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はてなキーワード: 日常とは

2024-06-07

anond:20240607101313

  • 営業職等で大声が日常になってる
  • 本人の耳が遠い

どっちかやろなあという話

2024-06-06

少子化社会では褒め称えられるべきなのに軽視されている存在

 出産、というライフイベント経験してきた。

 それはありふれたイベントであるはずだった。子ども連れはその辺を普通に歩いている。知り合う人々には必ず親が居る。子育てについては日々たくさんの議論が交わされている。妊婦さんがこの世に命を送り出すこと、それは特別でも何でもない日常出来事だ。そう思っていた。

 とんでもなかった。

 出産はとても崇高なイベントであった。

 何が私の考えをかえたのか。

 痛みである。とんでもない痛みに襲われたせいだ。

 陣痛というものを知らなかったわけではない。痛いんだろうな、ときちんとビビっていた。下調べもイメージトレーニングもして、痛みに耐える覚悟はしていた。だけど私は陣痛理解しているわけではなかったのだ。うっかり知っているつもりになっていた。

 経産婦の皆さんは言う。「そりゃ痛いよ、でもみんな何とかなっているから」、「もう覚えていないなぁ、だからふたりめも産めちゃう」と。つまり、耐えられない痛みではないのだ。私は自分鼓舞した。

 そしてむかえた出産当日、私は吠えた。冷静な頭のまま、しかし狂ったように叫び声を上げていた。もう狂ってしまたかった。意識がとんでしまったら楽だったのに。

 大声を出して何になる、と自分ドン引きながら、それでもただひたすら叫ぶしかなかったあの時間。耐えられない痛みではない? 嫌だもう耐えたくない! 痛い痛い痛い逃げたい! どんなに吠えても誰も助けてはくれなかった。

 実際、私は耐えて産んだわけだ。それでも「耐えられない痛みではない」とは絶対表現しない。痛いものおかしいよ。人間なのに、動物だった。

 世の母親達は本当にしれっとこの痛みを経験しているのか。信じられない。実は痛みを減らす裏技でもあるのではないか

 この陣痛というものを、当たり前のように受け入れているなんて今は一体何時代なの? そうか、令和は別に新しくないのだな。未来から覗いてみれば、私達はきっと古代に生きている。長い人間歴史最先端なんかではないのだ、令和は。そこそこ古い時代に居るんだ。

 その証拠に、分娩方法が昔とそうかわらないだろう。傘の形態と同じである。高度な医療が発展しているはずなのに、出産は辛いままなのだ出生率が減るのも当たり前である

 せめて妊婦を、経産婦を労おう。ジェンダー論や政治的配慮なんか置いておいて、とにかく陣痛に立ち向かう度胸に対して、みんなで拍手を送ろうよ。

 意地悪なおばちゃんも、炎上ちゃうギャルママも、あの痛みを経験したのだと思うと頭が下がる。

 出産経験して、私は母に心から感謝することができた。訳あってほぼ絶縁している実家に、子どもを産んだことを伝えた。久し振りの連絡であった。たどたどしいやり取りを交わし、でんわを切った。ショートメールに彼らの孫の写真を送った。

 私の新生児時代写真が返ってきた。

 私を産み落とすために、あの痛みに耐えてくれたのだ、と心が震えた。

「痛いのに産んでくれてありがとう

こちらこそ、お母さんにしてくれてありがとう

 そのセリフは、出産後に私が子どもにかけたそれと同じであった。

 しまった、出産は素晴らしいという締めになってしまいそうだ。やりがい搾取は良くない。痛かったよ。あの痛みを当たり前に妊婦さんに押しつけてはいけない、そうだろう、と問題提起をしておく。

anond:20240606195338

田舎日常的に「ペラペラペラペラペラッ ペッペーラ!」言いながら歩きスマホする女が行き交ってる

BBCトランス医療の闇が明るみに

BBCラジオインタビュー:キャス博士に訊く、キャス・レビューついて。

https://www.jegma.jp/entry/CassReview-BBC

女性司会者英国の18歳未満を対象としたジェンダーアイデンティティ医療サービスに関する報告書レビュー)によると、医学的介入に関する調査不足と著しく弱いエビデンス失望させられているといいます小児科ヒラリー・キャスの報告書は、こうも語っています専門家たちは、彼女ジェンダーに関する議論の有毒性と呼ぶもののために、自分たち意見オープン議論することを恐れてきた、と。

 

男性インタビュアー:待ちに待った、子どもジェンダー医療に関するキャスの報告書結論は、医学界に響き渡るシンプルで手厳しい一文を含んでいますほとんどの若者にとって、医学的な治療法はジェンダーに関連した苦痛対処する最良の方法ではないと、ヒラリー・キャス博士は述べているのです。

 

インタビュアー思春期ブロッカー安全使用できるという証拠はありますか?

