はてなキーワード: 必要悪とは
ふとしたきっかけで、都会と地方の若者とではメンタリティが違うのでは!? と思わされる出来事があった。これからちょっと説明してみたい。エピソード中心になる。
都会の子の説明がメインだ。地方の子の傾向は最後にサッとまとめる。
当方は、地方都市に住んでる者だ。個人事業主である。出張で遠くに行くことがある。
先月、11月の紅葉のシーズンだった。出張で京都市内(追記:京都は『都会』ということにしてほしい。頼む……)に行くことがあった。商談その他の用事は、相手方と事前にチャットでやり取りしてたのもあって一日で終わった。告示されてるとは思うが、今度祇園~四条のあたりでそれなりの規模の再開発がある。測量とか登記の関係で、当方に依頼があった。
それはともかく、向こうの取引先の代表がいい人だった。その日は夜のクラブをおごってもらった。踊る方じゃなくて、接待の方だ。
仮に、A店としようか。女性が接客するお店だった(風俗店ではない)。祇園の一等地にある。キャストは若い子が中心のようだった。あれは業態的にはキャバクラかもしれないが、そのあたりはよくわからん。
普段は地方都市で不動産の士業をしてるんだが、そっちでも年に十数回はそういう店に行くことがある。いわゆるクラブとかラウンジとかスナックとか言われるところだ。
そのA店は、高級そうなお店だった(代表も初めて入るようだった)。お店の入り口にある料金表だと、最低1人1.3万円/hはする感じだった。キャストに飲み物出したら二千円だってさ。
若い頃、俺が初めてこういう店に行った時は、どんな世界だよって思った。その時のドリンクは1杯千円だったかな。でも、こういうのってキャストに対する『お布施』だと考えたら納得できる。YouTuberに一万円ほど投げ銭する人がいるじゃん。あれと同じだ。
お店の内装も豪華だった。天井にシャンデリアがあったのと、別の箇所にはでっかいイシツブテみたいなやつがくっついてた。店内は暗めだった。本当に、冗談抜きで暗かった。男も女も、暗かったら百難隠すみたいな効果を狙ってるんだろうか?
取引先の代表は、俺達二人がいるガラス卓にやってきた若い女性のキャストの子にさ、ドリンクおごってたよ。「一杯いただいてもいいですか?」って、小柄な衝動物系のキャストの子に言われたら、「好きなの飲みなさい」と彼は言ってた。そしたら、黒服の人が白いカルピスみたいなカクテルを持ってきた。
ところで、その代表は貫禄がある見た目だった。恰幅があるけど優しい感じがする。お金持ちの余裕があった。実際お金持ちなんだが。俺もいつかあんな風になりたい。
俺の隣に付いた嬢は、大学生のようだった。A子としよう。三年生って言ってたかな。なんか、コンビニに置いてある女性向けモデル雑誌に出てきそうな見た目だった。背が高くて、目が大きいメイクをしていた。こういう雰囲気の子は田舎には少ない。
四角いガラス卓での会話は盛り上がった。今時の子って協調性があるんだよな。トークレベルが高かった。いわゆる傾聴力というやつだ。「あんたの話、聞きますぜ! ヘヘェッ!!」という感じ。いや、言い過ぎた。ごめん。
話は逸れるが、以前Twitterで「東大の子のルックス水準が年々上がってる」「イカ京はすでに絶滅した」みたいのが流れてきた。割とバズってた。Toggtterにも上がっていた。
でも俺に言わせれば、世の中全体の若者のルックスが向上している。少子化が叫ばれて久しいが、選ばれた者しか結婚できなくなった結果として若者の素のルックスが上がっている。それだけのことだ。
それで、俺の席についてたA子が「わたしも一杯飲んでいいですか?」って、なんかそういう声でアピールしてきた。俺は別にいいかなと思って、「お金は自分で出します」と宣言したうえで、その子に一杯出したよ。小柄な小動物系(チンチラっぽくて笑顔が素敵だった)の子も俺の方を見てたけど、その子は代表からすでに一杯もらってる。マナー違反だ。代表との今後の付き合いもあるし、ノーマナーでフィニッシュしたくない。
お酒をグイグイ飲みながら、A子は「わたしお酒好きなんです!」と言ってた。本当は好きじゃないってのはわかる。一般的な21才くらいの女性はそういうものだ。でも、お店と自分の売り上げのために言ってるんだよな……と、44を過ぎた今なら余裕でわかる。もう44か。俺が21才よりも前、まだ未成年の頃に憧れていた『るろうに剣心』の比古清十郎(43だっけ?)に追いついてしまった。
