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2007-06-10

自己本位主義に磨きをかける

 さて、みなさん。この生きづらい世の中でどうやって生きるか。私個人の体験を言語化してそのコツを説明しようと思うと、やはり自己本位主義、と言う言葉キーワードになってくると思います。

 自己本位主義と聞いてどんなことを連想するでしょうか。自己中心主義とはまた少し違った、孤高の一匹狼のような、他人に頼らないような人間想像するかもしれませんが、卑近な例でもって実際に説明してみましょう。

 まず、好きな人からメールが来ないとします。あなたは「いつかあの人からメールが来ないかな。ワクテカ」と毎日を悶々と過ごしています。凡人なら結局叶わぬ恋、と諦めてしまうのですが、自己本位主義を身に付けた人間ならばここで「あのさー、今度ヒマなんだけどいっしょに映画見に行かない?」と自然に言うことが出来ます。そこで否定されても、言い方が不自然だったから無視されても、自己本位的にふるまっていれば大丈夫です。返信がないときはもちろん「どうして返信くれないの」くらいのことはいってやりましょう。どうせ実らぬ恋なら、徹底的に自己本位的にふるまってやろうじゃありませんか。

 あなたの人生はあなたのものです。他人から貰い受けたものでもなければ、あなたの犯した責任の一端を他人に譲渡することも出来ません。とにかくどこまで行ってもあなたは世間からは一人の人間として、自己責任という名の下に断罪されたりするのです。だからこそ、自己本位という考え方が必要なのです。

 夏目漱石『私の個人主義』っておもしろい文章だと思うんだ。個人主義の蔓延している現代だからこそ読み返したい名著だと思うんだ。『我輩は猫である』が長すぎて読み通せない人でも簡単に読み通せる分量(しかも講演)なので、是非読んでみて欲しいと思うのでした。

2007-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20070326000112

著作物の一部を抜き出して、この部分には創作性が認められるから著作物、この部分創作性がないので著作物ではない、と判断できる。

という主張ですよね。

本気で言ってるの?

ええそうですが。

何かおかしいですか?


例えば、夏目漱石の死後50年経っていないときに、

我輩は猫である

から1章まるまる(引用とは呼べないやり方で)利用したらそれは著作権の侵害になりますね。


しかし、

「うるさいなと、主人は読みとばす。」

という一文を自分の小説の一説として利用したとしても、それはおそらく何の問題もないでしょう。

また、タイトル我輩は猫である」を流用しても問題はないはずです(著作人格権を著しく侵害しているとかなら別ですが)。


また、同じような一文であっても、漱石一流の独自の表現だ、と思わせる創作性が十分にあるならば著作権保護の対象になるかもしれません。


基準があまりに恣意的なのでおかしいとお思いかもしれませんが、

wikipedia-著作権にも、

最低限どのような創作性が必要になるかについては、必ずしも明瞭な判断基準は存在しない。


と書いてありますし、そこはケースバイケースの判断となるでしょう。

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