はてなキーワード: 抽象化とは
「初学者のなんでも質問スレ」とかで、親切にもわざわざ相手しに来るのに、問われたことに対してわざわざ抽象化して格言じみたことだけ書いて、それに対して追い質問したら
「これがわからないやつは才能ないから辞めろ」とか突き放したり。
分かるように説明するとか、答えを与えるとか、特に相手がそれを求めた時に急に気配変わって猛烈に拒否する性分に人多過ぎない?
殺していいか?
ついつい追記
https://anond.hatelabo.jp/20240507210400
ってはてなーは良くいうけど
「ハゲ男」や「チビ男」を搾取するアニメや漫画ばかりになったら同じこと言えるのって思う
ハゲやチビは毎回いじられ、ふさふさや高身長を見るたびに「男性として魅力がない」と貧乳キャラのように自虐する
服を買いに行くシーンでは「短足だから似合わない」描写が入り、裾上げは10cm以上という自虐ネタが入る
水着回のたびハゲは髪を乾かす必要がないことをネタにし、チビは短足を恥ずかしがる描写や、プールに1人だけ足がつかず溺れる描写が入る
「ハゲでも女と遊びたい」という女と遊びたい先輩をハゲを理由に否定し続ける漫画が生まれる
ヒロインから「チビには人権がない」ってセリフをはかれても「コラー」の一言でチビは許す
チビが背伸びをすると「ちっさ…」というセリフが必ず入る(巨乳キャラの乳揺れに「でっか」っていう感じな)
そもそも性犯罪者やプライド高くてきちーキャラはすべてハゲかチビ
とかね。正直ハゲはもう搾取されてる気がしてて、カツラがバカにされるのも表現物の影響じゃねって思うけど
性的に行くならチビは骨格小さいからアソコも小さいと更衣室でいじられたり
銭湯いくと周りの男のデカさに羨ましいくなるとかのネタとかをどの漫画にも入るぐらいはしないといけないかな
つい追記
一応言っとくけど俺は表現規制しろだなんて一言も書いてないからな
これはフィクションは現実にまったく影響を及ぼさない一門への疑問だ
そもそもフィクションのキャラっていっても現実の人の特徴を抽出して抽象化してキャラの個性として落とし込むんだから
その抽象化された特徴を持つ人は傷つくというフィクションからの逆輸入があってもおかしくないってこと
(この逆輸入がなかったら誰も感情移入できないって話にもなりそうだしな)
これを特定のAさんを狙い撃ちしたわけじゃないから「誰の人権もー」って言い方に持っていくのは欺瞞じゃない?
フィクションにおいて特定の人物Aさんを登場させたら肖像権の侵害になるので、普通はフィクションでそんなことをしない
つまりフィクションの時点で既存の人はそもそも登場しないってことなんだからさ
目にするだけでもアホらしい、反論にすらなっていない事を理解できていない、よくある反AIの発言。
「人間の学習とAIの学習はまったく同じ」と本気で信じている者が居たら、バカだと思うだろう。同じことだ。
あくまでも一定の条件下で特定の観点から見ると、という話でしかないのだ。
反生成AI活動家の急先鋒カーラ・オルティス女史は、生成AIの出力を「21世紀のコラージュ」と見做す。
生成AIは、さまざまな作品から拝借・切り貼りしている<ように見える>
厳密に、技術的には違うとしても、そう見える。故に「21世紀のコラージュ」だと言っているにすぎない。
コラージュという技法を抽象化し、比喩に使っているだけなのだ。馬鹿でも理解できるように。
生成AIの出力を「単なる合成、切り貼りコラージュ」と公言して憚らない。みんながそう言ってるから。
学習データの一部が<実質的に>復元できてしまうことと、単なる圧縮解凍の区別も出来ない。
生成AIを文明から排除するために誇張された言葉を、すべて鵜呑みにしてしまう。
「生成型検索エンジン」という造語がある。StableDiffusionの顔、Emadの言葉だ。
これは「いままでは画像が必要な時に検索していた。しかしこれからは検索するかのように生成する時代が来る。生成AIは次世代の検索エンジンだ」という意味で、ターゲット層であるビジネスマンに向けた造語である。