ところで、会話の流れは二人ずつ同士が基本だった。時々四人で面白い話をして盛り上がったり、代表が全員に人生訓みたいなやつ(人が死ぬ間際まで最後に残るのは人格や性格……お金の価値は消える云々)を披露したりとか、そんな風だった。
時が進むにつれて、取引先の代表はお酒が入って饒舌になった。チンチラの子に対して、「お前、面白いな~。もっと飲めよ」と言ったら、彼女は満面の笑みだった。笑顔が可愛かった。やっぱり祇園のクラブで働いてる子は、何かをもってるのかもしれない。
代表に年齢を聞かれると、げっ歯類は「19才になったばかりです!」って大きい声でアピールしてた。「お酒飲めるの……?」と思ったが、そういえば、この業界は俺が若い頃からこんな風だ。今さら考えることじゃない。
チ「吸いませんよ~」※全体的にイントネーションが高め⤴な感じ
チ「ほんまです。代表さんは吸わらへんの」
代「わしは吸わない。昔は吸ってたけど、もうやめた」
チ「いつ頃やめはったん?」
代「21の時や」
チ「へー、21の時に煙草やめはったん?」
代「そう。21になる頃にやめた」
代「秘密や」
チ「え~、教えてよ~」
チ「代表さん、おもろいな~( ´艸`)」※本当にこんなポーズだった
向かいの二人の会話が盛り上がってる最中、俺の隣に付いてたA子は、それから何杯もお酒を飲んでた。普通の大学生はそこまでお酒に執着しないってのは、最終学歴☆専門卒の俺でも知ってる(つのだ☆ひろを意識している)。およそ三杯目からは無理をしている感があった。女の子のドリンクって割と量があるんだよな。ワイングラスに2/3くらい入ってた。
2千円/1杯は高かったけど、でもA子は仕事に対してマジだなって思えた。話術の方は、嘘っぽい演技がモロバレだった。まるで、ジャニーズ事務所やオスカープロモーションの所属タレントがテレビドラマに出てるみたいな。
しかし、A子はお客を楽しませようと本気で取り組んでいた。それだけはわかる。俺も社会人経験は長い方だ。本気でやってる奴はわかるよ。俺が知ってる標準的な嬢は、ここまで仕事に真剣じゃない。正直、アルバイト感覚の子が多い。
もう二度と出会うことはないんだろうけど……A子の接客とかトークは、あまり上手ではなかった。けど、あの子は本気で『嘘』をついていたよ。一生懸命だってわかる。そんな子にだったらお金を払ってもいい。一万円くらい別にいいかなって思えた。ただ、それだけだ。
結局、お店を出たのは一時間半後だった。楽しかったと言えば楽しかったけど、でも男二人で6.0万円も払って遊ぶようなとこじゃない(料金は5:1だった。俺が1)。行きつけの居酒屋で、同年代で初対面の連中と喋ってた方がまだ楽しい。
クラブを出た後は、その取引先の代表に感謝の言葉を伝えて、あと一軒だけbarに寄って帰った。そこは一人で行った。ホテルに帰る途中の、西木屋町の地下にあるbarだった。祇園に入る四条大橋とは、直線距離で500mほどだ。
店内に入ると、ちょっと老朽化した見た目だった。オーク材と思しきロングカウンターがあったけど、おそらくこれは居抜き物件だろう。高級そうなカウンターに対して、棚や什器がボロすぎる。
ここでは、若い男女の店員がいた。見た目は……まあ爽やかだったかな。俺が君達くらいの年齢の頃は、もっとモジャモジャしていたよ。今はもう少し清潔感がある。
その子達も、A子と同じく一生懸命だった。トークの最中、俺の方を精いっぱい盛り立ててくれた。別に、そこまで褒めてもらわなくてもいいのだが。なんか、悲しいほどに一生懸命だった。何かにおびえているような。
A子がいたような祇園のクラブだと、当然ノルマがあると思う。あの子らの控室には、売上ランキング表なんかがドーン!! と飾ってあるのだろう。うーん。このbarの男女店員にもノルマがあるのだろうか。
その両名と話をしてるうち、女性の方が「一杯もらっていいですか?」と言ってきた。ああ、そっちの方向のbarなんだなと思って、「どうぞ。あなたはいい人だ。断らないよ」と言った。そしたら、男性店員の方も「自分も一杯いいですか!?」と言った。「どうぞ」と告げると、すごく喜んでた。
「ありがとうございます。お客さんにお願いしても、僕の方だけドリンクもらえないことあるんですよ~」
「ゆっくり飲んでね」
とまあ、ここまではいい流れに思うだろう。でも、それから実は……女性店員も、男性店員も、それからグイグイとお酒を飲みまくった。三杯目からは、なんかもう見ていて浅ましかった。
そんなにドリンクが欲しいのだろうか。それを一杯もらったなら、自分の価値が高くなって、上の人間に褒めてもらったり、仲間に自慢ができるのだろうか。そんなことで自分の価値を決めてしまって、本当にいいのか?
