はてなキーワード: 愛玩動物とは
最近の猫保護にはほんの少し抵抗がある。僕は環境問題とか関心持ってるし野良猫の生態が野鳥等への影響ものすごく大きいことも懸念してはいる。してはいるんだけどさ。
とりあえず、「猫ちゃんが外にいるなんてかわいそう!車に轢かれたり病気になったりしたらどうするの!」ってトーンには全然乗れなくて。いや生き物ってそういうものでしょう。これがかわいそうならじゃあタヌキやハクビシンが轢かれるのはどうなのタヌキも保護するなら一貫性あるだろうけどさ。あるいはそれは車社会に対していうべきことであって野良猫や外飼いの人に言うことではないのではと。
「室内飼いの方が猫ちゃんにとって幸せに決まってる!」みたいのも、人間に置き換えるまでもなく、去勢して移動の自由を奪うことがその子達にとって幸せであることが自明ですか?というね。これちょっと判断基準が変われば普通に虐待認定されたっておかしくないと思う。
猫好きだし、道で轢かれてる猫(でもタヌキでもヘビでも)みると悲しくなるけど、そして、現代社会において生態系や糞害などの問題を鑑みて室内飼いが推奨され野良猫が駆逐されてゆくというのは、まあ筋は理解するし積極的に反対はしない。それがまあ正しいのかな、とも思う。でも、これは人間のエゴであって決して「かわいい猫ちゃんのため♡」ではないんだよね。ここは絶対勘違いしちゃいけないと思う。
僕にとって猫って「境界を跨ぐもの」なんだよね。完全にペットではない。野生動物でもない。自分ちにいるかと思うとよそんちにいる。かわいいかと思うと気持ち悪い声で鳴く。ネズミ捕りやなんかで役に立つとも言えるし、糞や野鳥捕獲で迷惑でもある。そういうどっちつかずのものが、単なる愛玩動物でしかなくなってしまうことがさみしい。曖昧なものを許さない時代の流れとして仕方ないんだろうけどね。
開始までの日程詰めとかの話でなく、打ち合わせ中の仕切りについての話
司会と言ってもいい
上司が要望をなんとなく語り、取引先が専門用語を交えて答え、上司が用語がわからずよくわからないと言い、取引先がもう少し噛み砕いて答え、上司がわかったようなわからないよな返事をし、同僚がプロジェクトに関しての不安をなんとなく語る
それを場所がないからと、関係ない私が飯を食っているそばでやっている
誰がどこまでの話をわかっているのか、せめて話題が切り替わったタイミングで確認しつつ、話を進めろ
わからないのならこういう理解でよろしいでしょうか?とか、あとでチャット等ですり合わせさせてくださいとか言え
そもそも自分の司会能力に不安があり、アジェンダ用意できないなら、取引先にその旨伝えて、用意して司会してもらえよ
蛇行する打ち合わせを聞きながらだと、飯が不味くなる
(パートナーの事を愛玩動物のように扱い怒らない事を勧めている参考記事:https://anond.hatelabo.jp/20240213115338)
夫のキャラクターが所謂「男版ぶりっ子」「いじられキャラ」なので、
「明日残業かも!職場で今日、明日の見学案内の仕事急に振られちゃってさ~、
みんな俺に『~ちゃんなら出来るでしょ』って振ってくるし、
今日も~~発表会の準備で忙しかったのに、ずっと周りが雑談を俺にばっか振ってきてさ~」
みたいなエピソードばかり報告してくる。
報告してくれる事は信頼されてる証で嬉しいんだけど、私は精神性が幼稚なので、
「え~、夫君の職場聞いてて思ったけど、前々から分かってる急ぎでない仕事を前日いきなり振ってくるって上司の仕事のやり方がまずいよね~。
夫君の職場が公務員だからかな?私の職場は直前の仕事は『部下がやるわけにはいかないしな~』って上司がやってくれたり、
そもそも急ぎでない日程が分かっている仕事は即座に上司が仕事を割り当てて、直前に仕事が行かないようにするよ~。
そんな仕事の振り方されてその年収だと辛いね。私の職場って恵まれてるんだ~って思っちゃった!」とかマウントしてしまう。
すると夫も一生懸命「いや、もしかしたら見学案内の仕事、前回俺だったから直前でも振れると思ったのかも、
上司の仕事の振り方は民間よりちゃんとしてるよ!」とか反論してくる。
そこで私も(夫が話して楽しくなる聞き方してあげないとなのに。夫の事は可愛い動物位に思わないと)と反省し、
「夫君が良い職場って思える職場なのは素敵だね~」と返して事なきを得るんだが、
また同じ場面が来ると、我慢できず、上記のマウントを繰り返してしまう。
友人や自分の職場の人にはこうしたマウントは取らないので、自分の人を選ぶ性格の悪さが出ている。
普段は喧嘩もしないし仲良しなので、マウント癖を改善出来れば、より強固な信頼関係を築けるんだろうな。
(パートナーの事を愛玩動物のように扱い怒らない事を勧めている参考記事:https://anond.hatelabo.jp/20240213115338)
公共の場での周囲の反応ではすでにペットより人間の子どもの方が嫌がられ、忌避されている。
子どもの泣き声に対して顔をしかめる人の話はよく目にするが、ペットについてはハートフルな話の方をよく聞く。世間からの愛玩動物への無条件の愛情を様々な記事から感じている。
猫対象の研究への寄付は推奨されるが、子どもへのそれには批判的な意見がつく。猫は正義。よく聞く言葉ですよね。
愛玩動物と、責任を負う必要のある人間の子どもと比較するのは、ばかばかしいとお思いだろうか?
わたしの子どもには、子どもを育てるなら日本ではなく余所の国で育てなさいと言うつもり。余所の国の日本人への人種差別より、日本での子ども差別のが育てづらいと思うから。
人間を救うのは難しい。ひとり親家庭やホームレスが全員避けられない気の毒な理由でそうなったわけじゃないだろう。
福祉では本人のせいで弱者になったような人間にも手を差し伸べなきゃいけない。人間のダメさ、弱さを認めて、苦労のわりに成果が出なかったり、望むような結果にならない場合も受け入れる必要がある。
子どもの支援も簡単じゃない。どんなに心を尽くしても大人を信じきれず、誰にも心を開かない人もいるだろう。依存症になったり、罪を犯すこともあるだろう。
愛玩動物たちの気の毒な境遇には罪がない。100%人間の罪しかない。だから許せるし愛せる。
愛玩動物たちは生殺与奪の権利を人間に握られている。彼らは裏切らないし、人生を一変させるような実害を及ぼすこともない。だからかけた時間やカネに対する満足度が高い。