はてなキーワード: 数学とは
数学は宇宙が機能する言語であり、自然の仕組みを理解するための良い方法である。
それは、自然現象の解明の多くが、モデルがどれだけ優れているか、そして数学がどれだけ優れているかによって決まるからだ。
しかし、数学の研究は常に成功するわけではない。時には、単に失敗して、それに対して何もできないこともある。
しかし、その失敗こそが新しい研究アイデアのインスピレーションとなる。
それが数学研究の1つの大きなポイントだ。失敗しなければ、そもそも研究することは面白くない。
しかし、数学の研究や学習には言語の壁が存在する。同じ言語を話せなければ、つながりを持てない人がたくさんいる。
世界には言語の壁を抱えている人がたくさんおり、そのことが数学のコミュニケーションを非常に困難にしている。
例えば、英語に100パーセント慣れていない場合、英語で微分幾何学を学ぶのははるかに困難になる。
しかし、これはその人自身の責任ではない。大学で研究する人々にとっては、教育は研究プロセスの大きな部分を占めている。
数学の研究や学習は、自分のスキルを応用して何か良いことをしようとするだけでなく、他の人が自分自身でそこに到達できるよう支援することも重要だと思う。
数学は、個々の研究者だけでなく、全体のコミュニティの努力によって進歩する。それぞれの研究者が自分の知識と経験を共有し、他の人々がそれを利用して新たな発見をする。
数学の話なら星差はないよ。
マリオ(ファミコン)の段階では数学的要素が持ち込まれているが、
非科学的な人が非科学的な解釈により非科学的な表現をしてしまいそれが膾炙してしまっている。
これはただされねばならない。
「残機×0」の表現を認めることはできない。
さっきマリオの配信見てたら「残機×1」でミスしてゲームオーバーになったんだ。
よくよく考えるまでもなく数学的には「残機×1」でミスしたらゲームオーバーになるのが正しい。
しかしながらアクションゲームは「残機×0」でもラストチャンスで遊べることが殆どだが、これは数学的には正しくない。
このような非科学極まりない表記を始めたゲームはどこのどれなんだろうか?
個人的には掛け算の順序よりひどい慣習だと思っている。
あるぞ。
小3〜中3までの国語と算数(数学)の学力は小6〜中3の算数(数学)以外は全て女子の方が平均値は高かった。
ただし、小3〜中3までの国語の平均の差が女子が+5pt近くあるのに対し、数学の差は女子が-2pt程度だった。
平均が女子よりも低い男子の標準偏差が大きかったら、女子よりも学力が低い男子が多いと可能性が高いわけだ。
・このため,ノーベル賞受賞者とか超優秀な人は男性が圧倒的に多くなる
ノーベル物理学賞、ノーベル化学賞、ノーベル生理学・医学賞の受賞平均年齢は日本では65歳だ。
受賞に至るまで平均25年かかっている。
25年前、日本はバリバリの男性社会だ。女子は大学に行くな、理系に行くな、結婚して子供を産めの時代。
というか25年前に40歳前後だった女性なんてそれこそ理系大学に行けてたら「珍しい」の部類だ。
その中で一握りの女子が頑張っていたとしても、結婚出産が壁になるし、ぶっちゃけここに至っては未だ男尊女卑なので…。
確かに男性の方が能力が高い人もいるかもしれないが、ノーベル賞に関しては単純に「男の方が能力が高いからと論じるにはまだ早い」である。
どちらかというとプロ棋士とかそっちの方がまだわかる。
百分の一を意味するとの誤解
割合を言うときには、「三割二分六厘」というように表現する。「割」そのものが 1/10 を意味する数詞であるために、「割」とともに「分」を使った場合には、まるで分が1/100 を意味するかのように誤解されがちである。この誤解はかなり広範に信じられている[25][26]。
割合においても、分は割の1/10を意味する。割合の全体は十割(10割)であるが、現代の数学において割合の全体は実数の1で示すため、一割(1割すなわち現代数学での1⁄10に相当)の1⁄10である分に1⁄100を示すとの誤解が生じた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86_(%E6%95%B0)#%E7%99%BE%E5%88%86%E3%81%AE%E4%B8%80%E3%82%92%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%AE%E8%AA%A4%E8%A7%A3
ここの参考文献たどってみれば?