「浅ましい飲み方をするなよ。見ていて情けなくなる」
私はついに言ってしまった。その二人はなんだか縮こまってしまって、「あ、え……すいませんでした」とか「僕、調子乗りすぎましたね」とか言ってたかな。記憶は定かではないが。そんなことを言ってた。
それからもトークは和やかに進みはしたが、少し嫌な気分になってきた。小一時間ほど居たところで帰ることにした。最後に、五杯目は自分から二人に勧めてやった。こういうのは、誰かに言われてじゃなくて自分から進んでやりたい。
最後にみんなで乾杯をして、一気にグイっと自分のお酒を飲み干して、会計をした。詳しい値段は覚えてないが、2.5万円ほどだった。今思えば、プチぼったくり系のbarだったのだと思う。まあ、それは別にいい。あの二人は、見た目は清潔感があったし、人柄はまともだった。こちらも気持ちよく飲ませてもらった。このくらいなら払っても損した気分にならない。
エピソードが長くなった。
俺が住んでる地方都市の同業界の若者と比べると、都会の子は「競争」をしてる気がする。そういえばA子があの時、俺にしてみれば衝撃の事実を言ってた。なんでも京都市の東山区や中京区などの夜のお店が多いエリアだと、なんと(・・・・・・ドラムロール流れる・・・・・・)インスタのグループで、キャストが数人でチームを組んで売上競争をしてるらしい。それで優勝すると、何がしかの栄誉にあずかることができる。
まだ21かそこらだというのに、あの子は競争に参加して勝ち残ることが求められる。それで、インスタグループの売上競争に負けた時は……惨めな気持ちにならなくて済むのだろうか? いや、惨めな気持ちになるだろう(反語)。
あのbarの店員にしてもそうだ。今思ったんだが、売上が悪かったら店のオーナーに怒られるんだろうな。だから、あの二人は怯えたようにお客さんに接して、ちやほやして、何とかしてお店の売上を立てようとしていた。ちなみに、二人とも専門学生だった。
「いや、そんなとこで働いてないで勉強しろや!」はちょっと言い過ぎか。奨学金を借りてるのかもしれない。今のうちにお金を稼がないと……と思っているのであれば、それこそもったいない。若いうちでないと楽しめないことはたくさんある。特に人付き合いだ。今は奨学金漬けでいいから、とにかくたくさん遊んで、学んで、というのが大学生の正しい過ごし方だと思う。
ここで、ちょっと思い出した。
俺がまだ20くらいの頃、測量の専門学校に通っていたのだが……其処をまあまあの成績で卒業してからは、地元で有名どころの土地家屋調査士の事務所に入ったのだ。それで、地道にコツコツと頑張って、今ではなんとか独り立ちして事務所を設けてる。それでも……20~25才くらいの頃は、やっぱりあの子らと一緒だったかもしれない。
結果を、とにかく結果を出さないと。目に見える何かがないと、自分が何者でもないような気がして――ああ、そうか。俺はかつて、あの子達と一緒だったんだ。今わかった。俺は、あの頃の気持ちを忘れていたのだ。それだけだ。
そうだ、俺は飢えていた。あの頃の俺は、乾いていたのだ! それで、何がしかの、自分で自分を認めてやれるような成果を探して、何処かしこをうろついていた。そういうことだ。俺が、ただ俺が、あの頃の気持ちを忘れていただけだったのだ。そんな昔のことに思いを馳せていると、自然と涙が零れてきた。あの子達は、ずっと昔の『俺』だったのだ。
何十年も前から、ずっと生き残ろうと努力を積み重ねてきたから、今の自分がいる。だから、あの日だって、あの子達にケチらずにお金をポンポン使うことができたし、それがもったいないとも思わなかった。20年前の俺は、二千円すら使うのが勿体ないと思っていた。
これが成長なのかどうかはわからないけど、とにかく、昔の自分に言えることは……
今、胸の中にスッと浮かんできた言葉だ。これ以外にはない。
さて、地方の同じ業界(ラウンジ、スナック、bar、店員のトークが売りの居酒屋など)で働いてる子は多く見ている。当方は、生まれも育ちも其処だし、飲み屋街に行くのは年に10回以上はある。地方のそういう店で働いてる子は、なんというか、都会の子に比べると「競争」が少ないように思える。
女の子が接客する店でも、もっと緩い感じだ。みんなもちろん本気でやっているのだが、都会の店に比べると、いい意味での余裕(バッファ)を持ってるように感じる。夜のお店のキャストが客にドリンクを求めるのはそこまでない。barや居酒屋でも、店員がお客にドリンクを求めるところはまずない(※居酒屋オーナーは除く)。