 

キャス博士:いいえ、今のところ、使用しても絶対安全だという十分な証拠はありません。

思春期ブロッカーは、思春期が早すぎるという全く別の症状の子供や、ある種の癌を患う大人にも使われていますしかし、これは思春期抑制するという新しい使用法です。ブロッカーが脳の発達に長期的にどのような影響を与えるかは分かっていません、というのも思春期には脳の発達が急速に進むからです。

また、ブロッカージェンダーや性心理の発達の軌跡を変えてしまうかどうかも分かっていないのです。

 

インタビュアー医学世界では、未知のものが一つの分野で大量に使用されるというのは標準的ことなのでしょうか?

 

キャス博士研究チームは臨床試験から始めましたが、臨床試験結果が出る前に日常的な処方に移行し、さらに幅広い若年層に処方するようになった時点で、エビデンスから逸脱しました。

anond:20240605200247

ブコメに頷いてるはてなフェミニストが多数いるけど

常日頃から男は叩き女は擁護するを実践している彼女らがまさしく女のホモソーシャルの人々そのものでは

日常すぎるとボケに対して誰もツッコミしなくなるんだな

しかにたまに数珠日常的に身につけている、中年以上の男性はい

宗教かな?ディープな話をされると嫌だなと思って、話を聞いたことはない

しかにたまに数珠日常的に身につけている、中年以上の男性はい

宗教かな?ディープな話をされると嫌だなと思って、話を聞いたことはない

決して講談社の回し者ではございませんので

世の中には自分サイコーだと思っていても、何故か、全く評価されず、あれは重版でこれは重版でないのはなんで?ということがたまにある。

なんでだろーとほわわんと思っているうちに、打ち切りになって、なんとなく胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになる。

これまでは、それを受け入れて来たけれども、今どき、とりあえず狂気的な熱量でその魅力を発信すれば、一定の評価までいけるんじゃねと思い至った。思いついたら試してみたくなる性分で、自分の知るあらゆる場所で喚き散らそうと皆様のお目汚しさせて頂いております

その漫画やら小説やらが、おもしろーと思う前提が大きく2つあると思ってる。

一つは、いかにうわぁーそれわかるわぁって深いところで思わされるかどうかである

下の人は、手に取ってもらえれば少なからず思うところがあるのではないかと思う。

自分マイノリティで、生きにくさを感じている人

●「馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない」を日常的にひしひしと感じている人

自分に対して卑屈になって、大した事ない人間だと思っている人

他者コントロールできず、自分自身のことしか自分コントロールできることはないという事実はは、人が幸せ人生を歩むうえで一番大切な考え方であると思う。

隣の芝は青く見える、アドラーの言う「他者競争しない」ということ、古今東西かに嫉妬凋落するという話は絶えない。

自分ではどうしようもないこと、他者との比較を駆り立てられるような仕組みが、今この世の中は多すぎる。そしてなぜだか、人の性質の一つとして自分が持っていない他人の何かに痛烈な魅力を感じてしまう。本来であれば、それは危機察知や、欲望自分自身に向けることができれば、とてつもない力を発揮するはずであるのに、間違った使い方を推奨させるような、情報蔓延ってしまっている。

自分人生自分のもので、他人比較しようとどうしようと、結局自分が何を考えどう行動するかでしか自分人生は動かないという事を痛烈に感じさせてくれる。

主人公がその事を少しずつでも確実的に自覚するに連れて、心臓をえぐり取られるような衝撃が体を走り、一旦目を閉じ深呼吸することを強いられる。

嫌われる勇気読んだ人とかも、読んでないけど興味がある人も、この作品を足がかりにしてから解像度が上がるかもしれん。

自分人生幸福にするためのヒントがわかりやすく散りばめられているこの本を読まん奴は本当に損だと思う。

おもしろーと思う要素2つ目は、王道要素である

弱いと思ってたやつが実は強い、正体不明の助けてくれた相手は、実はめちゃくちゃ権力者でひょんなことからコネが出来る等々。

葬送のフリーレンも、勇者が死んだあとのストーリーエモいと言う部分にフォーカスされがちで、言うまでもなく、それがあれの根幹の面白さではあるのだけれど、これでもかというほどに、「あいつ実はめっちゃ強いやん」、が詰め込まれている。それなのに、ブリーチのようにあーはいはい、またそのパターンねとならない。消費されない。十分なタメを作ったうえでのどんでん返しなので、読む方は毎回純粋に重く気持ちよさを感じ取れるのである

ただ、この紹介したい作品は、その要素を表に出さずに既に7巻まで進んでいる。ずっーと匂わせて、明らかなシーンとして強者を表立てない。それが読者に考えさせる余白を与える。

答えを早々に矢継ぎ早に、気持ちよくわかりやす正義を振りかざし、相手に考えさせないことで、我々をコントロールしがちな様々なコンテンツとは毛色が違う。私自身もどちらも面白いと思うのだが、あとに引き、心の奥に残り、他の人と共有をしたいと思うのは圧倒的にこの作品である

月刊からさ、ゆっくりなのよ進み方が、でもさ絶対終わってほしくなくて、ずーっとゆっくーり1年とか半年かに1回これが読めるだけでもうLOQバク上がりでさ、打ち切りなんてなったらショックもとてつもないからさ、応援したいわけ。

