はてなキーワード: 排他とは
この世で一番素晴らしいものは愛とか情とかみたいな考えが人間界ではいつも幅を効かせているけど、愛は本人たちにとっては素晴らしいかもしれないけど外野にとっては排他や暴力を感じる事がある
理想はともかく、実際は、男にとっては彼女ができれば他の男は潜在的な敵だし、家族ができれば他の人間は家族を生かすための道具だし
既にいくつかの増田において触れられている点ではあるが、元増田の見解は類似性の解釈適用の面で、相当程度「アイディア」保護論的な立場に立っており、一般的な法解釈、裁判例の理解とは遠い立場となっているように見受けられる。ただ、その点の指摘よりも増田の大まかな論調に同意する反応も比較的多いようであるので、念のため著作権法を学部時代に諦めた現役ヘボ弁護士が言及しておきたい(著作権の基本書等すら引っ張り出さずに雑に書いただけなので匿名で。)。
そもそも、著作権は、実質的要件を満たしただけで、つまり創作をしただけで当然に発生し、他者に対する差し止め等、排他的独占的な行使をすることができる極めて強力な権利であるという性質を持つという基本的なところを押さえておきたい。知的財産法で言えば、特許権や商標権、実用新案権等、いずれもその強力な権利の代わりに、形式的要件として登録や公開などの制約が課せられていることと対照的である。
これは、著作権法の目的である「文化の発展」のため、創作活動を行った者を保護することが重要であると考えられたために作られた制度であるが、他方で表現は多かれ少なかれそれまでの表現の歴史との連続性の中にあるものであって、いかなる他の表現に一切依拠しない表現というものはあり得ない以上、創作者の保護にも自ずから限度も存在する。著作権の保護の範囲を過大なものとしてしまえば、強力な著作権の排他性ゆえに後続の表現が委縮してしまい、逆に文化の発展が阻害されることになってしまいかねないためである。そこで、アイディアとそれを具体的なものに落とし込む表現とを峻別し、具体的「表現」のみを保護の対象とし、「アイディア」は保護の対象にしない、という「アイディア・表現二元論」が著作権の保護範囲論の最も重要な原則として長く受け入れられてきているわけである。
類似性における「表現上の」本質的な特徴が何であるのかということを考える際も、この点は忘れてはならない点であり、その絵がどういう物を描いているのかという漠然とした「本質」ではなく、その絵をその絵たらしめる「表現」がどこにあるのかということを考えなくてはならない。
と書いていることや、
目の見えない人に、件の女性が描いたイラスト説明することを考えてみろよ。
・真横を向いてふりかえった構図
と書いていることはかなり「荒い」議論であることがわかってもらえるのではないだろうか。
もちろん、構図や身に付けているもの、ポーズ等の選択が表現と言える部分もあるが、「表現」となった部分には独占的な権利がこの作者に与えられるのだと考えれば、この程度の特定の仕方では「アイディア」に近いものと断ぜざるを得ないことはわかるだろう。元の絵の構図やポーズが、この作者にしか生み出せない創作的表現で、この作者のみが独占的に描くことができるものだとしていいのか、と考えれば、「いやいや、そういう抽象的な構図、ポーズはありふれたもので、独占的に他を排除できるほどオリジナリティがあるものではないだろう」と思う人が多いのではないか。ポーズの選択についても、せめてもう少し具体的な言及が必要である(「半身(横向き?)に構えて首を曲げて顔を正面に向けた状態で、奥側にある右手を顔の付近に持ってきてそこに画面を正面に向けたスマートフォンを持たせたポーズを、胸元から頭頂までをグラデーションの背景のみで画面中心に収める構図で描いていること」とか、絵の心得がないので適当だが。)。あえて言えば帽子は特徴的だが、全体として見れば帽子の比重は強くなく、塗りの特徴やくっきりとした主線等の「絵柄」、表情や体形、手に持った筆や鉛筆等の小道具の選択、スマートフォン画面の表示内容、服装の選択等といったあたりも、元の絵の「表現上の」本質的特徴に含まれると考える方が私としてはしっくりとくるところである。無論この辺りの具体的線引きは最終的には正解のないところであろうが、元増田のとらえ方は不正解と言ってもおかしくない程度に極端な議論であるとは言えるものと思われる。「本質的特徴」や「創作的表現」というテクニカルタームはその文字面に反して非常に解釈が難しく、安易な素人判断を信用するのはやめた方が良いだろう(それは私のこの投稿も同じようなものだが。)。
なお、依拠性がある以上類似性で争うのは無理があるだろうとか、AIが翻案したんだから翻案権侵害は確実だろうというような反応がブコメに見られるが、コーヒーを飲む男性の写真をトレースした事案で侵害が否定されている地裁事例からすれば単純化し過ぎた判断だろう