例えば、あのA店でのことをひとつ思い出してみると……俺はA子が気に入ったから、「A子さんは一人前になれるかもしれない。大金はたいてくれるお客さんもいるんじゃないかな?」って言ったら、「え~、じゃあ今度ご飯(※同伴)連れてってください!! 連絡先交換しませんか?」と返ってきた。
こういうのは、俺が住んでる地方都市ではまずありえない。例えば、お客の方からそんな節操のない行動(初回で次からの同伴を求める)を取るのは非常識だし、キャストだって当然警戒する。ましてや、キャストの側からそれを提案しているのだ。
というのも、同伴ということは……初対面のお客さんと、次に会う時には一緒に食事をするわけだろう。そのお客さんが後先考えずに女性に手を出す人とか、犯罪者とかだったら怖くないか? そのキャストの女性にとっては。
俺だって、事業の売上のためとはいえ、よくわからない人と一緒に食事をしたくない。最悪、反社リスクがあるからだ。経営というのは、常に最悪を避ける選択肢を採る必要がある。
男の俺ですらそうなのだから……まあ、誰かの紹介があるなら可能性はあるが。祇園のクラブの嬢だったら、何かあってもお店が守ってくれるのかもしれない。いや、わかんないけどさ。切り捨てられる可能性だってある。
思うに、社会にとっての『競争』というのは、現代にあっては必要悪だと思う。競争というのは、お互いの力をそぎ合う行為であって、最終的にはモノポリー状態になる。少数の圧倒的勝者と、数多くの敗者が生まれる。まさに今の資本主義社会だ。アメリカ合衆国がそうなりかけているだろう。
好景気が続いても、所得が上がっているのは一部の高スキル労働者のみであり、残りの労働者の賃金は変化がない。しかも、インフレでどんどん貧乏になってる(実質賃金↓)。それで、追い詰められた人が犯罪的な領域に入り込んでしまう。銃乱射事件などの凶悪犯罪が生じる。
あのA店で喩えると……キャストの女の子同士でお客の争奪戦を繰り返していたら、お店の文化が育たなくなる。キャスト同士でお客を奪い合うと人間関係が悪くなるし、先輩キャストが後輩に接客のコツを教えるといった慣習はなくなるだろうし、何より――飢えた嬢からサービスを受けるお客さんが可哀想である。
「競争よりも協調を~」と言えば聞こえはいいが、どうしたらいいのか俺にも想像がつかない。ただ、経済社会というのは、金融業界とか投機業界(FX,ビットコイン,CFD)とか飲食業界とか市場恋愛(マッチングアプリ)みたいに、ほかの誰かとガンガン戦って奪い取るよりは、みんなで一緒に何かを作るとか、今ある文化や制度を守っていくとか、そういう方向を保っていくのがいいと思う。
戦争はダメだ。実際の戦争じゃなくても、社会で激しい争いが起きると、長い目で見たら社会全体の力を削いでしまう。ゼロサムゲームは避けた方がいい。
https://www.asagei.com/excerpt/294735
普段から陸上見てる人ならともかく、正月の箱根駅伝の往路3区ぐらいからチャンネル切り替えでたまに見てそうな人には心底言われたく無い。
高校駅伝では外国人ランナーを起用すべきでは無いというが、そもそも外国人ランナーだけで勝てるほど甘くない。例えば、今年女子で初出場を果たした益田東(島根県)は実は以前から外国人留学生を起用しており、OGには資生堂のジュディ・ジェプンゲティチもいる。
そのジェプンゲティチが3年生アンカーを走った年であるが、記録はこのとおり。
https://data.pc-egg.com/system/uploads/files/000/177/724/女子一覧.pdf
実に従来記録を1分近く更新しているにも関わらず、平田高校に負けてしまっている。なお、この年の平田高校の都大路での記録は25位で、特別この年の島根県が突出してレベルが高いわけでもない。ぶっちゃけて言えば他のメンバーが遅いと言わざるをえないのだが、ともあれ外国人留学生1人で勝ち上がるなど予選会でさえ厳しいのだ。
仙台育英にしても神村学園にしても他のメンバーが区間1桁〜10位台で走れているから最後までもつれたわけで、たまたま今回は1分20秒差をカリバ・キャロラインがひっくり返してみせたが、こんなの10年に1度だってお目にかかれない。相手が米澤奈々香ならいくらなんでも無理だし。今回の結果は本当に劇的なレースで、それを手繰り寄せたのは神村学園の各ランナーの頑張りと監督さんの采配がハマったことに他ならない。それを外国人留学生がひっくり返したから白けるって神村の関係者に失礼極まりない。
