映画感想の言い方が鼻についてきた。

映画を観終わったあとの感想なんて「面白かったねー」「ここのシーン良かったねー」「ここのシーンかっこよかったねー」「このキャラ良かったねー」だけでいいじゃん。

それに対して「わかるー」って共感してそれでおしまいでいいじゃん。

彼氏映画を観終わるたびに「ここのシーンは原作のここをアレンジしていてー」とか「監督過去作に似たようなシーンがあってー」っていちいち語り始める。

気に入った映画絶対原作ビジュアルブックを買うようにしているらしい。

彼氏の家の本棚にはそういう本がぎっしり詰まってる。

この間彼氏の家で映画を観たあと「アートブックにこういう記述があってさー」ってわざわざ本棚からその映画美術本を引っ張り出してきて見せてきたのにはホントに引いた。

頼むから普通に作品を楽しめるようになってほしい。

普通の人は原作を買ったりアートブックを買ったりなんてしないんだよ。

映画パンフレットを隅々まで読んだりしないんだよ。

監督意図とか調べたりしないんだよ。

ネットに転がっているインタビューとかを調べたりしないんだよ。

オタクの人の作品鑑賞のスタイルって本当に気持ち悪いと思う。

制作者は普通に楽しんでもらえるように作っているんだから制作者の意図を汲んで普通に楽しめばいいじゃん。

たぶん彼氏とはそのうち別れると思う。

次は映画デートとかしても普通感想を言えるような人と付き合いたい。

2024-04-21

東京は家の中に文化がない + 追記

東京住宅が狭すぎて家の中に文化がない。


まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。

大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパ東南アジア珍味を貯めておけない。

ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器一家20枚もない。

子供学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形ひな人形を飾れない。

結婚式で作ったドライフラワークローゼットの奥にしか置き場がない。

ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。


狭すぎて子供を作れない。それでも仕事のために東京にしがみついている。

生殖制限してまで働いているという意味で、本当の社畜だと思う。


それでいて地主バカ高い家賃を払い続ける。

夫婦練馬区に住んでおり上に書いた状況だった。心底気の毒だと思う。


プライベートのかなりの時間は自宅で過ごすのだから、家を文化的にすべきだ。

俺は人口30万人の地方都市に住んでいる。上に書いた程度のことはすべて実現できている。


東京は、家の外は文化的だ。俺も昔東京に住んでいた。

しか美術館博物館は何回も通って飽きた。お気に入り画集を家に置けば十分だ。

飲食店は多いが、どこもすし詰め状態で居心地が悪い。高い金を払って不健康ものを食べたくもない。

図書館の数や取り寄せサービスは素晴らしいが、借り出し・返却の時間が勿体ないのでネットで買えばいい。


文化都市東京にあって粗末な家に住む方々は本当に不思議存在だ。家の中と外とで文化水準が大きく異なることに疑問を抱かないのだろうか。

俺が思う最適解は、東京名古屋大阪あたりに本社を持つ大企業の、地方事業所周辺に住むことだ。

俺が勤務する事業所は3000人以上働いている。近所には大手電機メーカーの1万人近い事業所もある。

こうした町は企業城下町様相を呈しており生活には困らない。しかも家が広くて安い。



共感するコメント共感しないコメントを予想外に多く頂けて嬉しい。

もう少し詳しい説明必要性を感じたため追記する。

共感しない旨のコメントに多いのは、モノを家に集めることは文化ではないという趣旨

しか文化基本的媒体としてモノを必要としていることを認識してほしい。

二、三例示すると、

たとえば節分豆まきには鬼の仮面大豆大豆をまけるスペース、掃除道具が必要だ。これらのモノ無しに「鬼は外、福は内」を口誦するだけの風習ならとうの昔に途絶えていると思う。現に口誦するだけの文化身の回りにどれだけあるだろうか? そうした文化は歌くらいだ。