しかし反AIは知性が無いので「生成型検索エンジン=検索して切り貼り=モデルに学習データそのものを保存=やっぱりコラージュだ」と、ここでも誤った解釈をしている。
最低限の学が備わっている者ならば、早々に見切りをつけたことだろう。救えぬものじゃと。
事実、反AIの中でも理解力の高かった者は次々と脱落していった。
自身から湧き出る要求が自己中心的で、何を言ってもどこかでダブルスタンダードになってしまうことに気づいてしまったのだ。
「部分的に、ある側面から見れば同一である」事に理解を示してしまうと、生成AIの全否定しか許されない村から追い出されてしまう。反AI村に居たいなら、黙るしかない。
Verwaltungsakt というのはドイツ語で、行政行為のことである。行政行為とは、行政処分、受理、それ以外に、行政庁が行う行為を抽象化し、専門化して言っている。
例えば、篠原直樹が赤塚福祉事務所から生活保護の決定があったときの、その通知書に書いている行政処分というのは、Verwaltungsaktである。
志村警察署の課長代理または課長の井ノ原が行う、被害届の受理も、Verwaltungsakt である。なぜなら、警察署は、行政庁だからである。しかし、被害届の受理は、署長決裁が要らない
どのように整理されているのかは分からない。久保田智恵子は制限された可測集合の上に存在するので、どこに住んでいるのかも分からない
金光裕鳳とは、ぺちの中に分からないように混じっているぺちであり、首都大学法学部を出て、平成25年8月8日に最後の晩餐をしたとフェイスブックに書いているが趣旨は分からない
ユナイテッド不動産だから東京地方検察庁ではないが、東京地検のように書いている。平成25年8月8日は黒羽で長谷川がラジオ体操の指導とポカリスエットの支給をしていた時期だから
特殊な訓練を受けた6人の時空犯罪者たちが、任務のせいで入り込んでしまった死のループから抜け出すために、モノリス的な奴を使って時空航行装置をいい感じにアレしてたんですね。
そんでまあなんだかんだで時空の狭間で並行世界の時空航行装置まで辿り着いたから2つの航行装置の力を使って何かアレしようとしてる所で、「保管庫で時空凍結した別の仲間を見てきてくれ」って言われて見に行ったんですよ。
んでまあ冷凍睡眠装置を見たら、今回の任務が始まったばかりの姿で保管されている仲間(今までの旅の間に2人が消滅してる)の1人が無事であるのは見つかったんですけど、1人はそもそも冷凍睡眠装置にいないんですよね。
それを報告しに艦橋に戻ったら、2つの航行装置の間でソレをアレしてる影響によって世界が抽象化されていってなんか真っ白い宇宙に点と線がフワフワと浮いてるだけになって、まあインターステラーの最終局面みたいな空間に入っちゃったわけです。
んで、このあとどうしたら脱出できるのかな、そもそも今どんな状況なんだろうって考えてたら、世界がフリーズしたんですよ。
最初、時空同士をアレした結果として世界が止まったんだと思ったんですけど、ふと気づいたんですね「あっ、俺の脳がこの状況についてこっからどういう理屈をつければいいのか分からなくなったな」って。
ストーリーテラーとしての俺の脳が全然分かってない展開をSF映画やゲームのツギハギでなんとかやってたんですが、最後の最後に派手にSF考証ぶっこんでそれっぽく最後の時空跳躍かます直前に、「そもそもどういう理屈で跳躍させればよくてそのためには主人公たちがどういう操作をすべきで世界はどういう風景になるのか」ってことが分からなくて夢が処理落ちしたわけです。
途中まで結構ソレっぽく頑張ってたのに、なんかもう完全に萎えて起きちゃいましたよ。
どうしようもないなら割り切って心象風景みたいな所で赤ん坊の泣き声でも流しておけばよかったんちゃうかと思ってしまうわけですが、それをやらずに最後まで頑張ろうとした俺の無意識の姿勢も否定しがたくはありますね。
夢ってたまにこういうことありません?