留学生ガー、などと言うなら、国内留学生は?とすぐさま返すし、拒食、鉄剤注射など、もっと取り上げるべき問題は多数ある。浅はかにも程がある。
確かに外国人留学生は強い、強いが正直国内のトップクラスランナーも引けを取らないと思っている。そこで競い合うことで得られる経験は日本人の争いでは得られないものも多い。どうせオリンピックや世陸では争うのだ。そういう競り合うことで得られる経験を減らそうとするのは残念だが、それ以上に外国人留学生を必要悪みたいに扱う論調って令和とは思えんな
この記事なんてよく書けている。
https://373news.com/_news/storyid/187528/
これなんかも
正直言って俺も胡散臭いと思っているし、信用もしていない。
理由は簡単。マナー講師の奨めるマナーというものが一般的ではないように感じるため。
マナー講師が独自のマナーを作ってそれを流布しようとしている。
だが少し待ってほしい。
恣意的なものというのは果たしてマナー講師のマナーだけだろうか?
本題に入ろう。
掻い摘んでいえば助詞の使い方についてであり、文法規則のことだ。
例えば、次のような文章があるとしよう。
一般的に正しいのは1。
では2はどうだろうか?
違和感を覚える?そうだろうね。
でも、2が間違っているわけではない。
それはただ読み難いというだけに過ぎない。
そもそも我々が「は」を「が」と同様にしない理由はあるのだろうか。
はっきり言おう。
そんなものはない。
ええ、その通り。だからこそ世の中のルールというのはおおよそが恣意的である。
にもかかわらず、恣意性であることに気づいていない人が大半なのは悲しいことだ。
しかしこれは悪いことではない。寧ろ必要なことであり通念がなければ社会は成立しない。
だからこそ必然性のない恣意性を我々は教育として受け入れ、それを是として正しいと認識する。
緩やかな洗脳。必要悪。それは洗脳と呼べばそうであろうし、常識と呼べば好まれる。
だからこそマナー講師を糾弾するというのは同時に、自分の洗脳に対する嫌悪でもあるはずなのだ。
世はSNS全盛期。
人々は情報に踊らされ、偏った情報に洗脳されている人々を笑う。
洗脳されている奴らを洗脳されていることに気づいていない奴らが笑う。
拙い文章ながらブクマやコメントをいただきありがとうございます。
そしてコメントにおいて何点か気になるものがあったため追記しました。
君は自分が思ってるほど頭良くないし作文も上手くない。もってまわった言い回しを全部切って文量を半分にすると頭良くなるし作文も上手くなる。騙されたと思ってやってみな。
まず、これは頭が「良い」や「悪い」の話ではありません。
そのため本文の内容を理解できたのであれば感想として「頭が良い」「頭が悪い」といったものは出てきません。
何故なら本文が示す意味は準拠するものを問うからであり、意味を理解したなら「そもそも頭が良いとは何か?」といった感想になるはずです。
つまり「分かりやすい文章を書けた方が”頭が良い”のならば、その分かりやすさはどの程度の知能を基準とするのか?」という問題です。
本題と言いつつ本題ではない部分だけど、文法的に通じることと同じ意味として通じることを混同している。愛の告白をする時に「僕は君は好きだ」なんて言ったら十中八九「じゃあ誰が嫌いなの?」って返されるよ。
その上で「じゃあ、どうしてそれを”混同”と呼び、差異を認めるのか?」といった話です。
ただ例として出した文章が分かり難いといったことは否めず、それは完全にこちら側のミスと言えるでしょう。
すみません…。
問題は、それら「が」と「は」が同じではないとして、では何故同じではないのか?という話です。
本文を書くきっかけは、部下と言語についての話をしたことでした。
私は言語学や記号論を学んでおり、当時はそれらが時代の潮流に乗り、栄えた時代でもありました。
そこで私がジェラール・ジュネットやマリー=ロール・ライアンを持ち出して話をしたところ、ポカンとした表情を見せられ、
じゃあロラン・バルトについてはどう思うのかと聞きました。
すると彼は「それってガンダムのキャラクターですか?」と笑って尋ね、私は愕然とし、構造主義としての思想はもはや廃れてしまったのか?