みんな頼む、マガジンで今なら一巻無料だ。

6月8日最新刊から、それに伴って、3巻無料キャンペーンがなされるかもしれん。私は、ユーチューバーの誰かが書評しているのをみて何かの記念で3巻無料でそこから入った口です。

ここのコメントが、そんな王道面白いの知っとるわであふれることを祈る。

本のタイトル

図書館の大魔術士」

anond:20240606013916

物理やってる人?久しぶりに聞いたわ。頑張って日常の使い所を間違えないでね。

2024-06-05

I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える (2)

この4年間

私たちは今、基本的人間のように会話できるマシンを手にしている。これが普通に思えるのは、人間適応能力の驚くべき証であり、私たち進歩のペースに慣れてしまったのだ。しかし、ここ数年の進歩を振り返ってみる価値はある。

GPT-2からGPT-4へ

GPT-4までのわずか4年間(!)で、私たちがどれほど進歩たかを思い出してほしい。

GPT-2(2019年)~未就学児:"わあ、もっともらしい文章をいくつかつなげられるようになった"アンデス山脈ユニコーンについての半まとまり物語という、とてもさくらんぼのような例文が生成され、当時は信じられないほど印象的だった。しかGPT-2は、つまずくことなく5まで数えるのがやっとだった。記事を要約するときは、記事からランダムに3つの文章選択するよりもかろうじて上回った。

当時、GPT-2が印象的だった例をいくつか挙げてみよう。左:GPT-2は極めて基本的な読解問題ではまあまあの結果を出している。右:選び抜かれたサンプル(10回試したうちのベスト)では、GPT-2は南北戦争についてある程度関連性のあることを述べた、半ば首尾一貫した段落を書くことができる。

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/gpt2_examples-1024x493.png

当時、GPT-2について人々が印象に残った例をいくつか挙げます。左: GPT-2は極めて基本的な読解問題でまあまあの仕事をする。右: 厳選されたサンプル(10回試したうちのベスト)では、GPT-2は南北戦争について少し関連性のあることを言う、半ば首尾一貫したパラグラフを書くことができる。

AI能力人間の知能を比較するのは難しく、欠陥もあるが、たとえそれが非常に不完全なものであったとしても、ここでその例えを考えることは有益だと思う。GPT-2は、その言語能力と、時折半まとまり段落を生成したり、時折単純な事実質問に正しく答えたりする能力で衝撃を与えた。未就学児にとっては感動的だっただろう。

GPT-3(2020年)~小学生:"ワオ、いくつかの例だけで、簡単な便利なタスクができるんだ。"複数段落一貫性を持たせることができるようになり、文法修正したり、ごく基本的計算ができるようになった。例えば、GPT-3はSEOマーケティング用の簡単コピーを生成することができた。

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/gpt3_examples-1.png

GPT-3について、当時の人々が印象に残った例をいくつか挙げてみよう。上:簡単な指示の後、GPT-3は新しい文の中で作られた単語を使うことができる。左下:GPT-3は豊かなストーリーテリングを行ったり来たりできる。右下:GPT-3は非常に簡単コードを生成できる。

GPT-3はSEOマーケティング用の簡単コピーを生成することができた。上:簡単な指示の後、GPT-3は新しい文章の中で作られた単語を使うことができる。左下:GPT-3は豊かなストーリーテリングを行ったり来たりできる。右下:GPT-3は非常に簡単コードを生成できる。

繰り返しになるが、この比較は不完全であるしかし、GPT-3が人々に感銘を与えたのは、おそらく小学生にとって印象的だったことだろう。基本的な詩を書いたり、より豊かで首尾一貫した物語を語ったり、初歩的なコーディングを始めたり、簡単な指示やデモンストレーションからかなり確実に学習したり、などなど。

GPT-4(2023年)~賢い高校生:「かなり洗練されたコードを書くことができ、デバッグを繰り返し、複雑なテーマについて知的で洗練された文章を書くことができ、難しい高校生競技数学を推論することができ、どんなテストでも大多数の高校生に勝っている。コードから数学フェルミ推定まで、考え、推論することができる。GPT-4は、コードを書く手伝いから草稿の修正まで、今や私の日常業務に役立っている。

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/gpt4_examples-3.png

GPT-4がリリースされた当時、人々がGPT-4に感銘を受けた点をいくつか紹介しよう。上:GPT-4は非常に複雑なコードを書くことができ(中央プロット作成)、非自明数学問題を推論することができる。左下:AP数学問題を解く。右下:かなり複雑なコーディング問題を解いている。GPT-4の能力に関する調査からの興味深い抜粋こちら。

AP試験からSATに至るまで、GPT-4は大多数の高校生よりも良いスコアを出している。

もちろん、GPT-4でもまだ多少ばらつきがある。ある課題では賢い高校生よりはるかに優れているが、別の課題ではまだできないこともある。とはいえ、これらの限界ほとんどは、後で詳しく説明するように、モデルがまだ不自由であることが明らかなことに起因していると私は考えがちだ。たとえモデルがまだ人為的な制約を受けていたとしても、生のインテリジェンスは(ほとんど)そこにある。

https://situational-awareness.ai/wp-content/uploads/2024/06/timeline-1024x354.png

わずか4年間の進歩あなたはこのラインのどこにいるのだろうか?

