はてなキーワード: 彼岸とは
まとめるとこんな感じだった。
①吸引の際は結構咳き込む。心配されるくらい咳き込むけど、体感としては端から見るほど辛くない。
②5分くらいしたら、口の中がめちゃくちゃ渇く。渇いたときに水分がなくなるからか口の中は苦くなる。そして、身体の表面がそわそわする。強さによっては、この時点で揺れてる感じがしたり、回転してる感じがしたりして、気持ち悪くなることも。これは意識変容の最初のサイン。
③まずは、知覚が変容する。音が立体的に聴こえたり、色彩がビビッドに(赤と緑が強くなる気がする)なり、強さによっては少し歪む感じがすることも。そして五感が有機的につながって、ひとつの体験として感じられる。
④そこまできたら、感情が昂ぶっているのを感じるだろう。そして、思考がまどろんでいく。自分が何を考えてたか忘れちゃったり、距離の感覚が把握できなくなったり、腕が催眠術にかかったみたいに固定化されちゃったり、身体や足が椅子や地面と一体化しちゃったり。いわゆるストーン。個人的な体感として30分〜1時間くらいで落ち着く。
⑤上記と並行して、いろいろと気がつくことがある。この体験内容はセットとセッティング(心的構えと使用環境)によって大きく変わる。バッドトリップしないためにも、品質の良い大麻で、事前に偏見は取り除き、正しいセットとセッティングを整えよう。(当然、セッティングには安全な環境≒合法的な環境であることが望ましい点も含まれる)
⑥だんだんと普段生きている世界に帰ってくる。大麻では問題ないと思うが、意識変容体験であることは間違いないため、グラウンディング(心的着地感)についても気をつけよう。具体的には、黄泉がえりだ。つまり、あちらの世界(彼岸)からこちらの世界(此岸)へ、体験を持ち帰ってくるのであって、彼岸に魂をおいてきてはいけない。グラウンディングが適切に行えるかで、体験の質は大きく変わると思う。
個人的に、マリファナ体験でよく報告されるところの「マンチー」(食欲亢進)はあまり感じられなかった。
詳しくレポートしていく。
まず、体験した国名については推奨するわけではないから敢えて伏せておく。自分で調べてくれ。
もちろん、日本では違法だから吸うんじゃないぞ。合法大麻とか言って売ってる合成カンナビノイドもやめとけ。あれは信頼性の低いデザイナーズドラッグだ。最近は成分もよくわからんのが出回ってる。CBNクッキーとかまでにしておくといい。
さて、ここはとある大麻調剤薬局(ディスペンサリー)。清潔感のある店内で、店頭にはさまざまな品種のマリファナが取り揃えられている。価格としては、日本円にして1,200円〜2,800円/gほど。値段が2倍以上異なるのは、品種ブランドによるためだ。
マリファナには、文化慣習として大きく2つの品種分類があるとされている。夜の使用に適していると言われるリラックス効果が高いインディカ株、感情の高ぶりや笑い上戸、しゃべり上戸になりやすいと言われるエネルギッシュなサティバ株だ。なお、この分類は最近になって実際の化学構成(ケモタイプ)とはあまり関係がないことが明らかになってきていて、あくまで文化慣習的な目安だという。
ディスプレイされているさまざまな品種の前には、その効き方の目安として「意識の上昇」「多幸感」「意識の集中」「睡眠」「会話」などさまざまな効能が書かれている。私は、その中から3種類を選び、それぞれ1gずつ購入した。
ちなみに、購入したらその場でジョイントを巻いてくれた
さて、さっそく試しに吸ってみようと0.5gのジョイントを1本。同行していた友人とシェアしたので、半分の0.25gほどだろうか。火をつけてタバコと同じように吸い込んで、深く肺に入れる。
キック感がかなり強く、咳き込んでしまうわけだが、咳き込んで頭に血が上るような感覚ののち、段々と知覚が変わってくることを感じる。
まずは、口がすごく乾く。砂漠になったかと思った。あとは、少し喉が痛い。一気に吸い込みすぎたかも。喉が痛くて口が乾くから少し気持ち悪い感じがする。というか、世界が歪んできてる?酔っ払って三半規管が狂ったときみたいな、だけど意識はハッキリしてるみたいな、不思議な感覚が襲ってくる。
あれ、いつからここにいるんだっけ?あれ?今何してるんだっけ?聴こえてくる音楽が、風の音が、バイクの音が、なんだかすごく立体的に、リアル以上にリアルに感じるような気がする……
あぁ、そうだ。マリファナだマリファナ。いま吸い終わったんだ。5分くらい?経ったのかな?時間はー、えぇと、うん、進んではいるみたいだね。でも、進んでるとかじゃないよ。ただ、いまここに在るだけなんだから。
あぁー、完全にさっきいた場所とは違うみたいだ。いや、同じなんだけどさ。あれ、いまなに考えてたっけ?あぁ、そうだ。別の世界に来た感じっていうか。景色も随分とビビッドだし、鮮やかで、キレイだなぁ、あれ、時間って経ってるっけ?あぁ、腕が動かない。固まっちゃったみたいだ。あれ?なんか足が、足の裏が、地面が、あれ?どこから地面と足が分かれてるんだ?あれ?分かれてなくないか?一体じゃないか?