https://anond.hatelabo.jp/20231021204144
支持者側が「表3」」「実際」の事を割と意図的に無視しているってのは話半分なんだけど
(トラバのnoteも見たけど、専門家では無い&かなり強烈な暇アンチポストを連投してる人だからこちらもバイアスあるだろうし話半分)
「赤字事業で超過分は全て持ち出しだから問題無い」というのがColabo(及び擁護派の)ざっくりした主張という訳。
一見一理はあるけどでもよくよく追ってくと、そもそもの支出の中身自体にも
「会計がいい加減過ぎて報告内容もあまり信用性が無いんだけど大丈夫?」
という異議が出ている以上、超過してるから無問題にはならないと思うんだよね。
例えば家の家計で年間240万の予算でやり繰りしてとお願いした。
でも不審な支出があり問い正したら「実は家計は赤字で400万使ってた!残りは自分の貯金から出したから問題無いよね!」
と言われて、「はいそうですか分かりました」にはならないと思うんだよね。お前その辺野古旅行誰と行ったんだよ、とかさ。
Colaboの話に戻すと、パソコン代がエアコン代として計上されてたり(普通間違えないと思うしパソコン代にしては高すぎない…?とか)
タイヤやドラレコ購入費も実際には購入してないのに予算として計上されてたりして
https://note.com/clean_daphne896/n/n26f911ef8b7f
こういったガバガバ会計があると、実際には4300万使ってました!って言われても本当に使ってるのか内訳出してよとか
予算超過してるから何も問題無いだろってのは余りにも無理筋だと思うんだよね。
普通の会社だとこんな経理してたら、普通担当は外されるし最悪クビになるでしょ。(実際Colaboは今年度から外された訳だけど)
例えば辺野古基地反対運動等の「政治活動」の為の旅行(合宿)費用とか、お高いオーガニック購入費が計上されてるとか、高額の交際費(飲食店)があるとか
色々ある訳だけど、個人的な感覚で言ったら政治活動の為の費用なんて完全にアウトでしょ。
これは政治活動自体の是非じゃなくて、政治活動を主体とする団体はそもそも事業に関われないし主体としてなくても政治活動には使うなってのは法律で明記されてるから。
一般的に考えても、被保護者を基地反対運動みたいな暴力的排除も有り得るし逮捕される可能性もある、かなり危険な活動に連れ出すなんて完全にアウトでしょ。
例え被保護者の少女が本当に心から参加したいって言っても全力で止めるべきなんだよ。せっかく保護した少女を危険に晒してどーすんの?
