はてなキーワード: 朝ごはんとは
先日兄が逮捕された。
いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。
ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイクはいれつつ身の上話を聞いてほしい。
私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。
理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。
現実は他の子は家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。
それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。
そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。
余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである。
話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通は起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。
そんな状態で起業するものだから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。
そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。
よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。
この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学の制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。
高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかったからだ。
この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。
そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。
兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。
この頃の私は我が家は普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種の男性と普通の生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。
公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。
だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。
だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死に携帯で参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。
そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこからか調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通に入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったから人生終わったと思った。
そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。
学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。
それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ちで奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。
とにかく大学はバイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。
父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。
就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。
さて同僚の方達はいい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。
まず親の職業は公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。
それはそう。
それはそうなんだが。
我が家は車がなかった。
厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。
だから4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。
せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古のアウディを買った。
わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったからである。
ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。
父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤の治療が始まり、家でのサポートが必要になったため母は派遣をやめた。
いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。
そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社の金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社のお金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。
毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだから、お金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。
SNSで結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休は彼氏と家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。
私はどこで道を間違えたのだろうか。
それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?
私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通に暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。
それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。
昨年育休より復帰
が、いざ復職するも具体的な分担の話はできないまま
私がほぼリモートの一方で夫は地方の役所づとめで毎日遠距離通勤(片道1.5時間、平日朝は6時には出て帰りは20時近く)もあり、復職前と変わらず平日ほぼワンオペ状態が半年以上続いてました
仕事で色々あったこともあり、育児家事分担が妻である私に偏ってると感じ分担の見直しの相談を持ちかけました
ここでよくなかったと反省はあるのですが、前段で他の家庭での話を出してしまいました
うちの会社の同世代以下の男性陣がかなり育児に協力的な人が多く、奥さんが専業でも平日終業後は育児家事専念してる、などの話を聞いた直後でしたので、その話を夫にもした後に分担の話を切り出しました
今思うと、比較され気分も悪かったかとも思いますが、こちらもいらつくことに、返答として「人は望めば望むほど更に望む」といった主旨の話を夫が切り出しました
(イラつきマックスで詳細忘れましたが、当時よく読んでいた仏教関連の話から引用したそうです)
更に「具体的に何すればいいの?」と聞かれたので、保育園の準備や朝ごはんの用意など、いまの通勤形態でもできる内容を挙げました
ここでまた、聞き方が人を馬鹿にしているとしか思えないもので、私が「保育園の準備」などと言うと「あとは?」と、こちらが分担したい家事育児を挙げるのに対して、ただ一言「あとは?」を繰り返すのみです
今思えば仏教の話にある、望めば望むほど、を繰り返しの問で気づかせようとでも思っていたのかとも思いますが、私としては話し合いする気もないとしか受け取れないし、真剣に相談したかったのに対してバカにされているとしか感じられませんでした
その場は私が呆れ返ってしまいそれ以上の話ができずだんまりモードで話し合い(?)も打ち切りとなりました
それ以降、望めば望むほど、と返され傷つくのが嫌で愚痴も相談もできなくなりました
今度話しをするとしたら、離婚を切り出すときくらいかなと思います
本人も言ってましたが、家事など「やれるところはやっている」※ので、ゴミ出しや洗濯干しなどやってもらっているところも確かにはあるので、その多少の支援と一緒の空間にいることの辛さとの天秤がいずれ崩れたときが決断のときかなと思います
(※夫が「やれないところ」は否が応でも私が対応してる点を言った上で上記の流れになった点もあったのを書いてて思い出しまたイラつきが再発してきました、、)