さて、突っ込みは以上だが、ついでにもう少し著作権の保護範囲について考えたい。完全に私見だが、著作権権侵害事件における本質的特徴とは、「その人にしかできないその表現の魅力はどこにあるのか」というところから考えれば少しわかりやすくなるのではないか。著作権法を運用するにあたって、何を保護し、何を保護してはならないのかと考えると、それを作った人が生み出した、その人らしさの表現こそが保護されるべき、でいいじゃないのというイメージである。恐らく、現実に絵を描くときには、構図や服装を考えることも大変で、そのためにいわゆるトレパクが嫌われるのだろうが、構図や服装だけでその人らしさが出るレベルとなると相当特異だと考えられ、それを保護してしまえば逆側の弊害(委縮)が大きすぎるのではないかと考えるし、その人らしさの部分が保護されれば、いくらトレパク等の邪魔が出ようとその人が創作をする価値は失われないはずなのではないだろうか。無論、この辺りの創作側の主観的「大変さ」と法的保護の乖離の部分はまた難しいところではあるが、意図的に特定の作家からのトレパクやそれのみを材料にしたAI学習、出力が続けば場合によっては不法行為等を構成することはあるだろうし、ばれた時の社会的制裁は大きなものになるだろうというあたりでバランスをとるしかないのではないかと今のところは考える次第である。
昔のキモオタは家庭環境や容姿や才能や人間関係に恵まれず、社会不信を募らせ生きる目標や将来の夢が無く、一時的に不貞腐れ自暴自棄になり、気の合う仲間と刹那的快楽に現実逃避しているタイプの人が多かった。だから昔は一人ひとりは素直で明るくひょうきんな人間だった。
惨めな自分が嫌で馬鹿にされたり苛められたりされたくないから、オシャレさを感じない娯楽にはまり、当時の常識人には理解できないような格好をしてアニメ絵のステッカーの貼られている車を乗り回すなど虚勢を張ることである種の自己防衛をしていた。
しかしそういった当時の青少年少女の問題は大人の問題。クズだのキモいなどと批判し排他すれば、却って自分を肯定し愛せるようになるために昔のキモオタやDQNヤンキーに憧れる青少年少女がまた世に出てくる。彼ら彼女らに不足しているのは愛。彼ら彼女らを批判する者も同様。
追記でブコメに反応いただいた id:koo-sokzeshky です。
私のブコメ:
解がさっぱり分からんので、素人が言えるとしたら「統計的差別を容認する前にせめてトランス差別解消の意思を見せろ」くらいだと思うけど、そうすると「その前にせめて性犯罪問題解消の意思を見せろ」で膠着状態に…
増田氏の反応:
(引用)
これだけ言ってもまだわからんか。
黒人差別反対の主張に対して、「黒人差別の解消を叫ぶ前に、その前にせめて黒人による犯罪の多さの解消の意思を見せろ」と要求するクソな醜悪さがわからんのか。(実際に過去にも今もそういう主張する白人、わりといる)
「膠着状態」になんてなんないよ。なぜそんな意見を考慮する必要があると思うの?「せめて黒人の犯罪をなんとかしてから黒人差別反対を訴えろ」と思うのか?それと全く同じ主張を差別反対と同列に扱ってると自覚できんのか。
なぜ分離排斥されてる被差別弱者に「問題解消の意思を見せろ」と要求して当然だと思ってるんだ。
「その前にせめて」じゃねえよ。
言い訳になるけど私のブコメは、個別には筋の通っている複数の主張がぶつかったときに「その前にせめて…」式の優先順位の取り合いが発生しちゃって難しいね、というボヤキです。
「その前にせめて性犯罪問題解消の意思を見せろ」が私の主張ではないのです(そう言う人にも同情的なのは事実だけど)。
というか、「性犯罪の危険性を強調することで特定の属性をまるごと排除するのは黒人差別と同じ構造であり、手放しに肯定できるものではない」という点については完全同意なのよ
(構造が同じならすべてが同じというわけでもないが、ではトランス差別問題に固有の話は何かということになると、私は明るくないので論じられない)。
なお、増田氏が私のブコメを「誤読」した等と主張するつもりはなく、基本的に私の書き方が悪い。伝わってて怒られたのだとしたら私の理解度が低い。
なぜと言われると一言では難しいが、一般論としては、あると思う。
というか、私もできているとは言いがたいけど、一般にリベラルは非リベラルを含む他者の主張(場合により差別的だとしても)の背後にある問題意識を無視すべきでないと思っている。
これはしばしば保守派がリベラルを批判するときに言っていることで、限度はあるにせよ、方向性としては確かにそうだなあ、という感想。
なお考慮とは「その通りにする」という意味ではなく、検討材料にカウントするということ。
当然ではないだろうけど、ちょっと整理が要る。
この要求がまだ満たされていないと思う場合は教えて貰えるとありがたいです。実際、私が未だにわかってなくても不思議でないので…。
