はてなキーワード: 建設省とは
何故かDPZがオンライン調査不十分なんで調べた結果を公表するよ。
現場は第三京浜の玉川インターチェンジ近くの多摩川左岸(東京都側)だ。座標としては「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-lion
まず、Google Earthで過去イメージが見られるので見てみよう。
Google Earthを起動して検索窓に「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」を入力。拡大すると草原の中にオレンジの遊具が見える。拡大しすぎるとストビューに切り替わるのが大変にウザイ。
メニューバーの「表示」→「過去のイメージ」にチェックするとスライダーが現れる。
鮮明な画像が得られるのは余りない。1997/12、2004/12、2007/12、2010/5、それ以降くらいだ。
1997年12月:オレンジ、白、白の三つ巴になっている画像が見られる。2つの白いのは消失した遊具と考えられる。
影の長さから遊具の高さを推定する。ここは東京電力の送電線の真下なので注意看板がある。看板の高さは1.8m。ライオンの影はその1/4。オレンジのライオンは頭の部分だけが高く、影もその部分だけ長くなっている。看板の1/4なので50cm程度と推定される。後に人がしゃがむ画像が出てくるが、大人がしゃがむと約1mでその半分の高さなのでこの推定は合っている。
また、右に寝っ転がり後ろ足を左に投げ出したデザインという事も判る。(足の部分は現在埋まっているので見えない)
白い遊具の影の長さはライオンの頭部の1/3位だが、遊具中心からの距離を考えるとライオン頭部の1/2。つまり白遊具の高さは25cm程度と推定。
次にストビューの過去イメージを見てみよう。ストビューで過去を見る時は、車通りが多い道から見える箇所がないか探す事だ。徒歩道では全天球カメラを入手した物好きがスポットで撮影したものしかないが、大きな車道はストビューカーが何度も撮影している。
それで非常に重要なのがこれだ。
https://goo.gl/maps/XDnKwZfkz2V1YzRs5
ライオンが傾いてしまっているのだ。2014年3月の撮影だ。また、しゃがんだ大人と子供が近くにいる。
左上の日付箇所をクリックするとスライダーが現れる。2014年7月に移動して欲しい。
なんと戻っているのだ。更に高さも戻っている。
次に2020年2月にして欲しい。2019年の台風19号の翌冬だ。
高さが変わっている。地面より深い所に居て、しかも周りを掘ってあるのだ。
多摩川河原はこの25年で2つの大きな台風による洪水に見舞われている。2007年9月と1019年10月だ。
変化があったのは次の通り。
2007年~2010年:白遊具もう一個消える。ライオンだけになる。
2019年6月~2020年2月:大分埋まったライオンの周りが丸く掘られる。
そもそもこういう遊具は古い薬局の前のサトちゃん人形みたいに、FRP製で中に鉄のアングル材の骨組みが入っている。更にここは洪水で浸水する地域なのであらゆるものが水に浮かない、流されない重さで作られているはずだ。中にコンクリが充填されているかもしれない。台風で流されたりは考えにくいのだ。
そして傾いたライオンが起こされたり、周りが掘り返されたりというのは、保守されているという事だ。
更に洪水で泥が堆積する箇所というのは土壌が肥沃であり、草は伸び放題になる。つまり草が低いというのは毎年この個所を草刈りしてるという事だね。
とすると、白い遊具は「撤去された」というのが真相ではないのか?2004年以前に一個と2007年~2010年にもう一個撤去されたと。
理由は、壊れたとか、クソ重たいのに3つも掘り返すのめんどくせぇ、委託業者高齢者が多いのによぉ、とかそんなところかなと。
最初、Google Earthで見た時には白遊具はただ埋まってるだけかも、と思ってスコップ持って出かけようとしたが、ストビュー見たら2019年の台風19号以前にすでに消えてたのでこれはやはり撤去と結論した。
ただ、隣の砂場は土に埋まってるのは確実なので、掘り起こしたら砂場が復活…するけど土砂の堆積が50cm近いので、落ちたら出られないアリ地獄的な砂場になりそうだ。
それと、ここは送電線の真下なので管理は東京電力がしているという可能性もある。つまり公共地(河原の主有権は誰にもない)を使う(地上権設定)見返りに公園の一部として整備した、って感じかなと。