続き I.GPT-4からAGIへ:OOMを数える (3) https://anond.hatelabo.jp/20240605204704

安楽死資格制にする

安楽死制度導入のハードルの一つに周囲から強要危険性があるけれども、資格制にしちゃえばいいんじゃなかろうか。

自動車免許みたいな感じで、座学→効果測定と実技みたいな。もちろん実技といっても死ぬわけにはいかないので、ボランティア◯日とか社会奉仕◯日みたいにする。

そして試験や実技の合間にカウンセリングも設ける。具体的には強要されてないかどうかと、意思は変わらないか確認が主。

資格取得のための費用は50万円。頑張れば用意できないこともないくらい。強要してくる奴には「とりあえず50万くれや」で凌げると良い。

一応、安楽死強要は罪にする。まあそんな法律の隙間を縫って強要する輩も出るだろうけど、これは国家としての意思表示みたいなもの

こんなに手間ひまかけてようやく解禁されるものなので、当然安楽死は心地よくなければならない。眠るように死ねると良い。ここに魅力がないと自力安楽死勢(つまり自殺だね)が続出してしまう。

安楽死制度化に伴って、自力安楽死罰則化される。特に電車飛び込みみたいな周囲への損失が確実に発生するタイプのは厳罰。…厳罰一か八か死ぬかもしれない人に対する厳罰ってなんだろうか。ちょっと想像がつかなかったので保留。

そんなこんなで安楽死制度化し、海外から安楽死旅行も受け入れる。これは資格必要なし、1000万円〜1500万円くらいでいいんじゃないだろうか。

ちなみに国民が1500万円払うから資格取得の過程をすっ飛ばしてくださいって言うと、フカフカソファかベッドのある部屋に通されて長らく待機させられる。そのうち寝てしまって、起きると目覚めスッキリ。そう、ものすごく安眠性能の高いベッドに寝かされることで精神コンディションを強制的回復させられるのだ。それでも決意が変わらない場合、前金として50万円支払ってとりあえずカウンセリングを受けさせられ、それでも意思が変わらなければ権利が与えられる。ただし、1500万円払われるので多少は美味しいご飯とかを提供してもらえる。全ては「もうちょっと頑張って生きてみようかな」と思わせるために。

こうして死がある程度日常に迫ってくることで、むしろ心が安定したり、あるいは自分の内なる生きたい気持ちに気付いたり、そんな新たなパラダイムを迎えつつ日本は幕引きビジネス大国になっていくのだった。

anond:20240605135127

ネット民にとってレスバは日常風景普通と思いがちかもだがリアルだと自分含めこっちが異常者なので「ネット論客とは無縁そうに見える」=むしろ普通くらいの意味合いだよ。あなた不快に思ったのは理解したしこれ以上不快にしても悪いからここでレスやめるね。

最近売春という行為がかつてないほど、社会に受け入れられている。

から、なんだというわけではないけれど、そういう空気は確かにある。

最近売春パパ活という。

売春を表す言葉は「売春援助交際パパ活」とどんどんソフトマイルドイメージを与える言葉に変わってきた。

この言葉の変遷自体売春マイルド化を端的に表している。

それで、そのパパ活なんだけど、援助交際ブームときとは受容のされ方が大分、違う気がする。

統計的データがあるわけではないのでイメージ論にすぎないんだけど、なんていうか、パパ活が悪いことだという感覚はどんどん薄くなっていっている気がするのだ。

現代においてみんなが持っている「パパ活」のイメージは、ちょっとだけ悪いことぐらいの感じだろう。もっといえば、悪いことですらなくて、個人意思決定問題だよねぐらいの感覚の人が多くなった気がする。感覚的には喫煙と同じか、場合によっては喫煙よりパパ活のほうが社会的にOKもの扱いされている気がする。

ここには「売春」の重いイメージはない。イメージ問題だけでなく、売春刑法規定されている犯罪なんだが、最近パパ活という言葉メディアSNSで出てくるとき犯罪行為を語るという感じではなくなってきた。

なかでも若い女性にとってのパパ活は、自分と遠く隔てられたところに存在する概念ではなく、普通に自分人生の中のいち選択肢として、挙がってくることもあるだろうぐらいのレベル存在になっている。

パパ活はどんどんカジュアルものとして社会に溶け込んでいっているし、みんなパパ活している女性特殊な人だとは捉えなくなってきている。

援助交際ときもっと暗いイメージというかアングラというか、あくまでこれはいけないことだという前提を社会が共有していた。

しかし、現代において、パパ活もっと日常的なもの特殊じゃないもの、非犯罪的なものとして認識されている。

パパ活女性が中心になって擁護している(ように見える)のも今までの売春との大きな違いだ。

かつて性風俗産業で働く女性たちに対して、一番当たりが強くて、差別的だったのは普通女性たちだった。

それがいまのパパ活については、女性たちが積極的に支持している。支持とまでは言わなくてもパパ活している女性たちに対して、多くの女性が寛容なのは間違いない。

少なくとも女性性的魅力を武器として男性から金銭等を得る行為は完全に市民権を得た感がある。今や「それの何が悪いの」「女性の当然の権利でしょ」ぐらいの感覚になっていて、そういった行為を働く女性を「加害者側」として認識する女性はほぼいないと思われる。