いないと思って全部自分でやるほうが精神的には楽なのではという割合が最近増えてきました
直近だと飲み会に関しても思うところがあったものの、仏教の話切り出されるのが怖くて思うことを言えませんでした
子供2人目も考えたかったですが、現段階では産後の負担を考えて(かつ生理的にも)到底無理そうです
年齢的にも難しい齢に踏み込んできているところだったので、もともと考えどころではあったものの、こういった事情で諦めざるを得ない状況になってしまっているのは自分としても結婚当初は想像もつかず大変残念なところではありますが、そういった相手であることを分かりきれずに選んでしまった自分の落ち度でもあるかなと思い、自分自身を無理やり納得させている状況です
吐き出しどころもなくモヤモヤしてましたが、せめてもの決断のときの証跡にでもどこかに残しておきたかったのでここに投稿させていただきます
ずっと前の話、なんとなく日の出が見たくなって
近所の小さな山のてっぺんに登ると、三角の屋根のベンチでサンドイッチを頬張ってる人がいた
見た目は同い年みたいで、よく見ると目が充血していた。
こんにちは、と挨拶をして「あなたも日の出で見たくなったの?」と聞くと
帰るつもり」とそっけない返事をくれた
「じゃあもうちょいいようかな」となり
二人で日の出を待つことになった
崖の下から見える窓からはまだ灯りが零れていたし、大嫌いでたまらなかった学校には多分誰もまだ来てなかったと思う
しばらくして、私はご飯も食べずに家を飛び出したことを先におなかが思い出したのか
(きゅっ)って痛くなった
それでおなかをさすっていたら、それを心配したのかその子が板チョコをひとかけらくれた
食べたらあまくて、ほっとした
でも段々眠くなって来て、それは隣の子も同じみたいで明らかに目が開いてなかった
でも頑張って起きてようと思ったんだ
だけど、気がついたら私たちは寝ていた
目を覚ましたら既にそこは朝の光が満ちていて
「もう日の出ぇ?」と言っていた
「あらら」
あわあわする私をよそに全く気にしてないみたいな素振りの隣の子だった
じゃあ…ここまで来た意味ってと私ががっくりしていたら
私が言ったら
「だったらカップラーメンを半分ずつ食べればいいいじゃん。僕が買ってあげる」
「いいの?」
そんな会話をして、コンビニで何のだかは忘れたけれどカップラーメンを二人で食べた。
さっき地平線から顔を出したばかりってのに
おひさまったら「ずっとここにいましたよ」みたいな顔して街を照らしていた
遠くにうすくうすく月が見えていた気がする
冷まして食べるって、その頃には麺が伸び々々になってんじゃないかな。
油たっぷり浮いてるラーメンとか、餡かけのラーメンとか中々冷めないから絶対食べられないよな。
もし取り皿(小さなボウル)を貰えるなら、少しずつ移して冷まして食べられそうだけど、
そんな事はしないんだろうか。
義理の兄が熱い物が苦手な人だった。
熱々の朝ごはんを出したのに、呼んでも席に着かない、車に乗ってNaviの設定をしてたり。
後から聞いた話だと、「熱くて食べられないから冷ましてるんだ!」そうで、それなら先に言えよ。
しかも、夜、酒を飲むので夜はご飯(穀類)を食べずに肴というか料理だけで終わりにする人。
それで早朝からお腹が空くから、朝ごはんの前に手持ちのパンか何かを食べてたらしい。
家で用意した朝ご飯は午前7時過ぎ位だったんだけど、それでも遅かったのか?
なんか猫舌を理由に我儘言われてる気にしかならなかったんだけど。
死んでしまった人の事を悪く言うようですまないが、好きになれない人だった。
きっちりしすぎた恋人像に当てはめられることに耐えられなくて去年別れた元彼女、かなり長く付き合ったから申し訳ないとは思ったけどいつまでも綺麗な恋人を続けるのは無理で別れた。結果長く付き合ったけど周りに無理だと言い続けて7年近くになる、それでも付き合っていたのは彼女も変わるかも、俺も変われるかも、みたいな期待がどこかにあった。
俺は恋愛と結婚は繋がっていても別だと思っていて、結婚したら嫌なところをお互いに見せるのは必須なのに、元カノはいつまでも綺麗なままでいたがる。
デートの時は綺麗な格好をして、ちゃんとしたデートプランを立てて、記念日には絶対に泊まりでディズニー、お互いの誕生日やクリスマスにはプレゼントを送り合おう、おうちで食べるなら高い肉を買おう、あなたのためにジムに通う、あなたのために美容室に行く、だからあなたも私のために美容室に行き服屋に行ってほしい、そんなの疲れるよ。いつまでも恋人みたいにいたいなら俺は無理だよ、と言ったけどちゃんとした私で俺の隣にいたいと言う、そうじゃなくて、と、その辺の価値観噛み合わないから結婚は無理だなと感じていた。
俺が彼女に大部分を捧げられる気になれなかったってだけで俺の知り合いには彼女のためにあれこれするのが好きなやつはいる、夫婦になったやつもいる。結局俺がそんなに元カノのこと好きじゃなかったんだよな。好きだからじゃなくて単純に元カノの理想の恋人を演じないと、ってやってただけで、俺のなりたい好きな人を大切にする俺ではなかった。