次に、小説などの文学作品雑誌掲載されても単行本文庫にならない。芥川賞を受賞した作家でさえ、そのほとんどは、半分以上が雑誌掲載のみで終わる。その雑誌電子書籍で出ていなければKindleで読むことは出来ない。ましてや詩歌は99%は雑誌掲載のみ。Kindleで閲覧できる文学作品は実はごくわずかでしかない。

最後に、美術に触れる経験子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り、帰りの外食の方をよほど楽しみにしている。画集が家にあれば日頃から絵画というもの存在認識するし、すごく暇なときに開いて読んでいることも稀にある。大人が楽しむにも、プロ解説付きの画集は何度も読み返して理解を深めることができる。


以上のように、個人として文化を深く楽しむにはモノが必要だし、それを子供に伝えるにもモノが必要。モノがいつでも目の前にある、手で触れることができる環境文化への距離を縮めてくれている。だから私は家にモノを置きたい。

東京文化を家の外に"外注"していることと出生率が低いことは関連していると思う。

2024-04-12

実家に帰ったときに物置から娘が文庫本が入った段ボールを引っ張り出してきた

へーなつかしーと思って娘にこれはこういう作品で―とか説明してたら

マリア様がみてるが気になったようで持って帰ると言い出した。

かさばるなぁと思いながらも小さい箱に詰め直して持って帰ってきて

今、娘の部屋の本棚に並んでいて、ちょこちょこ読み進めているようだ。

私も昔こうして母が読んでた小説を読み継いできたよなぁとすごく懐かしい気持ちになった。

当時、高校生だった私は高木彬光の白昼の死角を読んで衝撃を受けた記憶がある。

それはそうとなぜか手元に「パラソルをさして」だけがある。不思議だ。

2024-04-09

同人誌処分

Xを見ていたら「40歳になったのでオタクグッズを全て処分した」という漫画が流れてきたので

自分もそれを見習って処分を始めた

 

大学進学で親元を離れて一人暮らしを始めてから

コミケに行ったりアキバに通って同人誌を買いあさっていたが

就職し、コミケに行く時間も無くなってからは次第に買う頻度が減り

数年前を最後に全く買わなくなってしまった

買った本も一度読んだらそれきりで、以降は本棚の飾り同然になってしまっていた

 

駿〇屋のあんしん買取に一冊づつ入力して査定してもらったが

値段が付いたのは1/3程度で、残りはすべて買取不可だった

査定結果メールに「買取不可品は絶対に送ってこないで」という趣旨のことが書いてあり

値のつかない中古同人の扱いに困ってる感がにじみ出ていた

 

2000年代の古い同人ばかりなのでほとんど10買取だったが

1冊だけ5000円の値が付いたものがあった

俺が知らないだけで有名なサークルなのかと思ったら

サークル名や作者で検索しても情報ほとんど無く、値段の理由はわからなかった

 

駿河屋オンライン在庫が無いものなら買い取ってもらえるだろうと思っていたが

それでも買取不可になった本もあった

 

値段のついたものだけで一万円くらいになったのでそれで売却し

買取不可の残りはまんだらけに持ち込んだら千円くらいになったので

肉の万世で少し奮発して帰った

コミック用の奥行きの浅い本棚ハードカバーの本をたくさん詰め込んでるんだけど一番上から本を引っこ抜こうとした結構がっちりはまってて力付くで引き抜こうとしたら棚が倒れてきて下敷きになった。地震でもないのに棚の下敷きになって危うく死ぬところだったぜ。死ねばよかったのに。

2024-04-08

川勝の講義について思い出すことな

昔、早稲田政経で川勝が担当する「日本経済史」の講義取ってたわ。

当時の川勝は、オクスフォード博士号取ってきた気鋭の若手教授。“校舎二流、教授三流”などと揶揄されてた我が母校にあっては珍しく、学会でも注目されるスター教授だった。