身体が椅子に、足が地面に根を張って、私はいつのまにか大樹になっていた。
1時間ほど経った後だろうか?だいぶ落ち着いてきて、立ち上がって歩けるくらいにはなってきた。まだ、世界は鮮やかだし、心は躍ってる。そのまま寺院観光に行ったけど、黄金に輝く仏像に、カラフルに彩られた建築が、なんだかこの世のものとは思えないほど荘厳に見えた。
上の体験記だけ読むと、ちょっと、いやかなり怖いものなのかなと思うかもしれない。たしかに、マリファナ体験の核となる意識変容体験は、認識に現れる世界をその根底から覆してしまうような、そんな衝撃があった。まさに、別次元の体験といっても差し支えない。だけど、不思議と怖いものではなかった。そこには、底しれぬ一体感があり、神秘の愛に包まれるような感覚がある。
思考がまどろんでいき、幸せな気分(THCの主作用に陶酔感、多幸感が含まれる)に包まれていく。「これはあれ」といったような識別作用、分別作用が弱くなっていく。だけど、不思議とそれを冷静に見つめる一つ上の自己みたいなものは保っていられる。そして、そんな変容意識体験においてしか、気がつけない「ナニカ」がそこにはあり、その「ナニカ」を受け取って日常世界に帰って来る。その体験は、さながら黄泉がえりであり、セラピューティックな気付きに溢れている。
自然の中での一服では、鳥の鳴き声、風の音、擦れる木々、すべてがハーモニーを奏でて聴いたこともないほど心地良い交響曲となっていた。
その日は一日観光をしてご飯も済ませたところで、23時頃だったかな。ホテルに戻ってきた。帰りに、ペットボトルに装着するかたちで使えるボング(簡易水タバコみたいな吸引器具)を買ってきた。個人的に、ジョイントでの喫煙は量の調整が難しいし、私は喫煙経験が浅いこともあって、こちらのほうがずいぶんと吸いやすく感じた。ボングの場合は喉の痛みもほとんど緩和されたし、氷水とかで試したらもっと快適そうだ。
それはさておき、ぶくぶくぶく。
もう慣れたもので、吸って5分くらいすると、口の渇きと身体のソワソワ感、その直後に「完全に別のリアリティに来た」という明確なテレポート感を感じたら、トリップスタートだ。
吸って30分くらいは、やはり少し混乱するし興奮する。2mくらい先にあるペットボトルを取りに行こうとするんだけど、動けない。なんというか、水取りに行こう、あれあんな遠くにあったっけ?あれ、何しようとしてたっけ?あぁ、水だ水。あれ、手を伸ばせば伸ばすだけ遠くにあるような感じがする。あぁ、もういいや、Let it be. だ、そういう感じ。
人間の慣れとはすごいもので、こんな超越体験でも1度経験してしまえば、体感のコントロールは効きやすくなる。30分も経てば、波は超えて、穏やかなチルタイムが始まる。
布団で横になって目を瞑ると、身体が風になって、世界の中空にただポツンと漂ってるような、そんなビジョンが浮かんでくる。ただポツンといる。そのはずなのに全く淋しい感じはしない。それは、まさに、風であるような体験だ。漂っている風はどこからか吹いてどこかへと消えていく、何かが振動し、その振動は空気を伝う。自然の振動は、どこかで区切られるものではなく、それは全体性の連関の中で生まれては消えていく。
風は一人ぼっちじゃない。この世界に〈私〉は一人しかいないし、実存的な〈私の世界〉は誰とも共有できない。だけど、ひとりじゃない。家族、友だち、社会、人間に限らずモノだったりコンピュータだったり、自然だったり、ありとあらゆる万物の関わり合いの中で、ただポツンとそこにある。そんな感覚が、ワンネスが愛そのものなんだ。