なるほど、わかる。ただ、『トランス差別を問題視する人が「当然、男性も含めて皆で負担するのだ」』はどうなの、という気がする。悪いリバタリアン的。逆に差別を問題視する人がいなければ差別を放置していいのか。
「悪いリバタリアン的」は実は薄々思いつつ端折ってしまい申した。
"皆で負担" は一見社会主義的だけど、逆説的にリバタリアンがこういう主張をすることがよくありますね。
ソーシャルリベラル的な批判としては、最終的な理想だけを(まるで既に実現しているか、もしくは容易に実現可能であるかのように)述べても、今そこにある問題の是正について議論が進まない、これでは一向に不公正が無くならない……という反応になる。
しかし一方で「現状はともかく、理想はこうだよね」という確認作業も大事ではあるんだよなとも思っており、まずはそこで合意を示しておくべきかな、と思った次第です。
理想論と現実論の混同は色んな話題でよく揉めますよね。混同しなくても単体でも揉めるけど。
・DD論はやめろ
2ch的レスバはやめろという気持ちだが、気持ちは置いといて、その2点については良い指摘だ。
それと "2振りの武具" とやらはリベラルの傲慢さを批判したいのだろう。その連帯責任を私に求めている? それとも私のエントリに該当箇所がある?
https://anond.hatelabo.jp/20230123191448
アイマス系に興味ないわけではないんだが、こういうの見るたびに怖ってなって近寄りがたい。 結局ずっと二の足ふんでる。
自分も昔アイマスの界隈に関わっていたことがある。というか、まさにこういう排他性を何とかしようとして、「アイマスを広く布教しよう」などと考えてブログを書いたり、動画を作ったりなどしていた。結果は全くの無駄。何年やってもブログも動画もPV0だった。それ自体はアイマス界隈の排他性は関係なく、自分の無力無能さが原因で、そもそも誰にも知られていない、見られていない、認識されていないことが問題だったが。
しかし……界隈から離れて数年、やはりそれでもアイマス界隈が排他的であることを再認識させられると、「よかった」という安心と「やっぱり」という納得の気持ちが生まれてくる。
アイマスは今年で20周年だか25周年だとか。その長い間排他性を維持し続けてきたということは、界隈の人々はつまりそういう選択をしたということなのだろう。そりゃ、あの頃自分が何年続けても空振り続けるわけだ。「やっぱり」、自分がやってきたことは無為無駄だったのだ。
また、改めて自分のやってきたことが無意味だったことを確認できて「よかった」。もしもあれらの行いに何らかの意味があったのであれば、辞めてしまったのは勿体なかったのではないか……と思わないでもなかったが、真に無駄だったのであれば、辞めた選択は正解だった。
辞めたのは間違いではなかった。諦めたのは正解だった。何もかも無意味だった。無駄なことをせずに済んだ。流れに逆らわずに済んだ。
増田を全削除するのであればPower Automation DesktopかSelenium IDEあたりでも使えば可能ですが、中にはブクマを集めた珠玉の増田やブクマは付かなくても割と気に入ってる増田もあるので全削除はしたくありませんでした。
Masuda Deleter
https://github.com/oribeolive/masuda-deleter/
Masuda DeleterはDockerコンテナに環境を作って動くのでDockerが必要です。
M1 Macで動作していますがWindowsは検証できるマシンが手元にないので動作未確認です。
インストールはGitHubのREADMEに書かれたコマンドを実行すればできると思います。
Masuda Deleterははてラボにログインして指定されたページ分の自分の増田の投稿をスクレイピングしてローカルのDBに保存します。
取得された投稿のリストがブラウザで見られるので、そこで削除するものを選んで実行すると、またログインして投稿を削除しにいきます。
ページのアクセスごとに読み込みと遠慮のために1秒から数秒sleepするので少し時間がかかります。
一旦投稿をローカルに保存するという過程があるため副作用として自分の投稿を検索できます。
これにより
が容易になります。
増田にはAPIがないので、IDとパスワードを使ってログインして、表示されている文章をスクレイピングしてくるという原始的なやり方になります。
(2回目からはcookieがある場合はcookieを復元してログイン状態になります。)
ユーザーが知らない外部サイトにクレデンシャルを渡すのは危険であり、サービス運営側としてもパスワードを平文で持ちたくないので、Webサービスとして実装せずセルフサービスとしております。