当時「日本経済史」は2年生から履修できる専門の基礎科目で、わりと受講してた人も多いはずである

橋下徹が“厳しいので生徒の評判は悪かった(笑)”などとテレビネタにしてたらしいが、“厳しい”というのは、当時早稲田の中でも指折りに単位取るのが簡単だった政経学部の中では、という話であって、もちろん出席を取るでもなく、普通に講義聴いて試験受ければ、まあ“良”くらいなら簡単に取れるレベルだったと記憶する。

いや、講義にでなくても著書を読んで「世界が注目する川勝理論」の骨子を理解しておけば、試験も恐るに足らず。

しかも模範解答の“シケプリ”が大量に出回っていた当時の早稲田で、あの講義単位を落とした人がいるなら、それはよほど要領の悪い奴に違いない。

経済学の一分野ではあるけれど、中身は歴史学に近く、面倒な数式とか経済理論を振り回すこともなく、自分のような数学が苦手なド文系政治学科学生にも優しい内容であった。

まあとき毒舌も挟まれるけれど、それも含めて話はうまいし、何を言ってるかすらよくわからんジジイ教授講義に比べりゃ全然まともで、そのインテリ然とした爽やかな風貌(但、当時の早大教授にしては)と相まって、女子学生の人気も高かった。学部女子一割くらいしかいなかったけど。

当時の早稲田政経は超マスプロ教育で、一番の人気講義であったスター教授ニシジュンこと西川潤の「開発経済論」は、講義教室大隈講堂というレベル。それでも抽選で外れて受講できない人が出る始末。

なお人気講義というのは、必ずしも学問的にレベルが高くて充実しているということを意味しない。

そんなに当時の大学生の志が高いわけがない。

単位が取りやすい”も大事な要素で、ニシジュンは有名教授で話もそこそこ面白くて単位も取りやすいという、実に人気講義の要素を兼ね備えたものであった。

世界が注目する川勝理論」というのは、当時川勝が自身経済史観を分かりやす一般向けにまとめてNHKブックスから上梓した著書『日本文明と近代西洋鎖国再考 』の帯に書かれていた文言で、その壮大なタイトルとともによく学内ネタにされていた。

ご本人もネタ化されているのを把握していて、講義では「あれば出版社勝手につけたんで、俺が自分で言ってるわけじゃない」とかよく言ってたが。

でも、そう言われるのも万更ではないご様子ではあった。

ゼミ指導教授としての川勝はよく知らないけれど、ゼミ入るのはわりと難しく、指導もそれなりに厳しかったようだ。

そんな川勝だが、当時、図書館の副館長も務めていて、そこで資料購入をめぐって上層部喧嘩して早大を辞めてしまう。

記憶が若干曖昧だが、たしか川勝の研究に直結する「英国議会資料」の購入をめぐって、予算的に折り合いがつかず、断固として購入を主張してた川勝が怒って辞めた、という話だったと思う。

購入をめぐって揉めてるという話は講義の中でも雑談として話していた記憶はある。「早稲田を知の殿堂にするためには絶対必要なんですよ」とかなんとか力説してた。

なぜかこれは鮮明に覚えているのだが、ある日、講義でなぜか論語の話をしだし

「六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えずって言いますけど、ありゃ孔子の゙ような偉大な人にしてはじめて到達できる境地なんですよ。凡人にはなかなかできることじゃないけど、そこを目指しなさいと。

世の中年取っても耳順わないやつがたくさんいるけど、あれはなんとかならないのか」

などと妙にヒートアップしだし、川勝よほど上の方と揉めてるのかな?と噂になっていた。

程なく川勝は日文研転出し、「日本富国有徳の国を目指せ!」と言い出して小渕内閣のブレーンになったり、静岡大学学長になったりして、気づいたら静岡知事になって、「暴言吐きながらリニア妨害するとんでも知事」になっていた。

実際、著書も講義おもしろかったし、ちょいちょいエリート主義毒舌が顔をのぞかせるけど愛嬌のある人ではあった。当時は。

学者言論人のままでいればまだよかったのだろうが、コンプラSNS正義が世の中を動かす時代にあって、政治家を全うできるキャラではなかったのだろうという、ざっくりとした感慨はある。