内省的で詩的なことを考えていたと思ったら、気が付いたときには朝だった。眠っていた。こんなにも熟睡できたのはいつぶりだろう、というくらい本当によく眠れた。眠りに入っていくその瞬間まで愛に満ちたまま眠れた。
もう3ヵ月以上前の話。日本に帰ってきてから無理をしてまで入手して吸いたいとは全く思わない。
あったら幸せだけど、捕まるかもとか勘繰りながら使ってたら安心してチルアウトなんてできたもんじゃないからね。それなりに異常な体験だし、セットとセッティングには気を付けたい。
いずれにしても、1回吸ったら廃人になる、気づかないうちに依存症になってるなんて類のものではない。世界でも解禁の流れは進んでるんだし、もうちょっとマトモな議論をしたほうが良いんじゃないの、とこの間のアベプラを見て思った。
青い彼岸花が重要アイテムだということをどこかのタイミングで炭治郎が知って
それを探して禰豆子を治そうと奮起する
上弦の鬼の3とか4ぐらいが探してて戦ったり逃げたりする
青い彼岸花に関する何かしらのヒントが残されていて徐々に確信に迫っていく、というようなことをやりたかったんだと思う
以下はそれを前提とした上での青い彼岸花の在処についての予想
たぶんこれは無い
可能性があるとしたら太陽の下を歩いて行かないと手に入らないような場所とかだけど
意外性も無いからたぶん無い
そういう錬金術的なやつ
実は彼岸の季節にだけ見ることが出来る青い月の光とかそういうのを比喩的に「青い彼岸花」と言っていた説
まぁ光じゃなくてもよくて湧き水とかそういうのでもいいと思う
上弦を一人倒した時点で、次は上弦二人を向かわせて絶対に勝ちに行く、っていう敵側のムーブメントは自然だしよくある展開
で、刀鍛冶の里編で二人を倒しちゃうんだけど、仮に倒せなくて柱が死んだとしても青い彼岸花探しの展開に持って行くのは結構しんどい
5年前に結婚。子無し。
増田は35歳、妻は26歳だった。
増田:理学系の博士号持ち。専門を活かした仕事に就いている。年収650万。ずっと国公立。大学と院は奨学金で行った。
結婚するまで自分は普通の稼ぎがあると思っていたが、結婚前にお互いの年収や資産額を明らかにしたら、妻の方がより稼いでおり、資産は0が一個多かった。
結婚のときはお祝いで300万、家を買うとなったら1000万、それ以外にも祖母から毎年100万くらい贈与されている。
妻の親戚もこういうのが「当たり前」なので特別なこととは本人も周りも思ってない。
増田の実家は結婚したときのお祝いは100万、それ以外の支援は特になし。不満があるわけではないが、妻の実家と比べると気後れする。
妻にそれを伝えたら「そんなの気にしてたの?周りがやりたくて勝手にやってることだし、もし二人共仕事辞めても10年は暮らせる貯金はあるな〜って思いながら心穏やかに過ごそうよ。」と言われた。
すべてに増田が行くわけではないが、顔を出すと妻の親戚の華麗な経歴と直面する。
私大の学部卒は低学歴に入る感じだ。修士が普通、高学歴に入るのは博士からって感じ。(口には出されないが)
頑張って博士号を取って良かったと思う。
妻と二人の時は何も思わないが、妻の親戚と過ごすとぼんやり劣等感を覚える。
妻の希望もあり、子供は今すぐには持つ気はない。妻は女系一族なので婿入りとか養子に抵抗がなく、「もし出来なかったとしても、子供が欲しいならもらってもいいんじゃない?」と妻も妻の両親も気軽に言うのでちょっとびっくりする。
30歳後半に足を踏み入れた増田です。
今は役職なしの平社員なのですが、来年から昇進試験を受けることができます。昇進すると主任になる。で、昇進したくない。