(若い女性という人間の盾に使っていた、という見方はさすがに酷すぎるので考えたくない)
これはマジで自費でやれよだし、事業の経費に混ぜてるのならこれも返金しろって話だし。
お高いオーガニックだって普通に考えれば自分で買えよって話だし(保護事業にもさすがに不用だと思う、オーガニック必要な時点で「支援が必要な困難女性」では無い)
飲食費だってまあ保護女性+事業に関わった大人達の面々で行って飲み食いして本来であれば分けなければいけない所を全額計上したんだなーありがちーとは思うが
突っ込まれた以上はこれもきちんと分けた方が良いんでない?とは思う訳で。
結局色んな所で支援事業だからってガバガバでやってたんだから「実際」とかいう代物だって正直完全に信用には足らないし
Colabo側が用意したものだから好き様に出来るでしょ、ってのもあるから、この辺の是非は裁判できっちり決着つけては欲しい。
どっちが勝てよ負けろって言う話じゃなく、こういった非営利法人特有のガバ経理がどこまで認められるか?というのは純粋に興味がある。
後さ、これは去年の段階からずーーーーーーーーーっと言われてる事だと思うんだけど
社団法人やNPOの会計がガバガバなんてのはColaboに限った話では無いんだよね。
昔その手の団体をちょっと手伝った事があるけど、ひでーモンだったよ。
代表が家族で旅行行った時の費用や自分家のテレビの購入費用を経費として申請してんじゃねーよって思ったね。
ハッキリ言ってそこらの中小ですら多少のガバさはある訳だし(下っ端はともかく部長クラスになると怪しい領収書出してきたりする)
ましてや非営利社団法人とかNPOなんてのは学生サークル上がりみたいな所や出自の怪しい山師みたいなのがやってる様な所も多く
良くも悪くも一般的な社会人とは乖離した人達が集まる所なんだから、そこにまともな会計やれって言う方が野暮というか酷な訳。
小さい所だと代表やその関係者の奥さんが主婦感覚でやってる様な所の方が多い訳だし。(Colaboはプロの会計士ついてたらしいけど…)
まあそこら辺は出す方も分かっててある程度ガバってるの承知でそれでも予算の消化とか行政じゃ出来ない範囲での活動を期待して出してる訳だし
多少のお目溢しは必要悪だと個人的には思うよ。すごく思う。まともにきっちりやったら多分半数以上の団体がアウト食らうんじゃねえかな。知らんけど。
Colaboに落ち度があるとしたら、団体というか代表?顔役?前面タンク担当?の言動がとにかく悪目立ちし過ぎて
特に草津町長冤罪事件や温泉むすめ騒動なんかで関係者や諸団体に結構な迷惑かけてたりもあって、敵を作ってしまった事だよね。
ついでに言えばフェミニスト寄りの人やColabo擁護派ですら「活動は擁護するけどあの人の全部を支持してる訳じゃない」とか苦言呈されるぐらいには
言動が過激かつ先鋭的になっていて敵どころか味方すら削ってる刹那的な活動が結果的に目をつけられる「きっかけ」を作ってしまった事だろうね。
後政治活動臭をちょっと隠せてないというか寧ろ隠す気無かった様な所も迂闊過ぎたよね。
結構な予算が出てる訳だけど、それを当たり前だと思ってる様な発言も反感を買うよね。
100円ショップを使う事で少ない経費をやり繰りしています凄く大変です、なんてアピールされても
いや普通の家庭は当然でそれなりの企業ですら物買う時は100円ショップ普通に使うけどねって思うよ、一般的にはさ。
自分だって団体の活動自体には特に反対も無いし行政じゃ出来ない事をやってるとは思うけど
じゃあその為に色々ガバい会計見逃せって言われたら「じゃあ他の似たような団体に変えたら?」ってなるし
公金が出ている以上、お金の使い途に口出されるのは当たり前を超えた当たり前。
自分らが政府や県・市の金の使い方に口出したりするのと一緒じゃん?
なんかそこら辺「自分達は素晴らしい正義の活動をしているんだから見逃せ」という様な態度(これは支持者が多いかな?)も
結局の所、悪目立ちしたが故に本来は見逃されてたガバくて痛い腹を探られてるのだから、これはもうしょうがないよねって思わなくも無い。
まあ、この問題の大正解は初手で「誤りがありましたある程度返金しますすいませんでした」って謝っちゃえば
税務調査と同じ様に許されてたし暇だって大義名分を無くして失速してたと思うんだけど
初手でやったのが議員会館でのリーガルハラスメント会見だからね……
多分あの時点でColaboも自分らも暇の人がどういう人間かまるでさっぱり分かってなかったからだと思うんだけど
ちょっと調べれば、良くも悪くも一昔前のネットユーザーで喧嘩も売るし売られた喧嘩は絶対に買う様な類の相手で
しかも資金力もありFIREした独身一般人だから(それは一般人というのか?という疑問ああるけど)継戦能力も高いという
喧嘩かましたらやべー相手だってのは分かったと思うんだけど、まあその辺りの迂闊さとか
第三者のサイレントマジョリティからどう見られるかという視点がマジで欠けているという活動化特有の性分が
本来であれば頭下げて済む話をここまでの大事にしたのかなって個人的には考えてるよ。
ってかマジで何で謝れねーのかなー。頭下げれば済んだ事も多かっただろうに。
よって性欲は罪であり罰であり悪なんだわ
厳格なキリスト教か?だのなんだのうっせーわ
必要悪ってだけで悪は悪じゃねーか
男は生まれながらに悪となりやすい宿命を背負った存在でそれを自覚して弁えて生きろってことなんだよ
動物としての自然な欲求を否定するな???それレイプさせろってのとどう違うんだ????