ちょっと調べたら、これは「歩合」の単位とされていて、その方面で調べれば過去の使用例がわかるらしい。小学生教育方面だと「最初は借金の利率で使われた」って説明があったけど、その初出までは書かれてなかった。まあ小学生がそこまで興味持たないだろうからしょうがないか。
正直、興味を持ったのは「分」との歴史的な前後関係なのだ。勘違いしがちだが、「1割1分」の時の「1分」は1%で0.01だが、「五分五分」のときの「五分」は50%でこれはつまり0.5,つまりこの場合の1分は0.1になる。数字の扱いが違うだろうと思ったかもしれないが、「割」はもともと十分率の単位で、十分率を単位とすればその1分は0.1で正しいのだ(このへんはWikipediaにも書いてある)。これを無理やり百分率で例えると、1.1%を「1%1分」と書くようなものだ(実際には今はこういう書き方はしない、例示として書いた)。
とはいえ、借金の利率なら最初から「分」で表してもそれほど困るような気がしない。実際前述にもあるようにことわざでは「割」使う場面少ないしね。「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足したのか、まえは「分」で示していたのが何らかの都合(借金は特別扱いしたいとか)で「割」を使うようになってそっちが当たり前になったのか、たぶんどっちかなのだ。
税率を割合で示すようなことは租庸調の時代からやってたみたいだから、たぶん文献は豊富にあるはずなんだが、こんな簡単なことがネット検索でわからない。調べるキーワードが足りないだけかもしれないけれど。
(追記: ついでにまとめ)
みなさん反応ありがとうございます。結果的に人力検索になってしまいましたが、もともとこれはそれを目的として投稿したものじゃなくて、自分が「ここまで調べた」のまとめとして書いたものでした。いずれ調べが捗って本当に感謝しています。
とりあえず、
ようで、「割」だけが先に使われていて、その大雑把な率が使いにくくなったから分をあとから付け足した、の予想がそこそこ近かったようだ。
調べているうちに出てきた新たな疑問としては、
あたり。このへんは今回の疑問から少し外れるので、まあそのうち。
「リファレンス使えば」。これね、時々思う。実際使ったこともある。とある地名の表記ブレを、行政機関があまり一般的じゃない方に統一した、って時に、それが単なる自治体PR(統一したほうにはそのPR要素があった)なのか、それともまあそうするだけの根拠があったのか、疑問に思って、「その地名の2つの表記の古文書での使用頻度」を調べてもらった。ちなみに結果としては30件くらい見つけてもらって、見事に半々っぽい結果だったのでまあ納得することになった。
今回は今回で調べてもらってもいいのだけど、前に頼んだ図書館にはおそらくこれ関連の古文書少ないのよ。そうすると一般書籍で記述のあるもの探してもらうことになる。それだったらネットで同じような疑問を持ってそれ調べた人の成果を探したほうが早いの。リファレンス使うとその図書館の調査には2,3週間かかることもあるのね。だったら自分で調べてたどり着けなくなってから頼んだほうがいいと思った。そうね、「分」の1/4 1/10 1/60問題についてはそのうち聞くかもしれない。
トゥサン=ルーヴェルチュール : 中米の革命者であるが、東京大学の世界史に出題が存したわけではない。 代々木ゼミナール東大模試の世界史で出題あり。
(1)2002年 東南アジアと中国の間における輸出入のプッシュ要因を論述させる問題として、16世紀アジアの経済的専門性に集中した
問題であって誰も書けないのでむかつかれた。 文科2類生に有利で、 文科一類生、3類生は困惑した。
数学 1998年理系後期 グラフ理論 フェルミオン数を増やしたり減らしたりする作用に注目して論述させるもの。