昇進したほうが自分の好きなように仕事ができるのはその通り。役職なしの人と意見の相違があったとしても自分が上位の立場であれば命令という形で従わせることができるから、仕事がやりやすくなります。今の上司が昇進のメリットとして言うことも、それ。昇進すれば権力があるから、みたいな。
自分はその発想がとにかく嫌です。末端の従業員全員が昇進できるわけはないし、50代でも末端の人間がいるのが普通だし、それが多様性だと思ってる。役職がある人間は部下より優位な立場で、部下を「もののように使う」ことができて、それに優越感を覚えている上司の言い方を聞くと、違和感を感じるのだ。権力者の悪いところが性格に出ている。そういう組織運営って組織の雰囲気を悪くすると思っている。弱い人間はぶちのめされて当たり前、らしい。いや、弱い人間も強い人間もいるのが世の中だと思う。「弱い人間をぶちのめして当たり前」という価値観の先に待っているのは、退廃した会社の組織だと思ってる。パワハラ当たり前の会社をあんたは作るんか。ていうか、パワハラあるんやけどな。
それはその通り。自分の作りたい組織の雰囲気を醸造しようと思ったら、それこそ昇進した方がいいのだと思う。でも、やりたくないのは、弱い立場の人間の声を届けていくことが、うちの会社はできていないから。今、自分はそれをしている。昇進したら、彼岸の向こう側に行ってしまう。
建て付け上、昇進試験は直属の上司の判断抜きで会社が決めた基準で客観的・合理的に「試験だけ」で決まるとされている。が、実際は違うことを知っている。
というのも、以前、自分の上司が「誰を昇進させるかはもう決めている」と言っているのを聞いたことがあるからだ。だから、頑張る気になれない。受けたところで、出来レースだ。上司の言うことを素直に聞く人だけが主任に昇進する。試験はあくまで、公平さをアピールしているだけでである。それがうちの会社だ。でも、上場企業の有名企業なんだぜ。あほらしい。頑張って何になるんだろう。
JTCだし儲かっている会社ではあるから、すぐに倒産はしないしリストラもない(将来あるかと言われたら知らんけど)。めんどくさい人間になって、労働者の気持ちや思いをぶつける役割を自分が担ってもいいのではと思ってる。
代わりがいくらでもいる人間だからと言って、セロテープやハサミのような道具のように使われては嫌だ。人間には気持ちがあるのに、上司は「上」で部下は「下」という安易は発想で仕事をされたら、部下側もモチベーションが沸かない。今の上司はそれが分かっていない。
子供が生まれた瞬間に価値観が変わったとか、そういう話はわりに聞くと思う。
長子が生まれて十数年たったらある日。子供が行方不明になって数年経つ母親が今もビラを配り続けているというニュースを見たときに、「この人も続けられてすごいね?」「そりゃ続けるでしょ?(即答)」という夫婦の会話があり、妻であっても彼岸にいるのであるな、と思って。
仮に、子供が死ぬシチュエーションで、自分が死んだら、子供がたすかるのであれば、別に死んでもいいかなと思うけれども、それは別に正当な理由があれば別に死んでもいいからでしかなく、未だ子供に対するなんらかの強い思いは持てないでいるように思う。たぶん、自分より先に子供が死んだとしても、自分の日々は変わらず続いていくと思う。
元というなら
Gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā
"bodhi svāhā"(菩提・僧莎訶)は、菩提が叡智・悟り、僧莎訶が成就を願う感嘆で、お釈迦様の名前ではないのでは?
菩薩(bodhisattva)のことである菩提薩埵(ぼだいさった)と混同されているかも?