デートの時はきっちり!って言われてコロナ禍中のお家デートですらきっちりしなきゃいけないのが結構きたな、うん。そういえば泊まって次の日朝ごはん食べたらちゃんと着替えて!デートなんだから!って言われたこともあったな、今日はずっと家にいるのにめんどくさって思ってた。この先もし結婚したら気を抜けるタイミングなくない?と思って、別れた。元カノ、仕事はしてるけど精神的に自立してるとは言えなかったし、自立してないからこそそういうテンプレートみたいなのがないといやだったのかなーって今は思う。
噂では俺と別れて相当参ってるらしいが、運命を信じてるのも、俺からしたら重たいんだわ。俺の家族だって友達だって結婚するなんて俺が言ったことないから、あー別れたのね、で終わりなのに、年月が長いからどうのって言われても困るよ。俺はそこにロマン感じてないし、少なくとも俺にとってはそうじゃなかっただけ。
昨夜は処方してもらった薬二錠を飲んで就寝したものの寝起きは優れない。
朝ごはんはパソコンデスクで食べている。モニターには今朝のニュースなんかが垂れ流れていて、YouTubeに切り替えた。
こんな時間でもスト6のライブ放送をしている人というのは案外居るもので、その中にはちょうどザンギも居た
ザンギ使いなのでこのライブ配信を見ながら朝食を摂り、それからメールの確認等雑多な作業をこなしていく。
頭はぼんやりとしていて気が乗らず、カフェオレを作る。牛乳は多め。それを飲んでもあまりシャキッとはせず、どちらかといえば勝るグダグダ感。
有名格ゲーマのライブ配信も始まり、それを聞きながらの作業。しかし昨今今はやるべことが多すぎて積んでいて、どれから手をつけようかと迷いだす。
とりあえずは、納期が一番短いものから手にかけよう…と作業を始める。マルチタスク。音楽やらニュースを聞きながら並列で各設定を構築し、会話の内容を執筆し、それから音楽の選定もだ。
少しずつ、ほんのわずかながらも進み、あっという間に昼となる。
昼は朝と変わらない簡単な飯にした。厚揚げうどん。もやしつき。あじはまあまぁ普通。それだけ。
午後になるとカフェインの過剰摂取のため頻尿過多に頭痛が顕在し、ふらふらする。やる気、どころの話ではなく、頭の中を嵐が通り過ぎているような感覚。
とりあえずノンカフェインのお茶(麦茶)や水をかぶかぶ飲み、少しずつ体を落ち着かせていった。
おかげで午後の業務は牛歩のスピードで、結果的に進んだのは微々たるもの。
外は寒いので結局出かけず、夜になると雑にPC使って過ごす。それと習慣の読書を少しだけ。
本はソンタグの『反解釈』。まだ読み始めだがとても面白い。ある種の罠、批評家が批評家を批評するときのトラップ”その批判はあなたにも向けられているのではなくて?”をソンタグは意識して書ける批評家なのでその辺りの身の躱し方やら矛先をあらゆる方向に向けたりするテクニック的な面も含めて非常に面白い。
飲み干しながらこれを書く。
元夫の話だと
結婚して妊娠して安定期に入ったところでお腹の子のためにも仕事を辞めてくれと言われ、体を動かす仕事だったのもあって休職したら途端にモラハラが顔を出し始めた
その都度それを自分が言われたらどう思うんだと言い合いになってしばらく落ち着く
夫の両親が高齢なことと子供の学校のことを考えて夫の地元に引っ越して保育園も転園、姑の紹介してきた仕事に転職したら1週間もたたずにDVに発展
朝ごはんのメニューが気に入らないと騒いで胸ぐらを掴んで殴ってきたから警察を呼んでそのまま別居
警察を呼ぶなんて最低だとか職場に迷惑をかけたとか保育園に入ったばかりの子供をふりまわしてるとか責められたかな
離婚調停が始まるまでは俺を不快にさせたお前が悪い殴らせたお前が悪いと繰り返してたけど、裁判所の建物の中で調停員の人達に自分の主張がわんわりと否定されて頭が冷えたのか急に大人しくなって調停成立
今朝は子供(小学校低学年2人)を学校に送り出すところまで自分がやるため、
6:30に起きて朝ごはんを作り、朝の勉強をみて、学校の支度して7:35に送り出し
と、一通り終わらせた。
そして、掃除をしてると8:15ぐらいに妻が起きてきた。
第一声が、「トイレットペーパーが少ないのになんで変えてないの?」とキレ気味に始まった。
トイレは自分が起きた時間に入ったきり入ってなかったが、子供達が使ったんだろうなと想像して、とりあえず誤った。
ここで「入ってないから知らんかった」とかいっても無駄だ。なぜなら「言い訳するな」って癇癪がヒートアップするからだ。
次に、子供を送り出した後にやってた、ペット小屋の掃除について小言が始まった。
妻曰く、昨晩やったのになんでトイレ掃除してるのか?という話だ。見てなかっただろうから知らないとは思うが、
急に寒くなったからかすごい量のおしっこをしてて、びしょびしょだったから変えた...(うんちの量はすくなかったが、おしっこは通常の1日分ぐらいしてた。
これについてうっかり、「すごいおしっこしてたから」って言ったら、案の定「言い訳するな」と返ってきた。
最近は姉夫婦や義理の両親にもあったこと話をしていて、義理の両親にも謝られたりしているが、離婚するとなると、