車は危険だけど便利で必要だから使われてるだろ?でも車なんてない方がいいんだよ。
もし車以上に安全で優秀な輸送手段があったらみんな乗り換えるよ
性欲も同じだよ
本質の話をしてやると性欲が達成したいのは「遺伝子の存続」なんだわ
性欲に頼らなくても遺伝子の存続ができる技術的ブレークスルーが起きたら性欲なんていらないんだよ
でもそんなのまだないから教育でなんとか性欲の不具合(仕様バグ)を後付けでなんとかしてんだよ
でも後付けでなんとかしたって潜在的には仕様がダメなんだからダメなんだわ
ダメなりになんとかやらなきゃねって話なんだわ
吸ってる間はこれがないとどうにもならんって思う
性欲に支配されし者たちはこれと同じ
賢者モードを思い出せ
性欲なくていいなってよ
理論的には可能なんだろうけどさ、その「内心の自由」ってどういうものなんだろうか。
一切表に出さず、頭の中でぐるぐると子供への性的な気持ちを自己充足的に完結させられる。そんなのってある?
たとえば妄想を絵にしたりするんだろうか。でもそうやって絵にするためには、モデルがいるよね。誤解しないでほしいけど、ロリエロイラストはロリエロ写真や動画を参考にして模写しないと描けない、なんて話じゃない。ただ、一対一で対応するようなモデルが必要なわけではないにしろ、なんらかの形で想像の拠りどころとなるような体験というか原情報は必要なんではないのか。つまり見られている人にはわからないような形で、どこかの誰か子供をエロい目で見たことがないのに、ゼロからいきなり完全な想像の産物としてのロリエロイラストを描くことが果たして可能なのだろうか。そしてそれはたまたま気づかれなかったにしても、やっていることは「内心」にとどまっていないのではないか。視姦という、犯罪ではないにしろ、もし気づかれたら対象にとって多大なストレスを与えるような、害を与える行為を実行していることになるのでは。
合法的に手に入る子供向けファッション誌とかそういうのをオカズにするのかな。あとは昔の美術に描かれた子供とか? あとなんだろう、もしかしたら子供みたいな雰囲気の人形とかを使うのかな。でもそういうものが、たとえば「ペドファイルの性欲を満たすための合法的道具」として買えるようになったとして、そういうものが流通しているという状態が存在すること自体が、「子供の身体は性的に扱っていいのだ」というメッセージを発してしまうことになるのではなかろうか。
ペドファイル・チェックみたいなものが社会的に実施されて、それに引っかかったら予防拘禁されるとか、そういう自体を引き起こしてはいかんという意味では、ペドファイルにも内心の自由はあるとは思いますよ。でもなんか、チャイルドマレスターと峻別して、LGBTQのQの中に入れて、社会的に存在を承認してあげなければならないのです、みたいな話になると、それはなんか違わない? って気持ちになる。認めることによって、子供に密やかに性的なまなざしを向けることが肯定されてしまうとなったときの子供の気持ちってどうなんだろうな、みたいな。ようは、社会的に存在は認められていないというか、政治的な権利獲得などを求めることはできないけれども、ゾーニングされた形でエロイラストみたいなものが流通して、それで無聊をかこつくらいには、ある種の「必要悪」みたいな形で存在が許される立場である……みたいなのが落としどころなんではないのかなー。
ちなみにこういう話をすると、同性愛もかつては社会的になんたら〜……みたいな反論が来るんだろうけど、同性愛って性の対象を対等な相手として想定できるでしょ? 子供は性的自己決定権を制限される、未熟な存在であるという線引で社会が回っている以上、どうしたって子供はペドファイルにとっては対等な相手には定義上なりえないわけで。そこんところが同性愛や他の成人同士ないし対等な関係の相手との関係性だけを認めるものと違うんじゃないのかなー、ペドファイルは。
そう、結局のところ、やっぱ「相手が(対象が)子供だ」ってことが、やはりなんらかの扱いの差を生むのはしょうがないんじゃないのかなぁ。なんか世の中が大々的に方針転換でもして、どんな年代の相手でも恋愛対象として見なしてよし! とでもならん限りは。