はてなキーワード: 摂氏とは
飢餓「うぃーす、おつかれさんでーす」
飢餓「ウィッス〜、なんか国ちゃんがそろそろ困ってるかな〜って思って〜」
戦争「オイッス〜、お疲れィ〜」
戦争「オゥ〜、飢餓が仕事するってなったら俺もそろそろ出番だろうと思ってヨォ〜わざわざアメリカから来てやったぞォ〜」
疫病「マジっすか〜!流石先輩っス〜!」
飢餓(いや、だって出掛けようとしたら戦争先輩が出待ちしてたんですもん!)
疫病(だからって国ちゃんのとこに来ちゃダメでしょ!戦争先輩来たらまた職場無茶苦茶になっちゃうじゃん!)
飢餓(そんなこと言われてもぉ〜)ゲッソリ
疫病・飢餓「いえ!何も言ってないっス!」
戦争「そうかァ〜!よォ〜し、最近はいろんな道具があるからなァ〜!使うぞォ〜もらうぞォ〜」
疫病・飢餓「はぁーい…(国ちゃんの後片付けが大変そうだな…ドンマイ国ちゃん)」ゲッソリ
一方その頃
国「はいこちらマスク二枚の方!あと、申請書類の方は?まだ出してない!?早く出してね!出してからまだとか言ってね!うちの国に富豪はいませんので!!少ない財政から頑張って出してるから!だから書類はしっかりとしてね!はいそっち!あ、さっき疫病って店員から接客されたけどまだ商品が届いてない?とりあえずこっちの病院行きのレーンの最後尾に並んでてね!順番だからね!はいそっちは?桜を見る会?今見にいけると思ってんの!?とりあえず家帰って去年の桜の画像でも見てきな!名前と顔は覚えたからね!はい次そっち!だから十万円は今日すぐじゃないって!牛も魚もそう!詳しくはごめんだけど自分で調べてくれる!?んでそっちは!?さっきと言ってることが違う!?混乱しててごめんなさいね!?はいそっち!疫病って店員に注文したけどまだメニューが来ない!?もう一回注文聞きますので病院行きのレーンの最後尾に並んでもらえます!?はいそっち!27度のお湯を撒け?華氏と摂氏もわからん奴が適当抜かすな!80度の熱湯まくぞ!はい次!…」
https://logmi.jp/business/articles/175740
ケーキのレシピにちょっとラム酒を入れるとか、七面鳥料理のグレービーにワインを加えるとかする時に、沸騰してアルコールは飛ぶから問題ないという話を聞いたことがあるかもしれません。
これは部分的に正しいことです。アルコール分のいくらかは飛んでなくなります。しかしすべてがなくなるわけではありません。アルコールをなくすためにはいくつかの条件が必要なため、料理ができ上がる頃にはすべてなくなっていると決めてかかることはできないのです。
加熱されることにより、調理中にアルコールが蒸発すると考えるのは筋が通っています。エタノールという、飲むことの可能なアルコールは沸点が比較的低く、だいたい摂氏78.5度くらいです。
加熱調理する時は通常それより高い温度になるはずです。しかし、料理中のアルコールは沸点に到達したらすぐに蒸発するわけではありません。時間がかかるのです。
1869年、ドイツの生理学者フリードリッヒ・ゴルツ(Friedrich Goltz)による脳を切除したカエルを用いた実験が発端と見られる。
しかし、ゴルツの実験でも脳のあるカエルは摂氏25度から落ち着かない様子になり、温度が上がるごとに激しくもがき苦しみ42度で死んでしまった。
1873年、ジョージ・ヘンリー・ルイス(George Henry Lewes)による追試験結果がネイチャーに掲載された。
この実験は、精神の所在(つまり、反射ではない意識)を探ろうとするものだったが、
1872年と1875年に生物学面からの反証、つまり十分穏やかに昇温(一例では0.002℃/秒)させれば脱出しない、とする報告が寄せられた。
1888年、アメリカの生物学者ウィリアム・トンプソン・セジウィック(William Thompson Sedgwick)は、温度変化の速度差が原因と解釈し、これが定着した。
両方、温度の表し方です。
摂氏というのは、日頃、「今日は38℃の猛暑日だ」「氷ができるのは0℃」「水が沸騰するのは100℃」
という時の、「普通の」測り方です。
水が凍る温度を32°、水が沸騰するのを212°、その間を180分割しています。
