はてなキーワード: 晩酌とは
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
元々が300円なのが半額になって150円。
俺的にうずら卵フライは1玉40円が相場(一串3玉が120円ぐらいで売られているから)。
なので一玉25円は破格だったんだが・・・既に別のお惣菜を買っていたので諦めた。
でも勿体なかったなあ。
揚げ物だし冷蔵庫に突っ込んで明日の朝にでも食べればよかったかなあ。
お惣菜って正直2割引ぐらいからが適正価格みたいな所さえあるから、半額でもそんなお得には感じないんやが、今回のはガッツリ安く感じたわ。
うーむ。
朝からハイボールは国民の祝日とはいえ俺的にアウトやし、かといって次の日の晩酌まで放置してたら悪くなるよね。
他の惣菜を明日の朝にしろって話かもだけど、今日一日野菜食べてないのを補うためのサラダや野菜炒めだから明日の朝食べるってのもね。
ってわけでそもそもノーチャンだったと思うわけ。
うーん後ろ髪を引かれるね―。
入眠下手な俺が寄せ集めで作った入眠メソッドが最近いい感じなので、忘れないうちに書き留めておく。
まず、布団に入って仰向けになる。
手は胸やお腹の上ではなく、布団の中で手のひらを上に向けてお尻の左右に置く。
意識して肩の位置をできるだけ下げる。肩を落とすと言うのかな。
肩→手方向にも、胸→背中(つまり、垂直床方向)にも下げる。これが結構重要。
そしたら胸に空気を目一杯吸う。数秒息を止めて、ゆっくり吐く。これを数回くりかえす。
それから深呼吸を繰り返す。ここからは目一杯は吸わない7,8,9割くらいでいい。
ゆっくりたっぷり吸って、吐くときは吸う時よりゆっくり時間をかけて吐き出し、吐く時に体の力が抜けるのを意識する。
まずは目と唇。
目は閉じ、唇目閉じるが、強く閉じず、どちらも触れるかふれないかくらいを意識して力を抜く。
目の周り、頬、頭、喉、首の後ろ、意識する場所を移動しながら、吐く息に合わせて力を抜いていく。
お腹、腹筋、腰、ふとももの内側や外側、裏側、表側、ひざ、ふくらはぎ、脛、足首、足裏.足指。
順に吐く息にに合わせて意識を移動させながら、力が抜けてリラックスするのをイメージする。
これを何周か繰り返す。
最初は丁寧に意識するが、だんだん、全体をざっと流す感じになる。
これだけで寝られそうに無かったら、緊張弛緩法をやる。
息を吸いながら左の拳を固めて、敷布団に強く押し付け左腕に力を入れる。
息を吐きながら力を抜き、左手の力が抜けてリラックスしていくのをイメージする。
この時力は100%はかけない。6,70%でいい。
右腕もする。
息を吸いながら左脚踵を敷布団に押し付けて、ふくらはぎ、太もも、お尻に力を入れる。
息を吐きながら力を緩める、左脚の力が抜けていくのをイメージをする。
右脚もする。
一回でもいいが、気が済むまで二、三回。
また、息を吐きながら全身から順に力を抜いていくやつをやる。
緊張弛緩法の最中にあまりないので、充分に力が抜けてきているときはとばしてもいい。
全身の力が抜けてきたら、深呼吸を続けながら、体とまくら・敷布団が触れている部分を順に意識していく
後頭部、せなか、肩、二の腕、手、腰、尻、もも、ふくらはぎ、かかと。
触れている部分が暖かく、溶け合って、地面に溶けて落ちていくイメージをする。
これをしばらく続ける。
飽きたら、掛け布団に抱きついて横寝の態勢に入る。
寝られず、退屈したら、また仰向けになって、深呼吸しながら体の力を順に抜いていくやつ、触れている部分を意識しながら深呼吸するやつをやるを繰り返す。
途中目の前にみえるもやもやや耳鳴りが起きたらそれに意識を集中させて眠ってしまってもいい。
ストレッチやサウナは、血行が良くなりすぎるからサウナや入浴とは時間を離した方がいいらしい
筋トレはやめた方がいいらしい
風呂2分、サウナ6〜8分、水風呂1分〜1分30秒、休憩・外気浴5,6分、風呂2分、サウナ5,6分、水風呂10秒から20秒(外気浴なし)
時間より脈拍を目安にしたほうがいい
ここぞという時に、たまに入る人は3セットいってもいいのかも
時間をかけすぎると、頭が興奮して逆に眠れなくなるので、アダルトコンテンツの視聴や刺激は適度な時間に留めておく
明らかにポワポワで眠れそうな時はいらないが、身体がこわばっていたりするときはリラックス出来るのでサクッと抜いておこう
全体で30分くらいに収まるのが目安
睡眠の質のためには無音が一番いいらしいが、メインルーティンが退屈になって継続できなさそうなら、アンビエントミュージックやラジオをかけてもいい
聞こえるか聞こえないかくらいの小さい音で
寝つきかけて、大きな音で起きてしまうのはよくない
自分の寝室はカーテンから差し込む街灯や車の光が気になるし、日が出てから寝てることが多いので、アイマスクはマストアイテム
気にならないという人でも、遮断するとリラックス出来る人もいるので、試す価値がある思う
深呼吸と意識誘導をうまくやるために、はある種の集中力が必要だし、コツがある
朝一回5分とか10分でいい
食物繊維を十分に摂る
地面に溶けるパートと意識する場所を順に移動して力を抜いていくパートは適宜、行き来して繰り返していいが、これと深呼吸を続けても、体の力は完全に抜けているのに頭だけ起きていて寝付けない状態が自分にはよく起きる