公園(多摩川遊園)全体は自治体管理なので遊具を置かなかい原っぱや避難場所とかの今風に変化させられているが、送電線下だけは東電と建設省(当時)の取決めがあって、設置物は東電のものなのでいじれないんだよねぇ…という、アキバヨドバシの角に小さいビル(Veloceが入る)があるみたいな事かなと想像する。
(
最後のアキバヨドバシ角のビルの事が気になる人がいると思うので説明すると、あのビルは青果仲買人協会の土地。西口のダイビルとUDXは青果市場跡地で、東口のヨド、富士ソフトやロータリー、TX駅は高架式貨物駅だったので、仲買人は駅の中を通って市場に行っていた。秋葉原貨物駅では当然青果物も大量に扱うので仲買人は国鉄と下請けの日通にとってお得意さん。そこで貨物駅の一角を譲渡して仲買人事務所を建てた。あの一帯はJRと日通が所有する貨物駅跡地をそのまま再開発したもので新たな地上げは行っていない。故に、あの角ビルが地上げに抵抗した結果というネットでの風評は間違い。元々お得意さんとして市場の仲買人を国策誘致した土地。
)
これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
最近、世襲政治家が多いという話題をtwitterで目にした。そこで、現在の閣僚がどの程度世襲なのかを実際に調べてみた。ソースは全てwikipediaなので、あしからず。
なお、親の地盤を引き継ぐなどして選挙に当選した政治家を世襲と扱うことにする。大臣を複数兼任している場合は表記がややこしいので、一つだけに絞ることにする。
ほぼ世襲だろうという2人を入れると約4割。これが多いかどうかは感じ方がそれぞれあると思う。
しかし、一つ言えるのは意外と世襲もハードルが高いということ。
地盤の引継ぎに失敗して苦労している政治家も多い。一方で、小泉家や河野家、麻生家などはもはや家業が政治家と言って差し支えないだろう。
家業が政治家というのも賛否両論あるだろうが、別に日本に限った話ではない。例えばアメリカのケネディ家やブッシュ家が挙げられる。
https://anond.hatelabo.jp/20200731233907
上流に大量にダムを作って、嵩上げに嵩上げを重ねた堤防に守られていて、浚渫に浚渫を重ねて利根川では塩水が逆流してくる始末
自然に住みやすくなっているわけではなく、お前たちがそこに住んでること自体が超高コストのお荷物集団なんだわ
典型的なのが大東水害訴訟で、記録を読むごとにあんな危ないとこにきったねー家建てて沈んだら訴訟って世も末かよと思うわ
それをなんとかするために住道駅前みたいなことになってるんだよ
お前の地元だって例外じゃない、沈んだら絶対に大東と同じことになるって俺が保証してやるよ
ダム反対派みたいな言い方をするなら、単なる排水路以上のものではないおぞましい人工物の河川政策なんかやめて、お前の地元が事実上の遊水地になって毎年沈むことを許容してくれれば、河川環境も守られるしみんながハッピーになれるんだわ
いやさ別にお前みたいな考え方は珍しいわけじゃないよ
80年代までの建設省から県庁へ出向でやってきた連中がこういうこと地元で放言して大炎上して数年で帰っていったというのを沢山聞かされた
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=713
甲村: ダムが中止と決定した時,直轄ダムでしたが,県の部長として「まず地元へ説明に行って来い」と言われ,私が地元の水没者の方々に謝罪に行きました。すると水没者の人は「わしらは別に反対してなかった。村長が反対していた。わしらこそ(ダム中止の)被害者だ」と言うのです。「昔だったら、木を売れば金が入ってきたのに、今では木を売っても大した金にもならん。それにダムが出来るのできちんとした道路も期待した。辺りは携帯電話の電波も通じない」
こういう声が本当にあったとして平然とそれを公言しちゃうサイコ野郎だらけだから「国の政策の失敗をダムで沈めて隠そうとするつもりか!」って更なる大惨事になって下っ端が公道で土下座するような羽目になってたそうだ
あれ若手が周辺の人間が見てるような行動上でやると”効く”感じがあって良いらしいな
そういう建設省のダメなとこを表面的にせよ改めてくれたのが河川局長だった近藤徹さんだと伺っていて、いわゆる反対派という人たちは滅多クソに嫌ってるのはなんでなのか増田にはよくわからんので霞が関の事情に詳しい方は教えてください