川勝の本、実家本棚に多分あると思うので、今度帰ったら読んでみようかな。

2024-04-01

まもって守護月天!を読み終えた その1


当方40代であるはてなユーザーでは平均ほどか。

数年前に父が亡くなり、半年前に母も亡くなった。ずっと実家暮らしで、会社仕事の合間に農業をやっていたが、そろそろこの家ともお別れである家族が俺一人になったので、土地建物を売りに出して、会社の近くにある空き家ハウスに引っ越すのである

相続が終わってから遺品整理屋とかリサイクル屋とか解体屋さんと話をすることが多くなった。処分すべき財産はあっという間に片付いたが、最後に残ったのが……西暦で言うと2000年頃に亡くなった実弟漫画だった。部屋を共有していたので、本棚には俺と弟の漫画が並んでいた。

その大半は、ブックオフでも1冊10円すらつかないモノだった。メルカリで売るにも手間がかかりそうだ。遺品整理屋も「今のご時世、紙のマンガは売れないんですよ」と引き取りを断った。ほかの価値のなさそうなモノは、タダ同然でも引き取ってもらえたのだが。

何か月か経って、今年の正月を過ぎた頃だった。

実家本棚にあった俺の漫画を何冊か、手に取って読んでみた。うーん、これは……「懐かしい」という感情が僅かにあった。一番好きだった漫画、『天使禁猟区』『スカイハイ』『クロマティ高校』を読んでみたが、いまいちピンとこない。楽しい思い出が蘇ってこない。お楽しみの記憶脳裏から消えてしまったのだ……。

ふとここで、亡き弟の漫画を手に取った。あいつは将来裁判官になりたいと言ってたっけ。『家栽の人』が本棚の目につくところに置いてあった。一番上の段だった。

そして、一番下の段に視線を移すと……ここで一番、ドーン!! と、当時の記憶が蘇った。それは、『まもって守護月天!』だった。弟が一番好きだった漫画

家族食卓を囲んでいる時も、旅行をしてる時の車内でも、何気ない団らんの瞬間でも、とにかく弟は、この漫画の話をしてることが多かった。

弟の死因は、自動車に轢かれた後の外傷から内臓の疾患にかかったことにある。交通事故の原因の半分は弟にあり、当時は自業自得だと冷たいことを思ってたけど、まさか亡くなるとは……。病院でお見舞いをしてる時にも、弟はこの漫画を繰り返し読んでいて、ずっとその話の内容とか喋ってるんだよ。どんだけ好きなんだよって思った。

確か、アニメも観たいって言ってたかな。病室にテレビはあったけど、ビデオ再生できるものがなかった。弟は泣いて悔しがっていた。

さて、当時の俺は高校生であり、ガンガンコミックス漫画を読むことはなかった。守護月天漫画を読んでみたことはあったが、すぐに読むのをやめた。「稚拙だな」と思ったのもあるし、「絵がちょっとな~」という思いもあった。当時の俺は、CLAMPが描くような、Xとか聖伝とか、ああい精緻な絵柄のエログロが好きだった。

とにかく弟は『まもって守護月天!』が好きだった。それを、この本棚を見ていて思い出した。この日は休日であり、時間がたくさんあった。せっかくなので、この日から一週間ほどかけて、全11巻を読んでみることにした。

読んでみた感想を、以下に綴っていこう。感想を交えつつ、各巻に1~2箇所ずつ、印象的だったところを抜き出して引用する。

ネタバレがあるように見えるけど、本当に大事なところは抜き出してない。隠してる。まあ、俺の人生で『まもって守護月天!』を取り上げるのはこれっきりなんだし、少しくらいは許してくれ……。