(参考)般若心経について: 極東ブログ
(参考)『般若心経』をサンスクリット原典で読む! - 甚之助の小屋 ※音読例がいくつか動画で載ってるし、語釈も詳しい
(参考)サンスクリット語、中国語、韓国語の「般若心経」: エムズの片割れ ※これも各国の音読例が載ってる
※中村元氏の『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫)が著名と思うけど、良さそうな解説ないしは随想のページが見つからなかった
これ、よくわからない。
いや、死後の世界(死んでなお、霊的存在になって意識を保有し続けること)を否定するからそう思うわけじゃない。
自分が死んだという事実を認めることになる儀式を自分が見て、それが自分の望む形で実行されたとして、それを喜べるのかどうかわからないので。
どうしたって、自分は悲しいと思うんだよね。
なら、残された人が好きにやるか、「何もしなくていい」と言い遺しておくかだと、個人的には思う。
あと、上とは直接関係ないけど、その死んだ存在(霊的存在)がどこに居るのかがわからない。
その一方で、「あなたを常に見守ってくれているのよ」的な言い方がされ、霊的存在は自分につきまとうかの言い方がされる。
これで、転生みたいな考え方まで伝えられると、さらに混乱してくる。
よくわからない。
黒沢咲 TEAM RAIDEN
猿川真寿 BEAST Japanext
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 暑さ寒さも)彼岸《ひがん》(まで
・04 [麻雀]21
・05 [4択]2(番
・06 西 白 九筒
・08 ムエタイ
・09 エンガワ
・11 枕(詞 まくら(ことば
・13 [漢字を読みましょう]るもい こなん なすしおばら いまり←修正しました
・14 半月板 はんげつばん
・15 野(党
・18 32
・19 『はじめの一歩』
・21 [AC]『チャーリーとチョコレート工場』
・22 ライオン
・25 グラニュー(糖
・26e 神奈川(県
この◯◯様って言い方はもとを辿ると女のネット集団特有のけなしかたで、他には不妊様、妊婦様、子連れ様とか女のあらゆる属性に適用されうる嫌な呼び方だよね。
次に独女。既婚者は鬼女板に集まる。でもこれは既婚者が弾き出されるんじゃなくて、既婚女が独身を楽しんでる女の話を聞きたくなくて締め出してるように見える。
まず子どもの有無。
いない人の中でも専業主婦とDINKSは北極と南極くらい距離がある。
妊活の中には不妊治療クラスタがあって、不妊治療クラスタの中にも自然妊娠を目指す人たちと体外受精してる人たちは別の集団を形成しようとする。
不妊治療クラスタは特にセンシティブで、同じ治療をしていても二人目不妊(すでに子どもがいる)人とは口を聞きたくないという人もいる。子どもに恵まれないことがつらくて、街中で幼児を見るだけで泣いてしまう人もいる。不妊と不妊治療の苦しさは非常に厳しいものなので気の毒だが、あまりに攻撃的で悲劇のヒロインのように振る舞うと「不妊様」と言って叩かれる。
余談だが妊活について呟くと精子提供アカウントにフォローされて嫌な思いをしたりもする。滅してくれ。
妊娠中はマタ垢といって妊婦同士でつながりを作る。Twitterだと垢名の横に週数を書いて、予定日が近い人同士で交流するが、この時つわりが軽くて楽だとか、旦那の気遣いが嬉しいとか漏らすとつわりが重い人や旦那がカスの人から叩かれることがあるので迂闊なことは言えない。食事の写真はつわりで見るだけで吐き気を催す人がいるのでエロ画像より厳重にセンシティブ設定が求められる。同じ妊婦の中でも体験談などを聞かされたくないので経産婦とは交流したくないという初産婦もいる。
また余談だが妊娠における身体の変化などについてそのまま呟くと、妊婦をオカズにする変態に捕捉される恐れがあるので検索避けのスラングも発達している。
一方で流産・死産した経験を持つママさん同士で繋がり合うこともできる。これは現実だとかなり機会が限られることなので、SNSがあって良いことなのかもしれない。
出産後は子あり既婚女性のクラスタに入るが、ここでも本人の年代にと子の年齢に加えて男児ママ、女児ママ、一人っ子か二人以上か、専業主婦かワーママかなど細かく棲み分けが意識される。
ちなみに育児アカでもパパ垢はお断りという人もいて、これは育児の解像度が違うのにやたら交流したがる自称イクメン垢にマンスプされてうんざりした人から単なるツイフェミっぽい人まで様々に見える。
子が大きくなってくると今度は受験クラスタ化していくのだが、ここから先は自分の子がまだ小さいので彼岸の火事が見えている程度でよく分からない。