なんで、こんな風に区切ったかは、諸説あるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E6%B0%8F
世界中、大体、摂氏を使っていますが、アメリカはまだ華氏を使っています。
「気温が80°だった」なんて言い方しますので、びっくりしますが、
日本にいる分には、あまり華氏に接する(煩わされる?)ことはないと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418246134
昔、こんな小説を読んだ。
近未来、すべての情報が国家の管理下に置かれ、有害な情報は人々の目に触れないように抹消される時代。その時代に一人のエロマンガ家が、この世でもっともエロいマンガ「華氏8710度」を描いた。エロさのあまり、それを読む男たちはみな精液を漏らしてしまう。直ちにそのマンガは禁書となり、紙ベースでもデジタルデータでも所持しているだけで処罰され、データは破棄される。しかし、この伝説のマンガを何とかして後世に遺そうと考えて勃ち上がる男達がいた。彼らは、マンガを人間の肌に彫り込むことによって、弾圧を免れようとした。そこで10人のうら若き乙女が背中を堺の職人さんに晒し、針が一本一本丹念に刺されていく……というあらすじだ。
長い間、この小説のタイトルも作中作のマンガと同じ「華氏8710度」だと思っていたのだが、ネットでいくら検索してもヒットしない。どんなにマイナーな小説でもタイトルがまったく検索にひっかからないというのはおかしい。ということは、記憶に間違いがあって、小説のタイトルは何か別のものだったのだろう。
残念ながら、作者名も、どういう媒体で読んだのかも、すっかり忘れてしまった。いま覚えているのは、上に書いた粗筋だけだ。
なお、作中に登場する「堺の職人さん」というのは、当時、テレビの通販でよく出ていた堺の包丁職人のパロディだろう。堺の包丁職人は包丁一本一本に丹念に名前を彫り込んでくれるのだが、この小説では、刺青の彫り師に置き換えられているというわけだ。
「華氏8710度」というのは、もちろんレイ・ブラッドベリの「華氏451度」の捩り。マイケル・ムーア監督の「華氏911」もブラッドベリの捩りだが、記憶にある小説を読んだのはそれより前なので、直接の関係はない。また、先に紹介した粗筋から、ブラッドベリの別の小説を連想する人もいるかもしれない。
「華氏451度」というのは摂氏に換算すると233度で紙が自然発火する温度だというのは有名な話だ。本当にその温度で紙が発火するのかどうかは知らないけれど、少なくともそれがタイトルの由来になっているのは間違いない。では「華氏8710度」はどうか。ざっと計算してみると摂氏4821度くらいだが、この温度そのものに特に意味はないだろう。作中では全く説明されていなかったが、「8710」という数字の並びを目にしただけで、関西人なら「ハナテン」と読む。これ常識。そして「ハナテン」を漢字で書けば「放出」。これも関西人にとっては常識だ。従って、このタイトルは射精を暗示していることになる。たぶんその解釈で間違いない。
「ごめんください」
「何や今時分、おお、お前か。まあ上がり」
「どっちの足から上がりましょ」
「お前と掛け合いで落語やる気はない。早よ、上がれ」
「へへへ。ほな失礼します」
「失礼は毎度のことやんけ」
「何です」
「いやいや。ほんで何やねん」
「ほおん、なるほど。で、その心は」
「別に謎かけやないんですが、まあ、しんどいちうことと、ええ歳していつまでもこんな仕事してたらあかんなあと思いまして」
「せやなあ、今年は蟹の水揚げが不調やしな」
「いったい何なんですか、ぼくの職業は。多喜二ですか」
「軽い冗談や」
「まあ、ほんまにそれくらい厳しい労働条件ですけどね。いっそアカになったろか思いますよ」
「ほな、俺、公安ね」
「なんで今からごっこ遊びせなあきませんねん」
「せやから軽い冗談や、言うてるやろ。で、辞めてどうするねん」
「何やて」
「ほら、ぼく、ワードやエクセル使うの得意ですやん」
「ワード……、エクセル……」
「何ですか」
「お前、キーパンチャーにでもなるつもりか」
「何ですか、そのキーパンチャーて」