さて、日本社会売春に対してどんどん寛容になってきているのは間違いないが、この風潮がいいことなのか悪いことなのか、それは判断がつかない。

ただ、この流れは、この先ますます加速していくんだろうなということはわかる。

もうしばらくすると、パパ活もっとソフトカジュアル名前に変わって、女性マクドナルドバイトするぐらいの感覚売春する時代になるのかもしれない。

幸福強者にのみ与えられるべき

おれのような弱者に「日常ささやか幸せ」を享受する権利などない

弱者弱者らしく不幸で惨めで卑屈でなければならないのだ

無いものなのに広まってる1-グランプリ

"神"みたいな、まあまあ使い所があるやつより、

近年でてきた概念で、日常的に使い道がないが一般に浸透しているほど芸術点が高いものします。

 

先攻オレ。

テレポテーション

はい優勝。

チャールズフォートが1931年に「テレポテーション」を初めて使用した後、この概念特にSFファンタジージャンルで広く知られるようになり、人気を博しました。様々なメディアで取り上げられ、現在では一般的なSF用語として定着しています

 

量子テレポーテーションについてはトラバ見解語っております時系列調べたわけでないのでふわふわだけど。

オタクファッション

即売会だけで観測する服ってわりと多い。

半袖パーカーとか裾にレースのついたチュニックとか。逆にそれどこで買ってるの?今の時代によく売ってるね。それとも昔買った服を着ているの?

半袖パフスリーブデニムジャケットラグランTシャツ合わせているのも即売会くらいでしかたことない。そもそもパフスリーブデニムジャケット日常で15年くらいは見ていない。本当にどこで買ってるの?

半袖パーカーしかデニムジャケットしかり重ね着が好きなのか?

世に流通するまでにトレンドを調べたり色々な方のチェックが入ったりしているはずなので、ダサい服というのはこの世に存在しないと思う。

ただ流行は変わっていくし、好みの範疇でも年相応の服装というもの存在するので、たまに物凄いファッションオタクを見て気になってしまう。

服装に興味がないならシンプルな装いになると思うので、当人たちにはそれなりのこだわりや好みがあって、その上でその服を着ているのだと思うと余計に気になる。

マジで半袖パーカーはどういう意図で着ていらっしゃるんだ。

2024-06-04

anond:20240604231852

まず、人文学の話はしてないからね

俺がしてるのは日常会話だし、ここは増田

底辺生活者日常からするとキラキラ過ぎて全てが嘘に見えるのか。なるほどなあ

モテ非モテかみたいな話って大学生卒業すべきだと思うんだよね

その手の話が盛り上がってるところ悪いんだけど、モテとか非モテとか実生活で誰も興味ないと思うんだよ。

俺もどちからと言われれば明らかに非モテだよ?恋愛経験ゼロだし、30代半ばなのに童貞だよ。中学高校男子校だった生粋非モテだよ。

でもそんなこと普段生活で1mmも意識しないでしょ。

会社に行って、女性を見て、恋愛を想起することってある?ないでしょ?

電車乗って、女性見て、恋愛したいな〜とか思う?思わないでしょ?

いい年して恋愛したいとか思う場面ってめちゃくちゃ限定的だと思うんだよ。

クリスマスの日の帰り道とか、道ゆくカップルや街のイルミネーション見て、「寂しいな…」とは思うよ?

でも逆に言えばそういう日以外には別段寂しくないし何なら一人の方が気楽じゃんみたいなノリで生きてるんだよ。

というか、俺くらいの歳になると結婚してるやつはもう子供の1人や2人育ててて、育児の大変さみたいな話題日常的に交わされてるわけじゃん。

たまに早く帰宅する日に高校生や大学生集団見ても「子供だな」以上の感情がわかない歳になってるわけじゃん。

どこに恋愛という概念が入り込む隙間あるの?

まじで教えて欲しい。非モテ云々で盛り上がってるお前らは何歳なの?10代なの?20代なの?違うだろ?