子どもの有無を軸にしつつ、転勤族の妻とか、海外駐在妻とか、特定の属性で繋がっている人たちもいる。そういうのは便利だね。
こんな感じでネット上の女はライフステージごとに交流する相手を慎重に選び、目に入れたくないものを徹底的に避けて仲間を選び分けているように私の目には見えている。
それにしても、女の生き方の中では、配偶者や子どもという、自分の意思や努力だけでは好きに選び取れないものが大きな属性としてついて回ってくる。
自分で選べないからこそ、自分とは違う属性のクラスタは目に入れない、関わらないことで平和を保つ知恵が生まれたんじゃないだろうか。
本当は全然違う属性の人ともごちゃ混ぜになって「へーそっちはそうなんだ、こっちはこうなんだよ」って言い合える方が視野も広がると思うのだけど、人間の感情はそこまで寛容でフラットにはできてないんだろうね。
たとえばグループのネーミング一つとっても。
King & Princeもなかなかのダサさだと思うけど、やっぱ“Sexy Zone”とか“Kis-My-Ft2”(キスマイフットツー)とか、今となっては意味ありすぎるし、そもそも“嵐”だって何がどう嵐なのかよくわからん。
先日テレビに出てた子なんかグループが“美・少年”となってた。恥ずかしくないのかな。
いや、テレビとかでちらっと見るだけだか、宝塚とジャニーズはやっぱりなんか変だとおもう。
ああいうのに“ダサくね?”、“カッコ悪くね?”という突っ込みが全く発生しない世界って、外から見るの不気味だよね。
幸福をサイエンスしてる界隈とか、価値を創造する学会とかを外から見ると、“なんであんな胡散臭い見るからに俗物なおっさんを聖人みたいに崇められるの?”とか“グッズのセンス、ださくね?”とか、いろいろツッコミどころがあるわけだが、それを突っ込まずに全肯定できるようになったとき、人は彼岸に至って至福の時を過ごせるのかもしれない。
端的に言って、新海誠の映画の中に自分が出てこなかったのが一番の不満だ。
新海誠の主人公ってのは、独り善がりと被害者意識と自己陶酔で生きてるような、普通に見れば気持ち悪いものを持っているのが魅力だった。ああいうキモさ、自分を、許容してくれるのが新海誠作品だったのだ。ほら、新海誠好きな男なんて大抵キモいだろ。俺もそうだ。
すずめの戸締まりでは、そういう気持ち悪いキャラが出てこない。ダイジンはキモかったが、見た目が猫なので許されている。あれおっさんだったらみんな勘違いストーカー野郎だと罵倒するだろ。まあ、おっさんだったらすずめにうちのこになる?なんて言われないけど。
新海誠の描く相手キャラってのは非常に都合の良い、もっと言えば自我がないキャラとして描かれるから、そうたは想定内だった。
しかし、主人公であるすずめも、きれいすぎた。被災者であり地震の悲惨さを実感しているからこそ、母の形見を取り戻すため、そうたを元に戻すために戸締まりの旅をする。なんだそのキレイすぎる推進力は!!最初イケメンだからって惹かれたところが新海誠っぽいけどな!
あと、なんだあの芹澤って男は、いいヤツすぎるだろ。メンタル化け物かよ。自分と対比したら彼岸にいるよ。
あー、もしかしたら環が芹澤と寝てれば、岡部稔のBSSで共感できていたかもしれない。それもなかったけど。
結局のところ、自分持っているものを描写してくれるのが新海誠だったのに、それがなくなってしまったのが寂しいわけ。
新海誠は俺のことわかってくれてるんだって思ってたのに、変わっちまったな誠。でも、いいんだ。俺はお前と通じ合えてた思い出を胸に、お前のいない現実を生きていくよ。誰とも分かち合えない苦しみが、お前との思い出を輝かせる。
だから、この苦しみは俺の誇りなんだ。だろ?誠。
ふぅ・・・
わかるか?新海誠。今、俺はお前の主人公より新海誠の主人公だぞ。
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まあ、それはさておき、すずめの戸締まりはそこそこ面白かった。
すずめの自己救済の話としてよくできていたと思う。
いいところは沢山あるが、どうせ沢山語られるので不満点を書き出す。
1.閉じ師の存在
はじめ、現実にあった震災をファンタジーにしてよかったのか?とも思わなくもなかったが、まあロー・ファンタジーだし、こんなもんかなという気持ちに落ち着いた。
どちらかというと、閉じ師の存在が納得いかない。あんなに大事な仕事なのに、あの映画ではそうたとその祖父しか出てこない。それこそ、各地に人員を配置していたり、東京では他の閉じ師が寄ってきてもいいはず。そうたがこういうのは知られないくらいでいい、みたいなことを言っていたが、何を舐めたこと言っているんだ。周知徹底して人員増やせ。閉じ師の必死さが全く見えてこないので、大学生がカジュアルにやってる仕事にしか見えない。あってもなくてもいい存在ってことなのか?