「それはやな、君」
「なんでいきなり噺家口調になるんですか」
「シーモンキー。滅茶滅茶遠いし」
「とにかく俺が言いたいのはやな、お前ほんまにワードやらエクセルやら云々でコンピュータ関係の仕事に就けると思てるんか、ちうこっちゃ」
「ああ、判りました。いつもの口癖ですね。プログラム作れん奴はコンピュータ触るな、とか、ユニックス判らん奴はネットに出てくるな、とか」
「まあ、そういうこっちゃ」
「でも、コンピュータ関係の仕事には絶対にプログラムの知識が必要なんですか」
「んー、そういうこともなかろうけどな。まあでも、ソース読めへんSEとか管理者っちうのはちょっとぞっとするわなあ」
「実はね、そうやろうと思ってぼく最近プログラムの勉強してますねん」
「ほほう」
「あっ、いきなり薄笑い浮かべてますやん。滅っ茶馬鹿にしてるでしょ」
「C言語です」
「くくく」
「あっ。腹立つ、このおっさん」
「くくく。まあ、しっかり頑張りたまえよ」
「何か悔しいなあ」
「で、どないして勉強してるねん」
「へへへ。ちゃんと例のやつ買ったんですよ」
「例のやつて何やねん」
「いつも言うてはるやないですか。バイブルやて。R&Bですよ、R&B」
「R&B」
「そうです」
「K&Rやろが」
「そうそう。そうとも言う」
「そうとしか言わんちうねん」
「今どれくらいまで進んでるねん」
「それ、滅茶苦茶初めのほうやんけ」
「お前、パール書けたっけ」
「えっ。あれって自作やったんか」
「ちゃいますけど、ちゃあんとタイトル書き換えて使ってますやん」
「……」
「頭抱えてどないしはったんですか」
「そうです」
「お前な、何かをものすごく誤解してるか、世間をものすごく舐めてるかのどっちかやな」
「えへへ。そうかな」
「あかんわ。褒められたと思とる」
「C言語覚えたら次はシーインクリメントですわ」
「なんやて」
「シーインクリメント」
「そうです。何か変ですか」
「まあ『++』は確かにインクリメント演算子やけどな。普通はCプラプラって言うやろ」
「変ですやん、そっちの方が。大のおとなが『ぷらぷら、ぷらぷら』言うて」
「確かに宮沢章夫もそう書いてたけどな」
「お前なあ、自覚ないやろけど、それはものすごく難しい質問やで。一言で、て」
「けち臭いこと言わんと教えてくださいよ」
「またまたあ、わざとややこしい言い方して煙に巻こうとしてるでしょ」
「むかむかむか。そしたら言うたるわい。C++ちうのはやな、要はクラスの概念を実装したもんで、クラスちうのはインスタンスをうんたらかんたらで、継承とオーバーライドがこーたらで、ポリモーフィズムがなんたらで、隠蔽がどーたらで、うらうらー」
「……」
「……」
「はあっ。はあっ。どうや、参ったか」
「うーん。何かよう判りませんわ」
「なんか難しそうやから、C++やめて次はJavaにしますわ」
「ぎゃふん」
文芸春秋が先月出した単行本で、「理系の子」というのがある。書評を検索したところ、おおむね好評であるようだ。
たしかに本はとても面白かった。登場人物はそれぞれ個性的だし、エピソードは魅力的で印象に残る。構成もよく練られていてとても読みやすい。
だが、おれは気に入らない。この本は文系の著者による文系の読者のための文系ならざるところはない本だからだ。あいまいで科学的厳密性に欠けるものだからだ。
たとえば、第二章では、「太陽エネルギーによって部屋を暖め、湯をわかすヒーター」が登場する。著者は次のように説明している。
太陽の光がプレキシガラスを通過し、光を最大限に吸収するよう黒く塗られた炭酸飲料の缶に囲まれたラジエーターを暖める。そこから暖かな光がパイプを通じて部屋へ送られ、室温を摂氏三十度以上にすることができ、さらに沸点近くの九十五度くらいまでの湯をわかすことも可能だというのだ。
お前らこれでどんな装置か想像できるか。水温測ったら九十五度でした、以上の情報はおれには読み取れない。
ラジエーターは何のためについてるんだ?装置内で水は循環してるのか?そういう説明は一切ない。
また第六章では、水中のポリフルオロオクタン酸(PFOA)の濃度を正確に計測する方法として
PFOAを含む水を煮詰めて振り、表面にどれほどの泡を生じるか観察するだけでいいのではないか?