少なく見積もっても俺と同世代だろうお前らがそこまでこの話題でこじらせる理由がわからないんだわ。

どういう心境で騒いでるのか俺にわかやすく教えてくれよ。

https://anond.hatelabo.jp/20240604111234

女性に人として接したらモテる」とか嘘つく人たち

ってなんでそんなウソつくんだろうね

だって恋愛工学とかホストとか持ち出すまでもなく、モラハラ気質のクソ男に恋人いるとか日常じゃん

女性に人として接する」ってモテ無関係とまでは言わないけど、数ある要素のひとつに過ぎないのは明らかなので、「それでモテます」は、ウソしかないじゃん

そんなウソに随分大勢が乗っかんなー、って

なんでなんだろ、を考えてみた

思うに、この人たちって、

「顔とかオッパイじゃなく人格評価する“正しい”男は恋愛において報われる」

みたいな公正世界仮説ファンタジーを生きてるんだよ

もちろん、現実シンプルでも公正でもないから、リアル女はアナとカネしか評価しないクズ男にも普通に沼ってて、彼らだってこのことを知らないわけじゃない

でも、彼らはこの現実を認められない

だって、そのメルヘン脳内世界に止まる限り、「モテない」男性イコール“正しくない”存在なわけだから、思う存分、叩いたりマウント取ったりしてよいので、こんなお手軽快感供給マシーンを手放すわけにはいかない

どころか、「女性に人として接してる非モテ」に対して、「モテないのは人として接してないから〜(決めつけ)」とか暴力を振るってた側に反転しかねない

から、この嘘を見つけたら、彼らは群がらざるを得ない

しかないのだ

科学的な根拠がないだけでなく、多くの人の感覚にも反する嘘を突き通すには、数しかないのである

彼らには、「相手と人として接しないのはモテじゃない」、と反論する道も残ってはい

これは理の通った対応に見えて、その実「私は相談に対し独自基準モテ定義し自語り始めた役立たずです」と自ら開陳しているに等しい

しかし、それでも彼らにはその道は残っている

なぜなら無能であることは彼らにとってさしたる痛みではないか

彼らは、自分

「君がモテないのは女性に人として接してないからだよ」などという嘘を前提に、非モテを悪/格下/劣等に位置づけ、叩いたりマウントをとって快感搾取していること

だけは、それだけは、決して認めるわけにはいかないのだから

芦原妃名子先生悲劇を避けるためにできた簡単ひとつのこと。

まず結論を書いておく。


電話で社外の人と合意を取り付けたら、合意内容を、関係者ccに入れて相手メールしろ

言いたいのは、それだけだ。(当然だと思った人もいるだろう)

以下、具体的な状況を見ていく。



ドラマセクシー田中さん」の製作過程問題が生じた大きな原因が、原作者が求めた条件「(ドラマオリジナルとなる終盤では)原作者があらすじからセリフまで用意する」「用意したもの原則変更しない」「場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある」が十分に履行されなかったこなのは、衆目の一致するところだろう。

日テレ報告書では、この条件について、「許諾の条件として伝えられていたとの事実確認できなかった」としている。つまり「言った言わない」論争が発生している。

この"条件"を主導したのが、小学館社員B氏である(小学館報告書での呼称。以下同じ)。B氏は、映像化関連の部署所属している。この部署が長いのか、日テレX氏(担当者Y氏の上司)とも8年程度の面識があった。

まず、そもそも、この条件を原作者提案したのがB氏である

そこで4月25日社員Bは、小学館社内で芦原氏に面談し、ドラマオリジナル部分についてはできるだけセリフを多く入れたロングプロットを書いてそれを脚本家に脚本化してもらうこと、それでもうまく脚本にできない場合はご自分で書く場合もあるが良いかと尋ね、その覚悟があることを確認した。社員Bが、できるだけキャラクターセリフを多めに書くことで、脚本家が芦原氏のつくるキャラクターセリフを替えることができなくなると説明したところ、同氏はすぐに理解した。



そして、B氏は、日テレX氏にこれを伝える。

社員Bは(6月)9日、日本テレビ社員X氏に電話で改めて、ドラマオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合脚本を自ら書く方法提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ることを求めた。

これに対して日本テレビ社員 X 氏は、芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと回答した。

なお日本テレビ社員 X 氏は、「もし脚本が芦原先生意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生脚本も書いてもらうこともある」と言われた記憶はないと否定している



おそらく、日テレ側は「脚本」「詳細プロット」という言葉を、提供されるフォーマットについての言葉として理解しており、原作者やB氏の意図する「原則変更しない」という意図では捉えていない。

実際、この後の日テレ担当Y氏のメールでは「具体的に頂けるほうが良いと思います」と言っており、「詳細プロット脚本=具体的な表現方法での提示」として捉えている。さらに続けて、「こちからもそのご提案を受けて、案だしもさせて頂ければと思います」と「原則変更しない」を認識していない発言を続けている。

(なお、このメールを受けた小学館担当者A氏も、「案だし」を咎めず、また、自分メールでも「脚本もしくは詳細プロット体裁提案」とフォーマットとして書いているので、同じ捉え方をしていた可能性がある)

ここから伺えるのは、小学館B氏が日テレX氏に電話で伝えた意図日テレ側に正しく伝わらなかったこと(もしかすると、小学館A氏にも伝わっていない)。

そして、その連絡が、2人の電話しかないため、2人の記憶違いが生じたら、どうしようもなくなることである

もし、B氏が電話合意した(と認識していた)内容を、A氏をCCに入れて日テレ側にメールしていれば、「原則変更しない」という点についての双方の認識齟齬もっと早く気づけ、悲劇は防げたのではないだろうか。