過去に会社で仕事してたら、「あんたいないけど、怒りで〇〇( 子供の名前)に当たり散らしてるから早く返ってきた方が良いよ。」という、誰がどう見ても脅し。
良く言い換えて、「仕事と私どっちが大切なの?」という連絡がをしてくるぐらいなので、
離婚したら、癇癪は子供に向かうだろうことが容易に想像がつく。
ただ、最近謝罪しても感情が伝わってこないと言ってくるが、10年近くこういった受け流しを続ければ、心も無になるだろう。
「これを一種のエンターテイメントとして楽しむだけの心の器はないし、自分が壊れたら子供が困るから無になったんだよ。あなたが私に向けた怒りの成果だよ」と声を大にして言いたいが、
言ったらまた始まるからそれを伝えることはないだろう。
深夜って突然起きるんですたまに
そんな時は大体心の中でもう1人の自分の「何をしてる?お前はそんな平穏など望んでないだろう」
と衝動が暴れ出すんです。実は俺、前世は違う世界で闇の魔術師だったらしいんですよ。誰からも恐れられ、常に孤高だけど正義だけは捨てない
そんな魔術師
昼間は太陽のにっこりした日差しで「くっ…これじゃ支配できん」と大人しくしてるんですけど
顕現するわけで
俺はそれを必死で「だめだよだめだよ」って抑えるんです。身体中に闇の力が流れてる様な気分で
そんで朝迎えた時はもう汗だっくだくですよ
でも、外を歩く人を見て呟くんです
「勝ったか…」と
そっからはいつも通りママとパパと反抗期の妹と朝ごはんですよ。ママもパパも俺が深夜戦い続けたことも知らずに俺を子供みたいに褒めたり叱ったりするんですわ
ああ、やっぱりその顔を見てると闇の力なんか
要らなかったんだなぁって…
人生はまだまだ続くよ(ノ∀`笑)
https://nejiko.hatenadiary.com/entry/2014/02/22/234204
この記事を読んで、あぁ分かるぅとなったので自分の不合理さ&可愛さも記録しておきたい。
うちは2歳1ヶ月と7ヶ月の息子ーずと自宅保育している。春から保育園入園予定。
不合理なのは2歳1ヶ月のほう。7ヶ月の子は基本パヤパヤしている。
7:00
長男に「おーきーてぇー」と言って起こされる。
目を開けて「起きたよ、おはよう」と言うと、体まで起き上がらないとダメらしく何度も「おーきーてぇー」と言われる
あまりにも私が寝てると次男と「いらっしゃいませ〜、えーっと、たこ焼きぃー!」などと適当な言葉を話してキャッキャっ笑っている
7:30
8:00
ヨーグルトをパンの上にかけ、「ケーキ」と言ったり牛乳の中にバナナを沈殿させて遊んだ後、最終的に食べない
最近あまりにも朝食を延々と食べてるのでタイマーを導入したら少し改善された
8:30
朝ごはんを食べ終えた息子はプラレールが入った箱を床にぶちまけて遊ぶ
その他にもブロックやおままごと遊びもやらないのにとりあえずぶちまける
9:30
お出かけの準備
いくら早く支度をしたくても不合理すぎて時間がどんどん溶けていく
パジャマから服へ着替えさせるが、「違ったー!」といって脱ぎ捨て、靴下を履かせると「逆だったー!」と泣き喚く(決して逆などではない)
逆だったー論争が本当に大変でお出かけできなくなるレベルに泣くので、最近は玄関で靴下を履かせその後すぐ靴を履かせている
全ての用意が整ったと思ったら極めつけに💩
💩も中々変えさせてくれないのでしばらく放置
いざ外へ出ると電動自転車の鍵を自分が指したいと言い、やらせる
10:30
スーパーに到着
私がコントロールするとぶちぎれるので、放っておくと人にぶつかったりしててほんと迷惑
アンパンマンお菓子コーナーがあり、自らそこへ赴き永遠に流れてるアンパンマンお菓子紹介動画を見ている
早く帰りたいので、お菓子を一つ入れてアンパンマンへバイバイを告げさせるも何回か失敗する
アンパンマンのぬいぐるみを持って「ナスを買いに行こう」と言うと喜んでその場を離れてくれる
11:30
息子に手洗いうがいをお願いすると必ず服をビシャビシャにするので服交換
うがいをしている間に、自転車をしまいに一旦外へ出ると「うがい、飲んじゃった」と家の中から何度も報告してくる声が聞こえる
12:00
お昼ごはん
朝ごはん同様ダラダラ食べる
ダラダラ食べてもういらんのかな?と思ったら、ソーセージ!バナナ!などとデザート要望
13:00
あと片付け
息子は延々とプラレール
13:30
次男と寝たふりをしていると、眠くなった息子が突然やってきて布団にダイブ。即昼寝
2時間ほど束の間の休息が訪れる
15:30
昼寝から起きる
一番に私のところへ駆け寄ってきて抱っこする
おやつなどを食べるなどして過ごす
この時間はYouTubeを見せてるのだがとんだクレーマーで3分おきにYouTubeの内容を「ちがったー!」と言ってくる。
アンパンマン→新幹線こまち→新幹線はやぶさ→新幹線かがやき→アンパンマン
17:30
お風呂
最近は冷蔵庫の前でチューペット(めちゃ小さい)をわたし、その場で全裸にさせお風呂場まで突撃シャワーをかけるということをしている