2013年理系前期 メリーガーデンの6階の板津素子婆が、 異常な難問を出した。 理3でも84点が最高で満点はいなかった。
当然俺がいつも言っている場所は、厳密な行政上の地名は、舟渡2丁目、赤羽ゴルフ場奥の、緑道という風な名称がついている。 あー、緑道というのはな、生菓子みたいなものだ。
ゴルフってそういうスポーツあるんですよ。 知らない? 硬い小さい球を地面において、それを鉄を振り回して撃ち出して飛距離がどうだったかを競うスポーツです。
パターゴルフは違います。子供用の奴です。延岡市の須美江のキャンプ上で昔流行っていて実行されていたものです。 え? ものではなくて技術です。
副島真が解いたバッタの問題は、 数学的induction のなんかさらに進化して強くして置いた、 ハイパーインダクションをで出来る奴です。灘高校ではそういうのを教えていたりトレーニングが
あるので、出来たと思いますが、副島の答案を見たわけではないので、副島が、どういう解法を選択したかは分からない。
糞というのは、おぺちという稚児が言った奴で、 出来上がっている糞という。 出来上がっていて実体がない、女の子の詐欺で、糞 強い糞
晴生 出来上がっている糞
(放り出して
夕刊デイリー 誰も読まない、食べたビスケットが腸内で糞になったものをひり出して乾燥させて並べたような記事になっている。
判例六法 同じ。技術的内容側面は存在せず、まるで、彦田まり恵とか、谷水文香のよう。
任介辰哉 要するに糞。
法令 法律は作って使うものであるが、お前には論理性もないし、作ったものを操作する権限がない。
なお、数学の初等的な定理は発見して構成するだけだが、社会的なものはどのように出来ているかは、誰も理解できない。
前田氏が最後にスポーツ報知に掲載させた意見主張 : 理想を持ち東大法に進学したが卒業後に部屋が変わると別の糞みたいな醜悪な論理で動いており
延岡西高等学校の化学の教諭は、四元康、 文系化学はセンター試験専門で第1学年で終わる。 物理の教員もいるが、延岡西の授業はセンター試験にはじまりセンター試験に終わるので
それ以上のことはしないのが特徴。数学2Bは、センター試験までに授業が終わるか終わらないかという状況。
宮崎県立高等学校は、 行政であるが、行政法体系の位置づけで、処分庁とされているかというと、分からない。 卒業認定処分は、行政処分(Vermaltungact)と思われているが、
西階中学校の教頭は、いやー、中学校は処分庁ではないですね、という回答があった。校長は体育専門で、ジジイがやっている。校長がおぺちで、教頭がしらちゃんだったのが、令和4年1月
最近の本はつまらない気がする。例えば「頭が良くなる本」というテーマの本があるとして、新着の本を見てもありきたりな本しか見つからない
これはたぶん、私が30歳になるまでの間に一通り色々なテーマでどういった内容があり得るのか見てきてしまっているから
アルゴリズムの世界では「探索と活用のトレードオフ」というものがある
初期フェーズでは情報集めのために探索をするのが良しとされるが、後半ではむしろ集めた情報を活用するのが良しとされる
未熟な若者が馬鹿なことをやろうとするのは、単に探索のフェーズにいるからで、情報が足りないから
一方歳をとった人たちが保守的になるのは、探索によって学習済みだから
私は年齢的に「探索」のフェーズではないのかもしれない。この年齢になって、何か大成功しようという気は起こらないのだ
欲しい、必要、と思う量が少なければ満足は増えるし、それを超えるものを持っていても満足は増えない
ブラック企業が社員に「足るを知れ」と言った場合は注意が必要だが、個人的なレベルでは、足るを知るのは満足に生きるために良い指針だと思うわけである
本をたくさん読んでも、実践できなければ意味がないし、実践できる事柄は限られる