…というのが、報告書を読んだ私の捉え方である

もちろん、他にも多くの問題点はあったし、日テレ側にも問題もあった。しかし、一番の問題点として感じたのは、肝心の所で、「言った言わない」が生じていることであり、その原因となったのはB氏の仕事の仕方である

なお、社員Bが電話ですべてを終わらせていた問題については、小学館報告書にも書かれている。

しかし、同報告書は「日本テレビ側が原作者意向を代弁した小学館の依頼を素直に受け入れなかったことが第一問題」と主張するために書かれており、小学館側のコミュニケーション問題とはしていないことから論点をずらしている。

社員Bは大抵、日本テレビ社員X氏と電話交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。本委員会において認定根拠としえたのは、社員AへのLINEメッセージである日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。 しか交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者事故があればその成果は継承されない恐れがある。

多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。




しかし、小学館社員A氏(芦原氏の担当編集者)の立場からすると、他部門管理職(と思われる)B氏が、頭越しに漫画家に進め方を提案し、テレビ局とも勝手交渉し、口頭でしか共有してくれない…なんて、たまったもんじゃないよな…。

今より少しだけ幸せになる行動のメモ書き

特に家事なんかで顕著だけど

・いつも自分ばっかり家事をしてる

・誰も手伝ってくれない

家事をやっても感謝なんてされない

とか思ってる人、多いと思うんだよね。

自分もそうだったんだ。

ゴミが落ちてるのにどうして誰も拾わないのとか、あんたのために食事を作ったのにすぐテレビつけて感想もないとか、疲れている時に洗濯物を畳んでいるけど家族がだれも手伝ってくれないとか、一回一回はそうでもないけど、ずっとそれが続くと、つらいよね。やるせないよね。

その結果、イライラつのったり、孤独感が大きくなったり、なんのために頑張っているんだろうとよくわからなくなったりして、苦しいんだよね。

一部の人しか参考にならないかもだけど、こんな風にしたら改善しつつあるよって個人的体験を、ダラダラ書いてみるよ。

感謝ちゃんと伝えよう

これまでにただの一度も手伝わなかった家族ってあんまりいないと思うんですよ。子どもパートナーが手伝ってくれた時に、きちんと感謝を伝えるのをテキトーにしていると、だんだんと手伝う気を削いでいくね。言葉「ありがとう」って言うときに、スマホ見てない?相手を見てる?「感謝言葉テンプレート」に沿った機械的感謝になっている場合は、意味が無いどころか逆効果だよ。あと、手伝ってくれた人に対して「いつもこんな風にやってくれるなら助かるのにね」とか「こんなのやってくれて当たり前だから」なんて感謝真逆の嫌味を言ったことはない?該当するものがあったら、そりゃあ誰も手伝いたくなくなるよ。

不機嫌な雰囲気を作り出すのはやめよう

思い通りにならないときに、わざと物音を大きくたてるとか、大きなため息をつくとか、独り言に見せかけた愚痴を垂れ流すとか、そういうことをする人からは他の人は離れていくよ。当たり前だよね、近寄りたくないんだものニコニコ笑ってろとは言わないよ。けど、あからさまに「こんなに態度に出しているんだから気付いて何かしなさいよ」っていう意図で不機嫌な雰囲気を利用していないか、振り返ってみようね。みんな気付いてるよ。気付いているけど言葉になっていないから、何をしていいかからないんだ。

やってほしいことを真摯に伝えよう

前の項目と近いんだけど、相手にこうしてほしいなと思うことがあったら、まず最低限言葉で伝えよう。「それくらい察してよ」は絶対NGだって考えてもごらんよ。何をしてほしいかからないけど不機嫌な相手にさ「もしかしてこれかな?」と仮説を立てて実行したら「全然違う!」ってもっと不機嫌になったり、罵倒されるようなことがあったら、本当にこうしてほしいと思うことにたどり着くのに、相手はどれくらい頭を使って精神疲弊させることになるだろう?想像できる?察してほしいが通用するのは乳幼児までだよ。

ことばは丁寧に使おう

まるで勝ち負けを決めるかのように強い言葉を使うことってあるよね。それ絶対やめた方がいい。強い言葉って大体の場合は怒りと共に発していると思うんだけど、そもそも怒りってのは自分自分ストレスを発散させるためのものから。依頼や、ネガティブなことを伝える、指摘や叱りってのは、むしろ冷静に行うべきものだよ。もちろん、そんなことを言ったって怒ることもあると思うんだけど、だけどそれって自分自身のためだけに、自分選択している行動だってことは思い出そうね。怒る人は怒ることを自分選択しているんだよ。怒る人は発散して少しクールダウンするかもしれない。だけど、怒られた方の人は、意味が分からないことも多いはずだよ。「どうしてそこまで言われないといけないんだろう」って。たまには怒りをぶつけることが良い関係に繋がることもあるかもしれない。だけど、もし日常的に怒ってるような人はね、相手家族に対して、あなた想像する数十倍ものストレスをかけているってこと、忘れないでね。ちなみに、子どもに対してこれを続けると取り返しのつかないことになるよ。