そのまま、アリス式睡眠法の要領で寝られればいいが、だめなら、飽きたところで一旦横向きになって普通に寝付くのを待つ、だめなら、また仰向けに戻ってまた、元のルーティンに戻る
まずはレシピ通りに試すのがいいかもしれないけど、自分にとっていいものだけ真似すればいい
本か読んだことのある漫画でも読んで、意識的に早めに布団に入ってメインルーティンをやるんだ
こんなのは全部気休め
深刻な病状の前には無力
精神的な疾患や、なかなか解消できない悩み事があったり、強いストレスを感じている時には、小手先のテクニックでは太刀打ちできない。
今は依存しにくく良く効くいい薬もある
毎日晩酌するより、薬で寝た方が脳にも肝臓にも優しく、依存もしづらいという医者もいるくらい
不眠は万病の元なので軽く見ないで
しばらくちゃんと眠れていないなら、色々うまくいかないとしてもそれはあなたの実力ではない
三食きちんと食べて、たくさん眠れる日が続いたら、あなたの本当の力を発揮できる日が必ず来る
もう既に子供部屋おじさんと呼べるのかもしれない。
妹と話をしているとなんだか懐かしくなって、会いたくなったんだ。
それで今度の土日、遊びに行っていい?と聞くと妹は二つ返事で了承した。
だから妹のマンションに着くと既に夕方で、妹は苦笑するように笑って俺を出迎えた。
リビングは清潔で掃除が行き届いており、実家の部屋とは大違いだった。
妹は料理をテーブルに広げ、すべて手作りだというので俺は驚いた。
独り暮らしをするようになって、自然とできるようになったのだと妹は言う。
身バレを防ぐために料理の詳細は伏せるけれど、どれも美味しかったのは確かだ。
そして一緒に晩酌した。妹は21になったばかりだった。
妹は正月にも帰っては来なかった。
こうやって一緒にお酒を飲むのは初めてだった。
それからはお互いの近況なんかを話したり。
「毎日楽しいよ」と妹は笑って言い、それを聞いて俺は安心した。
次第に夜も更けてくるとそろそろ寝ようかという話になり、その前にお風呂に入ってくると妹。
先にいい?と聞くので俺は首肯し、周りに目をやりぼぉーっと待っていると妹が風呂から出てきた。
ラフな白シャツに丈がごく短いショートパンツという格好で、「あーいいお湯だった」と言いながら俺の隣に座る。
いい匂いがした。
前より、胸が大きくなっているように見えた。
妹のこういった姿はこれまで何百回と目にしてきた格好だった。
その事実が、見慣れないこの周りの光景と酔いが俺を惑わせたのだと思う。
微かに勃起し、それを隠すように立ち上がるとトイレへ向かった。
風呂から出るとお茶を飲みながら軽く談笑し、それから寝ることにした。
妹は寝室で、俺はリビングで。
予備の布団と毛布で床に着き、それでもなかなか寝付けなかった。
眠れないまま刻々と時間が過ぎていき、すると足音が聞こえた。ひたひたと、ゆっくりリビングの方へと向かってくる足音が。
次第に、すすり泣く声が聞こえてきた。
その声を聞いて、俺は昔を思い出した。
中学の頃、妹は俺の部屋に入ってくると戸口でいきなり泣き出すことがあった。
妹を宥め、理由を尋ねると、たいていは大したことではなく、友達と喧嘩したとか、テストの点が凄く悪かったとか、そういう類のことが原因だった。
そういう行為は妹が高校生になってからもたまにあり、妹は俺の部屋に入ると突然泣き出すことがあった。
俺は妹の悩みを親身になって聞き、アドバイスをして、協力することもあった。
悩みが解決すると「ありがとう、お兄ちゃん」と妹は小さな子供みたいな笑顔で俺に言う。
その顔が、俺は大好きだった。
頼ってくれることも正直嬉しかった。
寝たふりを続け、すすり泣く声を聞きながら俺は当時のことを思い出していた。
泣いているのはきっと妹だ。それでも俺は目を開けない。
妹はもう21だ。子供じゃない。
俺は寝返りを打つ振りをして背を向けた。
すすり泣く声はしばらく続き、それから諦めたようにゆっくり遠のいていく足音を聞いた。
翌日。もう朝だよと妹にたたき起こされるとパンを焼くいい匂い。
既に朝食は出来ていて、手作りの朝食もまた美味しく、妹はご機嫌だ。
昨夜は何もなかったかのように。
食べながら「今日はどうするの?」と聞かれ、どうしようかなと言うと「せっかくなんだし観光していけば?」と妹。
でも一人で回るのもなぁ、そうつぶやくと「私も一緒に行くよ?」と言ってくれた。
俺はインドア派で出不精なこともあって、なにかイベントないと遠出することはあまりない。
そう言う意味では今回はいい機会だし、じゃあ頼むよと俺は妹にお願いした。
妹は満面の笑みを見せた。
テレビやSNSで見るような場所を二人で回り、妹は楽しそうだった。
大学には友達がたくさんいて、毎日とても忙しくて、とっても楽しいのだと、妹は口癖のように言っていた。
観光地巡りは最終的に妹に振り回されるような形となって時間が遅くなり、結局その日も泊まっていくことになった。
その夜、俺は妹と結ばれた。
ジムに行く
↓
運動する
↓
家で運動する
20回しか出来なかった腕立て伏せが50回出来た時、そのすぐ横で200回腕立て伏せする奴がいないことのなんと幸福なことか!