そう思うと、私のような負け犬を釣るための自己啓発本など、もう買う必要がないことがわかる
といっても、限度はある。必要な量は固定だし、欲しい量も人生を充実させるにはある程度は必要である
結局、私を悩ませているのは「満たされない何か」という本能であり、これが本を買ったり数学をやりたくなったりする誘因になっている
真面目に議論するなら、お好み焼きをクラスとするかも怪しくなる。
オフトピだがね。
オブジェクト指向が栄華を極めたあの時代、責任、関心、主体性、凝集、アイデンティティ、is-a has-a、… 研究者やギーク、仙人らによって、あらゆる説明がされたが、結局、オブジェクト指向は現実世界を捉える人間の感覚の応用でしかなかった。
「モノ」と思える奴をクラスにすればいい。
それ以上でも以下でもなく、あとはプログラミングの構造を整理するために有効に使えるケース・バイ・ケースの妥協点を探すことになる。どうモデリングすべきかの議論は収穫が少ない。いや、極めれば霧の向こうで信じがたい洞察を垣間見れる可能性はあるにはあるが…、しかし多人数でソフトウェアを維持管理するのが正解だと分かった今、属人性を排除するためには霊感を説明するよりシンプルに留めるのがベスト・プラクティスだ。
プログラマーの関心が関数型に移ったのは、そういう経緯もある。数学をバックグラウンドに持つ関数型言語をバックグラウンドにする方が、ミーハーな技術屋連中の興味を引けた。
ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!
80年経っても銅像が残ってる⁈⁈⁈⁈⁈
はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!
今から同期で一番早く課長になって部長や区長になって局長になって!!!!!
定年後も市政に影響するような男になれたとしても!!!!!!!!!!!
俺の親父だって俺と同じ顔で背も低い高卒郵便局員!!!!!!!
現代に生まれていたら結婚も不可能だったに決まっている!!!!!!!!
現代の結婚には性格や学歴や収入と同様に顔や身長が不可欠だから!!!!!!!!
子供がいなくともその名が残るニュートンのように!!!!!!!!!!!!!!!!
大学生の時に社会に出られず何も成し遂げられず白血病で死んだ従兄のように!!!!!!
郵便局を定年退職した後に毎日ボケっと刑事ドラマ観て病気でポックリ死んだ親父のように!!!!!
ぼく「どうしたら今死んでも後悔しないような偉業を成し遂げて、後世に名前を残し人生の生きた証を残せますか?」
大馬鹿クソボケ発達「良い焼肉を食べて旅行に行って良い温泉につかりな。幸せになれるから」
友人と良い焼肉食って旅行行って温泉浸かったら!!!!!!!!!
今末期癌を宣告されても!!!!!
「我が生涯にいっぺんの悔いなし!」って言って!!!!
その場で自害できるような人生のモニュメントを築けるか!!!!!!
消えたくない!!!!
残れ!!!!!
ヒンメル!!!!
立派な像が立つ!!!!!
なりたくない!!!!!
消えたくない!!!!!
人生は虚しい。
なんか似てるなぁ?
手の混んだことをやる人はどんどん減っていく
ゲームもクリアに時間がかかりすぎるようなのは誰もやらなくなるし、小説も手の混んだ文学手法を使ってるようなのは誰も読まない
例えばチェスについて考えると、「チェスの地元グループに参加して、そこから練習して、大会に出て、レートを上げて」というタイプのめんどくさい道を通る人はいなくなり、
オンラインでテキトーにゲストとして参加して気晴らしにやる人が増える
あるいは数学を趣味にする場合も「コホモロジーとはなにか」みたいなめんどうくさい理論を理解しようとする人は減り、組み合わせ論のアルゴリズム問題のように、前提知識がそれほどなくても取り組める題材を選ぶ人が増える