その前に、これはどういう漫画やねん、と気になった方はWikipediaでググってほしい。あらすじは、概ねこんな感じである

~ブックライブから引用

一人暮らしで寂しさを抱える少年と、ご主人様をあらゆる不幸から守る役目を持つ守護月天美少女とのファンタジーラブストーリー一人暮らし中学2年生・七梨太助(しちり・たすけ)は、中国を旅する父親から支天輪(してんりん)という八角の輪を送られる。


まり主人公の何気ない行動をきっかけとして、小璘(シャオリン)という女神様のようなものがやってくる。お互いに惹かれつつ、ラブコメディが進行していく。その中で、超えないといけない壁がいくつもあって、主人公である太助シャオにふさわしい男になるために奮闘する物語である

では、さっそく始める。



【第1巻】

読み始めは、正直キツかった。絵柄が古いのもあるし、漫画表現が昔風なのもあるし、ラブコメを読んだ経験がない人間には何がどう面白いのかわからない。

まり楽しめないのは、すでに四十を過ぎているからだろう。子どもの頃であれば、まだマシだったのかもしれない。ただ、まあ……コンセプトはいいと思う。すごく。

なんとなくだが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という映画を思い出した。某グルメ漫画でいうと、「うん こういうのでいいんだよ こういうので」を地で行く。

シャオリンが「この平和時代に、どんなものからご主人様を守るか」を決めたシーン

太助様…」

「…え……」

「もし迷惑でなければ あなたの中にある「孤独」や「寂しさ」から あなたを守ってさしあげたいのですが それではいけませんか?」


シャオ歴代の主を守ってきた手段は、主に暴力である。星神を呼び出して使役し、主人を狙う者を撃退する日々を過ごしてきた。だが、平和現代でそんな行為需要があるはずもなく。シャオは、呼び出されてすぐにお役御免になってしまう。

ならば、主人である太助をどのように守ればいいのか――その答えが上記台詞である。命を狙う敵がいないのであれば、孤独や寂しさから主人を守るのだ。太助には家族が3人いるが、全員家を離れて放浪の旅をしている。ネグレクトに限りなく近いものがあるが、ラブコメの都合というものだ。



【第2巻】

このあたりは、まだだるかった。物語登場人物は揃いつつあるのだが、展開が退屈でなかなか話が進まない。この巻から、慶幸日天の汝昴(ルーアン)という主人公の恋路を邪魔する、まさにお邪魔キャラみたいな人が出てくる。

別に、なんということはない恋愛妨害工作なのだが、この時代ラブコメ高橋留美子の影響がまだ色濃いのだろうか、暴力性が強い。この巻以外にも「死ぬやろ……」というシーンがけっこうある。昔は気にならなかっただろうが、やはり時代というものか。

ルーアンの計略によりシャオ太助の元から離れようか迷っているシーン ※太助が駆けつける

「えーっと 今はうまく言えないけど… 俺はシャオにずっとここにいてほしいんだ ――それだけじゃここにいてもらう理由にならないかな……」

「…いいえ… ………あの 私…… 太助様がここに来てくれるの 待ってたかもしれないです」


ルーアンがそれっぽい発言をして、「シャオ現代には不要ではないか」という意見を伝える(あなたなんて いても邪魔なだけなのよ)。シャオは真に受けてしまって、支天輪に帰ろうとするのだが……すんでのところで太助がやってくる。そして、ふたりきりの状態で上のような会話をする。

この場面は気に入っている。シャオ気持ちも、太助気持ちリアルに描いていたからだ。ストレートさがいい。



【第3巻】

このあたりから恋愛路線に入ってくる。太助シャオ愛情意識する場面が出てくる。

ネタバレは避けるが、シャオには恋愛ができない事情がある。本人ですら認識できない事情が。

以下の山野辺というのは、最初の頃は万引きとかするキャラとして描かれていた。物語が進むにつれて応援キャラになっていく。

シャオ山野辺が一緒に温泉に入っているシーン

「なあ シャオ…」

「…………」

シャオ?」

はい?」

「なんか元気ないけど七梨と何かあったのか?」

翔子さん…………私 病気かもしれないです なんだか…ね 胸が苦しい… 太助様がルーアンさんと一緒にいると とっても胸が苦しくなります さっきなんか どうしてだか自分でもわからないけど そっけない態度とっちゃったし太助様が話しかけてくれたのに 太助様にきっと変に思われちゃった きっと悪い病気にかかっちゃったんです ――でも どうしたらいいのか わからなくて…」 