こだわりポイントを捨ててみよう

「それしないと死んじゃう!」っていうくらい重大なものって世の中にはあるよね。だけど、そうじゃないものだってさらにたくさん世の中にはあるよ。「まあ、これくらいは、いいか!」って割り切っちゃえば消えるストレスもあるよ。

あなたのために」って嘘を探そう

これ10割、100%嘘なんだ。そう思って他人と接している人は自分のためにこの言い訳を使っているだけだよ。「この人のために出来ることはなんだろう?どんな選択肢があるだろう?どんな方法があるだろう?」ってまず最初考える人はね、あなたのために怒ってる、なんて言葉は使わないんだよ。8割とか9割かもしれないって思うでしょう。だけどね、この考え方にとらわれている人たちはね、自分は残りの1割とか2割の方だって、すぐに逃げちゃうんだよ。だから言い切ったよ。10割嘘だよこんな言葉

おわりに

本当にダラダラ書いちゃったよね。傾向としてはさ、冒頭に書いたことで苦しんでいる人は、実は自分の振る舞いで人を遠ざけていることがあるんだよってこと。

きっと、そうじゃない理由の人もたくさんいると思う。これはチラシの裏落書きからさ、そこは勘弁してね。

ただね、他人自分の思うように変えることはできないからさ、できることって自分の表情や言葉、振る舞いや考え方を変えることくらいしかできないから。

どうかこれを読んでくれた皆さんの一番近くで大切な人たちが笑顔でいる時間が長くありますように。

そんな笑顔に囲まれているあなたも、笑顔で過ごしていけますように。

anond:20240602153026

俺も「人として接する」が分からなくて20年以上悩んだのでよく分かる。

人として接してるつもりなのに「なんかキモい」って言われるんだよな。

いろいろ対処法を試したけど、まず相手の話をよく聞くようにしたら良くなった気がする。

キモい」には色々要素があるんだけど、一番大きな要因は「聞かれてもいない話をする」なんだと思う。

単語で反応して自分の知ってる話をするので我田引水に見える。

どんな正論や正しい情報でも、相手の状況を考えずに話せば聞いてもらえない。

まずは相手の話を最後まで聞いて、単語じゃなくて文脈がわかったらそれに同調する話をすれば良い。

同調できない場合は無理に会話に入らなくていい。嘘は吐かなくてもいいか適当ごまかすといい。

日常会話の目的は「敵じゃないか確認」であって「事実関係確認」じゃない。

「人として接しろ」みたいな曖昧言葉説明した気になってることからも分かるように

ほとんどの人間単語の深い意味とか相手がどう感じるかとか考慮してない。

ほとんど感覚だけで会話してるし、会話の7割はどうでもいいしすぐ忘れる。

そこで急に「事実関係を確かめる」「特に仲良くもないのにアドバイスをする」「いきなり相手否定する」

みたいなガチ議論をしようとすると「空気読めない」「キモい」となる。

というか普通の人はそう感じるんだが、俺を含む一部の人間はその感覚が薄いのでキモがられる。

で、分かってもらおうと思って更に話すのも「ガチ議論」なのでさらに嫌われる。

からまずは「適当な会話」をする意識で、相手の話を聞くようにするといいんじゃないかな。

小学館版 田中さん報告書の見所

読み終わったので自分ハイライト集。

小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。

漫画家芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます

重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。

日テレ版は報告書本体リンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)

社員 B は、日本テレビ社員 Y 氏とその上司日本テレビ社員 X 氏とやり取りして

日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!

そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。

特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE普通ではないかと指摘したり

「今時のJK短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情精通していないなんて…。

また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画100M 以内との吹き出し記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された

(略)

ヒンズー教徒が多いインドベリーダンスをするという点に疑問を呈した

(略)

またダンス動画についても、初心者に過ぎない田中さんダンス動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。

日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。

めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?

社員 A は、上記10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。

確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」

以後のメール日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)

都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)

10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリー衣装ドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通ドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。

芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンス田中さんステージで踊る際、演出では「ハリー衣装ドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリー衣装ドラムソロを踊ることは、ベリーダンス歴史的文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。

これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちにダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK確認が取れたと連絡してきた。

しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。

(略)

ところが、後日、芦原氏は、「ハリー衣装ドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影1010日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A から10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HPDVD への釈明文掲載等を日本テレビ要求するように社員 A に依頼した。

3話リテイクの経緯詳細。

日テレ版では、

202310上旬ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。

C 氏を通じた本件原作者撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。

その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャストスタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。

と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度さらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!

まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?

そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)

この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビ送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。

その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示原案では小学館原作者双方の同意必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手小学館限定する修正依頼があった。

原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、1023 日に日本テレビに送った。

うーんこの日テレ原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。

社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。

委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。

しか交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。

多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。

ほんこれな。日テレ版もそうだったが電話交渉しましたが多すぎる。

証拠を残さないために電話を使うのはあるあるだが、トラブる前の段階やネゴるところも全部電話で済ませるとか怖すぎるわ。

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