ユーザーによってローカルの.envファイルに書かれたIDとパスワードを使用する形です。
ソースをオープンしておりますので怪しいことをしていないかも確認ができるかと思います。
一応下にプログレスバーが出ますが、ページ遷移すると見られなくなります。進捗は進捗管理でも確認できます。
取得された投稿はリアルタイムで画面に反映されないのでブラウザをリロードしてください。
増田のID、タイトル、本文の省略、投稿日時、ブクマ数、トラバ数が表示されます。
「あとで消す」投稿をチェックし、「あとで消す」記事をついに消すボタンで削除を実行します。
チェックは別のページに遷移しても有効です。
こちらは実行した時点で表示されているページのみリアルタイムに画面に反映されます。
投稿の全文を見られます。タグ等は取得しないのでテキストのみになります。
投稿を個別に取得してローカルの文章とブクマ数とトラバ数を更新します。
対象の投稿のタイトルを空に、本文をスペース1文字にしにいきます。
処理の進捗(何件中何件処理済みか)を見ることと、処理を停止させることができます。
排他処理(取込と取込、特定IDの削除と同じIDの削除等)にしているので動いていなそうな処理を停止して再度処理を実行するときに使います。
停止する場合は停止ボタンを押すか、それでも停止しそうにない場合は強制停止ボタンを押してください。
「停止」は今行っている最中の処理ではなく次以降の処理を停止するという形になります。
停止ボタンを押したときに4ページ目を取得している場合は、5ページ目の取得を始める前に処理を終了することになります。
そのためプロセスそのものが止まっている場合は停止されません。
「強制停止」はプロセスをkillします。スクリプト名とプロセスIDでプロセスを検索して子プロセスも含めてkillします。
おまけとして、投稿日とブクマ数、投稿日と3ブクマ以上の投稿の件数、投稿時間(hour)ごとの1ブクマ以上の投稿の件数のグラフが見られます。
ブクマが付いた瞬間ではなく投稿日時なので、いつの時期に投稿した、何時に投稿した増田が活きが良いのかを見られる程度です。
集計データを別に持っていないので増田を削除するとグラフに使用されるデータも消えます。
私はこれで多いときには4000件程度あった増田を3000件程度に減らしました。
これを開発する前からも増え続ける増田の削除に日々勤しんでいたので総数はもっと多いはず。
まだまだ削除したいです。
たまに
Message: unknown error: net::ERR_CONNECTION_CLOSED
というSeleniumのエラーが出て処理が実行されないことがあります。再度実行してください。
フロントエンドがレガシーなのでMasuda Deleterの開発に飽きていなければもう少しモダンにリプレースしようと思っています。
使用していないDjango REST frameworkがrequirements.txtに入っているのはその名残です。
ごめんcolaboの話するね。
仁藤夢乃さんの一般社団法人Colaboの不正会計に関して、東京都監査委員が「本件清算には不当な点が認められる」と報告したことに対して、
社民党副党首「私が不正会計だと考えていないので調べる必要ない」
税金が公正に使われるかどうかは、裁判所や納税者ではなく、社民党が決めるんですね。
と述べている。
ここで注目したいのは「私は」を「私が」にわざわざ変えているところ。
助詞の「が」は排他の意味もあり、「私が」だと絶対的な意見のように聞こえてしまうのでこの書き換えは好ましくない。
このツイートが3万以上ものいいね。colaboが見解を出しても、巨大なフォロワーを持つインフルエンサーによって掻き消されていく。辺野古の一件もそうだが、手弁当で長年活動して来たような人達は思う存分叩くが、もっと大きな問題とは闘わない。
ひろゆきくんのツイートにいいねがついてることを憂うような発言をしたところ、
公認会計士を含む東京都監査委員の報告
「Colaboは高額なレストランの食事代、宿泊代、理解しがたい物品の購入代に税金を使ってる。また、契約上はありえない遠隔地の宿泊代を計上するなど、妥当ではない経費を計上して不当な請求をしてる」
社民党副党首「3万“いいね”だから調べる必要ない」と擁護。
どう読んでも「3万“いいね”だから調べる必要ない」とは書いていないので、ここでもひろゆきくんの書き換えが炸裂している。
じゃあひろゆきくんの読解力がないって話になるかといえば、そうではないと思う。
彼はただ人々の反応が大きくなる言い方をしているだけ。2chでいう釣りスレである。
twitterの民はサビキのように釣れるので、彼は楽しくてしょうがないのだろう。
整合性なんて彼は気にしていない。どれだけ釣れるかが彼の根本だからだ。
彼が昔から変わってないことが知れたので僕は嬉しいです。