(へえ…精霊ってのも 人を好きになったりするんだあ…)


うん。女性作者が描いてるラブコメってさ。女性側の心理描写リアルだよな。女の子ってさ、好きな男性の目の前だと萎縮することがあるじゃん意中の人を目の前にすると、体がつい後ろに下がってしまうとか、廊下を走って逃げだす子とかいるよな。

なんかこう、恋愛感情に対して不安になった時の女性心理というか。リアルさが伝わってくる。子ども時代に読んでも全く認識はできなかったろう。



【第4巻】

この巻くらいになると、ストーリーの基本線が定まってくる。何らかの事件イベントが起こって、太助シャオが巻き込まれて、レギュラーキャラがそれぞれの立ち位置で動き回って、なんやかんかで解決して、ふたり(又はほかのキャラ同士)の間柄が深まって……という流れである

基本は、太助シャオ関係性がメインだ。この作品うまいところは、ふたりばかりを推すのではなく、ほかのキャラクター間の友情とか愛情ガッツリ描いてる。

この巻だと、2つの場面が印象に残っている。いずれも、ルーアンふたりの仲を妨害するための工作を試みて、やってしまった結果である

④-1太助高速道路自転車走行中にタイヤバースト、そして前方車両(トラック)と自転車を括っていたロープが取れて転倒した後のシーン

「………え 太助様!? 太助太助様!! 太…助様あ… ……う…」

「あ…あの小璘さん…」

「どうしよう…どうしようどうしよう ルーアンさん! ――太助様が 死んじゃったらどうしよう!!」

「あ…いや まさかそんなあ」

「どうして支天輪を車に乗せちゃったりしたんですか 私……太助様に何かあったら ルーアンさんのこと絶対さない!!」

「…………」

太助様に…太助様に何かあったら… 太助様… 太助様早く帰って来てください」

「小璘…………あんた」

④-2保健室で、シャオがベッドに横たわって寝ているシーン

「なあ…ルーアン

はい!?」

「…俺シャオのこと 好きにならない方がいいのかな…」

「………… あんたあのおじょちゃんになんか言われたでしょ ――じゃあひとつ聞くけどなんでそう思うの?」

「――…」

「小璘が人間じゃないから?」

「…………」

「………俺とシャオって絶対結ばれないのかなって…」

「…ねえ たー様 あたしは たー様のこと好きよ 考えれば悩みなんていくらでも出てくるけど 一番大切なのは自分気持ちでしょ だからあたしはあんたみたいに悩まない 悩んでも変わらない想いなら 悩むだけ損だと思わない?」


気持ち、とでもいうのかな。かの有名な『BLEACH』でいうと、ウルキオラ・シファーの名台詞ひとつである



心か



みたいな感じだ。登場人物の心境がさ、わかるんだよな。喜んでるのもわかるし、苦しんでるのもわかる。そんな中でキャラクターが足掻いている姿が印象に残った。

漫画を読む前に下調べはしなかった。今も一切してない。よって推測になるんだけど、この作者である桜野みねねっていう人は、この時(1998頃?)は大学生かそこらの年齢なんだよな。作者あとがきを読むと、若いんだなというのは伝わってくる。

俺が二十代前半の頃は、地面から出てきたばかりのカブトムシの如き勢いでスポーツをするか、水道工事現場であくせく働くか、盛りのついた獣のように女を口説いて、年間に何人とセックスたか記録を付けるとか……同じ会社女の子と無理やりそういうことをした後でも、最後にベッドの上で「愛してるよ」と言ったら許されるから大丈夫とか、そんなことしか考えてなかった。人間性が動物レベルだった。