愛媛のシーンが中途半端すぎる。すずめはあそこで何を得た?他の土地に比べて、薄味すぎる。他で入れるとくどくなりすぎる要素をまとめて配置したようなとてっつけた感。東京に行くまでで、神戸だけじゃさみしいし、愛媛あたりでも入れとく?みたいな。みかん女の親も何家出少女を普通に受け入れてるんだ。
ただ、道中でどんどん衣服をGETして自分が変わっていくってのは面白い要素だった。東京でそうたを失ったあと、ただのすずめとして元の制服を身にまとい行動する。歩む足にはそうたの靴。いいね。
3つめ、書こうと思ってたけど、明確に出てこなかったので、これでおしまいにする。
父親が娘をステーションワゴン(サイド木目=70~80年代のアメ車の代表)に乗せて走っていると、「その娘」が目前に現れスリップ事故。
娘を探して霧にけぶる古いリゾート地、サイレントヒルをウロウロするが異形の怪物が現れ、やがてサイレンが響くと世界が真っ暗で錆びと血だらけの世界に反転。懐中電灯の視界だけで探し回る。
やがてこの異常事態の原因がサイレントヒルの土着カルト宗教にある事、娘の失踪に関わっている事を知っていく。
車の前に現れた娘’はカルト司祭の娘で自分の娘を儀式の生贄として使用し神を産もうとしていた。この為娘’は虐待され生死の境を長く彷徨っていた。
娘’は死に、半分が転生したのが娘だった。要するに娘はサイレントヒルの半身に呼ばれて行方知れずになっていた。
娘と娘’が娘++に合一化したのでカルトの秘儀は遂げられて神が生まれたがどう見ても悪魔にしか見えない。
主人公がそれをブチ殺すと娘++が赤子を託した。ここは彼岸でこの赤子は此岸で生きられる転生体。これが3の主人公。
開発陣が当時非常に寂れて廃墟だらけだった熱海(今なら鬼怒川温泉が近い)に投宿した際に構想されたという逸話がある。熱海は静岡だからサイレントヒル。また、熱海は急斜面にあり、坂を上った先の箱根は濃霧で有名。
サイレンが鳴ると錆と血と臓器が散らばる世界になるっていうのは映画『ジェイコブスラダー』が元ネタ。
死んだはずの妻から手紙が届き昔二人で訪れたサイレントヒルに赴く。
異常世界の景色は登場人物の精神が投影されている。その為に艶めかしい脚だけの怪物などエロと悪趣味が合一された世界が展開される。途中に何度も底の見えない穴があり、そこに飛び込む。
その筋では人気のレッドピラミッドシングが登場するのもこれ。
強迫観念のメタファが多用され、例えばレイプされ続けていた父を殺した女性にはベッドと合一化した男が襲い掛かり、その周りには常に火が見えている。これは贖罪意識である事は容易に判るが、主人公にも火が見えている。これによりどうも彼女と同じ罪を背負っていると察せられる。
ホテルで主人公と妻の忘れ物とされるビデオテープを渡され、再生すると看護に疲れた自分が妻を殺した事を思い出す。
過去が判ってくると妻の手紙は白紙になってしまい異常世界で妻に再会すると殺害を咎められ、これを打倒し、贖罪意識の元になっている妻を再度殺す羽目になってしまう。
カルトの秘儀を行い妻を再生する為に男は霧の湖をボートを漕いでいく。
JKがイオンに居ると異世界に突入し白髪の三浦瑠璃のようなカルト狂信者に遭う。
家に帰ると父が殺されていた。この男の邪魔で神の降臨が妨げられた、再び神を降臨させ神の国を作りましょう、サイレントヒルで待つと。
JKは自分の輪廻を絶ち、父の仇の狂信者をぶっ殺す為にサイレントヒルに向かった。
落ちていた週刊誌から、JK転生前の娘’が居たのはカルト二世を収容する児童養護院で、教義に基づいた虐待と洗脳が行われていた事を知る。
錆と血とグロと暗闇の異常世界で色々あってカルトの教会に着くとさっきの女に会うが、身ごもっていた神が産まれそうになる。
神が生まれたが、どう見ても神じゃない。これが神なら文鮮明もメシアだ。神をぶっ殺してJKは輪廻の運命を自分の意志で断ち切った。