どういう方法を取るにしても、先立つものがなくては話にならない。ということで、高校に通いつつ、20年間の知識を使って株やFXで軍資金を貯める。あとは適当に運用してどんどん増やす。
原発事故を防ぐべく東電に入社。……が、入社から十数年で原発の安全性に関われる立場になれるのだろうか? 現場の責任者になれば運転を止めるくらいはできるかもしれないが…。それに、これでは地震・津波の被害は止められない。
地震・津波対策は建設省か国土庁、原発は通産省(どれも当時)、…か? これも東電と同じく、2011年までに省内の地位を築けなそう&全ては防げなそう…
これから起きることを次々に予言して信者を集め、宗教団体を設立。運用とお布施で集めた資金で広大な土地を買収。被災地一帯を天理市のような宗教都市にして、地震の前に住人を避難させておく。政界進出…は、現在の某党を見る限りあまり効果的ではないかもしれない。パイプを作って裏から手を回す方がよさそう(原発の被害はこれで抑える)。……案外悪くないかもしれない。
赤い三角のシールは、「消防隊進入口ステッカー」と呼ばれていて、これが張られている窓は、火災などの非常時に消防隊が進入する窓という位置づけになっています。
そしてこのステッカーは、非常時において消防隊にその窓が進入口であることを知らせる役割を果たしているのです。
同条は「建築物の高さ31メートル以下の部分にある三階以上の階には、非常用の進入口を設けなければならない」と規定していて、3階以上の窓には進入口を設けなければなりません。
「31メートル以下」というのは、はしご車のはしごが届く範囲で、逆に言えば、それより高い窓には消防隊が外から入ることはできませんというのはかつての話で、今では50メートルの高さのはしご車もあるようです。
そして、126条の7第7号により、非常用の進入口は、「国土交通大臣が非常用の進入口としての機能を確保するために必要があると認めて定める基準に適合する構造とすること」が必要とされています。
この具体的な基準を定めているのが、昭和45年12月28日建設省告示第1831号で、「非常用の進入口である旨の表示は、赤色反射塗料による一辺が20cmの正三角形によらなければならない」としています。
大きさまできっちり定めているんです。
1952年2月 日米行政協定の締結のとき高松宮殿下のグループがラスク大統領特使に提出した安全保障構想で「徴兵制を導入」
1954年10月 木村防衛庁長官が「私としては徴兵制度の実施が望ましいと思う」と記者会見で発言。
1956年 竹田五郎 統幕議長 徴兵制をめぐる政府見解を批判。
1970年11月 防衛白書から「憲法上の限界から徴兵制は行えない」という表現を削除。
1980年 日向方斉 関西経済連合会会長が、関西財界セミナーの基調報告で「非常時に備え、徴兵制度の研究も必要だろう」と発言。山田稔ダイキン工業社長は「徴兵制をしいている国では人件費が少なく、GNPに占める防衛費の割合が小さくなっている点は注目すべき」と意見。
1987年 「現代社会」の教科書検定での指示内容に「志願制なので徴兵制の国に比べ人件費がかかる」という改善意見。
1992年10月 森喜朗政調会長、自民党の全国研修会の公演で「若者に国民奉仕隊のような組織に入ってもらい、ボランティア活動を通じて国家のことを考え、ポイントを取った人が大学受験で有利になる仕組みができないか、具体的に検討してみる必要がある」と発言。
1996年12月 衆議院の代表質問で森喜朗代表が「ドイツの国民基本法には徴兵制があり、忌避した場合、一定期間は社会奉仕を義務付けることになっている」「若者が学校教育の中で、ボランティア活動を必ず体験することが必要」と義務化を提言。
1996年12月 建設省国土地理院の幹部職員を対象とするディベート研修で、講師が徴兵制は必要と発言。
1998年5月 三重県鈴鹿市の加藤栄市長が「自衛隊鈴鹿父兄会」の来賓あいさつで「徴兵制度を見直す必要がある」「必要かもしれない」と発言。のちに「青少年非行の歯止めになっていたのではないかという意味」「精神訓練の場、と言えばよかった」と釈明。
1999年9月 鳩山由紀夫幹事長代理が群馬県の立会演説会で「侵略を受けた時は、有事法制や緊急事態法制のなかで基本的人権を守りながら個の権利を公共の役の前にどこまでゆずるかという議論はすべきだ。徴兵制はとらないことを原則としながら、万一足りない時は、緊急事態法制のなかで考えるべきではないか」と発言。
2000年9月 憲法調査会の欧州視察報告書で、ドイツの徴兵の代替役務について、中山太郎会長「社会活動の義務化は、社会保障コストを減らす知恵」と感心。