浴槽は好きらしく長時間滞在してしまうので、10.9と数字を数えて上がろうとするが、0のタイミングで違ったー!と言うので何回か10.9に付き合わされている
最後は違ったーと言われても無理やり連れ出して体をふく
インナーがアンパンマンじゃないと服を着ないのでアンパンマンのインナーを着させる
19:30
(明日続きを書く)
うちの猫が死んだ。
齢16だったので、おそらく寿命だろう。
裏庭で大の字のように横たわっている姿を見かけ、声をかけても全く反応がない。
目を凝らすとお腹が全く動いていない。呼吸をしていない。
あまりに突然ことで唖然とする暇もなく、平日の朝はいつも通りの喧噪さがあった。
私は市とパート先に連絡し、みんなで朝ごはんを食べ、支度をして、各々の場所へと出かけていく。
娘は小1だ。彼が死んだことに嘆き、悲しみ、それでも迎えは来て、友人の顔を見て多少心が安らいだのだろう。
気を持ち直すと出かけて行った。夫はいつも通りに家を出て、私は二人が出かけるのを見届けると庭に出た。
愛猫は庭先に伸びており、触れると冷たく、剝製のようで、そこにはもう生命の残滓はないように思われた。
市役所に電話し淡々としたやり取りをした後、私が彼を市の方へ連れていくことになった。
私は洗い立てのタオルを手に庭へと戻り、彼を慎重に包み込んだ。
それから車へ乗せ、市役所へと向かった。市役所は朝から混んでおり、遺体を引き渡すための手付きを一通り済ませると後にした。
手続きは事務的に行われ何事もなく進んだものの、対応してくれた方が最後に「お悔み申し上げます」と言ってくれたことが救いだった。
その後、パートへと出向くはずだったものの電話で事情を説明し、今日は休みにしてもらった。
それから家に帰り、うすぼんやりとしながらとりあえず食器を片付け、掃除、洗濯といつものように家事をこなしていると15時を過ぎ、いつの間にか娘が帰ってきていた。
娘は俯き、まず彼のことを訊ねた。彼はもう居ない。そのことをどう説明しようかと私はその時、咄嗟に考えることが出来ずにまごついた。
「死んじゃったの?」
朝からずっと、私は「死んだ」という言葉を避けていたのだと思う。
それまで夫も、娘も、対応してくれた市の方も、「死」という言葉を持ち出すことはなかった。
私は認めるのが恐かったのだと思う。それでも確実に彼は死んだのだ。
その事実を認めるのと同時に、彼と過ごしたこれまでの思い出が走馬灯のように頭の中を過ぎり、涙が止まらなくなった。
次第に娘も泣き出し、私たち親子は二人でわんわん泣いた。
暫くしてようやく落ち着き、泣き止むと「どうして死んじゃうの?」と娘が聞いてきた。
それが生きることだと私は答え、そうとしか答えられなかった。
それから娘が夕飯を作るのを手伝ってくれた。友達と遊びに行かず、こうして手伝ってくれるのは久しぶりだった。
夜、夫が帰ってくるとその手にはいつもと違い、小包があった。中身はケーキだった。ショートケーキが四つ。
私たちは三人だけで夕飯をと食べ、それからケーキをみんなで食べた。
少しずつ家庭に温かさが戻ってきたように感じられた。
それでも彼がいつも寝ていたソファは空いており、その空いた隙間は、心の中に場所を移したように未だぽっかりと空いている。
ここまで勢いで書いてきたので多少文章が支離滅裂になってしまった感は否めない。それでも今の私はただ、彼のご冥福を祈るばかりである。
なんかふと、「今の自分ってずいぶんと気楽な毎日だな」と思った。
会社がフルリモート体制なので朝起きるのは8時くらい。一緒に暮らすパートナーの出勤に合わせて7時過ぎに起きることが多いけど、そのへんは気分。起きたら軽くストレッチをしてテレビを見ながら朝ごはん作って食べて、適当に仕事を始める。
会社員だが、朝礼とかは特にない。朝イチで打ち合わせがなければ好きな時間にパソコンを立ち上げればいい。あとは黙々と自分の仕事をこなすのみだ。
特別忙しくなければ、合間にスーパーへ買い物に行ってサクッと晩御飯をつくる。一品物をドーンと作ることが多い。日没前に仕事を一旦切り上げてランニングへ。天気が良くないときはウォーキングに切り替えるなど、とにかく気分転換に外へ出て体を動かす。
帰ってくると、パートナーも帰宅済みなことが多いので一緒につくっておいたご飯を食べ、食後は割とすぐお風呂に入る。洗濯は冬場なら2日に1回。私が晩御飯を作ったらパートナーが洗い物してくれるのでラクチン。ワハハハとふたりでテレビ見て、余裕があればゲームしたり小説読んだり。仕事が残ってれば風呂上がりに仕事をし、パートナーが眠るのを見送る。
ほぼ毎日こんな感じ。働く時間は概ね5〜7時間。もちろん、忙しい時期はその倍の時間働くこともあるし、日によっては客先で打ち合わせすることや出張で数日家を空けることもある。とは言え、月に数回の外出、年に10回以下の出張程度なのでそこまで苦痛じゃない。むしろ刺激になって良い。
以前は毎日乗っていたラッシュ時間帯の電車も年に数回しか体験しなくなったし、洋服や日用品の買い物や映画の鑑賞なども、打ち合わせ時についでに済ませることが多くなった。丸1日かけて見る買い物も楽しいが、打ち合わせ前後でさっと見て回るのもいいものだ。