たかがホラーゲームと侮れないのは、メタファが多用されているところ。
例えば同じところに戻ってきたり、怪物が丸いハンドルを回していたりする。これは主人公の輪廻を表している。
日本のTVしか見ない人には判り難いが、洋画を見る人には結構刺さるものがあると思う。
グラフィックは大変悪趣味なグロで、懐中電灯で廃墟探検をしていて何年もタイルに流れた血を洗わず腐っていて瓶漬け臓器が転がっているような地下の霊安室、解剖室を歩いているのを想像すると良い。錆と汚れと血が乾いた梯子を素手で上るとか。怖いというより精神的に参ってしまう。
ストーリー的には自分の意志で決着をつけるという物語なので怖さはない。
件の事件との関係では、親族の仇に復讐する、殺人で己の運命を断ち切るというのはありきたりな話だから特別な関係はないんじゃないか?
ただ、美術史には図像学(イコノグラフィー)というのがあり、キリスト教美術のこの部分はこのモチーフを表すという暗号解読みたいな絵の見方があるのだが、そういうのに素養があると「あれはこういう意味じゃないか?」というのが気になる作りになっている。
ただ宗教教義の中でそういう勉強はないと思うので、特にインチキカルトである統一教会にもないと思われる。
ただ、2→3と連続でやると、強迫観念のメタファが多い2を引きずったままでメタファ多用の3をやる事になり、強迫観念増幅効果があるかもしれない。
また運命を断ち切る当為の最中にカルト二世児童養護院での洗脳虐待が出てくるって事情はある。
2では底が見えない穴に落ちるという行為が連続していて、これは哲学的投企を表している事明白だ。死を暗示する行為が今の自分からあらまほし自分への前進という訳で、ちょっとファシズムやテロルっぽいところもある。
ただこの程度で事件を決意するなら増田もスコセッシのタクシードライバー見て殺人事件起こしてるはずなので、結構心を動かされた程度の可能性だと思われる。
これは性的自己決定権云々のような表面的な話ではなくて、もっと根源的な、われわれの言語的文化的諸活動に織り込まれた女の立場、つねに対象化され比喩として画題として語られる側にあった「女」の概念を、女性自らの手に取り戻そうとする、そういうムーブメントがフェミニズムなのだ。
多くの時代・地域で文化のメインストリームを規定していたのは男性的なものだったわけで、だから、われわれが使う言葉、世界を分節化し構造化する仕組みそのものの中に、女を対象というかあちら側にあるものとして扱う目線が埋め込まれている。
多くのフェミニストが心の底で感じ取っている「敵」はこいつだ。
かつてのジェンダー論は女性の性の開放を謳ったが、近年ではそれが一転して性表現を弾圧している、みたいな意見を見たけれど、上記のような視点から考えれば、別に何も変わってないんだ。
「女」を彼岸の存在として見る向きと闘っている、という意味では。
ただし、当の女性たちが、(もちろん男性も)この側面を十分認識していないように見える。
盆や彼岸の準備とか年末の大掃除とか季節飾りの用意とか、祖父の主導で男手メインにやってたからそういうもんかと思ってたけど、世の中的にはそうではないらしい
おせち料理とか、時期の仏前のお供えのご飯とかは祖母と時々母がやってたから、料理とそれ以外っていう住み分けだったのか…?
でも端午の節句の笹巻きとか、ぼた餅おはぎとか、年末の餅つきとかは家族全員でやる行事だったし、クリスマスとかハロウィンとかバレンタインとかは父が張り切ってなんか用意とかしてた
誰かと暮らす予定は今のところないけど、特別な日の用意の方針が生まれつき違うときどう折り合いをつけていくんだろうか…
長年付き合って結婚するなら、季節の行事の話なんかもすることあるんだろうけど、出会って二、三ヶ月で結婚までこなすような婚活してると結婚してから拗れたりしないのかな