2002年5月 石破茂防衛庁長官が憲法調査会で「徴兵制は憲法違反だと言ってはばからない人がいるが、そんな議論は世界中どこにもない」と発言。
2002年6月 憲法調査会が札幌市でひらいた地方公聴会で6人の陳述者のうちの会社社長の稲津定俊氏が「国民徴兵制度」を明記した新憲法制定を提案。
2005年3月 衆議院憲法調査会の最終報告書案で国民の義務規定の積極的な意見として、国防の義務と徴兵制を追加すべきものとして挙げる。
2006年10月 教育再生会議の初会合で、国際教養大学学長の中嶋嶺雄氏が「韓国などの学生に聞くと経験を積ませるという意味合いが大きい」と徴兵制を評価。
2007年10月 東国原英夫宮崎県知事が建設業者との座談会で「徴兵制はあってしかるべき」と発言。後に「道徳や倫理規範の欠如が社会のモラルハザードにつながっている気がする。規律を重んじる機関で教育することは重要」と釈明。
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1998年 経団連提言『多様なライフスタイルを可能にする住宅政策を求める』
II.魅力ある居住空間づくりに向けた5つの課題
https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/pol194/part2.html
日本の住宅の床面積は全国総平均で91.92m2となっているものの、東京都では62.05m2となっており(総務庁「住宅統計調査」/1993年)
http://www.pref.osaka.jp/jumachi/juutaku1.htm
府県別戸当たり延べ床面積平米(グラフより抜粋)
持家:130.1、貸家:55.4、寮・社宅:56.5、分譲住宅:93.6
読み:にほんのかんりょう
日本において行政の中枢をになう中央省庁なかでも上位の役職にある人々を指す。通常、国家I種をパスし、キャリアとして入省した人々である。彼らは出世競争により一部が高級官僚となり、最終的に一人の事務次官を生む。さらに、その経験者から各分野のトップが生まれる。基本的に東大法卒である。
内閣官房副長官(事務担当)は各省庁の官僚トップが出席する事務次官等会議を主催する、官僚の頂点の一つである。慣例的に旧内務省系の事務次官経験者から任命される。
司法を司る国の機関は三権分立の精神により独立性が高い独自の体系を持ち、法層界の頂点を形成する。
他省庁と違い他国にて活動する外交官にはさまざまな特権が与えられ、また、国内の政治力もおよびにくい。さらに、大国の大使ともなれば政治家に勝る発言力が生ずる。
独特の地位をもつ。
読み:にほんのせいじか
日本において政治を行なう人々を指す。通常、選挙において国会議員や自治体の議員、市町村長、知事などに選出された人々であり、その多くは政党と呼ばれる組織に属する。日本において一つの頂点とされる内閣総理大臣には、与党である自民党の総裁が就任する。
http://anond.hatelabo.jp/20071111030027
どの大学かよりも親の方が重要である。もしくは有力政治家とのコネが必要である。よって、ここは一つ増田総務大臣流に。あ、自民じゃないから総裁無理だw
「片側をあけるのが常識」という考え方と、「片側をあけるのは危険」という考え方の間で、マナーが揺れているようにも見えるけど……。これっていつからなの?
「もともとエスカレーターは片側をあけないで乗ることが基本です。片側をあけ、急ぐ人が歩いて通るというのは、自然発生的に生まれてしまったもの。本来は、ステップの黄色い枠の中に立ち、必ず移動手すりを持つというのが、正しい乗り方ではないでしょうか」
と、事務局長の井出さんは言う。
ただ、法的根拠としては
昭和54年建設省住指発第31号建設省住宅局建築物防災対策室長「協力依頼」
として
(1)「エスカレーターの安全対策標準」(昭和52年1月19日付け建設省住指発第25号別添)に掲げる事項について、可能な限り実施するよう努めること。
(2) 建築基準法第12 条に基づく定期検査を励行すること。
(3) 利用者に対し、エスカレーターの正しい利用方法の周知徹底に努めること。
(4) 店員等が利用者に対し、エスカレーターの正しい利用方法を指導することができるようにするとともに、緊急の場合に的確な措置をとることができるよう、安全教育に努めること。
の(3)のようでまあお願いつうところではあるんだけど。