と書いている。いいわけないだろ。あのな、お前本当に知らないかもしれないから言っておくけど、界面張力ってすごく微妙で他の有機物はもちろんちょいと無機塩が溶けるだけで変わってきちゃうんだぞ。
そして、この測定法について「この方法でも九十二パーセントの精度で水に含まれるPFOAの量を測定できることがわかった」と書いているが、九十二パーセントの精度ってどういう意味なのかおれにはわからない。測定誤差が八パーセントってことか、ばらつきが九十二パーセントあるってことか、どっちだよ。
測定誤差が八パーセントなら測定誤差が八パーセントと書くべきで、訳文から感じ取れる「こんなに正確に測れるなんてすごい!」的ニュアンスからすると多分こっちかなあという気がするが、でも一○八パーセントの方はどうなっちゃうの、と思わざるを得ない。あるいは、この方法は簡易測定法なんだから、ばらつきが九十二パーセントあったって充分有用なのかもしれない。でも、それならそれでもうちょっと他の書き方があるだろ。測定誤差が大きい測定法なのに、そのことについて触れないとしたら、それは不誠実な態度ってもんだ。
第十一章はカーボンナノチューブネタだが、ナノ粒子についてこう書いている。
お前なあ、と書いて終わらせたいところだが、一応二点だけ突っ込んでおく。
髪の毛のおよそ十万分の一、というのは「髪の毛の太さの十万分の一」というつもりだろうが、太さという重要なタームを省略する感性は理解しがたい。それに、髪の毛の太さが何ミリかお前ら知ってるのか。おれは知らない。ナノ粒子ってすごく小さいんですよ、と言いたいのならもっと具体的にイメージできるものと比較しろよ。「分子よりもわずかに大きいだけだ」って、大きさをどう評価するべきか、という議論も可能だし、そもそも粒子と分子を無造作に並記する鈍感さにうんざりさせられる。
他にもいくらでもあるが、以上を要するに、著者は彼らの研究内容を理解していない。
そして(著者略歴によれば)他の雑誌はともかくWiredに寄稿していることからして、自分が理解していないということは認識していただろう。つまり、理解しようという気がなかったと断定していい。この本の帯には「科学はこんなに楽しく、熱い」と書いてあるが、著者が書いているのは科学の楽しさや熱さではなく、参加した高校生が楽しんだり熱中したりしているその姿である。著者にとっては、そしておそらくこの本のメインターゲットであろう多くの文系の読者にとっては、研究内容などどうでもいいことなのだ。
消費される娯楽。この本に対するおれの評価はそれに尽きる。こういう本が出版されること自体が遠まわしな科学へのdisではないのか。
マジレスすると、意外と知られていないが、お湯も摂氏0度まで温度を下げると凍るし、100度で蒸発する。
やべぇ、これ言っても良かったのか!?