参考にすべき正しい動き? 自分を導いてくれるコーチ? はぁ? 運動神経バリバリで飲んだプロテインが全部筋肉に変わる特異体質のモンスターを参考にしたって体を壊すだけだろ!?
なあ悪いことは言わねえよ。
マットと腹筋ローラーでも買ってコロコロしたり、踏み台昇降をひたすらやったりしなよ。
ネットの動画見ながらやり方覚えてさ、慣れてきたら映画でも見ながら気楽にやってさ。
なんか調子悪かったら辞めて、調子がいいときは怪我しない程度に続けて、それでいいじゃん。
終わったら風呂入って髪乾かしたらすぐ寝ちゃっていいんだぜ?
運動終わりに晩酌するのも、台所でプロテインを飲み干したらそのまま今度は缶ビールをプシュッとすればいいんだぜ?
運動なんて家でやれよ。
ジムになんて行こうとするから、運動が特別なことになって脱落するんだよ。
例えばこいつのレモンを少し甘いジュースで割る、2倍か3倍位に割ればもっともっと飲みやすくなると思うんだけどな。
そういったもので体を慣らしてくれよという話なんだが。
ゆくゆくはそれをがーっと飲めるようになるとおもんだよ。
やけ酒に求めてるのはこう、パーッとした解放感というか、
酒飲んでも解放感は... 無いと思うんだけどな。
飲むぞー!っていう勢いというかそういうのかな
走るぞーっと意気込んで20km(ハーフマラソン位)走ったら、気持ちよくばててヘロヘロになったならいいけど、
飲むぞーっと意気込んでたらふく飲んで、酔っぱらってただただヘロヘロになっても、気持ち良くはならんぞ。
人によっては脳が麻痺して記憶が飛ぶってのは有るけど、俺もそうだけど、大体はその前に気持ち悪くなって... だぞ。
気持ち良く酔える程度に酒が飲めるようになるならいいと思うんだけどな。
サラリーマンとして年収1000万超えて、なんだか目指すところが無くなってしまった。
仕事は趣味の延長みたいなもんで、余暇に色々作ったらそれが会社でたまに評価される。
新しいことを特別がんばらなくてもこのまま40歳には1500万超えそう。
20代の頃にフリーランス月収102万で「もっとがんばるぞ」ってイケイケモードになったけど、あの頃の熱量が今はない。
筋トレや趣味活もしてしてるけど、でっけえ熱意を注ぐほどでもない。
海外数年住んだりアラブやらアフリカいったりもしたから今さら海外旅行もな。
性器の反応は30歳超えて悪くなった。
酒飲んでいい雰囲気になっても、その後にマイ愚息がストライキしやがる。
シアリスを個人輸入して、ためしに酒飲んで半錠飲んだらバクバクした。
勃起薬は心臓の薬だからアルコールとのマリアージュで死ねるって聞いた。怖い。
友人に話したら「もうとっくに子供育ててるステージじゃない?」って言われて、遅ればせながら婚活はじめた。
身長170cmジャストのムキムキゴリラには金以外は期待しないか。
ダブルインカムのが子育てに良いから500万超えてて同年代くらいを探しているが、女どもがことごとくプロフィールが空っぽで、外見でしかアプローチを始められない。
全項目を埋めた俺が必死なやつみてぇじゃねえか。(必死になった方が良いとは思っている)
「ちんさんにマウンティング取られるから趣味はヨガとか男がよくわからないものしか書かない」ってポスト(旧ツイート)をそういや昨日見たな。
親父とオカンみたいに晩酌できる相手が一番良いんだが、9割が「飲めない」OR「付き合い程度」
とはいってもある程度の物は自炊できると思うがコスパ、タイパを考えると一定の物しか食卓に上がらない
唐揚げ、野菜炒め、焼きそば、ハンバーグ、八宝菜、焼き魚、煮魚、焼豚等が多いかな
一人暮らししてる民は飯どうしてんの?
よかったらよく作るメニューを教えてほしい
・煮込む系は食材入れて沸騰させたら火を止めて調味料入れて放置 食べる前に温め直してかき混ぜれば出来上がり って結構楽にいけるのも多いぞ
これは焼豚でよくやる、あと手羽元とゆで卵のさっぱり煮みたいなの