前回どういう感じだったのか言えって言われても覚えてないんですけど、たまにこういうのあるなあって感覚だけは残ってるんですよ。
数えることを学ぶときに無限に遭遇し、永遠に数え続けることができることに気づきます。
それほど独創的な観察ではないですが、いつでも1を足してさらに大きな数を得ることができるため、数えることに終わりがないことが、無限の重要な性質です。
無限にはさまざまな種類があるため、それほど単純ではありません。 1、2、3 などの自然数の量は「可算無限」と呼ばれる最も単純な種類の無限にすぎません。
正式には、自然数から他の集合への1対1の写像(注: 勝間さんではありません)がある場合、この集合は自然数と同様に無限であることを意味し、同じ種類の無限です。
実数の場合、その写像が存在しないので、より大きな無限となります。
さて、無限に演算を定義するとどうなるでしょうか。無限大に1を加えても無限大になります。自然数のある数を無限大で割るとゼロになります。
つまり無限大に1を加算すると、結果は同じ種類の無限大になることを意味します。
これらの関係を方程式として記述する場合には問題が起こってしまうことがよく知られます。
無限大を無限大で割ったり、無限大にゼロを乗算したりする場合はさらに意味不明になります。
実際には数学者は無限に対処する方法をよく知っています。ただ注意しなければならないのは、その無限がどこから来たのかを追跡することです。
たとえばxが無限大になると無限大になるx squareのような関数があるとします。
無限大がどこから来るのかがわかっていれば、もう一方から1を引くこともできます。
たとえば、1/イプシロン、1/イプシロン二乗、イプシロンの対数などの用語がある場合があります。
しかし2つの項が同じ無限大であり、イプシロンの同じ関数であることがわかっている場合は、数値と同様に加算または減算できます。
物理学では通常、これを行う目的は計算の最後にそれらがすべて互いに打ち消し合い、すべてが理にかなっていることを示すことです。
したがって数学的には無限は興味深いですが問題はありません。数学に関して言えば、無限をうまく処理する方法を知っています。
数学的な意味で存在します。つまりその特性を分析してそれについて話すことができるという意味です。
科学的には、観察を説明する必要がある場合にのみ、自然理論の要素が「存在する」と言えるからです。
そして無限を測定することができないので、観察するものを記述するために実際には無限を必要としません。
無限大は測定できないという問題は、ゼロの問題と密接に関係しています。
たとえば、点の数学的抽象化を考えてみましょう。物理学者は点粒子を扱うときに常にこれを使用します。点のサイズはゼロです。
しかし、実際にサイズがゼロであることを示すには、無限に正確に測定する必要があります。
したがって、測定精度が許容するものよりも小さいことしか示せません。
宇宙や時空のような一見無害なものであっても。空間の数学を書き留めた瞬間、そこにはギャップがないと想定します。
無限に多くの無限の小さな点で構成された完全に滑らかな連続体であると仮定します。
数学的にはこれは扱いやすいため便利な仮定です。そしてそれはうまく機能しているようです。
それがほとんどの物理学者があまり心配していない理由です。彼らは無限を有用な数学的ツールとして使用しているだけです。
おそらく物理学で無限とゼロを使用すると間違いが生じるのは、これらの仮定が科学的に正当化されていないためです。
そしてこれは、宇宙や量子力学の理解に役割を果たす可能性があります。
ジョージ エリス、ティム パーマー、ニコラス ギシンなどの一部の物理学者が、無限を使用せずに物理学を定式化する必要があると主張したのはこのためです。
24.3.18
体調の最悪期が続いていて、そうなると言葉も出てこなくなるので本当にどうにかしないといけないが、立ちあがろうとすると何かしら厄介事が降り注いできて、自分を甘やかしたくなってまた不健康にというループ。彼女とは「いいね」でなんとなく繋がっている感を味わっているが、俺が週末旅行していたことを知られていないように、俺のアップしたものは念入りに見られているわけでもなく、礼節の範囲内でのいいねであり、ただそれが単純に嬉しいという微笑ましさ、いや気持ち悪さか。自分が今あらゆるものに興味を持続させられないように、他者も俺に興味などないのだという当たり前の思考ができないバランスの悪さはおそらく生まれ付きで、唯我独尊を唱えながら弟子もいない悟りもしない釈迦。悟れないというのはつまり執着を捨てられていないということだが、問題は俺が何に執着しているか自分でわかっていないところで、叶えようも捨てようもない極度に抽象化した希望だけが耳元から首の後ろをフワフワと周回していて落ち着くことがない。それがなくなった時に訪れるのが自由か悟りか諦めか死なのか、希望を弄んできたようでいて弄ばれながら夜に沈んでいる
なんかさぁ
みんな当たり前のように使ってるけどよく考えたらハートマークって「心臓」だよな!!