でも、この桜野みねねという人は、そんなどす黒い人間の対極を行く感性がある。この作者は凄い……と、いい年になったおっさんは感じた。※私個人と作者の年齢差は、干支0.5周り分ほどと思われる。



【第5巻】

20年以上前漫画なので、さすがに創作でも……というシチュエーションが生じることがある。作品内では、たまに登場人物がみんなで旅行とか海とか温泉に行くのだが、メインキャラがほぼ中学生で、20才以上は大変少ない。無理があるし違和感がある。

しかし、旅行とかでないと表現できないラブコメ的なシチュエーションもあると思うので……そこが創作の難しいところである。いや、文学作品創作とかしたこといからわかんないけどさ。

⑤仲間と海に来ていて、ようやく夜の海岸で二人で話ができたシーン

「なんだかね………私 太助様ととってもお話たかったです 別にお話したいことがあるわけじゃないの… でも… 太助様とお話してるととっても落ち着くから…」

「……シャオ

だってお話してるってことは 一緒にいるってことでしょ? だから…」

(だから… きっとこんなに 安心できるのね)


太助シャオは、何度もこういうシチュエーションになっている。が、恋愛が進む気配はない。事情はあるのだが、あまり絶望的な事情なのだ

あと、文章量の都合で載せなかったが、クラス演劇(かぐや姫)の数話分も大変よかった。ルーアンと、ほぼサブキャラの乎一郎が主体の話なのだが、中学校の学芸会かぐや姫をやることを通じて、「離れていても心は繋がってる」という要素を表現している。

この回は、大人ながらにしみじみときた。気になる人は、是非5巻を読んでほしい(ダイレクトマーケティング決行)。

大まかな流れを言うと、ラストのお別れシーンでかぐや姫役のルーアン台本にないセリフを言う → 月の使者役のシャオがお迎えを中止発言 → 乎一郎がそれを制止 → その後の会話のやりとりで、離れていても心は繋がっていることを示唆~といった具合である

ここまで五千字以上は書いている。一旦切ることにする。



文量の都合で2分割。

次に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20240401122023

2024-03-31

dmmブックスアプリにいつの間にか、本棚を一覧で表示する機能がついた

従来からあるタブ表示だと本棚たくさん作ったときに移動が面倒だったので助かる

2024-03-29

電子書籍にしてから買った本を読み返さなくなった。

本で買った漫画は何度に読み直したんだけど、電子書籍は読むまでの動作がめんどくさいな。

スマホパソコンロック解除してアプリ上げて、本棚から本探して、読みたいページ探す。

スマホで1ページ表示だと小さすぎて読みにくい。

これから電子書籍で買うけど、多分2回ぐらいしか読まない。

漫画の読み方が浅くなった気がする。

2024-03-28

階段の壁に本棚がある光景ってパッと見はわーお洒落ねーと思うんだけど実際に使うことを考えたら高いところの本とかどうやって取るの?って感じだし危なっかしくて割と不便なんじゃないかと思うわ

アッバース朝を覚えるのに「😲<あっ!🚌」と本棚に書いてたのは俺病んでたと思う

でも、そんな自分で考えた語呂合わせ、あるよな?

実家に帰ったら教科書にたくさん書いてるし、机にも本棚にも書いてるわ

2024-03-27

anond:20240320141914

一口に「文化資本」といっても色んな範囲の括り方が可能ではあるけど、一般的に語られる文化資本って家庭における話だよね。

家に岩波文庫が揃ってる本棚があるとか、親が家でクラシックCD聴くとかオペラ観てるとか、幼少期に歌舞伎に連れてってくれるとか、家にピアノがあるとかそういうことでしょ。

東京は平均年収が高くて、大卒が多くて、環境として文化に触れられる機会に溢れているので文化資本度の高い家庭が生まれやすい。

東京なら電車に乗れば美術館行けるよね」はアドバンテージではあるけどダイレクト文化資本の話ではない。

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