先日、ひさしぶりに休日の新宿に行って人の多さにびっくりした程度には、平日の閑散とした雰囲気に慣れてしまった。最近は平日も外国の方で賑わっていることも多いけども。
こうやって改めて自分の毎日を振り返ると、自分は本当に気楽な日常を過ごしているなと思う。仕事も好きな分野だし、非情に自由気ままだ。
どうしてこんなにも気楽な暮らしができているかというと、仕事の裁量がほぼ自分にあることが関係しているのだと思う。ほぼすべて自分次第。業務管理がそこまで苦手じゃないのでプライベートも優先しつつ、やりがい持ちながらうまくやらせてもらってる。もちろん、仕事でストレスフルな状況に陥ることもあるけれど、乗り越えてしまえばここに書いたような日常に戻れるのが分かっているから平気だ。収入も自分が生きるのには十分なだけいただけている。
子どもがいればこんな余裕もまったくなくなるだろうが、子を産み育てる予定がないので(自分とパートナーではつくれないというが正しいかもだけど)考えても仕方がない。もちろん、我が子と共に倍速で過ごす日常もそれはそれで素晴らしい幸福だろうと眩しく思うこともある。ただ、それでも今の自分の日常は「非情にのんびりとした幸福に包まれている」と感じる。
来週は友人と食事の予定があり、月末はパートナーとは近場の観光名所へ出かける予定がある。来月はまた別の友人と少し遠方へ出かける予定も立てている。海外旅行にはほとんど行ったことないし、服装も高価なものは身につけていないし、自慢のお家もないけれど、私には十分すぎるくらいの楽しみな予定だ。
10代、20代の日常を振り返ると、つくづく、今が人生でいちばん気楽だなと思う。
自転車で2人の息子をプールに連れて行って、次男をプールに入れている際に長男と一緒にファミレスへ。
そこで、ビールを1杯。朝からビールを1杯。長男は宿題をやり、私はたまっていた仕事に取り組む。
その後、長男をプールに連れていき、次男と再度ファミレスへ。次男が食べたがっていたアイスをたのむ。
長男のプールも終わって、2人を連れてマクドナルドへ。ハッピーセットを買って帰宅。次男が「みんなで乾杯しよう」とハンバーガーで乾杯を提案。
そんな時間も束の間、長男が「ママ~、パパがビール飲んでたよ」と。
長男の発言をきっかけに妻が激怒。そこから、怒涛の口撃が始まる。
にもかかわらず、いろんな思いが駆け巡る。
まず、長男。
妻は、あまり長男が好きではない。それもあって、長男をつれて遊びに行くことも少ない。
なので、休日に息子たちを遊びに連れていくのは私の役割。妻が絶対に連れて行かないゲームセンターに行ったり、おもちゃを買ってあげたりと、自分が子どものころを思い返しながら一緒に遊んでいた。
こういう遊びができているのはパパのおかげだぞ、と。それなのに、お前よ、トイレの裏でタバコを吸ってたことを先生に言ったよな、お前も一緒に吸ってたよな、という気持ち。
男社会でそれをしたら生きてけねぇよ、マジで、とかどうでもいいことが頭に浮かぶ。自分に対してしょうもないと思って、黙る。
その間も妻から、猛烈な問い詰め。どういうつもりだ、何を考えてるんだ、気持ち悪いな、と。
最初はうるさいな、こっちだって悪いの分かってるわ、と思いながらもとにかく黙る。自分で分かっていることを「どう考えてんの」と言われても、解が無い。黙るほかない。
そろそろ諦めて、無視を決め込み、PCの前に座る。仕事しないといけないよなぁ…と思いながら。
その瞬間に、ふっと悲しくなる。
俺、無理してたんだな、と。
妻は長男との関係に悩み、2~3日家出をしたぐらい長男との関係がこじれている。
仕事でめちゃくちゃ忙しかったけど、「行ってきなよ!」と送り出した私。えらい。
妻は腰痛持ちで、無理をするとぎっくり腰になる。それ以外にもいろいろと体が悪い。
それもあって、結構、病院に行く。息子との関係もあり、カウンセリングも受ける。ジムにも行き始めた。
私は、運動する時間も取れないぐらい忙しくて、ここ数年ですごく太った。ずっと運動したいと言っているが、家のことを優先して運動なんてできなかった。
今日の朝ごはんも私が準備した。妻は、休日には起きてこないのだ。
それでも、「あれやろうか、これやろうか」と頑張ってきたつもり。妻はいろいろと気難しい所もあり、できる限りのことは率先してやってきたつもり。
いろいろ言われながら、
「そんなこと言うなら、保育園もプールも自分で送り迎えしたら」
「仕事の時間が足りないなら、私と同じように朝3時とかに起きて仕事したら」
と思ってしまう。
私はやっている。つもりかもしれないが、やっている。
それでも、SNSでは、「男が見えていないたくさんの家事・育児がある」と言われている。
確かにそうだと思う。子どもの学校の予定や道具などは分からない。準備をしてあげたりしていない。
そういう意味で、妻からすると私の家庭参画もまだまだなのかもしれない。
ただ、ちゃんと年収1,500万円くらい稼ぎながら、家事・育児にも参画している。
ただ、1杯のビールをきっかけに、いろいろ悲しくなってしまった。
さて、どうしたものか。