いやラヴっぽい感じで胸が苦しいとかみたいな形容することはあるにせよさぁ
そっから臓器の記号、しかも取り出したばかりのfleshな感じのモノを用いるって考えようによっては振り切れてるよな?
「心」←これも本質的には同じっちゃ同じだけどわりと抽象化できてるというかギリギリ形を意識しないでいい感じにまとまってるやん?
♡だとやっぱよりそのものの形に近いんよ。赤色に塗ったりしてさらに臓器感出るし
昔の人たちが心が胸じゃなくて脳にあるって感じになった世の中だったらみんな「🧠キュン」とかやってそうでそっちもなかなかやな
「画像生成AIは、画像を劣化した形で圧縮してそのまま再現しているだけ。だからパクリだ」という発言をよく見かけるようになったので、少し専門的な見地から反論しておこう。まぁ、本当は「取り込んだ画像を丸パクリして出力しているだけだ」と主張したいけど、それは明らかに事実に反するのでそういう言い方をしてるんだろうけどね…。
まず、画像生成AIと非可逆の画像圧縮技術が本質的に同じものだ、というのは事実だ。実際に、画像生成AIを新たな圧縮技術に応用できるのではないか、という話はすでに出ている。なぜなら、これはどちらも「情報の抽象化」を行うものだからだ。情報からその本質的な部分を抜き出し、情報量を減らした形で蓄えておいて、あとから有用な形で利用できるようにする。
我々が非可逆圧縮において「画質の劣化」と呼んでいるものは、画像の中の本質的でない部分を省くと細部が抜け落ちる、という側面をネガティブに言っているだけだ。逆の見方をすれば、情報の本質的でない部分を削ぎ落として有用な部分を活用する技術が非可逆圧縮であり、画像生成AIであると言える。
画像生成AIについて「劣化圧縮」ということを言う人たちは、「絵の丸パクリを咎められないよう誤魔化すための方便だ」くらいの気持ちで言っているのだろうけど、私は、これこそが画像生成AIの本質であろうと思う。つまり、ちょっとしたプロンプトから破綻の少ない豊かな情報を再現できるのは、すなわち画像生成AIが、情報の優れた抽象化の方法を獲得しているということだからだ。
ところで人類の歴史において、優れた抽象化は創造性の発揮として捉えられてきた。ならば、生成AIモデルは人類の文化を表現した抽象芸術であり、創造性の発揮そのものなのでは?
そんなわけで、生成AIに批判的な人たちが言う「劣化圧縮」こそが画像生成AIの創造性の根源なのだ。創造性の欠如が生成AIの「問題」だというのなら、その主張は明らかに誤りだ。
一方で、完全に現実の姿とかけ離れたVR Chatのアバターは、オタクや一部の若い世代には受けているけど、すべての世代の一般人には到底受け入れられないものだろう。もちろん普及もしていない。
「個人の姿」というシンボル機能を最小限継承した抽象化されたアバターを構築できれば良いし、それには「個人の姿」をデコンストラクション(脱構築)出来た会社が勝つんだろうけど、まだ誰もできていない。
自分の斜め上、後頭部近くにある旋毛から2mほどのところから、この人間を見下ろしている。
この体を動かして40年を過ぎたが、実に多くのシーンを目撃してきた。
正確には、目撃してきたのではなく、「コレ」を構成する一つ一つの細胞を統制してきら。
コレを動かすことで、放り込まれてしまったこの世界のゲームをこなしてきた。
時間が進むにつれてエントロピーが増大し続ける中で、同じペースでエントロピーを増大させないことは、意図を持った行動としてむしろ悪目立ちする。
コレは放っておくと、分子のランダムな動きによるものか、予期しない行動を起こす。
そこで自分は行動を補正したり、上書きすることで、なんとか制御してきた。
コレが「予感」だと認識している現象は、こちらが俯瞰しながら先手を打つことで生じる。
誰がゲームを作ったのか?
それは私だ。
私がこの世界を描画している。
君はそれをプレイしている。
アレを動かすことで。
群の性質と挙動をいくつかのレイヤーに抽象化しておきゲームの難易度は高まった。
個の特性は見えないほどに小さくなるが、あるところでそれが全体に影響を及ぼす。
分子が失われる、細胞が失われる、個人は破壊され、集団もランダムに壊滅することがある。
君の次の一手はなんだ?